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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

機内の子ども達

2007年08月03日 | にこにこ
 前回のブログで、主人が沖縄県名護市の病院に入院をした、と書いたため、すっかり反響が大きく、卒業生をはじめ、大きなみなさまにご心配をおかけいたしました。
 おかげさまで、沖縄パワーと、自虐的に鍛えた筋力、体力が功を奏して、順調に、ドクターも苦笑の早さで回復をしています リハビリも始まり、やっと一安心です ご心配をおかけし、申し訳ございません

 さて、私はこの2週間で、すでに沖縄と横浜を3往復しているのですが、夏休みのこの時期、特に沖縄便は、帰省客というよりも、ほとんどがレジャー客
 家族連れも非常に多く、そういう意味では「子どもたちのオンパレード」です
 一つの家族、その両親の間に生まれた子どもたち、という単位で眺めてみると、まさに「子どもは親次第」ということがよくわかります

 機内でのこと。
座席についたとたん、4、5歳とおぼしき男の子が、すぐに文句を言い始めます
 席が狭い おもちゃが出せない 喉が渇いた・・・ そのつど、お母さんはオロオロし、「ごめんね、ごめんね」を連発します。
 それにしても・・・「ごめんね」って、何でお母さんが謝るのか、ワケが解らないです それに、本当に、どのようにしたら、あれだけ「不満を連発」できる子どもが育つのか、ある意味、非常に興味深かったものです

 その一方で、5歳と3歳くらいに見える兄弟がいました 
 ふたりはキョロキョロと機内を眺め、「ここに座りなさい」と小さな声でお母さんに声をかけられて、席についきました。

 文句たらたらの「ふまんちゃん」とおりこうちゃんの「しずかくん達」は、2列ほど離れた席でしたが、横から眺めていた私からは、まるで違う「生き物」のように見えました
 ふまんちゃんは、文句を言い続けているわりには、目ざとヘッドフォンを見つけ、「ママ、これして」と渡します。
 お母さんは、まだ荷物を上の棚に乗せたり、自分の席で2時間強のフライトを快適にするため、ごそごそと支度をしていました。
 もちろん、ふまんちゃんは、そんな自分がほったらかされている時間は許せません
 「早くしてよー ねえ、これえー、これやってよー
お母さんの反対側の隣の席に、どっかと腰を下ろしたお父さんは、無言で新聞を読んでいて、わが子がうるさく言っていることを気にも留めていないようです

 しずかくん達
彼らもやはりヘッドフォンを見つけました。お母さんは彼らにヘッドフォンを渡し、ここに差し込むのよ、と教え、あとは「いろいろとやってみてごらん、ただ、このボタンは、スチュワーデスさんを呼ぶボタンだから、押しちゃだめよ」とだけ言い渡しました。
 彼らは、いろいろと真剣な面持ちでボタンをさわっているようでした 
しずかくん達のお父さんも、やはり反対側の席で新聞を読んでいましたが、チラチラと子ども達を見ては、にこにこし、途中、何度かお母さんの荷物を上の棚に上げたり、自分の前のスペースに入れてあげたり、さりげなく手伝っているようでした

 ふまんちゃん、しずかくんたち・・・ともに、各家庭に生まれて4、5年。
きっと、毎日、こんなふうな雰囲気、空気の中で生活をしてきたのでしょう 
 まだまだ小さな子どもたちですが、それでもやはり、それまでの4年、5年という、それなりに長い時間、長い年月をかけて、「今の姿」がそこにあります
 3つ子の魂、百まで・・・は、私は非常に言い得て妙、の言葉だと思います 
 よほど天地がひっくり返るようなことが起こらない限り、ふまんちゃんママの子どもへのスタンスは変わらないでしょうね きっとそのうちに、「お願い」をして勉強をさせ、勉強なんて嫌いだと叫ぶふまんちゃんの様子にオロオロし、次はママのお願いだからとわが子に泣いて懇願する・・・というタイプのお母さんになるでしょう
 そしてふまんちゃんは、何か自分のイメージ通りにできないと腹を立て、お母さんに八つ当たりし、お母さんはそのたびに右往左往する・・・

