森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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日本の政治はどのように動くのだろう。。
これで、麻生首相自身は今後、首相と呼ばれなくなるわけで、そうなると、私のブログでは、麻生時代という名のカテゴリーは以後、エントリーは増えることはなくなるわけです。
麻生内閣とはいったい何だったのか、これを振り返ることはかなり難しいように思えます。悩んでしまいます。小泉純一郎以後、安倍、福田、そして麻生と信を問わずに内閣が成立しかわっていく事態は、まさに前代未聞なのでしょう。そこにこそ、結果的に自民党政治の立ち往生の姿が投影されていたと思えます。
自民党のとるべき道は限られている。安倍路線というものがあるとすれば、福田政権はこれを継承せざるをえない。私自身は、安倍政権自身が小泉政権を引き継ぐ新自由主義的「改革」路線をとらざるをえないという反面、小泉がもらたした社会の亀裂を手当するための保守主義的対応をとらざるをえなかったのだと考えてきた。福田氏でなく、麻生氏であっても、これは同じことで、安倍路線を引き継ぐことが必定であり、その引き継ぎ方のちがいでしかない。 福田政権のために敷かれた道 |
こう書いたのは、およそ2年前でした。
福田内閣を以上のような性格をもった内閣だと以前に規定したのですが、だったら、麻生内閣とはどのように形容することが可能だったのでしょうか。率直にいえば、それすらできないほどの、自民党自身がすでに追い込まれた状態にあって、外形的・形式的にようやく内閣を形成することができた、麻生内閣はその意味で、当初から断末魔的な存在を強いられたということになる、そう思います。ですから、彼は、表向きに「解散は私が決める」などと強がりと思えるような態度をみせ、主体性を強調してきたのですが、あにはからんや、主体性はどこかに飛び去り、選択の土地をどんどん狭めていって、ついには状況のなすがままに総選挙に突入したというわけです。麻生内閣の性格づけといってもこの程度のものです。自民党政権の、自民党が復権するのかどうか今の時点では定かではありませんが、ひとまずお尻の内閣で、麻生氏はその首相だったというのは明確でしょう。
ですから、逆にいえば麻生氏のやったことは、特筆すべきものは、よい意味でも悪い意味でもないといってよいに等しい。何もできなかった内閣だということです。首相が仮に麻生氏以外の人物であったにせよ、こう断定できるような状況にすでに自民党が置かれていたと考えるのが妥当ではないでしょうか。
いよいよ民主党の政権が誕生します。
自民党政権にとってかわる政権をつくり出したという意味で、私は積極的な意味をそこに見出します。何よりも、政権を国民・有権者の手で変えうるということを実感したというところに、です。しかし、そういうためには、自民党(政権)とは、民主党が違うということが証明されてはじめて実感が確信にかわる。その意味で、民主党政権の担っている課題は、日本政治の将来を左右するようなものといっても過言ではありません。
もちろんのことですが、民主党・鳩山氏の周辺が世間の関心を集めています。
内閣の陣容がどうか、これしか話題がないとばかりにメディアはフォーカスをそこにあてます。でも、伝えられる内容は、誰がどこに就任するのか、ある意味でそわそわするような関心を沸き立たせるほどのものでは少しもない、というのが率直なところです。そもそも民主党の個々の議員の力なんかにほとんど興味をもっていない私ですから、なおさらです。
たとえば、名前をあげて悪いのですが、直嶋氏がどこに就任しようとたかが知れている、こう最初に思ってしまう。まあ、陣容といっても、無い袖はふれないのですから。
それ以上に、私は、組閣がどうであれ、国民・有権者のそれこそ主体性に期待をかけたいのです。だめなものはだめ、公約を守れ、マニフェストとにらめっこしながら、国民の役に立つ公約を実行に移させる手段を考えなければなりません。
巷間、小沢氏の存在がまたもやクローズアップされています。
小沢氏は政局に長けていると常々、いわれてきたわけですから、民主党の今後の実体が、小沢氏主導になろうとそうでなかろうと、小沢氏の権限の及ぶ領域が増すことは、逆にいえば国民・有権者の声に敏感な方向に動くだろうという推測、可能性がないわけではありません。
民主党の政権に託す、とまで言い切ることを私は保障する気にはなりませんが、民主党が国民の意識を、現実に相当に意識していることも事実ではないでしょうか。
事態はどのように推移するのか、皆目、分かりません。小沢氏の力が増して、上にのべた方向に必ずすすむということもまた、確信をもてるものではないでしょうが、民主党自身が今、国民の監視を意識していることだけは事実だと私は思います。
願わくば、その監視の目をさらに研ぎすますことです。そして、それをつぎの参院選での政党選択に結びつけるという重要な課題をほかならぬ国民・有権者が背負っているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09189)
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小選挙区制は何をもたらしたのか
公明、自民との選挙協力見直しへ 公明党の山口代表は12日、「自民党との選挙協力はあってしかるべきというものではない。今回の総選挙敗北を受けて自らの足腰を再建していくことが最優先だ」と述べ、来夏の参院選に向けて選挙協力のあり方を根本的に見直す意向を示した。千葉市での地方議員との会合で語った。 |
まず正確にしておいたほうがよいでしょう。山口氏が語っているのは選挙協力のことであって、これまでの自公連立のあり方、連携一般についてではありません。
けれども、ここでは少し敷衍して、政党間の連立・連携に関して考えてみることにします。
自民党と連立を組んできた公明党が、こんな状況のもとで冒頭のような態度表明をするのは、一面では、公明党からみた場合のその連立の目的そのものが政治的にはいかに希薄であったかを見事に証明しているでしょう。片方の自民党が、自らの政権維持のためには、まさにやむをえず、あるいは「苦渋の選択」だったのかもしれませんが、少なくとも決意をして連立に臨んだであろうことは容易に推測がつくわけで、この非対称性がまた傍目には興味深いところです。
公明党という政党は、もちろん外側からみての感想では、きわめてプラグマティックにふるまう政党であるということ。もっとつきつめていえば、同党のためになるか否かを唯一の判断の根拠であるかのようにさえ思えるような、プラグマティスト集団であると私には思えます。その支持母体でもある創価学会が宗教であるのか否か、諸外国での同会にたいする扱いをふくめて、はたして宗教であるのか疑問がもたれているようですが、同会の「折伏」を政治的にもちこんだ姿が、公明党の「プラグマティズム」のように思えてなりません。
山口氏の今回の発言は最初に断ったように自民党との選挙協力に関するものですが、そこに見え隠れしているねらいはこの延長とみて差し支えないでしょう。山口氏が一方で、民主党に協力する旨の発言をしていることと重ねあわせるとなおさらそう思えてしまうのです。
以前のいくつかのエントリーでも記したように、長い間の自民党政権は、そのときどきの政権の基盤が一様であったわけではもちろんありません。今日までの自公政権は、自民党単独政権の維持が不可能だという判断の下で生まれたものでしょうし、その点ではすでに単独政権は十の昔に消えたとみなされていたということになります。途中の非自民政権の誕生という事実もふくめて。
一方では、こうした認識をもふまえて二大政党づくりへ支配層が動いてきたといえる。かつての自民、社会で代表させられてきた55年体制が、世界の政治地図からソ連を中心とする「社会主義勢力」が消えていくのと平行して、新しい段階へ移行するという事態を経てのことです。
私も総選挙中・後の自民党の事態を解党的と表しましたし、今現在の同党の総裁選の模様が伝えられるかぎりでは、あながちその表現があたっていないわけでもないのかなという気さえ起こる。つぎつぎに出ている総裁選候補者の顔ぶれは、かつての日本政治の「中心」にいた政党が現実にいかにそこから遠ざかってしまっているのかを端的に示すものではないでしょうか。
自民党の各総選挙ごとの得票率をみてみると、以下のような推移をたどっています(表をクリックすると拡大します)。池田勇人時代の1960年・第29回総選挙から1回おきに、2000年からは毎回の総選挙結果を比較しています。青い網掛けは、選挙実施時の与党を、左の黄色の網掛けは現存する政党を表しています。
