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工作台の休日

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エンニオ・モリコーネ氏を悼んで

2020年07月08日 | ときどき音楽
 イタリアの作曲家として映画音楽をはじめとして幅広く活躍されたエンニオ・モリコーネ氏が亡くなりました。91歳だったそうです。心からお悔やみ申し上げます。日本でも新聞の社会面に訃報が掲載されていましたが、本国イタリアでも「天才音楽家、私たちの世紀のマエストロ」と称され、各界から追悼の言葉が寄せられているほか、彼の地のニュースサイトでは追悼記事が今日の時点でも特集されています。
 日本では「ニューシネマ・パラダイス」をはじめとした作品で知られている作曲家ですが、数十年にわたるキャリアの中で500作の映画音楽(本人は謙遜してか450と言っています)に関わったともいわれ、映画のみならずドラマや政党の選挙キャンペーン(しかも自身の支持政党とは違うようです)曲など、数多くの作品を遺しました。普段は音楽というとフュージョンの話がメインということで、偉大な映画音楽の作曲家の名前が出てきて驚かれているかもしれませんが、おつきあいください。
 私がエンニオ・モリコーネという名前を知ったのは10代の頃、当時NHKが大型特集番組として「ルーブル美術館」をフランスと共同制作で放送しており、その中でクレジットされていました。「ルーブル美術館」は毎回時代ごとにテーマが作られ、一組の男優と女優が作品を説明したり批評する形で進行するものでした。番組で作品や時代背景を際立たせる音楽を担当していたのがモリコーネ氏でした。番組の進行も美術番組としては斬新でしたし、楽曲も美しく、この番組が西洋美術や古代の芸術に目覚めるきっかけとなりました。また、自分の中でアメリカ的なものからヨーロッパ的なものに嗜好がシフトしていったのもこの頃でしたので、今でも大変印象に残っております。モリコーネ氏の作品を使いたい、と言ったのはフランスの製作サイドで、番組の中で使われたのはそのほとんどが過去の映画作品からの再利用だったのですが、それを感じさせないその場面に合ったものばかりでして、私もサントラ盤も持っておりますし、収載できなかった作品もだいぶ経ってからネットで買い集めました。
 さて、モリコーネ氏の話に戻りますと、キャリアの初期には駐留米兵相手のバンドで演奏していたということで、日本でも同じ世代(モリコーネ氏は日本風に言えば昭和3年生まれにあたります)のミュージシャンが進駐軍のキャンプ回りをしており、さらにその中から俳優に転じた人たちもいたわけで、このあたりは洋の東西を問わなかったようです。若いころには先輩作曲家の「ゴーストライター」をした経験もあり、その作品が映画賞の作曲賞を取ったという複雑な思いをしたこともあったそうです。1960年代後半から70年代にかけては、マカロニウエスタン映画の音楽で名を馳せました。マカロニウエスタンそのものとも言うべき続・夕陽のガンマンのテーマなどは特に有名で私もメロディーだけは昔から知っており、あの曲を作った人物とニューシネマ・パラダイスの作曲家を結びつけるのが難しかったほどです。映画監督のセルジオ・レオーネとは小学校の同級生だったという縁もあって、長く仕事を続けたほか、後年はジュセッペ・トルナトーレ監督と組んだ作品(ニューシネマ・パラダイスだけでなく、海の上のピアニストなど素晴らしい作品がありますね)でも知られました。日本とも縁があり「エーゲ海に捧ぐ」や大河ドラマの音楽を担当したこともありました。
 映画音楽で名を馳せた作曲家ではありますが、モリコーネ氏自身は商業音楽ではなく「絶対音楽」と本人が定義づける、作曲家以外には何者にも依存しない音楽を作りたい、という渇望が常にあったようです。映画のための音楽は当然のことながら監督や製作者の意向に沿ったものを作らなくてはいけません。しかし、こういった「絶対音楽」だけでは食べていけないから映画音楽などの仕事をしてきた、とインタビューに答えています。この記事を読んだときに坂本「教授」龍一氏が「自分がやりたい音楽を聴いてくれるのは日本で数百人しかいないから商業音楽の仕事をするようになった」と語っていたことを思い出しました。自分がやりたいこと=食べていけることではないわけで、その葛藤を抱えながら創作をしているのだな、と感じました。
 本稿は「エンニオ・モリコーネ 自身を語る(エンニオ・モリコーネ、アントニオ・モンダ著 中山エツ子 訳 河出書房新社)」というインタビューを参考に書いておりますが、本書を読む限りではモリコーネ氏自身は非常に控えめな性格という印象を受けました。これだけの成功を収めれば、多少自身を飾ったりする人もいるわけですが、成功を自慢するわけでもなく、控えめな言葉ながら時に率直に自分の作品や関わった映画そのものを語っているのが印象的でした。もちろん、チェスに夢中になったり、サッカーのASローマの熱狂的なサポーターというイタリア人らしい一面も持っているのですが・・・。私のイタリア語の先生の一人が音楽に造詣が深く、私がこの「自身を語る」を読んだという話をしたところ「インタビューの動画を観てみることを勧めるよ。ローマなまりがよく分かるから」と言っていたことを思い出しました。
 私は番組を観てから「いつかルーブルに行きたい」と思うようになり、大学を卒業する前と、30代になってからの二度、訪れることができました。また、イタリアに対する興味が実を結んで、彼の地に足を運び、言葉を学ぶようになったのも、モリコーネ氏の音楽が少しばかり影響していたのかもしれません。いつの日か自由に海外を訪れることができたら、ローマ時代の遺跡やルネサンスの面影を残すの町並み、運河や海を臨む美しい建物を眺めながら、モリコーネ氏の音楽を聴いてみたいものです。
 
 

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