気ままに

大船での気ままな生活日誌

桐ケ谷桜の初花

2020-03-28 21:28:34 | Weblog

こんばんわ。

今日はコロナ外出自粛日だったので、遠出はせず、近所の散歩程度に留めた。でも、散歩道の桜が満開になっていたし、思わぬ発見もあって、結構、楽しめた。

思わぬ発見というのは、去年、植栽された桐ケ谷という品種の幼木が初めて花を咲かせたこと。カメラを向けているこの方のおかげ。見逃してしまいそうな幼木。

花は大きいが、恥ずかしそうに下を向いている。

下から見上げる。ほんのりピンクで上品な桜。

桐ケ谷は、別名、御車返し(京都・常照皇寺、上野・両大師)、八重一重咲き分け桜(鎌倉・極楽寺)とも言い、鎌倉桜の異名もある。昨春、数か所でこの桜を見て、品種名の由来について、以下のようなとりまとめをした。”御車返し”は、鎌倉材木座の桐ケ谷が原産地で、これがはじめ、北条時宗により1251-1284)極楽寺に植えられ、その後、足利尊氏(1305-1358)が、この桐ヶ谷桜を京都御所の左近の桜として植えた(と伝えられている)。さらに、常照皇寺にも植栽され、これを後水尾天皇(1596ー1680)が見て、車返しをされた(これが御車返しの名の由来)。さらに、皇子が、両大師の長になられ、株分けをした。こんな、順序になるのだろうか。色加減、一重八重の付き加減がそれぞれ、若干違うが、代を重ね、それぞれの土地風土になじみ、変わっていったのでは(笑)

とにかく、桐ケ谷は鎌倉発祥の由緒ある品種なのである。それが、ここに植えられ、今年、初花を咲かせてくれた。あと10年もすれば、りっぱな桜木になることだろう。是非、見てみたいものだ。楽しみがまた増えた。

八重一重咲き分け桜なのだが、どこの桜も八重は少ない。もう一本、幼木が近くにあり、こちらの方が八重咲きになりそう。

以下、去年の写真ですが、それぞれの”桐ケ谷”をご覧下さい。今年もそれぞれ、是非、訪ねたいが、外出自粛が解かれるかどうかですね(笑)。

上野・両大師(御車返し)

大船フラワーセンター(桐ケ谷)

円覚寺(桐ケ谷)

極楽寺(八重一重咲き分け桜)

では、おやすみなさい。

いい夢を。

満開の桜道

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妙本寺の海棠 見頃に

2020-03-28 09:52:25 | Weblog

おはようございます。

お花見のシーズンとなったが、コロナ感染の拡大を受け、わが神奈川県もこの週末の、不要不急な外出の自粛要請となった。ぼくの外出は、ほとんど不要不急のものばかりなので(汗)、今日は家にこもるしかない。

さて、これは昨日のこと。10日ほど前に本覚寺の枝垂れ桜が満開になり、そのとき訪ねた妙本寺の海棠が開花しはじめていた。もう、そろそろ、見頃になっているのではと出掛けたのだ。

山門の向こうに、鮮やかなピンク色の海棠の花!

本堂前に三株の海棠が。右の古株はまだ十分咲いていないが、左の二株は勢いがあり、ほぼ満開になっている。

では、勢いのある左の二株の海棠に近寄ってみよう。

満開!

今日は3組の前撮りが来られていた。おめでとうございます。でもコロナで結婚式に苦労しますね。

本堂から見る。

新緑とピンク。

紫木蓮と海棠

古木と石。小林秀雄と中也が座った(と思われる)石と海棠。

古株は小林秀雄の”中原中也の思い出”の中に出てくる海棠の三代目。

中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮やかに思び出された。中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であつた。前年、子供をなくし、発狂状態に陥つた事を、私は知人から聞いてゐたが、どんな具合に恢復し、どんな事情で鎌倉に来るやうになつたか知らなかつた。久しく殆ど絶交状態にあつた彼は、突然現れたのである。晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた、花びらは死んだような空気の中を、真っ直ぐ間断なく、落ちていた、樹影の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた・・・その時、黙って見ていた中原が、突然、もういいよ、帰ろうよ、と言った(中原中也の思い出)

桜も満開。

山吹きもシャガもつつじも。

妙本寺は春爛漫だった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (1)
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