しずかちゃん達が、ドラマに出てくるような理想の子どもたちになるか、と問われれば、きっとそうではないでしょう 人並みに反抗期を迎え、人並みに親に心配をかける子どもになっていくはずです
けれど、小さな頃から「親に何でも頼む、してもらう、依存する」ということよりも「自分で、まずはやってみる、考える」という育ち方をした子どもたちは、成長の上でも、突然、うまくいかないこと、困ったことに遭遇したとき、「人のせいにしたり、くさったりして、自分はさっさか困難から逃げる」という成長のしかたはしないものです

 子どもも親も十人十色
けれど、実際にはそれほど多くのパターンはなく、究極の分け方をすれば、子どもを上手に成長に導く親と、そうでない親、に大別してしまえるものです

 さあ、あなたのお子さんは「ふまんくん」ですか?それでも「しずかくん」ですか?そしてあなたは「ふまんちゃんママ」?それとも「しずかくんママ」? 

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沖縄のことば

2007年07月29日 | にこにこ
 「ゆいまーる」これは沖縄の言葉で、協力とか、助け合い、という意味なのだそうです
 「いちゃりばちょーでー」というのもあります。こちらは、一度会ったら友達ですよ、というものらしい

 もし、私がこの二つの言葉を、10日前に聞いていたとしたら?curious Georgeさながらに、好奇心旺盛の私は、きっとこれらの言葉の由来等を懸命に聞き、私の新しい一つの知識として、どこかの場で披露するためにインプットさせたでしょう
 しかし、私は今、この二つの沖縄の独特の言葉を身を持って体験し、毎日のように沖縄の人々に感謝しながら暮らしています

 じつは、主人が旅先の沖縄で怪我をして、県の北部の中心都市、名護市で入院生活を送っています 痛みも引いてきて、今ではとても元気にしていますが、大きな骨折をして足が利かないために、ベッドの上だけでの生活を強いられているのです
 そんな主人のところと横浜を頻繁に往復する私は、当然、旅行者としての日程や行動とは違い、タクシー、コンビニ、町の商店、ビジネスホテル、高速バスの運転手さん、病院の売店の方達、そしてもちろんドクターや看護師さん達と頻繁にお話をし、通ううちにどんどんと地元の人と親しくなっていきます

 そういう状況の下、私はとても大きなことに気づきました
マラソンやトライアスロンが趣味という主人が、全く今は歩けない、という現状
 仕事と家事をしながら、その合間に沖縄に通う私の現状 二人とも立場は違えど、かなり過酷な状況にいながらも、主人も私もよく笑い、よく話し、とてもほのぼのとした気分で沖縄での時間を送っています いったい、なぜだと思われますか?

 そうなんですねえ。私たちは、この沖縄にながら、青い海や青い空に触れることはほぼありません 
 主人の病室からは海は見えませんし、窓枠が邪魔をして、それほど主人の視界からは外の景色が見られません
 那覇から名護まで約2時間。この高速バスは、県のほぼ中央を縦断する高速道路を走り、ほとんど海沿いを行くことはありません
 けれど、私たちは確かに沖縄の「すばらしさ」を実感し、怪我や看病とは別の次元で、すっかり沖縄の虜になりました なぜでしょうか?

 それは、沖縄の人々の何ともいえない「言葉」と「笑顔」があるから、だと思っています おだやかで、ゆったりとしていて、あたたかさにあふれている言葉、そして笑顔・・・

 数年前に、NHKで「ちゅらさん」という連続テレビ小説が放映されました 主人公のえりい、小浜島のおばあ、えりいのお兄さん、東京の沖縄酒場の主人等、数人以外は実際には沖縄出身の俳優さんではなく、膨大な方言指導の末、あの「沖縄の言葉」をドラマの中で話していたのだと聞きました。
 ですから、実際に沖縄の方が、あの俳優さん達のセリフを聞くと、「なんだか変よお」と思われたのかもしれませんが、少なくとも、脚本をお書きになった方は沖縄の方で、そのセリフに込められた思いは、間違いなく沖縄の心だったでしょう

 名護の病院に来ると、まさに私は「ちゅらさん」の世界の中に入っていきます
 「ご主人はかわいそうに、痛い思いをして、不便を感じているねえ」
 「じっくり治しましょうねえ」
 「無理はダメさあ」
 「横浜と沖縄の往復は、大変さあ」
 「何でも遠慮なく言ってねえ」等々・・・
 字面にからはなかなか十分に伝わりにくいとは思いますが、おだやかな、ゆっくりとしたトーンで語られる言葉、そして満面の笑顔は、間違いなく、不自由を強いられている主人のさまざまな焦りの心、後悔の念、痛み、そんなものすべてを凌駕するだけの不思議な治癒力を持っています

