森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2006年12月 | ||||||||
![]() |
||||||||
![]() |
||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
![]() |
||||||||
1 | 2 | |||||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ||
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ||
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | ||
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | ||
31 | ||||||||
![]() |
||||||||
![]() |
||||||||
![]() |
||||||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
![]() |
URLをメールで送信する |
(for PC & MOBILE) |
![]() |
![]() |
覚書「米軍基地再編の促進に補助金」
昨日のエントリー(閑話休題 14 -米軍基地再編の促進に補助金)に関して、以下を覚書風に追加しておきたい。
今年5月1日、アメリカの国務・国防長官、日本の外務・防衛長官による「2+2」(ツー・プラス・ツー)の日米安全保障協議会で、米軍再編の日米合意が発表された。いわゆる「最終報告」である。この「最終報告」は2つの文書からなっている。
1つは、日米共同発表、もう1つは「再編実施のためのロードマップ」(行程表、下図。クリックすると拡大します)だ。本来、この最終報告は、昨年10月に合意された「中間報告」(日米同盟・未来のための変革と再編)にもとづき、3月に発表されることになっていたものだ。なぜ遅れたのか。それは、岩国市での住民投票の成功や沖縄での「沿岸案」反対闘争、神奈川など全国各地で自治体ぐるみの反対運動が起こったからである。
その証拠に、「日米共同発表」は、「閣僚は、日本国政府による地元との調整を認識し」と明記していることからも分かる。すなわち、地元との調整がすすまず、これから日本政府が調整せざるをえないことが「最終報告」には反映されていると考えることができるだろう。
沖縄県知事選では残念ながら糸数候補が敗れた。だが、米軍基地再編は概括すれば以上の経過をたどりながら進んでいる。いいかえれば、全国の米軍基地再編運動のたかまりとの緊張関係のなかで、それは推移していくということである。
今回の「米軍基地再編の促進に補助金」を出すという政府のねらいの背景には、こんな事情がある。
追記;日本の米軍駐留経費がいかほどのものか、これをみる上で参考になる図表を以下にあげる。国際比較の図表だが、各国とくらべ格段に高いことは明らかだ。
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
自画像のなかった日本 -我々は主体となりうるのか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/6d/42360c89974b6e79608eded8463874b8.jpg)
私の興味は、日本に「個人という概念がなかった」という阿部の指摘している点だ。この指摘にほとんど首肯せざるをえない。ここで阿部のいう「世間」という概念に言及する余裕はないが、それでも個人という概念がなかった日本には自画像という分野そのものがなかった、それは個人に価値を置いていなかったことの証左だといいきる阿部の説くところをまったく無視することはできないだろう。
今日もそれほど事態はかわっていないのだ。自己主張をすることは、すなわち「和を乱す」ことという教えとわれわれは無縁ではなかった。あえていえば今でもそんな環境の中にわれわれはいる。そんなしくみから逃れでていないのだ、われわれは。
それは、たとえば、だれもがほとんど何も疑うこともないかのように勝ち組を追求していく姿にも表れているようである。ひるがえって考えてみて、昨年の衆院選はどうだったのだろうか。
自画像を描く慣習のなかった日本で育ってきたわれわれが、こんどは自分をじっと観察し、それをキャンバスに描く。それに挑戦してみる。だれかに限られるということではなく、ひとしく日本人に求められているのではないか。いまはその時期である気がしてならない。阿部の言葉を借りれば、自己を描くことによって、まず自己を発揮せよ。
「世間」の中で生きている日本人と「世間」をもたない欧米人との間にはこれだけの違いがある。このことを抜きにして欧米の文化を語ることは出来ないのである。日本で社会という言葉がソサイエティの訳語として生まれたのが明治10年であり、個人という言葉がインディヴィデュアルの訳語として生まれたのが明治17年であるから、それ以前には個人という概念も社会という概念もなかったのである。 個人という概念がなかったことは明治以前には日本には自画像というジャンルがなかったことにも示されている。明治以後、東京美術学校(現・東京芸術大学)が西洋画科の卒業生に自画像を描かせることを定めてから、自画像が描かれはじめたのである。それ以前の日本人は「世間」という集団の中で生きており、そこに価値が置かれてたから、自己を描く必要性がなかったのである。明治以前の自画像のほとんどは雪舟、白隠、良寛等であり、その多くが禅宗の僧侶のものである。 日本では今でも自画像の中に傑作といえる作品は少ない。個人が自己を発揮できる環境が必ずしも十分でないからである。それと比べれば欧米では古くから十分に自己を発揮した作品が生まれている。…… このことは自画像だけの問題ではない。私たちの生き方が「世間」によって大きな部分で縛られていることを示してもいるのである。私たちは子供の頃から自己主張をしないように教育されてきた。出来るだけ謙虚に生きることが優れた生き方とされていた。まわりの人の中で自分を主張することは良くないこととされ、周囲の人の中で目立たない存在になるように心がけてきた。したがって自画像を描く動機がそもそもなかったのである。 |
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
閑話休題 14 -米軍基地再編の促進に補助金
防衛庁が米軍基地再編を促進するために補助金をだすことを決め、来年度予算案で要求するという。金でつろうという魂胆だ。
米軍再編は全国どこででも反対運動が起こっている。移設を受け入れる市町村に交付金額をあらかじめ提示することで、再編計画をすすめようという考えだ。予算案に盛り込むのは、在日米軍再編経費として総額72億4000万円という。来年通常国会に法案を提出する予定の移転の進展に応じて支払う新交付金制度は60億5000万円を計上する。
