森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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「埋蔵金」が覆い隠す。
またぞろ埋蔵金がクローズアップされている。
道路特定財源問題が焦点となったとき、埋蔵金が取りざたされた。つまり、財源をどうするかという際に、この埋蔵金がでてくる。
そうすると、今回は、どうなのか。簡単である。財源をどこに求めるかが、議論になっているからである。
基本的な視点として考えつくのは、ムダなものがあれば活用すればよいということだ。
しかし、埋蔵金にばかり目を奪われると、とんでもない事態も招きかねない。結局のところ、埋蔵金などはなかった、だから消費税だという議論の道筋がみえてくる。
ことはそのように運んでいるように思える。
「埋蔵金は10-15兆円」伊吹幹事長 自民党の伊吹文明幹事長は29日、テレビ朝日の番組に出演し、特別会計の不要な積立金など「埋蔵金」について、「例えば外国為替資金特別会計などは市場の状況を見極めてやらないといけない。ふるいにかければ10兆円から15兆円ぐらいだろう」との見方を示した。 埋蔵金に関し、民主党が「巨額の財源を生み出せる」と主張していることについて、伊吹氏は「無理だ。(特会は)おのおの目的のために積み立てられている」と述べ、限界があるとの認識を明らかにした。 |
ここで、伊吹氏が「(特会は)おのおの目的のために積み立てられている」と述べ、限界があると表明したことに少しふれると、必ずしもそうとはいえない。
積立金と名のつくものは、かなりの数にのぼっている(図参照)。
このうち、公的年金関係(132兆円)や労災保険(労災年金関係)などのように、将来の支払いにあてる積立金は、ほかに流用できない。が、財政融資資金や外国為替資金のように運用益がたまったものは、財源として活用できる可能性があるといえる。しかし、積立金だから取り崩すと、なくなってしまい、毎年の社会保障の財源をこれでまかなうというわけにはいかない。
埋蔵金があえてもちだされるのは、最も手をつけるべきところを覆い隠し、温存しようという意思が働いているからである。
真の意味で埋蔵金というのは、5兆円の軍事費、5兆円規模の大企業減税、2兆円規模の大資産家ではないのか。この膨大な歳出の浪費という点でいえば、今後もこのような軍事費、大企業や資産家への減税がつづけてよいのか、そこを論点にしなくてはならないのではないか。
もちろん、活用できるものは活用すべきだが、くりかえし埋蔵金がもちだされるのは、そのためだと思う。
持続的な財源という意味でも、軍事費や大企業減税、大資産家減税を俎上に上げるのは避けられない。
(「世相を拾う」08116)
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翻弄される日本国ではなく
常日頃、膨大な「思いやり予算」を日本からせしめている米国の、「思いやり」でしょうか。さすがに日本の一部にある例の「指定解除」に反発する声が耳に入り、それを静めようという政治的判断と外交的対応といえましょう。
拉致で北朝鮮に圧力 ライス長官が明言 外相と核厳格検証も一致 高村正彦外相は27日午後、ライス米国務長官と京都市で会談し、北朝鮮の拉致・核問題での連携を強化する方針で合意した。ライス氏は終了後の記者会見で、拉致問題について「北朝鮮が前向きな形で解決に取り組むよう働き掛けるのは米国の重要な政策だ。これからも圧力をかけていきたい」と明言した。 ……… ライス氏の発言は日本国内で高まっているテロ支援国家指定解除に対する批判を和らげ、米国が非核化進展を優先し拉致問題を軽視するのではないかとの見方を打ち消すのが狙いとみられる。 ……… また、7月7日からの主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)の成功に向け緊密に連携を図る方針で合意。高村氏は地球温暖化対策をめぐり、温室効果ガスを2050年までに世界全体で半減する長期目標をサミットの際に合意するよう求めたが、ライス氏は緊密な連携を約束するにとどまった。 |
しかし、「拉致」がそれ以上のもの、つまり今後の米国の北朝鮮外交の柱になるかといえば、そうは思われません。ようするに政治的判断と外交的対応の域を出ないのでは。
なぜなら、今回の米国の対応そのものが、対北朝鮮政策でブッシュが唯一、得点をかせげそうだという観測すらささやかれているのですから。イランでもイラクでも、さしたる成果もなく泥沼化して米国が疲弊している状態で、北朝鮮こそブッシュの名を残す可能性大と踏んでいるという見方です。
こんな見方にたてば、米国の顔色をうかがいながらも、何一つ自ら局面を切り開き、事態を進展させることのできない日本政府の一喜一憂が滑稽なものに映ってしまいます。同じように、「拉致被害者の会」もまた、米国頼みの昨今の姿勢です。米国の「指定解除」に失望を表明したり、落胆したり、「早すぎる」などといったりしてきた態度に、今回のこのライス発言で変化が生まれるのでしょうか。何だか、とても奇妙な構図を感じてしまいます。
しかし、冷静にみてみると、朝鮮半島の非核化への一歩であることにまちがいはないのですから、その方向は歓迎すべきものでしょう。たとえ米国の思惑が、傍目からみて仮にダーティにみえたにしても。もちろん実現の道筋が北朝鮮の今後の態度によることは自明のことですが。
何よりも、北朝鮮による核計画の申告は、寧辺(ニョンビョン)にある核施設の無能力化とともに、六カ国協議が合意した北朝鮮非核化の「第二段階の措置」とされてきたはずです。いまの情勢では、唯一、朝鮮半島の非核化を扱える協議の場としての六カ国協議がつぎのステップと考えてきたのですから、事態が前にすすんだことははっきりしています。
こう考えると、日本政府の対応も、「被害者の会」の発言も、国会以上に相当ねじれているように思えます。
関係国は朝鮮半島非核化にむけて外交努力をつくさなければ、あるいはその過程でしか、拉致問題も解決できないでしょう。そんな外交努力と拉致を切断し、一方を単に迫るだけではそれが外交によってすすめられる以上、打開できるようには思われません。そのかぎりで、ライスが双方の行動と約束を強調しているのは当然のことでしょう。
つまり日本政府の手の内には、拉致というカードしかないという現状をあらため、日朝間に横たわる諸問題を掌にのせ対応することが求められているのではないか。そのことがまさに、日朝平壌宣言(02年)がうたったことではないのでしょうか。
米国頼みで、その対応に喜んだり、沈んだりして翻弄される外交にも、日本の米国追随の姿勢をことさら感じるわけですが……
