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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

生きるパワーを感じる?

2008年01月04日 | にこにこ
 あけましておめでとうございます 2008年、晴天に恵まれ、穏やかに明けました。
 今年は我が子の○○の年・・・、△△の年・・・、というふうに、年明けと同時に今年を「特別な年」として、緊張の思いで迎えた方もおいでになるでしょうね。
 すべての方々にとって、実り多い、素敵な年となりますよう、心よりお祈りいたします

 私は、年末の30日より、家族も一緒に大阪の実家でお正月を迎えました 31日には、一人暮らしの主人の母も加わり、賑やかな年明けとなりました。
 横浜の自宅にいる限り、私ペースで事が運び?!、私の天下なのですが・・・ここにいるとそうはいきません 結婚まで25年間の悪しき習慣がよみがえり、ひたすら働く・・・働く・・・ 三が日が終わった今日4日、ちょうど横浜に帰り時です

 今日は、大阪のオモシロ話をご披露しましょう
みなさんは5,6年前、違法な路上駐車撲滅のため、総理府が制作したCMを覚えていらっしゃるでしょうか?
 内容は、大阪の路上。違法駐車をしていた大阪のオバチャンに、警察官が「違法駐車です」とチケットを切ろうとしたとたん、オバチャンがものすごい勢いでまくしたてる・・・
 「違法駐車?みんなやってるやんか ほら、みんな停めてるやん 私だけちゃう(違う)やん なんで私だけ怒られんといかんの」みたいなセリフを話す、というもの。
 私はあのCMを見たとき、大爆笑をしたものです うんうん、わかるわかる、みんなこんなふうに言うに違いないだろうなあ・・・ 
 むかーしむかし、北野たけしさんが、ビートたけしとして漫才をしていた頃、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とネタで話し、笑いをとっていましたが、まさに大阪のオバチャン達の感覚は、「これ」ですねえ
 とは言え、大阪を離れて25年。体裁を構う?!関東婦人の感覚のほうがフィットした私は、すっかりその生活に慣れ、なかなか日頃はこういうオバチャンに触れる機会はなく、身近に体験する機会には恵まれませんでした

 ところが・・・お正月2日、おつかいで実家のそばの梅田のデパ地下に出かけた時のこと。幸いにもこの「大阪オバチャン」に遭遇しました

 60代のオバチャン。5,6歳のお孫さんを二人連れて、私の前を歩いておられました。孫二人は、お正月ということもあって、完全にふざけモード おばあちゃんが背負ったリュックから出た2本の紐を引っ張り、キャーキャー言いながらおばあちゃんの後ろを歩きます。
 まあ、さすがにかわいいわねえ、とは思えませんでしたが、お正月ということもあり、私も少しは微笑ましい光景だと見ていました
 しかし、その直後、おばあちゃんがデパ地下の入口に入ったとたん、二人の孫のふざけモードは頂点に達し・・・二人とも紐を持ったままで入口に寝っ転がり、入口を塞いでしまいました 後続の人たちが次々に入口で立往生をしました。
 
 さすがに、ちっとも孫たちを叱りもせず、爆笑しているおばあさんに閉口した私は、寝っ転がってふざけている二人の孫達の腕をトントンと叩き、言いました。
 「ねえねえ、あなたたち、そこで寝っ転がってたら、入ってくる人達の邪魔になるんよ。迷惑だから、立ち上がりましょう

 すると、おばあちゃん、すかさず・・・
 「ほら、あのおばちゃん、おこったはんで(怒っているわよ) 立ち、やてえ(立ちなさい、だって)
 と孫達に声をかけ、私のほうを向いてものすごい形相で睨みました。
あまりの非常識さに私はびっくり。少々顔をしかめたとたん・・・
 「なんやのアンタ たかが子どものすることやんか 入口でしただけやんか なんやの、何えーかっこ(いい格好を)言うてんの

 ひゃー、これこれ、これですね あの総理府のCMをライブで見た気がしました 
 おばあさんの言葉を聞いた瞬間は、あまりの非常識さに呆れましたし、子どもへの教育も躾もあったものじゃないな、と憤りも感じましたが、すぐに、おかしくなりました
 「なんやのアンタ!」は、吉本新喜劇のようですし・・・
 「たかが子どものすることやんか!」は、完全に低次元の勘違いですし・・・  「入口でしただけやんか」は、意味のない言い逃れ・・・
 本当に、総理府が作った違法駐車のCMのように、大阪のオバチャンの悪しき部分を象徴するような出来事で、「良いもの、見せてもらっちゃった!」の気分になりました。

