朝8時半頃までは、薄い雲が出ていたが、9時頃から晴れてきた。
朝は涼しいが蒸し暑い。
朝ごはんを納豆で食べました。
洗濯物を干してくれました。
午前中はお休みしていました。
私は洗濯でした。
雲が流れて、晴れたり曇ったりで、雨が降るのが心配です。
外に洗濯物干しているので急に降ってきたら困る。
今日は、午後からは冷たい風が吹き出して涼しかった。
夕方は、寒くなるほどの冷たい風になった。
天気予報では、2週間くらい続くと予想している。
今週からDVD鑑賞を始めました。
今回は、水滸伝です。
新作で登場して画像もきれいです。
ツタヤ16号線では、新作が5枚で千円なので、まとめて借りるとお得です。
ツタヤはフラインチャイズなので、お店で値段設定するそうです。
春日部西口店は、新作は350円で2泊です。5本まとめてはないです。
夕方、晩ごはんの買い物に行きました。
晩ごはんは、ひじきと酢豚(中身は鶏肉)とポテトサラダにしました。
水滸伝 第1話「伏魔殿より始まりし予兆」
水滸伝 第2話「北斗七星、義の誓い」
水滸伝 第3話「林中、高俅と対峙する」
水滸伝 第4話「史進、魯達と拳を交える」
『水滸伝』のあらすじ
『水滸伝』の舞台は北宋末期の中国。物語は洪信という人物が
、
封印された108の魔王を世に解き放ってしまう場面から始まります。
それから数十年後、108の魔王たちは、
それぞれ多様な特徴を持った108人の好漢に生まれ変わり、宋国をさわがせます。
最初は全土に散らばっている好漢たちですが、
運命に導かれるように「梁山泊」という山寨に集結し、
「替天行道(天に替わりて道を行う)」をスローガンに、
悪漢たちや腐敗した政府高官を相手に戦い続ける・・・
『水滸伝』はこのような痛快な物語です。
好漢たちの拠点、梁山泊は四方を湖に囲まれた天然の要塞です。
物語のタイトル「水滸(水のほとり)」はこれに由来します。
より詳しい内容については、「あらすじ」カテゴリーをご覧頂くか、
ぜひ『水滸伝』を読んでお楽しみ下さい。
水滸伝』とは
『水滸伝』は、『三国志演義』や『西遊記』と並び称される中国の代表的な古典小説です。
作者は施耐庵(し・たいあん)あるいは羅貫中(ら・かんちゅう)と言われていますが、
彼らについて詳しいことは分かっていません。
『水滸伝』が編纂されたのは中国の明代、16世紀頃といわれています。
日本にも江戸時代から輸入され、現代に至るまで様々な翻訳が作られてきました。
もちろん現在の私たちにも読むことが出来ます。
物語は、北宋末の宋江の乱を題材にしていますが、
その内容のほとんどは、後世の人々によって作り上げられたフィクションです。
『水滸伝』ができるまで
『水滸伝』は、北宋の末期に起こった農民起義「宋江の乱」を題材にして語られる物語です。
宋江ら36人の盗賊たちが、淮南のあたりを中心に反乱を起こし、
最後は海州の長官・張叔夜に敗れ降伏した、という記事が複数の歴史書に記述されています。
ただ、その記述はあっさりとしたもので、宋江の人となりについて全く触れられていませんし、
宋江以外の36人は、その姓名も伝わっていません。
時代が、南宋~元初と移っていく間に、この宋江ら36人をモチーフにした英雄説話が民間で出来上がっていきました。
南宋末~元初には、宋江ら36人の姓名と賛辞を綴った龔聖与(きょう・せいよ)の「宋江三十六人賛」や、
説話集『大宋宣和遺事』といった書物が作られていきました。
この「宋江三十六人賛」や『大宋宣和遺事』に見られる36人の姓名は、
『水滸伝』の天𦊆星36人の好漢の名に類似しています。また、
『大宋宣和遺事』の説話の中には、「宋江 怒って閻婆惜を殺す」や「楊志 刀を売る」など、
明らかに『水滸伝』の原型になっているものがあります。
また、元の時代には雑劇という形で、好漢たちの個々の説話が作られていきます。
この過程で、次第に宋江の仲間たちは108人に膨れあがり、
明代の初期から中期頃に、小説『水滸伝』としてまとめられました。
梁山泊について
