気ままに

大船での気ままな生活日誌

日本橋べったら市 小伝馬町界隈

2015-10-21 10:19:59 | Weblog

おはようございます。今朝の第一報は昨日、訪ねた、日本橋べったら市の訪問記です。

JR新日本橋駅からすぐのところにその市が開かれているのだが、気付かず、反対の室町の方に向かってしまっていた。ちょうど昼時だったので、サラリーマンで賑わう居酒屋で、900円の海鮮丼を頂いた。支払いをするとき、お店の人に市の場所を聞いたが、知らないという。道で聞いた時もそうだった。全国区のべったら市を地元の人が知らないとは(笑)。でも、うしろのサラリーマンが教えてくれた。

江戸時代の中頃から、日本橋の宝田恵比寿神社の門前で、十月二十日の夷講にお供えするため、前日に魚や野菜の市が立ち、とくに、べったら漬けの大根がよく売れたので、”べったら市”と呼ばれるようになったそうだ。

まず、神社に御参り。

奉納提灯には歌舞伎役者の名前がずらり。玉三郎、菊五郎・・・さすが、日本橋。浜町も近いしね。

露店がずらりと並ぶ参道。

でも、べったら専門の露店は、脇道に並ぶ。10軒程度。

大根を甘酒の麹で漬けた漬け物。沢庵みたいに薄く切らず、3倍くらいの厚さで切って食べる。

郵送可能です。

そのあと、近くの小伝馬町の牢屋敷跡を見学。今は十恩公園になっている。当時の牢屋の石垣が展示されている。

吉田松陰は、安政6年(1859年)、安政の大獄に連座し、江戸に送られ、ここ伝馬牢屋敷に投獄された。同年、10月27日に斬首刑に処される。29才没。松蔭先生終焉の地の石碑がここにある。その隣りに、”吉田松陰辞世の碑”もある。

石町・時の鐘 石町から、ここに移築された。当時、処刑されるときにも鳴らされたとのこと。 

公園の隣りが旧十恩小学校。この夏、大河ドラマセミナの中で、講師の方が、ここの学校の卒業生で、教室がちょうど松蔭の牢獄の当たりだったらしい。その後、先生は偶然、松蔭ゆかりの土地ばかりに転勤し、こうして吉田松陰の話しをしているのが不思議だとおっしゃっていた。

そのあと、神楽坂で飲み会があるので、待ち合わせ場所の飯田橋駅に向かう。まだ、時間があったので、駅から靖国神社まで歩く。菊まつりがもうはじまっていた。

本殿

菊まつり

桜の開花標準木の向こうの能舞台では舞踊が行われていた。

そして神楽坂の夜は更けていった。この前も行ったワインレストランで。

ワインで思い出したけど、科博の次回の特別展は”ワイン展”です。


では、今日も一日、お元気で!

 

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老夫婦 横浜ヲ徘徊ス

2015-10-20 10:07:31 | Weblog

家内がそごう美術館の招待券2枚を友達からもらったというので、横浜に出掛けた。鈴木信太郎展。これがとても良かった。感想文はのちほど書くことにして、そのあとの老夫婦横浜徘徊の”あしあと”を忘れないように残しておこうと思う。

展覧会をみたあとは、10階のレストラン街へ。あそこの屋内庭園が素晴らしい。もう、紅葉が見頃になっていた。

ランチはベトナム料理。ぼくは焼きそば、家内はフォー(米粉麺)をメインとした定番メニュー。生春巻きもついている。とても、おいしかった。ベトナムも一度、行きたいと思っているのだが、なかなか実現しない。カンボジアもそう。来年こそは!そうそう、むかし、パリで食べたベトナム料理がおいしかったこと。

食事を終え、8階へ。秋の大九州/味と技めぐりが開かれていたのだ。

九州の名店が勢ぞろい。九州生まれの家内も大喜び。大宰府の梅ヶ枝餅を早速、見付け買う。隣りの鹿児島のお店でさつま揚げも(これはもう昨夕、ぼくのお腹の中へ)。熊本の銘菓”いきなり団子”は作り方の実演までしている。

いきなり団子

ご、五郎丸ラーメンでごわす!鹿児島の人気店らしい。また、鹿児島といえば、アイス白熊、もちろん来ていましたよ。熱いラーメンのあとは冷たい白熊をどうぞ!

