おはようございます。今朝は相撲博物館の見学の巻でござる。
車中でひょっとしたら、今日(2日)の横審の稽古総見が見学できるかもと、急遽、行先変更して、国技館に向かった。それは叶わなかったが、相撲博物館で”抱え相撲の世界展”を観られたし、隣りのえど博にも寄れた。本場所中と違って、館内は空いていて、ゆっくり見ることが出来た。それに、いまは亡き千代の富士関の取り組みが連続放映されていて、つい名勝負の数々に目を奪われてしまった。北の湖戦、輪島戦、貴乃花戦など、小さな体でよく大横綱になられたと改めて感心してしまう。
さて、展覧会では”抱え相撲の世界”というテーマで、江戸時代のお抱え力士に関係する錦絵や番付、化粧まわし、書状などが展示されている。力士を抱えていた藩は、30を越えていたというから驚く。それは、藩にとっても自慢の種であったし、また力士にとっては、士分として扱われるので願ってもないことであったようだ。名力士でいえば、谷風は仙台藩、秀山は盛岡藩、雷電は松江藩、陣幕は鹿児島藩、鬼勝が和歌山藩など。まず、名力士の浮世絵をちらしから。
左上、秀山。右上、鬼勝。左下、陣幕。右下、雷電。

谷風関が入っていないので、仙台の勾当台公園の谷風像を付け加えておきます(笑)。

雷電関の大きな裃と足袋の展示もありました。撮影禁止なので写真はありませんが、身長198㎝だったそうです。足は思ったほど大きくはなかったです。
大名家のお抱え力士は印紋と呼ばれるそろいの化粧まわしをつけたようです。下の錦絵は、土俵上は萩藩の、右側には弘前藩のお相撲さんが描かれている。

印紋:(左ふたつが、松江藩、右が姫路藩)

姫路藩主の酒井忠学が江戸藩士古市へ送った書状も展示されていました。お抱え力士が天保14年(1843)の上覧相撲で活躍したことを喜んでいるもの。姫路藩といえば、藩主になりそこねた酒井抱一(1761-1829)、この相撲はみてませんね。

見物客は外国人が多いでござる。

稽古総見では白鵬が欠席、稀勢の里は日馬富士に全敗と、ちょっと気になる情報。チケットは、前売り開始日のネットはゼンゼン繋がらず、夕方頃に再挑戦したが、すでに、12日目から千秋楽まで完売(涙)。結局、11日目を買う。ところが、国技館売り場では現在でも、13日目、いす席に残席があった。やっぱり、ここで並んで、千秋楽をとればよかった、と思ったノダ。稀勢、初優勝の姿を見たかった。

では、みなさん、今日も一日、お元気で!