(「世相を拾う」08115)
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働く者は犠牲にされてきた。。。
「東京新聞」のコラム全文を引用してみる。正直、心を動かされた。
【私説・論説室から】 働く者が誇りなくす社会(2008年6月25日) |
このコラムの主張にほとんど違和を私は感じない。
実は非正規労働の広がりこそ戦後最長といわれた「好況」の秘密だ。株主配当や役員報酬は伸びたが、労働分配率は減り続け、社会にはカネと権力がすべてという風潮が広がった。
企業は非正規労働者の医療や年金の社会保険負担を免れ、その負担は行き場を失った彼らの生活保護など財政に転嫁された。 |
指摘は重要だ。
企業が、「低成長」といわれる時代に、収益を確保するためにどのような手立てをとってきたのか、その際の企業のふるまいを暴き、その責任を明言した文章ではないか。
つまり、企業は、利益確保のため、働く者に犠牲を押し付けた。その形、かぎがすなわち、正規雇用を非正規で置き換えることにあった。
だから、私は、労働者の犠牲の上に好業績をあげた企業は、いまの時期に、儲け(の一部)を税金という形で吐き出すべきだと考えているのだが。
「改革」の名で社会の根を損なう結果を招いた政治家や学者がもてはやされているのは不思議だ。 |
記者のこんな思いは、「社会の根」のところでもがき、苦しむ労働者なら、だれでも一致しうる、あるいはその声を代弁したものだと私は受け止める。
(「世相を拾う」08114)
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税は払える者が払うべき…
消費増税はこの秋は見送りだそうです。
私は言葉どおりにはもちろん受け取りませんが、どうでしょうか。
消費増税、今秋は見送り=「2、3年単位で検討」-早期改造こだわらず・首相会見 |
いまの自民、民主がそれぞれ衆参の多数をにぎる国会。本質がどうかは別にして、異なる政党なわけですから、微妙な痛みわけの国会のもとで、与党・自民党が消費税増税をとおすには特段のしかけを要するのは、論をまちません。
経団連、社会保障国民会議、財政審などがあたかも口裏をあわせたかのように増税の合唱状態が続いています。世論を増税でまとめなければなりませんから。
しかし、私が思うのは、消費税増税を今の局面でとおすための必要条件というものがあるのなら、それは、少なくとも自民、民主が消費税増税で一致しなければならないということです。
民主党は、世論の位置にとても敏感な政党ですから、すくなくとも同党を取り巻く状況で増税を正面から打ち出すわけにはいかないという「ジレンマ」がある。あえて、ジレンマとしたのは、同党の本音を、私は消費税増税だと考えているからです。
したがって、福田首相があえて今秋はない、先延ばしだと今の時期に発言したのは、(増税は)自民、民主の何らかの再編が展望できたのちという意味あいが少なからずあるようにも思えるのです。今は、消費税増税を打ち出す時期ではない、ひとまずこの秋はないよと宣言しておくことに首相は価値を見出したのでしょう。
このように、なかなか読みづらい情勢なのですが、消費税増税を不可避の選択とするのではなく、この間の「税制改革」をふりかえって、もうかっているところから税金をとれというのが当ブログの主張です。
実際、もうかるところはやはりもうかっている。
もうかったところが、税制上、どんな恩恵を受けてきたのでしょうか(参照)。
それを示しているのが、この図です。
これだけの税率緩和によって、税負担は格段に少なくなるのですから、制度の恩恵を受けて(税をまけてもらい)資金を蓄積してきたのです。
その税をまけてもらって資金をためこんできた財界・大企業は何を主張しているのかといえば、消費税増税なのです。
消費税は、大企業・財界にとって痛くも痒くもないもの、つまり負担しなくてもよい税金です。繰り返しのべていますが、消費税というものは、庶民の負担割合が高いということだけではなく、大企業や財界にとって、負担がほとんどないばかりか、逆に輸出する企業などは戻し税といって税の還付がおこなわれる、うまいしくみなのです。
それゆえ、財界・大企業の本音は、なにかにかこつけて税源を消費税に求めるのです。分かりやすくいえば、自らh負担せず、庶民が負担し、むしろ税金の還流を戻し税という形で受けることもできるからです。
けれど今、国民が考えてみてもよいのは、税というものは、払う能力がある人が払うべきだという考え方です。応能負担の原則ともいいます。私はこれに賛成です。ところが、今の日本国では、むしろその逆になっている感さえするのです。庶民が税に苦しみ、もうかっている企業が税をまけてもらっている。
そんな構図は即刻、やめるべきではないかということです。これをあらため、庶民の懐が少しでも温まる方向に税制をかえることができれば、日本国内の消費も上向くはずです。
当ブログがこの間の税制の移り変わりをふりかえり、税制を反転させよと主張するのも、こういった事情があるからです。
(「世相を拾う」08113)
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医療は雇用をふやす-その経済波及効果
「毎日新聞」が「医療クライシス」という連載を組んでいる。
財政を圧迫するという理由で社会保障費を抑制してきたツケが今、たとえば医療崩壊という形で回ってきている。一方で、現場の医師や医療従事者からは医療崩壊にたいする警鐘が鳴され世論に訴えてきた結果、いまや国民の認識をかえつつある。したがって、政府もその声に押され、対応せざるをえなくなっている。それは、最近の、医師養成数を増やすということを政府が決めたことにも端的に表れている。
「毎日」の連載4回目は、医療の波及効果がテーマ。
医療クライシス:脱「医療費亡国論」/4 経済波及効果 (魚拓)
医療は金がかかるばかりで経済成長にとってもマイナスだとか、社会保障への負担増が国際的な競争力をそぐなどという所説に私たちはしばしば遭遇するのだが、ほんとうにそうなのだろうか。
記事は、その是非をめぐって専門家の意見を反映させたものである。
記事で紹介されている医療機関の支出は、
07年度、同病院の支出総額は164億8000万円。人件費が61億円で最も多く、薬剤費21億1000万円、カテーテルなどの診療材料費約17億円などが続く。外部の業者への業務委託費も18億2400万円に達する。 |
多くの医療機関もほぼ同様の状況である。労働集約性が高い医療は、人件費が支出の半分近くを占める。