そして、シーバスに乗って、山下公園へ向かう。


山下公園では、氷川丸のカモメが整列して迎えに出ていた。


山下公園のツワブキは満開だった。

マリンタワーもこんにちわ

この噴水池はサンディエゴ市との姉妹都市提携の記念でつくられた。サンディエゴは、ぼくも好きな街。

そして、港の見える丘公園へ登る。秋薔薇も咲き始め、いろんな花が真っ盛り。

そして、洋館通りを歩いて、イタリヤ山へ向かう。途中のレストランでお化けカボチャがこんにちは。

イタリヤ山の外交官の家のメタセコイヤの並木を定点観測。まだ、色づきなし。

ここまで、徘徊して、まだその足跡を何とか、辿れるのだから、まだ本物の”徘徊”ではないらしい。 よく歩いた一日だった。今日は、夕方、友達と神楽坂で飲み会。その前に、日本橋のべったら市に行くか、新宿御苑にするか迷っている。報告は明日します。では、行ってきまぁす。

 

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鈴本演芸場にて

2015-10-20 08:15:01 | Weblog

先日、橘家円蔵師匠、81歳の訃報が入った。2年前の浅草演芸ホールが最後の高座となったということだった。もしかしたらと、ぼくのブログ記事を探してみた。たしか、浅草で円蔵師匠の噺を聞いている。でも、それは、2年前ではなく、4年前、2011年の正月公演のときで、浅草ではあったが、演芸ホールではなく、上階の東洋館の方だった。そのとき、東洋館へ上るエレベーターの中で偶然、師匠と一緒になったのだ。そのときの様子を当時のブログ記事でこんなふうに書いている。

そしてエレベーターに入ると、すぐあとに、ななななんと円蔵師匠と弟子筋らしい落語家が入ってきた。さすがと思ったのは、わずか4階に上がるまでの間、二人で笑いをとる会話をしてくれたことだ。ミニ落語をはやくも聞け、得した気持ちになった。

そういうこともあって、円蔵師匠のお悔やみのためにも、是非、浅草演芸ホールの寄席に行こうと思っていた。日曜日、まず上野で両博物館などを見学後、浅草へ行く予定だったが、(昼の部の時間のこともあり)結局、上野の鈴本にした。

わずかに残っていた席についたときは、中入りの二つ前だったが、高座にあがっていたのは、三味線漫談の小円歌。円歌師匠のお弟子さんとは思われない美女で(笑)、また噺しも上手で、ぼくもフアンである。実は4年前の正月公演でもみているし、そのあと、中入前の〆に出てきた馬風が、そのときも第二部のトリを務めていたのだ。まるで、円蔵師匠がぼくのために用意してくれたような番組だった。馬風のちょっととぼけた味がぼくは大好きで、今回も、談志の選挙ネタなどで大笑いした。噺だけではなく、歌もまた上手で、美空ひばりの歌のダイジェスト版を次々と、二十数曲も聞けたのは楽しかった。

中入り後は、柳亭小燕枝の”権助提灯”と桃月庵白酒の”ざるや”の達者な噺しを聞いたあとの昼間の部のトリは、川柳(かわやなぎ)川柳(せんりゅう)。祝芸歴60年/ご存じガーコンの枕詞がついている。はて、どんな噺家だったけ?高座へあがってきて、噺をはじめたら思い出してきた。円生の弟子でさん生を名乗っていたが、破門され、新師匠小さんに、この名をつけられたようだ。波乱の人生を送ったようで、円蔵師匠より三つ上の85歳。出し物はガーコン。軍歌やジャズを唄いながらの漫談で、たしかに聞いたことがある。ドラ息子はジャズで身体をゆらし、田舎のおとっつぁんも同じように身体をゆらすが、こちらは、ガーコン、ガーコンと脱穀機を動かしているのだ。これがオチ。

