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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

いろいろなプロフェッショナル

2013年06月11日 | にこにこ
 すっかりブログ更新から遠ざかってしまいました
書きたいと思うことは、ずっとずっと身の回りにたくさんありながらも、雑事に翻弄された2ヶ月でした

 引越しを決め、動き出したのが3月の20日過ぎ。5月の20日には、すでに引越しを完了し、ホノルルトライアスロンも終えて、1年に1回だけだという白波が立ち、多勢のサーファー達で賑わうワイキキビーチでビールを飲んでいたのですからねえ・・・脱兎のごとく過ぎたこの2ヶ月半でした

 そんな中で私は、日頃はなかなか知ることのできないたくさんの「職業の方達」とご一緒し、非常に近しく接し、たくさんのことを見て、知って、学ばせていただきました 世の中には、本当にたくさんの「プロフェッショナル」がいて、私達の暮らしは成り立っているんだなあ、としみじみと実感したここ80日間でした

 私は年長児クラスの生徒達に、必ず「あなたのお父さんのお仕事を教えてください」と聞きます。
はじめのうちは「お父さんのお仕事は、会社でパソコンを使うお仕事です」程度の答えだった子ども達が、毎週、毎週、私からちょぴり意地悪な質問を次から次へと尋ねられるうちに、父親への質問の時間を重ね、「お父さんの仕事」に精通していきます
 そして、そのことからあらためて「社会人である父親」を初めて意識し、幼いながらも自分の身の回りの「働く人達」「仕事」に興味を持ち始め、同時にお父さんへの尊敬の念が湧いていくのですね

 今回の引越しで、私はたくさんのスペシャリスト、プロフェッショナルのお世話になりました。
まずは不動産屋さん。これは根気のいる仕事ですねえ その人のニーズをしっかりと頭に入れ、その人、その家庭の生活や人柄等も考慮し、ピタリの物件を見つけ出してくれる 本当に頭が下がりました。
 そして、引越し屋さん。荷物を運ぶ技術はもとより、運ぶ荷物をトラックに効率よく、なおかつ空いたスペースをしっかりと把握した上で積み込んでいく・・・時には家具を吊り上げたり、解体したりすることも必要となり、その判断を迅速に下し、より早く丁寧に荷物を運んでいく・・・こんなに特別の技術を必要とされるお仕事も少ないだろうなあ、と思いました

 あとは、電気やガス、水道、電話、インターネット、等々。それぞれに自分の専門分野に精通し、スムーズに対応していかなければ、引越しをした人たちが新生活をスタートさせられません。

 ここにあげられたのはほんのひと握り。他にも、「ああ、こういうお仕事をしているプロがいるんだなあ・・・」と感動したものです。

 今さらですが
世の中は、本当にさまざまな仕事をしている人がいます。それらの人々の存在を、まるで借景のように無関心に眺めるのではなく、それぞれのお仕事に思いを馳せ、時には興味を持って尋ねたり、長い間眺めたり
 それだけで、自分達の生活を一層、「ありがたく」感じることができます

 子ども達だけではなく、大人も時には自分の身の回りを眺め、さまざまな仕事に従事している人を眺めてみるのはどうでしょう?そんなふうに「仕事を知る」ということもとても楽しく有意義なことですし、その人達を一層、愛情深く感じられるようになりますよ 
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最後のバイバイ

2013年04月26日 | にこにこ
 私が、出かけていく家族を見送る時、玄関で「いってらっしゃい」と言ったあと、急いでリビングのベランダに出ていき、そこから見えるマンションの中庭を行く姿に、再度、バイバイと手を振る・・・すると、見送られるほうもベランダのほうを振り返り、手を振り返してくれる・・・
 この我が家の習慣は、きっと今までに何度も、このブログに書いてきたことと思います

 ランドセル姿だった息子や娘。特に低学年の頃は、満面の笑顔で、手が千切れるほど手を降ってくれました
 多感な年齢を迎えた彼らは、時には面倒くさそうに・・・時には無愛想に・・・それでも、無視をすることなく必ず手を振り返してくれていました
 息子が家を出てからは、私が手を振る相手は、夫と娘だけになりました。