そのことが、むしろ記事にあるように、雇用を生み出し経済波及効果が大きい一因にもなっている。それだけではなく、だから、とくに、最近の国民の所得が下がり、家計が冷え消費に回らない状況が経済の健全な発展を妨げているのを転換していく上でも、この波及効果を生かし社会保障を充実させていく方向が採られないといけないだろう。
実際に、波及効果はどのようにとらえられるのか。
厚労省は、社会保障と経済についてという文書で、見解を示している。
その要点は以下のとおりである(*1)。
- 社会保障にたいする税・保険料が経済成長にとってマイナス効果をもたらすという意見を、定説はないとして斥けている。
- また、社会保障費の上昇分は無視できるという見地を紹介。社会保険料と税の増加の寄与度は2%にすぎないと指摘。
ようするに、経済成長にとっても、国際的な競争力についても社会保障費の増加が影響を与えることは少ないと厚労省はいっているわけである。
その意味で、大村昭人氏の意見は耳を傾けるに値する。
医療機関の存在による経済波及効果は非常に大きい。医療に関連する研究機関や産業が広がり、雇用も生み出す。そもそも、医療機関自体が、治療により労働力を再生産する場所でもある。 |
とくに、(医療というのは)労働力を再生産するという見地は、医療に金を投じても社会にとっても、個人にとっても、それが健全な経済の成長に結びつくという点でしっかりと拠ってたつべきではないかと思える。
さかんに今、消費税増税によって社会保障の財源をまかなうという宣伝文句で打ち出されつつ、一方で社会保障の抑制は堅持するという政府の立場がくりかえし表明されている。
しかし、社会保障が経済成長を妨げたり、国際競争力を弱めたりはしないというのが、ここでみてきたことであった。それだけではなくむしろ社会保障を充実させる方向こそ、経済への波及効果が大きいという見解もある。
だから、社会保障の拡充が現実的な対応として求められているといえる。
その上で、社会保障をどう支えるのかという議論もあるだろう。しばしば財界は税負担率をもちだし国際競争力が低下すると吹聴するのだけれど、これもまた、保険料と税の増加の影響は微々たるものと厚労省自身がいってきたことだ。
政府与党内でも社会保障抑制は限界という意見も最近、表に出てくるようになった。
論点は社会保障抑制の是非をとおり超えて、今は、だれがこれを負担するかという論点に収斂されてきているように思える。
この点でも、(医療が)労働力を再生産するという立場で把握する必要があるし、それだけに企業の負担を明確に位置づけなければならないと思う。
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*1;参照1、参照2、参照3
【関連エントリー】
日本の医療のかたち;亡国論から立国論へ
【関連記事】
社会保障給付費:17年後は最低レベルに 慶大教授が試算
たばこ税は誰が負担する。
たばこの値段を1000円に引き上げると、税収が4兆円増収になるということを、日本学術会議が明らかにしました(参照)。
しかし、懸念するのは、この報道のように数字が一人歩きし、その結果、消費税でないなら、このたばこ増税で可という世論がつくられてしまうことです。
たばこの害が語られ、何らかの喫煙規制を求める声が高まるなかで、いっそうこの傾向が強まるだろうというわけです。「たばこと健康を考える議員連盟」のねらいは、いうまでもなく学問的権威を動員することで、みずからの主張の「正当性」をいっそう印象づけようとするところにあるのでしょうが。
日本学術会議の試算は、つぎのようなもの。
現在のたばこ関連税は、1箱(20本入り、平均300円強)当たり約175円。
現在300円 | 600円 | 1000円 | |
---|---|---|---|
喫煙人口 | 3600万人 | 3300万人 | 3100万人 |
消費量 | 2700億本 | 1850億本 | 1440億本 |
税収 | 2兆2000億円 | 4兆3400億円 | 6兆2600億円 |
けれど、問題は、だれが負担するのかということ。
以上の試算と、厚労省「平成18年 国民生活基礎調査」の所得分布を重ね合わせてみます。つまり、喫煙者の所得分布もこの「国民生活基礎調査」と同じだと仮定します(*1)。
そうすると、価格を1000円に引き上げた場合、所得200万円未満が全体の18.9%を占めていますので、生活保護水準以下のこの階層の喫煙者は、実に1兆1800億円負担することになるのです。
また、同調査によると、所得金額が世帯全体の平均額(563万8千円)より低い世帯の割合は60.7%となっています。ですから、平均以下の喫煙者が負担する額は、3兆8000億円にのぼります。「国民生活基礎調査」によって試算すると、先にのべた結果で明らかなように、生活保護レベル以下の人たちが全体の2割近くを、平均以下の人たちが6割以上を負担するわけですから。
当ブログが繰り返したいのは、消費税増税にかわるものとして提起されているたばこ増税ですが、消費税もたばこ税も同じく、国民に負担を求めるものだというです。しかも、新聞メディアは増税支援を決めた? でふれたように、逆進性という点では、このたばこ税も消費税と何らかわりありません。
税はだれが負担するのか。今の時期だからこそ、大企業・財界がその一番手だということをあらためて主張したい。それを実現する「税制改革」がまさに求められているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」08112)
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*1;このエントリーの試算は、喫煙者の所得分布が国民生活基礎調査における所得分布と同一のものと仮定しています。また、喫煙量は、所得に対応して増減するとは考えられないため、喫煙量も所得分布に比例するとみなしています。
ちなみに、「国民生活調査」によれば、平均所得の2倍を超える1300万以上の所得分布は全体の5.9%にすぎません。これらの人が負担するのは、3700万円なのです。
もちろん、たばこ1個1000円の所得に占める割合は低所得者ほど高いわけですから、負担感も強くなるでしょう。
【関連エントリー】
消費税増税の大合唱で何をうたう…
「たばこ」で煙にまくつもりか。 消費税論議。
【関連記事】
たばこ増税を批判=1箱千円「やめる人増える」-与謝野氏(2008/06/20-20:34)
ハケンと不安不可避の社会で。。
死ぬということは、他人がとってかわれない、ただ自分だけがなしうることである。唯一、他人のかかわりなしに、自分ができることなのかもしれない。
