森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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官製ワーキングプアが増えているんだって。
総選挙をめぐる話題から離れて、こんなニュースが伝えられています(参照)。
官製ワーキングプアという言葉が世に出て、熟してきたようです。もちろん狭義には、記事にあるような公務労働の場で、臨時雇いや非典型の、しかも年収が生保水準にも満たない労働者をさすのでしょうが。
いわゆる三位一体のカイカクの名のもとで、自治体の経営管理がことあるごとに取りざたされ、その結果、安上がりの労働者の配置が急速にひろがっていることを記事は伝えています。
概念を広げすぎてもいけないのでしょうが、元来、ワーキングプアは、たとえば低すぎる最低賃金による束縛、労働者派遣法にみられるような、使い捨てを強いるような環境によってもたらされると考えれば、そもそも官製につくり出された面をもっているのではないか。しかも、そんな官製の政策を強いてきたのが、ほかならぬ財界・大企業ではなかったか。
端的にいえば、生活保護基準と最低賃金の関係と現状の両者の不整合を一例にあげることができます。
2週間ほど前の「毎日」の社説です。
前進はしたが、まだまだ物足りない。08年度地域別最低賃金のことだ。都道府県ごとの地方最低賃金審議会の答申額が出そろった。
労働者の生活を保障する最低賃金の改定が今回、例年に増して注目されたのは改正最低賃金法が7月に施行されてから初めての審議だったためだ。改正法は額の算定に当たり「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護との整合性に配慮する」との条文を盛り込んだ。 働いても貧困から抜け出せないワーキングプアを解消する策の一つとして、最低賃金が生活保護費を上回る水準にしようというのが、改正法の趣旨である。 結果はどうだったか。時給の全国平均は07年度より16円引き上げられ、703円と初めて700円台に乗った。特に生活保護費よりも最低賃金が下回っているとされる12都道府県については、その開きを一定の期間内に埋めていくとの目標も設定された。 小規模事業所の賃金改定状況を参考に前年度より1~5円程度のわずかな引き上げで推移した従来のやり方に比べ、各地の引き上げ水準を明確に設定する今回の手法は、大幅引き上げを実現した点で評価できる。 しかし、比較する生活保護費の水準設定には問題がある。生活保護費は市町村を6区分し、県庁所在地などの都市部の方が地方よりも高く設定されているが、比較で用いたのは都道府県ごとの平均額だった。これでは、県庁所在地で働く人の最低賃金がそこの生活保護費を下回るケースが出てきてしまう。 生活保護の住宅扶助も、平均額が比較算定に使われた。東京の場合、その額は月3万5187円。しかし、労働者が東京で3万円台の安い民間の物件に住むことは困難だ。住宅扶助は自治体によって特別基準額が定められ、東京の特別基準額上限は月5万3700円。生活保護で低額の公営住宅を提供される人の支給額は下がるため、平均額も下がる。比較では特別基準額を用いるべきではないか。 比較する生活保護水準をまるでトリックのように低い数字ばかり使うのであれば、引き上げるべき最低賃金も不当に抑え込まれてしまう。最低限度の生活を保障するという改正法の趣旨がゆがめられかねない。生活保護との整合性はまだ不十分と言わざるを得ない。来年度以降の審議で、水準のあり方を改めて検討してもらいたい。 パートや派遣など非正規労働者の増大でワーキングプアが広がる中、最低賃金が果たす役割はますます重みを増している。今回の703円も、1日8時間・週5日働いて年収は150万円に満たず、貧困の解消には遠く及ばない。 厳しい経営環境に直面する中小企業の活性化策などに、政府も積極的に取り組まなければならない。 |
小泉改革の残した傷跡が日本の社会のあちこちに露呈し、貧困と格差が日本を覆い尽くしています。最低賃金の改定はなおさら急務といえる。この社説は、妥当な着眼だと私は思います。
さて、国連の一般討論演説、そして所信表明演説で際立ったのは、麻生首相の民主党への挑戦的姿勢という形をとっていますが、そこで強調されたのは、保守イデオロギーではなかったでしょうか。集団的自衛権行使をうたうべく憲法解釈を変えるとか、日米同盟と国連の関係をあえてとりあげてみたり、インド洋での補給活動の継続を強調したのは、当面の主導権を争う相手である民主党に揺さぶりをかける意味をもつのでしょう。民主党は逆に、麻生氏がとりあげた「争点」で党内に一致できない現状があることを示しています。
所信表明演説は、首相のいわば特権で大きく構想を語るのが常なのでしょうが、慣例を破って、当面の相手に白羽の矢をあて、局面を自らの有利に導こうとするものにほかなりません。保守層のなかに、民主になびきかねない旧来の自民支持者を回帰させようとするものといえるのかもしれません。
こんな同じ器のなかでのこうした主導権争いより、最低賃金の改定、生活保護水準の改善がいまの日本社会に求められているのはいうまでもないことなのですが。
(「世相を拾う」08191)
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麻生所信表明演説を戯画化してみると。
私は選挙が近いか否かに限らず、自民党への批判はともかく、民主党の欺瞞を問題視してきました。欺瞞とは、あたかも庶民の気持ちに寄り添うかのように振舞いながら、結局は、いまの保守政治に決定的なダメージを与えるわけでもなく、むしろしまいにはそれを補完するような役割を果たしている、それしか果たしえないのではないかという疑念を十分抱かせるに足る、そんな民主党の言動で、それが気になってしかたないのです。
こんな角度から民主党の動向をながめると、あまりにもつっこみどころがありすぎる。あえていっておけば、私は民主党が仮に政権についたとしても、いまの自民党の政治から180度、転換する可能性は皆無に近いと予測するのです。予測以上のものではむろんありませんが、少なくとも180度変わるという確証を今の時期に断言できる人はほとんどいないといってよいでしょう。
なぜか。
それは、一つだけあげれば、昨日のエントリーで示したように、集団的自衛権に対する態度にも表れている。民主党は、この課題で党の統一見解を表明することは、おそらく今の段階では不可能でしょう。議論すればするほど、亀裂は深まる。議論しないに尽きるわけです。他の課題でもしかり。
つまり、この政党は、政党としての性格規定が元来ない。ここに尽きる。気が早い人は、民主党は社会民主主義的政策をかかげたといってのける人もいるようですが。どこにその痕跡がみられるというのでしょうか。
先のエントリーで渡辺治氏をとりあげましたが、氏はつぎのように指摘しています。
5人の候補に加え、民主党の小沢代表には、どんな形でも政権を取ったら米国に対する国際協力はきちんとやらなければならないという点では一致しています。改憲まで突っ走るか、新テロ対策法止まりか、恒久法までいくのかという違いだけです。手直しは必要でも、とにかく消費税も取らない、構造改革もやめるという人はいません。 |
渡辺氏の指摘にそっていえば、自民、民主の両党の間に線引きをするものを探し出そうと思っても事実上、困難なのです。
しかし、こういえば、民主党のいう「政権交代」以外に局面打開の道はないと考える民主党支持派―あえてこう呼んでおきますが―は、決まって足を引っ張るなという。都知事選のときもそうでした。結局、選択肢は、ときの「権力」に対抗しうるのは、すでに形づくられている次席の、つまり二番手の政党、勢力以外にはありえず、それに逆らうのは、「敵」を利する行為だという、簡潔にいえば、こういう論理でした。
この論理の醜悪さは、本質的に少数派を排除するというところです。別のことばでいえば、この「思想」こそ二大政党制にどっぷりとつかったものだともえいるのではないか。お互いが敵とみなしているのかどうかさえ明らかでないのに。むしろ、いまの民主党誕生の経過をつぶさにみてみると、両党の関係を利害が反する敵対関係だとは判断できないといってよい。自民、民主という両党を区分できるものは基本的にはないと私は考えます。
麻生氏は本日、所信表明をおこないました。民主党への逆質問が話題をさらっているようです。
でも、上のような理解にたてば、同じ器の上での主導権争い以上のものではない、と思えます。渡辺氏が的確に指摘するように、表向きは政権をがっつり争っているように思えるのですが、民主党という政党を自民党の一つの「派閥」に見立てると存外、私たちの視野が広がるかもしれません。
しかも、この民主党という一つの「派閥」はその中にいくつもの潮流を併合するゆるやかなものだと仮定すると。
こうみてみると、国連での演説もまた、主導権をどのようにたぐりよせるのか、政党再編をもねらった発言と見ることも可能でしょう。
麻生所信表明演説は、そんな戯画化の極まるところを余すところなく示したもの、こう思うのです。
(「世相を拾う」08190)
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麻生「集団的自衛権容認」発言に民主党は反対しないのか
麻生首相は25日夜(日本時間26日午前)、国連総会での演説後、記者団に対し、集団的自衛権の行使について「基本的には(憲法の)解釈を変えるべきものだと、これまでずっと同じことを言っている」と語った。憲法の解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認できるようにすべきだとの持論を説明したものだ。
ただ、首相は「集団的自衛権の解釈を今すぐ直ちに変える必要はないと思う」とも述べ、当面は政府見解を変更しない方針も示した。 集団的自衛権の行使をめぐっては、安倍元首相が置いた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)が憲法解釈の変更を福田前内閣に求めたが、棚上げされていた。衆院選の結果次第で、再び焦点となる可能性もある。 |
一方の民主党は、これをどうみているのか。
以下の記事によれば、その態度はなんとも歯切れの悪いものです。
民主党の鳩山由紀夫幹事長は26日午後の記者会見で、麻生太郎首相が集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を変更すべきだと述べたことについて、「河村建夫官房長官は『解釈は慎重にすべきだ』と言っている。首相と官房長官の閣内不一致を正してほしい」と語り、政府の統一見解を示すよう求めた。 一方で、集団的自衛権に関する民主党の見解については「政府が一つの意見にまとめ上げた時にしっかり申し上げたい」と述べるにとどめた。 |
一国の首相が、憲法解釈をあらためると公言しているのですから、それだけで十分、追及するに値するはず。与党の見解が一致していようといまいと、憲法解釈見直しが無視できないものであるのなら、たたかえばよいだけのこと。鳩山氏のコメントは自らの見解を先送りする、あいまいなものといわざるをえません。
民主党の不可解な態度は、集団的自衛権行使に反対とはいえない民主党の事情があるからにほかなりません。この安全保障・防衛、消費税をふくむ税制など個別政策では全党一致できないからです。なので、先の代表選も何人もの候補者が取りざたされましたが、代表選をやれば政策を論じざるをえず、不一致が鮮明になるだけで、結局、選挙をしなかった。まあ極論すれば、「政権交代」のみで一致する政党ともいえるでしょう。
そして自民党、民主党両党の関係は、以下の事実をもってすれば、溶解しかかっているといってよいでしょう。
先の記事に引用されている人物では、河村建夫氏は、「せんたく」議連の共同代表の一人。もう一人は、民主党の野田佳彦氏で、岡田克也、前原誠司両副代表の名もあるくらいです。同議運は、財界とともに二大政党制の確立をめざそうというものですからね。
また、鳩山由紀夫氏自身が中曽根弘文外相と鳩山邦夫総務相らとともに改憲議員同盟に名を連ね、顧問ではありませんか。前原氏は副会長を務めています。
このようにすでに両党の間に垣根はなく、個別課題では溶解しているといってよいでしょう。
ですから、自民党にほんとうに対決する気であれば、鳩山氏がすぐにとびついて反対してもよさそうなのに、そうできないはずです。
こうしてキーボードをたたいている間にも、自民党と民主党のテレビコマーシャルが流れています。あたかもがっちりと対決するかのように。
しかし、私には以上の事実をみても、虚構の対決にしか見えない。いまの自民党の政治をかえたいという国民の願いに、実は自民党と溶け合いかけている民主党がこたえられるのでしょうか。
たとえば、「政府が一つの意見にまとめ上げた時にしっかり申し上げたい」という鳩山氏の言葉は、その可能性のなさを示しているようにしか私の目には映らないのです。
(「世相を拾う」08189)
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消費税増税をあいまいにできない。。
社会保障費を口実に、消費税増税の世論をつくりあげようとしてきたのが、これまでの自民党政権であった。
日本では、1978年に当時の大平内閣が消費税導入を提案したものの、選挙で大敗し撤回して以来、ことあるごとに消費税導入が打ち上げられてきた。そして、ついに1988年、竹下内閣のとき、はじめて日本に消費税が導入され、翌年の4月から税率3%で実施され、地方消費税とあわせて5%で今日に至っている。この間、非自民政権であった細川内閣も、社会党村山内閣も消費税増税をもちだしてきたことを私たちは記憶にとどめておいてよいだろう。
消費税がこのように、再三もちだされるのは、この税の課税が広い意味での消費という行為にかかわっているからである。あたかも打ち出の小槌のように税がとれる。大衆課税といわれるゆえんでもある。消費にかかわるのだから、日常の生活に不可欠なものに課税される以上、低所得者ほど収入に占める税負担の割合が高くなるのは、だれでも分かることだ。
総裁選のなかで麻生氏や与謝野氏が消費税増税にふれ、それ以外の候補者だれもが反対の意思を表明しなかった。今の政権につく自民党が消費税を増税するには、上にのべた経過でも明らかなように、民主党の同意を不可欠の要素とする。民主党は、政権交代を訴えていて、選挙前に増税賛成を表明しようものなら、世間の反発は必至なので、増税やむなしという態度表明を封印している。けれど、藤井最高顧問が再三、消費税に言及してきたように、同党は少なくとも消費税反対の立場はとっていない。
これもまた、総選挙後の展開のなかで、状況によっては一部で伝えられるような政党再編とともに消費税増税の議論が浮上する可能性は大きい。
当ブログは、税をどのように、どこからとるのか、この点が各政党の立脚点を如実に示すものだと指摘してきた。
だから、財界・大企業の意向に忠実な自民党は、大衆的な税収奪を強化する一方、企業減税に血道をあげてきたのだ。
もう2週間ほど経つが、消費税増税の動きについて、医師の細田悟さんが医療・介護の完全非課税化を訴えている(朝日新聞「私の視点」08・09・11)。
氏の意見はもっともなもの。その主張は、医療機関が消費税を負担するしくみの盲点を衝いている。あえて医療サービスを受ける患者さんといういいかたをすれば、患者さんはサービスの提供を受けるにあたって、保険診療であるかぎり現在は消費税はかからない。一方、その保険診療を構成する医療機関側の消費、つまり薬や材料、医療機器には消費税が課税され、医療機関は相当する消費税を支払わなくてはならない。医療機関が、これらの最終消費者になるからだ。医療の世界にも、大企業は深くかかわっていて、薬や医療機器などを製造する企業は仕入れにかかる消費税を結果的に最終消費者たる、医療機関に転嫁でき、自らは消費税を支払うことはないのだ。逆にいえば、この消費税の徴税のしくみは、大企業・財界にとってまことに旨みのあるものだといえよう。自分は支払う必要のないものだから。
細田さんの眼は、この医療という世界での消費税徴税の理不尽さを訴えるだけでなく、税のとりかたにまで及び、対案を示している。
氏の指摘は、つぎのとおりだ。
どうすればよいのか。日本には完全非課税となっている業界が一つだけある。輸出業界である。輸出業界はゼロ税率が適用され、仕入れにかかった消費税は全額還付を受けている。立正大法学部の浦野広明教授によれば、06年度のトヨタ自動車の還付税額は2859億円であった。ここに財源がある。 |
医療など社会保障や教育を社会的インフラとしてとらえ、セーフティネットだと理解する立場ならば、それを完全非課税にする、その実現をめざすべきだというのだ。至言である。
いまの消費税の抱える理不尽さをただしこそすれ、増税は御免こうむりたい。
税をどこから、どのようにとるのか、あいまいにしてはならない。総選挙を前に、消費税にどんな態度をとるのか、しっかり見定めたい。
(「世相を拾う」08188)
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小泉改革からの反転 - 財界・大企業の無法をただせ
今の日本の息苦しさをつくり出した要因に小泉カイカクという新自由主義施策があったと考える私にとっては、以下の理由から一つの終わりといえなくはない。
けれど、終わりははじまりであって、総選挙の結果しだいでその方向づけは大きく変わるでしょう。
およそ2カ月前に、こう書きました。
思うのは、戦後自民党政治が今、さまざまな面で国民の間との軋轢をうみだしているということです。 後期高齢者医療制度で、政府が制度発足まもなくして修正に修正を重ねていることにたいして言及してきました。たとえば、この後期高齢者医療制度にみられる再三の軌道修正は、五十嵐仁氏が指摘されている政策的破綻を端的に示すものでしょう(参照)。 氏はその上に、組織的瓦解が始まっていると見立てておられるわけですが、そうだとすれば、まさに自民党は末期的症状を呈しているということになる。自民党の政治はもういやだと考えている人にとってはこの上ない好機であると。こう誰もが考えるでしょう。 それならば民主党へ政権を、こう考えるのが、まさに二大政党制といわれる政治体制を志向してきた連中の思惑でもあったわけです。自民党がダメになっても民主党が引き継ぐという構図こそが想定されてきた。その条件は、旧来の自民党がすすめてきた政治と本質的に異なってはいけない。例を一つ引けば、自民党政治とは、税金のつかいみちに端的に表れているように、大企業・財界中心の政治でした。冒頭にふれたように日米の関係を他に優先させる政治だといえるでしょう。 この自民党政治の、大企業・財界、米国偏重の政治のゆがみは、ここ10年ばかりの小泉構造改革のなかで、さらに強調されてきたのではないでしょうか。 この点で、東京新聞が2日つづけて社説で貧困と雇用問題に言及しました。遠い昔の『蟹工船』の世界が今日の日本、自らの生活に置き換えられ、重ね合わせられ読者の共感をよんでいるのは何とも皮肉なものですが、社説は、貧困と雇用環境の目にみえる改善が火急の課題だと指摘しているのです。 貧困と雇用問題を、自民党政治から反転させることは、いまの政治の中心課題の一つと私には思えます。いうまでもなく自民党と同じ枠組みの政党ではそれを可能にしえません。 新党結成の意向が伝えられたり、与党のなかでも、民主党のなかでも、内閣改造や次期衆院選、党首選などをめぐってさや当てがはじまりまっていることが報じられています。 |
この記事が伝えるように、2009年問題が迫っています。2009年問題が問題としてあるのは、労働者派遣法の規制緩和による貧困と格差が深刻な問題となって以来の反発の大きさを反映しているからです。財界・大企業は無法のかぎりを尽くしてきたのです。
その意味では、政党選択の基準は明確で、財界・大企業にものいえる政党でなければならない。
小泉カイカクがこれだけ深刻な社会の亀裂をもたらしているのに、小泉の去就の一つひとつがいまでも取りざたされる日本からの反転、このための機会に総選挙をしなくてはなりません。
(「世相を拾う」08187)
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【関連エントリー】
民主党は蟹工船をどこに着けるのか。
「朝日」は、民主党の思いを代弁するのか。。
その理由は、以下の社説の主張にある。
単刀直入に、自公に固執するのか、なぜか、と問うているのだ。
政権を渡すか、渡さないのか、それはもちろん現在、権力の座につく自民党にとって横に置くわけいかない重要な問題だ。
自民にとって、単独政権に勝るものはまずないはずだが、長期低落傾向を免れえず、自公連立政権が今日まで続いている。当ブログでいう自民党政治のほころびがさまざまな面で噴出している現在、実は、自民党と手を組んでいる公明党も、将来にわたっての態度決定が迫られているといえる。自民とこのまま手を組み続けるのか否か、公明党の思案のしどころだといえる。
だから、福田首相の辞任表明は、公明党自身のこの観点からの自民党への揺さぶりが反映したものだといってよい。ゆきづまりの自民党と一緒に地獄に落ちるのは御免こうむりたい、こんな思いの一端が公明党には率直にあって、その同党の思惑が福田辞任をもたらす一因にもなったといえる。
朝日の社説の主張は、このようにある面では揺らぐ公明党へのけん制だと私は受け取る。
持ちつ持たれつの現状を考えると、自公体制を変える理由はない。これが党内の大勢の意見である。だが、それでは視野が狭すぎないか。
民主党が力をつけ、2大政党が政権選択う総選挙が迫る。この20年ほどの政治改革の流れがようやく形になろうとしている。「清潔な政治」をうたう公明党もこの流れをつくるために努力してきたのではなかったか。 自民党との連立で総選挙に臨む公明党には、次の問いに答える責任がある。自民党長期政権のもとで、政官業の癒着が進み、膨大な行財政のムダが積もってきた。今のままの連立でそれを排することができるのか。 |
社説の主張は、きわめてストレートな表白だとはといえないか。分かりやすくいえば自民党と手を切れと迫っているということである。
自民党の前回衆院選からの議席数後退は必至といわれる予測が横行するなかで、朝日の主張は、その想定に勢いを借りたものだといえよう。
裏を返せば、しかし、「政権交代」をもくろむ民主党は早晩、だれと手を組むのかという命題への対応を迫られることになる。そこから逃れることはできない。
その際、昨日エントリーで引用した渡辺治氏のコメントが的確に指摘するように、民主党にとって、公明党はベターなパートナーとなりうるのだ。
最近の鳩山由紀夫氏の言動をいま一度ふりかえってもらいたい。
朝日社説の立場は、こんな解釈からすれば、明らかに民主党の思いを代弁するものとみてまちがいはない。こう断言できる。
(「世相を拾う」08186)
麻生・御手洗・小沢・橋下の「意外な共通点」
では、この新しい自民党の党首をどのようにみているのでしょうか。
経団連のホームページには、ごく簡単な見解が公開されています。
5人の候補者がそれぞれ政権構想を示し、オープンに突っ込んだ議論を交わした総裁選だった。今後は麻生新総裁の下、挙党体制で現在の難局に臨んでほしい。
今、国民が求めているのは、足下の景気の立て直しとともに、諸制度を大胆に見直し閉塞感を一掃することである。麻生新総裁には、信念を持って、税・財政・社会保障制度の一体改革などに正面から取り組み、進むべき道筋を示していただきたい。これによって、国民の理解と支持が高まっていくと思う。 |
見解の核心は、
税・財政・社会保障制度の一体改革などに正面から取り組み、進むべき道筋を示していただきたい |
というところにあります。
つまり、麻生氏は、昨日のエントリーでものべたように、この財界の要求から逃れることはできません。結局、増税と社会保障抑制だから、要求にこたえるかぎり、国民との矛盾はいっそう深まることになるでしょう。
総裁選の最中に、御手洗富士夫経団連会長が「日本経済の現状と課題」と題して講演しています。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/20080917.html
同氏は今後の課題に4つの点をあげています。そのなかに、税・財政・社会保障の一体改革がもちろん位置づけられています。
肝心の改革の後の明るい将来像が描けないまま今日に至ってしまっているのではないでしょうか。特に、骨太方針は本来、歳出、歳入、成長をセットで改革するものであったはずが、歳入面での改革が遅れておりますし、また、原材料価格の急騰という、当時予想されなかった市場の激変などによって成長戦略にも大きなブレーキがかかっております。ここに来て、歳出のカットが半ば自己目的化して、セーフティーネットでさえ綻びが目立つという事態に陥っており、国も地方も、疲弊が目立っております。 そこで、今一度、今後の改革を一体的に展望し直す必要が出てきています。 すなわち、歳出の中で最大のウエイトを占め、国民生活の安心を支えるために最も重要な社会保障制度と、これを持続可能にするための歳入面の改革、すなわち税制抜本改革、そして、それらと並行して、先進国最悪の財政状況を少しずつ改善していくという、3つの改革を一体的に考え直すことが急務となっています。 |
引用部分の冒頭の「改革」とは小泉の構造改革を指しています。ですが、圧力をかけ、自ら構造改革を後押ししてきた経団連が、「歳出のカットが半ば自己目的化して、セーフティーネットでさえ綻びが目立つ」などというのはまったく無責任といわざるをえません。
詳細は、講演要旨をご覧いただきたいのですが、
世界各国では法人実効税率の引下げ競争が繰り広げられています。先進国で、実効税率が40%に取り残されているのは、昨年までは日本とアメリカとドイツでしたが、今年ついにドイツも税率引下げを断行し、30%となっております。その結果、EUの平均では28%となっておりまして、わが国でも税制抜本改革において10%程度の引下げを実現していくことが必要 |
だとして法人税減税をさらに求める一方で、消費税引き上げを臆面もなく要求しているのです(*1)。
すでに麻生氏が総裁選の中で消費税に言及し、選出されてのちに再び、口にするのは、財界の意向を受けてのことです。3年据え置き発言は、単に選挙向けのものだということだけでなく、消費税増税のためには、自公だけでやるのではなく、民主党の同意が不可欠との判断が働いているので、民主党に向けたものだといってよいでしょう。
御手洗氏は、講演の前段で、日本経済の現状にふれています。
そこで、氏は、つぎのように語るのです。
わが国経済は、足もとで停滞の度合いを強めております。 ただし、景気がこの先、底割れしてしまうとまでは考えておりません。 その理由としては、まず、雇用、設備、負債という、いわゆる「3つの過剰」は完全に解消されており、全体として筋肉質の企業体質が構築されていることがあります。すなわち、設備投資が大幅にマイナスになる可能性は低く、雇用に過剰感がないため、リストラに発展する蓋然性も高くありません。したがって、今回の景気停滞局面における調整圧力は、それほど大きくはならないと考えられます。 |
かくいう御手洗氏ですが、先の今後の課題の4つ目に道州制の実現をあげ、日本経済の停滞局面で、いっそう財界・大企業の思い通りになる構造改革を求めています。
道州制導入のねらいの一つには、単に都道府県の再編ではなく、国の仕事を外交・防衛などに限定し、地方自治を根底から破壊する改革をめざすということです。もう一つは、地方の経済・行政を「広域経済圏」として再組織し、グローバル化のなかで国際的競争力を維持・拡大できるように、企業の新規立地や投資拡大が可能となる条件をつくろうとするものです。
九州出身の御手洗氏は、講演でも九州をとりあげ道州制にむけた世論作りに熱を入れていますが、その財界戦略を、地で行くひとりが橋下大阪府知事であって、再三、道州制に言及しています。
その橋下氏は、麻生総裁誕生にあたって、こうコメントを残しました。
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080922076.html
大阪府の橋下徹知事は22日、自民党の新総裁に麻生太郎幹事長が選出されたことを受け、記者団に「僕の立場としては、地方分権をお願いするしかない」と強調、「国民の期待は大きいと思う。気さくな人柄で、正直お願いしやすいというところはある」と期待をにじませた。
麻生氏が積極的な財政出動を訴えてきた点については「国の費用で対策を打つということなので、(予算を)もらえるなら要求しないといけない」と述べた。 |
一方では、こんな発言も報じられています。
http://news.livedoor.com/article/detail/3825024/
橋下氏は17日の記者会見で、次期衆院選に関連し「今の段階では民主党のほうが地方分権に力を入れており、感銘を覚える」と述べた。民主党が国庫補助金の一括交付金化など、具体的な地方分権案を打ち出したことを評価した発言だった。 |
昨日のエントリーで、自民党政治を特徴づけるのは、財界・大企業の圧力と、盟主米国の圧力であって、麻生も、小沢もこのくびきから解放されることはない、とのべました。
この点からすると、麻生氏と経団連、そして小沢・民主党、橋下氏と一見、何の関係性も存在しないかのようにみえながら、一連の報道でみえてくるものがあります。
ようは、麻生、小沢・民主、橋下の政治的な立脚点が通底しているということです。
それはあるときには表向き対決しているかのようにみえながら。
(「世相を拾う」08185)
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*1; 「日本の税収構造を見ますと、法人所得課税と個人所得課税がそれぞれ約3割、消費課税が3割弱、そして資産課税が1割強という比率になっています。つまり、所得課税が6割を占めており、景気の変動などに対して、非常に脆弱な構造、不安定な財政基盤になっています。欧州諸国などを見ますと、大体、消費課税が約4割から5割で、所得課税の比率が低いことが特徴です。
欧州諸国が消費課税に軸足を置く税体系を目指しているのには、いくつかの理由が考えられます。
まず、消費税は、所得課税に比べて経済活動への影響が中立的であり、景気変動によって税収が大きく増減することが少なく、安定的という特徴があります。また、国民全体が広く薄く負担することから、社会保障制度といった、国のセーフティーネットなどを支えるのに、ふさわしい税目といえます。さらに、日本の将来の成長はグローバル化とともにあるわけですが、消費税は日本の利益の源泉である輸出製品に対しては、基本的にはかかりませんので、国際的なコスト競争で不利になることもありません。
ちなみに、OECD諸国で消費税率が一桁に留まっているのは、日本以外にはカナダとスイスだけであります。欧州ではECの指令で標準的な税率が15%と示されておりまして、英・独・仏では、約20%の税率となっています」。
麻生も、小沢も日本を変えることはできない。
いまの日本社会は、ひとときの猶予も許さないような現状にある国民生活、つまり家計に相当のテコ入れが必要だと私などは思っているのですが、総裁選は、メディアもふくめたお祭り騒ぎのカンジを呈しました。けれど、米国リーマン・ブラザーズの破綻は、日頃、盟主のいいなりになってきた日本国の金融政策ですから、まともに考えれば、横に置いておくことなど決してできない一大事であったはずです。ですから、たとえば与謝野氏が総裁選からの戦線離脱も辞さないと、いちおうは公言せざるをえなかった。少なからぬダメージを日本も受けることが確実視されています。そのことは、昨日のテレビ番組で、茂木金融担当相がスズメバチをもちだし、激痛を免れないことを表明したことにも表れているわけです。
さて、二大政党の党首がつづけて選出された日本。
この二人に、いまの息苦しい日本国から居心地よい日本に転換できるかどうか、そこに私は関心がある。ちょうど、それに応えるかのように、渡辺治氏が日本の政治状況を分析していました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080919/171080/ http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080922/171276/ |
結局、氏の展開するところをもってしても、麻生も、小沢も日本の転換をなしえない、こう結論づけざるをえない。
なぜそうなのか。
当ブログは、自民党政治を特徴づけるのは、財界・大企業の圧力と、盟主米国の圧力を受け続けると常々、指摘してきましたが、渡辺氏は、まさにこの点において、麻生も、小沢もこのくびきから解放されることはない、と断じているのです。
麻生氏はしょせん自民党の政治家。あの小泉でさえ、自民党をぶっ壊すといいながら、残ったのは国民へのしわ寄せ、痛みであって、日本社会の亀裂でした。壊したのはいうまでもなく国民の生活でした。麻生氏には、自民党をぶっ壊すなどと言い出す勇気はもちろんありませんし、せいぜい、やり方をかえ自民党の政治をつづけるのみでしょう。
では、政権交代をさけびつづけ、今衆院選はラストチャンスといいきる小沢氏。彼は、期待に応え、自民党政治を転換できるのでしょうか。
当ブログの読者のみなさんならばお分かりのように、この問いにたいする当ブログの見解は明確にノーです。
小沢氏はもともと保守政治家。それを変えたとは公私にわたり聞いたことはありません。ただし、民主党に彼が収まってからは、政局に敏感な彼は、民意なるものを重視するかのように、その時々で、政策的に七変化をなしてきたといえるのではないでしょうか。
このあたりについて渡辺氏はこう指摘しています。
問題は自公が過半数取れなかった場合です。民主党には2つ選択肢があって、民主党が他党と組まないと過半数を取れない場合は、公明党に手を突っ込むか、それか社民と共産を引っぱってくるか。この場合、公明に手を突っ込む方が簡単です。
ところが民主党は自民党と違って、党内では急進派か新漸進派か全く議論していません。自衛隊の海外派遣の恒久法についても議論していない。そもそも代表選をやらなかったのは、結局できなかったから。やれば衆院選を戦えないので蓋をするしかなかったのです。 いずれにしても民主党政権になれば、福田康夫政権が抱えた以上の問題を抱えます。民主党は去年の参院選で、反構造改革、反大国化の旗を掲げて支持された面があります。 いつかは旗印を変える必要があったのですが、ついに変えるチャンスは衆院選まで来なかった。もともと小沢代表は大連立を機に変えたかったのですが、民主党が言うことを聞かなかったのです。 |
氏の慧眼は本質をとらえて離しません。
少しふりかえってみると、選挙になれば、虚構の対決軸をもちだすのですから、終われば、なおいっそうの矛盾を抱え込むことになります。そのよい一例をすでに私たちは知っています。小沢氏は昨年の参院選で議席増をかちとったものの、その際のいわば国民向けの政策的展開と本来のそれとの矛盾を解消しようと、大連立を成し遂げようとしたのでした。
小沢氏は昨日、「基本政策案」なるものを披露していましたが、そこに私はいまの自民党政治を転換させようという意思も、そして具体的な政策的進化もまた、みることができませんでした。
それは、いまの自民党政治を性格づける、財界・大企業からの、さらに米国からの圧力を跳ね除けるようなことはこれまでも一切なかったからですし、これからもそれはおそらくありえないだろうと推測もするのです。
ですから、つまり渡辺氏がいうように、麻生氏をふくむ5人の候補者と小沢氏を区分するすべはない。
財界・大企業からの圧力でゆがめられている日本の社会、米国の圧力でゆがめられている日本の社会。
これをあらためようと思えば、財界・大企業からの圧力と米国の圧力に抗しうる勢力を見極めなければなりません。
こんどは、各党がどんなことをいって、どんなことをしてきたのか、どうしようとしているのか、一つひとつ見定めること、これをしっかりやることからはじめましょうよ。
(「世相を拾う」08184)
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舛添発言- おめでたい日本の政治
自分でいうのもへんな話ですが、当ブログがあれほどまでにコキおろすのはめずらしいことです。あまりにお粗末な内容でしたから、昨日はつい過激になりましたね。
まあ、自分のいっていることの意味すら理解できない人がこの世の中にいるということです。
そんな人がここにもいました。
世間からあれこれたたかれつづけてきた件の舛添厚労相です。
後期高齢者医療制度「大胆に見直す」 舛添厚労相が私案 舛添要一厚生労働相は20日午前の民放テレビ番組で、75歳以上が対象の後期高齢者医療制度について、「どんなに論理的で細密に作られていても、国民が支持しないような制度は大胆に見直すべきだ」と述べ、現行制度を廃止し、新制度創設を検討するとの私案を明らかにした。舛添氏は次期首相が確実視される自民党の麻生太郎幹事長の了解は得られていると説明したが、野党からは「実現性のない選挙対策だ」との批判が出ているほか、同制度を推進してきた与党にとっても“寝耳に水”の話で、今後の混乱が予想される。 舛添氏は、代替案の基本方針として(1)75歳以上など年齢で区分けする制度にしない(2)保険料の年金天引きを強制しない(3)若年層に過度の負担が行かないようにして世代間の反目を助長しない-を提示。具体的には、現行の「独立保険方式」と、高齢になっても従来の国民健康保険や企業の健康保険に加入し続ける「突き抜け方式」、加入者の年齢や所得に応じて各医療保険間で財政調整を行う「リスク構造調整方式」の3方式を部分的に組み合わせる制度を想定しているという。当面は現行の後期高齢者医療制度を継続し、その上で今後1年以上かけて議論し、新制度に移行したい考えだ。ただ制度変更には法改正が必要となる。 |
いえ、立場を先にいえば、後期高齢者医療制度はこの際、廃止すべきというのが当ブログの考えです。
さて、この発言について、すでに選挙目当てとか、大臣留任をねらう発言という指摘もありますが、ちがったところからながめてみたいのです。
どんなに論理的で細密に作られていても、国民が支持しないような制度は大胆に見直すべきだ |
と語ったそうです。
たしかに(同制度を)国民は支持していない。自民党の参院選後の政策的蛇行に関してすでに再三ふれてきた当ブログですが、この制度は論理的で細密に作られたとは、とてもいいがたい代物でした。そこにあえて言及しているということは、言下に氏も後期高齢者医療制度といういうものが論理的破綻を来たしていると考えたのでしょう。4月から制度はスタートしたのですが、以降、国民の反発の強さに押されて、修正に修正を重ねました。その結果、当初の「論理的整合」はその修正によって壊され、次第につじつまが合わない、内部は矛盾だらけという、無残な制度です。
この発言に与党は寝耳に水だとコメントしたという報道もあって、当然、困惑ぶりを強調するでしょうが、国民、とくに高齢者の反発は半端ではありませんでしたし、野党もこぞって制度廃止を求めて先の国会では廃止法案を提出したくらいでした。
あわせてこの10月からは、新しく年金天引きされる人びとが600万人を超えるという事態が想定されているのですから、これはもう、怒りが倍旧すると舛添氏は怖気づいたのかしら。
氏はしかし、2年前に法案を成立させ、その新制度をスタートさせた内閣の一員として発言していることの意味を考えなければいけなかった。現役の大臣の、自己否定の発言です。そんな制度をスタートさせた責任がみじんも感じられません。そこにほおかぶりした発言です。
ただ、一人の厚労相の発言だけにとどまらないのもこの日本国の政治。
尾ひれがついてきます。
「選挙対策の単なるパフォーマンス」(長妻昭政調会長代理)とのべたらしい民主党ですが、ふりかえれば、国会審議をボイコットし、共同で自らも提出した廃止法案すら審議しないという「作戦」をとったわけです。廃止法案を本気で通そうと思っていたのか、疑わしいかぎりです。
その上に、今度は都議会では自公と一緒に、後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める陳情をけったそうですから、いったいどうなっているのでしょう(参照)。
結局、日本には論理的整合という言葉はない、不要なのでしょうね。
昨日のエントリーではおめでたい所説にふれたわけですけれど、このように整合性のなさに目をつぶり、不問にできるわが日本国はやはりおめでたいというべきです。
(「世相を拾う」08183)
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【後期高齢者医療制度関連エントリー】
自民党の政策的混迷
欺瞞が自民党を助ける。
堀内光雄氏の怒り- 後期高齢者医療制度を撤回せよ。
歯切れ悪い『朝日』 -高齢者医療制度
チキンとよばれてよいのか。
おめでたい言説「貧困ビジネスで稼ぐ連中!」
さて、『Voice』誌は右か左かと問われれば私は即座に右だと答えるでしょうが、こんな論文を掲載する同誌の水準をまず疑いました。
貧困ビジネスで稼ぐ連中! |
貧困ビジネスという一言に惹かれて読んでみたのですが、冒頭から著者の認識は、私の言葉でいえば尋常ではありません。執筆者・城繁幸氏は格差にふれているのですが、格差問題が巷間論じられて久しいのに、この人物といえば、相当の程度、世間からずれていて、ほとんど浮世びたりというカンジなのではないか。
曰く、
格差といってもいろいろあり、地域格差や年金格差までさまざまあるものの、現在議論の中心となっているものは雇用における格差だ。きっかけは、秋葉原の事件によって非正規雇用の存在がクローズアップされたことだろう。 |
ですって。
読者の皆さんならお分かりのように、たとえば橘木俊詔、佐藤俊樹など諸氏が「格差」を問題にかかげて論じはじめたのは、いったいいつだったのでしょうか。この城という人物は、地球以外の惑星から最近やってきた新参者だと開き直るとでもいうのでしょうか。
ですから、しょっぱなから貧困、格差問題を論じる資格なしと断ぜざるをえませんね、私は。
また、おおかた想像されるところでしょうが、貧困ビジネスを行う者として執筆者が槍玉にあげているのは、湯浅誠氏、堤未果氏でした。城という人物は、ご丁寧に加藤紘一、森永卓郎両氏まで引き合いに出しています。
これだけで、ここから先、城という人物が何を論じようとしているか、およそ察しがつくというものです。全文を流し読みしましたが、その予測に狂いはなかった。執筆者・城によれば、貧困ビジネスとは、貧困や格差を論じ(収入を得る)という行為を指し、それを敵視する著者は、勢い論じる者を攻撃する。一文の性格は結局、それに尽きています。
いくつか列記すると、非正規雇用の拡大という事態に直面して執筆者が語っているのは、こんな水準のものです。3カ所、とりあえずあげておきます。その馬鹿さかげんは、この上ないといってもよいでしょう。
【1】
対策の方向性は明らかだ。ダブルスタンダードを解消し、痛みを正社員と非正規雇用労働者のあいだで適正に分配するしかない。それには、賃下げや降格、解雇も含めた正社員の雇用規制を大幅に見直し、人材流動化を推し進める労働ビッグバン以外にはありえない。 |
【2】
「ただでさえ低い中小企業の処遇をさらに引き下げるのはナンセンス」という声もあるが、逆だ。日本は世界でも稀なほど企業規模によって処遇に差があるが、これは要するに大手や労組の強い企業が中小下請けに人件費コストを押し付けている結果だ。各企業内で柔軟な見直しが可能となり、職務給が一般化すれば、長期的には企業規模の格差は必ず縮小する。 |
【3】
もう1つの存在が共産党だ。今回の文中、あえて共産党には触れなかった。評価しているわけではなく、彼らのいっていることは社民党と同レベル、あくまで既存の価値観からしか物事を見ようとはしていない。ただ、彼らにはしがらみが少ない。いくら中高年正社員の機嫌をとったところで、普通の中産階級は共産党になど投票しないことは明らかだ。ならば民主・社民に代わって、新たな局面に対応した政策転換を打ち出すべきだろう。「反連合、人材流動化推進!」とマニフェストに掲げることで、1000万の非正規雇用層を取り込める可能性もあるのだ。おそらく反対するであろう高齢共産党員など、これを機会に切り捨てればいい(どうせ、ほっておいても今後は減る一方だ)。 |
筆者が共産党の路線転換に期待するのは、もう1つ理由がある。落ちぶれたりとはいえ、共産党が従来の経営者―労働者という対立軸を捨て、若年層・非正規雇用労働者―連合という対立軸にシフトすれば、日本国内の政治状況に大地殻変動を起こすことは間違いない。従来の左右対立軸の幻想から、いやでも国民は目を覚ますはずだ。メディア(これ自体、規制に守られた既得権勢力である)ももう無視できなくなる。べつに単独与党をめざせとはいわないが、このままジリ貧になるか、もう一度歴史を動かすのか。いまが決断のときだろう。 |
その可能性はいうまでもなく皆無なのですが、執筆者・城は、自分のいっていることの意味すら分かっていないようです。
経営者―労働者という対立軸を捨て、若年層・非正規雇用労働者―連合という対立軸にシフト |
って、いったい何? 素朴にそう思いませんか。
ところで、城繁幸とはこんな人物らしい。
ようは、『Voice』やGOO、NTTレゾナントのレベルもまた問われているということですね。ああ、馬鹿馬鹿しい。
これもまた、おめでたい日本国の一面なのか。
(「世相を拾う」08182)
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橋下府知事のジコチュー。。。
橋下氏への関心は、いい意味でも悪い意味でも高いのでしょうね。
当ブログの記事、橋下氏は発言するたびに大阪をだめにする。。。にたいして、コメントを頂戴しました。そのなかの一つを紹介します。
さら_さんからのものです。
含蓄あるご意見だと私は受け止めます。いかがでしょうか。
橋下知事の他者感覚の鈍さとナルシストぶりはおっしゃるとおりだと思います。
橋下知事に対する支持は府民の中にある妬みや嫉みといった劣等意識をくすぐって自分が作り出した安全な敵に対して、同じような敵意を向けさせてることにあります。「府民感覚」は錦の御旗のように使われる言葉ですが、感覚を作り出す前提条件が冷静な視点に立った政策改善を目指したものではなく感情に任せた懲罰意識なんですから正常なものとはいえないでしょう。 実際、橋下知事が公開を求めているテストの結果についても公開した後、どうしたいのかは全く表明されないし、府民からも議論にあがりません。(おそらく次の攻撃材料になるだけだと思っていますが) 選挙時の公約から就任後の議会対応、マスコミ発表に至るまで給与削減以外に知事の具体的な政策マネジメントを挙げる事ができる人が何人いるでしょうか。そんなものはどうでもよくて、けしからん公務員や教員をとっちめてくれる事だけを求めて手段も目的も結果も実際のところどうでも良いというのが魔女狩り的な府民感覚となっているのではないでしょうか。 以前の国政選挙で投票率を下げて組織票中心に当選者をコントロールしたいと考え投票日に寝てて欲しいと言った政治家がいましたが、府民の意識をどこまで高めるかも知事の資質にかかるならば、橋下知事の意思は何も考えずに支持だけしてくれる府民を求めて成功しているのだろうと思います。 個別の政策課題を分析して無駄があるのなら職員と問題意識を意識を共有して、より効率的な手法、体制を作り上げていくことが、首長としての責務だと思いますが、朝礼では自説のアジテーションに終始し、次の敵作りに目を光らせるトップに共有感覚は育たないでしょう。意に沿わない意見をすれば敵認定なんですから。 橋下知事の求める事柄は、朝礼の件や盗撮の件、学力テスト件など違法性の疑いのあるものや混乱を引き起こす可能性のあるものが大半です。議論のきっかけを作っている。という意見もあるんですが、自らの意に沿わない者に対する処置が恐怖政治そのもので議論とは程遠い現状ですから。 職場では、幹部が馬鹿殿の暴走のフォローに右往左往しつつ、本人の前では恐れながらと機嫌を損ねないように持ち上げる。現場では、物言えば唇寒い状態で粛々と仕事をする。馬鹿殿の太刀持ち(私設秘書)は隠密宜しく隠し撮りにいそしむ。これで将来展望が明るいかどうかは民間感覚でも明白だと思うんですがね。 少々やけくそで思うことなんですが、大阪府はこれからは橋下知事の独裁国家になれと思ったりします。なまじフォローしようとして敵にされるくらいなら、すべて知事の言質、指示書、命令書を確保して完全なトップダウンでするんですよ。結果の混乱や苦情は密告大歓迎の秘書室で受けてもらうということでどうでしょう。職員レベルでの前向き提言や起案をすべて封じ込んで疑義があれば秘書室に直行。指示書に従って公僕(皆さん大好きですよね)として執行するので良いじゃないですか。 冗談はさておき府政の今後ですけど、可能性は低いながら良い結果は出るかもしれません。けれどマネジメントがない上での話ですから偶然です。けど、自分の成果とするでしょう。逆に出ない可能性は高いと思います。で、職員の責任(努力不足とか)にするでしょう。決して特別職として特別重い責任を追う事はないと思います。(フィットネスとか特別ゆるい扱いは享受しますが) |
さらに、一つ、さら_さんはつづけてコメントを寄せてくれました。
学力テストの件について、市長達からも支持の声が出ているようですね。例によって順位を公表した後の分析、対策の構想については全く触れられず、専ら権限委譲の話に終始しており、民主的存在である自分達が教育の運営に直接関われない事の不満を口々に述べています。
職員給与の削減に始まって、教育委員会を槍玉に挙げたり、マスコミを使って相手を抵抗勢力として位置付け、自らの支持基盤に結びつけるこの手法は、政治家にとって少ないリスクで支持を得られるのと中身を問われない点で新しい行政モデルとして流行りそうな気配です。 確かに中間機関(委員の公選制が無くなっているので)を介した運営(指示、命令)しかできない構造は効率的でないと感じるかもしれませんが、イデオロギーの塊ともいえる政治家の意思が直接公教育に反映されるデメリットをおそらく理解していないのでしょう。 意に沿わない教育内容、意に沿わない教員や職員。これらに対して直接的に指示したり、人事権を発動したり、盗撮したり始めたらどうでしょうか。 同じような委員会に公安委員会があり、その管理下で警察本部が運営されていますが、「治安が悪い」「改善のビジョンが感じられない」とか言って僕の思いどうりに取り締まりや強制捜査をさせるべき。とか言うのと同じなんですよね。 首長の意思を直接反映させるところ、そうでないところ、それぞれの組織制度にはそれなりの歴史と意味があると思います。少なくとも自らの政治的支持基盤を確保する為の敵認定する為に組織が振り回されることがない様にあって欲しいと思っています。 |
私の応答は以下のとおりでした。
全国学力テストを考える際の機軸となるものは、これが何を明らかにするのか、どう役立てるのかということでしょう。文科省も今でも明示しえないのですね。 橋下氏がそれでもこれに固執するのは、テストの結果公表をふくめて、そこに価値を見出しているのでしょう。つまり、その(結果)責任を教育委員会に、教師に転嫁するということでしょうね。 仰るように、敵を明確化することによって自らの存在意義を明らかにしようというものですね。ちょうど小泉と同様に。 ただし、この政治手法は常に内部に分裂をもたらすというリスクを本来、抱え込んでいます。小泉後の政権が、亀裂修復のために腐心せざるをえなかったことにも、分裂の意味の大きさが端的に尽くされているように私は思うのです。 したがって、橋下氏が考えていようがいまいが、小泉と同じような手法をとれば、結果的に自らを掘り崩すと、こう考えるのです。 |
つまり、他者の存在をまるで否定しているか、無視するような橋下氏の態度は、それが次第に研ぎ澄まされることによって、自らの存在を脅かすことになると私は思うのです。
(「世相を拾う」08181)
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社会の「無関心」ですべては片づけられない。
赤木智弘氏の「イレギュラーを受け入れられない社会」という文章がウェブ上に公開されている(参照)。
氏の所説に違和を感じるところがあるので、それについてここでふれたい。
赤木さんが扱っているのは、この記事である。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080910/crm0809100100001-n1.htm |
この時勢、われわれの誰もが直面する可能性は大いにあるといえる事件かもしれない。こんな事件に直面したら、われわれはどんな態度をとりうるのか。選択肢は限られているといえよう。そこを赤木さんは問題にしているのだ。
本来、事件が事件として扱われるのは、それがそもそもイレギュラーなわけなのだが。赤木さんは、イレギュラーを受け入れられない社会を問題としている。氏の文脈にそっていえば、
多くの目撃者たちが、横目で気にしつつも、結局は素通りして会社に向かう。その結果、たまたま運が悪かったサラリーマンが手錠をはめられたというのが、この事件のキモである。 |
とのべているので、イレギュラーな事象に我われが直面した際の、とるべき態度とその可能性を問うているといってもよい。もっといえば、通常とは異なる事象に対して積極的にかかわりえない我われの日常、無関心に赤木さんの眼はむけられている。
違和を感じるのは、赤木さんが特定する先の事件が事件としてあるのは、(社会の)無関心に端を発したものかどうかではなく、事件、つまり最初に暴行を加えた男性が意識不明に陥ったという事象は、それとは関係ないところで、正当防衛(という思い)で反撃を加えたという事実でもって引き起こされたということに尽きるからである。
結局、事件を事件として成立させているのは、警察のとった態度の是非ではないのだろうか。
赤木さんは、けれど、あえてこうのべているのだが。
この問題を単なる「警察による、一般人の気持ちを考えない杜撰な逮捕劇」であるとは考えない |
しかし、警察の逮捕劇そのものが問われてしかるべき、だと私は考えてしまう。つまり、イレギュラーなのは、警察の、目撃者がいないのに、反撃を加えた男性に過失があるかのように扱ったことに端を発していないかどうか、ここに尽きるのではないかということである。
そもそも目撃証言など客観的な証拠が不十分であるのなら、百歩譲って任意同行はありうるにしても、逮捕劇に至る必要はない。駅員に警察への通報を依頼したのが、暴行を加えられ、反撃に転じた男性であるのなら、警察の態度はなおさら慎重さを求められたのではないか。
これである。だから、赤木さんが警察の初動についてほとんど無関心なのか、無視しているのか、それは明らかではないのだけれど、そこに違和を感じるのである。
断っておくが、赤木さんが持ち出している、(社会の)無関心についての論点はうなづけるところが少なくない。赤木さんが無関心を論じるのにもちろん反対しようとは思わないし、それを克服することは以後の日本に少なからぬ意味をもっているように私も思う。
そこで、補助線を引けば、同じ産経新聞にはこんな記事があった。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20080913021.html |
赤木さんが取り上げた先の産経の記事とこの記事を重ね合わせると、社会的無関心のいわば犯罪性を、産経はこの時点で一つのテーマにしつらえているようでもある。
けれど、あえていえば、その無関心こそこれまで、世の為政者が統治のために最大限活用しようとしてきたものではなかったのか。
とくに小泉改革以後の日本国で強調されたのは、自己責任の名のもとに、社会の構成員をまるでそれぞれが独立して存在するかのように分断をしいるところにあったのだから。
その只中に今があることは承知の上でのことだが、赤木さんの所説に疑念を感じるのである。
(「世相を拾う」08180)
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我が亡き後に洪水は来たれ -リーマン・ブラザーズの破綻
この際、資本の論理が強いる言葉があるとすれば、これだろう。
我が亡き後に洪水は来たれ。
リーマン・ブラザーズの経営破綻の一部始終は明示的にこれを表しているのではないか。
過去にいくつかの危機に直面しつつも、それを乗り切ってきたといわれる同社だが、サブプライムローンの破たんで巨額の損失を抱えることになった。リーマン・ブラザーズは競争のなかで全米第4位という地位を築き、そして競争の中でその地位を失い、費えた。負債総額60兆円、米史上最大の企業倒産といわれる。
