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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

親のポリシー

2008年09月25日 | にこにこ
 昨日、久しぶりに娘と話す時間がありました。とは言っても、電車の中で3駅ほどの間だったのですが

 娘は、大学入学当初から、外資系のコーヒーショップ?でアルバイトをしています 昔は、コーヒー好きの私を見て「ママ、こんな真っ黒な飲み物、何がおいしいの?」と言っていたものですが、今では時々、日頃の親不孝の罪滅ぼしか、私好みのコーヒー豆を買って帰ってきたりしてくれて、「いや・・・これはおいしいよー」などと、わかった口をきくようになっています
 
 その娘・・・おもしろいことを言うのです。
  「あのね、毎日、うちの店に来てくださるお客様なんだけど、時々、午後の時間には、子どもを連れてくるのね 幼稚園くらいかなあ・・・
 その子がね、いつも○○○○(普通の大人向けの飲み物、スイーツ系メニュー)を飲むのよ。最近は、自分で注文してね すごくかわいい子なんだよ 
 でもね・・・何て言うのかなあ、私、上手く言えないけど、どうもそれって違うって気がするのよねえ・・・
 うちのお店には、12歳以下の子ども向けのメニューが用意されていて、価格も抑えられてるし、年齢を考慮したメニューなわけ。だから、私達は必ず、子ども連れのお客様には、こういうものがありますってお勧めするのね
 私ね、小さい頃、ママには絶対、子どもだからダメよってきつく言われていたメニュー、あったじゃない?
 コーヒーも、お紅茶もダメだったし。「あなたはまだ子どもだからダメです!」って、いつもビシって言われたら、そうなんだね、仕方ないね、子どもだもん、って思っていたわけ
 電車だって、座ったことなかったでしょう?よほど空いた電車でないと、私は座ったとしても、いつもママのお膝の上だったこと、よく覚えているの。
 だから、私の中では、子どもが大人と同じものを飲む、とか、平気で一人分のスペース使って親と座る、とか、ものすごく違和感があるのよねえ・・・
 だから私ね、中学の頃だったかなあ・・・ちーちゃんとレク(彼女が熱心だったキャンプリーダー養成のボランティア活動)で先輩達と一緒に○○○○を注文して初めて自分でお金を払って食べた時、二人で感動したんだよ いやー・・・世の中に、こんなおいしいものがあるんだーって。
 でも、不思議にママ達はこんなものをいつも食べられて狡いなあ、って思ったんじゃなくて、何て言うのかなあ・・・大きくなって、こんなものを食べて・・・がんばらないといけないんだなあって言うか・・・
 まあ、とにかく、子どもは子ども、これは、子どもが食べてはいけないもの、って、あらためて感じたっていうか・・・
 きっと、またあの子、うちの店に来て、○○○○を注文するんだろうなあ・・・何か、違うんだよなあ・・・
 あの子は、大きくなったら、何に感動するんだろうね・・・はっはっは 私には関係ないか

 じつは、私は娘のこの話しには、かなり驚いたのでした。
このブログにも、結構、頻繁に登場する娘ですが、そのたびに彼女は「ドライな現実派・冷静なリアリスト」として登場しているはずです
 その娘が、こういうことを語るなんて・・・

 私は、彼女と別れてから、かなり感激していました 
 3つ子の魂、百まで・・・

 私が、母親として、毅然と示した態度の数々は、何と20歳になった娘の体と心に染みつき、彼女の一部となっている・・・母親冥利に尽きる事実です
 
 私が示した持論は、決して教育的見地から語られたり、示されたりしたものばかりではありません 単なる私の好み、だったものもあったのです。 コーヒーやお紅茶を飲ませなかったのも、実際には「カフェインの子どもの身体への影響」を考慮したものでも何でもなく、私が幼い頃には飲ませてもらえなかったという経験と、大学生時代にアメリカかぶれをしていて、ホームステイ先の家庭では、絶対に子どもにカフェイン入りの飲み物を飲ませないと決めていた・・・という真似っこの部分もありました

 けれど・・・昨日の娘との会話で、あらためて実感したこと。
それはやはり、子どもが幼い頃の、親の、特に「母親の影響の大きさ」です。

 親が揺れると、子どもも揺れ・・・ 親にポリシーがないと、子どもにもポリシーがない・・・

 私とはかなり違う個性を持った娘ではありますが・・・私が母親として実践し、仕事の立場でも提唱し続けている持論は、ある意味、我が娘によって証明されたかな?そんな気がして、ほのぼのとした私です