報道によれば、焦点の沖縄の普天間飛行場移設関連は、来年度始める環境影響評価(アセスメント)の調査費などに10億円、海兵隊のグアム移転も今年10月から米国と始めているアセスの調査費に3億円、嘉手納飛行場以南の土地返還の調査費に1億9000万円を要求した。
沖縄以外では、厚木基地(神奈川)から岩国基地(山口)への空母艦載機部隊移駐の調査費に1億4000万円、嘉手納飛行場の米軍機訓練の本土への移転費に3億7000万円、相模総合補給廠(しょう)(神奈川)の一部返還などの調査費に1億円を要求した。(以上、朝日新聞)
税金をどこからとるかの問題にかかわって、この間、当ブログでとりあげてきた。簡単にいえば、政府のいまのやり方は、庶民から税金をとり、大企業には税金をまけてやるというものだ。まさに「逆立ちした徴税」だといえる。その一方で、こんな米軍再編に金をつぎ込む。たまったもんじゃない。米軍がらみでは、件の「思いやり予算」もある。
庶民に税金をまわすのではなく、大企業とか、米軍のために税金を使う、ここに格差拡大とゆがんだ政治の典型を見る思いがしてならない。再三、強調していて恐縮だが、まさに利益調整だけの政治の不在でなくて、なんというのだろう。
格差拡大論者・本間正明がなぜ擁護されるのか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/a0/fcc23c5271f67d8da9e1ec787335b9f9.jpg)
久間防衛長官らの内規やぶりの議員宿舎利用問題について別エントリーで私は言及したが、今回の問題は当事者が税調会長であり、その彼がどんな立場をこれからとろうとしているのか、そしてどんな言動をとってきたのかにかかわり、看過することはできない。本間は、大企業減税推進、消費税増税の立場をとる学者だ。その本間が今回問題を引き起こしているのだから、ひきさがるわけにはいかない。分かりやすくいえば、本間は税制の面で格差社会をいっそう拡大しようとしているのだから。大企業にはもっと優遇し、庶民の懐から税金をまきあげようとするのだから。
そこが安倍が本間起用に拘る理由でもあるだろう。
本間正明の素性はこれまでの彼を簡単にふりかえることですぐに理解できる。たとえば、政府税制調査会会長就任前は周知のことからもしれないが、例の経済財政諮問会議民間議員であって、財界と一緒になって小泉「構造改革」を推進した人物の一人だ。また、大阪市の「都市経営諮問会議」の議長のとき、同市に対し人事面で圧力をかけ、さらに自らにたいする高額な報酬や人事についても要求、そのことが暴露されている。
このような男だから、言動もまた、疑ってみる必要がある。私は先に、本間が大企業減税推進、消費税増税の立場をとり、そして税制の面で格差社会をいっそう拡大しようとしているといった。その基本的立場は、この間の本間のものいいに端的に示されている。財政経済諮問会議のなかでの本間の発言である。
「法人税の引き下げは効果あないということをおしゃっておられるのですが……、あくまでも中長期的生産性という観点から法人税率引き下げの効果をみなければならない」と大臣連中を前にまくし立てたという。この点こそが本間を安倍が買う理由だろう。周知のとおり、前会長・石弘光は安倍にしてやられ、突然、解任されたのだ。
この本間の格差推進の体質こそ、いま問われなければならない。
景気の「いざなぎ超え」が話題になっている。このこともあるのだろう、今朝、07年度政府予算の財務省原案が発表されていたが、それによれば景気拡大による税収が見込まれている。景気は谷から山へと上っている時期をさすだろう。戦後の日本経済のなかで「いざなぎ景気」と呼ばれた時期が拡大時期が最も長く57カ月続いたという。
いまいわれている景気は02年1月からだとされ、11月が終わった時点で58カ月となった。だが、山家悠紀夫氏(写真)はこの見方について私たちにつぎのように喚起している。「景気が『いい方向へ向かっている期間』が戦後最長となったということで、『いい景気の期間』が最長となったということではない」と。
実際、私たちの実感でも景気がよいとはなかなか思えないし、山家氏はつぎのように指摘している。
景気の谷から5年近くがたっているのに、昨今の経済活動の水準は谷の時に比べてあまり上がっていません。 国内層生産(GDP)の実質水準で8%増という増え方は、「いざなぎ景気」の時の8分の1です。景気拡大が長く続いている割には景気はさほど良くなっていない、極めてゆっくりした、時に休み休みの拡大である、というのが今回の景気拡大の一つの特徴です。だからこそ長続きもしているわけです。 「いざなぎ景気」などと比較して、今回の景気拡大の特徴とみられる点がいまひとつあります。国内需要の増加がきわめて小幅にとどまっているということがそれです。 「構造改革が実っての景気拡大」と言われたりもしていますが、そうではない、ということです。(しんぶん赤旗日曜版、12・17) |
山家氏は景気回復の実感が私たちにないのは、(景気の)良くなり方の配分に大きなばらつきがあるという。良くなっているのは企業経営だという。そして、家計は景気の谷と比べても2%悪化していると指摘する。なるほど、それならよく分かる。
その上に、本間たちはさらに企業を優遇し、税金を免れさせ、大もうけをさせようというのだ。景気回復のためには、山家氏の指摘にある国内需要を高めること、そのためには働く労働者の賃金をあげることがまず頭に浮かぶ。だが、経団連はまたも「春闘」を前に賃金抑制のうちあげ、牽制している。
本間はこのような文脈で考えると、こんにちの自民党政治という悪政を、民間人として支えてきた人物だといえる。しかも、こんにちの日本で多くが苦しむ社会的格差をしごく当然であるかのように主張する男だ。だから今回の事件があったといわれればそれまでだが、本間の言説に同意することは私はできない。
本間は即刻辞任すべきだし、安倍の任命責任もまた問われなければならない。
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
閑話休題 -13 森元首相-“共産党に議席を与えるな”
いよいよ来年は参院選。あえてふれるまでもなく、日本の将来にとって重要な意味をもつ選挙だ。ここで改憲を唱える議員、候補者はすべて落選させることを私は望んでやまない。むろん自民党も、それを承知の上だ。つぎの記事が目に留まった。自民党が何を恐れているか、端的に表す発言だ。(以下、引用)
森喜朗元首相は十八日夕、東京都千代田区のホテルで開かれた東京選挙区選出の参院議員を励ます会であいさつ、来年七月の参院選にふれ「東京選挙区は定数が一つ増え今度は五名区になった。自民党がもう一人立てないとみすみす共産党に議席を与えることになりかねない」と語り、東京選挙区で日本共産党に議席を得させないため自民党の複数立候補を強く促しました。
