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気ままに

大船での気ままな生活日誌

平家物語の頃の湘南の地名

2009-05-30 07:58:19 | Weblog
昨日は女子大の公開講座受講の日だった。”平家物語”をここ2,3年続けて聴きに行っている。2時間ほどの講義だが、ひとつやふたつ、必ず、面白い場面が出てくるので止められない。

この日は巻第十の”海道下(かいどうくだり)”が面白かった。重衡が梶原景時に連れられて、鎌倉へと護送されるくだりである。蝉丸の故事で有名な四宮河原(現在の京都山科の四宮)から相坂山を越え、勢田の唐橋を渡る。野路の里(現草津市)、志賀の浦、鏡山、比良と過ぎ、伊吹山に近付づきぬ、と、関西の方には馴染みの地名が続く。

ボクが興味をもったのは、足柄の山を越えてからの、ぼくの(散歩の)フランチャイズ、湘南地方の地名のことである。原文をまず紹介する。

足柄の山をもうち越えて、こゆるぎの森、まりこ河、小磯・大礒の浦々、やつまと、とがみが原、御輿が埼をもうち過ぎて、急がぬたびと思えども、日数やうやうかさなれば、鎌倉へこそ入り給へ。

さて、みなさん、これらの地名、今の何処か、分かるだろうか。足柄と大磯は現在の地名と同じだが、それ以外はボクも検討がつかなかった。

こゆるぎの森は、”大礒付近の海岸”という解説だった、森が海岸?。まりこ河は酒匂川の古名。先日、訪れた鴨宮の神社は、酒匂神社という名前だったように、この付近に酒匂川が流れている。そのあと、大礒、小磯というのは理にかなっているが、こゆるぎの森が大磯の海岸では、記述の順序からしておかしいのではないか、今の御殿場線の松田あたりの森なら、ちょうどいいのだが、等と勝手に解釈したりしてみた。そんなことに考えをめぐらすのも面白いものだ。

”やつまと”は八松で、辻堂付近の海岸だそうだ。そして、”とがみが原”は藤沢の鵠沼付近ということだ。そして海岸線を辿り、御輿が埼(みこしがさき)に至る。稲村ケ崎のこと、たしかに御輿のような形だ。新田義貞が鎌倉攻めをしたころには、どちらだったのだろうか。

平塚や茅ヶ崎はここでは、すっとばされているが、先日、平塚の地名のもとになったことを記した碑をみてきた。旧東海道の平塚宿沿いにあった。”平塚の塚”の説明文によると、高見王(関係ないけど高見山も定年でやめましたね)の娘政子が、東国への旅の途中、天安元年(857年)この地で逝去した。その墓の塚をつくったが、次第に塚の上部が平らになり、土地の人が”ひらつか”と呼ぶようになった。それが平塚の地名の由来だという。平家物語のころよりずっと古い。



最近の市の合併で、由緒ある地名がなくなったり、隠れてしまうのは、とても残念なことだ。この辺りでも、ときどき、大”湘南市”の話が浮かんだり消えたりしているが、やめてくれよといいたい。
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