goo blog サービス終了のお知らせ 

まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

国際派の子ども、育成のチャンス!

2008年08月07日 | にこにこ
 いよいよ、北京オリンピックが明日、開幕しますね
アジアで開催されるオリンピックは、1988年に韓国のソウルで開かれて以来のことです。
 韓国では、「パルパル以来、韓国では・・・」というような言葉をよく耳にします。パルパルとは、韓国語で「8 8」という意味です。1988年の開催年に因んで、このように呼ばれます
 きっと、中国でも今後、「オリンピック以来・・・」という話しが出てくるでしょうね、日本が「東京オリンピック以来、日本は・・・」と、さまざまな分野での進歩、発展を表現したように

 東京オリンピック開催は、1964年、昭和39年でした。
その年に私は、小学校1年生になったので、10月10日のことを大変よく覚えています
 ちなみに、大阪での万国博は1970年。この年、私は中学1年生になりました。こうして考えると、私は日本が急速に国際社会の中で成長を遂げていく道のりの上で、大人になっていったように思います

 話しをオリンピックに戻しましょう
私は、東京オリンピック開催によって、まさに「世界」を身近に感じるようになった、と言っても過言ではありません
 「チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)のチャスラフスカ選手」は、体操女子で活躍した選手ですが、あれほど舌を噛みそうな長い名前を覚えられたのも、やはりそれがオリンピックという特殊で、ワクワクするものに関連した人名、だったからでしょう そんな機会がなければ、チェコスロバキアという東欧の国は、小学校1年生の私にとっては遠い遠い最果ての国で・・・その後、長い間、知ることもなかった国だったでしょうから

 今朝、ニュースを見ていると、日本で言葉と技術を学び、日本での国家資格をとって介護士になる、という試みのために、インドネシアから100名あまりの人が来日した、という話題が流れていました
 6ヶ月間の日本語研修、その後、介護を学びながら3年間の実習を積み、1チャンスの国家試験に臨む、という国家間の新しい制度なのだそうです
 夫の駐在以来、我が家にとってインドネシアは、非常に身近な国なので、将来、インドネシア人に介護をしてもらえる・・・ということを想像するのは、何ら違和感はありません
 しかし、すでに日本在住の「フィリピン人の介護士」のコメントでは、なかなか、日本人にすんなりと受け入れてもらえないのが残念・・・ということでした
 確かに、言葉の壁があり、なかなかお互いに「ツーカー」で理解しあえる、というのはむずかしいでしょうが、同じ人間です
 「自分が不便を感じていることを助けてもらう」「自分の不自由なところを最大限に手伝ってもらう」ということを思えば、それがどこの国の人であっても、とてもありがたいことであり、嬉しいことのはずですよね

 にも関わらず・・・
旅行に行って知り合う、話しをする、ワイワイ言ったりする・・・そういう相手としては外国人もOKだけれど、実際、自分の生活に深く関わるということになると、「外国人では、ちょっとねえ・・・
 こういう思いは、たぶん日本人が、むかーしむかしから単一民族の国家に生きる人達であり、簡単に外国に行ったり来たりできない島国という環境だったからなのでしょう
 
 それにしても、国際化が叫ばれる中、こんなにまで「幼児期からの外国語教育」に熱心な家庭が増えた状況にありながら、「やっぱり・・・何かをするなら、何かをしてもらうなら、日本人が良い」などと感じている人達は、正直、外国語学習をして、いったい「何がしたいのだろうか?」と、私は思えてなりません。言葉なんて、単なる手段ですからねえ

 幸い、私は比較的若い頃から、外国の人達と親しく関わる機会が多かったために、「国」という意識を持つ以前に・・・
 「○○は、Brendaの国」
 「△△は、Linseyの国」
 「○○は、スカルディの国」
 「△△は、エイリーの国」etc. etc. 
と、まずは「人ありき」でした
 こういう関わり方をしたために、その人の国を「国家」として論じる以前に「その人」が私の中に存在し、それだけで、その国は私にとっては大切な、彼らが住む、愛すべき国、だったのでした

