まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

高校野球・・・明日もファイト!

2006年08月20日 | めそめそ
 今日の甲子園の決勝戦は、すばらしい試合でしたね きっと、球史に残る良いゲームだったでしょう
 明日は決勝戦の再試合。もう私は見られません・・・ どちらが勝っても負けても、とても残念に思うでしょうから・・・
 前回の決勝戦の再試合は、1969年。小学校6年生だった私は、なぜか一人、テレビの前で涙を流しながら応援したことを、今でもよく覚えています

 甲子園の思い出・・・
私は大阪の出身ですから、子供の頃から「強いPL」を必死に応援していました 今でこそ珍しくはなくなりましたが、昭和40年代からアルプススタンドに展開されるパネルを使っての文字。私も主人も(彼は大阪市内の出身です)、なぜかPLの校歌まで歌えてしまいます
 思えば、PLの関係者でもない私達が、歌詞を思え、歌えてしまうほど、PLの校歌は甲子園のたびに何度も何度も歌われた・・・常に勝ち進む強いチームだった、ということですねえ

 当時、私の父は「PLの選手は、大阪出身者とは限れへん、あの学校は、日本のあっちこっちから良い選手を見つけては連れてきよる。あんなんは、もう大阪の学校とは言われへんでえ!」などと憎まれ口を叩き、必死にテレビの前でPLを応援する私は、心の中でイライラとしました 
 私にとっては、どこの出身の選手でも、その学校に席を置き、ユニホームの腕に刺繍された「OSAKA」を背負ってバッターボックスに立つのであれば、みんなみんな大阪代表。応援したい!そう思っていました もちろん、あの強かった清原選手、桑田選手には、われんばかりの拍手を送り、試合を見たものでしたよ
 ですから・・・現在、どんなに強いチームでも、新設校が大阪の代表として出場するのはあまりうれしくはなく、やっぱりPLだあ・・・そう思ってしまいます

 さて、そんな私・・・
息子が生まれてからは、甲子園を見る目も違ってきました まだまだ息子が幼い頃は、甲子園から目が遠ざかった時もあったのですが、だんだんと息子が大きくなり、中学、高校へと進学していくと、まさにバッターボックスに立つ選手、汗をぬぐいながら緊張の面持ちで投げるピッチャー、必死にフライを追いかける外野手・・・すべての若い選手の表情に、ついつい私は、自分の息子を重ねて見てしまいます
 そして、思うのです。
『この子のお母さんは、今、どんな思いで息子を見ているのだろう?しっかりと息子を正視できるのだろうか?』
 我が子でありながら、すでに息子は自分の腕の中を離れ、「チームの、学校の、県の思いを背負う選手」となってそこに存在する・・・

 幸か不幸か、私の息子は、スポーツで何かの代表選手になることはありませんでしたが、息子でも、娘でも、我が子の成長とともに、親は我が子にしてやれることは、「祈る」ことだけになっていく・・・そう思っています

 ともに200球近く投げた両投手 どうぞどうぞ、両チームともに、悔いの残らない試合をしてもいたい!そう思っています

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2 コメント

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同感です (ぶんぶん)
2006-08-21 21:04:08
早実の優勝で、幕を閉じましたね。

下の息子は、二回甲子園に行ったようです。かち割り氷とタコ焼きもよいのですが、同じ高校生が必死に白球を追う姿が、彼の目にどう映っているのかは、解りませんが、選抜もまた行くねんと言っているところをみると、どこか惹かれるところがあるのでしょうね。選抜チームでアメリカに遠征に行く彼らに、メジャーのプレーを是非見てきてもらいたいものです。そろそろ、第二のイチローの出現が楽しみです。
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ぶんぶんさんへ (まどか先生)
2006-08-22 18:28:09
 坊ちゃんは、大の甲子園好きのようですねえ あの炎天下で、試合をする選手達の暑さはいかばかりか・・・といつも心配をいたしますが、アルプススタンドの応援側も大変ですよね

 私も、子供が中学や高校の頃は、喉元まで「ほらー、この子達はこんなにがんばってんのよー あなただって、もっとしっかりがんばんなさいよ」という言葉が出てきていましたが、結局はいつもゴクンと飲み込んでいました  



 同年代の若者達の様子を見て、子供達が何も心に感じないわけはない 口に出して、あれこれと言わなくとも、間違いなく、彼らは肌で大切なことを感じ、考えているのです



 同様、同質の「がんばり」ではなくても、きっと目の前に繰り広げられる熱くて痺れるような爆発は、「何か」を動かしているに違いない・・・



 たゆまぬ努力の結果とは言え、活躍の土俵を与えられた高校球児のような若者達以外でも、どこかで「熱くがんばりたい」という思いはあるのでしょう

 

 私達もそうであったように・・・です
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