いよいよ、北京オリンピックが明日、開幕しますね

アジアで開催されるオリンピックは、1988年に韓国のソウルで開かれて以来のことです。
韓国では、「パルパル以来、韓国では・・・」というような言葉をよく耳にします。パルパルとは、韓国語で「8 8」という意味です。1988年の開催年に因んで、このように呼ばれます

きっと、中国でも今後、「オリンピック以来・・・」という話しが出てくるでしょうね、日本が「東京オリンピック以来、日本は・・・」と、さまざまな分野での進歩、発展を表現したように
東京オリンピック開催は、1964年、昭和39年でした。
その年に私は、小学校1年生になったので、10月10日のことを大変よく覚えています
ちなみに、大阪での万国博は1970年。この年、私は中学1年生になりました。こうして考えると、私は日本が急速に国際社会の中で成長を遂げていく道のりの上で、大人になっていったように思います
話しをオリンピックに戻しましょう
私は、東京オリンピック開催によって、まさに「世界」を身近に感じるようになった、と言っても過言ではありません
「チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)のチャスラフスカ選手
」は、体操女子で活躍した選手ですが、あれほど舌を噛みそうな長い名前を覚えられたのも、やはりそれがオリンピックという特殊で、ワクワクするものに関連した人名、だったからでしょう
そんな機会がなければ、チェコスロバキアという東欧の国は、小学校1年生の私にとっては遠い遠い最果ての国で・・・その後、長い間、知ることもなかった国だったでしょうから
今朝、ニュースを見ていると、日本で言葉と技術を学び、日本での国家資格をとって介護士になる、という試みのために、インドネシアから100名あまりの人が来日した、という話題が流れていました
6ヶ月間の日本語研修、その後、介護を学びながら3年間の実習を積み、1チャンスの国家試験に臨む、という国家間の新しい制度なのだそうです
夫の駐在以来、我が家にとってインドネシアは、非常に身近な国なので、将来、インドネシア人に介護をしてもらえる・・・ということを想像するのは、何ら違和感はありません
しかし、すでに日本在住の「フィリピン人の介護士」のコメントでは、なかなか、日本人にすんなりと受け入れてもらえないのが残念・・・ということでした

確かに、言葉の壁があり、なかなかお互いに「ツーカー」で理解しあえる、というのはむずかしいでしょうが、同じ人間です
「自分が不便を感じていることを助けてもらう
」「自分の不自由なところを最大限に手伝ってもらう
」ということを思えば、それがどこの国の人であっても、とてもありがたいことであり、嬉しいことのはずですよね

にも関わらず・・・
旅行に行って知り合う、話しをする、ワイワイ言ったりする・・・そういう相手としては外国人もOKだけれど、実際、自分の生活に深く関わるということになると、「外国人では、ちょっとねえ・・・
」
こういう思いは、たぶん日本人が、むかーしむかしから単一民族の国家に生きる人達であり、簡単に外国に行ったり来たりできない島国という環境だったからなのでしょう
それにしても、国際化が叫ばれる中、こんなにまで「幼児期からの外国語教育」に熱心な家庭が増えた状況にありながら、「やっぱり・・・何かをするなら、何かをしてもらうなら、日本人が良い
」などと感じている人達は、正直、外国語学習をして、いったい「何がしたいのだろうか?」と、私は思えてなりません。言葉なんて、単なる手段ですからねえ
幸い、私は比較的若い頃から、外国の人達と親しく関わる機会が多かったために、「国」という意識を持つ以前に・・・
「○○は、Brendaの国」
「△△は、Linseyの国」
「○○は、スカルディの国」
「△△は、エイリーの国」etc. etc.
と、まずは「人ありき」でした
こういう関わり方をしたために、その人の国を「国家」として論じる以前に「その人」が私の中に存在し、それだけで、その国は私にとっては大切な、彼らが住む、愛すべき国、だったのでした

私はこういう経験をしましたが、残念ながら、私の二人の子ども達には、環境的に私と同じような経験をさせてあげることができませんでした。だから、彼らが私と同様の感覚と持っているとは思えません
しかし、それでもいろいろな面で外国が身近だった彼らが、何の理由もなく「外国人は・・・あんまり好きではない
」などと、わけのわからない思いを持っている、とはさすがに思いません
今回の北京オリンピック。参加国、参加地域、参加人数、すべて最多の大会だそうです
明日の夜の開会式から始まり、やとえテレビを通しての観戦ではあっても、多くの外国を知る良いチャンスでもあります
また、現代の若者にすっかり希薄になっている「私は○○人です」という意識も、決して国粋主義者のものではなく、グローバル化されたこの広い世界を生きている中で、一人ひとりが基本の姿勢として持っていなければならないアイデンティティーです