本来、このように他者を介さず本人がなしうるもののはず-裏返しにいえば生もそうなのだ-が、そこに何かが介入し、その死でさえも支配するかのようにふるまう。こんな異様さが今、日本の社会に蔓延しているのではないか。
一昨日の『報道ステーション』(*1)は派遣労働者の生活の一端を丁寧に描いていた。
その映像が伝えるのは、彼らの労働はもちろん、労働現場を離れた時間帯ですら労働者の生活の中に入り込み、事実上、(企業が)いわばコントロールしている実態であった。経済的に、あるいは精神的に。
つまり、労働者にとって、その労働条件や処遇をふくめて、本来ならば望まない、苦痛までも強いられるような連続した状態、ようは24時間の生活をまるごと、他から支配されているという恐怖に直面する毎日が映し出されていた。
たとえば、ある労働者は、名目賃金が20数万円あるのだが、そこから様々な名目で控除され、手許に残る賃金は10数万円程度だという。
それで一月の生活をまかなわなければならない。彼の住まいは会社の寮なのだけれど、派遣会社を辞めれば、たちどころに住まいを失う。そうなると、新たな住まいを見つけるという、彼の経済的能力であれば相当の困難と向きあわざるをえない。その日暮らしがやっとの生活で、現在からの脱出など望むべくもないわけだ。
だから、辞めたいという思いが募って会社を辞めてしまえば、湯浅誠が的確に表現したように「すべり台社会」のなかの「脱落者」の典型のように滑落し、はいあがれない状態にたち至る。その想定こそが、現状維持の消極的な理由になっていると思える。辞めようにも辞められない、そんな苦痛を強いられ、苦しむ。
だからこそ、番組のなかで、ある労働者は、出勤時間が迫ってくるにつれ、名状しがたい恐怖を感じるとさえ語っていた。そして10数時間の連続勤務。30分の休憩時間のほか、間に10分と20分の休憩がある以外は、仕事のしどおしという過酷な労働条件のなかに労働者は放り込まれている。
そこで彼は、希望なんかない、死なないで単に生きているだけというような自分の日常を無念さをじませ語っていた。そこまで労働者に実感させるのがいまの日本社会だろう。先にあげた湯浅ならば、これを、社会からの排除と定義づけるだろう。自分自身がこの社会のなかで生き延びる根拠そのものをも見出せなくなるという意味で、個人は社会から排除されるのである。
したがって、こんな労働環境、生活環境のなかにあって、この労働者は、相談できるような人物がいないという。通常、周りにいるはずの他者とのコミュニケーションのなかでわれわれは自分の立ち位置をたしかめ、あるいはときにはそれを修正もするものだが、そのような契機となるべき存在が彼にはない。周囲から寸断され、結果的に排除されている。
勢い携帯のなかに彼の関心は集中する。そして、彼は、その時こそ、どこかで、だれかと繋がっていると実感すると番組で語っていた。
しかし、この光景は、個別特殊なものなのか。普遍性をもつのではないか。
この脈絡で想起するのは、アキバ事件の容疑者のことだが、しかし、いまの日本社会は、事件の再来から未来を切断できるという可能性をどれほど語ることができるのだろうか。日本はいま、こうした(労働者の)不安が不可避な社会といえないか。
この不安は、たとえば使い捨てと実感させるような毎日の繰り返しにその源があるだろう。そして、そこから循環から抜け出しえないという絶望感。それだから、死んではいないが、あえていえば生物学的な意味で生きているだけという思いだけが残る。
これとは対極に位置づけられるであろう人間らしく生きるという生き方があるとすれば、そのためには、あまりにも当たり前のことだが、派遣労働というあり方を根本から見直されなければならない。
たとえば、その一つに、労働の現場を離れても支配されるような、身動きのとれない生活をもたらす低賃金の現実がある。
この現実とは裏腹に、企業が正規雇用を派遣労働など非正規雇用へ置き換えた結果、膨大な利益を蓄積してきた事実を見逃してはならない。この企業の強蓄積は、先の労働者が非人間的な振り返って語ったように、使い捨てといえる非人間的雇用環境があったればこそだった。
その企業が今、一つの難問に直面している。企業が解決を迫られる期限の2009年を、派遣労働見直しの節目だとあらためてとらえ直す、反転の視点が我々の側に要るのではないか。
(「世相を拾う」08111)
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*1;新聞には「派遣社員20~30代若者あえてすべて聞きます 明日が見えない絶望感 秋葉原事件をどうみる」という長いタイトルがつけられていました。
【関連エントリー】
2009年問題が問うもの。
新聞メディアは増税支援を決めた?
昨日のエントリーで、「毎日」を取り上げました(参照)。続いて、今日は、「朝日」が社説で、福田首相の本音を語らせようとしています(写真)。
「毎日」は首相の消費税増税の「覚悟」を問う、そして「朝日」は本音を語れという具合に、それぞれ表現の違いはありますが、「覚悟」も「本音」も、いずれも消費税増税を前提にしたものです。
つまり、この二紙は、消費税増税の立場から、福田首相の考える増税への道筋に、あるいはその道筋以外にないという世論を、かわって構築しようとするものにほかならないと考えざるをえません。
朝日社説をみてみると、はっきりとこうのべています。
医療や介護を充実させ高齢化が進んでいけば、政府の支出も増える。一方でいくら予算の無駄を削っていっても、いずれ社会保障を支えるために増税が必要になるだろう――。そうした考え方は理解できる |
論旨からいって、増税とは消費税増税であるのは明らかです。
端的にいえば、増税が不可避、そしてそれは消費税だといういうことです。
一方で、たばこ税の増税が話題をさらっています。
推進するのが、消費税増税に反対している中川秀直や民主党の前原誠司ということで、これはよりマシ、いいのではないかと考える人もいるようです。
しかし、あえてこの路線はあやしいと主張したい。
問われているのは、税をどこからとるのか、ということです。
当ブログは、消費税増税が法人税減税分をまかなってきたこの間の経過、あるいは所得税の累進性が緩和されたり、資産家への課税が緩和されてきた事実から、今がまさにこれをいったん元に戻す時期ではないかと考えるのです。大企業・財界は減税によって内部留保を築いてきたのですから、これを反転させ負担をしてもらう条件は大いにあると思うのです。
なぜ、たばこ増税路線があやしいのか。
それは、この間の経過に目をつぶっているからです。庶民が税に苦しむ一方で、減税の恩恵を享受してきたのが財界・大企業だということを結果的に隠蔽するものだからです。
