goo blog サービス終了のお知らせ 

気ままに

大船での気ままな生活日誌

海浜ホテルのこと

2011-09-09 10:02:55 | Weblog

鎌倉文学館の常設展はときどき展示替えをしているが、”海浜ホテル”コーナーがつくられていた。興味をもっていたので、少しじっくり観た。細菌学者のコッホ博士も泊ったそうだ。明治41年、新館ができてすぐだったというから、気分よかったことだろう。そのときの集合写真があり、コッホ博士の隣りには北里柴三郎博士が座っていた。今、撮ったようなきれいな写真だった。りっぱなお顔だった。

与謝野晶子もお正月に泊りにきて、そこで歌を詠んでいる。白秋もやっぱり、お正月に泊りにきて歌を詠んだ。晶子は2首で白秋は8首。そして、漱石が”こころ”で主人公が先生を初めてみた場面に、このホテルが出てくる。堀辰雄が部屋を借り仕事をした。このように、当時は文化人がよく利用していて、”湘南の帝国ホテル”といわれたそうだ(笑)。

コンドルが設計した名ホテルも、昭和21年に焼失し、キリンビールの所有となり、ホテルの再建はならず、昭和52年から一部の敷地がテニス場になる。それも去年閉鎖となる、と説明があった。しかし、その場所がどこなのか、その資料がなかった。

さて、旧海浜ホテルはどこなのか、捜しに行った(汗)。江ノ電の由比ヶ浜駅の踏切を渡り、由比ヶ浜方面へ。手掛かりは、海辺であること、そして最近までテニス場があった、ということ。テニス場はたぶん、あそこと検討をつけていた。それが閉鎖していればそこだ。思った通りであった。海浜公園に隣接していたテニス場は荒れ果てていた。公園と元テニス場、さらにその先の、現在は保養所になっているぐらいまでが敷地だったのだろう、と推測した。あ、そうだと、帰りに鎌倉図書館に寄り、古い地図を調べてみた。間違いなく、その位置が海浜ホテルだった。

由比ヶ浜に出て、景色を眺める。右側に稲村ケ崎。歩いても20分ほどで行ける。コッホ博士は、そこからの景色が気に入ったようで、よく富士山と江の島を眺めていたようだ。それで、そこにコッホの碑がある。左側は川端康成が仕事場にしていた逗子マリーナがみえる。もちろんコッホが滞在していた頃は、ただの小坪の漁村だった。

鎌倉文学館の前身は1890年(明治23)頃、前田利嗣の鎌倉別邸として建築された。そして明治43年に焼失し、現在の建物は昭和11年に洋風に全面改築したものだ。コッホの居た頃は、古い時代の前田邸があったはずで、きっと一度くらいは訪れていることだろう。

海浜ホテル跡地

稲村ケ崎を望む

逗子アリーナを望む

敷地に隣接してホテル”海浜荘”がある。海浜ホテルとは関係はない。国の登録有形文化財

鎌倉文学館 これも国の登録有形文化財

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なでしこジャパン ロンドン決定 | トップ | かこさとしの世界 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事