我が亡き後に洪水は来たれと先にいったが、1980年代をみると、国際金融市場の自由化がもくろまれた。投機マネーが国境を超え拡大する、いわゆる経済のカジノ化が促進された。リーマン・ブラザーズ社は、低所得層を巻き込み、だれも本当の価値が分からない金融商品を世界にばらまいて利益を吸い尽くしてきた。結果、そのしくみに自ら巻き込まれ、存在を自ら否定するに至ったのだ。
アメリカ経済のカジノ化は、このリーマン・ブラザーズにとどまらず、メリルリンチ(米投資銀行3位)の経営危機をもたらし、同社はバンク・オブ・アメリカに吸収される事態を迎えた。それだけではない。保険の世界最大手・米AIGなどの経営危機が表面化している。
気の早いスティグリッツは、新自由主義の終焉をすでに語っているが、彼のみならず、今日の事態は、つまり一連の米国の金融市場の危機はそれを予感させるに十分なものに立ち至っているともいえる。
いうまでもなく自由競争に任せた結果が今日の事態をもたらしている。考えてみると、サブプライムローンの投げかける問題が指摘されてすでに1年が経つが、いまだに現代の資本主義は、その打開のための解決策を見出しえていない。金融緩和の名で、たとえばサブプライムローンは低所得者に犠牲を押し付け、利潤を最大限に追求するしくみだったといえるのだろうが、実体経済とは著しくかけ離れた金融投機に頼りつつ、ぼろもうけをめざしてきたのではなかったか。今日の事態は、その仕組みの中に潜むリスクについに自ら呑まれてしまった結果だといえる。
だから、一連の結果を考えれば、こう考えざるをえない。ようは、スティグリッツにまつまでもなく、新自由主義の破綻はいよいよ明らかになっているということだ。
日本に求められるのは、投機マネーの強い規制であろう。いつまでも米国の従順な僕として、追随する経済政策であってよいのか、その点も、総選挙の争点に浮上しているのではないか。
新自由主義的施策に、イエスかノーか、この際、徹底して各政党にたださないといけないだろう。
(「世相を拾う」08179)
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橋下氏は発言するたびに大阪をだめにする。。。
そもそも全国学力テストの実施そのものが教育学者らの強い批判にあったものですが、その最大の理由は、競争激化、序列化でした。
今回は再開2年目です。今回結果がでて以降、その懸念は的中しました。実態を把握して指導の改善を図るという文部科学省の思惑はいまのところ明確に外れているといえましょう。
評判よろしくない学力テストですが、競争激化は、こんな形で現場をゆがめています。
- 成績の悪い学校の校長が教育委員会に呼び出され、教師が始末書を書かされた(秋田県)
- テスト対策を事前に繰り返した学校や教育委員会がある
こうなると、いったい何のための学力テストか、こう疑わざるをえない。学力テストは何を明らかにして、何に役立てるのか、皆目分からないのです。
それでも橋下氏は学力テストに価値を見出すのでしょう。だからこそ、ついに関東軍という言葉でもって教育委員会を攻撃するに至りましたが、そのばかばかしさと的はずれぶりを非国民通信さんが的確に指摘しています(いいわけないだろ)。
橋下氏の心性を、他者感覚の喪失と自己中心主義にあると私はかねてから思っていますが、繰り返される言動はそれを裏づけているようです。
この人物の頭のなかには、自分が他者に生かされているという発想も、自分が他者を大切にするという発想もまずないといえる。
だから、都合のいいように「8割が公表を支持し、非公表支持は2割」という視聴者の意見なるものを切り取り、もちだしてみせ、もちろん氏の言動に共感する部分もあるのでしょうが、あたかも国民の声、府民の声、その全体が公表にあるかのように演出してみせています。裏返しにいえば、非公表の意見をもつ国民、府民はまるで国民や府民ではないかのようです。極論すると、氏の言動の核心はこの点にある、といってよいのかもしれません。つまり、氏と異なる意見をもつものは明確に排除、無視するという「戦法」、政治的手法です。
なので、氏の言葉の「自分たちの領域は神聖不可侵なんだ」という態度をとっているのは、氏自身にほかならないといえましょう。
元にもどれば、学力テストの実施には少なくない反対があったはずで、そこに耳を貸すのが首長のとる態度だと私には思える。
そうではなくて、小泉のとった政治的手法と政策を、こんどは大阪府という枠組みで展開しようとやっきになっている橋下氏です。その小泉が日本社会に大きな亀裂を生起させ、それが社会のゆがみとなって露呈しているというのに。小泉のあとを継いだ安倍、福田政権は一方で小泉路線を踏襲することが半ば義務づけられると同時に、それがもたらす社会の分裂を為政者として修復していくことも同時に求められてきました。それが安倍の場合は、保守主義的施策の強調だったのですし、その後の福田政権は、小泉、安倍を引き継がざるをえないという性格をもちろんもちつつ、与野党の議席配分が逆転したことも手伝って、同時にとるべき亀裂修復の方途はいよいよ限られてきたといえるでしょう。その結果が、安定的議席を確保するという一点での大連立の志向だったと考えるのです。それほどに小泉構造改革のもたらした「遺産」は逆に大きかったといえるのでしょう。
自民党政治のゆきづまりがいよいよ加速している、こう思えるのです。
さて、当の橋下氏。氏は、大阪を建て直すといいながら、同じように大阪をダメにする、今のところこう見立てるのですが。
(「世相を拾う」08178)
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フリースクールという社会の縮図
フリースクールの経営者が、営利目的でただ働きさせた容疑で追及されているようです。
記事が紹介するように、ある意味で無法のかぎりを尽くし、入所者から収奪する経営者の異常さに、眼を奪われてしまいます。
栗収穫・クワガタ飼育…入所者ただ働き フリースクール |
なぜそういえるのか。経営者のとったといわれる以下のそれぞれは、現代日本には似通う事態があちこちに存在していないか。
- 神社のお守りづくりや電気部品の組み立てをさせ、入所者に報酬を一切払わない
- 親族が経営する店から仕入れた賞味期限切れの弁当やカップラーメンなどを食べさせる
- 外から施錠された寄宿舎に監禁状態に置かれた
- 水の使用も制限する
賃金不払い。一切払わないかどうかではなく、労働者が働いた対価を支払わない事象は、最近の「名ばかり○○」というように、形を変えて存在しているではありませんか。
非人間的な扱い。これはいちいち挙げるべくもなく、たとえば非正規雇用労働者への扱いに今では具現している。
まあ、記事では、不良在庫になるはずの賞味期限切れ商品をあてがうというのですから、その扱いの残酷さはこの上ないといってもよいのでしょうが。わが日本国では、しかし、一流といわれてきた老舗が客に食べ残しを出し、経営に役立てるという事象が、実は他にもごろごろところがっていたのですね。
働くものを監禁状態に置く。労働者が寮に住まえば寮費を取られ、けっして高くはない賃金から、天引きされ、残るのはまさにワーキングプア水準という、若い労働者の生活実態がこの間、幾度となくテレビで放映されました。彼らは、事実上の監禁状態に置かれているといっても過言ではない。そのシステムから離れることはすなわち収入を絶たれるということの、いいかえにすぎません。
そして、かつて思想・信条を理由に「トラの檻」に労働者を閉じ込めていた大企業は少なくなかった。
いいたいのは、現代日本社会、あるいは日本の資本主義には無法が同じように存在しているということです。
フリースクールは、その無法を小規模で、システマティックでないものに置き換えたにすぎません。
賃金不払いと非人間的扱い、これこそ日本資本主義をしっかり貫いている法則でしょう。資本主義は働く者を犠牲にして最大の利益を確保するという習性があるのですから。
(「世相を拾う」08177)
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