おはようございます。今朝の第一報は昨日、訪ねた、日本橋べったら市の訪問記です。
JR新日本橋駅からすぐのところにその市が開かれているのだが、気付かず、反対の室町の方に向かってしまっていた。ちょうど昼時だったので、サラリーマンで賑わう居酒屋で、900円の海鮮丼を頂いた。支払いをするとき、お店の人に市の場所を聞いたが、知らないという。道で聞いた時もそうだった。全国区のべったら市を地元の人が知らないとは(笑)。でも、うしろのサラリーマンが教えてくれた。
江戸時代の中頃から、日本橋の宝田恵比寿神社の門前で、十月二十日の夷講にお供えするため、前日に魚や野菜の市が立ち、とくに、べったら漬けの大根がよく売れたので、”べったら市”と呼ばれるようになったそうだ。
まず、神社に御参り。
奉納提灯には歌舞伎役者の名前がずらり。玉三郎、菊五郎・・・さすが、日本橋。浜町も近いしね。
露店がずらりと並ぶ参道。
でも、べったら専門の露店は、脇道に並ぶ。10軒程度。
大根を甘酒の麹で漬けた漬け物。沢庵みたいに薄く切らず、3倍くらいの厚さで切って食べる。
郵送可能です。
そのあと、近くの小伝馬町の牢屋敷跡を見学。今は十恩公園になっている。当時の牢屋の石垣が展示されている。
吉田松陰は、安政6年(1859年)、安政の大獄に連座し、江戸に送られ、ここ伝馬牢屋敷に投獄された。同年、10月27日に斬首刑に処される。29才没。松蔭先生終焉の地の石碑がここにある。その隣りに、”吉田松陰辞世の碑”もある。
石町・時の鐘 石町から、ここに移築された。当時、処刑されるときにも鳴らされたとのこと。
公園の隣りが旧十恩小学校。この夏、大河ドラマセミナの中で、講師の方が、ここの学校の卒業生で、教室がちょうど松蔭の牢獄の当たりだったらしい。その後、先生は偶然、松蔭ゆかりの土地ばかりに転勤し、こうして吉田松陰の話しをしているのが不思議だとおっしゃっていた。
そのあと、神楽坂で飲み会があるので、待ち合わせ場所の飯田橋駅に向かう。まだ、時間があったので、駅から靖国神社まで歩く。菊まつりがもうはじまっていた。
本殿
菊まつり
桜の開花標準木の向こうの能舞台では舞踊が行われていた。
そして神楽坂の夜は更けていった。この前も行ったワインレストランで。
ワインで思い出したけど、科博の次回の特別展は”ワイン展”です。
では、今日も一日、お元気で!