たばこの害がさまざまな形で喧伝され、増税やむなしの世論形成に有利な状況にいまある。しかし、この路線のいかがわしいのは、財界や大企業から税をとるとは一言もいわない点だということです。
考えてみると、たばこ税もたばこという一つの商品の消費にかかわって課税するわけですから、消費税と形式的には何らかわりはありません。富む者も貧しい者も、愛飲家であれば等しく課税される。つまり逆進性は貫かれる。言葉を変えて、大ぐくりにいうと、消費税をたばこという一つの商品に特化したものにほかなりません。
税というものの、富める者から貧しい者への分配をうながす機能に着目して、これを尊重する立場にたつのなら、やはり、この10年ばかりの税制をふりかえって、それがもたらした貧困や格差をあらためるためにも、税制を元に戻すことは可能だ、税はもうかっているところからとれ、という声は検討に値すると考えるのですが。
(「世相を拾う」08110)
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消費税増税の「覚悟」って。。
つまるところ、消費税引き上げは必至との認識を示し、世論の同意を求めたいというのが発言のねらいだと受け取れる。
この福田氏の発言に「毎日」社説が言及している。
消費税増税をテーマに当ブログではいくつかのエントリーを公開してきた。そこで、今回は「毎日」社説にみられる論点の一つについてふれてみたい。
社説:消費税増税 福田首相には覚悟が要る |
「高負担・高福祉」でいくのか、「低負担・低福祉」か、あるいは別の選択肢があるのか、国が進むべきビジョンを示すことだ |
とする部分である。
問題の設定は、高負担・高福祉か低負担・低福祉かの二者択一でもなく、そのほかの選択肢があるのか否かでもないだろう。
いわんや高福祉ならば、高負担だと接続することでもない、と私は思う。この文脈には、いうまでもなく高福祉を支えるには消費税増税しかないという論理が隠されている。
そうではなくて、いまの低福祉を認めるのか否かが問題であって、あるいは(国民にとって今の)高負担を認めるのか否かがそうであって、負担と給付の水準を連係させる必要はない。
分かりやすくいえば、低福祉をあらためて、しかも国民に負担を求めないでこれを支える道があるかどうかの問題だと私はとらえる。
その道はある。その道を選択するのかどうかの、国民の議論が必要なのである。だから、話は最初にもどる。消費税は不可避ではない。
このような見立てからすると、「毎日」社説は視点がクリアではなく、焦点が定まっていない。
「毎日」は、大見得を切った以上、消費税増税をやる「覚悟」を総理に求めている。
総理の「覚悟」がどうであろうと、あるいは民主党がどのような態度を示そうと、ただ日本国国民が迫るのは、総理と自民党が、そして民主党は消費税増税以外に税源はないと認識しているのか、税源をどこに求めるのか、それを明らかにさせるという点である。
さらに議論をすすめるならば、税はもうかっている財界・大企業からとれということだ。
国民的議論の核心はそこにあると思う。
(「世相を拾う」08109)
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【関連エントリー】
消費税増税の大合唱で何をうたう…
最近の消費税関連エントリー
自分を律せよ - 橋下知事の自衛隊体験入隊発言
研修をさせようという大阪府知事の判断の前に、府の職員には「自分を律する」ことができていないという事実が先行していなければなりません。
同時に、職員が(自分を)律しえているか否かという点での橋下氏の判断の是非、これは当記事だけではあきらかではありません。橋下氏の目にとまった職員の姿勢や態度に「自分を律しえていない」ものが現にあるかもしれないし、逆に橋下氏の目を疑ってみなければならないのかもしれません。いずれにせよ、記事だけでは分からない。
「自衛隊で職員研修を」 陸自信太山駐屯地視察の橋下知事 (魚拓) 大阪府の橋下徹知事は17日、同府和泉市の陸上自衛隊信太山駐屯地を視察、「自分を律することが公務員に必要」と感想を述べ、40歳代の職員を対象に自衛隊の体験入隊を検討することを明らかにした。 橋下知事はこの日、戦闘訓練や銃剣道訓練、市街地戦闘訓練などを見学。記者会見で、「新人ではなく、40歳代くらいの職員を対象に自衛隊での研修を検討したい」とし、「府庁の事務職にどっぷり慣れ親しんだ職員に、あいさつ、姿勢から学んでほしい。僕も含めて」と述べた。実現できるかどうかは分からないとしながらも、同日午後に開かれる部長会議で提案したいという意向を示した。 同駐屯地では企業などを対象に2泊3日の生活体験を実施。体験には食費のみで参加でき、号令に従って気をつけや敬礼の動作をしたり、10キロ行進したりする。今年4月以降、府内や和歌山県の4社から約80人の体験入隊を受け入れた。また、今月24日からは、和歌山県岩出市の職員7人も、生活体験を予定している。 |
しかし、自分を律するとはどういうことか。律するという以上、想起されるのはモノサシ、基準であって、それがどこかにあるはずです。
一般に、一つの組織があり、そこに関係する者を縛ろうと思えば、たとえば、定款や規約、あるいは就業規則、服務規程などなど、いくらでもルールがある。そうして、善し悪しは別にして組織のルールの一端ができあがる。
ところが、府知事が構想しているのは、これらとはちがう概念であらねばなりません。
なぜなら、組織をある一つの意図をもって規律化しようとするのなら、府自身の基準によればよい。それだけのことです。その際、職員がこれらに違反しているということなら、処罰する権力をもつ府は処分を断行することすら可能なのですから。
モノサシはあくまでも府自身のものであっても、それでもって職員を律することができる。仮に律することのまったくできないルールならば、それはあってなきに等しい、死文化したルールといえるわけです。
そう考えると、先にのべたモノサシ、基準は氏の頭にこそある。それは、使用者である府と被用者である職員の間の就業や服務に関する一般的決めごとではなく、それを超越した何かでしょう。その何か、剰余ともいえるものを橋下氏は職員に求めているといわなければなりません。
けれど、そもそも自分を律するということは、その人だけのルールや規範が仮にあったとしても、そしてそれに則ったと自分で理解しているだけでは、それだけで自分を律したことにはならないでしょう。少なくとも他者も関係するルールがあってこそ、律し得ない状態とそれは区別ができる。客観化できるわけです。そうでなければ、他者は、彼は自分を律したと認識できるはずはありません。なぜなら、この段階では、そのモノサシを他者が共有していないのですから。ルールとはそもそも他者の存在を前提にするものだからです。