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クロールから学んだこと

2008年09月07日 | にこにこ
 先週の金曜日は、夜8時から、トライアスロンチームのスイム練習に参加しました 日中、多忙を極めるメンバー達(40歳以上の企業家が中心のチームです)練習は、スイム、ランともに夜が中心。今回は参加者が少なく、コーチ二人にメンバー二人という、習う側としてはとても贅沢な練習でした

 宮古島合宿に向けて、徐々に練習をしていたクロールですが、とにかく、全くクロールのできなかった私にとっては、「まずは息継ぎ」。
 決して大袈裟ではなく、クロールの練習を始めて、私は生まれて初めて、「息が自由にできる」ということのありがたさを実感しました だって、ランニングをしていて、苦しくなってきたとしても、やっぱり呼吸に制限があるわけではないでしょう?
 ところが クロールをしていると、上手に「息継ぎ」ができないと、本当に呼吸困難になって、「死にそうー」と思うのですもの。
 宮古島に行く直前でも、結局、息継ぎをしながらも50メーターはクリアできず。やっと息継ぎらしきことができるようになっても、まだまだ顔をあげた時には、「よーし、この瞬間に、プール中の酸素を吸い込むぞ」という気分で必死に呼吸をしていましたから

 25メーター泳いだだけでも、ハーハーゼーゼーと、完全に無酸素運動状態。ですから、手や足の動きは2の次、3の次。
 ただ、コーチに何度も言われたイメージトレーニングである「すーっと気持ちよく前に伸びていく手・・・身体全体がまっすぐに伸びて、ぐーっと進んでいくんです。イメージできるでしょう?」というのだけは理解できていたので、何とか手だけは「すーっと伸びて」いました 
 でーもー、足のほうは意識外。バラバラ・・・バシャバシャ・・・。とにかく、息継ぎをした後の安心感、そして、身体が沈まないようにという無意識の思いからか、手をかいた後、不規則にヒラヒラっとキックをする・・・という状態でした

 そんな状態で宮古島に行ったわけですが・・・あーら不思議。
トライアスロンのスイム用のウェットスーツを着ると、まるでライフジャケットのように身体が浮くんです。それに、海水の浮力もあって、宮古島では、妙に楽に息継ぎもできて、「私、泳げるジャーン」みたいな気分にさせてくれました

 しかーし
それは錯覚とまではいかなくても、間違いなくウェットスーツと塩水の浮力の力を借りて泳げていたわけですから、本当に「泳げる」ようにならなければなりません ということで、一昨日の練習では、徹底的に「キック」の練習をしすることになりました。

 ここでちょっとトライアスロンのお話しをしましょう
あまり日本では馴染みのなトライアスロンですが、今回の北京オリンピックでは、女子の井出樹里選手は、5位に入賞を果たしました ご存知でしたか?37歳というヴェテランの庭田選手も、13位と大健闘。残念ながら、男子はふるいませんでしたが・・・
 そのトライアスロン。まず最初にスイム、です。続いて自転車。最後にラン・・・ときます。
 ちなみに、それぞれの距離は、いろいろあるんですよ 例えば、オリンピックディスタンスとい距離は・・・
  スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ。1500メーター泳いで、その後、自転車を40キロこいで、最後に10キロ走る・・・ということですね。
 比較的、日本で有名な宮古島のトライアスロンは・・・
  スイム3キロ、バイク155キロ、ラン42,195キロ(フルマラソンの距離です)。これは、ストロングマンレースと呼ばれています。
 また、アイアンマンレースと呼ばれるものは・・・
  スイム3,8キロ、バイク180キロ、ラン42,195キロ。これを、17時間以内で完走した人には、「アイアンマン(鉄人)」の称号が与えられます
 みなさんにとって、トライアスロンの話し、中でもその距離なんて、生きていく上で何の意味もないことですが、まあ、話しの種に・・・とお話しさせていただきました

 これも余談ですが・・・もし、私が今20歳代だったら?きっと、始めた限りは無謀にも、アイアンマンレースを目指したいと思ったことでしょうが、残念ながら、年齢はその倍 
 私が目指す石垣島トライアスロンは、オリンピックディスタンスの、スイム1,5キロ、バイク40キロ、ラン10キロです