 ある意味、行ってきます!と家を出たことによって、家族だからこその様々な気遣いから開放されるからなのでしょうねえ・・・息子も含め、ベランダから見送る時のほうが、家族3人の心の内がとてもよく見える気がしたものです。
 私は毎日、手を振りながら、「どうぞ今日も一日、良い日でありますように。気持ち良く『ただいま』と帰って来られる日でありますように、どうぞお守りください」と祈り続けました。

 夫婦は、大人の結びつきですからね。いろいろと小細工をすることもあるし、駆け引きをすることもあります もちろん、子ども相手でも、気持ちとは裏腹なことを言って、母の思いに気づかせようとしたり、時には脅したり、媚びたりすることもありました でも、やっぱり子どもが相手のほうが、純粋に愛情を持って思いを表現していたと思います。ベランダからの「バイバイ」も、時には叱りすぎたことへの反省を込めたり、意地悪や皮肉を言ったことへの懺悔をしたり・・・
 息子が小学校に入学してからの22年間、思えばこのベランダからのバイバイは、単なる習慣ではなく、息子と私、娘と私との愛情を確認する、とても大切で、そしてとても豊かな親子の時間でした

 私は今日、万感の思いを込めて、娘に手を振りました
娘はいつものように振り返り、笑顔で手を振ってくれました。マンションの出口から娘が出ていき、姿が見えなくなり・・・娘は今、どんなことを感じているのかな?と、ちょっぴり思いました。これが娘との「最後のバイバイ」でした

 娘の誕生から今日まで・・・本当に時間は続いていたんですよ・・・
いろんなことが山ほどあって、泣いたり、笑ったり。振り返ればどの瞬間も、母と娘のかけがえのない、輝く時間でした
 立派に社会人になってくれた娘に、ひたすら感謝です。私は「寂しいかしら?」と自分に問いかけますが、感動に満ちた泣き笑いの気分はありますが、決して強がりではなく、やはり、寂しくはないですね

 娘は明日の午後、引っ越していきます。記念すべき独立 地方から上京し、大学に入学して一人暮らしを始めた多くの娘の友人達から遅れること7年。私は、彼らのお母様達よりも長く我が子を手元に置き、愛情を注ぐ・・・という錦の御旗を振りかざし、娘を束縛していたのだなあ、と苦笑しています
 明日から、がんばれ 一緒に暮らさなくなっても、私はお母さん ファイト、ファイト、とエールを送ります

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プチギフト、素敵です!

2013年03月31日 | にこにこ
  「プチギフト」この言葉、意味をご存知ですか?
先日、朝のテレビ番組を見ていると、今、若い人達の中で流行しているもの、として紹介されました。それは、ささやかな「お礼」の気持ちや、ちょっとした「手みやげ」なのだそうです

 職場で、同僚や後輩に自分の仕事を頼み、それをしてもらった時・・・お友達との間で貸し借りをした時・・・たんに「ありがとう」とお礼を言うだけではなく、感謝の気持ちをよりきちんと表すために、オシャレな小袋のキャンディーや一口サイズのお菓子などを手渡すのだそうです
 最近では、既製のお菓子の小袋タイプ、「Thank you!」などと書かれた金太郎飴、ミニサイズのどら焼きなど、そういうシチュエーションを想定したお菓子がたくさん発売されているとのことでした。

 そういえば・・・ひと月ほど前、青山通りを歩いていると、オシャレなお店が目にとまりました 気になって入ってみると、そこには妙に小さな袋に入ったカラフルなキャンディーや、2、3粒だけ入ったチョコレートなどが売られており、「??このオシャレさは、子ども向けとは思えず・・・いったい、誰がここまで買いにくるのだろう?」と思ったものです。

 番組では、職場の引き出しの中にズラリと並んだ「プチギフト」が紹介され、なるほど・・・と思いました。そして、ちょっと仕事を手伝ってもらった同僚に、「どうもありがとう」と声をかけ、「一口サイズのどら焼き」を差し出すOLも映し出されました。
 一口サイズどら焼きを受け取った男性社員は「ああ、どうも」と笑顔。その男性がインタビューを受けると、「やっぱり、こういうのって嬉しいですよね。なんか、またいつでも言ってよ、なんて気持ちになります」との言葉。
 ほー・・・

 彼らに「どうしてプチギフトを贈るのですか?」と質問をすると、その答えは「コミュニケーションを円滑にするため」「こういうことをすることによって、お互いが和み、人間関係がスムーズにいくから」という返事が返ってきていました。
 いやいや・・・私は良い時代が復活したなあ、と思ったものです。

