ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその491-今週の一曲

2020年10月30日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、2度目の登場となりますが、中国の女性歌手アリス・ワンです。
曲名は「ジョイ・ホ」。
ファンキーなリズムに、ボコーダーのかかった本人のコーラスが心地よい、なかなかの名曲です。
では、みなさま、ご堪能あれ。

王汶玲 Alice Ong ~ JAI HO (胜利)Mv

明日のためにその490-インターネットラジオ

2020年10月28日 | 今回のインターネットラジオ
最新のフレンチポップなどが聴ける貴重なステーション。

今回紹介するインターネットラジオは、RFIミュージック。
最新のフレンチポップなどが聴ける、ステーションだ。
もともと、フランスは、昔から大衆音楽のポータルとしての役割を担ってきた。
古くから、世界の大衆音楽を発信してきた国である。
このステーションは、勿論最新のフレンチポップスも聴けるが、他国の音楽も盛んにかけている。
実に珍しいステーションなので、皆様に是非ご紹介したいと、思った。
インターネットラジオの聴き方は、以前の記事に書いてあるので、知らない方は一読していただきたい。

[http://live02.rfi.fr/rfimusiquemonde-64k.mp3]([]はコピーしないでください)

上記がURLとなっている。これを前回の記事に書いたように、URLをコピー&ペーストしていただきたい。
残念ながら音質が、mp3の64kなので、若干音質的には劣るが、聴くには十分な音質である。
皆様も、最新のフレンチポップスや、他国のワールドミュージックを、是非聴いていただきたい。

明日のためにその489-カツベン

2020年10月26日 | 邦画
周防にしては、平均的な作品。

昔映画が、モノクロでサイレントだった時、日本にはその映画を説明する「弁士」なる職業があった。
彼らは、独特の語り口調で、映画に華を添える役割をしていた。
弁士自体が人気者になり、それを目当てに客は劇場に、足を運んでいた。
今回紹介する映画は「カツベン」。
映画の弁士を主人公にした作品である。

ストーリーを紹介しておこう。
時は大正、幼い俊太郎は、映画が好きで、特に弁士に憧れていた。
ある日彼は、梅子と言う少女と出会う。
彼らは意気投合し、一緒に遊ぶ仲になる。
時は流れ、俊太郎も青年になったのだが、ある窃盗集団に入り、盗みを続けていた。
そんなある日、彼は成長し、女優となった梅子と出会う。
昔を懐かしみ、次第に近い仲になる二人だったが......

この映画は周防正行監督作品である。
彼は、今までも沢山の名画を撮った監督であり、今では「名匠」と呼んでもいい立場にある。
しかし残念ながら、この映画は、周防にしては物足りない、印象が残るものだ。
古き映画の時代へのオマージュにしては、作りが浅く、そうなっていない。
映画全体の作りはしっかりしているものの、何か食い足りない気分になってしまう。
特にラスト近くの、追いかけっこのシークエンスは「スラップスティック」にしたかったのかもしれないが、セリフが多く、動きも緩慢でそうなっていない。非常に残念な所である。
周防作品にしては、主題が見えず、映画としての平均的作りしかなされいないのは、残念な所か。
かなり期待して観たので、ちょっと肩透かしを覚えた。
彼の映画にもこのようなものがあるのだなぁと、ちょっと残念な気になってしまう映画である。
彼の次回作に期待をしよう。

2019年、日本製作、カラー、127分、監督:周防正行

明日のためにその488-今週の一曲

2020年10月23日 | 今週の一曲
皆様、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、タイからお送りします。
歌手は、ブーンマファイル。なかなかのイケメンで、歌もうまいです。
曲もフックが良く効いた、なかなかの一曲となっています。
では、皆様、ご堪能あれ。

แม่จ๋าช่วยที - แฟ้ม บุญมา [Official MV]