 さて、トライアスロンでは、泳いだあとに、自転車、マラソン・・・と、足を使う競技が続くため、最初の水泳では、なるべく「足に負担の少ない泳ぎ方」をすることを心がけます。
 そこで、私はコーチから「2ビートの泳ぎ」を教わることになりました。
これは、水泳でも、長距離を泳ぐ選手が用いる泳法で、手で一かきすると同時に、足も1回キックします。
 つまり、歩いているのと同じ、ですね。右足を一歩前に出すと同時に、左手が前に出ます。次に、左足を一歩前に出すと、今度は右手が出る・・・歩いていると、足が一歩出る間に、手が二回前に出たりはしませんよね
 2ビートのクロール。それは、右手が前に出たら左足が1キック。右手がかき終わって左手が前に出たら、右足が1キック・・・という泳法です。
 ですから、私が昔からイメージしている、足を「バタバタバタバタ・・・・」とバタ足をして、手をかいて進むクロールとは、全く違うもの、でした
 コーチがお手本に泳いでくださるのを見ていると、足のバタバタがないので、妙に優雅なわけです。ところが、これは足を疲れさせないための知恵であり、「進まなければいけない」のは同じですから、1かき、1キックに込める渾身の力はかなりのもの・・・

 こうして、「歩くのと同じです」などと書いてしまうと、ふんふん、確かに歩くのはそうだね・・・と簡単なんですが。
 できないんです
ほんと、不思議なほどに、できないんですよ
 自分の頭の中では、「歩く時と一緒じゃない」と思い、コーチに言われるように、手をかくたびに、「キック、キック、キック」と声をかけて足を動かそうとするのですが・・・無意識のうちに、気がついたら、勝手に足がバタバタっとキックをしていたりしてね・・・
 1かきに1キックを身体で会得するために、足を交互にバタバタするのではなく、両足でバタフライの時のように、両足同時に動かすドルフィンキックのようなキックをして、手だけはクロールをする、というような練習を何度もしました。そして、「わかったぞ!」と思うのに、さて、実際にやってみると・・・できない・・・
 
 自分でも、頭と身体がバラバラの動きをしてしまうのがおかしく、コーチと一緒に大爆笑をしました。あまりに出来なくて、「笑うしかない」「思わず笑ってしまう」のでした
 そう、自分で言うのも何ですが・・・努力家の私ですから、決して不真面目に練習をしているのではないのですよ。まさに、必死に、一生懸命、がんばっている!頭でイメージして、何度もコーチと一緒に、基礎的な動きをワンステップ、ワンステップやっているのです。
 でも、できない・・・あるんですよね、こういうことって

 その後、私は30分間、やっては妙は手足の動きをし、笑い、またやって・・・を繰り返し。やっとのことで、じつは、この日のうちに2ビートができるようになりました
 そしてね、出来てしまうと、今度は、どんどんとできるようになり、上手とはいかないまでも、何であんな変な動きしかできなかったんだろう???と思えるようになるのですねえ・・・

 みなさん。
私は、この夜、プール練習が終わって、シャワーを浴びながら泣けてきました
 私の生徒達は・・・みなさんの子ども達は・・・これを繰り返しているんだなあ、と思ったのです 受験準備の時だけではなく、小学校に入っても、中学に入っても、子ども達に「学び」がある限り、これは延々と続いているのです
 心底、私は、その子ども達の思いが理解できた・・・そう思いました。

 正直、不真面目な子なんて、誰一人としていませんよ
もちろん、小学校も高学年になっていけば、勉学に対する姿勢も個人個人で違ってきますので、その状況によっては不真面目な取り組みもあるでしょうが、その年齢に達するまでの子ども達は、みんな、ひたむきに「学び」に対して向かっている、と私はいつも実感しています
 もし、お母様にとって我が子が不真面目に見えるのならば・・・その子はよほど赤ちゃんのように幼く、未成熟で、学びに対して意欲も向上心もなく、ひたすら刹那的に楽しいことだけをやって時間を過ごそうとする子ども。
 でもね、実際に、こんなに幼い子は少ないものです
 だから、不真面目に見える子というのは、きっと、その子の最後の照れ隠しでしょう。教えてもらってもできなくて、出来ない自分が悲しくて、不真面目そうすることによって、やっと自分の心の均衡を保っているのです。
 
 私が、すべてを理解して、やる気も十分にありながら、やってもやっても2ビートが出来なかったように・・・そして、優秀ななコーチの、適切な指導を仰いでいながら、なぜかできないことがあまりに「???」で、なぜか笑いしか起こってこなかったように・・・

 それに。
まがりなりにも2ビートができるようになった私は、もう、息継ぎの心配はなくなりました クロールで泳ぐことができる、と言えるようになりました
 でもね、ほんのひと月ほど前は、私は真剣に、息継ぎの心配をし、その練習をしていたのでした。
 息継ぎのタイミングのたびに、プール中の酸素を吸おうと、死にかけのお魚ように、水面で口をパクパクし、時には水を飲んでしまい、25メーターの真ん中に立って、ゴホゴホと咳をしていたのでした

