気ままに

大船での気ままな生活日誌

”ルバイヤード”で飲む

2007-11-21 09:23:11 | Weblog
昨晩、大船の”かんのん”で、高校時代の友人と飲みました。飲み助同士ですので、それだけでは終わらず、近くのスナックでもう一杯。ボクはいいけど、川崎まで帰る彼は”午前さま”すれすれになってしまったのでは。反省しきりの、今朝のボクです。とほほのほ。

飲んでいる途中で、面白い本だよ、君にプレゼントするよ、と渡された文庫本。”ルバイヤード”(オマル・ハイヤーム作、小川亮作訳)でした。酒のみのバイブルみたいな本だよ、4行詩(ルバイヤード)なので、どこからでも気楽に読める、とのこと。

お刺身をつまみながら、早速、適当なページを開く。

もうわずらわしい学問はすてよう、
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
積み重ねて来た七十の齢の盃を
今この瞬間(とき)でなくいつの日にたのしみ得よう?

なななんと、歳をもう少し若くすれば・・今の我々ではないか ハハハハハと大笑い。そして、ワカサギの唐揚げをつまみ、また別のページを。

死んだら湯灌(ゆかん)は酒でしてくれ、
野の送りにもかけて欲しい美酒。
もし復活の日ともなり会いたい人は、
酒場の戸口にやって来ておれを待て。

大船(今泉)出身の狂歌師、酔亀亭天廣丸(すいきてい・あまのひろまる)も同じような句をつくっていたっけ。”心あれば 手向けてくれよ 酒と水 銭のある人 銭のない人”アハハハハ、オレもそれでいく。熱燗をごくりとやって、また別のページを。

魂よ、謎を解くことはお前にはできない。
さかしい知者の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃でこの世の楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。

この世の楽土だ、楽土だと、調子に乗って、飲みすぎてしまったのでありんす。
とほほのほ。

・・・

オマル・ハイヤームは11世紀のペルシャの詩人です。訳者の解説によると、彼は万能科学者でもあり、日本でいうなら、平賀源内のような時代を抜いて秀でた万能の人であった、またペルシャのレオナルドダビンチと呼んでいいかもしれない卓越した人だったそうです。ボクのような、ただの、飲んだくれとはエライ違いですね。










コメント
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