気ままに

大船での気ままな生活日誌

石田徹也展/ノート、夢のしるし

2014-05-11 07:53:36 | Weblog

石田徹也展のポスターの絵、”飛べなくなった人”をみて、どこかで観たはずと、マイ・ブログをめくってみたら、同じ平塚市美術館で3年前に開館20周年記念展として”画家たちの二十歳の原点”の中で観ていた。そのときは、one of themだったので、余り目立たなかったのかもしれない。それが、今回は石田徹也の回顧展、110点もの作品をみることができる。

石田は1973年、焼津に生まれているが、もうこの世にいない。踏切事故で31歳で夭折しているのだ。焼津というと第五福竜丸を思い出すが、石田は8歳のとき、この船についての作文を書いている。そして、第五福竜丸というとベンシャーンの”ラッキードラゴン”、(ベンシャーン展は葉山で観ている)だが、石田は、この絵を観ていて、ベン・シャーンにずっと憧れていた。一方、赤塚不二夫にも共感をもち、”悲しみを突き抜けると、ナンセンスになる”という言葉を気に入っている。だから、ベン・シャーン+赤塚不二夫が石田徹也のバックボーンを構成していると言っても、そう大きな間違いはなさそうだ。

はじめの展示が、小学校5年生のときの、”弱いものいじめは、やめよう!”という、人権マンガポスターで最優秀賞をとったという作品。まさに、栴檀は双葉より芳しといえる。その後、美大を出て、”弱いものいじめ”をしている現代社会を痛烈に風刺した絵を量産するようになるのだ。

弱いものいじめは、やめよう(11歳)”ぶら美”のテレビ画像を撮ったものです。以下同様。

駐車場のドラマ(21歳) ベンシャーンの画風によく似ている。

居酒屋発(毎日広告デザイン最優秀賞) ”ビアガーデン発”とセット。この頃から器物と人体の合体がはじまる。

燃料補給のような食事 牛丼屋さんに入ったとき、こう感じたという。1990年代のバブル崩壊後の世相を辛辣に、時にユーモラスに描き続けた。

トイレへ逃げ込む人 ここしか安住の場がない人。


高崎だるまに絵づけ
 達磨がトイレになってオイオイ泣いている。

飛べなくなった人 子供の頃、自由にはばたいていた人も、社会人になり、飛べなくなった。廃棄された飛行機と一体となり空を飛ぶ。でも、泣き出しそうな顔。

めばえ(25歳頃の作) 学校教育の風刺。顕微鏡になって、ただ前方をみている。先生の顔はない。右側のノートは、この絵を描く前のデッサン。”ノート、夢のしるし”が多くの絵の横に置いてある。これも本展覧会の特徴。

こんな絵も。三浦知良がW杯メンバーに招聘されなかったときの絵。似顔絵も上手。なおこ、れまで出てくる人の絵は、ほとんど自画像。

ぶら美の一場面。大作が多い。これを6畳の部屋で制作していたという。

遺作。もう生きられないといった顔をしている。

 石田徹也作品にびんびんと響いてくる人も多いと思うし、そうでなくても、誰でもが一度や二度は心のうちに浮かんだ光景が、これらの絵の中にあるだろう。

なお本展は昨年秋の足利市立美術館につづくもので、平塚市美術館ののちは、砺波市美術館、静岡県立美術館で開催されるとのこと。

 

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