そして、いったん引っ込み、再び、ソンブレロにサラッペのいでたちで、ギターをひきながら”ラ・マラゲーニャ”を歌いながら現れる。そうだ、これは、むかしテレビでよくみた!艶笑小咄をしながらのラテン音楽。息継ぎなしの歌声に途中で何度も拍手が起こった。

川柳川柳師匠、円蔵師匠の分まで長生きしてください!

 

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東博・平成館考古学展示室リニューアルオープン

2015-10-19 18:25:32 | Weblog

東博・平成館の考古学展示室がしばらく閉まっていたが、10月14日からリニューアルオープンしたというので早速、覗いてきた。

トーハクのプリンス、国宝・埴輪 挂甲の武人がお出迎えしてくれる。埴輪では唯一の国宝指定というからすごい。群馬県太田市の出土(古墳時代6世紀)。

国宝・銅鐸 (香川県出土、弥生時代中期 、前2~3世紀)

重文・石人(福岡県八女市出土、古墳時代6世紀)

ハート型土偶筒型土偶も人気者です。

トーハクのプリンセス、みみずく土偶は撮り忘れてしまったので、ちらしから。(さいたま市出土、縄文後期)

埴輪くんの勢揃い

この中に五郎丸ポーズの子がいるはず、と探したが、ここ子が一番近いかな。

江田船山古墳からの出土品はすべて国宝。熊本県玉名郡出土。えへん、えへん。(家内が熊本出身なので)。

国宝・銀象嵌銘大刀 (江田船山古墳出土)日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌が刀の上部に。

国宝・金銅製沓(江田船山古墳出土)

鴟尾(しび)(飛鳥~奈良時代、大阪府柏原市出土)

なかなか出てこないな、と思っていたら、やっぱりトリは、この壺。ぼくが住んでいた近くの、川崎の白山古墳から出土。陶磁器部門の新国宝指定の第1号。白洲正子も愛した秋草模様の壺。平安時代の末、12世紀頃。その産地についてはいくつかの説があり、常滑焼に近似していると言われていたが、最近は渥美焼との説が有力。

秋草文壺
 

見違えたようになっていた考古学展示室。照明もグー。

。。。。。

東博構内にも五郎丸ポーズが。

この日が最終日だった陶器市にも。

さつき盆栽展も。はじめ松かと思ったら、サツキだった。素晴らしい盆栽の数々。五郎丸ポーズの盆栽は残念ながら見つかりませんでした。

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世界のヒョウタン展 科博

2015-10-19 08:28:41 | Weblog

昨日の日曜日は、朝からずっと上野で過ごしたが、なかなか面白い一日だった。科博で世界のヒョウタン展をみて、びっくりしたし、リニューアルオープンした東博・平成館の考古展示室も楽しめた。さらに、上野公園では、さつき盆栽展の作品に感心した。久し振りに台東区下町風俗資料館にも入ったし、さらに、鈴本演芸場の寄席で大笑い。そして、〆は帰りの東海道線からみた夕景富士

これらを一遍に紹介するのは無理なので、二、三回に分けて、レポしたい。まずは、世界のヒョウタン展。特別展ではなく、常設の特集展示だからシニアは無料というのがうれしい。