橋下府知事の発言は、端的にいえば、就業規則、服務規程を超えたところに存在するはずの橋下氏の「基準」、先にのべた超越した何かを、第三者、ここでは自衛隊を介在させて共有していこう、共有させようという意思が働いていると考えざるをえません。
そこで、府職員の「自分を律することができない」状態から「できる」状態にかえうる何かとは何であるのかを、なぜ「律していない」のかその根拠をふくめて、少なくとも府職員には明らかにして同意をうる必要があるということです。
まあ、われわれがニュースで知りうる範囲を条件に推測すれば、その何かとは、大阪府の「財政改革」に服従する精神であったり、忍耐できる心性、そして何よりも知事と一緒になってそれを推進する精神なのかもしれません。
しばしば世の企業では、新入職員を教育や研修と称して、非日常のなかに放り込み、集中した「精神教育」がおこなわれています。もちろん自衛隊への体験入隊というケースもある。
この限りでは、橋下氏の思いが世の資本家の考えるのと同水準だという以上のものを我々に示唆するものではありませんので、ある意味で平凡の域をでてはいません。
しかし、その上で考えるのは、報道が伝えるところによれば、我々には、少なくとも私には、自分を律するという点ではかなり遠い位置に立っているのが、ほかならぬ橋下氏ではないかという疑念です。
むしろ私が公務員に望むのは、自分を律しうるか否かという抽象的問題ではなく、公務労働が住民を対象にしたものであって、住民に広義の「サービス」を提供するものだとすれば、日本国憲法と地方自治法を公務員にしっかりと身につけてほしいということです。
つまり、かつてスローガンになったこともある、憲法を暮らしに生かすということです。公務員も、住民の側もそのアプローチの方向はちがうにしても、考えなければならないことでしょう。
橋下氏は、これこそ強調すべきでした。でも、ないものねだりになるのかしらん。
(「世相を拾う」08108)
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coleoの日記;浮游空間に、同主旨のエントリーを公開しています。
「慎重の上に慎重な」鳩山法相
「オタク」という語を一般に普及させるきっかけになったのは、1988年から89年にかけて起きた、Mによる連続幼女殺人事件である。評論は避けるが、Mの殺人は、本人の証言から判断すると、常に同じパターンで起きる。まず、Mが幼女に偶然に出会う。すると、彼は、その子に、自分を投影する(「自分が自分であった」幸せだった幼い日の自分をその子に見る)。つまり、幼女との関係の直接性を実感する。しばらくすると、幼女が、突然、Mの意に反する自己主張を始める。泣き出したり、帰りたいと言い出したりするのだ。幼女が、その<他者>としての性格を露呈させたのだと言ってよかろう。その瞬間、幼女との「甘い世界」が暴力的に引き裂かれたのを感じて、Mはその幼女を殺してしまう。 (『不可能性の時代』191-192ページ) |
この宮崎勤にたいして死刑が執行された。
「慎重にも慎重な検討を加えた」死刑執行に鳩山法相
鳩山法相は17日午前11時から、法務省19階で記者会見し、「慎重にも慎重な検討を加え、数日前に私が死刑執行の命令を下した」と、緊張した表情で述べた。 宮崎死刑囚の弁護人は、再度の精神鑑定と刑の執行停止を求める書面を法務省に提出していたが、鳩山法相は「再審が必要だという具体的な理由が主張されているわけでもなく、裁判でも完全な責任能力が認められている。慎重に調べて執行した」と説明した。 2か月間隔の執行については「特に時期を選んでいるわけではない。正義の実現のために粛々と執行している」と強調。宮崎死刑囚らを執行した理由を問われると「妙な言い方だが、自信と責任を持って執行できるという人を選んだ」と答えた。 |
自らのべるように、まことに「妙な言い方」である。
この文脈にしたがえば、この法相の頭は、少なくとも死刑最初にありき、ということになる。死刑しか頭にない。
法相本人が命令を下す際、その命令が「妥当」であるかどうか、世論はもちろん注視する。執行に賛成となるかもしれないし、反対にもなるだろう。ようは、世論の反応を、法相といえどもあらかじめ知ることはできない。
そうした世論の反応いかんにかかわらず、この鳩山という法相がめざすのは、死刑を執行するというただ一点である。彼の言葉はそれを示している。彼の関心は死刑を執行することに集中する。
そうでないとすれば、彼の言葉を借りて表現すると、自信と責任を持って死刑を回避する選択もありうるし、それを公表することもまた可能なのだ。
つまり、鳩山氏の発言をみるかぎり、回避という選択肢を採ることができないという不可能性は少しも示されていない。ようするに、氏にとって、選択不可能性が少なくともなく、したがって(死刑の)実現不可能性もなかった。選択肢は死刑のみ。正確にいえば選択肢でさえない。
死刑執行人としての鳩山邦夫氏はまた、死刑は「正義の実現のため」と大上段に構えた。
しかし、この場合の正義とは何か。犯罪を不正義だとすれば、その対概念なのだろうから、正義とは、断罪を示すにすぎないだろう。ようするに、正義=死刑を意味してはいない。
だから、この場合の「慎重にも慎重な検討」というのは、どのような正義を実現するか、そのための熟慮などというものではなく、そこにある種の躊躇が存在するとすれば、国民世論をいかにしてかわすか、そのための一応の抗弁を準備することに強い関心があったということなのかもしれない。
もっとも、鳩山氏の言葉を何度よみかえしても説得力のみじんも感じられないのだが。
「慎重にも慎重な検討」という言葉は、すなわち反語的解釈を求めている。
(「世相を拾う」08107)
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欺瞞が自民党を助ける。
しかし、民主党のそれが民意にそうものであるとはもちろん限らない。
以下の記事をみると、鳩山氏は、政府・与党の後期高齢者医療制度見直し案について「姑息(こそく)な手段を使っても低所得者の厳しさは変わらない」と制度廃止を改めて要求、とある。
それならば、民主党は、自ら他の野党と共同で提出した廃止法案に責任をもつべきだ。廃止する法案に反対する自民党とのちがいを国民に論戦でアピールできる。だが、制度廃止を改めて要求するということは、審議入りを拒否することと整合しない。矛盾する。