 日本には、昔からお歳暮やお中元、という文化があります。
また、贈り物をする時には、欧米のように「リボン」をかけて渡すだけではなく、「熨斗紙」をかけたり、水引を用いたり・・・独自の文化がありますね。
 お祝いやお礼として現金やそれに準ずる商品券などをお渡しする時、そのままで熨斗袋をお渡しするのではなく、その熨斗袋を乗せる「台として」、ちょっとしたお菓子などを一緒に渡す・・・こういう慣例もあります。
 日頃、ご無沙汰をしている目上の方や、いつもお世話になっている方に、感謝と親愛の思いを込める・・・それに、季節を感じさせる一筆せんに「ひと言添えて」お送りするなんて、本当に素敵な日本の文化だと思うのです

 しかし、今から10年ほど前でしょうか、たまたま、そんな「日本の風習」が話題にのぼった時、あるお母様から「先生、そんな考え方は古いですよ。時代は21世紀です。そんなこと、欧米ではしませんよ!贈り物の慣習って、昭和の遺物って思いますよねえ」と、5年間、海外に駐在されたそのお母様から、けんもほろろに言われたことがありました。一理ある意見ではありましたが、私は、そこにカサカサしたもの、を感じ、とても情けない思いをしたものでした。贈り物が大事とは言わないまでも、そのママのお言葉、お考えには「うるおい」のようなものが感じられず、心が寂しくなりました

 バブルの時代を経て、世の中の考え方、価値観が、一時妙な方向に動いていった時・・・欧米の生活、特にアメリカナイズされた生活こそが一番モダンで、日本古来の風習や習慣を「古いもの」として排他することが国際人になること?!のような風潮がありました。こういう思考の人が、当時、どんどん生まれていました。
私は日本人として、そう言う風潮を、とても悲しく感じていました
 単なる「儀礼」としての贈り物は、確かに寂しく意味のないことかもしれませんが、「ご無沙汰を詫びて、ご機嫌をうかがう」「日頃の感謝を込める」こういうことは、人と人とが暖かい空気感を持って、優しく、そして凛々しく暮らす知恵であり、守るべき「心」だと思っています

 震災以降、私達日本人は「優しい気持ちを大切にし、それをしっかりと表現する国民」になったと思います。そのきっかけが、あまりにも悲惨な出来ごとであったこと、そして今でも厳しい条件のもとで多勢の方が不自由な思いで暮らしていらっしゃることは、本当に辛い思いでいっぱいです。
 しかし、「優しい気持ちを素直に表現することで、多くを語らずとも『なごみの時間、穏やかな時間』が流れる!人と人との関係を、優しいものにしたい!」とう思いが、若者達の間に生まれたこと・・・それは、大きな学び、だと思います

 プチギフト・・・もともと私は、素敵なものを見つけたり、美味しいものを見つけると、すぐに仲良しさん達に紹介したい、共感したい、と思うタイプ、です
 今時の若者達のように、オシャレで可愛いプチギフトを活用しようと思っています

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自慢の子ども

2013年02月21日 | う゛う゛ー
  その日、想像以上に地下鉄は混雑していました。
ホームで私の前を歩いていた親子は、きっと私同様、もっと空いた電車をイメージしていたに違いありません。
 4、5歳の男の子とお母さん。乗り込んですぐ、混雑を気にして、ママは子どもに声をかけます。
 「すぐだからね。長い間、乗るんじゃないから。えーっと・・・1、2、3、あったあった、4つ目の駅だから。」
 そんな声が聞こえました。ママ自身も、その路線には不慣れなようでした。すぐに男の子の声が聞こえました。
 「大丈夫、電車好きだから。4つ・・・4個ね。」
 「そうそう、4つ目!」

 私はその会話を微笑ましく聞いていました 確かに、その混雑ぶりでは、背の低い男の子は、人と人との間に埋もれてしまっていたでしょう。必死にスペースを空け、我が子のために頑張るママの姿を想像しました。
 一つ目の駅が過ぎても、ほとんど状態は変わりませんでした。ママの声・・・
 「我慢してね。今、一つ過ぎたから、あと3つだからね。」
すると、すかさず男の子が返しました。
 「違うよ、ママ。3つじゃないよ。1つだよ。今、1個、駅が終わったの。今度は2個目の駅。ママ、わかんないのお?」

