10日前の母の三ヶ月検診…しこりの採取を行った後、二人で「来週は現実を冷静に受け止めましょうね。」と言いながら、二人で妙に冷静を装って大門の
で
麻婆豆腐と小龍包でランチをして、母を送り、帰宅し、暗い気持ちでいたら、翌日は友人が
栄養を付けて元気を出してと鉄板焼きをご馳走してくれた。
そして昨日、ドンドン欠けていく月を見ながら
母の命もこうやってあっという間に消えて行ってしまうのだろうかと月を見ながら涙した。
そして今日、9時からのCT検査と先週の組織の検査結果を母が一人で聞きに行くというので、悶々としながら一晩過ごし、朝8時に「しっかりと先生の言うことを聞いてきてね。」と言おうと思い、恵比寿に電話をしてみたら、なかなか電話に出ない。
9時から検査だからこの時間にシャワーとかを浴びているはずはない…
どうしたんだろうか…と思っていたらやっと15回目くらいのコールで電話を取った母。
あまりにも電話を取らなかったので「どーしたの?」と聞くと
「寝てたzzzあなたこそどうしたの?」と答える母
「えっ…あの…もう8時なんですけど…」と告げると絶句する母。
急いで支度して、病院に行くと言う。
急いで転ばれでもしたら大事だから、45分後に迎えに行くからと言って、電話を切り、私も急いで着替え、迎えに行き、病院へ送って行った。
病院の玄関先で「せっかく送ってきたんだから、私も先生の話一緒に聞こうかなぁ」と申し出るも「いい」の一言を残し、一人でサッサと院内に入って行ってしまったので、一旦、家に車を置いて、並びの氷川様に行って来た。
このところ母は「神も、仏もいない」と言っていたけれど、私は藁をも掴む想いでこの数日、毎朝、お参りに行き「どうか、なんでもありませんように…」と願っていました。
でも、今朝のお参りでは…首にしこりがあるのは明らかだから、なんでもないわけない…と思い「とにかく、母をお助けください」とお願いして、帰宅。
家に帰っても、何も手につかず、2時間も母から連絡がない…
11時を過ぎてやっと「今、終わりました」と連絡が入ったので、「迎えに行くから」と、何も状況は聞かずに、電話を切って、病院で母をピックアップし、近くの中華屋さんに入った。
点心と酢豚を食べながら、母より説明を受けた…
組織検査ではリンパのしこりは私たち親子が恐れていた通り、陽性。
これからの治療はまず投薬で、しこりが小さくなるかを見てから放射線治療をしようという見解だという、母の短い説明は1~2分程度のものでした。
「ステージは?」と聞いても「先生は言わなかった」と言う。
「腫瘍はどのくらいの大きさなの?」と聞いても、「知らない」と言う。
「だから、そういう大事なところもちゃんと聞いてきてほしかったのに!」という気持ちを抑えたら、母も空気を読み「先生に1年くらいは生きていられますか?って聞いたら、大丈夫って言われたから、多分、大丈夫なんじゃない?」と言う。
このところ母は「自分にはもう時間がない」と言っては身辺整理をしたり、私にどう生きて行って欲しいということばかり話していたし、癌ができた場所が場所だけに、余命宣告が一ヶ月とか、三ヶ月だったらどうしようと心配していたが、診察後の彼女の表情や食欲を見ても「けっして楽観出来る状態ではないけれど、とりあえず最悪な状態ではないからこれから余命のことは考えずに真剣に良くなるための治療のことを考えねばならない」と思い、少しだけホッとしたと同時に、気が引き締まる思いがした。
そんなことを考えていたら、母が「この1週間、あなたは本当に心を入れ替えて、なんでもママの言うことを聞くからなんてしおらしく言っていたけど、これで、また徐々にろくでもない娘になっていくんでしょうね。」と憎まれ口をきく。
まぁ、どんな憎まれ口を聞いても、もう少し、元気で過ごしてくれるならいいか…
ママタンの介護が終わって、これから晩年を楽しんでもらいたかったのに、新たな発病はショックではあるものの、前向きに頑張ってくれるなら、私も頑張ってサポートするからね、ママ\(*⌒0⌒)♪