 私はこういう経験をしましたが、残念ながら、私の二人の子ども達には、環境的に私と同じような経験をさせてあげることができませんでした。だから、彼らが私と同様の感覚と持っているとは思えません
 しかし、それでもいろいろな面で外国が身近だった彼らが、何の理由もなく「外国人は・・・あんまり好きではない」などと、わけのわからない思いを持っている、とはさすがに思いません

 今回の北京オリンピック。参加国、参加地域、参加人数、すべて最多の大会だそうです
 明日の夜の開会式から始まり、やとえテレビを通しての観戦ではあっても、多くの外国を知る良いチャンスでもあります
 また、現代の若者にすっかり希薄になっている「私は○○人です」という意識も、決して国粋主義者のものではなく、グローバル化されたこの広い世界を生きている中で、一人ひとりが基本の姿勢として持っていなければならないアイデンティティーです
 
 是非、家族で一緒になって、オリンピックを「多くを知り、感じる機会」になさってくださいね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間万事塞翁が馬

2008年07月21日 | にこにこ
 今日は、我が家の大事な記念日です。
お誕生日?結婚記念日?いえいえ、「事故記念日」です

 昨年の7月21日土曜日の朝、夫は、沖縄県伊江島村で、トライアスロンの練習試合中、自転車から落車事故を起こし、その後、一ヶ月、名護市の県立病院に入院。横浜に戻って、10日間のリハビリ入院をしました。
 その時期のことは、昨年のこの時期のブログに、いろいろと書いていますが・・・ 
 事故の日の21日は快晴 事故直後から、ずっと意識がしっかりとしていた夫は、ボートと救急車を乗り継いで沖縄本島の県立病院に搬送される途中、ボートの上で、車椅子に座り、雲一つない空、真っ青な海を眺めて「こんな時でも、海はほんまにきれいやなあ・・・」とつぶやいたことを、今でも時々思い出します
 ボートのエンジン音が高く、普通ならその音にかき消されてしまうはずの夫のつぶやきでしたが、伊江島の診療所からずっと付き添ってくれたリゾートの方や、トライアスロンのコーチも皆、なぜかはっきりと、その声を聞いていたのでした。
 
 1年が過ぎた今、「事故一周年、事故記念日」などと(ふざけたこと、と聞こえてしまいそうな・・・私たち夫婦は大真面目ですが)言えるのは、当然、すっかり完治し、以前と全く変わりない生活を送れているからに他なりません。
 まずは、そのために事故直後から奔走してくださった島のみなさま、名護の県立病院のドクターや看護師さん達、ずっとエールを送ってくださったトライアスロン仲間や友人達、知人のみなさまに、あらためて感謝を申しあげる日、として、今日を過ごしたい、と思っていました

 じつは、あの事故から、私たちの生活は、すっかり様変わりをしました
 まずは、その距離同様、とっても遠い県だった「沖縄県」が、夫婦二人の郷里である「大阪府」以上に身近になり、多くの交流が始まったこと
 そして、アスリートである夫の姿を、どこか白けた目で眺めていた私が、心底一緒にスポーツを楽しむ同志へと変身したことでしょう
 あと1日2日で、私のトライアスロン用の自転車もできあがってきます 車体に、「madoka manners」と塗装してもらった私のバイクは、新しい私の宝ものになります

 人間万事塞翁が馬・・・私が、小学校の高学年の頃に知った言葉です。
何だか難しい音の連続で、初めて聞いた時には、きっと理解しがたい難しい意味なんだろう、と思ったものですが、その意味を知ったことで、妙にこの言葉は私の「座右の銘」的な言葉となりました
 どんなことがあっても、決してそれをマイナスには受け止めず、貴重な学びの経験として甘受すること。どんなに幸運なことがあっても、決して慢心せず、「おかげさまで・・・」の心で頭を垂れて感謝すること。
 これが、私流のこの言葉の解釈でした
 
