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1945年(昭和20年)8月、広島に落とされた原子爆弾。
投下直後の惨状を見た丸木位里さん、俊さん夫妻はその事実を伝え残すため「原爆の図」5部作「幽霊」「火」「水」「虹」「少年少女」を描きあげた。
その作品展がアートホール東州舘(書道家小川東州記念館)で開催され60年ぶりに見ることができた。
15歳の頃マチの公会堂(現在市民交流センターみらい)で見た、焼け爛れた親子が抱き合っている姿が強烈に記憶に残っている。
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丸木 俊さんはとなりマチ秩父別町にある善性寺というお寺の生まれ。
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展示された資料によると、
「泊原発」の稼動を控えた1983年当時の横道孝弘北海道知事(現衆議院議長)に手紙で「原爆の放射能と原発の放射能」は同じものであります。
北海道の自然と恵みをどう守るおつもりでしょうか、泊原発の灰はどうなさるお考えですか、私の大切な故郷の山や川、住んでいる人々、親兄弟友人達、動物達のことが心配でなりません。(抜粋)
丸木さんのその言葉は実らなかったが、知事宛に「原爆の図」を絵はがきにして郵送したという記事があった。「泊原発」が国、道、北電のヤラセが昨年新聞に公表された。
「脱原発」の先頭に立っていた丸木俊さん、この世論工作を知れば、大いに憤慨することでしょう。
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