森元首相は続けて「できれば自民党が二つ、公明党が(一つ)とって、残りを民主党が取ろうとどこが取ろうが勝手だが、少なくとも、いや、なんとしても共産党にイスをどうぞとさしあげるようなことだけは自由民主党はやってはならない」と重ねて参院東京選挙区で日本共産党に議席を占めさせない決意を持つよう訴えました。
自民党東京都連は同選挙区について現職に加え新人を立てる方向で現在、候補者選定を進めています。(しんぶん赤旗、12・19)
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
小熊英二の慧眼または「日本の誇り」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/25/b20ebb5cf4fa3ab5cc8ad214c0f3da83.jpg)
小熊の言葉を借りれば、戦後の日本は、資本主義と天皇を残したままではあったけれど、民主化と軍備撤廃をすすめていった。そしていまの日本政府の姿勢からすると信じられないような話だけど、1947年や48年ごろには、当時の文部省が『民主主義』や『新しい憲法』と題した社会科の教科書を出して、民主化や憲法9条の理念を広めようとしていたのだ。
小熊にならって『新しい憲法のはなし』を参照してみよう。
みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争は終わりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんあっただけではありませんか。・・・… そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。……しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまではゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。 |
「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」とのべていることにふれて、小熊は、当時は第9条をはじめとする日本国憲法は「日本の誇り」とされていたといっていい、とのべたのだった。この『新しい憲法のはなし』はむろん小・中学生向けだし、そして小熊自身の『日本という国』の対象とする読者も中・高校生だが、教育基本法が改悪され今後、政治が改憲も視野に入れてすすんでいこうとする今日、2つの読本は読み返されてよいと思う。
繰り返していえば、私は今この時期を以下のように考えている。「弓をきりきりと引き絞り、腕の力で弓を支える。とにかく力がいる。いったんそれを緩めようものなら、的にねらいを定めた矢はたちまちその方向を失うだろう。要するに、力を保ったまま、緊張が強いられる、とてもしんどい時間にほかならない。そう私は考えている。 しかし、相手にしてみれば、この時期ほど怖いものはないのかもしれない。鋭い眼光で見据えられ、そして恐ろしく尖った矢が自分をいまにも射抜こうとねらっているのだから。こんな相手との張り詰めた関係があればこそ、われわれは力を発揮できる。弓を精一杯引いておくことができる。周囲に気をとられることなく、相手をしっかり見据えておくことができるのだ」(澤地久枝または「満を持す」ということ)。
その小熊は、この『日本という国』という本の末尾で、慧眼にも丸山のつぎの一節を引用し、しめくくっている。
思えば明治維新によって、日本が東洋諸国のなかでひとりヨーロッパ帝国主義による植民地乃至半植民地化の悲運を免れて、アジア最初の近代国家として颯爽と登場したとき、日本はアジア全民族のホープとして仰がれた。……ところが、その後まもなく、日本はむしろヨーロッパ帝国主義の尻馬にのり、やがて「列強」と肩をならべ、ついにはそれを排除してアジア大陸への侵略の巨歩を進めて行ったのである。しかもその際、日本帝国主義の前に最も強力に立ちはだかり、その企図を挫折させた根本の力は、皮肉にも最初日本の勃興に鼓舞されて興った中国民族運動のエネルギーであった。つまり日本の悲劇の因は、アジアのホープからアジアの裏切者への急速な変貌のうちに胚胎していたのである。敗戦によって、明治初年の振り出しに逆戻りした日本は、アジアの裏切者としてデビューしようとするのであるか。私はそうした方向への結末を予想するに忍びない。(「病床からの感想})
丸山の、裏切者としてのデビューにたいする懸念はまた、まさにいま私たちの生きる現代をとらえているのではないか。そのことを小熊は我々にむかって発信しているのだ。
追記;話を元に戻すと、thessalonike氏はたとえば以下のように小熊を批判する。
小熊英二や米谷匡史や姜尚中や苅部直の「丸山真男」は死んだ思想家であり、戦後というモノクロ映像の過去の時代に活躍して役目を終わった思想家である。それは「戦後民主主義」という貶損表象の言葉と接着されていて、現在の日本人が「鑑賞」したり「回想」したりする思想対象である。私の丸山真男は生きていて、今でも口を開いて熱く語っている。私は丸山真男から学ぼうとして読み、彼らは丸山真男を貶すために読む。私は日本の民主主義を守るために市民に丸山真男の読書を勧め、彼らは丸山真男を貶した文章で小銭を稼ぎ、脱構築主義(=近代否定・国民否定)が支配するアカデミーで身を立てるために丸山真男を道具にする。そこが彼らと私との決定的な違いだ。
おそらく小熊はこの指摘を歯牙にもかけていないだろう。
このくだりには、自己顕示欲と無二ともいえる自信に満ちあふれる同氏のいつもの性分が存分なまでに表れている。しかし、thessalonike氏は、「夜店」から「本店」に戻ることを半ば公開したとき、自らの言説がブログという匿名の世界のものであることを見失ってしまった。いったん「本店」に戻れば、これまでの同氏の言説は過去に遡って、これまでとはまったく異なる程度で問われてくるにちがいない。私の眼には、その際―そんなことがあればの話だが、こんどは仮借ない批判の矢面にたたされる同氏の姿がいま浮かんでいる。
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
映画監督・吉田喜重が語る日本国憲法に込められた思想
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/29/82c1b0948e98690a0e72698223594da3.jpg)
そこで、参院選では、自民、公明両党に明確な審判をくだすだけでなく、改憲勢力は一人も当選させないという決意が国民に求められているともいえる。この意味では、与党である自民、公明を大きく後退させるだけではすまない。改憲を主張している、あるいはこれまで主張してきた議員、候補者は一切当選させない覚悟がいるように思う。つまり、参院選は自民・公明を野党の議席が上回るだけでは不十分で、改憲勢力を護憲勢力が上回らなければならない。
そのためにも、私は九条の会が大きく発展することを望むし、思想、政治的信条のちがいを超えた憲法改悪反対の一点で一致するさまざまなレベルでの国民の共同が前進しなければならないと強く思うようになった。