では、展示室に入ってみましょう。まず、これが目に飛び込んでくる。ヒョウタンの形と大きさの多様性にびっくり、にっこり。

これなら、いろいろな使いみちがありそう。

まずは、土器に先だって、縄文時代から使われてきたヒョウタン。

その後、世界中で、水筒、洗面器、ひしゃく、ボール、コップ、米櫃、酒器などなど、70を超える用途がみつかっているという。

ミルク入れ、水筒、水入れ

ヤシ酒入れ

石灰入れ。台湾、東南アジア地域でヤシの一種、ビンロウを噛む習慣がある。そのとき一緒にかむ石灰を入れる容器。

飾り容器にも

そして楽器。これが一番おどろいた。

笛も

以上は、湯浅浩史博士のコレクションとのこと。ヒョウタンから駒の面白い展覧会だった。

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能「葵上」と狂言「墨塗」

2015-10-18 21:55:17 | Weblog

東慶寺の秋の花々を楽しんで、急いで、大船に戻ってきた。鎌倉芸術館で上演されるお能と狂言をみるため。”名曲鑑賞能第11回”で、今回の曲目は、お能が”葵上”で、狂言が”墨塗”であった。

はじめに、観世銕之丞から”能の中の源氏物語”というテーマでプレトークがあった。お能の曲目は200程度だが、実際、上演されるのが100曲ほどで、源氏物語関連は、7,8曲。そのうち、一番人気が、今回上演の”葵上”ということだった。”野宮”も同様、六条御息所がシテだが、倍の2時間公演で、なかなか上演されないとのこと。

”葵上”が始まる。舞台正面に一枚の小袖が置かれ、これが実は、物の怪に取りつかれている源氏の正妻、”葵上”。ワキヅレの朝臣が、ツレの照日の巫女を呼び出し、何者の仕業かを尋ねる。巫女が梓の弓を鳴らしながら、呪文を唱えると、六条御息所の生霊(シテ、梅若玄祥)が現れる。光源氏の心が葵上に移ってしまったこと、賀茂の祭りで車争いのことで恥辱を受けたことの怨みで葵上を苦しめているのだ。それを知った朝臣は、生霊を取り払うため、修験者を呼ぶ。六条御息所の生霊との緊迫とした呪文対決が後半の見所。御息所の面も泥眼から般若に変わる。ついには数珠に打たれて、引き下がる六条御息所の生霊。

最初の狂言”墨塗”はコミカルな話。訴訟のため。遠国から都に滞在していた大名(シテ、野村万作)が、無事、役目を果たし、近々帰郷することになった。在京中に親しくなった女に召使いを伴って別れの挨拶に立ち寄ったのだが、女の様子がおかしいと召使いが言う。別れを惜しんで泣き始めるのだが、それはうそ涙で、壺の水をつけているようだ。召使いはそっと、水壺を墨壺に変えてそのウソ涙をばらす。目の下には墨がばっちり(爆)。

なかなか見る機会が少ない、能と狂言だが、見終えたあとの、えもいわれぬ心持の良さは何だろうとか思った。

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東慶寺 10月17日

2015-10-18 08:13:27 | Weblog

東慶寺は10日に一度は訪ねている。そのたびに花の写真を撮っては、ここに報告している。だから、大船フラワーセンターと共に、お花情報の定点観測みたいなものかも(笑)。で、タイトルも東慶寺 10月17日とした。

10日振りの東慶寺は一層、花盛り、実盛りになっていた。

野葡萄の実はさらに七色の輝きを増していた。

紫苑は狂ったように咲いていた。海蔵寺の紫苑より数が多いですね。

シュウメイギクも最盛期。四種類は咲いている。

ヒメツルソバは幼稚園生のように騒いでいた。本堂が座禅中で入口に縄がかかっていたので、遠くから撮ってみた。本堂の廊下の下に咲いている。

竜胆も本堂の庭に、これも海蔵寺に負けないくらいの株数だ。近くに寄れないので、ズームアップして撮る。まだ蕾のが多い。次回の定点観測が楽しみ。

でも、竜胆は境内のあちこちにあり、開花しているものも多い。

竜胆先生とヒメツルソバ幼稚園生

竜胆王子とホトトギス姫の語らい

突然ですが、お墓の風景です。

岩波書店創業者の岩波茂雄のお墓。先日の公開講座で建築史の先生が、この墓は有名な建築家が設計したもので、うつくしい空間をもつモダンな墓とほめておられたので、見学してきた。なるほど。