 成人した我が子二人の子育てを振り返ってみても、まさに、万事塞翁が馬、でしたねえ・・・
 子育ては、親の意識、親の心の持ちようで、如何様にもなるものです 
毎日、大変だ大変だと思って我が子と関わり、そこに楽しみや喜びを見出そうとせず、ひたすら不満だらけの時間を過ごしていくと・・・きっと、親子双方にとって、色あせた歴史となるでしょう こんな親子の時間なんて、百害あって一利もありません。
 前向きに生きる、とか、前向きに捉える、ということは、実際には、なかなか出来ることではない、と思われているかもしれませんね。
 でも、本当は、ものすごく簡単なことだと私は思います
自分の意識、自分の心、一つです。そうすれば、オセロ版の、一番隅っこに駒を入れたとたん、どんどんとパラパラ裏返っていくように、すべてのことが、素敵なものに変わっていくはず

 昨年の今夜、夜9時近くに夫をICUに残し病院を出て、電話で予約をいれたビジネスホテルの部屋についた時、不思議に悲しみはありませんでした。
 不慣れな土地で、これからどうなるのかわからない恐怖は、悲しさにはならずに、ひたすら神経を研ぎ澄ましていたように思います。「今、私がしなければならないことをする!」そういう責任感・・・でしょうか
 夫に代わって、私がタイムリーにしないといけないことは山ほどありましたし、私自身の仕事、家族のことなど、悲嘆に暮れている時間などはなかったです・・・
 
 そして、1年後、まさか、私がメタボリックシンドロームの心配から解放され、こんなに真剣にスポーツに取り組む生活がやってくるなんて・・・想像できませんでした

 来月、トライアスロンの仲間達と、宮古島に行きます。夫は、すでにランニングとスイムには復帰していますが、事故後、そこで初めて自転車に乗ります。
 そしてその日が、私の自転車デビューの日になります
 夫のリボーン、私のデビュー・・・人間万事塞翁が馬。
 今を迎えられていること。すべてのことに、感謝です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮崎駿監督の言葉から

2008年07月17日 | にこにこ
 4年ぶりの宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」は、すでに話題になっています
 先日、NHKの朝のニュースで、宮崎監督がインタビューの中でこんなことを語っておられました。
 「微妙な『ゆらぎ』が、生命観を与える
 今回の作品では、今までのようなCGという機械的な技術を使わず、ひたすら、スタッフ総動員で、背景の細かい部分の一つ一つまで、手描きによって仕上げたのだそうです。CGによっては表現しきれないものがある そういう強い思いがあり、「微妙なゆらぎまで手で再現することによって、よりリアルな、いきいきとした生命観を与えたかったから・・・」

 なるほど・・・・私は、この監督の言葉に、いたく感銘を受けました
 私は、特に宮崎駿ファンというわけではありませんが、となりのトトロや魔女の宅急便など、代表作品はほとんど見ていますし、好きですねえ
 そして、多くの評論家が語る、それぞれの作品のビッグポイントばかりではなく、特筆されることのないさまざまなシーンやセリフから、私はたくさんのことを感じたり、学んだりしていたと思います
 
 このブログの少し前の回に、私は「雨の音」について触れましたね また、この「ママ達のおやつ」のサブタイトルにも・・・
 「身のまわりの出来事、ほんの少し心を込めて見てみれば、新しい何かが見えてきます。心豊かであれば、平凡な毎日もステキです!」と書きました。

 そうなんです そうなんですよ
宮崎監督が話された「微妙な揺らぎ」は、もちろん、画像のことをおっしゃったのですね。たとえば、何てことのない海の中のシーン・・・主人公のポニョの背景でしかない小さな海藻や、細かいごみのようにも見えてしまう水の中を漂う微生物、海底の岩のまわりの水の動き・・・こういうものを、より手描きで正確に描くことが、そのシーンに生命観を与えると考えた、という意味です
 実際、海の中のワンシーンが映像として紹介されましたが、本当に、何もかもが、片時も止まってはいないのです・・・上手く言えませんが、監督のそこのお言葉を聞いた上で、あらためてそういうワンシーンを見てみると、本当に、すべてのものが愛おしく思えます