吉田喜重が憲法について発言している(憲法メディアフォーラムのサイトから、新聞労連機関紙;3・1)。少し前の発言だが、なかなか含蓄があって面白い。
新聞は「社会の公器」か 2・26事件は私が3歳のときのことですが、当時は軍国主義により、言論、新聞は圧迫されていた時代です。それが民主主義の時代に、なぜメディアを法律で規制しようとするのか。一つはインターネットを含めて、メディアが多様化しているからでしょう。新聞やテレビと異なり、インターネットの世界では容易にプライバシーが侵されていく危険がある。そうした危機意識があるからだろうが、それをもって規制しようとする気配を感じないでもない。 いま一つは、かつての自由民権運動の時代、権力側が言論を弾圧し、それと闘うという明白な対立構造があった。それが軍国主義により、一挙に権力側が言論をすべて掌握してしまった。戦後はその反動として、言論は正しくて、権力はそれを圧迫するという、自由民権運動の時代の構図に再び戻っただけであり、現在に見合った言論の自由を、メディア側が提示しきれていないのではないか。 もちろん新聞、テレビの言論が正しいと考えるのは危険です。新聞は「社会の公器だ」という言い方がありますが、新聞社で働いている人たちは、新聞そのものも資本の論理で動いていることを知っている。つまり、メディアのコマーシャルベースで生きており、一人の人間としての正義の判断で文章を書いているわけではない。日本の新聞の歴史も、まだ150年に満たない。新聞が社会的公器だと、思い込むのは危険です。 メディアの持つあいまいさへの自覚を 書かれている限り、解釈の余地があるのが憲法 |
この吉田の発言にはいろいろな意見があるだろう。だが、「メディアのもつあいまいさ」という指摘、そして解釈される可能性があるのが憲法という吉田の指摘から一度、メディアの役割と日本国憲法の価値を考えてみることも必要なようだ。
私は、別のエントリーでいまは「満を持す」時期といったが、たとえばこの吉田のような視点からも国民が今の状況をじっくり考えぬくことが不可欠だと思う。吉田の言葉を借りていえば「仮にあの憲法に不備があっても、それを守ることによって、平和を維持できるかどうか、それが問題」なのだから。
吉田喜重(よしだ よししげ);福井県福井市生まれ。福井中学から都立城南中学を経て、東京大学文学部仏文科卒業。1955年松竹大船撮影所に入社。木下恵介等の助監督を経て1960年に『ろくでなし』で監督デビュー。大島渚、篠田正浩らと共に松竹ヌーヴェルヴァーグで活躍する。1964年に女優の岡田茉莉子と結婚。その新婚旅行中に、監督6作目の『日本脱出』('64)のラストシーンを松竹に無断でカットされたことで退社。1966年に独立プロ現代映画社を設立する。1973年の『戒厳令』の後映画界を離れ、テレビドキュメンタリーを数多く制作する。1986年に13年ぶりに劇映画『人間の約束』を監督。最新作は『鏡の女たち』(2002年)。2003年にフランス政府より芸術文芸勲章オフィシエ賞を贈られる。(ウィキペディアから)
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
張本勲のみた「地獄絵」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/ae/9c3380225aca5561866603abc4f8f71a.jpg)
私がテレビで発言したのを聞いて、「初めて知った」「驚いた」と、反響はすごかったですね。励ましの言葉の多かったですよ。 本当は被爆体験は話したくない。思い出したくもないんです。忘れられるくらいなら、忘れたいくらいです。悲惨な経験でしたからね。(新婦人しんぶん、11・30) |
通算7度の首位打者になったような元プロ野球選手だから、この張本が平和を語ったとしたら、たしかに反響はすごいだろう。その張本はこうして語りはじめたきっかけを明らかにしている。
何年か前、テレビで話したとき、若い人が「戦争なんて関係ない」「そんな歴史を知ったからってどうってことない」と発言したのを聞いて、ハッと我にかえりました。いまの日本は、あの戦争による大勢の人たちの犠牲の上にある。言葉は悪いけれど「人柱」になった犠牲者たちを踏み台にして、この国があるんだということを知ってほしい。もう核兵器というもので、子々孫々まで悲惨な思いをさせたくないと、ポツリポツリ語りだしたんです。 被爆体験をしっかり元気で語り継ぐのは、私の世代が最後じゃないでしょうか。私たちが語り継ぐことによって、核の使用や核戦争を食い止めることができれば、心強いですね。 被爆のことは学校でもきちんと教えるべきですよ。 |
広島に原爆が落とされたとき張本は5歳だったというから、おそらく本人ものべているようにすべてを覚えてはいないだろう。だが、幼い張本の心には平和だった頃の思い出の断片と、一方の極にある被爆時の経験が重なりあい、または離れて、刻みこまれていたのだろう。義務あるいは使命感のようなものを感じながら、その後、高校生のとき弁論大会で話し優勝したという。そのときのテーマは「ケロイド乙女」。以来、話すことは封印したと張本は語っている。
平和だった頃の記憶の対極にあるであろう被爆時の経験とは、張本にとっては地獄絵のようなものかもしれない。「8月6日の平和式典も、われわれのような被爆者こそが出かけていって、核兵器廃絶を訴えなければならないと思っています」と張本は語っている。
この封印された張本の記憶を張本自身に再び蘇らせ、しかも他者に語り継ごうという衝動に張本を駆り立てたのは、先の高校生の発言に端的にみられる、日本における「被爆体験の風化」ともいえるだろう。張本はそのことを、被爆体験者としての他にかえがたい臭覚でもって嗅ぎ取ったのだった。「被爆体験の風化」は、たとえばつぎのような形でも現れている。中川昭一や麻生太郎の核保有発言である。これを契機に核の保有を語るべきではない、これは言論封殺だという議論があった。しかし、考えてみると、核の保有の前提は、まさに兵器としてのそれである。ならば、核保有論とは、被爆国として核兵器廃絶という国際的一致点をつくりあげてきた歴史そのものを否定することにほかならない。いいかえると、被爆の経験もへて、戦後の出発点ともなった二度と戦争はしないという「誓い」をこそ封印するものだといえるだろう。おそらく張本の視界は、これらの政治家の発言をふくめて戦争体験の風化をとらえ、さらにもっと遠くの、彼自身が本来封印すべきだと考えている61年前の8月までを収めているだろう。張本ならば、核保有論議によってまさに地獄絵をふたたび描くことになるのが容易に推測されるからである。
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
閑話休題 -12 壱岐島めぐり
先週、職場の仲間と壱岐にいってきました。そのときの記事を以下で公開しています。よろしければご一読ください。
「カミキリの浮游空間日記」;穏やかな島-壱岐
「カミキリの浮游空間日記」;壱岐は焼酎の島?