でも、空間の美しさは、前田青邨のお墓には敵わないと思う。苔石段に囲まれる青邨夫妻(一番手前)。

でも、やっぱり、小林秀雄の五輪塔のお墓が一番好き。

お墓で〆るのもなんなんで、十月桜。もっと、咲いているかと思ったが。まだ、ぽつりぽつり。満開は十一月桜かな。

次回の定点観測は10月末でしょうか。お楽しみに。
 

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熱海城とトリックアート迷宮館

2015-10-17 10:02:06 | Weblog

未投稿展覧会記事を捜していたら、こんなのが出てきた。一と月ほど前に行った熱海のトリックアート迷宮館のこと。途中まで書いていて、そのままになっていた。とても楽しい美術館だったので、やっぱり記事いしておこうと思って。

熱海までは、踊り子号に乗ると45分程度で着いてしまうので、日帰りで行くことが多い。梅と熱海桜が咲く季節、ジャカランダの季節には毎年、必ず、訪れる。ついでにMOA美術館にも寄るのも定番だ。でも、その他の施設を巡ることはめったにない。今回は二泊したし、また”湯遊バス”という市内名所めぐりをするミニバスの存在を知り、それを利用してみた。はじめて登る熱海城とその横のトリックアート迷宮館、なかなか楽しめましたよ。

熱海城

眼下の風景が素晴らしい

その隣りにあるトリックアート迷宮館

中に入ると、いきなりこんにちわ。

立体的な絵画にびっくり。ただ見るだけではなく、その隣りに連れを置いて、写真を撮るともっとおもろい。

この名画の前では、ビーナスと同じ格好をして撮る。でも、裸にならなければならない!

名画といえば、オダリスク。左からみるのと、右からみるのではこんなに違う。まさにトリック絵画。これは横浜中華街のトリックアート館にもある。

同じに見えますか。

同じ部屋なのに、こんなに違う。トリックアートはサイエンティフィックアート。

ああ。おどろいた。

熱海城にはマッチ棒でつくった名城がいっぱい。

名古屋城 マッチ棒3万9千本!あっと、おどろく五郎丸!

小倉城

大山城

北前千石船も!

すごい芸術!たいしたもんですね。
 

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伝説の洋画家たち/徳川の城

2015-10-17 08:33:19 | Weblog

もう、10月も半ば。今年も残すところ、わずか二か月半となった。あっと言う間に、年末となり、”ぼくの今年の展覧会ベストテン”を発表しなければならない日が近づいている(笑)。ところが、これまでみた展覧会で記事にしていないものがいくつもありアセッている。その中には、もう、とっくに閉幕してるものもある。せめて、チラシだけでも載せておかないと、ベストテンの候補にもなれない。というわけで、まず、二つの展覧会のチラシを掲載しておこうと思います。

伝説の洋画家たち(東京都美術館) 7・18~9・6

内容(ホームページより)

【1】草創期
1914(大正3)年10月、石井柏亭、山下新太郎、有島生馬、坂本繁二郎、梅原龍三郎、津田青楓、斎藤豊作ら11名を鑑査委員とし、上野竹之台陳列館で第1回展が開催される。彫刻部は第6回展から新設された。
【2】揺籃期
1920~30年には神原泰や中川紀元が中心となったアクションをはじめ、里見勝蔵、小島善太郎らの結成した1930年協会、児島善三郎らひきいる独立美術協会など、二科会で活躍する画家たちによる運動や分派がうまれる。
【3】発展そして解散
1934年に藤田嗣治を迎え入れた二科会は、さらなる発展を遂げ、藤田、東郷青児を顧問に据えた九室会なども結成される。1935年には石井、有島、山下ら一部の創立メンバーが二科会を去り、1944年ついに二科会は解散へ。
4】再興期
戦後、いちはやく動いた東郷や、高岡徳太郎らが中心となって二科会は再結成される。海外進出、社団法人化など、再興するためのさまざまな工夫がなされて今日に至る。