 私が解釈をする「微妙なゆらぎ」とは・・・自分の生活を取り巻く自然、人、もの、そんなものすべての「動き、揺らぎ」です。
 私が電車の中で、つり革につかまって立って外を眺めている時も、車窓からは信号待ちをする車、その中で疲労の色を見せながら首を回す人、先を急ぐバイク便、ベビーカーを押して歩く女性・・・さまざまなものが見え、動いています
 車両内でも、楽しそうに甲高い声で話す女子高生達、メールをしている大学生、右に左に身体を揺らして居眠りをするサラリーマン・・・強い陽射しを受けて真っ青に茂る木々、咲き始めたひまわり・・・
 私は、常に日頃の生活の中で、自分の身のまわりのものすべての「揺らぎ」を感じ、時にはそれらから驚きを、時には潤いを、時にはゆとりを、時には安らぎを感じて暮らしているのですねえ・・・そのことを、宮崎監督の言葉から、あらためて実感しました

 そして私は、家事だ、仕事だ、と時間に追われながらも、一生懸命に子育てをしているお母様方にこそ、こういう「微妙な身のまわりの揺らぎ」を肌で感じ、貴重な癒しの時間としていただき、これを肥やしとして、母の豊かさに一層の磨きをかけてもらいたい、と願っています

 「ママ、あの雲、ソフトクリームみたい!おいしそうだねえ・・・
 そんなことを言う子はだんだん減ってきました。それに・・・
 「ほんとねえ。でも、あんなにおっきいソフトクリームを食べちゃったら、お腹こわしちゃうかもねえ・・・きゃー
 なんて。一緒に楽しい会話をしてくれるお母様も減ったような気がしています
 「雲はね、本当は小さな水のつぶつぶなのよ。だから、雲の上に乗りたいなんてことは、絶対にできないよ」などと言ってしまったら?それが真実であれ、こんな無機質な、無味乾燥な会話はあまりに悲しいです

 「生き生きとした感覚」「みずみずしい感覚」を持ち、わが子と関わっていってほしい・・・屈託なく笑う子ども達の表情を思い浮かべながら、そう強く強く思っている自分を、あらためて感じました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がんばれ!と言う前に・・・

2008年07月11日 | にこにこ
 私たちは、よく「がんばって」と言います。
私たちが生活の中で、とっても安易に使う言葉の一つだなあ、と、私はしみじみ思うのです
 親も、我が子に頻繁に言いますよね、「がんばりなさい」って。
 でもね、「がんばる」って言うのは、なかなか大変なもの、ですよ

 私は最近、すっかりアスリート的生活をするようになりました
 そろそろ、レース用の自転車もできあがってきます サドルの下のフレームには、「madoka manners」という文字を入れてもらうことにしました
 この自転車ができあがれば、当然、自転車の練習も始めることになります。要するに、私は、50歳の手習いとして本格的に始めた「ランニング」に、すっかりのめり込み、先月から始めた「クロールの練習」に必死になって、かなり「がんばる」生活をしています
 そして、そのうちに、自転車の練習も始まり、これから以降は、熟年アスリートとして、しっかりと「がんばる」生活を続けていくでしょう

 でもね、自慢話のようで恐縮ですが
このようにブログの中に書いてしまえるほど、三日坊主ではなく、自分の生活の一部に運動を組み込めるようになるまでには、地道は努力が必要でした

 昨年の10月。夫が事故以来、初めてランニングに復帰する日、私はやはり夫が心配で、一人でランニングに行ってもらう気にはなれませんでした そこで、サポーターとしてお付き合いをして走ることにしたのでした
 夫の青山の会社から、半蔵門に出て、皇居を1周するコース。もちろん、骨盤骨折の後の復帰ランニングですから、恐る恐るのランニングです。
 確かに、距離は8キロほどありましたが、始めは歩き、徐々にジョギング程度の速さ。途中には歩いたり、また少しスピードを上げたり・・・まさに、リハビリランニングです 