 善悪の次元で言えば、このオバチャンは間違いなく「悪」でしょう
大人として、孫への教育は出来ていませんし、悪い点を指摘された時、悪を悪として受け入れ、それに対して反省もしていません。
 単に自分にとって心地悪い時間になったことに腹を立て、道理に反する意味のないことを捨て台詞として言っただけです
 しかし、何と言うのでしょうか、これほど善悪を超越した「ものすごいパワー」を感じることは久しぶりでしたねえ
 こういう「覇気」というのでしょうか、「生きる気」とでも言うのでしょうか・・・60代後半に見える老人から、パワーを感じる、ということは凄いなあ、と思えました

 実家に帰宅してから、この話を披露したところ、私の母は「大阪とは言え、普段はそんな人はいてないよ!」と憤慨し、大阪のオバチャン代表として、すでに大阪人でもなく、かと言って関東人でもない「中途半端の私」に本気で怒っていました
 実際、これも「大阪をけなされると、必死に抵抗する大阪人」らしい、と思えたのですが・・・

 パワフルに生きる 勢いを持ってたくましく生きる これは、本当はとても大切なことですね。
 今年も一年、プラスの気を出して、笑顔で、勢いを持って生きていきたい・・・苦笑しながら、そんなことを感じた出来事でした
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ママの言葉は大きい

2007年12月29日 | にこにこ
 12月18日にポプラ社から発売された「ポプラディア サムズ」という雑誌に、私の書いた短い文章が掲載されています 
 内容は、日曜日にごろごろと寝ているお父さんに、「そのままの、素顔のお父さんでいいのですよ」というもの。実際には、ごろ寝を奨励しているのではなく、もっと別のところにポイントはあるのですが、私の書く文章としては、ちょっと意外?と思われるものかもしれません

 最近では、「父親も積極的に子育てに参加すべき」「父親が子育てに熱心な家庭に、賢い子どもが育つ」というコンセプトの雑誌が多くなりました。
 それが良いとか悪いとか論じたいわけではなく、「これ系」の雑誌を読んでいると、ある意味では露骨に、今までは育児から遠かった父親を煽ることで、急に社会派の父親が登場し、我が子の中学受験や、勉強への姿勢に喝を入れる・・・というストーリーが見えてきます
 きっと父親は、そういう雑誌の特集記事を読み、「父」という立場よりも、企業や社会の中での自分の姿をそこに重ね、あらためて我が子に「もっともっと」とか、「うん 自分の人生はやはり間違っていないぞ」のような思いを持って、意気込んで子どもに関わることになるでしょう。
 しかし、こういう性質での父親の関わり方は、すべてが好循環を生めば万事ハッピーに展開し、素敵なドラマになりますが・・・残念ながら、往々にして、子どもの反発をかい 父親の意気込みは空回りし 悪循環を招かないとも限らない・・・

 父親の気持ちが伝わらない、愛情のつもりの叱咤激励が子どもに受け入れられない・・・これは父親が一生懸命だったり、一念発起しての行動だったりするからこそ、悲劇であり、泣き笑いの喜劇でもあります

 こんな私の思いもあり、それこそ、前回のブログにも書いた「発想の転換、視点を変える」ように、「自然体のパパこそ素敵」と語ろうと思い、この原稿をお引き受けしたのでした

 あの後、サムズを読んでくださった生徒や卒業生のお母様方から、こんな内容のメールを頂戴したので、少しご紹介させてください

 ママ 1
 銀行員だった私の父は、朝起きるともう家には居らず、帰宅は私達子どもが寝てしまったあと。そんな、絵に描いたようなモーレツ社員でした。
 休日は、社内でのコミュニケーションをとる為に部下を連れて出かけたり、接待ゴルフだったり・・・。
 一般に言う家庭サービスとは程遠く、どうしても子ども達にとっては、父親は遠い存在でした。
 そんな家族を守るために一生懸命に働いてくれている父を思い、お給料日には母子揃って父を出迎え、「お給料をうやうやしく頂く」という儀式を、母は必ず毎月やっていました。子ども心に、この儀式は、父の尊厳を感じる時間でした。そこまでではありませんが、私も上の子の時には、心掛けて儀式をやっていたのですが、最近ではお給料も振込みなのでサボっていました・・・
 もう一度、考えなくてはなりませんね

