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気ままに

大船での気ままな生活日誌

紫式部の実、色づきはじめる

2017-08-18 20:57:35 | Weblog

こんばんわ。

紫式部の実がもう色づき始めましたよ。今日、鎌倉のおんめさま(大巧寺)に立ち寄ったら、ほんのりと、うすむらさきいろに!今シーズン初見!

初秋を実感。秋明菊の花がどんどん増えてきたし。

玉すだれも次々、咲いてきたし。

ハナトラノオだって負けてない。


本堂側にはもっと色づいた紫式部があった。


近くの井上蒲鉾店の見事な鷺草が、秋を一気に呼び込んでくれたのかも。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

(そのあと訪ねた極楽寺の前のお店で)

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清方の雨月物語 佳人礼賛展より

2017-08-18 09:48:28 | Weblog

おはようございます。

昨日、家内とホテルオークラの第23回秘蔵の名品/アートコレクション展”佳人礼賛”を見に行ってきた。いつもながらの名品揃いで、満足した。とりわけ、鏑木清方が、雨月物語(上田秋成)巻4、蛇性の婬の物語の8つのエピソードを描き、それぞれ、額装にしたものが素晴らしかった。霊友会コレクションでなかなか見ることができないものだ。

雨宿り、まろや、ちぎり、黄金の太刀、もののけ、泊瀬、吉野、蛇身の八つの場面である。図録には、このうち、泊瀬と蛇身しか載っていないので、残念ながら、すべての絵画をここに記録することができない。場面説明は、メモしてこなかったので、Wikiから拾って記載しておこう。そのうち、雨月物語を再読(むかし読んだ気がする)して補充するつもり。

雨宿り 
三輪が崎(現在の和歌山県新宮市)に大宅の竹助という網元がいた。三男の豊雄は、優しく、都風を好む性格の、家業を好まない厄介者で、父や長兄も好きに振舞わせていた。ある日、学問の師匠の神官、安倍弓麿の元から帰るとき、東南からの激しい雨になり、傘を畳んで漁師小屋で雨宿りした。すると、侍女を連れた二十歳ばかりの女がやはり雨宿りに入ってきた。この女は大層美しく、雅やかで、豊雄はひかれた。そこで豊雄は自分の傘を貸し、後日返して貰いに女、県の真女児の家に伺うことになった。

まろや、ちぎり、黄金の太刀
その晩、真女児が夢に出て、それは、真女児の家で一緒に戯れる、という内容だった。というわけで、すぐに真女児の家を尋ねた。侍女のまろやの案内で行ったそこは、夢と様子の違うことのない立派な屋敷で、豊雄は怪しんだけれど、それも一瞬のこと、豊雄は真女児と楽しいひと時を過ごした。真女児は自分の夫を亡くし身寄りのない境遇を打明け、豊雄に求婚した。豊雄は父兄のことを思い迷ったけれど、ついに承諾し、その日は宝物の太刀を貰って、家に帰った。次の日、豊雄が怪しげな宝刀を持っているのを見て、どうやってこれを賄ったのか父と母と長兄は豊雄をせめた。豊雄はひとから貰ったと言うが、信じてもらえない。見かねた兄嫁が仲介することとなり、詳しく事情を話したのが、長兄に伝えられた。長兄はこの辺りに県という家のないことからやはり怪しみ、そして、これが近頃盗まれた熊野速玉大社の宝物であることに気づき、父と長兄は豊雄を大宮司につきだした。豊雄は役人にも事情を説明し、県の家に向うこととなった。

もののけ
行ってみると、あんなにきらびやかだったはずの県の家は廃墟となっていた。近所の人に聞くと、三年も前からひとは住んでいないという。なかから生臭い臭いが漂ってくる。武士の中で大胆なものが先頭に立って、なかの様子を見ると、ひとりの美しい女がいた。これを捕まえようとしたその時、大きな雷が鳴り響き、女の姿は消えた。そしてそこに、盗まれていた宝物が山の様にあった。豊雄の罪は軽くなったけれども許されず、大宅の家が積んだ金品により、百日後やっと釈放された。

泊瀬
豊雄の姉は大和の国石榴市(つばいち)の商人、田辺金忠の家に嫁いでいた。豊雄は、そこに住むこととなった。春、近くの長谷寺に詣でるひとの多い中を、あの真女児がまろやとやって来た。恐れる豊雄に真女児は、自分が化け物でないことを証明して見せ、安心させた。そして、あれは保身のための謀略であったと弁解し、金忠夫婦の仲介もあって、ついに豊雄は真女児と結婚することとなった。

(一部、拡大)

吉野
ふたりは結ばれ、仲良く暮らした。三月、金忠が豊雄夫婦と一緒に、吉野へ旅をすることとなった。真女児は持病を理由にはじめ拒んだけれども、とりなしもあって了解した。旅は楽しいもので、吉野離宮の滝のそばで食事をとっていると、こちらにやって来るひとがいる。このひとは大倭神社につかえる翁で、たちまち真女児とまろやの正体をみやぶった。

蛇身
すると、二人は滝に飛び込み、水が湧き出て、どこかへ行ってしまった。翁は、あのまま邪神と交われば、豊雄は死んでしまうところだった、豊雄が男らしさをもてば、あの邪神を追い払えるから、心を静かにもちなさい、と教えた。

雨月物語は江戸後期の作品で、これを読んだ清方が、大正6~11年の金鈴社時代に、一巻の絵巻物にした。その後、絵巻を異時同図法を用いるなど工夫して額軸に改めた。絵物語でもあるし、顔の表情や衣装の模様なども精緻に描かれ、清方ファンとしては十分に楽しませてもらった。次回はいつみることになるだろうか。

では、みなさん、今日も一日、お元気で!

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