 人は、学んでいる最中は、その時、その時で、程度、レベルの違うことで悩み、必死にもがき、それでも一生懸命に「少しでも上」「少しでも先」を目指してがんばっているのです
 そのことを、なぜか、父親や母親になると、少し忘れてしまう・・・そして、けんもほろろに我が子を罵倒したりしてしまうのです・・・
 「1」の状況の我が子に、「5」を望んだり、「3」の状況の我が子に「8」を望んだりと、無謀な要求を突きつけ、平気でいるのです
 
 息継ぎで悩んでいた頃の私は、2ビート泳法など考えも及びませんでしたし、とにかく、息継ぎができるようになった時には、天にも昇る気持ちでした コーチも一緒に、「息継ぎができましたね。これで、もう、いくらでも泳げますよ」心から私と一緒に喜んでくれました。

 トライアスロンを始めることで、私はあらためて「0から始める、1から学ぶ」を体験しています。
 この挑戦が、私個人だけではなく、さまざまな立場で、大きな大きな意味のあるものであることをあらためて実感した時間でした

 今日のブログの最後に、是非、私や主人が所属するトライアスロンチームのコーチを紹介させてください
 人が成長をしていく上で、もっとも大切なことは、良いリーダーを得ることだと思います。子どもにとっての最も身近で、最強のリーダーであるべき人は「両親」ですよね
 私が、トライアスロンという未知の世界に挑戦できるのは、このすばらしいリーダーであるコーチのおかげです。
 私は、幼児教室マナーズのまどか先生として、このコーチから、多くのことえを学び、あらためて気づかせてもらっています

 松山 文人コーチ   株式会社TRY-A  代表取締役

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子ども感性

2008年08月24日 | にこにこ
 子どもの感性・・・本当に素敵ですよ
昨日のクラスでは、年長児、年中児、どちらのクラスでも、先を争ってオリンピックの感動場面の話しをしてくれました そんな子ども達の様子を見て私は、子どもの感性のすばらしさをあらためて肌で感じ、鳥肌の立つ思いでした

 「名前はわかんないんだけど、剣みたいなヤツを使って試合をするの。あれ、初めてメダルを採ったんだよ。あのお兄さんのパパも、あれの剣みたいなヤツ、してたんだって。」
 「キタジマコウスケは強かったよね。がんばったから、メダルが取れたんだ!この前のオリンピックが終わってから、ずっとがんばってきたから、勝った時、泣くほどうれしかったんだよね。」
 「柔道は、昔、日本が一番強かったんだって。でもね、今は、世界の人達がやるようになって、日本はがんばらないといけないんだ。」
 「ソフトボール、もう、これでおしまいなんだよ。でも、最後に、金メダルが取れて良かったよねえ。」
 「すっごく早く走るお兄さん達、バトン、上手だったよね。アメリカは、バトン、落としちゃったんだよ。日本はがんばって、メダルを初めてとったんだよね!」
 
 これは、子ども達が話してくれたオリンピック話しの「一部」です。
私は、彼らの興奮して話す競技や選手の話しに答えながら、彼らが話す内容の深さにも感心しました
 ご両親が、子ども達と一緒に試合を見たり、表彰式やハイライトを見ながら、子ども達にも理解できる話し方で、いかに一生懸命に説明をなれたのか、ということが実感でき、とても嬉しく思いました

 子どもには、2歳には2歳の、4歳には4歳の、6歳には6歳の「感じる力」があります
 そして、その「感じる力」を育てるのは、まさにご両親なのですね

 私は、よく教室のお母様方に力説をするのですが、子ども達の心への「ひとしずく」がなければ、波紋は広がりません。そのひとしずくが大きければ大きいほど、当然、波紋は大きく広がっていきます
 逆説的に言えば、「ひとしずく」がなければ、波紋など広がるわけはないのです

 オリンピックは、間違いなく、彼らの中の「大きなひとしずく」になりました。知識としてではなく、子ども達は、たくさんの「国」を知ることになりました。
 もともと、たくさんの「ひとしずく」を経験していた子ども達は、その国の名前を知るたびに、今度は国旗に興味を持ったり、地球儀を持ち出して、その場所を確かめたり・・・中には、日本という国の位置を知り、それぞれの国との距離を、表彰式のたびに確認した子もいたようです
  