 ママ 2
「お父さん」は、やっぱり本当に大変ですよね。
私の父は夜勤もある仕事をしていた為、昼間に寝ている、という事も頻繁にありました。
小学校の1、2年生の頃でしょうか。私は父に 「お父さんはお仕事でどんな事してるの?」 と聞いた時の事をはっきり覚えています。
 父が私の質問に、一生懸命に話してくれた姿・・・それを聞いた時の私の気持ち・・・先生のあの文章を読んでいて思い出しました。
 そして、父が昼間に寝ている時、母がいつも私達に・・・
 「お父さんはね、あなた達子供の為に、みんなが寝ている夜もお仕事をしてくれているのよ。みんなが美味しいご飯を食べられるのも、学校に行けるのも、このお家に住めるのも、ぜーんぶお父さんのお陰。夜にお仕事をして、朝帰って来て疲れていらっしゃるのだから、そーっとお父さんを寝かせてあげてね。」
 と言っていた母のことも思い出しました。
 そんな母のお陰でしょう。私は、小さな頃から、自分の父親のことを、ゴロゴロパパと思った事は一度もありません。
 母の役目・・・とても大事ですね。だから私も、子供達にはいつもお父さんの事をいーっぱい話しています。
最近では、疲れて昼寝しているお父さんを気遣って、まだまだ小さな我が家の子ども達が「しーっ!静かに」なんて言うようにもなりました。 小さな子たちのやりとりは本当に可愛いです

 私はこのお二人からのそれぞれのメールを読み、すばらしいご家庭に育たれたのだなあ・・・と胸が熱くなりました
 とかく、今のお母様方は、幼い子どもを相手に、「パパの悪口」をおっしゃいます。
 それを聞いてママを批判したり、違った自分の意見を蕩々と述べる年齢になっていない子ども達は、ママ族にとっては、恰好の「愚痴相手」なんですねえ・・・それも十分に理解できます

  でもね、お父さんが出勤をなさる時、いってらっしゃい!と頭を下げるよりも先に・・・
 「パパ、今日は○曜日だから、ゴミ、出しといてね!あっ、無精しないで、ちゃんとネットの中にね。カラスが来るんだから・・・」
 と言い、パパは両手にゴミ袋という姿で玄関を出ます。子どもは、どんなことを思って、パパを見送るのでしょう?それとも、子どもは玄関まで、パパを見送らない?

  「今夜は早いから、うちでご飯を食べられるよ!」と言って出たパパ。ママはいつもは先に済ませる夕食を、子どもも待たせ、少しうれしい気分で食卓を整えます。そこにパパからのメール。「やっぱり帰れない。付き合いがある。遅くなる」ママはがっかり・・・でも、がっかり気分はほんの10秒程度で、あとは我が子相手に、機関銃のようにパパの悪口。「ねえ、パパったら、いつもそうなんだから。ねえ、あなたもそう思うでしょう?今日はみんなで夕食しようっていったのに、この間も残業だとか言って、結局は食べられなかったじゃないね。パパは、ほんと、ウソつきなんだから。さ、もう食べましょ!パパの好きなもの作ったげたのに、バカみたい!」
 こんな言葉をシャワーのように浴びた子どもは、当然思います・・・ママ、一生懸命にご飯を作ったのに、パパはお約束を守らない、ウソつきだから・・・ママがかわいそう・・・
でも、そうでしょうか?

  日曜日、掃除機をかけるママ。
「もう、パパ、邪魔だってばー。そこに寝っころがらないでよー。掃除機かけられないじゃーん!」そう言って、掃除機の先でパパの背中をゴンゴン。これを見ている子どもは、どんなことを思うでしょうね

 パパがゴミ捨てをすることも、お料理をすることも、お掃除をすることも、とっても素敵なことだと思います
 会社の中でしか力を発揮できず、家事は何もできない、というパパよりも、すごく素敵だと思います
 でも、やっぱり、ママの言葉、ママの態度はとっても大切だと思うのです
 幼い子どもにとって、母親の存在は大きいもの。そのお母様の言葉や態度は、そのままで「肯定され」て、子どもの中に「正しいもの」として植え付けられるのですからね。

 私がいつも考えていること。「言葉足らずは、心足らず」です
すべてのことを見る目、感じる目、それはすべて「心」に通じています

 子どもにとって、一番身近で、一番大きな存在であるお母様。そのママの心の豊かさが、そのままで子どもの豊かさとして反映していくのですね

 どうぞ、今年一年のさまざまなことを振り返り、母として、妻として、人として、あなたの1年がどんな毎日であったかを、じっくりと考える時間も持ってくださいね
 そして、来るべき2008年も、みなさまにとって、ご家族にとって、実り多い、素敵な年となりますように、心よりお祈りしております

 今年のブログは、きっと今日は最後でしょう。
今年も読んでくださり、本当にありがとうございました。来年も、みなさんの「考えるチャンス」となる何かを提供できるよう、一生懸命に書いていきたいと思います
 
