まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

まわりが見えない子育て

2009年09月23日 | う゛う゛ー
 少し前になりますが、教室の卒業生ママ達とお食事をしました 毎年、その学年のお母様方は、出願期に入って慌ただしくなるこの頃に、お食事に誘ってくださいます どの学年の卒業生のお母様方とご一緒する時でもそうですが、立派に成長されていくお子様達のご様子をお聞きするのは嬉しく、お教室に通ってくださっていた時、「出来ない、わからない問題」を前にして、口を真一文字に結び、拳を握りしめてうつむいていたお子様達の姿を思い出します・・・

 さて。
そんなママ達との話題は、多方面にわたり、今ではすっかり子どものことはそっちのけの話題も多く、いつも時間の経つのを忘れてしまう楽しい時間です
 とは言え、やはりこの考査前の時期に集まると、当然のことながら、ご自分達の受験期の話しや、本年度の考査の話題になることが多く、先日は「今の志願者達の変化」という話しになりました。

 今日の話題は、受験生の方々には、ちょっとこの時期に、耳の痛いお話ではありますが、やはり「考えるための、ひとしずく」としてお読みください。

 最近では、説明会の時に、わざわざ志願者の方々のための託児サービスのようなものをご用意する学校も多くなりました。
 ほとんどの場合、その説明会中の託児施設は、在校生のお母様方が、学校からの依頼で、ボランティアのかたちでお手伝いをして下さっているものです
 一人のお母様が、「とても驚いたこと」として、お話下さったものに、こんなものがありました

 最近では、学校内まで平気でベビーカーを押して入って来られるのにも驚くけれど、もっともっと驚くことは、その託児施設にしている教室までずかずかとベビーカーで入って来る方が多くなった、ということ ベビーカーとは、言ってみれば「土足」ですからねえ・・・
 もっともっと驚いたことには、にこやかに応対なさる在校生のお母様方に、「これを預けますから、よろしく!」と言って、幼い赤ちゃんのミルクを作り、ほ乳瓶を手渡される方がいる、ということでした そうして、赤ちゃんのお世話を頼み、自分はせっせと説明会会場に行ってしまわれる・・・

 そこが商業施設ではない限り(そこは、我が子がお世話になるかもしれない学校、なわけですから・・・)、託児の施設というのは、当然のこととして、ボランティアのお母様方・・・もしくは、先生方?職員の方?そんな発想にはならないのでしょうか・・・そういう話しになりました
 
 本当にそうですねえ。
「預けられるというから、預けるんじゃないか。預けて良いと言っておきながら、いざ預けたら、いろいろと文句を言われるのは不愉快」そうおっしゃるかもしれませんね。
 じつは、この話題を提供してくださったママは、ちょっと違った視点からもこのことを考えていらっしゃいました。

 「学校側の大きな思いやり、志願者への厚意ではあるけれど、やはり、あくまでもここは学舎。結果的に『サービス』を提供することと同質になるようなこと、そういう誤解を招いてしまうことを提供するのは、学校側の姿勢としては不必要なものではないでしょうか・・・」
 私は、なるほどなあ・・と思いました
確かに、志願者側を責めるのは簡単だけれども、そういう角度の違った見方もあるなあ、と実感しました

 昔は、私学とは、総じて敷居の高い場所、でした。
ですから、その学校に下の子どもを連れて行く、という発想すらなかった・・・
 どのご家庭でも、一人っ子やお手伝いさんのいるご家庭、もしくは、極々近所にご親族がおいでになる、というご家庭ではありません
 ですから、ほとんどのご家庭では、本来は保護者のみが参加する、というかしこまった学校行事がある場合は、下のお子様に関しては、各家庭が苦心をして、対処をしたものです。私の場合も、その例外ではありませんでした 
 当時は、みなが学校側には少しでもご迷惑をおかけしてはいけない、という強い思いを持っていましたし、それが極々普通の姿勢でした。

 しかし、現在では、在校生でさえ、平気で保護者会にベビーカーを持ち込む・・・授業参観に下の子を連れてくる・・・教室で静かにさせるためにお菓子を与える・・・という驚愕の行為があると学校側も、心ある在校生も嘆かれます
 すでに、学校にお世話になっているご家庭でさえそんな有様なのですから、未だ学校とはご縁のできていない志願者だけを責めるわけにはいかない・・・そうでしょうね

