先日、初めて大阪にある「東洋陶磁美術館」に行ってきました

私の両親が暮らす大阪の「梅田」というところからは、目と鼻の先。けれど、帰省しても、自宅で両親の相手をするのが私の役目、と決めていた私にとっては、自由に一人で勝手に出かける、ということは、なかなか気分的にも憚られ・・・
そんなことを知ってか知らずか、せっかくこんなに近いのだから、散歩がてら行ってみよう
と、今回は一緒に帰省をした主人に勧められ、念願だった美術館行きが実現しました
すでにご存知の方も多いと思いますが、この美術館に展示されてある主に中国と韓国の年代物の貴重な陶磁器は、かつては栄華を誇った今はなき「安宅産業」のコレクションです
安宅産業が伊藤忠商事に吸収され、事実上の倒産に追い込まれた時、それを管理した住友銀行(現在の三井住友銀行)が安宅コレクションを大阪市に寄贈し、この美術館がオープンしました

膨大Bな陶磁器をはじめとする芸術作品の目利きコレクターであり、安宅産業の二代目として生まれた権力者安宅英一氏は、音楽の分野でも多くの若き芸術家のパトロンとなり、事業家としては企業破綻を招いた浪費家ではあったものの、別の意味では、大きな偉業を成し遂げた人ではありました

「・・・この本社ビルなあ(古くなり、少し色の褪せた本社ビルの写真が展示されてありました)、あの当時はえっらいきれいやったでえ。さすがに『アタカはんやなあ・・・』おもたわ
」
車椅子を押して、美術館内の入ってきたご老人が、前屈みになって、車椅子に座る奥様に向かって話しました
「アタカはん、ほんまにものすごい勢いやったさかいになあ・・・のーなってしもて(無くなってしまって)もったいないなあ・・・
」
私はこの言葉を聞き、ああ、何て大阪的なこと・・・と思わずニンマリと笑ってしまいました
この二人の会話を聞いていると、「アタカはん??このご夫妻は、あの『安宅氏』のお知り合い、なのか??」と勘違いをする人もおいでになるでしょうね
当然、話しの成り行きから(大阪人である私は、成り行きなど聞かなくとも、親しげに「アタカはん」と呼ばれていても、親しくはない、ということは感覚でわかりますが)、安宅氏とこのご夫妻には、何の人間関係もないことはわかるのですが・・・
とにかく、大阪の人は、誰をも自分と妙に親しい存在、として会話に登場させます
それは、人だけではなく、「えびっさん、だいこくさん、てんじんさん」と、戎様、大黒様、菅原道真公などという神様や奉られた人をも○○さん、と呼び、親しい自分の仲間にしてしまいますからね・・・
そのほかには、食べ物を呼ぶ時にも同じようなことがあります。
その代表的なものには「飴ちゃん(あめ玉、キャンディー全般)」「お芋さん(芋類すべて)」「おかいさん(お粥)」「お鯛さん(関西での魚の王様、鯛に敬意を称して?!)」など

まあ、今どきの大阪の若者達は、すでにそんな言葉は使わず、知らないかもしれませんが・・・
それはさておき・・・
展示の部屋を、一つ一つゆっくりと見てまわっていると、どやどやと熟年の一団が入ってきました。
声が大きく(ほとんどの大阪人の声は大きい!)、どう聞いても普通の会話なのに、まるで漫才のようにボケとつっこみがありおもしろいのです。私は主人とボソボソとたまに話し、しみじみと一つ一つの展示品を見ていたのですが、自然におじさん達の会話は耳に入ってきます
「なあ、この形、何かに似てへんかあ?・・・何やろなあ・・・」
「わかった
なああんた、骨壺とちゃうか?しろーて(白くて)、つるっとした蓋ついてて・・・
」
「ほんまやなあ、そんなこと言うたら、バチあたんで
それにしても、こんな壺にお骨入れたら、僕やったら骨になっても、気―つこて(気を遣って)、ゆっくり成仏もできへんわあ・・・
」
「はっはっは、ほんまやなあ
それにしても、これ、こうたら(買うとしたら)、なんぼやろなあ(いくらでしょうね)?」
「あんた、美術品見て、値踏みしたらいかんわー。それにしても、あの大きなお皿・・・てっさ(ふぐの薄造りのお刺身のこと)、何人前盛れるやろか?
」
「しょーむないこと、思いつくなあ・・・ははは、100人前はくだらんでえ・・・」etc.etc.・・・
このユーモアが介せなかったら、本当にくだらない話しで、美術館には相応しいとは思えない会話ですが・・・でも、おじさん達、最後にこんなふうに話しをまとめていたのでした
「せやけど、アタカはん、最後はしょうむないことになってしまいはったけど、よーさん音楽してはる人や、芸術してはる人を助けはったんやで
・・・私には、ここに並んでる壺の良さとか値打ちはわからへんけど、アタカはんが男の一生かけてやりはったことは、やっぱり意味のあることやわなあ
」
「ほんまほんま。僕らも、あとなんぼほど(あとどのくらい)生きられるかわからへんけど、死んだ時に、息子や娘が、『お父ちゃん、不細工な人やったけど、○○だけはすごかったなあ・・・
』みたいに、一つだけでも言うてもらえること、せんといかんなあ(しないといけないね)思うわ
」
「名も残さへん、大きなこともようせんけど(できないけれど)、あの人の『○○はすばらしかった!』みたいに言うてもらえるように生きないかんな
」
何だか、私はうるっとしてしまいました。
身のまわりのこと、すべては自分の生きる糧・・・私はよくそう思います
私も「好み」はありましたが、そこに展示されていた作品について、深く何かを感じられるほど、そういうものに造詣が深いわけではありません
むしろ私も、おじさん達にアタカはんと呼ばれていた安宅英一氏の生き様や、アタカ産業という企業についてのほうに興味を引かれました