 努力、がんばることの尊さ・・・
 努力が実った時の感動・・・
 支えてくれる人、応援する人の重さ・・・
 スポーツという国を超える共通の取り組み・・・

 オリンピックは、この2週間で、幼い子ども達の心と頭に、自然に入っていったようです
 
 小学校1年生だった私。一人っ子で、一人でいる時間の長かった私は、買ってもらった赤のブレザーと白のスカートをはいて、こっそり母の三面鏡の前に立って、「東京オリンピックの入場式ごっこ」をしたものです
 ギリシアが、必ず1番に入場することを知ったのも、この時です。それ以来、ギリシアと聞くたびに、何か、とても尊い国のように感じてしまいます。
 また、ソビエト連邦という国が、広大な国土を持つ国であり、さまざまな顔形をした人のいるスポーツの強い国であることも知りました。
 閉会式を見ながら、「次はメキシコ・・・」と繰り返し、なぜか「さよなら」と悲しい気持ちになったことも覚えています。
 教育熱心だった父が、小学校1年生の私に、山ほど知識を授けてくれた賜物だったのでしょう

 子ども達に、たくさんの感動を与えて、今夜、北京オリンピックは閉幕しました。次に、ロンドンオリンピックを見るとき・・・彼らは、何と小学校3年と4年生になるのです・・・

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親の期待は、やっぱり大事です

2008年08月20日 | にこにこ
 北京オリンピックも残りわずかとなりました。
時差のない国での開催は、観戦する側には大きな魅力です それでも、録画を何度も見たり、ハイライト集を見たりと、結局は深夜まで観戦を楽しんでいます

 ランニングを始めるまでは、オリンピック競技の本来の花形?である陸上は、ほとんど観ることもなく、競泳と男子の体操くらいしか観なかった私ですが、今ではトラック競技も自転車の競技にも興味津々 睡眠不足が続いています。
 その選手達・・・いろいろ、ですねえ。
私は特に、期待通りの活躍ができなかった選手達がインタビューを受けたときのコメントを、味深く見ています。
  ある人は、これが今の実力だったのだけれど失敗が悔やまれる・・・ずっとサポートしてきてくれた方、応援してくれた方々に申し訳ない、と肩を落とします。
  またある人は、競技のうえでは結果は残せなかったけれども、この大舞台に参加できたことは幸せだったし、楽しむことができたので良かった!と言います。
 それぞれの感想は、やはり失敗という負の現実の真っ只中にいるときの「複雑な思い」であり、それが完全な本心かどうかは何とも言えません また、打たれ強い性格、前向きな性格、落ち込みやすい性格、悲観的な性格、等、各人の生来の性格によっても、受け止め方に違いがでてくるでしょう

 どちらのタイプの人に共感を覚えるか?どちらのタイプに好感を持つのか?
これも、それぞれ個人個人の思いによって違ってくるでしょうねえ。
 あなたは、もしわが子が大舞台で失敗したとしたら?どちらの言葉を語って欲しいでしょうね?

 子どもが広い自分の世界を持つまでの幼い頃は、わが子を成長に導く親の責任は大きく、親の姿勢やアプローチの仕方、子どもへの言葉かけ、そういうすべてのものは「子どもの考え方、感じ方」に大きな意味を持っています

 私はここ数年、親の「子どもへの思い」の変化を強く感じています。
以前、教育に対して意識が高い、と言われる層の家庭で、圧倒的に多かったのは「子どもに大きな期待をかける」というご両親でした。
 このタイプの親たちは、子どもの誕生以来、いろいろと情報を集め、育て方にこだわり、家庭教育を施されていました
 良きにつけ悪しきにつけ、当然、自分達が一生懸命になっているからこそ、その成果も期待します
 この子どもへの「期待」は、その程度が正しければ、という注釈つきではありますが、子どもの成長を促す大きなポイントになるものです
 子どもは、パパやママの思いを愛情として受け止め、一生懸命になります。こういう「真っ当な親の期待」は子どもの中に適度の緊張感を生み、それ自体が子どものひたむきな取り組みへの姿勢へとなっていくのです。

 もちろん、未熟で軽薄な親が、わが子の「今の状態」をしっかりと見ようとする目を持たず、ただただ、成果、結果ばかりを求める「無理な期待」をすると、良い結果は生まれないばかりか、愛する子どもをダメにしてしまう・・・わけですが

 ここ数年、増加しているのは、良くも悪くもわが子に「期待をしない親」です。
期待そのものを、最初から「わが子への無理強い」というふうに認識し、わが子の成長は自然に任せる・・・という姿勢、とでも言うのでしょうか。
 しかし、残念ながら、まだ自分の広い世界を持たず、たくさんの刺激を外界から感じるチャンスの少ない幼い子ども達が「自然に育つ」ということには無理があります
 たとえば、年月が経過したことによって、子ども達の中にある次の段階に進むための新しいカプセルが勝手に開き、新しい能力や知識が広がっていく・・・というような機械的なことは、ない、のです