 どうぞ、みなさま、良いお年をお迎えください


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発想の転換

2007年12月24日 | にこにこ
 先日、クリスマスイルミネーションに彩られた有楽町界隈、丸の内のブランドストリート、皇居3分の1周・・・を、女性ばかり25名ほどで走ってきました
 スタートは、10月にオープンしたばかりの「有楽店イトシア」。
ここは、プランタン銀座、マロニエストリートに続いて、「変貌する銀座」の最後の切り札として登場した商業施設です。ここのメインになっているのがデパートのマルイ
 今回のランニングは、そのマルイのスポーツ関連部門「フィールド」が企画した、女性のための「ライトランニング」で、トライアスロンのコーチが、正しい走り方、有酸素運動(LSD(long, slow, distance ゆっくりと長い距離を走る)の大切さについて簡単な講義をし、そのあとでランニング、そして、走り終わったあとは、いつも長蛇の列でなかなか手に入らない幻の?!クリスピークリームのドーナツを懇親会で食べるというオマケつきの企画でした。

 フィールドのスタッフジャンパーの方7,8名と、防寒を考えたランニングウエア姿の女性がわらわら・・・有楽町駅前をスタートすると、みるみるうちに好奇の目 ビックカメラ本店前を通り過ぎ、丸の内界隈に入り、ちょっと道が広くなったあたりで10分弱のストレッチ もうこの時点では、ランナー達は見られることに慣れっこになって、すこぶる真面目にストレッチと準備運動。体はポカポカと温かくなってきました

 さあ、いよいよランニング開始。
通行人の邪魔にならないように、3グループに分かれて、時間差でスタート。ここ5,6年ですっかりブランドストリートに変貌した丸の内のビジネスビルの1階店舗。1キロ8分程度(時速7.5キロ)というゆっくりのLSDスピードでは、店内の様子もうかがえます
 ハアハア、ゼーゼーするようなスピードでは、有酸素運動にはなりませんよ、というコーチの教えを守り、おとなりを走る人に「わあー、このお店、きれいですねえ」とか、「ほら、あっちのお店、おしゃれー」などと、十分にお話しができます。
 今年オープンした新丸ビルの横を走り、ライトアップされた東京駅を遠望し、さらに華やかな通りを走ります
 この頃になると、体も温まり、走ることに足も慣れてきて、気分はハイになっていきました。走り始めて20数分・・・
 スポーツクラブのランニングマシーンの上や、ご近所の住宅街を走っているのでは、この「華やかな気分」は味わえません
クリスマス前の、町全体がウキウキした気分に浮かれ、イルミネーションでキラキラしている時期だからこそ、味わえる高揚感かもしれませんね ランニングに特有の、「走り出したとたんに、止めたくなる気分」はやってきませんでした。

 走る、という行為は同じであり、体への負担という意味での運動量は同じなのに、それに取り組む気分、シチュエーションが違うと、こうも楽に、楽しく走ることができるのですねえ・・・

 時間にして、45分くらいだったでしょうか。
ナイトランニングは、武道館で折り返し、九段下あたりで無事に終了しました。シャワーをして、着替えを終えたその日のメンバー達は、興奮冷めやらず、いつまでも「楽しかった」「素敵だった」と話が盛り上がり、名残惜しい思いで別れました。

 先日、「視点を変える」という内容のブログを書きました。
今回は、その第2段。「視点を変える」に加えて、「発想の転換」とでも言うのでしょうか

 子育ては、時間の拘束の長い、すぐに効果の現れない、長い長い挑戦・・・ですね
 相手は生き物ですから、反応も千差万別。決して、育児書に書いた通りの効果や、先生からのアドバイス通りにいく、とは限りません そのたびに、親はショックを受け、傷つき、「ああ、こんなはずではない・・・」と嘆くのです。

 けれどね、それこそ、相手が「生き物」である限り、それが当然のこと。親としてはベストの対応をしたとしても、相手である子どもに意志と個性がある限り、反応は「概ね」育児書通りであったとしても、効果のほどは同列、同質、にならないのが当たり前。
 子どもを育てている間は、常に、「視点を変えること」と「発想の転換」が親に要求されているのです。この二つを上手にやっていかない限り、自分で自分の首を絞めることになりますよ

 さっき、私はランニングに関して、こう書きました。
 『走る、という行為は同じであり、体への負担という意味での運動量は同じなのに、それに取り組む気分、シチュエーションが違うと、こうも楽に、楽しく走ることができるのですねえ・・・』
 この部分・・・ふかーく捉えてくださったでしょうか?
これは、決してランニングだけに言えることではありません。案外、どんなことにも置き換えられるのでは?と思うのですよ

 たとえば子育て・・・
『子どもに接する、という行為は同じであり、体への負担という意味での運動量、割く時間は同じなのに、それに取り組む時の親の気分、シチュエーション(作り)が違うと、こうも楽に、楽しく子どもに接することができるのですねえ・・・』
 そうです、発想の転換です