 でも、その日の私は、ものの10分ほど走ると、足のあちこちが痛くなりました 筋肉がギュッギュッと引き連れたような感じがして・・・息も、ハーハーと上がりました
 夫のリハビリのためと心に言い聞かせ、嫌な顔をせずに付き合おうと決めてはいましたが、走り出したとたんに、もう止めたくなりました 実際、少し走ると息が上がる、ということ自体、私の心肺機能は「走る」ことについていけなかったわけです

 入院中でも、筋力が落ちてしまうことを心配し、ずっと動くほうの足は動かすように心がけていたり、松葉杖で片足歩行が出来るようになると、リハビリの先生のアドバイス通り、毎日、50回以上の腹筋を欠かさなかったり・・・そんな夫のほうが、ずっとずっとタフでした

 地道な努力・・・あの日から、私の「がんばる」が始まりました。夫は、2月の東京マラソンを復帰戦に決め、これまた地道な努力を始めました。私はそんな夫の指導の元、徐々に脚力がついていき、心肺機能もあがっていきました
 年が明けてからは、夫のトライアスロンチームのコーチの指導も受け始め、チームの女性メンバーと一緒に走ったりも出来るようになりました

 私はずっと・・・ずっと・・・自分に向かってかけ声をかけていました。「かんばれがんばれ
 でもね、この声は、「私が、私に対してかけた言葉」であって、「誰かが、私にがんばりを強要した声」ではありませんでした。
 つまり、私は、確かに決して楽ではないランニングではあっても、自分がしたい!ということに向かって、邁進するためのかけ声をかけていたわけです。

 夫も、コーチも、チームのメンバー達も、みな私を励ましてくれましたし、「がんばれ」と声をかけてくれていましたが、所詮は、「がんばらないといけない」と決めたのは「私」自身だったのですよね。

 そして、なぜ私が「がんばれるのか?」と言えば、がんばって走れるようになり、がんばって泳げるようになり、がんばって自転車で完走できるようになれば、3種目をやり遂げる達成感が待っている・・・ 今までに、私が一度も経験したことのない、とてつもなくすばらしい充実感が手に入れられるだろうなあ、と感じているからなのです

 この間の日曜日、私は夫と一緒に、横浜国際プールに初めて行ってきました。
競技に使われる50メータープールは空いていて、とても泳ぎやすいところです。
 その日は、すぐ隣のダイビング用プールで、シンクロナイズドスイミングの神奈川県ジュニア予選が開催されていました。私も夫も、そちらが気にかかり、さっさか泳いでしまって、その後はかなり長い時間、プールサイドに座って、彼女達の演技を見ていました
 高校生と思しき二人のソロ演技。中高生のペア演技。
なぜかその日は、途中で音楽が切れてしまったりというハプニングが何度もあって、ひと組の女子高生ペアの演技は何度も何度も中断され、そのたびにプールサイドに上がり、二人で待っていました。
 彼女達は、泣いていました・・・ 音楽が切れ、プールに上がるたびに、彼女達は、しぼんでいくように見えました

 トラブルの原因は何だったのかは知りませんが、音楽が止まるたびにスピーカーのところに集まり、ゴソゴソと機械を触って・・・挙げ句の果てには、その選手達に「あなた達、あのテープ、1本しか持って来なかったの?」などと、少しむっとしてたずねる関係者・・・
 夫も私も・・・
 「あなた達、いい加減にしなさいよ。この子達が、どんな思いでここで待っていると思ってんの?大会の関係者ならば、始まる前に、入念にチェックくらいしておきなさいよ!それがあなた達の役目でしょう!」と、怒鳴りたい気持ちを抑えるのに必死でした。
 何度も、そんな悲劇を繰り返した後、彼女達は、立派に最後まで演技を続けました 得点は、むごいものでした。それが、彼女達の実力の評価点に成り得る状況であろうはずがありません

 私はこの時、ふっと思ったのでした。
私がもしあの子達に声をかけるとしたら、「がんばれ」と言っただろうか?そんな、慣用句の、お座なりの言葉をかけただろうか?