国会「休会」、場外で論戦=後期医療テーマに-与野党幹事長 与野党の幹事長・書記局長が15日、NHKの討論番組に出演した。共産党を除く野党3党は、福田康夫首相に問責決議を無視されたことに反発して法案審議を拒否しており、国会は21日の会期末を控え事実上の休会状態。与野党は「場外」で、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)などをめぐり激しい論戦を繰り広げた。 民主党の鳩山由紀夫氏は、政府・与党が決定した同制度の運用改善策に触れ「姑息(こそく)な手段を使っても低所得者の厳しさは変わらない」と制度廃止を改めて要求。社民党の重野安正氏は「もっと分かりやすい制度を考えないといけない」と述べ、存続は認めない考えを強調した。 これに対し、自民党の伊吹文明氏は、野党が共同提出した同制度廃止法案について「審議すべきだし、次の国会で財源をどうするか伺わなければならない」と民主党などの審議拒否を皮肉り、公明党の北側一雄氏は「小沢一郎代表は2003年に、70歳以上を対象にした独立の医療保険制度を創設すると言っている」と指摘し、民主党をけん制した。 一方、共産党の市田忠義氏は「廃止法案を提出した責任を果たすため、1党だけでも質疑をやったらいい」と与党に迫った。 |
面従腹背という言葉がある。
民主党の現局面での国会戦術はこの形容がよくあてはる。
国民には自民党に「対決」する姿勢をみせて民意にこたえるというそぶりをみせながら、腹の中では自民党との接点を求め、妥協を図る道を画策する。腹の中だけではない。
実際に、自民党との共同・協調が模索されている。
列記すると、以下の法案を与党とともに成立させた事実。
- 宇宙基本法
- 国家公務員制度改革基本法
- 改定少年法
さらに、新憲法制定議員同盟では民主党議員が憲法審査会の活動開始を求める始末。その憲法審査会に関連して民主党・西岡武夫参院議運委員長が規程づくりで奔走しているのは周知の事実ではないか。
また問責決議を扱う参院本会議がはじまった11日その日、派兵恒久法の勉強会を自民、公明、国民新の議員らと、民主党議員が同席し開いている。
これが民主党のいう「対決」の実際だろう。
臨時国会の召集に応じぬ=民主・鳩山氏 民主党の鳩山由紀夫幹事長は15日、NHKなどの番組に出演し、福田康夫首相が8月下旬の召集に意欲を示している次期臨時国会に関し「(参院で問責された)福田政権が(退陣することなく)臨時国会を開こうという話であれば、すぐに『分かりました』という話にはならない」と述べ、応じられないとの考えを示した。 |
大げさにいえば断末魔状態にある自民党政治なのだが、以上の国会内の事実-これが公に語られないところが実は政治の反復を繰り返す要因になっていると私は思うが-は、民主党の対応が満身創痍の自民党を支えてやるようなものだということを示唆している。
後期高齢者医療制度を廃止すると、高齢者の面前で民主党はあらためて主張できるのか。
民主党の欺瞞が自民党を助けている。究極の安定装置。。。
(「世相を拾う」08106)
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働くルールの確立と舛添「日雇い派遣禁止」発言
働き方とそのルールをどのように確立するか、日本社会の当面の対抗軸だとのべてきました。しかし、働く者が自分の働き方を支配できるような日本社会ではなくて、働く者をどのように働かせるか、支配してきたのはいうまでもなく、財界と大企業でした。
だから、この現状を少しでも働く者にとって改善しようと思えば、働かせ方にルールを課す、すなわちこれが働く者にとって働くルールを確立するということになるでしょう。
ごく大雑把にとらえると、企業の働かせ方は、法制度の改悪によって、企業の思いどおりに、むしろ働く者にとっては後退と位置づけられる方向にかえられつづけてきました。その方向は、規制緩和の名のもとに戦後労働法制による(働かせる者への)縛りを取り払うそれであったといえるものでしょう。
例をあげると、1986年に労働者派遣法が施行されました。以来、規制緩和の連続で、ついに320万人を超える派遣労働者が今日の日本には存在するといわれています。
こうした非正規雇用の拡大が今日の貧困の根底にあることがしばしば指摘されてきてもいます。いいかえると、このような非正規雇用拡大の現状を見直すことは、日本社会にとって解決すべき重要課題だと当ブログはとらえるのです。
そこで、確認しておくべきことは、たとえば派遣労働をめぐって、少なくとも規制緩和から規制強化の方向への転換の兆しがみられることであって、これは重要な変化だと当ブログはみるのです(下記エントリー参照)。潮目が変わりつつある、こういってもよいのではないでしょうか。
派遣法改正をめぐる論点のなかでは、日雇い派遣と登録型派遣が中心的位置をしめるでしょうが、舛添厚労相が日雇い派遣について、ある意味で踏み込んで言及しています(参照)。真意はこの記事だけでは分かりませんが。
日雇い派遣に反対する立場の使用者は、(日雇い派遣は)「派遣先の要請にこたえて迅速かつ円滑に労働力を提供できるというメリットがある」などといいます。
また、日雇労働で生計を立てている人のニーズも持ち出されたりもします。これに似たような主張はたとえば、池田信夫氏。
しかし、前者は、派遣元企業が派遣先企業からその日限りの仕事を受注し、登録スタッフにたとえば携帯電話で連絡をとり、労働者が現場に着いて雇用契約が成立するというものでしょう。スポット契約の究極の形態です。労働者にとって仕事の詳細が分かろうはずはありません。時間的余裕はない。逆に時間との勝負ともいえる性格の派遣だともいえます。だから、働く労働者にとっては、まさに消耗品という扱いを受けることになるのです。
このしくみの非対称は明らかなのですから、弱い立場の労働者はつねに(働かせる側の)違法と直面しているともいえる。最低限の歯止めを、業種を指定すること、職業紹介事業を経由することに求める必要があると思います。
さて、池田氏にみられる日雇い派遣の存続をもとめる主張。
たしかに、自分に都合のいい日に働きたいという希望はあるのかもしれません。しかし、その際も、それが日雇い労働という形態でなくてはならない理由はみつかりません。その必要はない。職業紹介を介して、少なくとも労働者が仕事内容を確認でき、就労条件を確認した上で、労働契約を結ぶことが労使双方にとってもメリットにつながるでしょう。
間接雇用よりは直接雇用が雇用者責任を明確にできます。また、不安定雇用を解決するには、有期雇用を原則禁止にすることが重要であって、日雇い派遣を残すべきというのはあたらないでしょう。つまり、期間の定めのない雇用の原則を確立することです。
すなわち、恒常的に存在する仕事ならば、期間限定の雇用契約を結ぶことを禁止し、また、雇用の更新という名で勇気雇用の反復を許さないことをはっきりうたうべきです。