 こんなことも言えますよ。
昔、私の息子が中学受験のための塾通いをしているときのことです。あれは、確か4年生のカリキュラムが始まったばかりの、小学3年生の3月頃、だったでしょうか
 私はまだまだその状況に慣れず(たぶん、息子はすでに自分のライフスタイルの中に上手に組み込んでいた、と思えました)、学校から帰ってきて休憩する間もなく、小学校の制服を着たままで、テストを受けるために塾の入り口に消えていく息子の後ろ姿を見送りました。私は、とても可哀想に思えたのでした
 行ってきますと嫌がりもせず、口におやつをほおばったままで、さっさと入り口に向かう息子・・・
 「これからテストに行くんでしょ なんで、そんなにさっさと行けるの?どうして行ってきます!なんて元気に言っていけるの・・・」私は、自分で送っていっておきながら、ウジウジと考えました
 でもね、ある時から、全然別の発想をしたのです。

 私が「可哀想だ・・・」と思っている限り、彼は可哀想なヒーローでしかあり得ない。
 でも、どうせ家でいたって、なんだかんだとしているうちに時間ばかりが過ぎ、大したこともしていないのに、一日が終わっていく・・・
 それならば、少なくとも彼は、同年代の子ども達と、同じ方向を向いて歩んでいこうしている仲間達と切磋琢磨し、教えることがプロのとっても素敵な先生方の指導のもと、彼の若くて柔らかい脳みそは、音をたてて働き、一瞬一瞬、脳のシワシワが増えていくんだ

 そう思うと、私は「いってらっしゃい がんばって!きゃー、あなたは、また帰って来るときには、今よりもっともっと賢くなっちゃってるんだあ」と心底思えて、満面の笑顔で送り出せました。
 息子だって、くらーい、陰気くさーい母親の顔を見て塾に行くよりも、笑顔で送り出されるほうが、どんなにか幸せな気分か

 話を元にもどして、子育てでも同じです。
子どもの相手をするのは大変 子どもはちっとも言うことを聞かない 頑張っているのに、ちっとも成果が感じられない
 そんなネガティブな思い、マイナスの「気」で子どもに接していると、子どもだってうれしくはありません。

  子どもを相手にするのは大変・・・そうそう、あなただって、昔は「大変」と思われる側の存在だったんですよ 

  子どもはちっとも言うことを聞かない・・・聞かせようとしているあなたのほうに、何か焦りがあるのではありませんか?そのことは、まさに今、聞かせないと身に危険のあることですか?誰かに多大な迷惑をかけること、でしょうか?もし、そうでなければ、「言うことを聞かせたい!」と思っているあなたの、ある意味、自我、ではありませんか?
  頑張っているのに、ちっとも成果が感じられない・・・あなたが望んでいるような、劇的な変化として現れる成果はないかもしれないけれど、本当に成果は「0」でしょうか?ピュアな感覚、子どもを受け入れてやろうという、柔らかい心で我が子を見てあげれば、きっと、小さな成果はあるのではありませんか?頑張っているから成果として実ってほしいのではなく、本当は、がんばっているあなたに、誰かから労いの言葉が欲しいのではありませんか?

 子育て真っ最中のみなさんが、ナイトランニングに参加できる、とは思えません
 先生は、そんなに楽しい、有意義な時間が持てるから、そんな「発想の転換」なんて、カッコイイことが言えるんです。私達には、そんなことは出来ないもの・・・
 そんな文句の声が聞こえてきそうですね。確かに、みなさんは、「今は」私と同じことは出来ないでしょう。それはよくよくわかりますよ だって、私だって、15年前、10年前は、みなさんと同じ立場、にいたのですからね。
 それこそ、この時期、クリスマスプレゼントを買うために、私は上の子の手を引き、下の子をおんぶして、ママコートを着て電車に乗り(当時、ベビーカーには市民権はなく、ベビーカーに乗せたままで電車に乗り込む、という行為は想像もできませんでした。ですから、小さな子どもを連れて電車に乗るためには、抱っこをするか、おんぶをするか、しか選択肢はなかったのです。私がおんぶを好んでしたのは、両手が空き、前が見えやすいおんぶのほうが、幼い二人のわが子の世話をするには好都合だったからです)、横浜のデパートを歩きました
 想像できますか?格好悪いことがきらいな私が、です。おんぶにママコート、ですよ。でも、当時は、私は子どものためには、それが定番でした

