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気ままに

大船での気ままな生活日誌

花巻温泉と宮沢賢治

2014-07-06 08:15:55 | Weblog

花巻で、”宮沢賢治を探す小さな旅”をしたとき、ぼくらは、市街地から、7、8キロ離れた花巻温泉に宿泊した。その温泉も賢治が関わっていることを、昨日、図書館で読んだ”別冊太陽・宮沢賢治”で知り、驚いた。

花巻地区には、このほかに、大沢温泉、鉛温泉など六温泉あったが、賢治はすべての温泉に入浴しているそうだ。子供時代から親に連れられて通い、長じて、地質学の研究時代をには、温泉に泊まりながら付近の地質調査をし、農学校教諭のときは地学実習で生徒を連れてきている。これらの経験は文学作品にも生かされ、温泉の記述がよく出てくるようだ。

賢治は、温泉を楽しむだけではなく、なんと、温泉地を整備し、観光化する側にも、積極的に身を置いたのである。当時、花巻の温泉郷も全国的に知られるようになってきたが、さらに勢いをつけたのが、1923年開業の花巻温泉(正式名称・花巻温泉遊園地)だった。従来の湯治場とは異なるリゾート温泉で、中心部には並木道が格子状に走り、その間に、貸別荘、各種旅館、公衆浴場などが配され、周囲の平地には動物園、テニスコートなどもあるという田園都市的な顔をもつ大がかりなものである。

岩手財界の大物が計画したものだが、賢治もこの新温泉の建設に直接、関わっている。1924年から27年にかけて、植樹、土壌改良、花壇設計を担当した。リゾート温泉と賢治ではイメージが合わないような気がするが、賢治は地域振興に強い意欲をもっていて、花巻の発展の為ならと力を尽くしたのではないだろうか。ただ、のちに歓楽街化した温泉町を批判する詩をいくつも書いている(笑)。

このことを知っていれば、もう少し、温泉街を歩いてみればよかったと思う。たぶん賢治が関わったであろう、薔薇園も花盛りだったが、バスの中から観ただけだった。でも、泊まったホテルの回りの自然歩道はむかしのままで、賢治の足跡を記す案内板もあった。

それにしても、造園家でもあった、賢治の幅の広さには、改めて感心してしまう。

賢治が描いた花壇設計図

ホテルの裏の山道を歩く。台川に架かる橋

釜淵の滝。 賢治も何度も訪れていて、作品”台川”にも登場する。

その案内の立札。

ホテルの朝飯がおいしかった。もちろん温泉もおいしかった。こってりした温泉。

オランダ・コスタリカのPK戦しびれましたね。さあ、これから、あっ官兵衛展を観に。そのあとトーハクに廻って、大行列を見物する(汗)。

コメント
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