第三期にはマチスも出展していたのにはびっくり

 
徳川の城/天守と御殿(江戸東京博物館)8・4~9・27
 
内容(ホームページより)
本展では、縦3.72m×横4.65mの巨大絵図「江戸城御本丸惣地絵図」(江戸東京博物館蔵)など、江戸城に関連する絵図の多くに加え、「駿府鳥瞰図」(駿府博物館蔵)や「大坂市街・淀川堤図屏風」(右隻、大阪城天守閣蔵)など、これまで一度に見ることができなかった各地の絵図や城郭図を一堂に展示。約50点に及ぶ展示は、江戸東京博物館での特別展では過去最多となります

 

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画家の詩、詩人の絵/絵は詩のごとく、詩は絵のごとく

2015-10-17 06:20:53 | Weblog

おはようございます。今朝は展覧会の話です。

馬入のコスモス畑を見に行った足で、平塚美術館に寄ってきた。”画家の詩、詩人の絵”展が開催されていたのだが、これが、また満開のコスモス畑に負けないくらいにすばらしかった。ぼくの年末、展覧会ベストテン入り、内定といったところ(笑)。

二つの展示場に分かれていて、最初は”画家の詩”の部屋、二つ目が”詩人の絵”の部屋。前者は、文学性、詩情を拠りどころとした画家の作品。後者は、文字通り、絵ごころのある詩人の作品。どちらも、それぞれ良かったが、後者の方に多くの時間を割いた。

”画家の詩”では、竹久夢二美術館より、大作”この夜ころ”やセノオ楽譜など5点。本人の詩も描きこまれていて、まさに詩情あふれる作品ばかり。そして、最近、東京ステーション美術館でみてきたばかりの”詩映(つくはえ)”(木版画と詩の雑誌)の三画家、藤森静雄、恩地孝四郎、田中恭吉の作品。そして、村山槐多、長谷川利行、古賀春江、三岸好太郎、山口薫と西洋近代美術を学びながらも、独自の”詩的画風”を作り上げてきた作品。さらに、これも、茅ヶ崎美術館でみてきたばかりの、萬鉄五郎と棟方志功コンビの作品。加えて、青木繁、川上澄生、草間弥生とつづく錚々たるラインナップ。

さらに、次の部屋に移ると、普段、あまり見たことのない、著名な詩人の絵がみられる。これも、びっくりするラインナップ。正岡子規、高村光太郎、北原白秋、木下杢太郎、萩原朔太郎、佐藤春夫・・と以上、展示リストの順にあげてみた。どうですか、すごいでしょ、えへんえへん(ぼくがいばる権利はない)。そして、その次が、西脇順三郎。”羅馬”という詩を添えて、故郷、小千谷市所蔵の、うくしい絵が5枚も並ぶ。詩も良かったが、ブルーに染まった、イタリーの風景や人物がとてもステキで詩的だった。

宮沢賢治は”わたしという現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといっしょに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です ”春と修羅”の序が添えられて、”日輪と山”など4点が。

いわき市から草野心平の二つのパステル画、中也記念館からも墨絵など、神奈川近代文学館からは富永太郎の自画像など10点、千葉市美術館から北原克衛など。そうそう、立原道造や、まど・みちお、も。

もう一度、散歩がてら覗いてみたい素晴らしい展覧会だった。

新収蔵展では”特集:石田徹也展”も。昨年、ここで石田徹也展をみた。そのときの作品を含め13点も。

 

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