 さっきも書いたように、「期待の程度」「期待のさじ加減」はむずかしいですね
 でも、誰かと比較し、その誰かよりも優位に立つための期待や、親の優越感や親の満足のための期待ではなく、純粋に「わが子の成長」を求める期待・・・というものを念頭に置けば、期待のさじ加減は自ずとわかってくるもの、だと思います

 「あなたは、今のあなたでいいのよ 今のあなたで十分にステキ」と言ってあげるのは、もっともっとわが子が大きくなってから・・・そう思います。
 親の知らない「子どもの世界」の中で日々戦い、多くを感じ、学び、そして疲れ、傷ついていく年齢になったとき・・・そういう親の言葉、親の姿勢は、何よりのわが子への「親の愛情」「親からの癒し」となるはずです

 確かに、ナンバーワンにならなくて良い、それぞれが特別のオンリーワン、ですね
 でも、オンリーワンは足踏みをすることではないはず。少し前、少し上に進むことは、やっぱり子ども達の世界を広げるすばらしく価値のあることですよ
 子どもは、生まれたその瞬間から、オンリーワンであり、親にとってのナンバーワンなのですものね

  

 
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「天国の味」とがんばる条件

2008年08月12日 | にこにこ
 天国からの味「マンゴーかき氷」・・・宮古島の代表的なビューポイントに、東平安名崎(ひがしへんなさき)というところがあります。「日本の名勝百選」にも選ばれている宮古島屈指の名所
 そこの駐車場に、ミニバンの甘党屋さんがあります。そのお店の「マンゴーかき氷」は、天国からの味、ですよ
 かき氷には、おじさんお手製のマンゴーの果肉たっぷりシロップがかかり、その上に、シャーベット状に凍ったマンゴーのキューブがいっぱい。そして、練乳がたら~り・・・これが何と、500円です

 島のあちこちのリゾートホテルでも、この手のかき氷は定番のようですが、これだけマンゴーが入っていると、1000円を下ることは絶対にありません
 それに、おじさん、おばさんの満面の笑顔つきで、このお値段は感動ものでした 私たちがそこを離れるとき、わざわざおじさんはミニバンから降りて、おばさんとお二人で最後まで「また来て下さいねー」と手を振ってくださいました。その姿が嬉しく・・・
 何が何でも、これから宮古島を訪れるみなさんに、是非この情報をお教えしたく、冒頭に書かせていただきました
 何で「天国の味」なのか?・・・それは、これから書くことにします。

 数回前のブログで、私は「がんばる」というお話しをしましたね。
どんな親も一様に、我が子に対し、さまざまなシチュエーションで、頻繁に「がんばりなさい!」と言うけれど、なかなか、がんばるということは大変なことですよ・・・とお伝えしました。
 でも、そうは言いながらも、「がんばりなさい」と口に出し、子ども達を追いつめるようなことはしないものの、やはり、常々、誰よりも一番、この私が身体全体でお教室の生徒達に向けて「がんばれオーラ」を出している・・・というのが現実です
 そんな罪深い私?だからこそ、私自身が子ども達の「がんばるお手本」になれるようにと、今回の夏休みは、かなりがんばっちゃいました
 全くのプライベートなお話しではありますが、お教室のご卒業生のみなさまへの残暑見舞いを兼ねた近況報告として、敢えてお話しさせてくださいね。

 私が、昨年の10月から、ランニングを始め、今ではかなりしっかりと練習をするランナーになっていることは、すでにお伝えしています そんな私・・・5月に、正式に夫の所属するトライアスロンチームのメンバーになりました
 そして、8日から10日までの3日間、夫とともに宮古島での合宿に参加し、とうとう、トライアスロンの3種目にデビューをしました
 レースへの初参戦は、来年4月の石垣島でのトライアスロンになる予定ですが、それまでは、今までのランニングに加えて、スイムとバイク(トライアスロンでは、自転車や自転車種目のことをバイク、と呼びます。二輪車のバイクではありません)も本格的に練習を積んでいきます