この表から何がよみとれるでしょうか。私はつぎの2点をあげたいと思います。
- 自民党が長期的に得票率を下げてきたこと
- 1996年の小選挙区導入によって新しい動向が生じたこと
このエントリーの主題は、このうちの1にかかわっていますが、1と2の関係でいえば、1が2を促進したとみなければなりません。ようは、自民党の地盤沈下をみてとった支配層が選挙制度を改変することによって、政治・経済の支配を継続しようとしたということです。その上、2000年以降は比例定数削減のもとで選挙がおこなわれているのですから。
2でいう、新しい動向とは、つぎのようなものでしょう。
- 自民党と民主党の合計得票率がほぼ一定していること(これに公明票を加えてよいかもしれません)
- 共産、社民の両党が得票率を低下させてきたこと
表が教えるのは、主にはこの2つでしょう。
結局、小選挙区制度の日本政治への導入によって、
- 二大政党(2000年選挙での自由党を加えた)に得票が集中する状況をつくり出したこと
- そして、自民党単独政権時代以上に票を集中するのに成功していること。裏返しにいえば、共産・社民の得票を小幅ながらも奪いつづけていること
で成果をあげたといえます。
この事実は、しばしば当ブログで言及してきた収斂という現象です。
まさに選挙制度が、そしてそれを後押しするかのようなメディアコントロールが、あたかも投票先が2つしかないかのように有権者・国民に強いてきた結果だともいえます。
その意味で1996年の総選挙の前後で日本政治は劇的に変化しています。
もちろん、小選挙区という切り札を導入する環境をつくるための政治的な支配層の戦略を忘れるわけにはいきません。小選挙区並立制がとられる前の総選挙を思い起こしてください。1990年の総選挙は、消費税導入とともに、自由民主主義政権か社会主義政権か、などという体制選択を前面に押し出し、あおろうという選挙でもあったわけですから。
小選挙区制度がいかに政権維持のために作用してきたのか、一目瞭然ではないでしょうか。
その結果、うまれた今回の議席配置です。小選挙区並立制という選挙制度は、衆院再可決を可能にする320議席までは民主党に与えはしませんでした。が、表から分かるように、一党に40%以上が集まるという結論を出したのです。
その結論は、たびたび世論調査が明らかにするように、民主党への政策支持を根拠にした議席ではなかったが、自民党には入れないという国民の気分感情と確実に結びついた票であったことは確かでしょう。小選挙区導入後の特徴の一つに、自民と民主の合計得票率の差異に有意差がないことを先にあげましたが、そのこととおそらく関係しているでしょう。
選挙後の動向は、再可決可能なところまで達せず、同時に国民の積極的な支持を受けたとよみとれない新しい状況のなかで、民主党自身が自民党とは異なる態度を強調する方向が先行しています。
そこで、冒頭の公明党は以上の構図のなかでどのような役割を果たしてきたのか。二大政党政治への移行のなかで、自民党が政権を維持するための、民主党を上回る条件づくりにその力を発揮したということです。
そのことは、再び自民党が政権に復帰する可能性を公明党がどのように判断するかによって、公明党の出方が異なっているということを意味します。
支持母体の学会をみれば、立身出世という世間の一つの価値観と深く結びついた階級的な組織構造にその特徴があると私は考えており、それは公明党が政権にしがみつく姿勢にも反映しているだろうと思います。逆にいえば、この間の社会保障分野での度重なる弱者といわれる階層に向けてしかけられた制度改悪を、公明党はどのように釈明してきたのでしょうか。
こうした同党の姿勢は、ここで自民党から民主党へ鞍替えするに十分な条件を備えていると考えるに足るものです。
そうなると、与党で320議席をカバーできるというわけですから、キャスティングボートを公明党が握るといっても過言ではありません。
はやる私の気持ちはつぎの参院選にむかっています。そこで、衆院与党が過半数を握ることになったら、ちがった意味で日本政治が前に一段とすすむだろうという危惧を感じつつ。
(「世相を拾う」09188)
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9・11から日本の政権交代まで
あのとき米国は、米国国民が情報の国家管理にすべからく寛容になり、同国内の亀裂、国民の間の相互不信は極まった状況だったと思います。テロとのたたかい、これは大なり小なりあると思われる米国民の「強いアメリカ」志向とまったくマッチするものではなかったでしょうか。それを強調し、圧倒的な支持を得たのがジョージ・W・ブッシュでした。なにしろオバマをも上回る、過去最高の支持率でしたからね。
しかし、彼もその後、イラク戦争の口実としてきた大量破壊兵器といううたい文句がまったくの嘘であったことが知られるなど、しだいに人気は下降線を辿った。このブッシュは、(大統領の)資質という点ではとくに彼の話すアメリカ語についてしばしば話題になったものですが、もう数日でその職を辞すことになるわが日本国の現首相の日本語、とくに漢字表記に関する知識についてニュースが飛び交う今日の事態ときわめて相似することが、面白いところでもあります。資質に関することだけでなく、国民から末期はまさにそうスカンを食らう羽目になって辞めていくという経過もそっくりです。
このブッシュと同様に、ブッシュをその座から引きずり降ろしたオバマもまた、熱狂の中で大統領に就任しました。そのとき、彼はchangeと訴え、人々の関心を一手に引き受けたのです。米国が変わる。なにやら、この海のむこうの1年もたたない前の出来事が、海を渡って再現されたかのような状況に今、この日本国はあるのではないでしょうか。
いくら日本と米国が同盟関係にあるからといって、政治のありよう、より正確にいえば両国国民の意識状況までこれほど酷似しなくてもよさそうなのにと、あらためて今年の9・11を通り越したきょう、思った次第です。
私は強いアメリカが米国国民の気分感情をくすぐり、イラク戦争、テロとのたたかいへの圧倒的な支持をあのとき形成してきたことを思い、それが今の日本国の状況に合い通じるようにも思え、そこにある種の危険な側面を感じてきました。その思いが、この間の一連のエントリーに反映しているように自分では思うわけです。
圧倒的な支持を得たブッシュの後を引き受けたオバマも今また支持率低迷のようです。彼の売りであった無保険をなくすという施策も、いまや日本の皆保険となまったく異なり、似て非なるものであることが次第に明らかにされています。無保険者をなくすという表面だけをながめれば前進のように理解される政策も、日本とちがってメディケアとメディケイド以外には公的保険が基本的になく、私的保険で成り立つアメリカでは、むしろ私的保険資本の市場を拡大することにつながっているととらえることができるわけです。こうしたしかけがばれてしまえば、オバマもこの限りで悪くいえば資本の走狗にもなりうるのです。オバマの「改革」もそれが米国国民の生活ぶりに反映され、実感とならない限り、支持を失う方向にベクトルが向かうのは目にみえています。オバマのいったチェンジとはいったい何ものなのでしょうか。
この米国の政治的構図が、外形的にはこの日本国にも押し寄せ、しかも当の政権をとった民主党がまるで悪乗りのようにオバマ然として、あるいは嬉々としてチェンジを叫んでいたのを私は振り返るのです。民主党の議員たちだけでなく、小さな世界ながら、このブログ界でカウンドダウンを叫び、世界がかわるかのような言説がふりまかれる事態は、海を隔てた米国のかつての熱狂を冷ややかに笑うことすらできないものではないでしょうか。
こうした熱狂をもたらす要因の一つが、米国のメディアコントロールであり、日本のメディアの資本に根本を握られたジャーナリズムの衰退を指摘しなければならないでしょう。すでに米国では、メディアがいくつかの巨大資本に握られ、寡占化のもとでまさに情報管理がすすみ、9・11以後の事態はこれをいっそう加速させ、個人情報も国家が手中にし、自由に扱える状況がつくられた、まさに愛国法に示されるとおり。
今日の日本もそれほどかわりないでしょう。選挙戦は、メディアによってコントロールされ、戦前の予想民主300議席が現実のものになるのですから。その結果をもたらすために資本の側がいったいどれだけの時間と金を使い、情報を出し入れし、視聴者の時間を奪うだけでなく、心も奪っていったことか。事態はほとんどかわらないのです。
オバマを支持し、彼を大統領にした熱心な支持者たちは今、Change!
