箱根の、山のホテル庭園の、すばらしいつつじ園を観ての翌日、ボクは北鎌倉を散策していました。円覚寺境内の、方丈庭園の苔の庭や、奥の黄梅院の庭の地べたに這いつくばって生きている、でも、うっとりしてしまうほど美しい新緑の苔を楽しんだあと、東慶寺の山門をくぐりました。ここの地べたや岩の苔も見頃になっているだろう、それにイワタバコの成長の様子もみてみたかったのです。
山門をくぐってすぐ、うすいピンクの小さな花が咲きそろっている植物に気づきました。でもよくみると、多くは金平糖のような、花開く直前の蕾で、花笠のように開いた花はそれほど多くありませんでした(写真)。名札をみると「カルミヤ(アメリカシャクナゲ)」とありました。その名前ですぐ思い出しました。山のホテルのシャクナゲ園に、まだ固い蕾でしたが、このカルミヤの”大木”をいくつもみたのです。そして、ここのカルミヤで現存するものは明治43年(1910年)輸入したもので、日本最古のものだと誇らしげに案内板に書かれていました。”はながさしゃくなげ”とも呼ぶそうです。どんな花が咲くのだろうと思っていました。それが、意外なところで花の咲いているところを確認できたというわけです。
山のホテルのしゃくなげ園はつつじ園の奥の小山にあります。日当たりの良いつつじ園に較べて、日影で、しっとりした感じの場所です。つつじ園が先日六本木でみてきた「日傘の女」とすれば、しゃくなげ園は「雨傘の女」とか「日影ものの女」とたとえることができるでしょう(笑)。あるいは、つつじ園はよりすぐりの華やかなスター揃いの宝塚の”つつじ組”とすれば、しゃくなげ園は、しっとりとしたお色気と都踊りなど伝統芸をもつ、祇園あたりの舞妓さんといえるでしょう
ボクは、親しみがわいてきて、カルミヤちゃんに話しかけてみました。こんにちわ、よくここには来ますが、花の時期以外のときが多く、気づきませんで失礼しました、昨日、芦ノ湖の山のホテルで老木のカルミヤをみてきましたよ、花はまだまだでしたけど、と挨拶をしました。
「あら、私はそこの出なのよ、山のホテルの庭園はシャクナゲ界の京都と言われてて、私はそこの祇園で育った舞子なのよ」ボクはもうびっくりしてしまいました。ボクが予想していた通り、ここのカルミヤちゃんは、祇園の舞子さんだったのです。
どうして、ここにいるのですか、と尋ねますと、「あなたも見た、あのじじーカルミヤが私の主人だったの、四菱財閥系の社長やってたんだけど、定年退職してから、いつも私にまつわりつき、それになにかとうるさいの、私もうノイローゼになりそうで、飛び出したというわけ。あの人はほんまにいけすかんタコやわ」。
それで、駆け込み寺の東慶寺に逃げ込んだというわけですね。それにしてもよく逃げ出せましたね、と言いますと、「ほら、夏の暑い盛りの混雑する祇園祭のときを狙ったのよ、その花傘巡行には”はながさしゃくなげ”は必ず参加しなければならないの、それに行くふりして、元箱根港からタクシーで北鎌倉まで飛ばしたの」
そうだったんですか、じゃー今は落ち着いた生活をしているのですか、と尋ねてみました。「最近、年金制度が変ったので、離婚しても、じーさまの年金が半分入るので生活には困らないわ、毎日の仕事は、座禅の他、京都時代によくお茶屋あそびをして頂いた、哲学者の西田幾太郎先生や和辻哲郎先生、それに私が敬愛する小林秀雄先生のお墓の掃除が中心なの」
へー、哲学の先生も結構お遊びになられてたんですね、それと、ボクも小林先生のフアンですが、しゃくなげ界の小林先生はどういう本を書かれていたのですかと聞きますと、「”様々なる衣装(意匠)”、これはね、どういう花を咲かしたら人に喜ばれるという著書で、ベストセラーなの、”虫(無私)の精神”これは害虫対策の本でね、虫の心理を解き明かし、虫がよりつかないための方法論を難解な文章でつづっているの、それからね・・・」と延々と話が続きました。
その他、趣味が境内のいろいろな花がらや落ち葉を使ったパッチワークとか、本当は窒素リン酸カリの精進料理を義務づけられているそうですが、隠れてフレンチやイタリアンの食べ歩きも好きなようです。
いろいろ教えてもらったので、ボクはお礼のつもりで、さっき、北鎌倉の駅前で買ったばかりのポカリスエットをカルミヤちゃんの根元にドクドクとかけてあげたのでした。とてもおいしそうに飲んでいました。