 私は、よく「言葉を大切にしましょう」とさまざまなシーンで主張しています。言葉は、心そのものなのだから、美しく、正しい言葉で話しましょう!と
 もちろん、この意味は、言葉を話す民族として、自分の話す言葉を大切にし、正確な言葉を話す正しい人間でいましょうよ という意味でもあります。
 正しい言葉の知識なく、意識的に美しい言葉が話せない人に、別の国の言葉が話せるわけがない・・・それが私の持論です

 しかし、私はこの沖縄での経験から、もっと違う「言葉の意味」を、今強く感じています
 言葉は心であると同時に、「人の耳に聞こえる『音』であり、聞いた人の心を大きく左右する『音』である」ということです

 つまり、言葉は「伝達のための道具」であると同時に、「聞く人を心地よくも、心地悪くもすることのできる「音」である」ということなのですね
 
 毎日、家族やまわりの大人から、やさしく、穏やかな言葉で語られ続けて育った子どもたちは、耳から心地よい「心」を感じ、きっとやさしい心を持った子どもに育っていくでしょう
 その反面、毎日、粗野な言葉を聞いて育った子どもは、きっと耳から入ってくるザラザラした言葉の中で、どこか殺伐とした空気を心の中に取り込み、どことなく潤いのない感覚を持つ子どもに育っていく・・・としても不思議はありません

 正しい言葉、そして、やさしい言葉・・・
それは、きっと人を癒し、人をやさしく導く魔法ですね。
 
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母と子、3代

2007年06月14日 | にこにこ
 大阪にいる実家の母とテレビを観ていると、お料理番組の中で「らっきょ」の話題になっていました
 
 私には、らっきょにはほろ苦い思い出があります 結婚してから毎日、私は毎晩違うメニューの夕食の支度をして主人の帰りを待ちました。もちろん、当時の主人はまだまだ若手で忙しく、毎日自宅で夕食をしていたわけではないのですが、たとえ遅くても自宅で夕食をする、という時には、とにかく、大学当時から下宿し、就職の後も寮暮らしだった主人に、少しでも家庭料理を食べさせてあげたい・・・という思いで、がんばってたんですねえ、ふふふ

 一貫校に在学していた私には大学受験の必要なく、進学もすでに決まっていて、高3のわりには気分的にはリラックス そんな私ですから、ほぼ毎日、仕事で忙しい母の替わりに夕食の支度をしていました
 そのおかげで、結婚が決まっていた時には、すでにお料理に関してはベテラン?! あり合わせの材料でお料理を作る、というような主婦修行にも慣れていましたので、毎日違うメインディッシュ・・・というのは、それほど苦にはならなかったのでした
 
 しかし、とうとう3ヶ月ほどすると、メニューも底をつき、いよいよカレーライスの登場、となりました
 実家では、カレーライスの薬味は、あまり用意はしませんでした 絶大な威力を誇っていた父が嫌いなものは、絶対に食卓にはのぼらない・・・と、私の実家では、暗黙の了解事項だったのでした
 ですからきっと、父は福神漬もらっきょも、ちっとも好きではなかったのでしょうね カレーと一緒に出されることはありませんでした

 けれど、新婚3ヶ月目の私としては、何となくカレーのテレビのCMのように、オシャレなガラスの小皿などに入ったらっきょ、福神漬、ピクルス等、是非、出してみたかったのです
 私は、いつものスーパーではなく、いそいそと漬け物専門店を訪ねました そこにはいろんな種類のらっきょがあり・・・私が迷っているのを目ざとく見つけたらしい店主は・・・
 「奥さん、らっきょ、ですか?そりゃあ、うちの自慢の黄金らっきょにしてくださいよ 騙されたと思って。おいしいよー カレーにはぴったり