Yes,we can.というカッコいいスローガンをトーンダウンさせ、「しっかり見守ろう」、そして今は「約束を果たさせよう」とネットでよびかけているのですから。この変化もなんとも見事なものです。はたして、この変化もまた、日本国に訪れるのでしょうか。
私は、とくに都議選後、民主党は矛盾を深めるだろうといってきました。同時に総選挙後の民主党の態度、対応の変化にも注目してきました。この2つは別の表現ですが、同じことを意味しているように思えます。対応の変化、国民サイドからみて前進と思える同党の対応そのものが、矛盾を抱え込むことになるだろうというわけです。
今は、しっかり民主党の態度に着目し、米国オバマ支持者の対応の変化を少しばかり日本国では早めて、同党に約束を果たせと迫ることがとくに重要だと私には思えます。
こうした国民・有権者の声や行動にどれだけ耳を傾け、あるいは受け止められるかどうか、それが民主党には問われている。耳を傾け、あるいは受け止めるという対応そのものが、結果的には、いくつもの潮流が併存する同党にとっては矛盾を深める契機ともなるのですが。
その矛盾が昔の言葉でいえば止揚され、はじめて日本国の政治は一段階前にすすむような気がしてなりません。
止揚されて、民主党がどのような形に今後なるのかどうかとは関係なく。
(「世相を拾う」09187)
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政治と財界の関係が決着して、一時代が終わる
選択がもたらすもの:/8 詩人・作家、辻井喬氏 今度の選挙の結果、時代が変わった、50年以上続いた自民の時代が終わったという認識だ。 |
この堤さんの言葉は今回結果の一面を衝いていると思います。けれども、さんざん当ブログでのべてきたように、自民党の長い政権維持がいったんは終わったという事実は、自民党政治が終わったことを同時に意味するものではないと思うのです。国民はともかく自民党の政権にストップをかけた。この事実は大きく、そして日本政治の歴史のなかで画期となるのかもしれません。
国民は、自らの投票によって、一つの仕事を成し遂げた。自民党にさよならをいうという仕事を。国民にさよならをいわれてしまった自民党という現実をもっとも深刻に受け止めているのは、堤さんが指摘するとおり、財界なのでしょう。
しかし、私は、この財界のもくろみが完全に断たれたとは思ってはいません。この辺りが堤さんの主張と異なるように思えます。つまり、民主党の政権が今後、どのような経過をたどるのか、未知数です。ようするに、民主党が財界とどんな関係をもつのか、不明な部分なのですから。自民党と財界との関係とはまったくちがった関係がはじまる可能性がないわけではもちろんありませんが、しかし、その可能性に望みをかけ、かわると判断するにはまだ早い、率直にそう思うわけです。
堤さんは以下にのべるような見方をしているのかどうか、文面からはもちろん分かりません。むしろ財界人でもあるわけですから、同じ階層のなかから財界を客観的にながめてできたのが堤さんのこの毎日新聞の言葉でしょう。
少しふりかえると、財界は日本に二大政党制をひこうとして、民主党を結成させた。財界の要求に軸足を置いた政治を継続できるという根本の目的のために。
たとえば、最近の経済財政諮問会議設置をはじめ、企業献金のあっせんの際に経団連の要求にどれだけ応じたかを判断に基準にするなどの経過は、財界・大企業が政治を支配しようとしてきたという事実を証明するのに十分すぎるでしょう。ですから、自民党はひたすら財界におもねり、優遇をつづけ、その結果、日本社会にとりかえしのつかないほどの亀裂を生じせしめたわけです。小泉のかけ声はそれをいっそう加速したのではないでしょうか。
そうした財界「主導」、財界の思惑に応えようとすればするほど、国民の願いとはかけ離れていくわけで、自民党はこうした局面、局面で、かつての高度成長期に利益誘導と利益擁護という表裏の関係をもとに階層ごと支配のしかけをつくり、自民党支持を維持してきましたが、そうした支持層を自ら掘り崩す結果になったのではないでしょうか。まさに、堤さんが「新たな思想、政策を持たないまま、権力だけを維持しようとした。弱体化がはっきりしてくると、公明党の力を借りて取り繕ってきたが、今回はいよいよ駄目になってしまった」とのべるように。
繰り返すと、この財界のもくろみが完全に断たれたとは思ってはいません。その意味では、「4年前の小泉旋風の逆が起きたわけではない」という堤さんの言葉は一面をたしかにいいあてているとは考えるのですが、別のエントリー(参照)で言及したように、自民党に入れずに民主党に入れるという行動自体は、あのときの小泉に入れる、つまり自民党に投票するという意識と峻別できるかといえば、そうも思えません。
民主党の政策には期待しないが、とにかく自民党ではない民主党に、こう有権者の流れができてしまった。そして、選挙後は、民主党政権に期待したいという意見も少なくはない以上、自民党さようならというのがともかく国民がおこなった選択第一段階ということになるのでしょうか。
それから先は、国民・有権者は決めていない。世論調査で、自民党にも立ち直ってほしいという意見も少なくないようですし、これからの先をみすえかねている状況のように私には思えてなりません。
中島岳志氏(参照)は、こうした状況をふまえ、民主党のお手並み拝見を提案しているのですが、その過程の中で、国民がつぎの第二段階の全体像をとらえるか否か、その点で率直にいえば、期待と疑念が私の中では同居している。自民党政治からの決別を民主党が果たすということは、自民党がとってきた、財界とのこれまでの関係を清算するということを意味します。
結局、堤氏の提言するグローバルな視点をもつということは、おそらくこれまでの自民党政治、つまり財界・大企業の権益を日本政治のなかで優先させるような立場をあらためる以外にはないと私は思うのですが、自民党はともかく、民主党もまた、その立場が問われている。決別を仮に民主党が選択した際に、国民・有権者の意識がまた一歩先に動くだろうと推測するのです。
そうしてはじめて、4年前の小泉旋風の逆が起きたわけではないと、あらためて今回の総選挙の結果、先にのべた選択第一段階をふりかえることが可能になるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09186)
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一歩前進、二歩前進
一歩前進、二歩後退ではありません。
民主党・鳩山代表の国民・有権者向けに発する態度は、これまでの自民党政権からのちがいを力を入れて強調しているかのように私には思えます。
これなど、是非実行に移してもらいたいものです。
鳩山代表、核密約調査公表を明言 新政権発足後に実施、見解変更も
密約とは、日米安保に定める事前協議の対象から核を搭載した米軍の艦船と飛行機の日本への通過・寄港、飛来を外すことを日米双方が約束したというものですから、一方で歴代自民党政権の公にとってきた立場、その意味で国是とされてきた比較三原則と真っ向から対立することは自明です。
仮に密約があったということが明らかになれば、これは米国からの情報ですでに密約の存在が明らかになっていて自民党政権が公式にこれを認めていないにすぎないものですが、自民党は長い間、国民を裏切ってきたというわけです。
ですから、核密約の存在を具体的に調査することは、自民党政治の一端を断罪することにもつながる。そして、こうもいえます。
選挙前に、鳩山代表自身が、非核三原則に関して、見直しもありうる旨の発言をしました。世間の批判にあって、それはいったん降ろされたような格好ですが。
しかし、彼の本意はどうなのか。上記のような展開になれば、鳩山氏の心の中で、鳩山氏の態度に変化が現れるのでしょうか。
私は、氏が非核三原則を見直すといったところに本心があるだろうと推測しているので、彼の心の中では、事態の進展とともに矛盾が拡大するということになるわけです。そもそも彼は、政権交代以前に自民党議員らとともに結成された改憲議連の重要な一人であったことを忘れてはならないでしょう。
たしかに現局面は、一歩前進、二歩前進。温暖化ガス基準見直しでの態度、そしてこの問題での態度。これまでの麻生政権と大きくかわりました。これが恒常的流れになってほしいと強く私は思うわけですが、この事態こそ、国民がつくり出している流れではないでしょうか。民主党には悪いが、表現をかえれば、こんな態度をとらざるをえない局面に、民主党もたたされているというわけです。