 私は、これからも私の生徒達に、きっと機会あるごとに「がんばれ」と声をかけることでしょうね。
 私の言う「がんばれ」とは「Do your best あなた達の最善を尽くしなさい
 
 でも、本当の意味で、幼い子ども達を「がんばらせる」ためには・・・
 がんばる姿勢は尊いものであること、
 がんばった後には、必ず手に入る貴重な何かがあること、
 がんばるあなたは、とても素敵であること、
 そういうことを、まずはしっかりと伝え、教えてあげなくちゃ・・・と思っています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の音

2008年06月29日 | にこにこ
 最近のブログを読み返し・・・
私も年をとったのでしょうか、妙に文句が多いですねえ 「昔は良かった」「私の時代は・・・」「最近の若い人は・・・」いやいや、嫌われるオバサンの典型の慣用句です

 まあ、私は決して文句と批判で終わろうとしているのではなく、一つの提言をして、「考えて欲しい」というのが真意です
 是非、私のブログを読み、なるほどねえ・・・ とか、むーそれは違うんじゃない・・・ とか、やな人だなあ・・・ とか、何かを感じ、考えるチャンスにしてもらえればいいなあ、と思っています

 さてさて。
関西から関東にかけて早々と梅雨入りをしてから、そろそろ1ヶ月。当たり前とは言え、雨の日、多いですね
 今年の梅雨は、九州地区の豪雨や、東北の地震被災地付近の二次災害懸念や、そういう深刻な問題が多く、「アジサイの上のカタツムリ」のような、ほのぼのの雰囲気ばかりでは論じることができませんが・・・
 その「雨」です。
みなさんは、真剣にその「雨の音」を聞いたことがありますか?雨ってね、素敵な「音」があるんですよ
 傘を差して歩いている時には、雨粒が傘に当たる音がしているのです。まわりの車の音や、人通りの多いところでは、話し声などに気をとられて聞いていないかもしれませんが、雨脚が強くなったり、弱くなったりは、目で確認しなくても、傘に当たる音だけで瞬時に判断することができます(まあ、もちろん、バタバタバタと音を立てるような強い雨では、子どもを連れて、雨の中を歩くことはなさらないでしょうが・・・)

 車が走っていく時、路面の雨をかき分けていく音もします これも、車の大きさによって全く違います。トラックやダンプカー、バスなどは、ザーーーーッという音がしますし、乗用車の場合は、シャーッという音がします。車体の重さによって、路面への抵抗?が違うからなのでしょうか。
 そして、家の中からでも、雨の音は聞こえます。窓をあけると、きっと、雨の音が聞こえるはずですよ。
 我が家はご存知の通り、ベランダ側の窓を開けると、真ん前が桜の大木だからでしょうか。ザーっという音だけではなく、時々、その音とは違う音も聞こえたりします。雨が木々の茂った葉っぱにあたり、きっと違う音を生み出しているのでしょうね

どこのメーカーだったかは覚えていませんが、みなさんは補聴器のCMをご覧になったことはあるでしょうか?
 とっても健康的な若いボディーボーダーのお嬢さんが語られるのです。
「初めて補聴器を付けた時のこと。ザーッと音がするから何かな?と思ったら、それは「雨」の音だった。ああ、雨にも音があったんだ、って、とても感激した」という内容でした。
 私は、初めてそのCMを見た時に、泣けてきました 幸い健常者として生まれておきながら、多くの人は自分の身のまわりのことを「当たり前のこと」として感じ、何事にも注意を払わず、感謝もせず、安穏と生きているのだ・・・と思うと、その女性の感性を、何よりも尊いものだと感じたのです

 雨が降ると、子どもを連れての外出は、本当に億劫ですね 車移動であったとしても、それなりの面倒さはありますし、ましてや、子どもにレインコートを着せて歩かせるのは大変。
 また、ほとんど役に立たず?オモチャと化している小さな子どもの傘を見るのもストレス・・・ですね。

 でも、万物を潤す恵みの雨としてだけではなく、雨には、もっと違う顔もあるのですよ たまには、お子さんと一緒に耳をすましてみませんか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする