森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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自民党の政策的混迷
口座振替変更で税軽減も 後期高齢者の保険料支払い 後期高齢者医療制度で、保険料の支払いを本人の年金天引きから世帯主の口座振替に変更することで、所得税や住民税の負担が軽くなる場合があることが分かった。所得税では夫婦世帯で夫の年金収入が206万円を超え、妻が158万円以下のケースなどで、変更は市区町村の窓口で手続きできる。 保険料は原則、加入者本人の公的年金から天引きされるが、高齢者の強い反発を受けて、政府・与党は7月、年金収入が180万円未満の場合、世帯主や配偶者が本人に代わって口座振替で納付できるように変更した。 厚労省によると、世帯主や配偶者の口座振替に切り替えると、その分社会保険料控除額が増えて、世帯全体でみた時の所得税や住民税の負担が軽くなるケースが出る。 会社員の子どもが世帯主で親夫婦と同居する3人世帯では、親夫婦の年金収入がいずれも158万円以下で子どもの給与収入が245.7万円を超える場合は所得税が軽減される。住民税は、親夫婦の年金収入がいずれも155万円以下、子の給与収入が221.4万円を超える場合に軽減される。 |
記事の核心は、「後期高齢者医療制度で、保険料の支払いを本人の年金天引きから世帯主の口座振替に変更することで、所得税や住民税の負担が軽くなる場合がある」ということのみです。
さて、みなさんはどうお考えでしょうか。
これを厚労省があえて説明するのは、どんな意味をもつのでしょうか。
保険料天引きを厚労省が強制したことを忘れてはなりません。ですから、二重、三重の意味で、厚労省の説明は欺瞞に満ちていると思います。
- 本来、どのような支払い方であってもよいはずなのに、あえて天引きを強制することによって、税軽減を道を閉ざそうとしたと考えられること。
- この事態は、天引き強制に対する反発の大きさを前に、自動振替も可としたことによって、「徴税」のあり方に差別が生じることが露わになったこと。
- それを、厚労省は、税の軽減方法があると啓蒙するかのようにふるまっていること。
殊に、保険料の支払い方法によって税額の上で差異が生じるというのは、聞いたことがありません。しかも、支払う側にとって結果的に税が重くなるのが、政府・厚労省が制度的に強制しようとした天引き(という保険料の支払い方法)だとすれば、ある意味で税負担を隠蔽しようとしたといってよいでしょう。
後期高齢者医療制度は、つぎはぎを重ねた制度になりました。この記事がつたえることも、同じでしょう。つまり、反対の大きさに押されて天引き強制をやめたものの、その結果、制度的には新たな矛盾をうむ結果になった。そこで、厚労省は、これを「逆手」にとって、税軽減方法の開示、啓蒙という宣伝にでたのでしょう。
ふりかえってみましょう。
75歳以上の人びとを有無をいわさず、制度的に別の枠組みに移し変え、保険料を天引きで徴収するという横暴に出たわけですから、反発が起こるべくして起きた。その批判の大きさに驚いた政府・厚労省は名称変更もふくめて、制度維持を図ろうとしてきたのです。結果、いくつもの「修正」をおこない、当初の居丈高に打ち出したはずの高齢者差別制度も随分と形を変えるはめになったのでした。
これを、制度的混迷といってよいと思います。
自民党ではだめだという意識が広まりつつあります。
とくに、規制緩和をうたい文句に新自由主義が謳歌を極め、その結果、貧困と格差は従前にない規模に広がって、いまや日本は後がないような貧困社会と化しているのではないか。かつての自民支持層といわれた部分をも容赦なく、その嵐は襲っていったのですから。
そもそも今の自民党政権は、その当時にきめた「制度改革」をこんどは実行に移す政権でもあって、その一つが、この後期高齢者医療制度でもあったわけです。
その意味で、新自由主義のもたらした害悪を一手に引き受けて、自らの末路をいっそう鮮明にする、そんな役割を担わざるをえないのが福田政権でもあるのでしょう。
政策的混迷は、そんな政権の右往左往を表現する一端にほかなりません。
(「世相を拾う」08141)
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ハケンをめぐる分岐
【主張】労働者派遣法改正 非正規雇用のひずみ正せ 2008.7.29 03:41 |
「毎日新聞」の主張を、非正規雇用が謳歌をきわめている現在を改善すべきだという人びとの前提、つまり最大公約数だととらえて労働者派遣法の抜本的転換、改正を考えてみる。
しかし、この「毎日」の主張の認識から一つ前にすすんでいなくてならない。そうしてはじめて抜本的な改善にむすびつくと思う。
「毎日」のつぎの記事が伝えるのは、日雇い派遣の禁止では、四野党が一致しているということだが、派遣労働の現状を抜本的に改善しようとする立場からすると、むしろ政党間のちがいに着目すべきでないだろうか。
労働者派遣:4野党、「日雇い」禁止は一致 労働者派遣法改正で28日、政府案のたたき台となる厚生労働省の報告書がまとまった。すでに改正を主張している4野党の案を比べると、「日雇い派遣の禁止」の方向性は一致しているが、登録型派遣や派遣会社の手数料規制を巡って、「政府・民主」対「共産、社民、国民新」の構図となっている。 登録型派遣については、政府案が「待遇改善で対応」としているのに対し、民主案は派遣期間は「2カ月以下は禁止」としているものの、派遣可能業務については政府案と同じく現行法通りだ。 これに対し、共産、社民、国民新の3党は99年の原則自由化をきっかけに、製造業など幅広い業務に派遣が広がったことを問題視し、「原則禁止し、派遣可能業務を以前の専門的な26業務に限定すべきだ」と主張する。 また、ピンはねが問題化している派遣会社の手数料(マージン)率についても、政府・民主党案は「情報公開の義務化」で一致。これに対し、共産など3野党は情報公開の義務化に加え、上限規制を設ける方針だ。 |
