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工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

最近の雑記・令和4年12月

2022年12月15日 | 日記
 年の瀬ではありますが、珍しくこの季節にサッカーのワールドカップをやっていますね。私自身はにわかファンみたいな者で「アズーリ(イタリア代表)のいないW杯なんか見るか」と言いたいところですが、観ることができる時間帯の試合は、中継を見ております。昭和のテレビっ子にとっては、中継がネット配信主体というのが、五輪も含めて時代の流れを感じます。昔は「(NHK)BSは、ぜんぶやる」と言ってましたからね。ということでT-SQUAREの「UNITED SOUL」という曲(2002年W杯に合わせて作られた曲)や、THE SQUARE時代の「OVERHEAD KICK」、さらには高中正義さんの「VICTORY GOAL」がヘビーローテーションとなっていて、己の単純さは相変わらずです。11月の終わりごろに風邪をひいたりしてなかなかつらい日々もありまして、治ったと思ったら本業が書き入れ時というわけで、なかなか模型も手がつけられません。今日は模型の話はおそらく出てきませんが、ワールドカップに合わせて徒然に書いてまいります。
 そのサッカーも佳境で、準決勝で敗れたもののクロアチアは今回も大活躍でしたね。グループリーグで話題をさらったのが日本なら、決勝トーナメントはクロアチアとモロッコが台風の目ということになりましょう。クロアチアというと、南部のアドリア海側に細長く延びた「ダルマツィア地方」がかつてはヴェネツィア共和国の支配下にあり、優秀な船乗りを輩出していた、ということで覚えていました。ヴェネツィアにとっては、アドリア海沿岸の拠点を押さえることで地中海、さらにはその先の地域との貿易を安全に行う必要があったのです。ヴェネツィアに住む私の友人は、以前家族と一緒にヨットを操りながら、ヴェネツィアからクロアチアまでバカンスを楽しんだと聞き、穏やかなアドリア海ならではの楽しみ方ならではと思いました。その昔(1990年代後半~2000年代初めころ)ヴェネツィアを訪れた際には、空港にかなりくたびれた感じのクロアチア航空のボーイング737-200がいました。ヴェネツィア-パリ間のエールフランスも737-200をまだ使っていたのでお互い様でしたが、ルクセンブルグ籍のE-3Aセントリーとともにあの時代の空港のひとこまとして覚えています。

(プレイモービルのクロアチア代表。おなじみ市松模様です)
 どこの国でも(特に自国の代表が出れば)応援に熱が入るというところでしょうが、開催国の熱狂の名残というのもそこかしこに残っていたりします。1982年のスペイン大会に合わせて、市中に流通する当時のペセタ硬貨のうち、25ペセタをワールドカップ仕様にしていました。1980年の銘があるので、記念硬貨的ではあるものの、大量に流通していたようです。私が卒業旅行で欧州を訪れ、スペイン・バルセロナを訪れた1992年の時点でもお釣りなどでもらいました。使わないでおいた一枚を今でも持っています。スペインの25ペセタ硬貨はいろいろ面白いエピソードもありますが、それはまた別の機会に。

(25ペセタ硬貨。ボールとネットをあしらった柄が入っています。)

(もう片方の面は国王・フアン・カルロス一世(当時)の肖像が入ります)
 
 まだ風邪をひく前のことでしたが、11月に古くからの知り合いが主人をしている飲み屋さんに久しぶりに入ったところ、今大会の日本対ドイツ戦を現地で見た、という常連さんが来ていました。そんな幸運な方がいるのかと思いましたが、カウンターの隣で飲みつつ、幸運な方の隣でご利益がありそう、と勝手に思ってしまうのでした。日本からもたくさんのサポーターが応援に現地を訪れ、試合後の「ごみ拾い」といったことも話題になっていました。門外漢の私が言うのもなんですが、サッカーはプロ化の際に、当時欧州で問題になっていたフーリガンのようなファンを産まないために、関係者が腐心していた記憶があります。そんな中でスタジアムや近隣をきれい使おう、という機運になっていたのではないかと思います。ごみを拾ったり、きちんと処分するというのは国内では珍しくない光景で、これはサッカーに限らず、野球でも似た光景を見ることがあります。
 日本が初出場した1998年のフランス大会ですが、あの時は観戦ツアーを組んだものの肝心のチケットの手配に問題が生じ、スタジアムで観戦できなかったファンが多くいた、といった話を聞きました。私の友人夫婦もそのタイミングで新婚旅行に行ったもののチケットはなく、結局現地のファンからチケットを買った、と言っていました。このときはツアー代全額返金だったそうで、チケットを現地で買ってなお、お釣りが来たと言っています。ちょうどその年にイタリアを訪れた私は、街の土産物屋に日本代表と称するレプリカジャージを売っているのを見ました。それはサムライブルーではなく、国旗の日の丸をイメージした赤と白の組み合わせで、まったく違うものでした。きっと日本が初出場するので作ったのでしょうが、彼の地にはなかなか想像力豊かな方がいたようです。

 モロッコの準決勝進出で、フランスではモロッコ出身のフランス人も大騒ぎになっていると聞きましたが、複数の国にルーツがある人は、どちらを応援するのだろう?と素朴に思ったことがありました。2010年の南ア大会の時にちょうどイタリア語の学校に夜通っていて。その中にブラジル生まれ日本育ちという方がいました。もちろん日本語も普通に話せる方なのですが「日本とブラジルどちらを応援しますか」と聞いたところ、間髪入れずに「そりゃあブラジルだよ」と、ブラジルの「ラ」にアクセントを置く「ブラアジル」と聞こえるような回答が返ってきました。普段冷静な方もサッカーになるとセルジオ越後のように熱く語っていたので、やっぱりブラジルの方なんだなあ、と妙に感心したのと、あのときの「そりゃあブラアジルだよ」という言い方を今でも思い出します。
 
 
 

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