修一のよもやまばなし

高槻ライオンズクラブの元会長で元335B6R1ZCP(2009ー2010)中川修一が毎日のできごとと思いを綴るブログ

高槻市制70周年と第44回高槻まつりと高槻市歌

2013-06-23 00:12:22 | Weblog

○市歌

昭和22年10月15日

制定

芳賀武  詞

西川得了 曲

1 東真澄める淀の水 西ははるかに妙見の

眺めすがしき北摂に 誇る緑の健康地

沃野の幸の満つところ おお田園の高槻市

おお田園の高槻市

2 南なにわの黒煙 北にゆかしき京の街

のぞむも中に地をしめて 咲くや理想の新文化

真理の塔のたつところ おお文教の高槻市

おお文教の高槻市

3 今ぞ自由の陽を仰ぎ 民主あかるき勤労の

汗にこぞりてゆるぎなき 平和築かん大使命

希望の槌のなるところ おお躍進の高槻市

おお躍進の高槻市



今年は市制施行70周年に当たります。今から70年前、高槻市が誕生しました。太平洋戦争の最中、昭和18年(1943年)1月1日が誕生日です。戦後の混乱期の昭和22年10月15日にこの歌が「高槻市歌」に制定されました。高槻市を東西南北から鳥瞰し、戦後の新体制の下力強く発展しようとする、意欲を感じられる良い歌です。リズムも軽快です。人口3万人の高槻市が、このころから、ベビーブームに入り人口が急増していきます。昭和44年(1969年)には20万人、そして昭和48年(1973年)には30万人に膨れ上がります。高槻まつりはそんな時代、昭和45年(1970年)大阪万博の年に始まりました。この年は高槻市役所の南側の旧庁舎が建てられた年でもあります。以来高槻まつりは44回目を迎えました。第23回までは、高槻現代劇場、城跡公園、野球場で実施しました。第24回から現在のケヤキ通り、みずき通りで実施しています。ですから、この場所で実施するのは21回目となります。現在、高槻市の人口は357000人になりました。平成の時代になってから、この25年は、ほぼ人口は横ばいです。さて、これからは、JR高槻駅北側の開発も完成します。新名神のインターチェンジができます。新しく高槻市が発展する予感がいたします。
高槻市制70周年と第44回高槻まつりを大いに楽しみましょう。

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