梁山泊は、『水滸伝』の物語の中心となる宋江ら108人の盗賊が立て籠もった天然の要塞です。
「泊」は「濼」とも書き、浅い湖のことを指します。
山東にある梁山は、もともと良山という名前でしたが、
漢の文帝の子・梁孝王がここに葬られたことから梁山と呼ばれるようになりました。
10世紀、五代十国の時代に黄河が大氾濫し、河の流れや地形が変わって大量の水が山東に流れ込み、
梁山の周辺に大きな水たまりをつくり、梁山は水の中に取り残された孤島のようになりました。
こうしてが梁山泊が誕生しました。
『水滸伝』の舞台となった北宋の時代の梁山泊の大きさは、
南北三百里(165km)、東西百里(55km)、周囲八百里(440km)という巨大なもので、
当時の鄆州と済州にまたがっていました。
『水滸伝』の主人公・宋江のモデルとなった北宋の盗賊・宋江らが、
梁山泊に立て籠もったという確かな記録は残念ながらありません。
しかし、大きな水たまりによって外界と隔離された梁山は、格好の隠れ家であったことは確かで、
盗賊達の拠点となっていたことを示す記録は多く残されています。
時代が下り、繰り返す黄河の氾濫で土砂が堆積し、
またその後、黄河の流れが変わってしまったことから梁山泊は徐々に干上がっていき、
17世紀、清代の康煕年間には、水たまりはすっかりなくなってしまいました。
かつて梁山泊のあった場所は、現在は山東省梁山県の管轄となっています。
上に述べたように梁山泊は既にすっかり干上がってしまい、今は泊の跡形もなくなっています。
梁山は、しばらく外国人未解放地区でしたが、現在は解放されており日本人も自由に観光できるようになっています。
梁山は、「水泊梁山名勝区」という観光地となっており、山内は忠義堂など『水滸伝』の物語の世界が再現されています。
なお現在の日本では、『水滸伝』の影響を受け、「梁山泊」という言葉が、
「英雄豪傑の集う場所」「アウトロー達のたまり場」という意味の一般名詞として使われることもあります。
朝は涼しいが蒸し暑い。
朝ごはんを納豆で食べました。
洗濯物を干してくれました。
午前中はお休みしていました。
私は洗濯でした。
雲が流れて、晴れたり曇ったりで、雨が降るのが心配です。
外に洗濯物干しているので急に降ってきたら困る。
今日は、午後からは冷たい風が吹き出して涼しかった。
夕方は、寒くなるほどの冷たい風になった。
天気予報では、2週間くらい続くと予想している。
今週からDVD鑑賞を始めました。
今回は、水滸伝です。
新作で登場して画像もきれいです。
ツタヤ16号線では、新作が5枚で千円なので、まとめて借りるとお得です。
ツタヤはフラインチャイズなので、お店で値段設定するそうです。
春日部西口店は、新作は350円で2泊です。5本まとめてはないです。
夕方、晩ごはんの買い物に行きました。
晩ごはんは、ひじきと酢豚(中身は鶏肉)とポテトサラダにしました。
水滸伝 第1話「伏魔殿より始まりし予兆」
水滸伝 第2話「北斗七星、義の誓い」
水滸伝 第3話「林中、高俅と対峙する」
水滸伝 第4話「史進、魯達と拳を交える」
『水滸伝』のあらすじ
『水滸伝』の舞台は北宋末期の中国。物語は洪信という人物が
、
封印された108の魔王を世に解き放ってしまう場面から始まります。
それから数十年後、108の魔王たちは、
それぞれ多様な特徴を持った108人の好漢に生まれ変わり、宋国をさわがせます。
最初は全土に散らばっている好漢たちですが、
運命に導かれるように「梁山泊」という山寨に集結し、
「替天行道(天に替わりて道を行う)」をスローガンに、
悪漢たちや腐敗した政府高官を相手に戦い続ける・・・
『水滸伝』はこのような痛快な物語です。
好漢たちの拠点、梁山泊は四方を湖に囲まれた天然の要塞です。
物語のタイトル「水滸(水のほとり)」はこれに由来します。
より詳しい内容については、「あらすじ」カテゴリーをご覧頂くか、
ぜひ『水滸伝』を読んでお楽しみ下さい。
水滸伝』とは
『水滸伝』は、『三国志演義』や『西遊記』と並び称される中国の代表的な古典小説です。