教育基本法改悪にどう抗うのか
教育基本法改悪法案が14日、参院特別委で採決されたことを受けて、東京新聞が「識者に聞く 教基法『改正』がもたらすものは」という記事を組んだ(15日)。意見をのべているのは作家・早乙女勝元、安田教育研究所代表・安田理、フリースクール「東京シューレ」代表・奥地圭子、教育評論家・尾木直樹、精神科医・なだいなだの5氏。このうち、尾木直樹、なだいなだの意見を引用する。
■尾木直樹 教育基本法改正で一番の問題は「教育の目標」が5項目にわたって掲げられていることにある。教育の目標は各学校や地域、親たちが掲げることであって、国家が決めることではあり得ない。 その内容も「真理を求める態度を養い」とか「勤労を重んずる態度を養う」など、すべての項目で「態度を養う」と規定しているのは、さらに問題を孕(はら)んでいる。 「態度を養う」教育がどのようなものかは東京都教委の例を見ればいい。指が三本入るまで口を開けて君が代を歌うという極端な指導をしている。日本を愛していても気が小さくて大きな口を開けて歌えない子供は、愛国心がないことにされてしまう。 学校現場に形式的なことを要求すればどういうことになるのか。頭のいい子供ほどしたたかで、態度をつくるのが上手だから、「いい子症候群」が蔓延(まんえん)する。大きな口を開けて君が代を歌いはするが、要領がよく愛国心のない子供がこの教育基本法改正によって大量に育てられることになる。教師も子供を外形的な態度だけを見るようになるので、隠れたいじめには気も回らなくなる。 しかも改正された教育基本法は公立小中高だけでなく、私立や大学、家庭教育、生涯教育も対象とするから、生まれてから死ぬまで逃げ場がないということにもなる。それは北朝鮮のような全体主義的な教育に行き着く。そんなことになるとは思いたくないが、改正案を文言通り解釈すると、そうならざるを得ない。 ■なだいなだ |
尾木の指摘は教育基本法が改悪されたら、ただちに現場にあらわれる変化をいいあてている。また、なだの言葉は、法案を準備した自民、公明のいまの政治がいかに自らの「利害」だけで動く「政治」になっているのかを端的に物語るものだ。この間、私は政治を「普遍性への闘争――己の社会的要請が普遍的な妥当性を有することを示そうとする闘争」とする大澤真幸の言葉を参照して、利害だけで動く現在の政治のありようをくりかえしのべてきた。まさに、なだの指摘はこれを射抜いている。
同じ記事で、早乙女勝元はつぎのようにのべていた。「権力が戦争を準備するときは、まず教育から手を付ける。憲法と一体の教育基本法が変えられれば当然ながら改憲の動きが加速する。堤防の一部が切れるかどうかという危険な状況だ。防衛庁の「省」昇格法案も成立するといわれており、刻々ときな臭い状況に進んでいるのではないか」。
「戦争をする国」へ日本が変貌しようとする局面にいまあるのは、早乙女のいうとおりだろう。昨年の自民党大勝の衆院選で小泉の一挙手一投足に見入り、自民党に票を投じた人たちのなかには、「予想を超えた変化」を前にしてこれほどまではと戸惑う人がいるのかもしれないが、事態はここまできている。そんな人は、参院選で今度はじっくりと考え、票を投じてほしいものだ。たとえば、自分の意思で票を投じることなどできない時代が、このままいけばすぐそこまで迫っているともいえる。
少なくとも私は戦前を知らない。官報資料版(2000年5月17日)によれば、戦後生まれは8765万6千人で総人口の69.2%だから、この8800万人、7割の人は幸いにも戦前・戦中という時代をすごすことなく今日、生きている。敗戦をへて、この世にあってはならないはずの戦争という経験をとおして日本人は平和の尊さを体得し、その結果、日本国憲法と教育基本法が生まれた。これが戦後日本を支えてきたと私は思う。
だから楽天主義者ならばこういうかもしれない。この現行教育基本法によってあらためて民主主義のありがたさが見直されるだろうと。なるほど、私たちは、日本国憲法と教育基本法のもとで一見すると何の変哲もない民主主義の中で極論すると何不自由なく過ごしてきたのだから。
早乙女がいうように、「憲法と一体の教育基本法が変えられれば当然ながら改憲の動きが加速する」のだ。憲法改悪が今度は俎上にのぼる。教育基本法がかえられた今、その借りはまず参院選で返さなければならない。そして、憲法改悪に反対する国民の連合がどのような規模でいかに実現するか、それはおそらく憲法改悪を阻止できるかどうかに大きく関わる核心だと私は考えている。
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
「マスメディアは権力の道具になるな」
教育基本法改悪法案が参院教育基本法特別委員会で採択された。まだ本会議という場がある。成立すれば、どこからみても将来に禍根を残すことになる。廃案にどうしても追い込む必要がある。
同時に、国会では国民にとって無視できない法案が議論されている。その1つが国民投票法案である。私が以下でいおうとすることは、山口真美弁護士のつぎの文章のタイトルに尽きている。曰く、「国民投票法案は改憲派の必勝法案 マスメディアは権力の道具になるな」。
改憲にむけては欠くことのできない手続きがある。それが国民投票である。そのための法案がいま準備されているのだ。政府与党だけでなく、民主党からも提案されている。この法案について山口は簡潔につぎのように語っている。
現在、臨時国会では与党提出の「日本国憲法の改正手続法案」(与党案)及び民主党提出の「日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票法案」(民主党案)(以下、合わせて「改憲手続法案」という)が審議されている。同法案は、まさに改憲という政治目的を実現するための立法である。 山口の言葉を借りれば、国民投票法案の提出は次の意味をもっている。 今時目指されている改憲は、自民党の新憲法草案に見られるように、9条2項を廃し、日本をアメリカと一緒に戦争する国とするものである。この政治的課題を実現するためには国民投票を避けて通ることはできない。法案は、そのための具体的な改正手続きを整備するものであり、同法案の上程は、改憲の実現に向けて大きな一歩が踏み出されたことを意味する。 |
