まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

両親の日本語力

2008年01月17日 | う゛う゛ー
 私は、折に触れ「母国語の大切さ」を説いています
独身時代、4年間子ども達に英会話を教えていた私は、国際語としての英語の重要性を、十分に認識していますし、実際、外国語が話せることから広がる広い世界も実感しています
 しかし、それでも尚、「まずは母国語」という思いを、ここ数年、一層強くしています。

 つい先日、私は思い立って、主人と一緒にスポーツクラブに行きました。そこは、日頃から私がメンバーになっているクラブで、中にはスパやマッサージ施設も併設されており、その日は是非、主人はそのスパ施設のほうに行ってみたい、と言い出したからです
 その時、あいにく私は、お正月に帰省をする時、財布からかさばる不必要なカードを抜いていたため、スポーツクラブの会員カードを持っていませんでした 出先で、そのクラブに立ち寄ることを決めたので、私はカードを持たないままで、そこに行くことになります。

 それでも、メンバーではなくても、日頃からスパやマッサージの施設は使える、ということは知っていましたので、立ち寄ってみることにしました
 そこで、私は愕然とすることを経験することになったのでした

 スポーツクラブに入っていくと、元気な「あけましておめでとうございます」の声が、フロントから聞こえました。いつも、気持ちの良いあいさつです
 普段なら、そこでカードを見せ、タオル等をもらい、ロッカーキーを受け取ります。その間の会話は、ある意味、決まり文句、のようなものでした。
「あけまして・・・」のあいさつと同様、毎回、その入場の手続き、その時の会話は、歯切れの良い、テキパキとしたもので、いつも気持ちよくその言葉を聞いていたものでした

 「バスタオルと、タオルをご用意すれば良いですね?・・・今日は、靴のご利用はありますか?・・・かしこまりました・・・では、これが本日ご利用いただくロッカーきーです。・・・いってらっしゃいませ
 しかし、この日は、私がメンバーカードを忘れたことと、メンバーではない主人が一緒、ということで、いつもとは状況が大幅に違っていました。

 私は、こちらの希望として、私はメンバーだけれどもカードを携帯していないこと、それでも主人がスパを利用できるかどうか、利用できるのであれば、それに対する費用はいくらになるのか?ということを、たずねました。

 ところがどうでしょう
フロントのお嬢さんは、私の言ったことが、即座には理解できなかったようでした
 私は、日頃からおしゃべり好きで、用件だけではなく無駄口もたたくほうなので、あらためて相手がわかりやすいように、いらないお話しを取っ払い、要点を整理して、再度お伝えしました

 つまり・・・
  私はメンバーだけれども、この日はメンバーカードを忘れてきたこと
  主人はメンバーではないけれども、スパを利用したい、ということ
  もし、それが可能であれば、いくらお支払いをすればよいのか?ということ

 以上、3点です。
しかし、そのお嬢さんは、やっぱり、「えーっと・・・ それはー・・・」と、困った顔で言うばかりです。
 私は、この状況にも閉口しました。なぜなら、自分では答えられない用件ならば、「少々お待ちください すぐに、お客様のお話しに、きちんとお答えできる者を呼んでまいります」と言い、誰か上司を捜せば良いでしょう?
 とうとう、私もしびれを切らし・・・
「ややこしいことをおたずねしてごめんなさいね。どなたか、詳しいことがおわかりになる方は、中においでになるかしら?」と言ってしまいました
 お嬢さんは、どんよりとした感じで、「ああ、はい・・・お待ちください・・・」と言って事務所に入って行きました

 出てこられたのは、何度か以前、お見受けした少しは年上の方でした。
しかし その上司と思しき人が登場しても、彼女が、私がおたずねをしたことを、短時間でその上司に伝えられるわけもなく・・・
 そこで、また、彼女はしどろもどろで、私の言ったことを、全く要領を得ず、トンチンカンに伝えるばかり
 私は彼女の傷つけないように、気遣いながら、3度目?4度目?その上司に同じことをたずねました。
 私は、この時ほど、若い人達の「国語力の低さ」を痛感したことはありませんでした

 フロントのそのお嬢さんは、アルバイトさんでも、パートさんでもありません。正社員なのだそうです。
 しかし、彼女は、お客様の話を正確に聞き、理解する力が備わっていたとは思えませんでしたし、また、人に何かをそ伝える会話力、表現力も身についていませんでした

 でもね、人間的には、とっても笑顔の素敵な、人をホッとさせてくれる力のある、チャーミングな方なのです
 ああ・・・何てもったいない・・・こんな素敵なお嬢さんなのに・・・ 私は、その方が素敵な人であったからこそ、本当に残念に思えたのでした。

 たぶん、こういう方は、今の世の中にはたくさんいるのでしょう。その人達も、普通に普段は生活できているのです。自分のしたいこと、食べること、寝ること、のような日常の必須の会話力があれば、必要最低限のことはでき、仲間との世界の中で、おもしろおかしく生活することはできるから

 私は、スポーツクラブの帰り道、そのお嬢さんの姿に、今の子ども達の成長した時の姿を重ねずにはいられませんでした

 現在、子どもを育てているご両親が、自分たち家族の生活の中で、親子の会話が十分に成り立ち、それこそ衣食住に関することだけを中心の話題として生活をしていれば、ほとんどの方は、「我が子の国語力には何の問題もない」と感じていらっしゃるでしょう。そういう普段の生活で使われる言葉、語彙は、決まり文句が多いわけですし、子どもの表現力が稚拙でも、親は無意識に我が子の足りない言語力を、自分たちが補ってしまっているからです。

 しかし、そんな家族の中の小さな世界の中だけではなく、子どもが両親以外の第3者に話すことを考えてみたら???
  お子様方には、何かを説明するだけの語彙、表現力が育っていますか?
  自分たちで何度も違う言い方、表現を使わなくても、スムーズにお子さんは、親の言葉を理解できていますか?

 小学生になってから、学校の国語の時間に習うことで、国語力は養える、と思うのはあまりに無謀です 
 そして、成長の途上で学んでいくから平気だよ、と思うのも、やっぱり無理があるはず。なぜなら、中学生になってしまってから、「勉強」として習う外国語が実際に身にいていますか?きっと、答えはNOでしょう
 言葉は、小さい時、無意識に聞いたり、話したりしていくからこそ、身に付いているのです。それを思えば、家庭での会話、親子で用いる言葉が、どれほど子どもの言語力に大きく影響をしているか?が理解できるでしょう
 現代人は活字離れで文字を読まず、当然、書かれた文章の中から「新しい語彙」を学習することも少ないのですから・・・

 難しい言葉を教え、会話をしなさい、と言っているのではありません
 大切なこと・・・それは、親自身が「言葉」というものを「道具以上のもの」として扱い、大事にして、言葉に宿る心を感じ、我が子に接していくこと。
 自分達が話している言葉が子どもの言葉のお手本になっていくことを認識し、自らが正しく美しい言葉を身につけることこそ大切でしょう

コメント (2)
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