 チームのメカニックにお願いし、私の身体に合ったバイクが出来上がってきたのが7月下旬。明るいローズ色とやまぶき色とのツートンカラー サドル下のフレームには、大きく「madoka manners」と、白抜きで書かれてあり、遠目にもかなり目立ちます
 本来ならば、宮古島までに、一度みっちりとコーチと一緒にバイク練習をして、そして安心出来る状態で宮古島合宿に臨もうと思っていたのですが、結局私は1度も自分のバイクに乗ることなく、宮古に出発
 大きなバイクポーターに入れられて、私よりも一足先に宮古島に到着していた自転車と対面したのは、8日の午前中、宿泊するホテルに到着してからでした。
 その後、運搬のためにバラバラになっていた自転車を出し、コーチに教えてもらいながら組み立てます。慣れた人ならば、組み立てに30分。ところが、私が自分の自転車をくみ上げた時には、1時間が過ぎていました

 その後は、これまた出来上がったばかりのウエットスーツを着て、海へGO
トライアスロンでは、スイムが最初の種目です。浜辺へ打ち寄せる波を避けながら海に入るテクニック、突然に泳ぎ出すのではなく、上手に少しでも先に向かう方法など、コーチからわかりやすく教えてもらいながら、皆で練習しました。
 
 トライアスロンチーム・・・とは言え、数名の30代を除いては、ほとんどのメンバーが40代 今年54歳になる夫が最年長です。
 至れり尽くせりのコーチ陣の指導のもと、至極真面目に練習し、トライアスロンへの姿勢は真剣でも、常に陽気で、生きる姿勢そのものに豊かさと潤いのあるメンバー達の練習は、どんなにきつくても、どこか必ず「ゆとり」があるものです 初めて習う、ちょっと高度なスキルを失敗しては大爆笑・・・

 それにしても、3ヶ月前までは、全くクロールでは泳げなかった私が、ちっとも上手ではないものの、一生懸命、真面目に練習した結果、他のメンバーと同じように、ほぼ同じスイム練習ができるまでになったこと自体が奇跡だと思っています
 これも、おこがましくはありますが「やる気と努力」の成果です。
まともに努力をせず「私は平泳ぎは問題なく泳げるのですが、クロールはねえ、息継ぎもできず、ダメなんですよ」などとへらへらと笑っていたことが、とても恥ずかしく思い出されました

 いよいよ午後はバイク練習です
じつは、夫も去年の事故以来、この宮古島合宿がバイクの再デビューの舞台。私は自分のことでドキドキしながらも、とても夫の様子が気がかりでした
 しかし・・・メンバー達の「完全復帰、おめでとう」の温かい拍手と、熱いエールのおかげで、夫は無事にバイク復帰。昨年、事故前、伊江島で見た夫のバイク姿が蘇りました

 次はいよいよ私の番。でも、ドキドキの思いとは裏腹に、優秀なコーチ達の適切なリードと、バイクに乗れるようになることによって、広がっていく未知の世界への強い思いのおかげで、コツを掴んだ私は、リゾートホテルの広い駐車場で30分ほど練習をすると、何とか「乗って走り、止まれる」ようになりました
 その後は、いよいよ、バイクライドです
私が乗れないようであれば、基本練習を続ける予定だったそうですが、一応は「乗れる」ところまで来たので、他のメンバーと一緒に、近くの来間島まで、コーチに伴走をしてもらいながら、往復10キロのバイクライドをすることになりました
 男子メンバーが先に出発。私も、恐る恐る出発
横からコーチが、ギアの切り替えのタイミング、切り替えの方法など、さまざまな指示を細かく出してくれます。
 海に突き出した来間大橋を渡るときには、左右は真っ青な海 景色を愛でる余裕などは全くありませんでしたが、風を切って走る時、それでも視野の端っこにはきれいな海が見えていました

 来間島の展望台の下に到着した時には、緊張で肩や腕はパンパン 止まっても、まだバイクをこいでいる緊張感から解放されませんでした。
 それでも、先についた夫や、男性のメンバー達の拍手に迎えられ、やっとじわじわと嬉しさがこみ上げてきました
 
 展望台で20分ほど休憩した後、今度は5キロの帰路。
少しは慣れたものの、時速20キロから30キロのスピードに、緊張感は消えません。(本当のトライアスリート達は、時速5,60キロは当然のように出しているそうです

 翌日は、男子チームは100キロライド。まさに、宮古島で開催されるストロングマンのトライアスロンレースと同じルートでのロングライド 女子チームは、ベテランのメカニックと一緒に、往復40キロに挑戦です
 海岸線を行く起伏に富んだルートは、ドライブでは気持ちの良いコースでしょうが、自転車では大変です。坂を下りながら、次の登りへのアプローチを考え、登りだしてからは、ひたすらこぐ・・・こぐ・・・
 照りつける太陽のもと、汗をダラダラと流しながら、コーチのアドバイスを受けてギアチェンジを繰り返し、それでも最後は、自分の力でこぐのです

