昭和22年10月15日に制定された高槻市歌です。昭和22年といえば、太平洋戦争終結から2年がたったところです。戦後復興の道筋がやっと見え始めてきたころでしょう。生まれて4年目の高槻市をどのように育てようとされたのかがよくわかります。1番、おお田園の高槻市2番、おお文教の高槻市、3番おお躍進の高槻市、と歌われています。人口5万人になっていない小さな町のころの話です。市制70周年を迎えるに当たって、先人の業績に思いを馳せてみたいと思います。この、高槻市歌は、昭和20年代30年代のころを良く歌っていると思います。一度じっくりとみんなで聞いてみたいものです。今では、「成人祭」のときぐらいしか歌わないのかもしれません。できれば高槻市の式典には是非歌ってほしいと思います。私の小学校の時には、授業で教えていただきました。
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