 発想の転換は、あくまで「気分の問題」です。
何か、別の奇異なことをすることが、発想の転換、ではありません

 どうぞ、一度だまされたと思って・・・
「視点を変えて物事を見る」「発想の転換をする」をしてみてください。きっと、迷路の中にいるあなたに、暗い谷間にいるあなたに、たとえそれが細くても、光明が見えてくるはずです
 母親という生き物は、案外、「悲劇のヒロイン」でいることが好きなものです。「私って、かわいそう・・・」と思っていることで、自分を癒していることがあるのですね
 でも、ずっとそうしていては、母親も、子どもも、進歩はありません。

 前進 前進 前へーーーー、進め


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視点を変える

2007年12月12日 | にこにこ
 私の月一帰省・・・どんなに慌ただしい時も、忙しい時も、絶対にスキップせず実行します
 すでにブログの中で何度も書いていますが、私の父はパーキンソン病を患い、すでに40年近くになります。幸い、進行がゆっくりで、今も寝たきりの状態にはなっていません。神経系の命令の伝達が上手くいかない、という病気。歩こう、とか、手を動かそう、という意志があっても、気持ちとは裏腹に筋肉は意志の通りに動こうとはしない・・・にも関わらず、まったく意志とは関係なく、手や足が痙攣したりしてしまう・・・
 この病気は、プロボクサーのモハメッド・アリや、バックトゥーザフューチャーというハリウッド映画で主役を演じたマイケル・J・フォックスが患っていることで、比較的社会の認識を得ている原因不明の難病です。

 現在、私の父はほとんどが車椅子での生活です。残念なことに、言語障害も出てきているために、自分の意志がスムーズに伝達できません。
 そんな状況の中、昭和の典型的な頑固オヤジで、万事自分の思いとおりにならないと怒鳴り散らし、母と娘の私は小さくなって暮らしていた・・・という生活でしたから、自分の思い通りにならないことばかりの生活を余儀なくされた父は、それでも他人の手伝いは気に入らず、好むと好まざるとに関わらず、結果的に、自分の狭い世界の中で生きていくことになっています

 原因不明の難病は、この世に本当にたくさんあります。
原因がわからないために、治療の方法も決定的なものではなく、進行を止めることができなかったり、原因がわかっても、完治のための治療方法がなく、命の危険性と隣り合わせ・・・という患者さん達も少なくありません
 
 私が頻繁に、ブログの中で父の病気に触れるのは、どんなにマスコミで多く取り上げられても、なかなか身近に感じることのないさまざまな病気を、「知っている人のお父様の病気」として詳しく症状やその生活について読むことで、ほんの一時でも、「感じ、考える時間」にしていただき、本当の意味で難病について「知って」もらいたいな、という思いからです

 昔、マザーテレサが、愛情の対極にあるのは、無関心だ、と話されましたが、直接、何も「そのマイナス」に関わることはできなくても、知らない、というのと、知っている、というのとでは大きな違いがあるな、と考えています

 私と両親のケースでは、問題はむしろ介護をする側である母のこと、です。
父には申し訳ありませんが、医療面での治療、生活環境等では、たぶん、多くの患者さんの中でも、恵まれている環境(難病の患者から言えば、恵まれているも恵まれていないもないのかもしれませんが)にいるでしょう。
 もちろん、私達の考えるもっともっと父にとって居心地が良いであろう、と思えるさまざまな介護方法がありますが、患者である父がそれを拒否すれば、きっとそれは父にとっては苦痛以外の何ものでもありません ですから、現在の父の状況は、ある意味、ベストの環境での生活です

 それを思うと・・・私の帰省の一番の目的は、じつは母への親孝行、かもしれません
 母も70代半ばを過ぎ、何度も同じ話を繰り返す、とか、私が話したことを中途半端にしか聞いていない、というような老化がありますが、介護で気を遣い、睡眠時間も短い過酷な生活のもと、あのスレンダーな体のどこにエネルギーが宿っているのか?と不思議でなりません
 帰省中は、そんな母の話し相手になり、普段は週に2度、父をヘルパーに託し、駆け足で済ませるお買い物などを、一緒に「楽しく」すること、でしょうか
 私の独身時代は、母はバリバリの仕事人で、なかなか「娘とお買いもの」とか「娘とお出かけ」という時間がとれませんでした。
こんな状況になって、母とのしばしの憩いの時間を持っているのは、少々皮肉なことではありますが、すべて私たち家族に与えられた人生・・・と甘受し、今の状況の中で、一番「有意義な時間」を送れることを考えるようにしています

 さてさて、すっかり前置きが長くなってしまいました。
今回のテーマ「視点を変える」です。
 じつは、私は帰省の時、いつも飛行機を使います そして、地図が好き、富士山が好き、という妙な私は、空の上から鳥になった気分で、窓にかじりついて眼下を眺めます
 最近は、Google Earth というようなソフトがあり、世界のどんなところも、空から詳しく眺めることができるようになり、鳥の気分だけではなく、人工衛星に乗って地球の軌道上にいる宇宙飛行士の気分も味わえるようになりましたが、さすがにパソコンのモニターの画面上ではなく、自分の目で、眼下に広がる景色を眺めるのは、ひと味もふた味も違います