明日のためにその487-ワールドミュージックの現状

2020年10月21日 | ワールドミュージック
欧米化が進む現状。

私が「ワールドミュージック」聴き始めて久しいが、最近思うアジアの音楽動向について書きたいと思う。
私は特にアジア圏のポピュラー音楽を最近よく聴くが、思うに上手く伝統的な音楽を継承している国と、そうで無い国があると思しい。
例えば、タイやインドネシアは、ルークトゥンやダンドゥットと言った、今世紀半ばに形成された音楽を、しっかり継承している国がある。
しかし、我が国日本や、韓国等はそれがなされていない。
もっとも、日本は伝統音楽がほぼ無かったに等しいと同時に、250年に至る「鎖国」で文化の海外交流は無かった。しかも、ポピュラー音楽の発祥と言えるインドネシアのクロンチョンが誕生した時を始まりとすると、200年は音楽の発展が遅れている事になる。
韓国も、軍事独裁政権の解放から、40年程度しか経っていないので、その間に、自国独自の音楽を作る時間が無かった。
故にどうしてもアメリカをはじめとする、ポピュラー音楽の模倣をするしかなかったのだ。
同じ事がベトナムやミヤンマーにも言える。
両国とも、戦争や、政情不安が社会を抑え、自由な文化の開放が無かったから、上記のような「ポピュラー音楽のステレオタイプ」を踏襲するしかなかった。
私は以前、アンドロイドのアプリで、ベトナムの音楽を聴いていたが、その内容が、あまりにもアメリカ寄りなのに驚き、落胆した。殆どの音楽はユーロビート系のリズムになっていたのだ。
そこで、私は目を移し、ミヤンマーの音楽を聴いてみた。
こちらもベトナムと全く同じ状況、伝統音楽の継承はなされていない。

一番濃く歴史の色を聴かせてくれると思っていた、ベトナムやミヤンマーの音楽がこの有様では、ワールドミュージック事情も面白みが無くなるというものだ。
これらと同じことは、マレーシアのポピュラー音楽でも言える。
しかし最近、ユーチューブで見つけた、ベトナム音楽の中に、伝統的旋律を盛り込んだものを見つけた。
この流れが、今後も続けば良いのだが.....
まだまだ、アジア圏のポピュラー音楽の総論を語れる立場ではないので、今回は軽くではあるが、最近思うことを書いてみた。
最後に、ベトナムとミヤンマーのポピュラー音楽のリンクを貼った。
皆様も是非お聴きになっていただきたい。
上がベトナムしたが、ミヤンマーである。

365DABAND - BỐNG BỐNG BANG BANG [OFFICIAL] (TẤM CÁM: CHUYỆN CHƯA KỂ OST)


Myanmar Music Video: Chit Kwint Ya Chin Be By Kaung Myat


明日のためにその486-巴里の屋根の下

2020年10月18日 | ヨーロッパ映画
抒情あふれる作品

最近なかなか良い映画が無い。
どうも自分の臭覚を研ぎ澄ましても、ピンとくるものが無いのだ。
そうなると、どうしても食指はクラッシク映画に傾く。
今回紹介する映画もクラッシク映画だ。
監督は、ルネ・クレーヌ言わずと知れたフランスの名匠である。品は「巴里の屋根の下」だ。
大まかにストーリーを紹介しておこう。

パリでテンパンアレーとして働く、アルベールは、ある日ポーラと言う女性に一目惚れする。
最初は彼を嫌がっていた彼女だが、次第に心を寄せるようになる。
そして二人は結婚の約束をする。
しかし意外な事から、その約束は叶わぬものとなり.....