厚労省でさえ、記事にあるように「日雇い」派遣の原則禁止について言及せざるをえないのだから、99年の派遣法改悪によって、自由化の名で今日の深刻な事態がもたらせれたことを考えると、改善の方向の基本的スタンスは、99年改悪以前に戻せということになる。こう私は思う。
この点で、4野党のなかで99年改悪に反対したのは共産党だったのだが、99年改悪に賛成しつつ、今日の事態をふまえ、改悪以前に戻せという立場を社民党が今日とっているのは評価されてよい。
同時に、この点で、分岐が明確になっている。この点が、おそらく非正規雇用問題の解決にとって大きな意味をもっていると思う。
その分岐とは、「登録型」派遣をどう規制するか、という論点である。いま、この点では、自民・民主と共産、社民、国民新の違いは歴然としている。
つまるところ、この違いは、財界・大企業の思惑と核政党の距離感をそのまま表現している。別の言葉でいえば、財界・大企業の思惑を代弁するのかどうか、この点に尽きる。
だから、働く者の立場にたち、派遣労働の見直しと正規労働の拡大という展望を示しうる可能性は、記事が伝える「政府・民主」対「共産、社民、国民新」の構図でいえば、少なくともはっきりしている。曲折はむろん想定しておくべきだが、可能性は、「共産、社民、国民新」の側にゆだねられていることはまちがいない。
(「世相を拾う」08140)
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「太田死ね」。
ささやかな私のブログですが、ページごとのアクセス数をみてみると、著しい特徴があります。関係する一連のエントリーを公開してもう2年ほど経つのですが、たとえば安倍晋三と「爆笑問題」太田光の落差(下記)というエントリーへのアクセスがいまでも一定の水準を保っているのです。つまり、これは、いまだに太田光さんの人気は衰えないということなのでしょうか。
エントリーは、憲法9条の意義を見出す太田氏と比較して安倍晋三の貧弱な想像力を批判したものでした。アクセス数がある程度、一定しているのは、太田氏の言説にたいする積極的な評価を下す人がそれなりにいることを示していると同時に、それとは逆に太田氏の意見にたいする反発もまた多いということを想像させるものです。というのも、「太田死ね」、「氏ね」などという検索で、しがない私のブログを訪れる人も少なくないと、判断しているからです。
つまるところ、異なる2つの方向から太田氏というのは少なくとも着目されている、世間的にはそんな状況にあるということでしょう。
こんなことを常日頃考えているのですが、一方のウイングからの反応が以下のような形で伝えられています。
「爆笑問題・太田さんを殺害」書き込み容疑で逮捕 |
この事件の「主人公」たる人物については、はっきりいえば何ともさみしいかぎりという言葉を返すしかないでしょうね。エントリーのタイトルは皮肉を込めているのですが、氏ね、死ねという言葉の無内容、ナンセンスを指摘したいのです。
別のエントリーでいったことですが、人間にとって、死ぬという「行為」は本人をおいて他者がかわることはできない。本人にしかできない行為です。少し横道にそれますが、「殺す」ことは仮に他人ができたとしても、他人が(本人の)「死ぬ」という行為をかわることはできないのです。いいたいのは、「死ね」という命令形は、命令にもならぬ、本来、無意味なものにすぎません。どのような境遇におかれようと、「死ぬ」のは本人以外にはありえないのですから。
まあ、繰り返しいいたいのは太田氏に対抗するには、太田氏の繰り出す言説に正面から反論してみよ、ということです。
私は、太田氏の9条擁護の姿勢を強く支持するわけですが―一方で太田氏のすべてを支持しているわけではありません―、それに正面から反論してみるがよい。つまり、それをできない人が、死ねなどという空虚な発語を繰り返しているのではないかと。そう思うのです。
記事の伝えるのは、その一つの典型なのでしょう。
こんな言葉で脅迫される太田氏も迷惑なことだし、決して居心地のよいものではないのでしょうが、それにしても思うのは、太田氏の「気高い思想」に恐る恐る立ち向かおうと躊躇する、矮小な思想との落差とその広がりです。
死ねではなくて、生きろ、生きてみよ、そう反論したくなるのですが。
(「世相を拾う」08139)
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【関連エントリー】
安倍晋三と「爆笑問題」太田光の落差
社会保障で経済を豊かに。
社会保障に経済効果…厚労白書08年原案 厚生労働省がまとめた2008年版の厚生労働白書の原案が26日、明らかになった。 社会保障関連の業務について、国民の暮らしの安全ネットという本来の役割とともに、高齢化に伴う需要増による経済波及効果があると分析しているのが特徴だ。医療や介護を経済活動を行う「産業」としてとらえた場合、経済活性化に有望な分野だとし、「社会保障は個人消費を支え、経済社会の発展に重要」と強調している。 原案では、医療や介護、社会福祉などの産業について、需要増による生産の増加などが各産業の生産をどの程度誘発するかを示す「総波及効果」が、「全産業平均よりも高い」と指摘。精密機械や住宅建築産業などと同程度の経済効果がある、としている。 (2008年7月27日03時14分 読売新聞) |
厚労省が社会保障の経済波及効果に着目してきたことは、当ブログでも何度かのべてきました。
今度は白書にその効果について明記するというのですから、転機を予感させるに十分でしょう。
政府でさえ「日雇い派遣の原則禁止」といわざるをえないような、雇用をめぐっての世論が、厚労省に一歩足を踏み込ませることにつながったのではないでしょうか。
先に、医療は雇用をふやす-その経済波及効果で、毎日新聞の連載を当ブログはとりあげ、以下の引用を記しました。
07年度、同病院の支出総額は164億8000万円。人件費が61億円で最も多く、薬剤費21億1000万円、カテーテルなどの診療材料費約17億円などが続く。外部の業者への業務委託費も18億2400万円に達する。 |
この例は、医療機関の支出構造ですが、ご覧のように医療では人件費率は50%を超えるのです。医師をはじめ他職種を必要とし、しかも法定数によって一定の人員配置が定められる。医療は雇用を生み出すのです。
厚労省はこの点ではつぎのように医療の経済効果を明確に支持してきたといえるわけです。エントリーで示した厚労省の考えの要点を再度、列記してみます。詳しくお知りになりたい方は、ここをご覧ください。
|
社会保障が日本の国際競争力を低下させるとこれまでいってきたのは財界・大企業でしたが、厚労省の見解は見事にそれにたいする反論になっています。
不安定な雇用のあり方が他方面から厳しく指摘され、その一掃が求められています。社会保障分野での直接雇用が創出されるだけでなく、関連する諸産業とのつながりを考えると、波及効果の大きさは、エントリーに記した大村氏の言葉をひくまでもありません。
雇用の不安定と賃金の減少によって家計消費はいぜん低迷しているのですから、社会保障によって経済を豊かにする道を検討すべきです。つまり、社会保障か経済かという二者択一ではなく、社会保障の充実によって経済の再生が図れる、こんな選択を採る必要があると思います。
大村昭人さんによれば、ヨーロピアン・コミッションのレポート(05年8月)では、EU諸国の医療への投資は経済成長率の16~27%を占めているそうです(*1)。また、EU15カ国では医療の経済波及効果はGDPの7%に相当し、金融の5%を上回るといわれています。
今日の日本で深刻な絶対的貧困と格差を是正するのに、医療や福祉に必要な財源を投入すること、これが採るべき方途ではないかと思うのです。
(「世相を拾う」08138)
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*1;「『医療立国論』へ転換を」(東京保険医協会シンポジウム、2008年1月)
下図をクリックすると拡大します。
雇用環境は変わるのか。。
ワーク・ライフ・バランスという概念をもとに、現実の働く者が日々の生活、生きることが最大の関心事に貶められていることについて前回のエントリーでふれた。つまるところ、それは、ワーク・ライフ・バランスなんて、考えうることの埒外に置かれているということだ。日々の生活、生きるということに汲々とせざるをえない人にとって、仕事と生活の調査など、ほとんど無意味なことにすぎない。
それだけ、日本の労働者は臨界点に置かれているともいえる。
複数の事象が相次いで起こると、共通する意味を見出し何らかの相関があると思考したり、はたまたそれらの因果関係する詮索したくなるのが我々なのかもしれない。最近、立て続けに起きた、たとえばアキバ事件、そして八王子の「通り魔事件」の脈絡を考えようというものだ。伝えられる報道によるかぎり、この両者の直接的な関係性はないにしても、社会的構造と無関係だと斬って捨て、断言するには無理があるとほとんど考えざるをえない。
以上の2つの事件の容疑者と目される人物が、家族の排除、あるいは現場での疎遠な人間関係から解放されていたとすれば、事態はまたちがったものになった、とこう誰もが考ええるだろう。つまり、容疑者ならずとも、私たち一人ひとりが今、アキバ事件の容疑者、そして八王子の「通り魔事件」の容疑者と同様に追い込まれる環境に置かれているということを直視すべきではないのか。何らかの、外部の力が少し働いただけで、2人の容疑者と同じ立場に立たされる可能性に私たちは直面しているということだ。
こうした社会的には、結果的にマージナルに位置づけられかねない要素を、、一人ひとりが背負っているということをまず直視する必要があるのではないか。
朝日新聞が社説で、労働者のはたらきがいについて言及している(参照)。当ブログでふれた、白書にかかわっての言説である。
けれど、社説を一読してみて、私の心のなかで何かがくすぶっている。
社説は、働く者の働き甲斐にふれている。労働者にとって今日、働き甲斐は喪失の対象となっている。たしかに、社説が指摘するように、劇的な変化が生まれた。
- 90年代後半からは労働者派遣法の改正も相次いで、派遣で働ける職種が一気に広がった
- 学校を卒業する時に正社員になれなかった若者の多くは、年齢を重ねても非正社員のままだ
- 派遣やパートには、正社員と違って、いつ仕事を打ち切られるかわからないといった不安がつきまとう。まともに生活できない低賃金も珍しくない
列記すれば、劇的な変化とは以上のようなものだが、こんな事態は何もめずらしいことではなくなってしまった。
あえて、付け加えれば、いつ仕事を打ち切られるかわからないといった不安がつきまとうのは、何も派遣やパートにとどまらず、正社員をも襲ってきたのではないか。
結局のところ、働く者にとって明日以降の先の見えない不安は、深浅は別にして、非正規の労働者も、正規労働者をもとらえているということが重要ではなかろうか。
こうした労働者にとって居所のみつからないような心理状態に置かれるような不安を強いる社会なのだが、少なくとも自分にとって敵対的に作用する社会に、労働者はそれを甘んじて需要するのか、それともしないのか、そこに私の関心もある。
現実には、非正規の労働者の労働組合加入率は、わずか3%程度だといわれている。正規労働者の加入率も傾向的には年々低下し20%を切ったともいう。そうだとしても非正規労働者の加入率が極端に低いことは否めない。
組合加入率でもってすべてを推し量ろうというつもりはもちろんないが、厳然たる事実がここにある。この数字は、裏を返すと、先にふれた思考しえない状態に置かれていることの反映だろう。
ただ、しかし、これほどの犠牲を押し付けてきた企業の雇用政策が今、転機にさしかかろうとしていることも事実だ。ようするに、政府与党もついに「日雇い派遣の原則禁止」をいわざるを得なくなったことから明らかなように、労働者派遣法の抜本的改定はいよいよ不可避の政治的課題となりつつある。ようは、何かがかわろうとしている、こういうことができるのではないだろうか。
むろん楽観的にすぎてもいけないが。
(「世相を拾う」08137)
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仕事と生活の調和を誰がとれる?
ワーク・ライフ・バランスという言葉を知らない人が、「意外に」多かったということでしょうか。記事が伝えるのは、その点のように思えます。
調査というものは結果をある程度、予測して設計するものでしょうが、そうであるのなら、まったくの検討ちがいだったということかしら。
「ワーク・ライフ・バランス」って?名前も内容も浸透せず (写真) |
しかし、わが日本国の今はそんな現状にはない、そう私には思えます。
そもそも労働と生活のバランスなんか、考えられないし、考えてもいない国民の実情を、調査結果は示しているのではないでしょうか。ワークとライフのバランスは頭の中にはない、正確にいえば、国民の少なくない部分は、そうだということでしょうか。
別の言葉でいえば、生きるということで精一杯の人の頭のなかに、いかに生きるかという問いが生まれ出ることはないでしょう。働かねば食っていけない。それどころか、働いても「最低限度の生活」が保障されない、わが日本国なのですから。
食べていけるという見通しがまず立たなくてはなくては、生活と労働の調和などありえない。見通しが立って、はじめてその両者の調和を考えることができる。自ら調和させるという高度で複雑な技術をもちうるのは、おそらく今のこの日本国ではごく一部の人に限られてきているとみてよいのかもしれません。
ワーク・ライフ・バランスとは、やりがいや充実感を抱きつつ働き、仕事の上でも責任を果たし、家庭や地域生活などにおいても、子多様な生き方を選択しうるものなのでしょうが、このわずか何文字かに凝縮される高いハードルをクリアできる人はごくごく一部の人間だと断定できるのではないでしょうか。
いまどき、自分の働きようを、そして生き様を自ら決める、余裕のある人はいない。息のつまるような状態に多かれ少なかれ、多くの国民が置かれているわけです。
相次いで2つの白書が発表されました。
一つは労働経済白書。そこでも、労働者の満足感が「仕事のやりがい」「雇用の安定」「収入の増加」などで長期的に低下していることを明らかにしているのですから。そして、重要なのは、白書によれば、企業が1990年代から人件費の抑制を優先して正社員を減らし、非正規雇用が増大したためということです。打開の方向に、成果主義賃金の見直しや正社員化への支援をあげていることも興味深いことです。
もう一つは、経済白書です。白書は、『企業から家計への景気回復の波及』は、実現に至っていないと断じざるをえませんでした。
つまり、この2つの白書が指摘するのは、低賃金、負担増などのしわ寄せによって、硬直した国民生活、家計の姿です。
その日暮らし、日々の生活、生きることが最大の関心事に貶められている人にとっては、おそらく思考するという行為は不可能でしょう。生きることのみが考えうること、考えなければならないことなのですから。
内閣府の調査が教えるのは、これに近い、境界領域にある部分の存在の大きさを示しているように思えてならないのです。
(「世相を拾う」08136)
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将来的に一致。自民と民主。
将来的な増税では一致 自民・与謝野氏と民主・岡田氏 |
しっかりしてよ、こういいたくなります。
むろん民主党にたいしてです。
民主党が消費税にどんな対応をとろうと、それは政党の社会的要請の反映だととらえるとすれば、この消費税増税という点では、少なくとも自民、民主両党の間によってたつ基盤に区別はないだろうと推測されることを示しています。民主党を支持する人ははたしてそれでよいのでしょうか。
でも、とにかくしっかりしてよ。
何がなんでも政権交代という前に、いまの自民党政治をどうかえるのか、それを国民に明示するのが政党の本意ではないのでしょうか。
民主党が政権をとれば、自民党政権とはちがった政治をこのようにおこなうことができる、こう国民に示すのが政党というものでしょう。
でも、記事が伝えるところでは、同じ地平に民主党も立っているということの証明だと思える。岡田氏は、なぜ消費税ではなくほかに財源を求めることは可能だと断言しないのでしょうか。
岡田氏がいうように「歳出削減だけでは無理だと、どんな人が議論してもなる」のであれば、では歳入をどのように確保するのか、それを氏は、いいかえると民主党はこう考えると、はっきり示してほしかった。私はそう思うのです。
岡田氏が、歳入、ここでは増税をどの点にしぼって国民に提起するのか、語るべきだったと思います。氏もまた、この点では政権交代至上主義の呪縛から逃れることはできないのでしょう。
結局のところ、民主党、岡田氏のとる態度は、自民党と同じ水準での、増税提案の先延ばしということにほかなりません。
つまるところ、自民党、そして民主党が過去にどんな態度をとって、これからどのようにふるまおうとしているのか、それを峻別する国民の眼がいまほど求められる時はないように思えます。
私はこれまでの自民党政治の中核をなしてきた、大企業・財界本位、あるいは米国追随の政治を、民主党が政権交代をさけぶのならどのように反転させることができるのかどうか、その点にこそ最大の注意を払おうとしているのですが。
しかし、どうやら民主党は、民主党の政治はこんなものだと国民に提示することにきわめて消極的なように思えてなりません。
それを慎重な姿勢だと積極的に評価するのではなく、むしろなぜそれを明らかにできないのか、少なくともいまはそんな疑念が沸々とわいてきてたまらないのです。
野党第一党の民主党は、同党のプログラムをいまこそ国民にむけて大いに発信すべきだと考えるのですが。
民主党に期待される方は、いっそう同党の監視が必要な時期に突入したといえるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」08135)
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貧しい者には厳しく接すべし。
でも、現実の行政窓口ではこんなふうに受け取れる一面がある。
生活保護、自治体窓口で申請45% 国の抑制策背景に |
「朝日」が伝えるところによれば、厚生労働省の上からの指示が、i陰に陽に行き届いたとみてよいのでしょう。ようするに、厚労省はたびたび生活保護の受給を問題視つづけ、削減のための具体策を実施してきました。老齢加算や母子加算の削減・廃止のように。
生活保護は、日本国憲法25条のいう最低限度の生活を営む権利の具体化、つまり最低限度の生活(費)を保障するものだとだととらえると、最低限度の生活ができないか、現にできていない人すべてに適用されなければなりません。
ところが、記事が明らかにするように、たとえれば行政の匙加減一つで受給されるはずのない者が受給される事態が一方にあれば、本来、救われなければならない人が受給されないこともある。「朝日」のデータは、その総合です。
行政の現場の人手を削り、申請をしようとするものに圧力をかけるような行政、あるいは受給の可否の基準が明確でない、行政の意向でそれが上げ下げされるのは、憲法にも、地方自治法にてらしも行政の資格を自ら放棄するようなものです。セーフティーネットであればこそ、申請するものはすべて、基準にてらして適正に対処される必要があります。
けれど、生活保護は、受給している人だけの問題かといえば、そうではない。
生活保護は諸制度のベースになっていて、さまざまな面に影響を及ぼしかねないのです。
現場での匙加減にもみえる行政の対応は、しかし、大きな枠組みがあってのことです。
それは、朝日記事が指摘するように、日本国のとる抑制政策に縛られた結果です。
上にあげた老齢加算や母子加算の削減・廃止のみならず、最近では、ジェネリック処方を強制するような動きが物議をかもしました。このことからも明らかなように、厚労省があの手この手を使って、生活保護費を抑制しようとする意図が露骨にあるといえるのではないでしょうか。
ジェネリック処方の強制が他の被保険者・家族とは給付内容を差別化して給付額を抑えようとするものであるならば、受給率をより低めることによって保護費を削ろうとするのですから、まさに水際ではねのけようというわけです。かつて厚労省は123号通知とよばれる抑制方針を自治体に発信し、生活保護行政の課題として、いかに保護受給を抑えるか、と号令をかけています。
今日の生活保護行政の現実はこの厚労省の123号通知で強調されている抑制策の延長線上にあるでしょう。申請そのものが相談者のうちの5割に満たないというのですから、なかにはやむなく申請しないで引き上げるケースも推測させる。数字は、こんな事例の存在を含意するのではないでしょうか。
一部の不正をとりあげて、生活保護にたいするイメージをつくりあげ、削減に同意を得るという厚労省に、あえて求めてもよいのは、セーフティーネットであればこそ申請者の意思を尊重し、失業して収入がなくなったり、病気で働けなくなったりしたとき、また、働いていても収入が少なくて生活が大変なことが確認できれば、すべて受給できるような制度をつくれということです。
生活保護が多くの社会保障制度、最低賃金決定のベースにあればこそ、政府・厚生省はこれを削減しようとする。逆にそうであればこそ、生活保護制度の成り行きに無関心ではいられないのです。
(「世相を拾う」08134)
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【関連記事】
【揺れる生活保護】(下)一貫性なき行政対応
【関連エントリー】
過労死を迫る現行最低賃金
貧しい者はさらに貧しく- 消費税の累進性
生活保護と後発医薬品
切り捨ての方便-生活保護はセーフティネットたりうるか。
民主党は蟹工船をどこに着けるのか。
先週は日米関係に少なからぬ波紋を投げかけるであろう、画期的な出来事が起こりました。沖縄県議会の新基地反対決議の採択です。
基地のことなど遠い存在だし、直接、自分には関係ないと思う人が多数派なのが今の日本でしょうから、この事実がどの程度、みなさんに受け止められているのかは分かりません。
けれど、少なくとも基地移設をすすめようと思っている人物、それに積極的に賛意を示してきた人にとっては無視できない、やっかいな事態が訪れたということになるでしょう。とはいっても、当の沖縄県民は7割が反対の意思をしめしているといわれていますから、何も想定外の、予測されえない事態ではなかったともいえます。とくに、先の沖縄県議選で基地移転に反対する勢力が過半数を占めたのですから、この沖縄県議会での反対決議という事実は、県議選の結果と連続したものであることは論をまちません。
日米両政府は、沖縄県名護市にある米軍基地内に新基地を建設する計画です。新基地は先制攻撃戦争に備える米軍事態勢の再編・強化の目玉ともいわれている代物ですから、県議選につづく県議会の反対決議は、日米両政府はもちろん、そして移転推進の立場をとってきた仲井真県知事にもダメージを与えるものでしょう。
日米の関係に、日本の米軍兵士の8割以上が駐留し、県内の10%以上を基地が占める沖縄県がその再編に反対したこと、これは前後自民党政治を特徴づける対米追随にいわば反旗をひるがえすものともいえるでしょう。反対決議が拘束力をもたないとはいえ。
そこで、思うのは、戦後自民党政治が今、さまざまな面で国民の間との軋轢をうみだしているということです。
後期高齢者医療制度で、政府が制度発足まもなくして修正に修正を重ねていることにたいして言及してきました。たとえば、この後期高齢者医療制度にみられる再三の軌道修正は、五十嵐仁氏が指摘されている政策的破綻を端的に示すものでしょう(参照)。
氏はその上に、組織的瓦解が始まっていると見立てておられるわけですが、そうだとすれば、まさに自民党は末期的症状を呈しているということになる。自民党の政治はもういやだと考えている人にとってはこの上ない好機であると。こう誰もが考えるでしょう。
それならば民主党へ政権を、こう考えるのが、まさに二大政党制といわれる政治体制を志向してきた連中の思惑でもあったわけです。自民党がダメになっても民主党が引き継ぐという構図こそが想定されてきた。その条件は、旧来の自民党がすすめてきた政治と本質的に異なってはいけない。例を一つ引けば、自民党政治とは、税金のつかいみちに端的に表れているように、大企業・財界中心の政治でした。冒頭にふれたように日米の関係を他に優先させる政治だといえるでしょう。
この自民党政治の枠組みを継続させることが求められるわけです。周知のように、自民党は戦後これまで地方の中小企業・自営業者や農家などを支持基盤としてきたのですが、大企業・財界中心、米国追随をいっそう深化させた結果、自らの支持基盤も掘り崩すことにもなってきました。
この自民党政治の、大企業・財界、米国偏重の政治のゆがみは、ここ10年ばかりの小泉構造改革のなかで、さらに強調されてきたのではないでしょうか。
そのゆがみは、日本社会に貧困と格差を定着させてきました。たとえば所得の格差が広がっているという格差社会の理解がさらに発展させられて、社会のなかに少なからぬ絶対的貧困層が存在するという事実、貧困という問題に焦点が次第に絞られてきたととらえるのです。現代の貧困は、大企業・財界の最大限の利益確保を追求せんがための身勝手な雇用政策にみられるような、労働者を使い捨て状態に置くことによってもたらされてきました。ですから、大企業のボロもうけと労働者の貧困、ワーキングプアの存在は対になっているともとらえることができます。
この点で、東京新聞が2日つづけて社説で貧困と雇用問題に言及しました。遠い昔の『蟹工船』の世界が今日の日本、自らの生活に置き換えられ、重ね合わせられ読者の共感をよんでいるのは何とも皮肉なものですが、社説は、貧困と雇用環境の目にみえる改善が火急の課題だと指摘しているのです。
週のはじめに考える 『蟹工船』が着く港 日雇い派遣禁止 『非正規』削減に弾みを |
貧困と雇用問題を、自民党政治から反転させることは、いまの政治の中心課題の一つと私には思えます。いうまでもなく自民党と同じ枠組みの政党ではそれを可能にしえません。
先日、2009年問題を前にキヤノン長浜が派遣労働を解消すると言明しましたが、それを実効に移させる、大企業や財界にたいする強い姿勢が必要です。反対に、今日の雇用の規制緩和路線をもたらすきっかけになった99年の派遣法の改悪で共産党を除いて野党も賛成した事実に目をつぶるわけにはいきません。
2009年問題の展開― キヤノンの場合 |
新党結成の意向が伝えられたり、与党のなかでも、民主党のなかでも、内閣改造や次期衆院選、党首選などをめぐってさや当てがはじまりまっていることが報じられています。
その上に、自民党の支持率低下とあいまって、次期選挙が政権選択選挙という強調が論調になってきました。
しかし、事実はどうなんでしょうか。少なくとも自民党と、政権交代を熱く語る小沢と民主党は、とくに自民党政治を特徴づける大企業・財界、米国偏重という点でどの程度の差異があるのか。とりあげるに足らない程度のものではないか。冒頭の県議会決議で沖縄民主党は反対の意思を示しましたが、それでは基地再編に反対しつづけることができるのか、派兵恒久法ではどんな態度をとるのか、定かではないと思える。
東京新聞の表現を借りれば、とにかく政権交代をと、極端にいえばそれだけしか訴えてはばからない民主党の姿勢は、蟹工船をどんな港に着岸させようとしているのかはもちろん、着岸するのかしないのかさえも明らかにしないものといえるのではないか。
上にみたように、政権選択とか政権交代をスローガンでのべる以上、その内容がいかなるものか、それにふれないでは、およそ欺瞞のそしりを免れないでしょう。
(「世相を拾う」08133)
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根本がまちがっている
橋下知事、人件費削減の修正を表明 私学助成カットも見直し 大阪府の橋下徹知事は18日夜、2008年度補正予算案について審議する府議会総務委員会で、人件費や私学助成のカットについて、削減幅を圧縮し、予算案を修正する考えを表明。ただ修正額については「これから決定する」と述べた。知事は22日に補正予算案の修正案を提出。最終日の23日の本会議で可決される運びだ。橋下知事は人件費削減の補正予算案を提出、主要4会派の反対で修正を表明していた。(共同通信) 後期高齢者の保険料納付、年金天引き・振替の選択可能に |
結論を先にいえば、この二つの事象に共通するのは、根本がまちがっているということです。
財政再建の名で、府民の生活に直結する部分に大なたを入れる、府の職員の人件費に手をつける。こんな内容を橋下府知事は提案したのですが、次々に撤回しています。知事の大胆な発言に拍手を送ってきた府民がどのような態度をとるのかも興味深いものですが。
一方の後期高齢者医療制度。ご存じのとおり、反発の大きさを眼前にして、政府はその名称までもかえてしまいました。けれど、未だに長寿医療制度とよんでくれるメディアもかぎられているようで、当初のとおり後期高齢者医療制度という名が定着しているようです。この制度の性格を端的に表すのは、その名称です。ようするに、75歳以上の後期高齢者というグループを、別建ての制度にしようというところが制度の本質です。内容もまた差別的だと強い批判を浴びてきました。
名称の変更ばかりではなく、政府は、短い間にたびたび見直しをおこないました。たとえば、低所得者の負担軽減策の追加、一部の人の年金天引きを口座振替に変更できるようにするなど当面の対策を並べたのは、制度がはじまってわずか2カ月半後でした。
冒頭の記事は、この具体化の一つです。
橋下氏のいう財政再建も、後期高齢者医療制度も、本来の姿が知られるにつれて、むしろそれに反対する意見のほうが勢いを増し、どちらも記事が伝えるように修正を迫られたのです。知事の提案は、聖域はないといいながら大型開発は必要だという一方で府民に犠牲を求める点で、また政府・厚労省は、お年よりを健保や国保、扶養家族から引き離し、年齢で差別をするという点で、根本の思想が問われた結果です。度重なる見直しは、いよいよ制度を複雑なものにし、新たな矛盾をうむでしょう。
橋下府知事と政府・厚労省に共通するのは、もっとも弱い者へ犠牲を押しつけてはばからないという根本の思想です。つまり、大阪府の予算案は全面的な見直しを、そして後期高齢者医療制度は撤回するのがよかろうと私は思うのです。
(「世相を拾う」08132)
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過労死を迫る現行最低賃金
すかいらーく契約店長の過労死認定、残業月80時間超える |
この記事で思ったのは最低賃金(以下、最賃)のことだ。
つまり、現行最賃では過労死ラインを遙かに超える労働でなければ年収200万円を超えることができない。つまり、今の最賃法は、すでにワーキングプアの存在を制度的に前提にしている。
ところで、最近、増税案の一つとしてさかんに喧伝されているたばこ一箱1000円とする考え方がある。片方で、これだけ非正規雇用のウエイトが現実に高まっている今日、そのベースをいかに高めていくのか、この論点が労働者にとって避けることのできない課題となっている。
たばこ一箱より最賃時給が下回るという、これまでの感覚では考えられない事態が今後、可能性としてはもちあがるわけだ。最賃がたばこの値段より低くてよいのか。単純にそう思う。
統計によれば高卒初任給の最低水準は、時給換算で755円。一方、現行最賃の平均は687円。
この6月、最低賃金の5年間の引き上げ目標について、生活保護基準を下回らないこととともに小規模事業所の高卒初任給の最も低位の水準をめざすことで、政府と労使代表でつくる「成長力底上げ戦略推進円卓会議」が合意した。しかし、課題は厳然としてあって、この内容が実施されたとしても、労働界が一致する「時給1000円」や、生活保護基準を下回らないとした改正最賃法(7月1日施行)を十分満たしたものとはいえないことだ。
しかしながら、一歩前進であるのは異論がないだろう。今回の合意は、従来にない引き上げにつながる可能性をはらんでいて、実行に移させる努力が今後、必要になる。合意内容をそのままあてはめると、68円のアップになる。
現行の最賃がどのようなレベルなのか。考えてみると、仮に755円になった場合でも、月額13万円程度にしかならない。労働側が求める「時給1000円」(年収200万円)以上を得るには、過労死ラインを上回る長時間労働が必要となるのだ。
昨年11月に成立した改定最賃法は、生活保護基準を下回ってはならないとした。つまり、「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」(第9条3項)と明記したのだ。
この一文からもはっきりするが、生活保護を後退させずむしろ充実させていく方向と、労働者の生計を守る課題は一致しなければならない。生活保護が切り捨てられるとき、たちまち社会保障や賃金にそれが跳ね返るということだ。
その意味でも、労働界が一致している最低賃金1000円という一線は早期にクリアしないといけない。
冒頭の記事の犠牲者は、過労死ラインを超えていた。家族によれば、死の直前3カ月は月200時間を超えていたという。超えてはいけないはずの過労死ラインだが、超えなければならない現実が日本にはある。打開すべき火急のテーマではないか。
(「世相を拾う」080131)
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日本に住んで幸福なの?
