とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

赤穂事件を考える夜

2022-12-13 21:00:00 | 日記

 今夜は徳川綱吉が赤穂事件をうまく利用したと考えてみます。

「親戚」って結構うっとおしいもので、利用される割にはなにもせずに余計なことに口だけはだすものです。 徳川綱吉は吉良家が「高家」であっただけにそう感じてたかもしれません。

 浅野長臣の即切腹そして赤穂藩改易は衝動的な面もあったと思います。 「喧嘩両成敗」と言えど「高家」の吉良家にはほかの「親戚」もだまってない。 どうしたものかとりあえず「おとがめなし」にする。 しかし赤穂浪士の報復がある。 当時の吉良家の屋敷は呉服橋、管轄外ながら北町奉行所のそば今のバスターミナルあたり、江戸城のそばで騒がれてはたまらん。

 倅の上杉綱憲は米沢藩に養子入りしてるので隠居させて隠邸は大川(隅田川)の向こうに住んでもらおう。 都合がよくなったのが赤穂浪士たち、江戸城から離れれば都合がいい。 都合が悪くなったのが上杉綱紀、警備隊を常駐。 さて討ち入り当日、上杉綱紀には幕府から援軍禁止の命令をだす、色部安長が止めたのではありません。

 赤穂浪士の切腹ののちは吉良家も断絶、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉ですがしたたかさを感じます。 湯呑で3杯呑んで考えました。
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