しばらくは、私たち国民・有権者はこうして民主党とその政権のとる態度の一つひとつをしっかり見届けることが大事なように思えます。つきあわなければならないでしょう。今、民主党のマニフェストと政策集を私は読んでいますが、その落差はかなり面白い。さらには、マニフェストには国民の側からみて実現させてはならないものもふくまれていると思います。
とはいえ、マニフェストで国民に約束したことをしっかり守らせる、このことが重要でしょうから、たとえば約束を果たせなどのファクスやメールを集中するなど誰もがやれることをふくめて行動を起こしてほしいものです。
私は先に、基地再編問題が最初の、第一歩と表現しました(参照)が、この核密約問題をふくめて日米間に横たわる種々の問題にどう手をつけてゆくのか、そこに民主党政権の命運がかかっているように思います。
(「世相を拾う」09185)
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山口二郎「新政権の課題」・または・国民の課題
新しいエントリーのタイトルは、「新政権の課題」(参照)。
これに反対する気は毛頭ありません。が、氏のいうところは、新政権がいちばんにやるべき課題は情報公開だということです。
民主党は税金の無駄づかいを撲滅することを叫んできた。そのためには、無駄づかいの現状を明らかにすることこそ第一歩となる。昨年の道路特定財源をめぐる論議の中で、民主党の議員が鋭い追及を行って、利権構造の氷山の一角が露見した。今度は与党として、そうした大掃除を行う番である。そのような戦いを行う間は、国民の支持も集まるであろう。また、利権を解体するという政治的環境が不動の前提だと官僚も理解すれば、官僚はその中で生きるすべを見つけるであろう。 |
ようは、税金の無駄づかいの現状を明らかにするということに尽きるのでしょうが、だとするなら、氏自身がこのエントリーで示したその回答は、なんとも不十分な気がしてなりません。
税金の配分がどのように決定されているのか、それを分けるのはときどきの政権のよって立つところを見事に反映するのでしょうから、少なくとも私はそうみていますが、その見方によれば、余計な配分を、つまり優遇を財界・大企業にたいして手厚く施してきたのが自民党政治ではなかったでしょうか。たびたび例にとっていますが、結局のところ税のとり方にそれは直結している。端的には、消費税の税収増は、この間の自民党政権がとってきた大企業優遇の法人税減税による税収減を補って余りあるものでした。
たとえば、この点についての見直しをやるのか否か、その態度をとわれているのが新政権ではないでしょうか。見直しをやるということになれば、これまでの自民党政権とは異なって、一歩足を踏み出すことになる。自民党政権と新政権はちがうと国民・有権者に実感させることになるでしょう。
この根本のところでの態度いかんが、実は政権の軸足が国民にあるのか、それとも広く国民の側にあるのではなく、これまでの自民党政権と同じように財界や大企業にあったり、米国にあったりするのとでは大きなちがいなのですから。
新しい政権は、山口氏自身が語るように、「ともかく一度民主党にやらせてみようという動機」が多少ともあったことは確実でしょうから、出方はかなり国民寄りの態度だと私はみています。一つひとつの対応に、まさに是々非々で判断すべきでしょう。ただし、国民の見方は冷厳なもので、民主党が政権をとってもほとんど政治はかわらないとみているということです。
私は、山口氏のいうように政治を国会のなかだけにとどめようとは少しも思いません。政治は、とくに今回総選挙をへての状況の変化、長い自民党政権がいったんは途絶えるというこの局面であればなおさらそう思うのですが、有権者・国民が積極的に(政治に)かかわることを求めているような気がしてなりません。
民主党に委ねるとか、「政府、国会を通した制度改革によって、日本の民主政治の進化を期待したい」とかという枠組みを乗り越えて。そこに、日本政治の将来がかかっているように思えるのです。今回総選挙は、投票という有権者・国民の行動が、政権担当者をすげかえるという「劇的な変化」をもたらしうることを分かりやすい形で証明しました。そのもつ意味が大きいと私も考えます。ただし、諸手をあげて、この状況を是とみているわけではなく、このエントリーでの中島岳志氏の見解と同じ感想をもっているのも事実です。
この意味でも、今の時期は、日本の将来が大きくかわりうるのか否かを決める一つの画期のようにも思えるのです。
この点で、まさに山口氏の主張は、国民というのは政治を受動的に受け止めるように描かれて説かれていますが、そうではなく、国民が状況を主体的にとらえる、そしてそのかかわり方は多種多様であっていっこうに構わないわけですが、総選挙の結果の重要な政権交代にしなくてはならないと強く思うのです。
(「世相を拾う」09184)
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連立にむけ動き出した
朝日が今、私がブログ記事を書いている時点で、ウェブ上ではわずか数行にとどめてふれているのに対して、産経は細かく伝えています。以下のように、合意文書全文を載せるという念の入れようです(参照)。
とはいっても、ご覧のとおり合意文書自体、数行のものにすぎませんが。
三党連立政権合意書(全文)
連立政権の樹立で合意、笑顔で握手する(左から)国民新党の亀井代表、民主党の鳩山代表、社民党の福島党首=9日夕、国会 三党連立政権合意書
民主党、社会民主党、国民新党の三党は、第45回衆議院総選挙で国民が示した政権交代の審判を受け、新しい連立政権を樹立することとし、その発足に当たり、次の通り合意した。
一 三党連立政権は、政権交代という民意に従い、国民の負託に応えることを確認する。
二 三党は、連立政権樹立に当たり、別紙の政策合意に至ったことを確認する。
三 調整が必要な政策は、三党党首クラスによる基本政策閣僚委員会において議論し、その結果を閣議に諮り、決していくことを確認する。
2009年9月9日
民主党代表 (署名)
社会民主党党首 (署名)
国民新党代表 (署名)
この合意文書から何が読み取れるのでしょうか。協議のなかにいたわけではないので、むろん憶測以上のものではありません。産経が伝えるように、沖縄基地問題で民主党は社民党に大幅に譲歩したのでしょうか。私は必ずしもそうは思っていません。
なぜなら、民主党自体が選挙戦のなかで以下のようにのべていたのですから。
私は選挙戦のこの言葉そのものに疑念をもっていたわけですが、少なくとも民主党にとっては、自分のいっていたことをあらためて確認したにすぎない程度のものでしかないと思うのです。
つまり、産経記事にしたがえば、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画と日米地位協定の見直しに関しては、『沖縄県民の負担軽減の観点から日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む』との文言を盛り込むことで合意した」。ここに至るまでに社民党の働きかえがあったというわけですが、どうでしょうか。
民主党の公約は、「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」というものでしたから、これは、産経記事中の合意内容と寸分もたがわないでしょう。
ようするに、見直しの方向で臨むという姿勢を明らかにしたにすぎません。3党はこれから政権につくわけですから、見直すと断言してもよいはずなのに、こう思ってしまうのです。性急すぎてもいけないのでしょうが。
ともあれ、有権者は民主党に圧倒的な議席を与えたわけですが、(幸いにも)衆院再可決に足る議席まで民主党には与えなかった。絶対多数をにぎっていても、世論調査でみるかぎり、民主党への政策に共感するその程度は必ずしも芳しいとはいえないのが率直なところでしょうか。
3党の合意と合意に至るまでの経過は、ともかくも選挙戦における微妙な民主党への支持を反映し、民主党に自己規制をかけたというのが率直なところでしょうか。
社民党がブレーキをかけたとはまさか思ってはいないでしょうが、同党がそのように自慢げに語るようなことがあれば、この連立自体が危ういものだと私には思えます。もちろん社民党が民主党に同化する方向に向かうのではないかという一抹の不安というか、思いが先行するのです。
先にふれたように、産経の記事のとおりであったにしても、米軍基地問題で、従来の自公政権以上の明確な態度表明があったとは私は考えません。
昨日のエントリーで強調したように、国民・有権者こそが国会を動かさなければなりません。