 私は、なるほどな・・・と、この噛み合わない会話を聞きました。
おわかりでしょうか?二人の問題は「言葉の問題」なのですね。
 この男の子は、1、2、3、4、と数は理解しています。順番は理解できているのですね 1つ目、2つ目・・・という言い方もわかるようでした。
 でも、ママが最初から語ったのは「あと○個」という言い方。二人が降りる駅は、乗車駅から4つ目の駅のようですから、1個駅がすぎれば、「あと3個、3つ」です。これが、ママが言っていること、です。
 しかし、この男の子は、「あと○個」という言葉が理解できなかったのです

 たぶん、もっと余裕のある状況であれば、ママはきっと話の食い違いの原因を推察し、気づかれたことと思います けれど、混雑した電車の中で、子どもの様子を気遣い、早く目的の駅に着けばいいなあと感じながらの時間。なぜ話しが食い違うのか?をしっかりと考えるだけの余裕はありません。ママは、我が子が「間違ったことを言った」ということだけに意識が集中したのでしょう。

 最初は、ママは子どもの言葉を無視しようとしていた様子でしたが・・・子どものほうが何度も、
 「ねえママ、3個じゃないよ、2個だよ。ねえ、ママ聞いてる?」
としつこく繰り返すので、ママは仕方なく
 「4個、乗らないといけなかったでしょう。1個済んだから、あと3個でしょ」と再度言いました。
 またまた、この意味のわからない子どもは、 
 「違うでしょ。次は2つ目。ママは間違ってるよ。もう、わかった?ママはわかんないの」と応酬。

 混雑はしているものの、ほとんど会話の聞こえない車内では、親子の声がよく聞こえました。
男の子は、とても賢い子どもだと思います それは、ホームを歩いている時、たまたまその親子の後ろを歩いていた私には、想像できました。
 手をつなぎ、黄色い線の内側を話しながら歩く母と子。ママは、子どものほうに顔を向けて何かを話すと、男の子もママを見上げて笑顔で応えています。
 私は、この親子は会話も多く、ママは我が息子を一生懸命に「賢い子に育てるため」に、日頃からたくさんの言葉かけをしているのだろうな、と思いました。それは、電車に乗ったとたん、「4個、乗るからね」とわざわざ「数」を使って話したことからもうかがえました。ママは、きっとしっかりと話し、ものをよく考える息子が自慢だったかもしれませんね・・・

 私は仕事がら、すぐに二人の会話の「食い違いの原因」がわかりましたが、何となく会話を耳にしているだけでは、男の子がママの言っていることが理解できず、それにも関わらず、母親を馬鹿にするような言葉を吐き、間違った勝手な数の持論を展開している・・・そんなふうに聞こえたでしょう
 いえ、もしかしたら誰も会話の内容などには気にも留めずにいたかもしれません。ただただ、「話しが噛み合わない、数に関して間違ったことを言っている我が子」にママは焦り、「うちの子がおバカちゃんだと思われているかもしれない!」と一人で小さなパニックになり始めたようでした

 二つ目の駅が過ぎました。混雑の中、親子の会話に耳を傾け、いろいろと考えていた私には、駅と駅との感覚が、ものすごく長く感じられました。きっとそのママにとってもそうだったでしょうねえ・・・
 「2つの駅が過ぎたから、あともうちょっと。もうおしゃべりしないで、静かにしてなさい」とママ。
  「ママ、何怒ってんの?ぼくはね、数を数えたんだよ。ママ、ぼくね・・・」
 「静かにしなさい

 町に出ると、あっちにも、こっちにも、「どうです、うちの子は賢いでしょ」と無言で語っているたくさんの親を目にします。見栄ってありますよね。よくよくわかります 子育て中は、私にもありましたよ
 でも、実際にそれを外から眺めていると、ちょっと恥ずかしく感じたり、いやらしく感じたりするものです。本人が、それに気づけないのは残念ですが・・・

 子どもが小さな頃から、夫や子どものことではなく、「自分のこと」で秘かに自慢できるような「自分磨き」を心がけておきませんか 子どもの手が離れた時、自慢できるのは夫や我が子だけだった・・・では、あまりにも悲しいですものね・・・