教育基本法は教育のいわば憲法ともいえるものだが、この審議と平行して憲法「改定」のための準備が着々とすすめられていることに私たちは無関心でいることを許されない。ところが、山口が指摘するのは、こんな日本という国にとっても、むろん日本の国民にとっても将来に重大な影響を及ぼしかねない法案に関して、マスコミの動向が芳しくないからだ。山口はこれをとらえて、「マスメディアは権力の道具になるな」と訴えているのだ。
以下、山口弁護士の言葉を引用しよう。
しかしながら、新聞やテレビをはじめとするマスメディアの状況を見ると、ほとんどと言っていいほどこの法案を取り上げていない。以前の与党案にあった報道・論評の規制が削除されたためであろうか、同法案について途端に報道しなくなったと言った方が正しい状況である。 確かに、同法案からあからさまな明文でのメディア規制ははずされた。しかし、だからといって、同法案によって国民やメディアが自由な言論活動ができるようになったわけではない。 同法案は、市民の言論活動を抑圧しつつ、他方で、情報を操作し、世論を誘導して、国民を憲法改正へと向かわせようとしている。 まず、広報協議会と周知広報の問題である。法案では、憲法改正の広報に関する事務を広報協議会で行うこととなる。 問題は、広報協議会の委員の構成である。委員は、各議院における各会派の所属議員数の比率により各会派に割り当てて選任される。これでは改憲派が圧倒的多数を占め、憲法改正に関する広報に改憲賛成派の意思がそのまま反映される危険が極めて高い。 次に、政党等による無料の意見広告である。法案は、放送時間や新聞の意見広告の寸法や回数についても当該政党等に所属する議員の数を踏まえて決めるとしている。現在の国会情勢で言えば、改憲反対派に割り当てられるのは新聞の1面で言えば縦10センチ・横8・4センチ、テレビの1時間枠であれば約3分である。これでは、政党の意見広告は改憲派のやりたい放題である。 その上、法案には、有料の広告・宣伝について、公正な報道の確保、宣伝における実質的な機会の平等の保障という視点が欠落している。新聞・テレビの広告には高額の費用がかかる。このようなテレビ・ラジオの有料広告利用をするのはもっぱら経済界の後押しを受けた改憲派となることは予想できるところである。マスメディアを改憲派に取り込もうとする目論見があからさまである。 以上見てきたように、法案には、公正中立な周知・広報や表現の自由の保障といった観点が全く欠落している。それどころか、与党案は、公務員や教育者の地位利用による国民投票運動を罰則付きで禁止するなど、国民投票運動を大幅に制限している。 近時、ビラを配布する行為などを住居侵入罪、国家公務員法違反等で警察・検察が次々と弾圧するという事件が続発しているが、このような弾圧と与党案の運動規制が複合すれば、国民投票運動の規制の効果は絶大なものとなる。 法案は、市民の言論活動を抑制し、さらには改憲に向けて情報を操作し、世論を誘導する危険極まりないカラクリ法案である。 マスメディアは、この法案の成立を唯々諾々と見守り、改憲を推進する権力の道具となるのか、あるいは、国民とともに言論・表現の自由を守り、この国のあり方を決める真の権利者である国民に真実を伝える役割を果たすのかが今問われている。 ジャーナリズムの精神とは、権力への批判精神と言論・表現の自由を守る姿勢にある。国民とともにあるメディアとして、改憲手続き法案を批判的に検討するならば、戦争への道となる改憲派必勝法案である改憲手続き法案の危険性はおのずから明らかとなる。 国民に対し、いち早くこのような問題点を知らせていくことこそが、今、ジャーナリズムに求められている。権力への鋭い批判なくしてジャーナリズムはない。 この基本に立ち返り、ぜひ改憲手続き法案の問題点を明らかにする報道を、展開することを期待してやまない。 (日本ジャーナリスト会議ホームページから引用) |
この文章によって国民投票法案がどんなものか概略をつかみとることができる。そして、いまの日本のマスメディアがどんな状況に置かれているのか、これもまた自分のものにすることができる。かつて日本が侵略戦争に突入していったとき、当時のジャーナリズムも同じように体制順応の状況にあったといわれている。いわゆるマスメディアをふくめた体制翼賛体制がしかれていったのであった。私は当時の状況を知る由はないが、しかし聞くところによればいよいよ今の状況に相似しているようである。山口が強調しているのは、こんな中でのマスメディアの役割である。マスメディアが権力の道具になるのではないだけでなく、山口が説くのは、「国民とともに言論・表現の自由を守り、この国のあり方を決める真の権利者である国民に真実を伝える役割を果たす」ことなのである。至言だと私は思う。
この点で、マスメディアの役割が「国民とともに言論・表現の自由を守り、この国のあり方を決める真の権利者である国民に真実を伝える役割を果たす」ことにあるのなら、喜八さんがいうように、国民側からその現況をとらえて「マスゴミ」と指弾するのは少しも局面をかえることにはならないと私は考えている。この意味で喜八さんの主張に私は賛成する。
ともあれ、政府与党のマスメディアという巨大な「機構」を利用した世論操作に反対する多くの国民がいまは広く手をつなぐときである。マスメディア、ジャーナリズムと国民との共同が不可欠ではないのか。分断に負けてはならない。
国民投票法案の審議はこんな微妙な関係のなかでおこなわれている。■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
教育基本法改悪では子どもと向き合えない
朝日新聞によれば、安倍政権が今臨時国会の最重要法案と位置づける教育基本法改正案は14日、参院の同法特別委員会で安倍首相が出席して質疑が行われた。与党は質疑終了後に採決する方針で、会期末となる15日の成立をねらっている。民主、共産、社民、国民新の野党4党は採決に抗議。核武装議論をめぐる麻生外相への不信任案提出などで法案成立に抵抗する構えを見せている。
