昨晩の雨で地面が濡れています。
洗濯の干し竿に水滴がついています。
朝は晴れて快晴です。
涼しくて気持ちいい朝です。
朝洗濯物を干してくれました。
朝ごはん食べて、これからバス通学します。
9時にバス通学しました。
連絡帳を学校に置いてきました。
午後3時に帰宅。
マッサージに行ってきました。
その後は家でお休みしています。
今日は朝から天気がよくて昼間は過ごしやすくて気持ちよかったです。
夜はDVDを鑑賞しました。
vol25 韓国ドラマ「公開土大王」第49話、第50話
第49話
姿を隠したトヨン妃は、高句麗(コグリョ)を去る前に、タムドク太子とデートした寺院に立ち寄ります。
その寺院に、王になったタムドク王とヤギョン妃が現れます。
寺院の裏に隠れて、2人の見ていたトヨン妃でした。
そして2人の幸せを祈るトヨン妃でありました。
第50話
高句麗(コグリョ)19代王タムドクがコム大将軍(テジャングン)の娘(養子)を妃に迎えるために
周辺国を招待することになり、周辺国に使節を送りました。
百済(ペクチャ)は、関弥城(クァンミソン)のアシン城主が来て、タウムドク王と会談をするのですが、
始めは、部下をタムドク王に仕立て、アシン城主と会談させるが、部下がうっかり王と言ってしまい
はじめてタムドク王と名乗るのでした。
百済(ペクチャ)に出した条件は、捕虜の変換ですが、アシン城主は捕虜の交換を要求します。
捕虜の交換に応じて、百済(ペクチャ)から捕虜が戻るが、捕虜の人数が足りません。
アシン城主の弟が、船大工としている捕虜を出さなかったのです。
再度、残りの捕虜を出すように申し入れて、捕虜を交換をするのでした。
トヨン妃は、百済(ペクチャ)に渡るために港に行くのですが、お金がないので船に乗れません。
そこに、関弥城(クァンミソン)のアシン城主が、国婚のために港に現れたのでした。
トヨン妃と偶然に再会したアシン城主は、国婚の帰りにトヨン妃を百済(ペクチャ)に連れて行くと約束するのでした。
(この時は、アシン城主はじめ、百済(ペクチャ)の家来もトヨン妃を知りません)
コウン(国相の息子)は行き場所がなく、心もむなしいまま、後燕国(フヨンコク)の高句麗流民村にいたのです。
高句麗討伐に利用するために、後燕国の馮跋将軍(フンバイチャングン)が策略を講じて、コウンを味方に引き込んだのでした。
☆コウンは、国相(ククサン)ケヨンスの敵と、妹トヨンを見捨てたと思い込んで、タムドク王を恨んでいるのです。
☆(後燕国の馮跋将軍(フンバイチャングン)と、靺鞨族(マルガル)の大族長バタルと組み、トヨンを襲わせたが、
靺鞨族(マルガル)の大族長バタルの妹ソルチがトヨンを助ける)
☆ソルチは、タムドク王の家来になる。
そして、国婚に靺鞨族(マルガル)を招待するように嘆願するのです。
洗濯の干し竿に水滴がついています。
朝は晴れて快晴です。
涼しくて気持ちいい朝です。
朝洗濯物を干してくれました。
朝ごはん食べて、これからバス通学します。
9時にバス通学しました。
連絡帳を学校に置いてきました。
午後3時に帰宅。
マッサージに行ってきました。
その後は家でお休みしています。
今日は朝から天気がよくて昼間は過ごしやすくて気持ちよかったです。
夜はDVDを鑑賞しました。
vol25 韓国ドラマ「公開土大王」第49話、第50話
第49話
姿を隠したトヨン妃は、高句麗(コグリョ)を去る前に、タムドク太子とデートした寺院に立ち寄ります。
その寺院に、王になったタムドク王とヤギョン妃が現れます。
寺院の裏に隠れて、2人の見ていたトヨン妃でした。
そして2人の幸せを祈るトヨン妃でありました。
第50話
高句麗(コグリョ)19代王タムドクがコム大将軍(テジャングン)の娘(養子)を妃に迎えるために
周辺国を招待することになり、周辺国に使節を送りました。
百済(ペクチャ)は、関弥城(クァンミソン)のアシン城主が来て、タウムドク王と会談をするのですが、
始めは、部下をタムドク王に仕立て、アシン城主と会談させるが、部下がうっかり王と言ってしまい
はじめてタムドク王と名乗るのでした。
百済(ペクチャ)に出した条件は、捕虜の変換ですが、アシン城主は捕虜の交換を要求します。
捕虜の交換に応じて、百済(ペクチャ)から捕虜が戻るが、捕虜の人数が足りません。
アシン城主の弟が、船大工としている捕虜を出さなかったのです。
再度、残りの捕虜を出すように申し入れて、捕虜を交換をするのでした。
トヨン妃は、百済(ペクチャ)に渡るために港に行くのですが、お金がないので船に乗れません。
そこに、関弥城(クァンミソン)のアシン城主が、国婚のために港に現れたのでした。
トヨン妃と偶然に再会したアシン城主は、国婚の帰りにトヨン妃を百済(ペクチャ)に連れて行くと約束するのでした。
(この時は、アシン城主はじめ、百済(ペクチャ)の家来もトヨン妃を知りません)
コウン(国相の息子)は行き場所がなく、心もむなしいまま、後燕国(フヨンコク)の高句麗流民村にいたのです。
高句麗討伐に利用するために、後燕国の馮跋将軍(フンバイチャングン)が策略を講じて、コウンを味方に引き込んだのでした。
☆コウンは、国相(ククサン)ケヨンスの敵と、妹トヨンを見捨てたと思い込んで、タムドク王を恨んでいるのです。
☆(後燕国の馮跋将軍(フンバイチャングン)と、靺鞨族(マルガル)の大族長バタルと組み、トヨンを襲わせたが、
靺鞨族(マルガル)の大族長バタルの妹ソルチがトヨンを助ける)
☆ソルチは、タムドク王の家来になる。
そして、国婚に靺鞨族(マルガル)を招待するように嘆願するのです。
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