クレーヌは美しい画像で、魅了し、そして音楽と台詞と無音でストーリを進めていく。
物語自体に特にケレンがあるわけではない。
ある意味ありきたりの内容である。しかし、彼が撮ると実に滑らかで、抒情的な映画と昇華する。
これだから、クラッシク映画はやめられない。毎回新しい素晴らしさを堪能できる。
この映画は悲恋映画だが、どこか清々しい。映画を構成する音楽が決めてになっているのだろうか。
以前紹介した巴里祭と言い、今回の作品と言い、暫くクレーヌを追ってみようと思う。

複雑な現代社会、彼の作品につかって癒しを求めるのも良い方法ではないだろうか。
巴里祭、巴里の屋根の下、是非観ていただいて、心を落ち着けるのも良いのではないだろうか。

1930年、フランス製作、モノクロ、91分、監督:ルネ・クレーヌ。


明日のためにその485-むらさきのスカートの女

2020年10月17日 | 
あなたの傍にいるかもしれない。

私は「芥川賞」をある程度追って読んでいるが、最近ご無沙汰していた。
昨年の上半期にそれを受賞した作品を、最近ようやく手に取り、読んでみた。
タイトルは「むらさきのスカートの女」。今村夏子著。
大まかなあらすじを紹介しよう。

私(主人公)は自らを「黄色いカーディガン」の女と呼び、ある一人の女性に異様な興味を持つ。
それは、主人公の界隈では有名な「むらさきのスカートの女」である。
無造作に伸ばしたボサボサの髪、窪んでシミの目立つ顔。どこから見ても少し異様な感じの女性である。
その「むらさきのスカートの女」に興味を持った主人公は、間接的に少しの援助を始め、その変化を観察していたのだが......

文書はいたって軽妙で、文書の深み、コクが少なく、そこが少し残念な所か。
それも相まって、読み進めるには苦労することがない本である。
ここに出てくるむらさきのスカートの女はこの物語の中に本当に実在するのか、主人公が作り出した幻なのか、読み進むにつれてそれに興味が湧く。
それは、人間の成長を投影した幻にも似た存在なのだ。

物語は終盤に向け、思わぬ展開が待っている。ここは実際に読んでいただきご自身で確認してもらいたい。
なかなかしっかり読ませる、160頁近いヴォリュームのある作品だが、読むには十分な価値があると私は思う。
特に最後の構成は凄い。小説を読んだ後の余韻が残る良い終わり方だ。
是非皆様も、ご一読いただくことをお勧めする。。

2019年第161回芥川賞受賞、作者:今村夏子。

明日のためにその484-今週の一曲

2020年08月21日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、中華圏の楽曲をご紹介します。
歌手は女性の「アリス・ワン」。
彼女の唄う楽曲は、まさにワールドミュージックそのもの。
多様な要素を持っております。
では、みなさま、ご堪能あれ。


明日のためにその483-ohエド日記

2020年08月19日 | 音楽
昔のバンドマン事情の知れる貴重な話。

以前にもこのブログで紹介した、エド山口がYouTubeで放送している「ohエド日記」。
最近まで、とても興味深い内容を放送していた。
「バンド屋物語」と題した、16回に及ぶ内容である。
昭和40年代初期からの、エド山口が経験した、クラブ等でのライブ経験の物語である。
またこの話の内容が濃い。彼自身の経験が元であるので、普通の人には全く知りえない内容なのだ。
彼は最初、バンドのベースから始めたのだが、そのビートの打ち方をバンマスに教えてもらったくだりにはじまり、自身が最後のバンドを解散するまでを語っている。
ちなみに、彼の最後のバンドには「グッチ裕三」と「モト冬樹」が加入していた。

やはり驚くのは、エド自身の音楽知識と感覚である。これについては、業界広しと言えども、彼の右に出る者は少ないと思しい。
昭和40年代当時存在した、様々な踊れるクラブ。そこで腕を磨いてきたバンドマン達。どの話も、思わず身を乗り出して聴いてしまった。
中でも驚いたのは、当時のクラブ専属バンド(箱バンと呼ばれたらしい)は、曲の頭のカウントを入れれなかったというのだ。
通常、どんなバンドでも「ワン、ツー、スリー」と言う、通常はドラムのステック音で始まるのだが、それを入れれなかったという。
もし入れようものなら、そく「クビ」になったというから恐ろしい。
しかしそこは練習の賜物で、彼らは全く入りのカウント無しで、曲を演奏していたという。
今では考えられない事だ。
そしてギャラの面でも驚いた。当時の事を調べてみると大学卒業者の初任給が5万円ていどだが、彼らはバンド全体で100万~120万のギャラを手にしていたという。
バンドメンバーは5人だったので、一人当たり約20万円もらっていたのだ。なんと、大卒初任給の4倍以上である。
しかし、機材の購入等で結構経費もかかったと言う。