 何だか、すべて見透かされているように思った私は、何とはく気恥ずかしく、進められるがままに、奮発して「店主お薦め黄金らっきょ」を買いました 
 いくらだったかは忘れましたが、とにかく、100グラム入れていただいて、「おいくらですか?」と聞き、満面の笑顔の店主に「○○円です」と言われた時、卒倒しそうになったことを今でもよく覚えていますから、きっととんでもなく予想をはるかに超えた金額だったのでしょう・・・

 じつは、この話しには傑作な?悲しい?落ちがあり・・・
  「今日はとうとうカレーなんだけど、あの駅前の由緒正しそうなおつけもの屋さんで、らっきょを買ってきたんよ」と、CMさながらのガラス小皿を食卓に出した時、主人がひと言。
  「ぎゃー、僕、らっきょ、嫌いやねん

 これがマンガなら、きっと、4分の1ページくらいに私の大写しの顔が描かれ、その横に「ガーーーーンッ」と書かれた吹き出しがあるでしょうね。
 ・・・そんなことを思いながら、私はほのぼのと両親のそばで番組を観ていました
 
 すると、急に思い出したらしく、唐突に母が唐突に話し始めたのでした

  「あのね、彼岸花、あるでしょう?あの彼岸花を、ぎゅっと引っこ抜いたらね、らっきょのような根っこがついてくるんよ、知ってる? 
 私、初めてその根っこを見た時、ものすごくうれしくてねえ。『いやー、らっきょがこんなにたくさん咲いてるんやあ』って思ったの あなたのおばあちゃんは、ものすごくお料理が上手で、何でも手早く、おいしく作る人でね・・・らっきょや梅干し、梅酒など、みんなものすごく上手に作る人やったんよ 
 この時期になると、私はいつも、母親の横で、いろんな話しを聞きながら、らっきょの株を一つ一つにわけて、皮を剥いて・・・って手伝って、らっきょの甘酢漬けを漬けたもんよ 
 せやから、彼岸花の根っこを見たとたん、私はすぐに思ったの 私がたくさん彼岸花を採って帰ってあげたら、きっと母親がものすごく喜ぶなあって、ってね ほんまは、彼岸花が咲く頃には、すでにらっきょは漬けは終わっているわけやけど、そんなことは子どもやから、すっかり忘れててね・・・
 とにかく、暗くなるまで、一生懸命に彼岸花を摘んで、抱えるほど持って帰ったん。『お母さん、ただいまー、らっきょ、こんなに採ってきたよー、もう買わなくてもいいんよー』ってね。
 そしたらおばあちゃん、にこにこ笑って、あたまをなでなでしてくれてねえ・・・『トミちゃん、残念やねえ。これはね、彼岸花で、らっきょとは違うんよ せっかく採ってきてもらったのに、悪いねえ。』やって。
 私は、なんか悲しくなってねえ・・・ これがらっきょと違うんやったら、せっかく咲いてた彼岸花をこんなにたくさん採ってしまって、彼岸花にも悪いことしたなあ、と思ったし、何だか恥ずかしかったしね・・・
 そしたらね、おばあちゃんが、言ってくれるの。『大丈夫、大丈夫。明日の朝、ちゃんとまた近くに埋めてらっしゃい あなたがらっきょと間違ったのは球根やから、元通りに埋めてやったら、ちゃんとまた芽を出すよ、心配せんでも大丈夫 きっと、また来年、あなたが埋めたところに、ちゃんと花を咲かせるから 来年は、一緒に見に行きましょね』ってね。おばあちゃんは、私が感じてたこと、みんなお見通しやってんよ・・・

 「明くる日、私は朝早くに起きて、彼岸花の球根を元の場所に戻しにいったん そしたらね、ちゃんと、次の年、おばあちゃんが言うたように、そこはまた、たーくさんの真っ赤な彼岸花が咲いてね・・・ 私、ものすごくホッとしたもんよ
 狭山(梅田の高層マンションに引っ越す前に住んでいた場所の名前)のお庭にも、いつからか彼岸花が咲くようになってでしょう?あれは、庭に来る野鳥が、種を運んできたか、野鳥のフンから芽が出たか、どちらかやと思うけど
 あのお庭の彼岸花、私は大切にしてたんよ なんで(どうして)って、彼岸花を見たら、私はいつもおばあちゃんのことを思い出してね・・・
 49年間で、初めて聞く話しでした。