14日朝の同特別委の理事会で、中曽根弘文委員長(自民党)が「明日が会期末であり、機は熟した」と採決に踏み切る考えを示したという。「教育改革フォーラム」で、タウンミーティングと同様、政府が教育委員会関係者をつかって一般参加者として動員、発言させるなど、またしても「やらせ」がおこなわれていたことが明らかになった。「改正」理由も未だに説明されず、一方でこうした「やらせ」が発覚するなど提案者としての資格そのものが問われる事態にいたっているにもかかわらず、採決を強行しようとする政府の責任は免れない。改悪法案の廃案でまず責任をとることだ。
国会の外でも、強行採決を断じて許さないと連日、集会が開かれている。12日は参院教育基本法特別委員会の中央公聴会で、埼玉大学学生の浅野大志さんがおこなった発言(要旨)を転載する(しんぶん赤旗、12・14)。浅野さんの発言には、「改正」の理由をいまでに明らかにできない政府与党への痛烈な批判が込められている。
私は教育学部で教員を目指す学生です。今回の教育基本法「改正」に対して反対の意見を持っています。 私は、将来教員になっていくであろう教育学部生は、今回の教育基本法「改正」で、何が変わるのか、自分たちはどのように向き合っていくのかを考えるべきだと思い、大学で教育基本法「改正」に関する勉強会とイベントを企画しました。 勉強会に参加した学生は教育基本法「改正」に関心を持っていたわけですが、その人数は16人と決して多くはありませんでした。まだまだ教育基本法「改正」を知らない学生のために「教育基本法を考えよう埼大アクション」と題してイベントを企画しました。 そのなかで、「改正」されようとしている法案の中身をほとんどの学生が知らないということがわかりました。「変わるといっても抽象的でよくわからない」「本当に何かが変わってしまうのか」と声が返ってきました。 それでもまだ「改正」案に目を通したことのない学生は山ほどいるのです。 勘違いしてほしくないのは、決して学生が不勉強なのではありません。学生たちは教育実習やその他の活動を通して、子どもと接し自分の教育を悩みながらも実践していこうとしています。その実践としての教育と教育基本法「改正」の問題とが全く結びついていないのです。 「どうしても40人学級でほ全員に目が配れない」「進み具合の遅い子をどのようにフォローしていけばいいのか」など、将来の教員を目指している学生は日々間題意識を持っています。教育基本法「改正」が果たしてこれらの問題の解決になっているのか、私たちは全くわからずにいます。私たちの問題意識と国会での議論がずれてしまっているのです。 私は現行法第10条の「教育は…国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」という条文がとても好きです。教育は目の前に向かい合った子どもたちに対して行うものだということを端的に表してくれています。ごの部分をあえてはずす理由がわからないのです。もしかしたら子どもと向き合う教育ではなく、制度によって行うだけの教育になってしまうのではないか。そうした不安があります。 国会審議では、教育基本法は理念法であり、「改正」したからといってすぐに具体的な教育問題が解決されるわけではないと言われていました。いじめ問題の対応や少人数学級の実現は、教育基本法を「改正」しなくても可能なのではないでしょうか。なぜ早急に「改正」する必要があるのでしょうか。「改正」する理由が不明確なため、多くの学生が教育基本法を遠いものと感じています。 国民的理解と合意が得られないまま教育の憲法たる教育基本法を変えても国民とは乖離(かいり)した法律になってしまいます。国会は審議時間ではなく、国民の理解・合意を基準に議論を進めるべきだと思います。 |
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
ワーキングプア増加と生活保護行政
ワーキングプアとは働いても貧しい層をさすことが熟してきた。働いても貧しい層とは、生活保護の基準を一つの指標にとると、以下のように考えることができるだろう。たとえば4人家族で500万円の世帯収入の世帯は、税金から控除されるものを差し引くと、残ったものはほぼ生活保護基準と同等になる。つまり、500万円以下の収入しかない世帯は、ワーキングプアとよぶことができるのだ。当ブログでは、この階層が全世帯の実に4分の1に達することを紹介した。
一方で、生活保護の申請でいま考えられないような、深刻な事態が起こっている。大阪弁護士会の小久保哲郎弁護士の文章を引用してそれを紹介しよう。(『住民と自治』07年1月号)
「まさか役所が、窓口を訪れた相談者に嘘を言って追い返すようなことはしないだろう」。多くの市民はそう信じている。しかし、日本の福祉事務所では、俗に「水際作戦」と呼ばれる、こうした違法な応対がまかり通っている。 日本弁護士会(日弁連)は、2006年6月30日と7月1日を中心に、全国生活保護110番(電話相談)を実施した。これは、日弁連が初めて全国的に全国的に生活保護の問題に取り組んだものだが、全国42都道府県において延べ366名の弁護士が合計634件の相談を受けた。 そのうち過去に福祉事務所に行ったが生活保護を利用できていない人からの相談は180件だった。申請したが却下されたという例はごくわずかで、ほとんどは申請書さえもらえず「相談扱い」で追い返されていた。そもそも申請意思を明確にしているのに申請と取り扱わない自体が違法である。しかも、違法な理由で保護を断っている可能性が高いことが確認された。 例えば、扶養義務者の扶養は保護の要件ではないのに「扶養義務者に援助してもらえ」と追い返されたという相談(49件)や、就職活動をしても就職できない場合には保護の要件に欠けるところはないのに、「65歳未満で稼動能力がある」というだけで保護の適用はできないと言われたという相談(41件)が多数寄せられた。他にも、持ち家に居住している(16件)、家賃が高すぎる(8件)、借金がある(11件)といった、それだけでは保護の適用を否定する理由にはならない理由で多くの人たちが追い返されていた。 小久保弁護士はさらに、ほぼ上記のようにまとめられる110番に寄せられた声に追い討ちをかけるような、全国津々浦々での生々しい対応を紹介している。 ・年金6万円弱で生活する70歳代の独居女性が「生活保護受けるのは最低の人間だ」と言われて申請をさせてもらえなかった(北海道) |