それから、ボクは前田青邨画伯のお墓の近くの石段に生えた新緑の苔を鑑賞して、岩壁のイワタバコが若葉を茂らせているのを確認して、東慶寺をあとにしたのでした。
山門をくぐってすぐ、うすいピンクの小さな花が咲きそろっている植物に気づきました。でもよくみると、多くは金平糖のような、花開く直前の蕾で、花笠のように開いた花はそれほど多くありませんでした(写真)。名札をみると「カルミヤ(アメリカシャクナゲ)」とありました。その名前ですぐ思い出しました。山のホテルのシャクナゲ園に、まだ固い蕾でしたが、このカルミヤの”大木”をいくつもみたのです。そして、ここのカルミヤで現存するものは明治43年(1910年)輸入したもので、日本最古のものだと誇らしげに案内板に書かれていました。”はながさしゃくなげ”とも呼ぶそうです。どんな花が咲くのだろうと思っていました。それが、意外なところで花の咲いているところを確認できたというわけです。
山のホテルのしゃくなげ園はつつじ園の奥の小山にあります。日当たりの良いつつじ園に較べて、日影で、しっとりした感じの場所です。つつじ園が先日六本木でみてきた「日傘の女」とすれば、しゃくなげ園は「雨傘の女」とか「日影ものの女」とたとえることができるでしょう(笑)。あるいは、つつじ園はよりすぐりの華やかなスター揃いの宝塚の”つつじ組”とすれば、しゃくなげ園は、しっとりとしたお色気と都踊りなど伝統芸をもつ、祇園あたりの舞妓さんといえるでしょう
ボクは、親しみがわいてきて、カルミヤちゃんに話しかけてみました。こんにちわ、よくここには来ますが、花の時期以外のときが多く、気づきませんで失礼しました、昨日、芦ノ湖の山のホテルで老木のカルミヤをみてきましたよ、花はまだまだでしたけど、と挨拶をしました。
「あら、私はそこの出なのよ、山のホテルの庭園はシャクナゲ界の京都と言われてて、私はそこの祇園で育った舞子なのよ」ボクはもうびっくりしてしまいました。ボクが予想していた通り、ここのカルミヤちゃんは、祇園の舞子さんだったのです。
どうして、ここにいるのですか、と尋ねますと、「あなたも見た、あのじじーカルミヤが私の主人だったの、四菱財閥系の社長やってたんだけど、定年退職してから、いつも私にまつわりつき、それになにかとうるさいの、私もうノイローゼになりそうで、飛び出したというわけ。あの人はほんまにいけすかんタコやわ」。
それで、駆け込み寺の東慶寺に逃げ込んだというわけですね。それにしてもよく逃げ出せましたね、と言いますと、「ほら、夏の暑い盛りの混雑する祇園祭のときを狙ったのよ、その花傘巡行には”はながさしゃくなげ”は必ず参加しなければならないの、それに行くふりして、元箱根港からタクシーで北鎌倉まで飛ばしたの」
そうだったんですか、じゃー今は落ち着いた生活をしているのですか、と尋ねてみました。「最近、年金制度が変ったので、離婚しても、じーさまの年金が半分入るので生活には困らないわ、毎日の仕事は、座禅の他、京都時代によくお茶屋あそびをして頂いた、哲学者の西田幾太郎先生や和辻哲郎先生、それに私が敬愛する小林秀雄先生のお墓の掃除が中心なの」
へー、哲学の先生も結構お遊びになられてたんですね、それと、ボクも小林先生のフアンですが、しゃくなげ界の小林先生はどういう本を書かれていたのですかと聞きますと、「”様々なる衣装(意匠)”、これはね、どういう花を咲かしたら人に喜ばれるという著書で、ベストセラーなの、”虫(無私)の精神”これは害虫対策の本でね、虫の心理を解き明かし、虫がよりつかないための方法論を難解な文章でつづっているの、それからね・・・」と延々と話が続きました。
その他、趣味が境内のいろいろな花がらや落ち葉を使ったパッチワークとか、本当は窒素リン酸カリの精進料理を義務づけられているそうですが、隠れてフレンチやイタリアンの食べ歩きも好きなようです。
いろいろ教えてもらったので、ボクはお礼のつもりで、さっき、北鎌倉の駅前で買ったばかりのポカリスエットをカルミヤちゃんの根元にドクドクとかけてあげたのでした。とてもおいしそうに飲んでいました。
それから、ボクは前田青邨画伯のお墓の近くの石段に生えた新緑の苔を鑑賞して、岩壁のイワタバコが若葉を茂らせているのを確認して、東慶寺をあとにしたのでした。