 確かにそう言えば、引っ越しするまでの家の庭に、たった4,5輪ですが、毎年、彼岸花が咲いていましたね・・・
 咲き始めたのは、私が結婚してからでしたが、たまたま秋に帰省すると、手入れの行き届いた庭には不釣り合いに見える真っ赤な彼岸花があり、それでも妙に松の緑にマッチして、凛と咲いていたのを覚えています・・・
 あの彼岸花を愛でながら、私の母はいつも、自分の母親との思い出を、懐かしく思い出していたのですねえ・・・ 今はもう、さら地になってしまい、庭の木々もすべてなくなってしまった、と聞いた、昔の家の庭をあらためて思い出しました
 そして同時にあの鮮やかな赤い花を思い出します

 花を愛する心・・・食を大切にする心・・・それは、母から娘である私に受け継がれた心だと思っていましたが、じつはもう一代遡った祖母から私へ、脈々と受け継がれている大切な心なのだな、と実感しました
 
 奈良県の奥のほうの町に、自分の息子の家族と暮らしていた母方の祖母とは、残念ながら、私は子どもの頃からそれほど頻繁に顔を合わせることはありませんでした
 私にとっての祖母は、常に穏やかで、いつも上手に和服を着こなす小さなおばあちゃん・・・
 しかし、これからは私も、らっきょと彼岸花を見るたびに、その多才だった祖母のことを思い出すでしょうね・・・

 母も、穏やかな笑顔で料理番組を見ていましたが、きっと心の中では、母親のことをたーくさん思い出していたのでしょうね
 
 私は、たんぼのあぜ道で、一心不乱に彼岸花を摘む「幼い母」の姿を想像しました・・・

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土地が育てる人柄?

2007年06月02日 | にこにこ
 先日、私は、新宿のシアターアプルで開演中の「JUMP」という韓国のパフォーマンスを見てきました
 アクロバティックなコメディーパフォーマンス、とでも言いましょうか・・・5月18日の開演開始前から、東急の新型電車では、車内モニターで公演予告を流していたので、それをご覧になった方もおいでになるでしょうね
 今回は、私の中高時代からのお友達のお誕生日祝いとして、この公演にお誘いしたのでした
 この「JUMP」を私が初めてみたのは、昨年の6月、韓国好きの友人と一緒に、ソウルに行った時のことです
 ソウル通の彼女は、すでに「ナンタ」「トケビ」と、ソウルに行くたびに話題の公演を見ていて、いち早く「JUMP」の評判を聞きつけた彼女は、日本からチケットを予約 「ええー ソウルでお芝居を見に行くの?」などとビビッている私を、「絶対にはずさないって」と連れていってくれたのでした。
 そして、ほとんど日本人のいない劇場で、私は公演中、友人と二人で床をならし、手が痛くなるほど拍手し、ヒュ~ヒュ~と大声で囃し立て、すっかり「はまって」しまったのでした

 12月に主人と一緒にソウルに行った時には、いの一番に主人を誘い「JUMP」へ
 初めてみた時からわずか半年で、劇場には多くの日本人(団体客のようでしたが)が詰めかけ、パンフレットも日本語が用意されていました。劇場も間借り公演ではなく、町の中心部に「JUMP」専用劇場が誕生し、そこでは日本人留学生のアルバイトまでいて、すっかり日本人が行きやすいものになっていました
 ちょうどその頃、日本公演のためのプロモーターとの交渉が進んでいた、ということで、今回の初の日本公演になったわけです
 ほとんど「言葉」の出てこないパフォーマンスでは、ストーリーを追う必要もなく、ただただ、すごい!わー!かっこいい!のような形容詞だけで、ノリノリになれるパフォーマンスなんです

 その公演で・・・ 私は今日、あらためて感じたことがありました。
 韓国で見た2回の公演と、今日の公演との違い・・・いやいやまったく、日本人は、非常にお行儀が良い、ですね ヒューヒュー!のような声もなければ、もちろん、口笛ピュ~ウ、みたいに囃し立てることもありません
 日本では、野球の試合などでも、あまり口笛で声援を送ったりするようなことがありませんが、欧米ではよく、指を使ったような口笛でビューピュ~ウ!みたいな音を出します 何かポーズを決めた時、好プレーがあった時・・・そうですね、それが歌舞伎であれば、花形役者が見事に見得を切った時、慣れた観客がタイミング良く、「成田屋っ」とか「よっ!音羽屋」などと声をかけますよね。ああいうタイミングで、韓国でも、ヒュ~ヒュ~とか、口笛とか、大きな拍手とかで声援を送っていました
 でも、昨日はパチパチパチ・・・という拍手のみ 頻繁に笑いのツボにはまる私の友人Tは、公演中ずっと手を叩き、涙を流して笑い、声を出して声援を送っていました 私もそのタイプですから、言ってみれば、私とTの二人が、目立ってノリノリで、手拍子をする・・・状態でした