 特に、これからの冬の晴れた日は、羽田-伊丹便に乗って右側の席に陣取ると、離陸してすぐに眼下に関東平野が広がり、ベイブリッジや横浜のみなとみらい地区がよく見えます。そのあとは、ずっと鎌倉、江ノ島、湘南の海岸線、えぼし岩などもはっきりと見え、そして、すぐそこに富士山山頂が迫ってきます。その向こうに続くアルプスの峰々・・・
 新幹線では、こうはいきません。
 ということで、私は常に「右側の窓側」を予約時にすでに座席指定します

 しかし、今回は、チェックインした時点でふっとチケットに目を落とすと、「A」の文字。あれれ???
 「A」は、左側の窓側の席、ということです。
ありゃあ・・・がっかり、です 私は、どうもインターネット上で、間違って座席予約をしてしまったようでした。
 羽田-伊丹の便は、常にビジネス客で満席です。特に朝夕の便では、空席あり、という表示を見たことがありません
 私は、着陸後、すぐに飛び出してリムジンバスやモノレールに乗りたい、という思いもあって、常に前方座席を予約していますので、もしかしたら、後方の座席では右側の席に替えていただけるかもしれません。でも・・・
 私は仕方なく、「A」の席に座ることにしました。お天気は快晴 間違いなく、真っ白に雪をいただいた富士山山頂が見える日です。ああ・・・失敗、失敗・・・

 飛行機は、ほぼ定刻に離陸しました。
眼下に広がるのは房総半島。木更津や君津が見え、すぐに東京湾の向こうには三浦半島が見えました 
 横須賀、城ヶ島もくっきり。私が、今までには一度も見たことのない風景です。
しばらくすると、伊豆半島。狩野川の流れが見え、天城の山々、山に囲まれた西伊豆の町が見えます。この日はお天気が良く、下田のほうまで見えました・・・
 少し、海だけが見えていたかと思うと、今度は、渥美半島です。
海岸線は、まるで九十九里のように長々と続き、先は太平洋の大海原です。伊良湖岬の向こうには、伊勢湾をはさんで鳥羽あたりが見えます。
 もしかしたら、三島由紀夫の潮騒の舞台、神島も眼下に見えているのかもしれません。すべて、初めて見るものばかり・・・

 私はつくづく思ったものです。
「絶対に右側がいい」そう思い続けていた時には、私は、伊豆の山々も、渥美半島も、伊勢志摩も見てはいませんでした。
 けれど、それは同じ飛行機から見える景色なんですね

 視点を変える、とは、同じものを見るときに、違う方向から見る、という意味です。同じものを見るにしても、見る方向を変えてみれば、違っても見えるし、同じ方向から見ていたのでは、見えないものがある、ということにもしっかりと気づきなさいね、ということです
 言葉としては、十分に理解はしていますし、「視点を変えて・・・」などと、機会があると、アドバイスとしてよく語る言葉、でしょう。
 しかし、実際に「比喩」としてではなく、「視点を変えて」みると、こうも違うものが見え、こんなにも感激し、新鮮な気持ちになれるのです。私は今回、「左側」に座ることで、イヤというほど、この事を実感しました

 大切なことを決断する時、真剣に考える時、人は真面目に考えれば考えるほど、出口のない迷路の中を、ぐるぐると回ることがあります。考えることを止めることもできず、疲れ果てて、ボロボロになる・・・打開策が見えてこない・・・誰にでもあることでしょう
 でも、「視点を変えてみる」ことは、時には本当に世界観が違ってくるほど、新しい何かを啓示してくれることがある・・・そう思いました

 今度、大阪に行く便に乗るときには、是非、「左側の席」を指定し、地図をチェックした上で、乗ってみたいと思います
 ただただ、雨女の私は、快晴のフライトを祈るばかりです

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小さな幸せ

2007年10月23日 | にこにこ
 我が家では、新聞を3紙とっています。
一紙は主人を中心とする家庭としての新聞、一紙は家族全員のためにとジャパンタイムス、もう一紙は長男のお気に入りのS紙です
 これは、息子の浪人中からずっと続いていることで、最近では、3紙の第1面の記事が違ったり、同じトピックスでも、全く違う報道の仕方をしていることが確認できたり・・・と、マスコミとは言えども、個性の違いを実感できて、なかなかおもしろいものです