一つの調査結果が教えるのは、日本では幸せだと感じている人が決して多くはないという事実でしょう。調査が、記事にあるような四者択一ですから、とても抽象的な質問であるのははっきりしているわけです。
しかし、日本で回答した人の多くは、現在の生活をよしとせず、できるのなら違った生き方を望んでいるということが推測されます。
幸せかどうかは、無論個人の価値観に大きく影響されるでしょう。裕福なことが即、幸福だとうけとる人もいるでしょうし、あるいは生活の隅々にまで思うようにならないことを不幸だと感じる人がいることもまた否定しがたい。
幸福度43位ということは、総じて、日本では少なからぬ人びとが思うようにならない生活を強いられているということの反映だと思えます。少なくとも他国との比較で、42の国々よりは、むしろそのように考える人が多かったということにちがいはないでしょう。
この調査を少し分析的にみた調査があります。そのことについて、以前にふれたことがあります。
日本の子どもは「孤独」、誰がこうしたのか |
それは、ユニセフ・イノチェンティ研究所の調査でした。
調査によれば、
国連児童基金(ユニセフ)は14日、先進国に住む子どもたちの「幸福度」に関する調査報告を発表した。それによると、子どもの意識をまとめた項目で、「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の割合は、経済協力開発機構(OECD)加盟25か国29・8%と、ずば抜けて高かった。日本に続くのはアイスランド(10・3%)とポーランド(8・4%)だった。 また、「向上心」の指標として掲げた、「30歳になった時、どんな仕事についていると思いますか」との質問に対しては、「非熟練労働への従事」と答えた日本の15歳の割合は、25か国中最高の50・3%に達した。 |
ここに如実に格差社会の映し出した姿があると指摘したのですが、子どもにこのようにとtらえさせる日本の現実はやはり、子どもでなくでも同様であって、今回の結果につながっているのでしょう。
2000万円の年間所得を得ている人でも不幸だと思う人もしるかもしれません。逆に、300万円の所得しかない人であっても、現在の生活を決して不幸だととらえない人もいるのでしょう。
今回の調査結果は、総体として現在の生活のありようを肯定的にとらえる人が多くはないということですが、ではそれを変えたいと思っているか否かを報道のかぎりでは明らかではありません。
不幸だと思っていても、事態を変えようという積極性をそのままそれが示すものではありません。
けれど、問題はむしろその点であって、現状をかえようという強い意思が明瞭になって、あわよくば路線になることを個人的には望むわけですが。
(「世相を拾う」08130)
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日本の「幸福度」43位 米研究組織の世界調査
国民の幸福度、世界一はデンマーク=米調査
世界一幸せな国は? 世界97カ国・地域の幸福度調査
ヒゲで人を評価するか。。
「ひげ」で人事評価マイナスは人権侵害、弁護士会が勧告 ひげを理由に人事評価をマイナスにしたのは人権侵害として、大阪弁護士会は15日、日本郵政グループの「郵便事業会社」(日本郵便)に、不利益な取り扱いをやめるよう勧告した。 同会によると、日本郵便は、日本郵政公社だった2005年以降、接客マナーのレベルをランク付けする制度を導入し、ひげを生やすことは評価の対象外とされた。 申し立てていたのは同社生野支店(旧生野郵便局)職員の中村昇さん(55)。中村さんは1989年から勤務し、90年から口ひげをたくわえている。荷物引き取りなどの仕事をしていたが、最低ランク以下の評価で「身だしなみ改善に取り組んでほしい」とされた。 同会は、<1>無精ひげではなく手入れされている<2>顧客の苦情もない――などの事実から、「評価が低いと、昇給などで不利益を受ける」として改善を求めた。(2008年7月15日21時41分 読売新聞) |
おそらく日本的事象とでもいうのでしょうかね。
西欧では、少なくともヒゲ派は社会的地位を築いています。
偉人といわれる人物の写真、肖像画をみれば一目瞭然です。レオナルド・ダ・ヴィンチ、マルクスしかり、マックス・ウェーバーもまた同じ。はたまたアドルフ・ヒトラーもヒゲ派ですね。
私の好みからいえば、ジェイムズ・ジョイス。これもヒゲ派ですね。
このように、西欧では、ヒゲ派は受容されることはあっても、排斥されるようなことはなかったように思えます。
では、日本は西洋とはちがった、特殊な環境にあったのか。
そうではもちろんありません。歴史上の人物として我われが知る人のなかにヒゲをたくわえた人はけっして少なくないのです。聖徳太子だけではなく、伊藤博文もそうでしょう。
ですから、我われの社会はヒゲ派を現実に受容してきたのです。
わたくしの友人は最近、ヒゲをたくわえはじめました。
ヒゲのなかった人物がヒゲをたくわえる過程ほど、何ともおかしくて、どことなく不自然さを感じてしまうものもないのかもしれません。当の本人もまた、他者からどのように受け止めてもらえるのか、分からないままに、ある意味で未知の世界に挑戦している気分なのかもしれません。
似合う、似合わないの2つの別れ道は、本人には決して解くことのできない問題です。それを決めるのは、他者なのですから。それでも、あえていえば、ヒゲをたくわえるのは、似合おうが、そうでなかろうが、本人が決めればよい、ただそれだけのことです。
この友人は、冗談でしょうが、申し訳なさそうに、蓄えるものが他にないからと言い訳まがいの言葉を用意して、のばしはじめたのです。
この友人の言葉を聞いてのち、ヒゲをのばすのは、記事中の本人は定かではありませんが、ヒゲがなければ欠けるものがある、あればそれが満たされるという感覚でもって、のばしはじめるものではないか、と思う様になりました。その欠けるものが何かは本人が決めることであって、そこに他人の介入を許しません。
その意味で、日本郵政グループの判断はいかにも本人の内面まで知り尽くしたかのようにふるまう点で欺瞞であって、しかも、今度は自らの先入見を他者に押し付けるという傲慢な態度でもあるのではないでしょうか。
郷に入っては郷にしたがえという言葉があるくらい、日本は和を尊ぶ国だといわれています。