箱バンはいつも早い時間に来て、練習を繰り返したと言う。そこで培われた技術、知識は並大抵のものでは無かったのだろう。
エドは夢叶い、念願の新宿「ムゲン」と言うクラブに出演する。
そこに出演したバンドは、当時「最高のバンド」と称され、バンドマンのステータスになったと言う。
そして、彼らに初めてマネージャーが付き、いよいよレコーディングができる手筈が整った時、バンドは解散をしてしまう。
詳しくはYouTubeの彼のチャンネルを観ていただきたい。
若干話に難があるのは、物語の舞台が東京なので、彼の話すクラブ等のロケーションを理解し辛いところか。
しかし、音楽好きな人には、洋楽ロック等の語り部となって、彼が話してくれている内容には、とても満足するはずである。

明日のためにその482-巴里祭

2020年08月17日 | ヨーロッパ映画
純粋なる傑作。

最近の映画は、特殊撮影あり、ギミックありと、様々な要素が盛り込められている。
映画100年を超える歴史のなかでは、最初の映画は、汽車がただ駅に到着するところを写したり、体の表現だけで観客を笑わせるスラップスティックだったりと、実に単純な要素だけで出来ていた。
人間の感情に訴えるものは、案外ストレートでシンプルな要素なのかもしれない。
今回紹介する映画は「巴里祭」。
フランス映画初期の傑作である。
ストーリーを紹介しておこう。

ジャンはタクシー運転手、彼の住むアパートのむかえのアパートに住むアンナ。
二人は喧嘩しながらも、お互い心通じ愛し合っている。
革命記念日の前日、仕事をなくしたアンナをジャンは踊りに誘い、降ってきたにわか雨の雨宿りをしているとき、二人は口づけを交わし、お互いの心を確かめた。
しかしその後、ジャンの別れた昔の女が、彼のアパートに転がり込む。
それをアンナは目撃し、彼に別れを告げようとするのだが........

とにかく、良い意味で単純であり、純粋であり、初々しい魅力あふれる作品である。
余分なものを一切排して作られた一本である。
そこが良い。やたらストーリーを複雑化したり、ケレン溢れる演出をしたりしていないところが好感が持てるところだ。

ジャンはあることで、タクシーの運転手を辞め、悪い連中と付き合うことになる、
そしてアンナが新しく勤めたバーに、強盗として入る手引きをする。
しかし寸でのところで、強盗は失敗、ジャンとアンナの再会も最悪の状況で迎えることとなる。
その後暫くして、アンナは資金を元手に、移動式の花売りを始める。
そしてジャンもタクシーの運転手に戻る。
ある日ひょんなことから、ジャンとアンナは再会する。
しかしその再会のきっかけも、最悪なものだった。
そんな折、急に降っていた雨が強くなる。二人も思わず雨宿りをする。
またも偶然に同じところへ雨宿りした二人。そして今までのことが無かったかのように、二人は唇を重ねる。
二人の愛の、第二章の始まりである。

これだけで良いのである、二人の若者の出会い、別れ、再会を映画にするには、余分な着色は必要がない。
久しぶりに、映画の原点に戻った作品を観ることができた。
また、この映画のセットの作りの素晴らしさ(まるでロケーションしたような)は称賛に値する。
更に音楽も素晴らしい、この映画にしてこの音楽ありである。
是非皆様にも、観ていただきたい傑作である。

1933年、フランス製作、モノクロ、89分、監督:ルネ・クレーヌ