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工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

RM MODELS誌 25周年・300号

2020年07月23日 | 鉄道・鉄道模型
 鉄道模型誌のRM MODELS誌(本稿では「モデルズ誌」と略)が今月発売の号で300号、25周年を迎えました。このたびは、誠におめでとうございます。
 25年前、母体となったレイル・マガジン誌から模型の内容を独立させた新雑誌が発売されると聞いたときは少し驚きました。鉄道模型専門誌の「とれいん」誌が1990年代から実物の記事の比率を高めていましたし、「老舗」の鉄道模型趣味(TMS)誌も社主の山崎喜陽氏の「実質的な不在」で元気が無かったころであり、そんなときに模型だけで雑誌が作れるのかな、と疑問に思った記憶があります。
 そんな中、手にした創刊号でしたが、今号の巻頭にも再掲されていますが「作らなければならない」、「買わなければならない」の「ねばならない」から自由になって、もう一度鉄道模型本来の楽しさを取り戻そう、という創刊のあいさつに私もヤラレタ一人でして、以降、モデルズ誌は他の雑誌と共に愛読することになりました。また、私の腕では「参加賞」のようなものではありますが、私が本名名義で製作した模型を掲載させていただいており、拙作を発表する機会を与えてくださったことにも、大変感謝しています。
 さて、この300号では各メーカーやライバル誌などから祝辞や挨拶が寄せられていることも驚きでした。昔は「お宅の雑誌には広告は載せない」とか「誰それは生意気だ、あいつの雑誌は絶対買わない、うちの店では置かない」とか「お宅の取材は受けない」みたいな話もあったと聞いております。非公式な場ではともかく、月刊誌という公式な場で祝辞を読むというのは業界のパーティー(があるかどうかは知りませんが)に招かれて、グラス片手に皆様のあいさつを拝聴している気分でした。
 もっとも、創刊当時の編集長で現在はTMS誌の編集長を務めている名取紀之氏のご挨拶にあるとおり、わが国では平成9年をピークに雑誌の売り上げが減少傾向ということで、モデルス誌もそんな厳しい時代を生き残ってきたわけで、それは他の雑誌とて同じことでしょう。ネットなど、さまざまなメディアがある今の世の中ではありますが、広く紹介するメディアがなければメーカーも困るわけで、月刊誌の記念号をみんなでお祝いしている姿は、この世界でそれぞれが強みを発揮して共存を図ろうとしているかのようにも映ります。
 ゆるい話ばかりのいつものブログから少しそれてしまいましたね。今号ではいつもほどではありませんが、工作記事なども載っています。先日私もご紹介しましたが、カトーの「セドリック」と「パルサー」も「モデルズ陸運局」で私の工作よりもっと丁寧に、かつ美しく作りこまれた加工例が掲載されていました。
 モデルズ誌はこれまで、節目の号に付録をつけるなど、他誌にはない試みをしてきました。今回は残念ながらそういった記念企画は無いのですが、
100号では「17m級旧国Nゲージプラキット」を、10周年のタイミングでは「丸の内線300形・500形Nゲージプラキット」という付録がありました。
 私もこのキットで遊ばさせていただきました。前者は国鉄から西武鉄道あたりを経て地方私鉄に転じた、という感じの架空の地方私鉄の車輛です。


ヘッドライトが傾いていますし、妻面を無理に加工したので、直角が出ておりません。やれやれ。
 丸の内線は仕事で乗ったりもしましたので思い入れがあり、窓も大きいので人形をたくさん入れています。


先頭車を中間車にした車輛は運転室の仕切りを作っています。車端部に押しこまれるようにして若い力士が浴衣姿で立っていた、という話を聞いたことがあり、それを再現しました。

車体色の赤色は専用の塗料も出ていたのですが、結局Mrカラー327番を塗っています。余談ですがこの赤い車体色はイギリスのたばこ「ベンソンアンドヘッジスの缶の色」から採られたと言われていますが、同ブランドのカラーは金色であり、正確には缶のトップの色が赤だったことに由来します。

 拙作の話ではなく、モデルズ誌の方に話を戻しましょう。新型コロナで1号休刊、という思わぬ事態にも遭いましたが、こうして雑誌が25年続くということは、やはり大変なことと思います。毎月新発売される模型の量も景気に関係なく一定量ありますので、編集部の方々におかれましてはその紹介や特集記事の編集など、ご苦労も多いかと思います。ただ、編集される側もまた、モデラーとして誌面で発信していくことができれば、その雑誌が何を目指しているのか、何を読者に訴えているのかがもっと明確になるかと思います。1980年代後半の「とれいん」誌などはエディターがまた、それぞれの分野に長けたモデラーでもありましたので、そこから生み出される誌面は個性的で、当時10代後半だった私に多大な影響を与えたものです。モデルズ誌はモデラーと作る雑誌を標ぼうされていますし、宮下洋一氏をはじめ、我が国を代表するモデラーが活躍されていますので、質の高い誌面をこれからも期待できることとは思いますが、エディターの思いも垣間見える雑誌が読みたい、というのは贅沢な希望でしょうか。
 勝手なことをあれこれ書いてしまいましたね。私も創刊の巻頭言を久々に読み、「ねばならない」から自由になりたい、と改めて思うのでありましたが、そのあたりは25年間あまり変わっていないようです。

(本稿は令和2年7月31日に一部加筆、修正しました。RM MODELS誌の略称は、公式な呼称に合わせて「モデルズ誌」と訂正しています)
 
 

 

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