作者は施耐庵(し・たいあん)あるいは羅貫中(ら・かんちゅう)と言われていますが、
彼らについて詳しいことは分かっていません。
『水滸伝』が編纂されたのは中国の明代、16世紀頃といわれています。
日本にも江戸時代から輸入され、現代に至るまで様々な翻訳が作られてきました。
もちろん現在の私たちにも読むことが出来ます。
物語は、北宋末の宋江の乱を題材にしていますが、
その内容のほとんどは、後世の人々によって作り上げられたフィクションです。
『水滸伝』ができるまで
『水滸伝』は、北宋の末期に起こった農民起義「宋江の乱」を題材にして語られる物語です。
宋江ら36人の盗賊たちが、淮南のあたりを中心に反乱を起こし、
最後は海州の長官・張叔夜に敗れ降伏した、という記事が複数の歴史書に記述されています。
ただ、その記述はあっさりとしたもので、宋江の人となりについて全く触れられていませんし、
宋江以外の36人は、その姓名も伝わっていません。
時代が、南宋~元初と移っていく間に、この宋江ら36人をモチーフにした英雄説話が民間で出来上がっていきました。
南宋末~元初には、宋江ら36人の姓名と賛辞を綴った龔聖与(きょう・せいよ)の「宋江三十六人賛」や、
説話集『大宋宣和遺事』といった書物が作られていきました。
この「宋江三十六人賛」や『大宋宣和遺事』に見られる36人の姓名は、
『水滸伝』の天𦊆星36人の好漢の名に類似しています。また、
『大宋宣和遺事』の説話の中には、「宋江 怒って閻婆惜を殺す」や「楊志 刀を売る」など、
明らかに『水滸伝』の原型になっているものがあります。
また、元の時代には雑劇という形で、好漢たちの個々の説話が作られていきます。
この過程で、次第に宋江の仲間たちは108人に膨れあがり、
明代の初期から中期頃に、小説『水滸伝』としてまとめられました。
梁山泊について
梁山泊は、『水滸伝』の物語の中心となる宋江ら108人の盗賊が立て籠もった天然の要塞です。
「泊」は「濼」とも書き、浅い湖のことを指します。
山東にある梁山は、もともと良山という名前でしたが、
漢の文帝の子・梁孝王がここに葬られたことから梁山と呼ばれるようになりました。
10世紀、五代十国の時代に黄河が大氾濫し、河の流れや地形が変わって大量の水が山東に流れ込み、
梁山の周辺に大きな水たまりをつくり、梁山は水の中に取り残された孤島のようになりました。
こうしてが梁山泊が誕生しました。
『水滸伝』の舞台となった北宋の時代の梁山泊の大きさは、
南北三百里(165km)、東西百里(55km)、周囲八百里(440km)という巨大なもので、
当時の鄆州と済州にまたがっていました。
『水滸伝』の主人公・宋江のモデルとなった北宋の盗賊・宋江らが、
梁山泊に立て籠もったという確かな記録は残念ながらありません。
しかし、大きな水たまりによって外界と隔離された梁山は、格好の隠れ家であったことは確かで、
盗賊達の拠点となっていたことを示す記録は多く残されています。
時代が下り、繰り返す黄河の氾濫で土砂が堆積し、
またその後、黄河の流れが変わってしまったことから梁山泊は徐々に干上がっていき、
17世紀、清代の康煕年間には、水たまりはすっかりなくなってしまいました。
かつて梁山泊のあった場所は、現在は山東省梁山県の管轄となっています。
上に述べたように梁山泊は既にすっかり干上がってしまい、今は泊の跡形もなくなっています。
梁山は、しばらく外国人未解放地区でしたが、現在は解放されており日本人も自由に観光できるようになっています。
梁山は、「水泊梁山名勝区」という観光地となっており、山内は忠義堂など『水滸伝』の物語の世界が再現されています。
なお現在の日本では、『水滸伝』の影響を受け、「梁山泊」という言葉が、
「英雄豪傑の集う場所」「アウトロー達のたまり場」という意味の一般名詞として使われることもあります。
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