 私は2度、坂を登り切ることが出来ずに、途中でバイクを降りて押しながら歩きましたが、それでも2時間かけて、他の女子メンバーと一緒に、東平安名崎に辿り着きました
 そこで待っていたのが、「天国からの味-マンゴーかき氷」だったわけです。
 60キロを反対回りでやってくる男子チームを待つ間、私たち女子チームは、「おいしい 生き返る おじさん、これ本当に最高」と口々に褒め讃えながら、天国の味をいただきました
 じつは、「天国の味だあ!」と、このかき氷に命名したのは、30分ほど遅れて別ルートから到着した、男子チームの一人でした。

 バイクを停め、岬の先端の灯台でしばらく休憩をした後、なななんと、私たちは「天国の味」のおかわりをしたのでした
 出発をする時、おじさん、おばさんのお二人は、いつまでもいつまでも私たちを見送り、バイクに手を振ってくださっていました

 宮古島は、トライアスリートに、本当に理解があって、優しい土壌です
 超初心者の私が、もたもたと交差点を曲がる時にも、必ず車を停めて、待ってくださいます。時には、「がんばれ」の声までかかります。
 宮古島のトライアスロンレースは、今年の4月で24回目を迎えたそうです。
同じ離島でも、石垣島は八重山諸島へのターミナルという条件もあって、離島の中でも昔から、それなりの賑わいのある島。
 一方、広さでも人口でも石垣島に勝る宮古島ですが、島を潤す何か特別のものがない・・・そこで、当時はまだまだめずらしかったトライアスロンを誘致し、島をあげてサポートすることに決定 それが、宮古島のトライアスロンです。
 高低差が少なく、起伏にとんだ地形はトライアスロンには好条件 今では、宮古島はすっかり「トライアスロンの島」が定着しました

 東平安名崎からの帰路は、初心者の私は無理をせず、サポートスタッフの後続車にバイクを積んでもらい、車で戻ることにしました
 がんばって、がんばれないことはない・・・かもしれない。そうも思いました。
 「あのね、一日目は10キロ、二日目は東平安名崎を往復して40キロ、トータルで50キロのバイクライドをしたの
 そんなふうに、ちょっと(かなり)自慢気に、ご満悦で話している自分の姿を想像しました 
 優秀なコーチも付いてくれていますし、気力は十分にある・・・体力も十分に残っているように思いました。

 でも ここで初心者の私が無理をしたら??
真っ当な私が、心の中に登場し「勇気ある『負』の決断も必要」と感じました
 時には、がんばるよりも、止めるほうが勇気のいる時があります・・・人には、こういう勇気も必要不可欠なものなのだと、五感で感じた時、でした・・・

 バイクの後ろをゆっくりと走るサポート車から、必死に自転車をこいで上り坂を進むメンバーの後ろ姿を眺めながら、やはり、人が「がんばる姿は尊い」と感じました
 私のお教室で、苦手な問題に取り組む時、子ども達が顔をしかめてペーパーを見つめる姿・・・全意識を集中し、必死に考えている姿・・・年齢やシチュエーションは違っても、バイクをこぐ後ろ姿と、子ども達の一生懸命の姿とは、まさに同じものでした
 東平安名崎への往路、私もああして一生懸命に坂を登っていたのだろうか?もしそうだとしたら、私は少し、子ども達への罪滅ぼしをしたような気分になりました・・・

 私は、この3日間で、自分の体験から、こんなことを実感しました。
単にがんばりたい、がんばらせたい、というのではなく、「気持ち良く」がんばりたい、がんばらせたい、と思うならば、必ず整えなければならない条件があります
 それは・・・
  自分にとっての、良い指導者がいる、ということ
  良い指導者との間に、きちんとした真の信頼関係がある、ということ
  サポートの体制がしっかりと整っていること
  サポートする側に、がんばるものに対する深い愛情があること
です。この中の、どの一つが欠けても、なかなか人は「気持ち良く」がんばれない、がんばらせられない・・・そう思いました。

 そして、もう一つの大事なこと。
  本当の実力を知り、無茶なことはしない。退く勇気も必要、ということ
です。これはスポーツに限ったことではありません

 合計30キロのバイクライド。初めての海でのクロール。まさにスポーツ三昧の3日間。スイム、バイク、ランの練習を通じ、また、それに真摯に取り組む人達を見て、私はたくさんのことを感じ、考え、そして、新しい素晴らしい世界を知ることになりました
 これからも練習を重ね、上達していくに従って、私の前に拓けてくる世界を想像し、ワクワクしています

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