 1週間ほど前、S紙の1面に、大きく「涸沢カール」の紅葉の写真が載っていました。涸沢カールとは、北アルプスの穂高連峰の中にある、すり鉢状の場所の名前です。きっとどんな人も、一度は写真や何かで見たことのあるところでしょう
 何とも美しく紅葉したダケカンバやナナカマド・・・穂高連峰をバックに、燃え立つようなすばらしい景観です そろそろ穂高山頂には雪が降り、麓の山小屋も営業を終わるころ・・・

 私は小学生の頃に、夏の涸沢には2回、春の涸沢には1回、両親ととも北穂高にいくベースの地として訪れたことがありましたが、それ以降、登山を止めてしまった私には、そこは「写真で見る」だけの地になっていました   
 しかし、一昨年、夫と一緒に、また夏山を再開した私は、昨年、夫が槍ヶ岳に行っている間、一人で30数年ぶりに涸沢カールまで登りました
 むかしは、身が軽かったせいか、スイスイと涸沢まで登ったという記憶しかなく・・・ 楽に涸沢まで行ける気がしていた私は、途中で青息吐息
 涸沢は断念して、「優雅な中年登山」の定宿にしている徳沢園に引き返してしまおう、とは思いませんでしたが、年齢よりも体力よりも、自分の体の重さを実感した登山でした
 今年の夏は、夫と二人、念願の「涸沢にテントを張る!」を計画をしていましたが、例の沖縄での自転車事故があり、残念ながら、その夫の夢はおあずけとなりました
 小学校入試の時期である秋に、私が「優雅に秋を楽しむ」ということは、立場上願ってはいけないこと、ではあるのですが、いつかは、紅葉の涸沢に立ってみたい・・・そう考えています

 さてさて。
その日は、私は朝から、新聞の1面で「すばらしい秋」を感じ、とても豊かな気分で家を出ました
 吹く風がとても心地よく、紅葉にはまだまだ早い都会ではありますが、やはり「秋」を自然の中に見つけたく、いつもとは違う、見晴らしの良いほうの道を歩きました 駅までのんびりと歩いて10分。最寄りの私鉄の駅は、小高い丘に囲まれた盆地にあります。

 その日、私は思い切って、新しいハンドバッグを下ろすことにしたのでした
 美しい紅葉の涸沢の写真は、この時期、眠りの浅かった私の心に急速にひろがり、気持ちをとても和ませ、ふわふわ気分にさせてくれたのですねえ・・・
 下ろしたバッグは、外出先で思いがけずに出会った理想のバッグでした
 黒地のゴブラン織り。大きめのスクエアーのバッグには、大きめのブーケの織り柄があり、ところどころにはビーズやスパンコールがあしらわれてあります。
 私は歩きながら、下ろしたてのバッグにチラチラと目を落とし、幸せな気分になっていました
 ちょうど私が眼下の駅や、向こう側の丘、反対側の丘の稜線が見える、見晴らしの良いところまで来たとき、前方から坂を登ってこられた老夫婦を見つけました。 お二人は、ゆっくりゆっくり坂を上りながら、小声でお話をなさっているようでした。そのお二人まで、私は愛しく感じたものです

 すれ違う時、私は思わず目礼をすると・・・思いがけず、奥様のほうからお声をかけていただきました。
 「奥さん、素敵なバッグねえ 坂の下からね、ずっとお日様の光りでビーズがキラキラと光っていてね、きれいでしたよ。本当に素敵。とてもお似合いですよ
 「まあ、ありがとうございます!そう言っていただけて、とてもうれしいです。今日、下ろしたばかりで、私も気になって見ながら歩いていたんです。お恥ずかしいです」と答えました。
 「ほんと、お似合いよ。お気を付けてね、いってらっしゃい
 「行ってまいります

 人の心は、絶対にささくれていたらいけませんね・・・
気持ちが優しい思いで満たされている時には、心は豊かで、すべてのことが「素敵」に感じられるものです きっとそんな時には、人は穏やかな表情で時間を過ごしているのでしょう

 涸沢の紅葉が見たい・・・確かに、その場で美しい木々の紅を愛でて、冷たいアルプスの空気を感じたい・・・けれど、出来ないことを残念に思い、それをマイナスに感じたところで、なーんにも幸せにはなれません
 それよりも、たとえそれが紙面であれ、思いがけずに望みのものを見て、そして空気を想像し、感じられることで、私はとっても幸せになりました
 そんな小さな幸せを大事にしたからこそ、次々と幸せがやってきたのだな、と思いました

 幸せは、たとえ小さくても、それはやっぱり「幸せ」ですよね。
不幸ばかりを見つけ、憂いていては、きっと小さな幸せさえも感じられない人になってしまう・・・そんな気がしました

コメント (2)
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