是非、家族で一緒になって、オリンピックを「多くを知り、感じる機会」になさってくださいね



アジアで開催されるオリンピックは、1988年に韓国のソウルで開かれて以来のことです。
韓国では、「パルパル以来、韓国では・・・」というような言葉をよく耳にします。パルパルとは、韓国語で「8 8」という意味です。1988年の開催年に因んで、このように呼ばれます


きっと、中国でも今後、「オリンピック以来・・・」という話しが出てくるでしょうね、日本が「東京オリンピック以来、日本は・・・」と、さまざまな分野での進歩、発展を表現したように

東京オリンピック開催は、1964年、昭和39年でした。
その年に私は、小学校1年生になったので、10月10日のことを大変よく覚えています

ちなみに、大阪での万国博は1970年。この年、私は中学1年生になりました。こうして考えると、私は日本が急速に国際社会の中で成長を遂げていく道のりの上で、大人になっていったように思います

話しをオリンピックに戻しましょう

私は、東京オリンピック開催によって、まさに「世界」を身近に感じるようになった、と言っても過言ではありません

「チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)のチャスラフスカ選手



今朝、ニュースを見ていると、日本で言葉と技術を学び、日本での国家資格をとって介護士になる、という試みのために、インドネシアから100名あまりの人が来日した、という話題が流れていました

6ヶ月間の日本語研修、その後、介護を学びながら3年間の実習を積み、1チャンスの国家試験に臨む、という国家間の新しい制度なのだそうです

夫の駐在以来、我が家にとってインドネシアは、非常に身近な国なので、将来、インドネシア人に介護をしてもらえる・・・ということを想像するのは、何ら違和感はありません

しかし、すでに日本在住の「フィリピン人の介護士」のコメントでは、なかなか、日本人にすんなりと受け入れてもらえないのが残念・・・ということでした


確かに、言葉の壁があり、なかなかお互いに「ツーカー」で理解しあえる、というのはむずかしいでしょうが、同じ人間です

「自分が不便を感じていることを助けてもらう




にも関わらず・・・
旅行に行って知り合う、話しをする、ワイワイ言ったりする・・・そういう相手としては外国人もOKだけれど、実際、自分の生活に深く関わるということになると、「外国人では、ちょっとねえ・・・

こういう思いは、たぶん日本人が、むかーしむかしから単一民族の国家に生きる人達であり、簡単に外国に行ったり来たりできない島国という環境だったからなのでしょう

それにしても、国際化が叫ばれる中、こんなにまで「幼児期からの外国語教育」に熱心な家庭が増えた状況にありながら、「やっぱり・・・何かをするなら、何かをしてもらうなら、日本人が良い


幸い、私は比較的若い頃から、外国の人達と親しく関わる機会が多かったために、「国」という意識を持つ以前に・・・




と、まずは「人ありき」でした

こういう関わり方をしたために、その人の国を「国家」として論じる以前に「その人」が私の中に存在し、それだけで、その国は私にとっては大切な、彼らが住む、愛すべき国、だったのでした


私はこういう経験をしましたが、残念ながら、私の二人の子ども達には、環境的に私と同じような経験をさせてあげることができませんでした。だから、彼らが私と同様の感覚と持っているとは思えません

しかし、それでもいろいろな面で外国が身近だった彼らが、何の理由もなく「外国人は・・・あんまり好きではない


今回の北京オリンピック。参加国、参加地域、参加人数、すべて最多の大会だそうです

明日の夜の開会式から始まり、やとえテレビを通しての観戦ではあっても、多くの外国を知る良いチャンスでもあります

また、現代の若者にすっかり希薄になっている「私は○○人です」という意識も、決して国粋主義者のものではなく、グローバル化されたこの広い世界を生きている中で、一人ひとりが基本の姿勢として持っていなければならないアイデンティティーです


是非、家族で一緒になって、オリンピックを「多くを知り、感じる機会」になさってくださいね

