気ままに

大船での気ままな生活日誌

川端康成と古賀春江

2010-09-30 10:33:23 | Weblog
葉山の近代美術館で展覧会をみたときには、必ず、地下の図書室に寄る。展覧会に関連した書籍や画集のコーナーがあり、“1粒で2度おいしい”みたいに、また、楽しめるのだ。古賀春江展のときも、もちろん、そこに来た。

なんという雑誌だか忘れてしまったが、”川端康成が愛する美術品”みたいテーマの雑誌があり、ページをめくった。康成が骨董好きで、自分が気に行ったものは値段も聞かずに、家に持ってこさせ、いつまでも支払いをしなかったり(爆)とかいう話しはどこかで読んで知っているが、実際、彼の好きな美術品、とくに絵画の好みについては何も知らなかった。

絵画のページまでくくっていくと、彼の蒐集した絵画が並んでいる。まず東山魁夷の作品が。ぼくも大好きな日本画の画家だし、”美しい日本の私”(ノーベル賞受賞講演)の作家らしい好みで、合点がいく。そして、魁夷と同じほど好きだったのが、古賀春江だったのである。魁夷の絵とはむしろ対極にある画風である。美探究のスペシャリストは昆虫のような複眼をもっているのだろうか。

展覧会では、川端康成所蔵(康成記念会)の絵も展示されていた。”そこにある”という、シャガール風の絵である。その絵は寝室に飾っていたそうである。たいていの人は気味がわるいといって、とくに女の人は目をそむけるそうである。きっと、なにか、大きな目で睨まれているような感じがするのだろう、と康成は笑う。下の絵である。


そのコーナーに川端康成全集があり、そのひとつに付箋があるにに気付いた。そのページには”末期の眼”という随筆があり、それを読んで、康成が古賀春江と親交があり、彼を高く評価していることが分かった。この評論的エッセーは、こんな文章から始まる。

竹久夢二氏は榛名湖畔に別荘を建てるため、その夏やはり伊香保温泉に来ていた。つい先達でも、古賀春江氏の初七日の夜、今日の婦女子に人気のある挿絵画家の品定めから、いつしか思い出話になり・・・で始まり、夢二、芥川龍之介、横光利一評がつづく。中程に”私も早、すぐれた芸術の友二人と幽明境を異にした。梶井基次郎氏と古賀春江氏である”それほどの親交だったのである。

この文章は、古賀春江の四七日(よなのか)が2日後に控える日に書かれている。彼は病死したが、自殺をおもうこと、年久しいものがあったらしい。死にまさる芸術はないとか、死ぬることは生きることだとか、いつも言っていたらしい。川端は、これを寺院に生まれ、宗教学校出身の彼に深くしみこんだ仏教思想の現れだろうと述べている。(川端は自殺したが)。

古賀の絵の評論も載っていた。”私はシュルレアリスムの絵画を解するはずはないは、古賀氏のそのイズムの絵に古さがありとすれば、それは東方の古風な詩情の病いのせいであろうかと思われる。理知の鏡の表を、遥かなるあこがれの霞が流れる。理知の構成とか、理知の論理や哲学なんてものは、画面から素人はなかなか読みにくいが、古賀氏の絵に向かうと、私はまず、なにかしから遠いあこがれと、ほのぼのとむなしい拡がりを感じるのである。虚無を越えた肯定である”

”古賀氏は西欧近代の文化の精神をも、大いに制作に取り入れようとしたものの、仏法のおさな歌は、いつも心の底を流れていたのである・・そのおさな歌は、私の心にも通う”

”サーカスの景”が、絶筆であった。体力がなくなり、画布と格闘するように、やっと描き終えたそうだ。その後、亡くなるまで、色紙を描き続け、文字通りの絶筆の色紙は、ただいくつかの色を塗っただけの、ものの形もないものだったらしい。

康成の文章を読んで、古賀の作品を愛する理由が分かったし、ぼくも、また、ひとり”友達”が増えた気がしたのだった。

絶筆、”サーカスの景”を再掲して、おわろうと思う。




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