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「痛い」「辛い」ということ

2013年01月20日 | う゛う゛ー
 私は、同年代の女性の中では、比較的、力持ちだと思っています たぶん、それは「母譲り」のポイントで、今年82歳になる私の母も、私が幼い頃からよく重い荷物を持っていましたし、今でも足元に十分気をつけながらも、それなりに家の中ではモノを運んでいます
 我が家では、子ども達が小さな頃から夫は海外出張が多く、粗大ゴミを捨てる・・・古新聞を運ぶ・・・部屋の家具の移動をする・・・などの力仕事も、できる限り自分で完了するようにしていました。
 そんなクセもついていますし、力持ちの自分を自負する部分もあり・・・私は年明け早々、箱に詰めた本をトランクルームに運ぶときも、夫を待たずに「自分で終わらせよう」の気分があり、がんばってしまいました

 これは、整骨院の先生にお聞きした話ですが、重いものを持ち上げる時には絶対「頭を身体の前に傾けた状態で持ち上げてはいけない」そうです。頭は重いのですって
 その重い頭を元の位置に戻すためには、首に大きな負担がかかる・・・首はいつも重い頭を支え、傾いた頭を元に戻すためにがんばっているのだそうです

 そうです 私はそんなことを知らず、思いっきり頭を前に倒し、めいっぱい本が詰め込まれたダンボール箱の上にこすりつけるようにして、その箱を持ち上げました。そして、その箱を早足で運び、今度は下ろして車のドアを開け、また持ち上げて積み込む・・・これを4箱分
 あくる日の朝、お布団から起き上がることができませんでした。むー・・・馬鹿ですねえ・・・

 すでにその日から2週間が経過していますが、なかなかすっきり回復しません
日によって痛い日があったり、ジーンと重い日があったり・・・要するに、辛いのです・・・
 痛かったり、重かったりするだけではなく、気分がすっきりせず、滅入ります
 「年明け早々馬鹿だなあ・・・」とか「本調子で家事ができない・・・」とか「ランニングやスイミングに復帰できない・・・」とか
 現に夫に「腰を痛めたようです」と報告した時、間髪を入れずに返ってきた言葉は「大丈夫?」というヤワな言葉ではなく、「ひや~、痛かったら何にも出来ないやん」という超現実的な、想像通りの言葉でした。ここ1年、トレーニングを止めて、リバウンドしていくにまかせていた私の様子を気にしていた夫。ほんと、その通りです。腰痛では、泳ぐことも、走ることもできません。まいりました

 3年前、他界した叔母は長年リウマチを患っていました。
晩年は四肢の痛みがひどく、自力で家事をすることも、自由に移動することもできなくなり、すべて叔父の力を借りての生活でした。
 叔父、叔母には子どもがなく、姪である私が最も身近な親戚でしたが、私とは血の繋がりのなかった叔母は、痛みに耐える姿、だんだんと変形していく手足を他人に見せることを何よりも嫌い、私が久しぶりに叔母に会ったのは、他界する3ヶ月前、感染症で入院した時のことでした

 病院のベッドの上で、ほんの少し体勢変えるだけでも叔母は痛がり、顔を歪めていました。そんな現実を知った私はとてもショックでした。
 ちょうど息子が入院をした時期と同じだったため、思い返しても、ほとんど何もできないうちに息を引き取ってしまった叔母に申し訳ない思いでいっぱいでした

 でもね、叔母の長年のリウマチの痛みとは比較できるわけがありませんが、今、私自身が腰の小さな痛みや辛さを実際に経験し・・・叔母の痛さ、辛さは、どんなものだったか・・・初めて身近なものとして、真剣に考えるようになりました。

 健康な人は、痛みを持つ人に対し、同情の気持ちを抱きます。自分の生活に実害がなければ、大丈夫ですか?お気の毒に!と思います。
 けれど、本当に「痛い」という状態はなかなか想像できないものですねえ・・・そして、実際の痛みだけではなく、そういう状態、そういう状況を心底「辛い」と感じていることは、もっともっと理解できない・・・

 椅子から立ち上がる時、お布団を敷く時、「イタタタ・・・」となるたびに、私は叔母のことを思います。
見たこともなかった叔母の生前の生活・・・どんなふうに痛みを堪えてお手洗いに立っていったのだろうか?テーブルから転がってしまったお箸を拾っていたのか?食べた食器を流しに運ぶとき、少しでも痛さを軽減するために、どんな工夫をしていたのか?

 まだまだ叔母のことを思い出す生活は続きそうです。



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