あのおじさん達・・・きっと、東洋陶磁美術館で、たくさんの「何か」を感じ、帰っていかれたのでしょうね。そして、そのことは、1週間後?ひと月後?1年後?5年後?に、何らかのかたちとなって、おじさん達の生き方に反映されるのでしょう
たまたま、一つの展示スペースの入り口に、ピアニストの中村紘子さんが書かれた文章がありました。
「ある時、突然に安宅英二氏からお電話をいただき、ボリショイサーカスに行きましょう!と誘っていただきました。その日は、初日。私は道化、動物のサーカス、空中ブランコなど、次から次に展開される出し物に夢中になりながらも、いったいなぜ、今日は安宅氏からこのサーカスにお招きをいただいたのだろう、と考えていました。すると、急に安宅氏は、こう切り出されました。『動物の謝肉祭ですが・・・』私はやっとわかったのでした。私はそのすぐ後の時期に、シューマン作曲の動物の謝肉祭を演奏することになっていたのでした。しかし、私はサーカスなどは一度も見たことはなく、ひたすら想像を膨らませながら、ガンガンとピアノの練習をしていたのでした。でも、あのボリショイサーカスを見て以来、私には確かに「何か」が生まれ、良い演奏ができるようになったのでした・・・
」
このことにも、同じような意味がありますね

何か物事に相対する時、目先のことにばかり必死になっていても、結果的には頭打ちになったり、良い打開策が見つからなかったり、一段越えることができなかったり・・・しかし、発想の転換や、気持ちを入れ替えたり、価値ある息抜きをしたりすることで、飛躍的に物事がはかどったり、良い発想が生まれたりするのではないでしょうか?
我が子に、勉強ばかりを強要しても成績は伸びなかったり、練習ばかりさせても、得点やタイムが伸びなかったりすることが多々あります。
教養を磨く・・・
これは、人としての「豊かさ」を身につける、という言葉と同義語だと思います。教養や豊かさこそが、ピンポイントではないけれど、人のさまざまな面での向上、成長を促す・・・違うでしょうか?
漫才おじさん達は、東洋陶磁美術館で、「アタカはん」が集めた東洋の陶器を見ながら、あとの残りの人生を、どう生きるか?を考えました
中村紘子さんは、ボリショイサーカスを見ながら、動物の謝肉祭の演奏をより豊かに弾く感性を身につけられました
ピンポイントの学習は、とてもデジタル的で効率良い方法でしょうが・・・人には枝葉、寄り道が必要に違いない・・・
子どもを育てる時もきっと同じです
とかく現代の親は、目先の成長、促成栽培的効果を望み、ピンポイント学習に魅力を感じるようです
また、育児そのものに対しても、ここ数年は効率の良さを重視する傾向にあるように思います。
こんな子育てをしていては、「優秀」と呼ばれる子どもは育っても、無味乾燥で、「優秀」だけが取り得の、カサカサの人間が育ってしまう・・・私はそう思い、とっても憂いています



私の両親が暮らす大阪の「梅田」というところからは、目と鼻の先。けれど、帰省しても、自宅で両親の相手をするのが私の役目、と決めていた私にとっては、自由に一人で勝手に出かける、ということは、なかなか気分的にも憚られ・・・