私もずっと以前からノーネクタイで頑張っていますが、ネクタイをつけていないことで、社会から排除された気分になるような同僚もいます。蒸し暑い日本の夏にネクタイが物理的にも理屈にあわないのは誰でも知っていることでしょうが、つけることが暗黙の了解事項になっている。ようやくクールビズなどといって、一面では消費社会の売り込みらしく政府が旗をふって、どうにか功を奏したかのようで、ノーネクタイがずいぶん広がっていますね。
この記事で最悪なのは、それを人事評価に結びつけていることです。個人の領域に属する風貌や容姿の問題を、企業の人事評価に結合させる時代錯誤でしょう。風貌、容姿で人をみる風潮の典型がここにある。
人権を守る立場の弁護士会の勧告は、しごく当たり前のことではないでしょうか。
(「世相を拾う」08129)
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貧しい者はさらに貧しく- 消費税の累進性
消費税が導入されたのは1989年。
バブル景気の真っ盛りだった。
貧困と格差を、どんな立場の人であろうと少なからず感じ取れるような今日では、庶民の給与や年金の目減りというものの一つひとつに頓着せざるをえないというのが実感だろう。
そして、最近では、原油価格の高騰の結果、全国の漁船20万隻がいっせいに休漁するという、歴史的な出来事がついに日本国で起きる事態にいたっている。日本も捨てたものではない。このかぎりでは、燃油高は、地球規模で襲いかかったが、それにたいする怒りも国際的規模で広がったことを示している。
さまざまな負担増、物価高に耐えるところまで耐えてはきたが、その緊張した糸がぷつんと切れて、耐えられないという思いが、たとえばいっせい休漁という大デモンストレーションにつながっている。
こんな現状だから、社会保障の財源をだしにして増税を図ろうとする勢力にとっては、少なくとも立ち止まらざるをえない事態だといえる。ストレートな消費税増税ではなくて、たとえばたばこ税などのように他に財源を求める所説が浮上する。あるいは、あまりにも消費税のしくみが不公平であるために所得税の累進性を高めることを抱き合わせに提案する議論もでてきた。
けれど、消費税増税こそ本命である。
そうであるのなら、消費税の負担はどれほどのものか、どんな影響を与えるのか、あらためて考えてみてよい。
消費税が導入されたのはバブル景気のただなかであったと先にのべたが、だとすると、負担増、物価高に加えて、当初の3%から5%に引き上げられてきた消費税負担は、その時期にくらべると重くのしかかっているといえるだろう。
消費税は、生活保護受給世帯にももちろんのしかかる。
夫婦・子ども2人の世帯では、生活扶助基準額は年240万円程度(東京23区)だから、単純に5%をかけると消費税額は12万円になる。生活保護を取り巻く状況は、老齢加算や母子加算の削減・廃止にみられるようにますます厳しさをまし、基準が引き下げられている。つまり、社会保障費の自然増1兆1000億円を削減しようという政府の方針の、ねらいうちにあっているのが生活保護だ。
だからこそ、生活保護受給者たちは、もう50年も前にはじまった「朝日訴訟」の精神を引き継いだ生存権裁判に臨む決意をしたわけである。文字どおり生存権が侵されている。
公平とは何かを問うべきではないか。
所得の多い人は多く、少ない人は少なくという考え方に加えて、生きていくための生活費には課税しないということを原則にしなければいけないのではないか。この意味では、セーフティネットたる生活保護世帯が消費税を負担している現実はどうか。
湯浅誠は、消費税は国家的な貧困ビジネスだと喝破したが、つまりこれは、貧困状態にある人をなおいっそう深刻な貧困に陥れていくしくみであることを指している。それは、先の生活保護世帯の簡単な事例でも明らかだろう。生活保護を最低限度の生活費であるとすれば、生活扶助費のうち5%の消費税を支払うのは、すでに最低限度を下回っていることを示している。生存できる臨界点を負担が超えているということだ。
消費税をアップすれば、逆進性はさらに大きくなる(参照)。
貧困領域にある人ほど、重い負担の消費税増税はなんとしても避けるべきだろう。
人間として大事にされる社会を望む人なら、消費税増税にノンと叫ばざるをえない。
とるべきところが温存されているから、なおさらそうである(参照)。
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理想と現実の話― オリンピックの場合
オリンピックの理想を打ち砕いた国家間のメダル競争 |
上記で、選手を結果的につぶすことになるオリンピックのメダル争いについて、谷口源太郎さんが批判されています。
本日の別エントリーで、オリンピックの商業主義の一面と反面での労働者への犠牲転嫁の一端にふれました。オリンピックはテレビの普及とともに世界に広く放映されるようになって、商業主義的な側面が著しく強調されてきたように思えます。
同時に、オリンピックはつねに政治的に利用されてきた歴史でもあります。北京オリンピックにしても、中国が自国の国際的影響力を強めようという意思が働いているいるのは自明のことですし、オリンピックを一大国家事業として成功させることによって、格差の広がりなど国内不安を鎮め、政情を安定化させようとする思惑もまた存在するでしょう。
話を戻すと、寺山修司の言葉を引用して谷口さんはその政治利用に警鐘を鳴らしています。そして、JOC・日本オリンピック委員会のメダル至上主義を厳しく指摘しています。
以前に、オインピック招致反対の運動にかかわった折、谷口さんを講演をお願いしたことがあります。氏とはその時にはじめてお会いし、その後もお会いしたり、電話するようになりました。
集会の折、講演でも、その後の酒の席でも、オリンピックのこんな歴史をしっかりつかみ、今日のオリンピックがいかにゆがめられているか、それをとらえるべきだと強く訴えられていましたが、この文章にはあらためてその立場が記されています。
理想とは、しだいに乖離していくオリンピック。
オリンピックに群がる思惑に、スピード社水着問題に象徴的なように、選手たちは翻弄されているのが現実です。
(「世相を拾う」08128)
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本質を射抜け
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