例にあげた基地問題でいえば、いったい民主党と社民、国民新の3党の間に重なりあう部分があったのでしょうか。これまでの3党の態度をふりかえれば、およそそんなものはなかったと思わざるをえないのですが。とはいえ、3党は「沖縄県民の負担軽減の観点から日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」ということで少なくとも一致したのでしょうから、沖縄県民の願いに寄り添って、見直す方向を明らかにしてもらい、そのための実践を3党に求める必要があるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09183)
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新しい国会を動かすのは国民だ
新しい政権の構成をめぐって、連立のための協議がおこなわれているようです。民主党と連立を組む政党の責任は、もちろんそれだけ重くなることを意味します。
世論と国民の社会的な運動が政治をひっぱっていく状況がつくられれば、とひそかに思います。
鳩山代表が、日本の温室効果ガス削減について、「2020年までに1990年比で25%削減する」との同党の中期目標を堅持し、首相指名後の22日に米ニューヨークで開かれる国連気候変動サミットで、日本の新たな目標として世界に宣言する考えを示しました。
これ自体、少なくとも自公政権がとってきた態度からすれば大きな前進です。評価すべきは評価しなければなりません。その考えを、具体的に実行に移してほしいものです。
たとえば、こうした前進は、おそらく有権者・国民の期待と関心が後押ししているものなのでしょう。それがなければ、私の考えでは、民主党は(国民から離れて)遠くにいってしまうのです。
国民の側のふるまい次第で、大きく様相が変わりうると考えている一つは、社会保障の分野です。
例をあげると、6月に民主・共産・社民・国民新の野党4党が提出した「母子加算復活法案」が参院本会議で与党が棄権し、全員一致で可決しています。この事実は重たい、与党・自公の態度は横に措くとしても、野党4党が共同で提出したのですから。
母子加算廃止は、最も弱い部分への反人権的な対応だと私は考えるわけで、ぜひとも新政権にはこれを元に戻してほしい。共産はもとより、連立するか否かを問わず、理屈の上では、社民も国民新も賛成しなければならないでしょう。当時の与党、自民も公明もこれに反対する態度をとれなかったのですから、今さら反対するにはそれなりの理由がなけれななりません。
なにしろ生活保護基準をこうして引き下げることは、賃金や年金などの一つのものさしに生活保護が置かれている現状を考えると、私たち国民の生活の基盤を壊すことにつながります。2007年の最低賃金法の改定では、「生活保護に係る施策との整合性」に配慮して決定するとされたくらいですから。
したがって、母子加算や老齢加算を元に戻せという主張に賛同が広がる。ちなみに「元に戻せ」というアピールのよびかけ人は以下の人々でした。
雨宮処凛(作家・反貧困ネットワーク副代表)/新井章(弁護士・朝日訴訟主任弁護人)/井上英夫(金沢大学教授)/宇都宮健児(弁護士・反貧困ネットワーク代表)/大谷昭宏(ジャーナリスト)/小川政亮(日本社会事業大学名誉教授)/竹下義樹(弁護士・障害者自立支援法訴訟全国弁護団団長)/多田富雄(医師)/堤未果(ジャーナリスト)/都留民子(広島県立大学教授)/尾藤廣喜(弁護士・生活保護問題対策全国会議代表幹事)/本田由紀(東京大学教授)/湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長)
結果的に、先にのべた野党4党共同提案の法案は衆議院に送付されたものの、審議されずに廃案となりました。
総選挙後の新しい国会では、この「元に戻せ」の切実さを政権を担う民主党がどのように受け止めるか、それが問われています。それだけに、国民・有権者が声をあげ、しっかり監視することがどうしても求められるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09182)
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小泉郵政選挙との相似性- 中島岳志の言説から
氏は、小泉郵政選挙の結果と対比しながら、今回の総選挙について評価を加えていました。
氏のいいたいことは、変化を求めるという一点に国民の意識があるということでしょう。そして、氏は、破壊と再構築というキーワードを自説のなかで採用しています。
一方、中島岳志氏(北大准教授)もまた、「毎日」紙上で今回選挙を分析しています(参照、またはここ)。
結論を先にいえば、中島氏の言説のほうが私の認識に近い。この両者とも、小泉選挙と今回選挙の相似性を論じているのは共通しています。が、その切り口の方向は異なります。
中島氏が、今日の問題の根源を選挙制度に置き、二大政党政治からの脱却も視野に入れて訴えているので、それだけに私には斎藤氏の議論がきわめて抽象的にみえてくる。この点の中島氏の指摘は、私は決定的だと思うのです。
ときどきの気分・勘定、たとえば小泉は当時、自民党政治をぶっ壊すといって世間をひきつけたのですが、その言葉に同調する志向を斎藤氏がいわば積極的に支持しているの比して、中島氏は、これにむしろ否定的な立場をとっています。
中島氏の懸念は、つぎの一文に表現されているでしょう。
新政権が発足すると、新しいものへの期待感が過剰に高まって高支持率となり、何かの拍子で世論の気分が変われば、支持率は急落してしまう。その理由も、麻生太郎首相の「漢字が読めない」をはじめ、大抵は政治とは別の問題だった。この空気が続いているのなら、今回も政権発足後3カ月くらいで、有権者の気分が変わるかもしれない。
何しろ、民主党政権は大きな爆弾を抱えて発足する。鳩山由紀夫代表の「故人」献金問題もある。マニフェスト(政権公約)の項目相互の連関も足りないから、政策がぶれる可能性が高い。それらを理由に支持率が下がれば、党首交代などドタバタ劇が始まりかねない。 これでは、政権交代をしても今までと同じことの繰り返しだ。今回の選挙で敗北したのは、自民党ではなく、日本の民主主義そのものということになってしまう。有権者は、せめて半年や1年は我慢し、民主党の「お手並み拝見」をすべきだ。彼らの問題点を承知で308議席を与えたのだから、そのくらいの覚悟は必要なはずである。 |
当ブログでは、自民党政権が交代し民主党の政権にかわったからといって、そのことが自民党政治の終焉を意味するというものではないとのべてきました。ですから、問われるのは、これから(の民主党の態度)ということになるでしょう。氏がいうように「どんな国家をつくりたい」のかを民主党が明らかにしないまま、300を超える議席を獲得した事実が私たちの目の前にあるわけです。民主党がどんなかじとりをするのか、その限りで中島氏のいうような「お手並み拝見」という態度が求められるのかもしれません。
個人的には、10年くらいかけて選挙制度を中選挙区制に戻すべきだと考える。小選挙区制や2大政党制は、社会の多様性に対応できないからだ。比例代表の議席を減らして小選挙区の割合を上げるのはもちろん論外だ。社会が流動化し、業界団体などの集票力も弱まりつつある今は、中選挙区制のかつての弊害は薄まっているはずだ。 |
こう中島氏は指摘します。正論だと思います。
氏の論旨とは逆の立場から、経団連が小選挙区推進の旗を現実にふってきたことを重ね合わせて考えてみてください。自民党とかわっても別段、差し障りのないような政治体制を構築できるところにこそ、二大政党政治を日本で定着させようとした勢力の思惑があるのですから。
だからこそ、そのような政治体制の下では氏ものべるように、「2大政党は限りなく似てゆく」のです。少なくとも今回総選挙までの光景は、私には2つの政党が次第に収斂していく、その可能性の大きさをみせつけているように思えます。
半年や1年で行方が私たち国民にほとんどみえてしまうかどうか、それは今は分かりませんが、私は、「お手並み拝見」という受動的な態度を超えて、民主党が国民に約束してきたことの実行を迫るだけでなく、自民党政治の踏襲はノーという意思を表明しつづけなければならないと、この2つの考察を読んであらためて思うのです。
(「世相を拾う」09181)
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期待が重過ぎる、これが民主党の本音かな?