(「世相を拾う」08105)
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【参考記事】
日雇派遣禁止は当たり前。問題はそのあと。(世界の片隅でニュースを読む)
【派遣労働に関するエントリー】
ハケンの現状を我われは打開できるのか。
派遣労働を問え。。。
一部が苦しむ不平等か、全部が苦しむ平等かという問い。。
2009年問題が問うもの。
日米は運命共同-イラク派兵延長
自衛隊派遣延長:自公が了承 インド洋・イラク 自民、公明両党は10日、政府が提示した海上自衛隊のインド洋派遣期間を来年1月15日まで半年延長する実施計画の変更と、航空自衛隊のイラク派遣期間を来年7月末まで1年延長する基本計画の変更を共に了承した。13日に閣議決定される。 今回の計画終了時に、派遣根拠であるイラク復興特別措置法、新テロ対策特別措置法はいずれも期限切れとなる。空自と海自の活動内容は変更しない。 |
日本国では一つの事件が起こると、世の中がまるでそれにひきずられるかのようにメディアの報道も一点に集中する。アキバの事件がワイドショーをにぎあわしている中で、冒頭の記事が伝えられた。世界と日本の平和を思えば、無視できない内容をもっているが、ごらんのように記事の扱いは小さい。
記事が伝えるように閣議で13日、決定された。イラク特措法にもとづく基本計画を変更し、今年7月末に期限切れになる航空自衛隊のイラク派遣期間を来年7月末まで1年延長するということだ。
空自のイラク派兵は、イラクで活動する多国籍軍の駐留の根拠となっている国連安保理決議1546によっている。その安保理決議は今年末に切れるが、(空自の)派兵期間を来年7月まで延長しようとするもの。つまり、国連決議の失効を前にして、米軍の軍事占領の永久化をも視野に入れた閣議決定ともいえる。
そもそも国連安保理決議1546は、04年6月に決議されている。その後、1年ごとに更新され、現在の国連多国籍軍の駐留は、決議1790(昨年12月)が根拠になっている。これが今年12月31日に失効するのだ。すでにイラクのマリキ首相は決議1790採択時、今回が最後だと表明したいきさつがある。
だから、そうなると多国籍軍の一員としての空自の派遣根拠もこれでなくなってしまう。
日本の国内法であるイラク特措法では、自衛隊が外国の領域で活動するには当該政府の同意が必要だと定めている。一方で、国連多国籍軍は、この場合、イラク政府の要請を受けて安保理が駐留を認める形をとっている。
そこで、日本国の政府は、決議1546によって、それまでのイラク占領軍が多国籍軍という名で「変身」をとげたとき、自衛隊を参加させ、イラク政府の了解を得たと説明してきたのだ。
ようするに、この経過は、安保理決議が失効すれば、イラク政府の同意が必要だとするイラク特措法の派兵必要条件がくずれることを意味している。
米ブッシュ政権は、マリキ首相の新たな安保理決議を望まないという意思を支持するといいながら、来年以降も米軍駐留を継続する方針を明確にしている。そのために、イラク国内での米軍の特権的地位を認めるよう地位協定の締結をイラク政府に求めている。同様に、日本国の政府は、自衛隊の十分な活動を保障するために、自衛隊員へのイラクの裁判権の免除など、特権が必要だとのべているのは周知のところだろう。町村官房長官は会見で、自衛隊の地位協定について締結することを否定しなかった。
日米両国政府の対応は、いずれも「占領の永続化」が基底にある。この4月、名古屋高裁ではイラクでの空自の派遣活動を違憲とする判決が確定した。日本政府の対応をみれば、米軍占領に加担するという一点で、憲法より米国を優先するというその従属ぶりが鮮やかに映し出されている。
(「世相を拾う」08104)
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追記;米国とイラクの地位協定に関する交渉の行方は、平坦ではないようです。
イラクのマリキ首相は13日、訪問先のヨルダンの首都アンマンで記者団に対し、イラク占領米軍の地位協定にかんする交渉が「行き詰まっている」と述べました。「米側の要求が、われわれが受け入れられないイラクに対する著しい主権侵害であることを確認したからだ」と説明しました。
ロイター電によると、マリキ氏は「米軍がイラク人を拘束し、独自にテロとのたたかいの指揮をとり、イラクの領空・領海域をいつでも自由に使用する許可をいつまでも認めるわけにはいかない。特に米兵と民間軍事会社職員の免責特権は全面的に拒否する」と強い調子で米側の要求を非難しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-06-14/2008061407_02_0.html
陳腐な国会戦術。。。
いまの国会の最大の焦点が後期高齢者医療制度にあったことは論をまたないだろう。
民主党の「問責決議」提出も、この制度にかこつけたわけだから。
昨日のテレビでは竹光とまでいわれ、揶揄されたこの「問責決議」。つまり、いまのしくみでは何の効力もないということだ。
しかし、「問責決議」を出すという民主党の態度と整合しなくてはならないのは、一方で提出されていた四野党共同の後期高齢者医療制度廃止法案を通すという態度である。
民主党というのは不思議な政党である。国会の終盤、いつも「腰くだけ」になる。
今回は、自ら提出した法案を審議もしないという、理解できない戦術をとった。有権者の前で後期高齢者医療制度に反対などといっておきながら、廃止法案に責任をもたないというのはどういうことか。共産党が同党の態度を批判しているが、反論の余地はないだろう。
四野党の代表が同医療制度の廃止を共同で訴える姿が最近のニュースで流されたが、その際、小沢一郎はマイクを握らなかったらしい。すでに、このとき無責任を決め込んでいたのかと、勘ぐりたくなる。
同党の態度が欺瞞にみちたものに思えるのは、昨日のエントリーで取り上げた
mahounofuefuki さんが的確に指摘されているように、裏で与党との妥協や協議をくりかえすという同党の習性である。
二つの政党が形式上、存在するわけだから、国民の眼には異なるようにみせる、そうふるまうだけのことである。民主党の戦術など、せいぜいそんなものだと私は思う。自民党の政治からエクソダスをはかろうと思えば、すなわち民主党への淡い期待などよしにしなければならないということだろう。
「対決」などといっても底が割れている。
(「世相を拾う」08103)
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