今朝も4時前に目が醒める。ガラス戸を開け、ベランダに出ると南の空に、下弦の月のちょっと手前のメタボのお月さまが。木星ちゃんがその西に。5日前は満月のお月さまをストーカーしてたのに、今日は逆、西の空の方に逃げていた。追えば逃げる、逃げれば追う、人間と同じですね(笑)
移り気なもんやな、うふふふと笑って、部屋に戻ろうとすると、♪とっきょきょきゃく 特許許可局 トッキョトキャキョク♪の小鳥の鳴き声。ほ、ほ、ほほとぎすではありませんか。まだ夜明け前、まだどの小鳥も目を醒ましていないこの時間に。間違いなくホトトギスの鳴き声です。ホトトギスの初音(忍び音)を夜明け前に聴きました。早起きなのか、それとも夜更かしなのか、ホトトギスくん。
また一寝入りして、6時前に散歩に出掛ける。いつものお寺の裏山に登る。うぐいすはじめたくさんの小鳥の声に混じって夜明け前に聴いたホトトギスの鳴き声も。散歩の途中でみた卯の花は、散り始めだが、まだまだ雪のような白い花をたわわにつけていた。
♪卯の花の匂う垣根に 時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす夏は来ぬ♪
なんで、ホトトギスはこんなに日本人に好かれるなのだろう、万葉集に詠われる鳥としては、雁の65首を上回り、ホトトギスは156首であるという。そういえば、道元禅師の歌 ”春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり”で、ホトトギスは夏の美の代表にあげられている。そして、良寛さんの辞世の歌。”形見とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋はもみじ葉”とここでもホトトギスが。
それにしても、とボクは思う。鳴き声がいい?いや、むしろけたたましい、ウグイスならわかるけど。姿がいい?いや、ほとんど人前に姿をみせない、カワセミならわかるけど。性格がいい?いや、自分の卵をウグイスの巣において育てさせるくらいだから、子育て放棄のぐーたらママだ。本当にどこがいいんだろうとボクは迷ってしまう。
ただ、今頃、東南の国から渡ってきて、日本の夏の訪れを知らせにくるだけだ。これだけがトリえだ。でもこれがいいのかもしれないと思う。四季のうつろいに敏感な日本人が、ホトトギスの忍び音によって、花の季節が終わり”夏はきぬ”をしみじみと感じる。秋の訪れを感じさせる秋蝉の声のような感傷かもしれない。
そうだ、万葉の歌をみてみれば、何かをつかめるかもしれない。いくつか拾ってみた。
古に恋ふらむ鳥は霍公けだしや鳴きし吾が思へる如 額田王
我が宿の花橘に霍公鳥今こそ鳴かめ友に逢へる時 大伴家持
いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆく 弓削皇子
そして古今和歌集
夏山に恋しき人や入りにけむ声ふりたてて鳴く郭公
郭公鳴く声聞けば別れにしふるさとさへぞ恋しかりける
昔べや今も恋しき郭公ふるさとにしも鳴きてきつらむ
そして近世
卯の花をめがけてきたか時鳥 (子規)
目には青葉山郭公初松魚 (山口素堂)
等々。伝統でごわす。そうだ、伝統どす。わてのような無教養な者にホトトギスの良さが和歌らんでごわした。トホホぎすでありんす。特許許可局とかてっぺんかけたかと鳴き声をバカにしている現代人にはわからんたい。
そんな自分がちょっぴり寂しくなった朝でした。でも夏は確実に来ていました。散歩道でみかけた、紫陽花の花、若竹、そして金糸梅、ジャガイモの花、里芋の葉っぱの朝露。
移り気なもんやな、うふふふと笑って、部屋に戻ろうとすると、♪とっきょきょきゃく 特許許可局 トッキョトキャキョク♪の小鳥の鳴き声。ほ、ほ、ほほとぎすではありませんか。まだ夜明け前、まだどの小鳥も目を醒ましていないこの時間に。間違いなくホトトギスの鳴き声です。ホトトギスの初音(忍び音)を夜明け前に聴きました。早起きなのか、それとも夜更かしなのか、ホトトギスくん。
また一寝入りして、6時前に散歩に出掛ける。いつものお寺の裏山に登る。うぐいすはじめたくさんの小鳥の声に混じって夜明け前に聴いたホトトギスの鳴き声も。散歩の途中でみた卯の花は、散り始めだが、まだまだ雪のような白い花をたわわにつけていた。
♪卯の花の匂う垣根に 時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす夏は来ぬ♪
なんで、ホトトギスはこんなに日本人に好かれるなのだろう、万葉集に詠われる鳥としては、雁の65首を上回り、ホトトギスは156首であるという。そういえば、道元禅師の歌 ”春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり”で、ホトトギスは夏の美の代表にあげられている。そして、良寛さんの辞世の歌。”形見とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋はもみじ葉”とここでもホトトギスが。
それにしても、とボクは思う。鳴き声がいい?いや、むしろけたたましい、ウグイスならわかるけど。姿がいい?いや、ほとんど人前に姿をみせない、カワセミならわかるけど。性格がいい?いや、自分の卵をウグイスの巣において育てさせるくらいだから、子育て放棄のぐーたらママだ。本当にどこがいいんだろうとボクは迷ってしまう。
ただ、今頃、東南の国から渡ってきて、日本の夏の訪れを知らせにくるだけだ。これだけがトリえだ。でもこれがいいのかもしれないと思う。四季のうつろいに敏感な日本人が、ホトトギスの忍び音によって、花の季節が終わり”夏はきぬ”をしみじみと感じる。秋の訪れを感じさせる秋蝉の声のような感傷かもしれない。
そうだ、万葉の歌をみてみれば、何かをつかめるかもしれない。いくつか拾ってみた。
古に恋ふらむ鳥は霍公けだしや鳴きし吾が思へる如 額田王
我が宿の花橘に霍公鳥今こそ鳴かめ友に逢へる時 大伴家持
いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆく 弓削皇子
そして古今和歌集
夏山に恋しき人や入りにけむ声ふりたてて鳴く郭公
郭公鳴く声聞けば別れにしふるさとさへぞ恋しかりける
昔べや今も恋しき郭公ふるさとにしも鳴きてきつらむ
そして近世
卯の花をめがけてきたか時鳥 (子規)
目には青葉山郭公初松魚 (山口素堂)
等々。伝統でごわす。そうだ、伝統どす。わてのような無教養な者にホトトギスの良さが和歌らんでごわした。トホホぎすでありんす。特許許可局とかてっぺんかけたかと鳴き声をバカにしている現代人にはわからんたい。
そんな自分がちょっぴり寂しくなった朝でした。でも夏は確実に来ていました。散歩道でみかけた、紫陽花の花、若竹、そして金糸梅、ジャガイモの花、里芋の葉っぱの朝露。
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