予想を超える調査結果というわけではまったくありません。
似たり寄ったりの結果を誰もが想定しえたのが、自民党から民主党への交代劇だったといえましょうか。
結論めいたことをいえば、自民党政権の継続はノー、これは否定しがたい。さりとて、民主党への支持が高かったかといえば、これもノーだということです。つきつめていえば、民主党への積極的支持ではなく、消去法的に民主党に入れる、投票するというそれ。ただし、私は、消去法であっても民主党に入れるという行為を強いる現行選挙制度、つまり小選挙区制に強く反発する。小選挙区制は、主権者の意思とは離れたところで、主権者の意思をも規定しているという側面を無視していはいけないのではないかと、こう思っているのです。当ブログではよく収斂と言う言葉を使いますが、自民党ではダメだと有権者が感じ取ったとき、民主党の政策を支持しているわけでもないのに民主党に投票すると考えるようにしむける、収斂させるしくみが小選挙区制度にはあるということです。1人の当選者しか生まないのが小選挙区ですから、結果的に、多くが第一党か、第二党かに入れるようにつくられているというわけです。
朝日の世論調査の結果はそのことを如実に語っているように私には思えます。
今回は、ともかく自民党に対する強い反発、全体的な反発が存在していた。その結果、民主党がこんな形容詞をもちいても誰も違和感を覚えないくらいの歴史的な大勝を果たしました。が、この勝因は、民主党への積極的支持ではなかったことは、世論調査の結果で明白。(民主党の)「政策を支持した」が4割程度なわけですから。政策を圧倒的な有権者が支持するという状況とは今回は異なることははっきりしています。それでも、新政権に期待する人が8割に及ぶというのですから、このことは逆に自公政権への強い批判、これは決定的な潮流として日本中を流れたということを意味しています。あえてふれると、その結果が民主党の大幅議席増に結びつく要因に小選挙区制があることをみておかなくてはなりません。
新政権はただ、自民党政権ではないという一点に強い期待を背負って登場する。正直いって、ここが民主党のいちばん辛いところかもしれない、などと私は密かに思っているわけです。なぜなら、そもそも民主党の年来の(政策的)主張に共感しているわけではない。受け止め方は、自民党とほとんどちがわない、左がかっている等々。それでも、有権者が民主党の政策を支持したとはいえないことだけが調査で明らかになった。
となると、有権者は自民党政権を少なくとも今回は拒否し、自民党ではない政権を選択した。が、政権を担う政党の政策には共感していないのですから、一時期世間ではやった、ねじれがそこに存在する。多くの有権者は、今回、民主党に投票した人の多くも民主党になんらの新味も感じていないような調査結果です。ただ、自民党の政権をかえるということを有権者は選択したということですね。だから、民主党のこれからの態度、一つひとつの対応そのものが逐一、問われることになるでしょう。
それは、一方で、自民党復活を期待している人の割合の多さにも表れているようにも思えます。ここまでくると、党ブログで指摘してきたような、投票行動における自民・民主の間での有権者の移動を裏付けているようにも私にはみえてくるのですが。
それでも、今回の選挙で投じた一票が、現実に政党選択にむすびつき、その結果、自民党の政権ではないものが新たに誕生するという経験を有権者は一旦へたのです。
すでに、国民のさまざまな運動、長年の要求を背景に、政府に求めてきたきた結果、薬害肝炎や原爆訴訟などに端的に表れているように、現実の政治を動かしてきました。それぞれの分野で運動や取り組みに携わってきた人ならば、それを実感するここ数年であったでしょう。国民の側からみた場合の、言葉を選ぶならこうした前進は、一方での長年つづいてきた自民党政治のゆきづまりがいよいよその極みに達する過程のなかでの出来事だという側面を視野に置いておいて、悪くはありません。
今回の選挙が、国民が現実政治を動かしてきたという、こうしたいくつかの事実に加えて、投票という広く有権者がかかわる行動によって政権をかえたという、その意味で一段階前にすすんだことは、他にはかえがたい意味をもっているといえましょう。その限りで、有権者が主体的に政治を動かす方向を加速させる可能性を、今回の選挙は広げたといっても過言ではないと私は思います。
民主党が政治をかえるとは有権者は今のところ思っていない。しかし、のぞんでいるのは自民党とはことなるもの、少なくとも直近の自民党とはちがう何かを有権者が求めているのは確実なのでしょうから、その点で、すでに民主党は矛盾の只中にあるともいえるのでしょう。
(「世相を拾う」09177)
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選挙結果を新たな一ページととらえてみる。
ところで、小泉の政権はいったい何だったのか。
これは彼を支持した国民自身が反省しなければならない論点だと私は思います。
願わくば、数年後にまたふりかえって、今回、民主党を支持したのはいったい何であったのか、などのように、選挙結果の意味があらためて問われることのないように。そうあらためて願うのみです。
小泉構造改革は、今日だれもが思うように、それがなりふりかまわず推進された結果、傷跡はあまりにも日本社会にとって大きかったということです。その限りで、日本は自民党がいう意味で壊れましたし、それを国民が実感し受け止めたからこそ、今回総選挙でかつてない大敗を自民党が喫した。まさに解党的状況に直面しているともいえるわけです。小泉からすれば、ご本人は引退ですから、まさにポンパドールならぬ小泉純一郎が、わが亡きあとに洪水よ来たれと語って、選挙の結果、自民党にとってはそれがそのまま現実のものになったということではないでしょうか。
ただ、小泉をかばう気はもちろん毛頭、私にはありませんが、この事態は、そもそも長年の自民党政治というものが、いかに国民生活にとって相反するものであったのかが、今日ようやく理解されはじめたととらえてもいいのではないか、そう思えるのです。
逆にいえば、その受け皿に、今回は民主党がなり、歴史的な議席を獲得したということでしょう。
したがって、その限りで、この筋書きは、保守政治の継続を願う支配層にとっては想定の範囲かもしれません。そもそも自民か、民主かを有権者に迫り、そのスイッチの切り替えで済むのであれば、あるいは済むようにしたてることが、彼らのねらいでもあったといえるのですから。選挙後の御手洗冨士夫経団連会長の談話が報じられましたが、平然と彼らの思惑を今度は民主党に実行してもらうといわんばかりのものでした。
今回の選挙結果をふりかえってみて、小選挙区という選挙制度の力をほんとうにみせつけられたようにあらためて思うわけです。言葉をかえせば、この選挙制度は、保守政治存続のための安定装置だということです。ですから気の早い私なんかは、かつて小選挙区制導入の旗をふり、その後、今日まで民主党による政権交代を声高に叫んできた山口二郎の欺瞞に、ほんとうに抑えることのできない憤りを感じるのです。なによりも山口が世間に登場するとき、あたかも革新の立場に立つような顔つきで現れるのですから、怒りは収まりません。
とはいえ、結果は冷厳です。
民主党の絶対多数です。拙ブログの読者の方ならすでにお分かりのように、多数をとった民主党自身にとって、多数を占める理由に国民・有権者の広い「期待」があったことは自明のことです。その「期待」がどの程度のものかは別にして。したがって、同党が、この国民・有権者の期待を無視するにはかなりの決断がともなうということもまた、明らかでしょう。
同時に、同党の結党そのものは、いつ、いかなるときでも自民党とのスムースな交代が可能な、保守政治の継続をねらいとして生まれ出たという明確な刻印を押されているということ、これもまたはっきりしていると私は思います。