 これで3回目だった「JUMP」ファンの私は、勝手にJUMP後援会のメンバーのように(そういうものがあるのかどうかは知りませんが)、観客の反応が気にかかりました
「あれ?みんなどうしたの?そんなに静かに、冷静に、どうして見ているの?おもしろくないのかな?何だかつまらない、なんて思ってるのかしら?いやー、そうだとしたら、どこが日本人に受けないのだろう?」なんて・・・

 でも、終わった時に気づいたのです。フィナーレが終わり、ステージが暗くなっても、観客はいつまでもいつまでも拍手。声を出したりはしないのですが、行儀よく静かにする拍手は鳴りやみませんでした
 ヒュ~ヒュ~という声もないし、口笛もない。一人一人がポーズを決めても、あまり拍手もしなかったけれど、本当はしっかりと楽しみ、スゴイぞ!なんて思っていたんでしょうね

 韓国好きの友人は良く言います。
「私、よく思うんだけど、大阪の人と、韓国の人って、何だか似てるところあるよね。すっごく賑やかだし、声も大きいし、派手好みだし・・・大阪が朝鮮半島に近いからって理由はないだろうけど、もしかしたらやっぱり、民族的にも、文化的に共通点多いと思うのよね
 むー、そんなふうに言われ、あらためていろいろなシチュエーションを考えてみると、確かにそうかもしれませんね。少なくとも、先日の様子からもまさに言えることですが、公演中、静かにお行儀よくしている関東の方々よりも、大阪のおばちゃん達のほうが、もっともっとノリノリになるだろうし、賑やかだし、よくしゃべるし・・・

 以前、私は大阪の子ども達のことをブログに書いたことがありますが、まさに、土地柄の違いは子どもを取り巻く環境の違いであって、まわりの影響を大きく受けて育つ子ども達の雰囲気が違ってくるのは当然でしょうね

 今では、関東のこのあたりでは登下校の小学生達に「いってらっしゃい」と声をかけてくださるご近所の方々の姿は、滅多に見ることはありません。
 もちろん、今でも昔ながらの下町のほうでは、そういう人間関係も息づいているのでしょうが、特に新興住宅地やマンション暮らしでは、子ども達は家族以外の他人、ご近所さんから挨拶を受けることは稀ですね
 しかし、未だに大阪では、子どもが登校時に信号待ちをしていたら、「あんた、これから学校か?ご苦労さんやな、今日もしっかり勉強しーや」などと見知らぬおばさんやおじさんが声をかける・・・あるんですよね、吉本や漫才の世界以外です
 大阪では、たまたまバス停やタクシー乗り場並ぶ列の前後になった人達が、その日の自分の行動や、テレビで見たニュースの感想などを語り合う、という姿もよく見られる光景です
 タクシーの運転手さんも、よくお話しをされますよ。まあ、そんなふうに、フレンドリーに見知らぬ人と、その場限りの話しをするのはイヤだ、という方の場合には、こういう馴れ馴れしさは、かえって迷惑なのかもしれませんが・・・

 公演の後、遅いお昼を食べにデパートの中国料理店に入った友人Tと私 じつに、大阪のおばさんのノリで、注文をする時にも、いろいろお店の方とよくお話しをしました
 中途半端な時間で、客の少ない店内では、あまり他のお客様への気遣いをする必要もなく、私達は時々大阪人らしい?!大爆笑をし、長居をさせていただきました。
 そんな私達に、お店の方は何度も熱いお茶を注ぎにきてくださりながら、言葉巧みにグリーンのフレッシュライチを勧めてくださいました 気分よくお話しした私達は、「うまいことやられた」という感じで、そのライチを注文することになりました。