これらは「聖域なき財政改革」を掲げ、容赦ない生活保護削減政策を強化しようとしている政府の施策の具体化の一例といえるだろう。
生活保護基準以下で働き、生きていかざるをえない実態が存在すること自体を、つまりワーキングプアの存在そのものを問う必要があるだろう。だが、今日、保護費削減を目標においた生活保護法の実質的な改悪が上記のようにおこなわれていることに注目する必要がある。北九州市を典型とするような窓口の「水際作戦」は要するに、まさに生活保護から国民を締め出し、ワーキングプアのいっそうの増加に結びつくものだといえる。このような社会保障の現実を置き去りにしたまま、一方では法人税減税に端的に示されるような税制の極端なゆがみが存在すること、いいかえれば今日の税金の使いみちととり方を放っておくことを許すことは私にはできない。
小久保弁護士が紹介するように、日本弁護士会は以下のような決議を採択し、生活保護行政の実態を告発している。(以下は、こちらにあります。なお、提案理由は出色です)
――――――――――――――――――――――――――
貧困の連鎖を断ち切り、すべての人の尊厳に値する生存を実現することを求める決議
経済大国といわれる現代日本において、貧困や格差が急速に拡大し、「健康で文化的な最低限度の生活」を維持できない人々が増大している。
失業や不安定就労・低賃金労働の増大などによって生活困窮に陥り、高利の貸金業者から借入をして多重債務に陥った人々は200万人以上にのぼる。また、仕事、家族、住まい等を次々と喪失し、これが世代を超えて拡大再生産されるという「貧困の連鎖」が生じる中、社会から排除された人々の餓死事件や経済的理由による自殺が相次いでいる。
このような現状のもと、社会保障の最後のセーフティネットとされる生活保護の申請窓口では、「稼働能力がある」「扶養義務者がいる」「ホームレスである」「現住居の家賃が高すぎる」等の理由で申請さえ受け付けないという明らかに違法な運用が横行し、実際の生活保護利用者は、本来この制度を利用し得る人の2割程度にとどまると推計されている。また、外国人に対しては生活保護法を適用することなく一部にのみ準用するという扱いが続いている。最近では、老齢加算を廃止し母子加算を縮小したうえ、さらなる基準額の切り下げや適用抑制による生活保護関係予算削減の動きが加速している。
しかし、そもそも、健康で文化的な生活を営む生存権を保障する憲法25条、個人の尊厳原理に立脚し、幸福追求権について最大の尊重を求めている憲法13条、そして、すべての人の「適切な生活水準の権利」の実現を求める経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約11条に照らせば、本来、国及び地方自治体には、貧困の連鎖を断ち切り、すべての人の尊厳に値する生存を実現する責務がある。
そこで、当連合会は、国・地方自治体に対し、貧困や経済的格差の拡大という実態を直視し、以下の施策を実施するよう強く求めるものである。
第1 生活保護制度について
生活保護の切り下げを止め、基礎年金額の引き上げや生活保護法の積極的適用などにより社会保障の充実を進めること
生活保護の申請が権利であることを確認し、福祉事務所窓口での申請権を侵害するような運用を直ちに是正すること
法改正の提言
(1) 法律の名称変更、保有資産の要件緩和、資産調査の軽減、教育扶助の範囲の拡大、苦情相談を受ける第三者機関の設置、捕捉率等の貧困調査の義務付けなど、現行の生活保護法を、より積極的に生存権を保障する内実をもつ生存権保障法制に改正すること
(2) 生存権保障法制における、制度利用者の助言請求権と行政の広報、情報提供などの周知徹底義務を定めること
(3) 外国人を含むすべての人を生存権享有主体として明記すること
第2 生活保護制度を取り巻くセーフティネットの整備・充実
低所得者を対象とする無利息・無保証の公的融資制度を整備・充実させること
多重債務者をはじめとする生活困窮者が利用しやすい、社会保障制度の相談と有機的に結合した専門性の高い相談窓口を創設・拡充すること
当連合会は、生活保護の申請、ホームレス問題等の生活困窮者支援の分野における従前の取り組みが不十分であったとの反省に立ち、今後、研究・提言・相談支援活動を行い、より多くの弁護士がこの問題に携わることになるよう実践を積み重ね、生活困窮者支援に向けて全力を尽くす決意である。
以上のとおり決議する。
2006年(平成18年)10月6日
日本弁護士連合会
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
作曲家・小林亜星 -教育基本法改悪のむこうの徴兵制
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a3/3664315f9cee2fcaa8008e660788d92f.jpg)
一方で、小林のいうようにこの戦後を「すばらしい60年だった」といいきることができるのもまた、戦争体験をもつがゆえのことなのであろう。戦争を知らない世代は、いま、小林亜星が語るところを自らの問題にし、自ら語ることが求められている気がしてならない。
戦後、私たちの世代が得た憲法と教育基本法こそが、平和と自由を守ってきたんです。すばらしい60年だったと思いますね。
教育基本法が今後数日のうちに改悪させられようとしている今日、簡潔だけれど、広く伝えられなければならないメッセージだと思う。教育基本法改悪のあとには戦争準備の徴兵制がまっているのだ。
「美しい国」なんていいますが、何が美しいかわかりません。戦争につきすすんだ日本の歴史を教えないというような動きや、なかには“原爆を持つ”などといいだす人まで出てきています。恐ろしいことです。 |
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
![](https://blog.with2.net/img/banner_02.gif)
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
アクセスが10万を超えました
これお・ぷてら
« 前ページ | 次ページ » |