民主党は、絶対多数を占めたにもかかわらず、政権の運営はこのような背反する2つのベクトルに左右されながらある、ここのところが大事だと思うのです。
どちらの引きが強いか、端的にいえばそれが問われる。同党にかけた期待が裏切られないようにするには、それが可能かどうか私は心もとないと率直に思うのですが、強く民主党を国民の側に引っ張るだけの主体的な行動が必要です。
緩めれば、民主党は国民から離れ、遠くにいってしまう。それだけの緊張した関係が今後強いられるし、それだけに国民が自らの未来を決める新たな段階になったと表現することも可能ではないでしょうか。
民主党を制するのも、あるいは民主党が勝手にふるまうのを許すのも、それを決めるのは国民自身という、かつてない新たな歴史の一ページに入ったと今日の事態をとらえてよいのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09174)
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自民党よ、さようなら。そして・・・
自民党の宣伝ページです。まず、日本を壊すな、という文字が目に否応無しに飛び込んできます。この字をみながら、そして失笑するのです。
そもそも、今の日本は壊れているのか、いないのか。以下に自民党自身があげるような観点でみまわすならば、確実に日本は壊れているのではないでしょうか。そうすると、壊した責任を自民党に問わねばなりません。
国民の強い批判が自民党に向かうのも、まさに一人ひとりの国民が実感するほどの日本社会の亀裂に直面しているからにほかなりません。日本は壊れているのです。だから、今の自民党にはもうまかせられない、こんな方向に論理が展開するのです。
いずれにせよ、この宣伝ページとその内容そのものが、自民党の窮地に立たされている姿と断末魔的なふるまいを示すものです。
自民党はこういっています(各文冒頭についたドットは管理人がつけています)。
- あなたのために。この国のために。
- 景気を後退させ、日本経済を壊してはいけない。
- バラマキ政策で、子供たちにツケを残してはいけない。
- 偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない。
- 特的の労働組合の思想に従う“偏った政策”を許してはいけない。
- 信念なき安保政策で、国民の生命を危機にさらしてはいけない。
この文面は、自民党の思惑とはまったく正反対に、自民党自身にあてはめなければなりません。
景気を後退させ、日本経済を壊したのは、いったい誰か。
バラマキ政策で、子供たちにツケを残してきたのはいったい誰か。
安保政策で、国民の生命を危機にさらしているのはいったい誰か。
すべて自民党といってよいでしょう。
あとの2つの文章は、かつては日本共産党にむけられた、旧態依然たる反共攻撃のようなもので、民主党の支持母体に日教組がいることが背景にあるのでしょうが。こうした反労働組合のスローガンで民主党に入れようと思う保守支持層を切り離そうという魂胆でしょう。
自民党が民主党による政権交代を阻止しようとするのは、異なる2つの政党ですから、当たり前といえば当たり前のこと。
しかし、国民に問われているのは、これまでの自民党のやってきた政治がこのまま継続するか否かという問題をめぐって、吟味しないといけないということでしょう。
残り数時間で、今回総選挙の投票という国民の行動も終了します。大方の予想は政権交代は確実に起こるというものでした。
そうすると、問われるのは、この政権交代で、自民党のやってきた政治がこのまま継続するか否かということです。これは国民が横から傍観しているだけでは変わらないだろうし、不可能だと私には思えます。継続させたくないというのなら、国民がそれぞれの条件の下に今まで以上に政治に主体的にかかわることが求められているのではないでしょうか。
その上で、思うのは、開票が終了しないと結果が分かりませんが、仮に民主党が絶対多数を握る事態になると、その表現のしかたは別にして、自民党政治の継続は路線として踏襲されることになる可能性の問題です。
つまり、新しくできるだろう民主党政権は、自民党政治の継承を誕生前から担わされている政権だということです。
具体的にいえば、数日前のエントリーで強調したように、改憲の条件をつくる上で民主党政権は大きな役割を担う。そして、4年間はやらないとはいっているものの、消費税増税の条件がつくられることになる。こう想定できるのではないでしょうか。
大企業の前ではほとんどモノがいえない民主党は、こうした役割を大企業から担わされていると表しうる、性格づけることができると私は思います。
したがって、今回の総選挙では、自民党自身が上にあるように列記した事実をもたらした張本人として、責任をとって政権の座から降りてもらい、私たち国民は、さようならと言葉をかけなければなりません。が、それだけではすみません。つぎにすすまなければならない。
しかし、確実なことは、おそらく総選挙の結果がどのような議席配置になろうと、自民党がこの宣伝ページでいうような意味で、この国の将来を決めるのは国民自身だということです。
ですから、現実には段階論というのもありでしょう。自民党から民主党へ政権が交代する。現象面ではこんな変化があるわけですが、この交代は、政治の変化を同時に意味しているわけではありません。
交代後、この日本国の政治をどんな形にするのか、それをもう描かなければならない。
総選挙後の時期は、この意味で、この日本国にかつてなかった、特殊な、あるいは激動をももたらしうる刺激的な画期をなす可能性をはらんでいると私は思います。
もちろん私は、文字どおりの自民党政治の終焉を完了させる方向をこの時期に望んでやまないのですが。
つけ加えるならば、自民党よ、さようならでおしまいではありません。自民党政治よ、さようならを実現しなければ、国民本位のという形容詞のつく政治は訪れないのです。
(「世相を拾う」09172)
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断末魔的「怠け者発言」
麻生首相につづいて、今度は舛添厚労相が発言し、抗議を受けている。
当ブログでは、生活保護の母子加算廃止をいわば自公政権の社会保障にたいする姿勢の象徴的なものだととらえてきました。
それは、もっとも弱い部分に牙をむけ、いっそうの苦難を強いるという意味で。換言すれば、その姿勢は非人道的、反人権的態度といえるものでもあります。
容易に推測できるように、生活保護受給世帯のなかでも母子家庭は、「社会的な攻撃」を受けやすいという点で、生活をしていく上でもっとも困難な階層といえるでしょう。同じような、弱いものへの執拗な政府の攻撃は、老齢加算廃止にもみられるわけです。
ようするに自公政府は、生活保護世帯という社会的に保障されなくては生きることが困難な層のなかでも、とりわけ弱い部分にターゲットを集中する手法をとってきたのです。これで、国民に痛みを押しつけていないといえるわけがありません。本来、もっとも守られなければならない人びとのはずなのに。
舛添は、その自民党にいっそうの拍車をかけたような発言をしたのです。
働く能力と機会があるのに怠けている人に貴重な税金を使うつもりはない 舛添厚労相:「怠け者発言」に市民5団体が抗議(8・26) |
自民党政権のかじとりは今、大企業・財界と米国にたいするゆがんだものだとたびたびこのブログでは指摘してきました。この現状と、舛添の発言を重ねてみてもらいたい。
金融危機の影響が少なからずあった日本であったとはいえ、それでも大企業・財界のため込み、内部留保は十分にあるのに、厚い手当をおこなう政府。優遇していることには目をつぶり、片方で「怠け者」のレッテルをはり、生活保護受給者をしめあげる構図こそ、日本国民が猛反発をしている自民党政治の重要な一面なのではないでしょうか。