 私達の注文を聞き、厨房のほうに戻っていかれるマネージャーの後ろ姿を見送りながら、Tと私は・・・
  「ははは、ほんま、やられたって感じやねえ あのマネージャーさん、さすがに商売上手やねえ お客見て、上手にポイントを心得て勧めはったねえ そらマネージャーになりはるだけのことはある あのおばさん、短時間話している間に、私達の気性や何やをしっかり見抜き、ピンポイントで責めてきはったねえ まあ、私らも気持ちよく、コロッと承諾して注文する気にさせられたね。やられたーやわ、はっはっは

 確かに、その朝に届いたばかりと言う冷凍ものではないフレッシュなグリーンライチはおいしかったですよ 
 心底マネージャーが勧め上手で、「その朝に届いた貴重品」ではなかったとしても・・・その方の話術によって、私達は大変満足してそのライチをいただいたでしょう

 さあ、あなたはどちらのご出身ですか?
 あなたが生まれ育った土地と、今あなたが暮らしている土地では、さまざまな雰囲気が違いますか?
 帰省した時に目にする子ども達と、あなたのお子さまとの間に、何か違いを感じますか?

 もちろん、土地柄を越えた「その人そのものを感じさせる人柄」もありますね。そう、ライチを上手に勧められたお店のマネージャーのように。

 それにしても。食生活、言葉を含めた普段の生活は、まさに「文化」そのもの 本当に楽しいですね

むかしのブログ「大阪弁のおもしろ話」
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花の力、緑の力

2007年05月23日 | にこにこ
 今日は午後、ぽっかりと時間が空き、久しぶりに車を運転して、10分ほどのところにある大きなガーデニング屋さんに行きました
 広い敷地内に、所狭しと並べられたお花の苗たち・・・今を盛りに咲き誇るもの、これから成長し、夏にお花をつけるもの、まさに赤、白、黄色、どの花見てもきれいだなー、です

 すでに何度かブログでも書いていますが、私は小さなベランダに季節の花々を植えて楽しんでいます
 食事の時、リビングの窓に目を転じると、ピンクや黄色のお花たちが目に飛びこみ、その向こうに緑豊かに茂った桜の大木が見えるのです
 今の季節は、早朝にはウグイスがやってきて、きれいな自慢の声を聞かせてくれます。遠くに最寄り駅の電車の音が聞こえなければ、ここが町中であることを忘れさせてくれます・・・

 今日の私は、主人のおつかい、でした。新しいオフィスに置く大きめの観葉植物を探すお役を仰せつかったのです。今では、インターネット上でも、たくさんの観葉植物が選べ、通販形式でも購入できるのですが、せっかく空いた時間ですから、ぜひ、自分の目で確かめて、気に入ったものを選ぼう、思いました
 外でお花の苗を愛でるのに堪能した私は、やっとドーム型の室内に入り、観葉植物のところへ。幸い、気にいったものが見つかり、いくつか注文をしました

 お花・・・緑・・・本当に人の心を和ませますね
 今日は陽射しも強く、地面や緑からの照り返しもあって、お花を苗を10分ほど見て歩いただけで、直射日光を受けて顔がほてってきます
 でも、この太陽の光、敷地のあちこちでちょろちょろとホースから流れ出し、光っているお水、そして、色とりどりの花々 私までが植物になって、光合成を行っているような気になってしまいました

  「あなたの好きなお花は何ですか?」
  「あなたのお家には、今、どんなお花がありますか?」
  「あなたは、どんなお花を知っていますか?」

 たまに、私はクラスで子ども達にたずねてみます。もちろん、小さな子ども達は、どんなにお花が好きでも、名前までは覚えていない、という子もたくさんいますし、お花は好きだけれど、実際にお花を見ているのではなく、大好きな図鑑を眺めている、という子もいます
 どちらの子がどうだ、ということではありません。
図鑑を熱心に眺め、お花の名前を覚えている子も、お花屋さんが好きな子も、お庭やベランダのプランターに、一生懸命にお母さんと種を蒔いた子も、やっぱり、「お花を身近に」感じている子ども達、でしょう

 そして、お花が好きというお母様は、お花を眺めている時間は、それがどんなに短い時間であっても、心なごみ、優しい気分になって、顔も心もふっと笑みに包まれていることでしょう

 どうですか、お母さん?明日、お花屋さんに行ってみませんか?

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