ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその241-映画館事情に物申す。

2016年06月28日 | 日記
残念な映画館事情。

最近、幾つか観たかった映画を見逃した。
勿論映画館で、ロードショウのものである。
その映画とお目にかかれるのは、早くて半年、そう「DVD」等による媒体としてリリースされるのを待つのだ。
そして「レンタルショップ」へ行って、DVDを借りて観る。
しかし、ロードショウを見逃して、半年と言う月日を待つのは、映画好きにとっては、とても長い時間である。
私の住む地域も、中心街の映画館はことごとく閉館し、今では車で出かけなければ映画館に行けない状態だ。
厳密に言えば「以前は」が上記の前に付く。ここ最近になって、ようやく市の円周部に「シネマコンプレックス」が開館し、今後もその地域に新しいシネマコンプレックスが完成すると言う。
しかし、依然街の中心地には映画館は一つも無い。交通の便を考えれば、これは困ったことだ。
都市の最も名だたる繁華街に、映画館が一つも無いとは、お粗末な都市である。
話は冒頭に戻るが、今の映画上映を取り巻く環境は実に悪い。とてもつまらない「システム」が完成してしまったからだ。
それは冒頭に書いた「ロードショウ公開」~「DVD等媒体発売」と言う映画を観られる環境がこの二点に絞られてしまったことだ。
昔、私が少年時代の頃は、ロードショウ(一番館)、二番館、三番館までは映画を上映する小屋があった。
少年時代、こづかいを貯めては、できるだけ一番館で映画を観た。
私は今でもそうだが、ロードショウは公開初日の朝一番で観ることを心がけている。
少年時代は、それに徹し、日曜の朝、早起きしては一番館にいそいそと足を運んだものだ。
しかし毎回一番館で映画を観られるはずも無い。
そのような時は、二番館で映画が上映されるまで待つ。待つと言っても、前述の現代のシステムのように長く待たされることは無い。
おまけに、二番館、三番館と映画が巡回してゆくにつれ、入場料は安くなり、同時上映の本数(昔は基本的に映画はロードショウでも二本立てであった。)も多くなると言う、良いシステムになっていた。
ただ、一番館に比べ、二番館、三番館は場所的にもあまり上品な街には無く、少年が一人で映画を観に行くには、あまり相応しいところでは無かった。
映画館自体も、二番館、三番館は古びた作りそのままの建物で上映していて、今で言う「昭和臭」が限りなく漂うところだった。
しかし、それはそれで味がある。私はそれが結構好きだった。
今は二番館、三番館は存在しない。厳密に言えば存在しているようだが、二番館止まりで、それも失礼な表現はご容赦願いたいが、田舎の方の辺鄙な小屋になっている。
以前、どうしても観たい映画を見逃したので、近隣他県へ行ってでも観たいと思い、ネットで検索したが、さすがにその映画館の場所は遠く、小旅行のつもりで行かないと無理だと言う事を知り、泣く泣く諦めた。
映画業界にも様々な事情があるだろう。しかし、私としては、以前のように二番館、三番館を設けてもらいたいと拙に願う。
シネマコンプレックスも、複数のスクリーンがあるのだから、思い切って「一番館用」「二番館用」とスクリーンを区分けして、上映したらどうだろうか。勿論料金も差をつけて。

1950年代後半、隆盛を極めた映画業界はその後「テレビ」の出現により衰退していった。
しかし、原因はそれだけではない。入場料が高いのだ。映画一本観るのに二千円近くのお金を支払っていては、財布の紐も厳しくなり、映画館へ足を運ぶ人も減ってくる。
その事を如実に証明しているのは「レディースディ」だろう。レディースディはいつも映画館が満員になる。映画一本千円で観られれば自然と人は集まってくるのだ。
現状のように、ロードショウを見逃すと、半年その映画を観ることができない、入場料が高くてなかなか映画館に足を運べない。この両方を「ソリューション」すべく、シネマコンプレックスにおける、一番館、二番館構想は、さして非現実的なことではないと思うのだが。
皆様はどうお考えだろう。