貴重な税金はもっとも弱い者は避けて、優遇など必要ない階層にこそ配分すべきなのか。しばしば所得再分配が(完全に)壊れているともいわれますが、以上の構図は端的なその表現でしょう。
弱い者は社会的に守られ、その能力のある人は能力に応じて税金を負担する。これならば、多くの人は納得するでしょうに。
生活保護を受給していなくても、母子家庭ならば、少なくない部分はパート労働で生活を立てている。母子家庭そのものが守られてよいのに、生活保護受給者のうちの母子加算を削る神経は、どうも私たちとは異なるもののようです。
舛添はその典型的な人物ということでしょうか。
首相の結婚しないほうがよい発言を数日前にとりあげました。麻生内閣はこのままゆけば、とりあえず自民党政権の終焉をむかえた政府となりそうな気配ですね。
自民党の終わりは、こんな発言をしてはばからない人権感覚皆無の政治と縁を切る機会にもしなければなりません。一部には首相に舛添を推す声があるそうですが、とんでもないことです。
(「世相を拾う」09170)
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最大の欺瞞- 議員定数削減は何をねらうのか。
渡辺治氏が、この議員定数削減のねらいを端的に、もちろん的確に衝いています。
比例定数削減の狙いは保守に大政党以外の少数政党をつぶし、純粋保守二大政党制を完成させることにあります。 |
これ以上の表現はないくらい、ピンポイントで急所をついていると私は思います。
ふりかえってみれば小選挙区制度の導入とからんで二大政党政治が制度として追求されてきたわけですが、その仕上げを、こんどは比例代表をなくすことでやってしまおうというわけですね。
国民の意識とはかけ離れて、小選挙区という1人をあらそう制度にしたて、今の政党でいえば自民か民主かを大宣伝し、まったく保守の枠組みの中の選挙制度にしてしまおうという魂胆です。
いまや日本政治を牛耳るのは財界・大企業。そして米国でしょう。
その枠組みをいわば永久保存してしまおうという計画とみてとってよいのではないでしょうか。これまで政権を握ってきた自民党はもちろん、政権交代を叫びながら、この2つ、つまり財界・大企業や米国にモノをいえない立場にあり、置かれているのが民主党ともいえましょう。たしかに、選挙戦の最中ですから、政策の一部で「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」という訳の分からない表現で、あたかも米国との関係を見直すかの印象を与えるのですが、よくお読みください。「方向で臨む」としか書いてないのですから。
こうした欺瞞的態度をみれば、あと何日で自エンドなどと狂騒曲を垂れ流す連中とは一線も、二線?も画して当然でしょう。無条件で民主党多数の政治を喜べない。
話を元にもどせば、渡辺氏は先のいわば結論から、具体的に政権交代後の政治の姿に言及しています。全面的に私は氏の分析に賛成します。今後、政治の行方は、消費税増税と改憲の道をすすむだろうという予測です。
ただし、こうした保守二大政党制を追求する勢力が、なぜ今、比例代表部分をなくそうとするのか、その点で渡辺氏がふれているのは、選択肢がいよいよなくなってきているからだということです。制度ごと共産党などの議席を減らすようなしかけをとらざるをえないところに彼らが立たされているというものです。
いうまでもなく、たとえば小泉構造改革がいかに国民の生活に痛みを押し付ける結果になったのかは広く知られるようになっていて、それ自体、私は自民党政治のゆきづまりとよんできましたが、保守政治、限定すると構造改革路線の危機を表すものでしょう。
比例定数削減はこんな状況下での彼らの苦肉の策と表すことも可能でしょう。
渡辺氏はこの点を強調しているように思えます。
だから、単純に自民党政権さようならでは終われない。その次の政治をどのような形にするか、鋭く問われているということではないでしょうか。自民か民主かではまったくなく、二大政党なのか否かともいえる。
なぜ民主党が議員定数削減を強く主張するのか、この点では、渡辺氏の解釈以上にうなずけるものに会ったためしは私はありません。
氏の解釈は正鵠を射ている、こう思います。
(「世相を拾う」09169)
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追記:渡辺治氏の論評は、「消費税増税と改憲への道」というタイトルで「しんぶん赤旗」(8・26)に掲載されています。
社民党- 自らの主張をはっきりさせよ。。
【09衆院選】埋没に危機感募る社民党、「民主ひとり勝ち良くない」 民主党の衆院選大勝が予想される中、連立政権相手として有力な社民党が埋没の危機にある。福島瑞穂党首は26日、遊説先の福岡県内で「民主党のひとり勝ちは良くない」と語るとともに、選挙後の連立協議でもインド洋に派遣された自衛隊の即時撤退など、独自政策を訴える考えを示した。民主党は来年の参院選を経て衆参両院で過半数を上回り、「単独政権」となる可能性もあるだけに、社民党は存在感発揮に躍起となっている。 |
このジレンマから社民党が抜け出すには、まず民主党との無条件連携を見直すことからはじめるべきではないでしょうか。
何度ものべているように、民主党は、同党の絶対多数確保こそ政治目標なのですから、自らの党の利益になるように社民党にも、国民新党にも手をさしのべる。連立をよびかけるのです。
選挙戦ではこの連立の掛け声が意味をもち、社民党支持者が民主党に、国民新党の固定的支持者がいるのかどうか、私にははっきり分かりませんが、国民新の支持者が民主党に投票する場合が相対的に多かろうと想定はできる。
結局、民主党の議席増に結びつくというわけです。
記事の主題になっている社民党にすると、生き残りのためには連携をと考えているのでしょうが、それが仇となる。上にのべたように、自らの足元を脅かす結果になると、考えると分かりそうなものですが。
福島党首は、自己弁護の意味もふくめて、連立のなかで民主党の姿勢を正す、正しうるとのべているのですが、どうでしょうか。これまでの国会内での両党の共闘の結果、社民党がはたして民主党にブレーキをかけえたのか、はっきりいって疑問です。
旧社会党の流れのなかで、むしろ社民党は右へ右へ、個々の課題で民主党との「共闘」を重視するあまり、自らの主張さえ忘れ去っているのではないかと疑うこともしばしばです。
福島氏は、民主党の対応が明確ではないインド洋での自衛隊の給油活動(来年1月末で期限切れ)について「即時撤退を求め民主党を説得したい」と述べ、連立協議の柱にしたいとの考えを示した。民主党がマニフェスト(政権公約)に盛り込んだ衆院比例代表の80議席削減にも、連立協議で反対する構えだ。 |
なるほど、こうあってほしいものですが、社民党が連立を前提にこんなことを考えても机上の空論にすぎません。そもそも、今度の総選挙で絶対多数を民主党がとるようなことがあれば、改憲や消費税増税などの課題を執行する立場に民主党は明確にかじを切ると私は予想します。
その場合、社民党は民主党との連立を懇願しつつ、それは止めよといったとしても、犬の遠吠えくらいにしか民主党はとらえないかもしれません。
まず、絶対多数をとれば、ほとんど社民党とも連携の意味をもたないでしょう。
政治的に、一時的にふるまうことはあっても、社民党との関係がその条件のもとで絶対不可欠ではないのですし、そもそも民主党の出自を考えておかねばなりません。小選挙区という選挙制度ともからめて、いかに保守政治の安定的継続を図るかというところにこそ、民主党結党の意味があったのですから。
社民党が、保守とは異なるところに身を置くと自覚しているのならば、そもそもの民主党との連携、連立の意味をあらためて今の時期に問い直しておくべきです。
その方向によって、同党の存立は大きく条件が異なるということではないでしょうか。
(「世相を拾う」09168)
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