最近、電池買うならマルコーの神通力がなくなりました。駅前に電気屋がなくなって久しいですね。ジョウシンもニノミヤ無線も中川無線も、マツヤデンキもみんななくなりました。そのうちソニーもパナソニックもなくなるかもしれません。これも時代の変化です。街の変化は、人口の変化で読めるのかもしれません。高槻市の人口を増加させることです。少子高齢化は日本の地方から始まります。まず、島根、鳥取、四国四県、九州、からです。たった100年で人口が二倍なったんですから50年で70パーセントになっても驚くことはありません。高槻は70年前には3万人、50年前には8万人です。20年前には358000人に到達していました。大阪まで15分、駅前の中心市街地がはっきりしている。日常の交通の便は市バスが確保している。下水道完備率98パーセント。芥川の川の水はきれい。北部の山間地はみどりがいっぱい。米はおいしい。地酒もうまい。人は親切、市長は背が高い。高槻祭りはいつも人出がおおい、ゴールデンウィークは「ジャズストリート」がある。一月には「高槻戎まつり」があって「高槻シティマラソン」があって、二月には「天神まつり」がある。そして、間もなく摂津峡をはじめとして、市内が桜で満開になる。桜の名所は市内のいたるところにあります。私の一押しは、「原公民館の広場の南の入り口に咲いている桜」が一番だと思います。各地の「桜自慢」を集めるのも楽しいことです。たぶん、このままいけば高槻市の人口が減ることはしばらくないでしょう。大阪の元気がなくなれば別ですがしばらくは大丈夫です。何でもそうなんですが、やはり基本はきれいにすることです。街を常に小奇麗に維持することが長い目で見て差が際立ってくるのではないでしょうか。
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パナソニック尼崎工場の停止やシャープ堺工場の減産など、どちらも通勤圏内になる高槻市にとっても影響は小さくないなと。
街(自治体)も生き残りをかけて真剣にならなければいけない気がします。
「高槻の桜の名所」では庄所の芥川沿いが大好きです。
川にかかるように咲く桜の木、その枝をくぐりながら川沿いに散歩するととても素敵な気持ちになれます。
自分のカキコミなんですが、この書き方ではまるで今は真剣に取り組んでいないかのように読めてしまいますね。
申し訳ありません。『今までにも増して真剣に』と訂正させてください。