ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその154-ドドンパ

2015年08月10日 | 歌謡曲
続黄金のニューリズム。

先週のブログで「ニューリズム」を取り上げた。
洋楽の「マンボ」を取り上げたわけだが、戦後流行した「ニューリズム」は洋楽だけではなかった。
邦楽にもそれはあった。
「ドドンパ」である。
「ドドンパ」の誕生は1950年代後半になる。
一説では京都のクラブで演奏していた、フィリピンバンドのオリジナルマンボのリズムが面白く、それを日本を代表するラテン歌手「アイ・ジョージ」がリズムをアレンジして完成させたと言われる。
発表当初は「フィリピンマンボ」と言う呼び方をされていたが「アイ・ジョージ」がその独特のリズムを擬音化し「ドドンパ」と命名した。
彼は「アローラテングループ」と組み、様々な「ドドンパ」を世に送り出した。
彼自身が歌った「銀座でドドンパ」坂本スミ子の「祇園でドドンパ」などが代表曲である。
一方アルバム(10インチ)も制作された「ドドンパ誕生」「ドドンパ禁止」「ドドンパ全集」などが代表である。
そして1961年、一大ヒット曲が生まれる、渡辺マリの歌う「東京ドドンパ娘」である。
「東京ドドンパ娘」は、メロディ、リズム、編曲、歌詞が一体となり、素晴らしい楽曲に仕上がっている。
この曲は100万枚を超えるヒットになったと言う、この時代の100万枚はとてつもないヒットと言えるだろう。
世間では一斉に「ドドンパ」ブーム。
渡辺マリを主役とした同名の映画まで製作された。
他の歌手もこの「ドドンパ」のリズムを取り入れた曲を多くリリースしている。
君原健二の「若いふたり」マヒナスターズの「お座敷小唄」そしてなんとあの歌謡界の女王、美空ひばりも「ひばりのドドンパ」と言う曲をリリースしている。
しかし流行り廃りは早いもの、このブームも長く続かなかった。
私が思うに「東京ドドンパ娘」が傑作すぎた、この曲を超える名曲がその後作られなかった(作ることができなかった)と言うことに尽きる。
ブームはほんの数年で去っていった。
その後は気まぐれに「ドドンパ」のリズムを使った曲もリリースされた、氷川きよしの「きよしのドドンパ」はまだ記憶に新しい。
「黄金のニューリズム」も1960年代を隆盛期として、1970年代以降は生まれていない。
「ドドンパ」と同年代「スクスク」と言うリズムも流行った、これについては後日のブログに譲ることとする。
下に「ドドンパ」の曲をリンクしておいた。
大ヒット曲の「東京ドドンパ娘」とかなりマイナーな「ドドンパ」万代陽子の「ドドンパNO,5」である。
この2曲を是非聴き比べていただきたい。

渡辺マリ 東京ドドンパ娘


ドドンパNO5 万代陽子