そんなことを知ってか知らずか、せっかくこんなに近いのだから、散歩がてら行ってみよう


すでにご存知の方も多いと思いますが、この美術館に展示されてある主に中国と韓国の年代物の貴重な陶磁器は、かつては栄華を誇った今はなき「安宅産業」のコレクションです

安宅産業が伊藤忠商事に吸収され、事実上の倒産に追い込まれた時、それを管理した住友銀行(現在の三井住友銀行)が安宅コレクションを大阪市に寄贈し、この美術館がオープンしました


膨大Bな陶磁器をはじめとする芸術作品の目利きコレクターであり、安宅産業の二代目として生まれた権力者安宅英一氏は、音楽の分野でも多くの若き芸術家のパトロンとなり、事業家としては企業破綻を招いた浪費家ではあったものの、別の意味では、大きな偉業を成し遂げた人ではありました




車椅子を押して、美術館内の入ってきたご老人が、前屈みになって、車椅子に座る奥様に向かって話しました



私はこの言葉を聞き、ああ、何て大阪的なこと・・・と思わずニンマリと笑ってしまいました

この二人の会話を聞いていると、「アタカはん??このご夫妻は、あの『安宅氏』のお知り合い、なのか??」と勘違いをする人もおいでになるでしょうね

とにかく、大阪の人は、誰をも自分と妙に親しい存在、として会話に登場させます

それは、人だけではなく、「えびっさん、だいこくさん、てんじんさん」と、戎様、大黒様、菅原道真公などという神様や奉られた人をも○○さん、と呼び、親しい自分の仲間にしてしまいますからね・・・

そのほかには、食べ物を呼ぶ時にも同じようなことがあります。
その代表的なものには「飴ちゃん(あめ玉、キャンディー全般)」「お芋さん(芋類すべて)」「おかいさん(お粥)」「お鯛さん(関西での魚の王様、鯛に敬意を称して?!)」など


まあ、今どきの大阪の若者達は、すでにそんな言葉は使わず、知らないかもしれませんが・・・

それはさておき・・・
展示の部屋を、一つ一つゆっくりと見てまわっていると、どやどやと熟年の一団が入ってきました。
声が大きく(ほとんどの大阪人の声は大きい!)、どう聞いても普通の会話なのに、まるで漫才のようにボケとつっこみがありおもしろいのです。私は主人とボソボソとたまに話し、しみじみと一つ一つの展示品を見ていたのですが、自然におじさん達の会話は耳に入ってきます













このユーモアが介せなかったら、本当にくだらない話しで、美術館には相応しいとは思えない会話ですが・・・でも、おじさん達、最後にこんなふうに話しをまとめていたのでした










何だか、私はうるっとしてしまいました。
身のまわりのこと、すべては自分の生きる糧・・・私はよくそう思います

私も「好み」はありましたが、そこに展示されていた作品について、深く何かを感じられるほど、そういうものに造詣が深いわけではありません



あのおじさん達・・・きっと、東洋陶磁美術館で、たくさんの「何か」を感じ、帰っていかれたのでしょうね。そして、そのことは、1週間後?ひと月後?1年後?5年後?に、何らかのかたちとなって、おじさん達の生き方に反映されるのでしょう

たまたま、一つの展示スペースの入り口に、ピアニストの中村紘子さんが書かれた文章がありました。


このことにも、同じような意味がありますね


何か物事に相対する時、目先のことにばかり必死になっていても、結果的には頭打ちになったり、良い打開策が見つからなかったり、一段越えることができなかったり・・・しかし、発想の転換や、気持ちを入れ替えたり、価値ある息抜きをしたりすることで、飛躍的に物事がはかどったり、良い発想が生まれたりするのではないでしょうか?

我が子に、勉強ばかりを強要しても成績は伸びなかったり、練習ばかりさせても、得点やタイムが伸びなかったりすることが多々あります。
教養を磨く・・・


漫才おじさん達は、東洋陶磁美術館で、「アタカはん」が集めた東洋の陶器を見ながら、あとの残りの人生を、どう生きるか?を考えました

中村紘子さんは、ボリショイサーカスを見ながら、動物の謝肉祭の演奏をより豊かに弾く感性を身につけられました

ピンポイントの学習は、とてもデジタル的で効率良い方法でしょうが・・・人には枝葉、寄り道が必要に違いない・・・

子どもを育てる時もきっと同じです

とかく現代の親は、目先の成長、促成栽培的効果を望み、ピンポイント学習に魅力を感じるようです

また、育児そのものに対しても、ここ数年は効率の良さを重視する傾向にあるように思います。

こんな子育てをしていては、「優秀」と呼ばれる子どもは育っても、無味乾燥で、「優秀」だけが取り得の、カサカサの人間が育ってしまう・・・私はそう思い、とっても憂いています