 私は、このお話を横で聞いていて、いろんなことを考えてしまいました。
親の行為・・・本来は、子どものお手本になるべき「親・大人」にさまざまなまわりへの配慮がなく、「自分が」楽チンだったら嬉しい・・・「自分が」心地よかったら・・・便利だったら・・・幸せだったら、有意義だったら・・・
 そうです、すべての基本は「自分」なんですよね。

 ここのところ、無意識のうちに、「自分を中心に考える」現代の親世代のことを考えていたら、先日、こんな仰天ニュースを見ました
 それは、群馬県の白根山に登る「観光客」についてのレポートでした。

 昔は、長年登山を趣味にしているような人達が訪れる場所だった白根山。現在は中高年の登山ブームを受けて、毎年、満員御礼状態なのだそうです このように登山の裾野が広がるのは悪いことではないでしょうが、それに伴い、登山が特別の危険を伴うスポーツではなく、「簡単にできること」という意識が定着した上、特に白根山には、夏場は車で登れます。

 すると・・・何と、パンプスやサンダル、短パンで平気でやってくる「登山者ではない、観光客」で溢れるようになったとか・・・
 彼らは、時には犬を連れて訪れ、散歩気分で犬の糞を平気でそのままにする・・・
 断崖絶壁になっているため、立入禁止にしている箇所に、平気でその看板を乗り越えて入り込む・・・
 高山植物の貴重さも知らず、摘んだり、根っこから引き抜いたりして持ち帰る・・・
 昔ながらの登山者が聞いたら、耳をふさぎ、目を覆いたくなるような行為が、日常茶飯事に繰り返されている、というのです
 実際、そういうカップルや家族の映像が、モザイクがかかった状態で、画面にどんどんと映されていきました。

 その映像の中で、私が一番驚いたのは、そういう「モザイクの人達」の中に、多くの親子連れがいたことでした
 幼稚園児くらいの年齢の子ども達の手を引き歩く父母。
 1,2歳児を抱っこした両親の姿。
すべての家族が軽装で、平気で「立入禁止」「危険区域」「高山植物を持ち帰るのは犯罪です」という立て札を通り越し、張られたロープを乗り越えていく・・・
 中には、登ったものの、サンダルやパンプス履きだったため、降りて来られなくなった家族までが映し出されていました

 モザイクがかかったまま、「ここは立入禁止区域なのに、どうして入ったのですか?」や「高山植物は採取してはいけない、と書かれているのに、どうして摘んでいるんですか?」の問いかけに、ある父親はあっけらかんと・・・
 「みんな入っていたから・・・」
 「うるせーなー、そんなこと、オマエに関係ねーだろー 俺たちだけじゃねえよ、みんなやってんだろ

 その昔、お笑いブームの時に、あるコントの芸人さんが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言い、どっと沸かせたことがありました。
 あの頃は、「なるほどねえ、そんな屁理屈もあったかあ、はっはっは」と、それはあくまで笑い話の中での行為でした。けれど、あれから20年以上が時が流れて、親たちは、本当に「みんなやっていることは、それがどんな行為であっても、悪いことじゃないでしょう、みんながやっているんだから。規則?そんなもの、みんなが破るような規則は意味ないんじゃないですかあ?考え直したほうがいいですね!」のような理屈がまかり通るようになったのですねえ・・・

 何事も「自分達を中心に考える」「自分のしたいことをする」「自分が心地よいことを一番に考える」こういうことが、知らず知らずのうちに、今、子育て中の親たち考え方の柱になっているように思います
 我が子、私、私達、これらがどっかと世界の中心にあり、自分たちに不都合なものは悪、自分達の好み以外のものは悪・・・という考え方もないとは言えません。

 これは、抽象的な例ですが、たとえば・・・「見せていただく」のではなく、「見たいから見る」という行為。これは行為としては同じ行為ですが、きっと、この2者の行動は違ったものに見えるでしょうし、「見せた側」にも違った印象が残るでしょう
 
 こういう親の思考、言動、行動に、たとえ「悪意」がなかったとしても、受け取る側の印象は、残念ながら、悪意があろうとなかろうと、あまり違いはありません・・・


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