森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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憲法審査会をなぜ急ぐ
国民投票法が成立したとき、例のごとく民主党は揺らいでいました。が、結局、改憲にたいする国民の懸念も広がり、反対運動も活発化すると、民主党も対決姿勢を強めざるをえませんでした。しかし、今は、小沢氏が献金疑惑のただなかにあって、党内の結束が揺らいでいる時期。改憲論議を前面に押し出すことによって、民主党にくさびを打ち込もうとする自民党の意図が見え隠れしています。
憲法改正をめぐる国民世論は最近、連続して憲法改正反対派が賛成派を上回ってきていました。ところが、この3月には、読売が以下のように世論調査の結果を伝えています(参照)。
電子版をご覧ください。勝ち誇ったかのように伝えているのですが、ウェブ上では、別ページに調査結果が詳細に報告されています。それによれば、何のことはありません。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6100/koumoku/20090403.htm
依然、9条改憲に国民は明確に反対している。
それを、上の記事のように表現するのですから、にわかに信じてはならないのですね。
改憲派が目のかたきにしてきたのは、いうまでもなく9条です。安倍晋三は、「時代にそぐわない条文の典型は九条である」とまで公言してきたのですから。だとすれば、彼らが改変したい9条にたいして、国民がどんな態度をとっているのか、それに言及すべきでしょう。読売はこれについて一言も解説することなく、上記記事をまとめているのです。姑息な態度といわれてもしかたありません。
9条1項を改正する「必要なし」が77.5%、同2項も「必要なし」が50.9%と過半数を上回っています。つまり、9条にたいする国民の意思ははっきりしているのではないでしょうか。
国民の意思が9条改憲に反対している以上、今、さしあたって改憲の必要なしということです。
米国の意向を受け、海賊法案を契機に自衛隊の海外派兵と武器使用にたいして新たな道を開いて、違憲状態を政府は拡大している。これが現実でしょう。憲法に反する事態は、これだけではありません。昨年来、急速に拡大した派遣切りにみられる貧困の拡大。25条にてらしてみれば、だれもが少なくとも健康で文化的な生活を営む権利を有するのですから、そうではない事態に国民がすべり落ちたとき、ただちに救済されてしかるべきでしょう。
むしろ憲法の理念を現実政治に反映させることこそ、求められているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09087)
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企業献金は民主主義のコスト!?
まず小沢一郎氏。
公設秘書が起訴された今回の事件を踏まえ「全面的に禁止する以外にない」と改めて強調した。
民主党:小沢代表、企業・団体献金「即時全面禁止でいい」
正論です。実現のために全力で頑張ってほしいものです。すでに全面禁止に言及していたので、再び自らの主張をはっきりさせたということでしょう。だとすると、この立場からみて、過去の自らの政治献金授受をどのように考えるのか、それを当の小沢氏は明確にすべきでしょうが、この会見でもそこには言及していません。そこに、いささか欺瞞めいたものを感じざるをえません。
ともかく氏がこうした見解をのべているのに、同党の党政治改革推進本部とやらは、全面禁止を打ち出さない「改革案」を提示しています。モラトリアムを設ける、これが同本部の結論です。猶予期間という、いわば激変緩和措置をとろうとするところに、むしろ私は、この党も企業献金に深く依存している現状にあることを強く思うのです。献金を現にもらっている議員側からすれば、政治活動資金が激減することになるという現実。これを慮っての改革案というところでしょうか。
この小沢氏の発言について尋ねられ、わが麻生首相はつぎのように返答しています。私は、迷答弁だと思います。
昨日のエントリーでふれたように、自民党政府はこれまで、政党助成金について、「政党は議会民主制において不可欠の存在であり、その担い手である政党は公的機能を果たしており、そのコストとしてその政党に助成してしかるべき」と主張してきました。いわゆる民主主義のコスト論です。
今回の麻生首相の答弁をみてみますと、
企業も社会の中において、民主主義のコストを払うべき立場にあるんではないかと。したがって、その、企業団体の、いわゆる自由というもの、認めてしかるべきだし、企業団体側から献金が政党に出されて、なされたということを、禁止っていうのが、よく私には理解ができない
http://www.asahi.com/politics/update/0428/TKY200904280312_01.html
と発言しています。話し言葉で冗長なところがありますが、ようは、①企業も民主主義のコストを払うべき立場にある、②よって、献金を禁止するには及ばない、ということです。
先の政府の見解とこの首相の発言は明らかに異なります。どこか。
少なくとも政府はこれまで、民主主義のコストを語る場合、それは政党助成金にかぎってのことでした。一方の首相はそうではなく、コストとしての企業献金を語っているのです。明らかな飛躍です。
民主主義の、と仮にも銘うちながら、そのコストを献金という形で特定の政党にわたすというのですから、論理的にもおかしなものです。
首相が無知なのか、政府のこれまでの言い分すらよく理解していないことを示しています。
結局、小沢氏の発言と民主党の対応、そして麻生首相の会見での発言には、日本の政治が政党助成金と企業献金にかんじがらめにされている状況が消しようもなく反映されているのではないでしょうか。
政党助成金違憲訴訟の資料(2003年政治資金報告書にもとづく)によれば、
企業団体献金 | 政党助成金 |
計 | |
---|---|---|---|
自民党 |
59.9 |
13.8 |
73.7 |
民主党 |
0.5 |
84.6 |
85.1 |
ということです(数字は%)。ですから、極論すれば、両党はすでに企業管理、国家管理の政党になっているということでしょう。
こうして企業献金や政党助成金に依存し、カネにしばられている現状をあらためなければ、政党から国民との距離がいっそう遠ざかるのは当然だと考えるのですが。
(「世相を拾う」09086)
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カネを断ち切れない日本政治
多くの人にとっては新聞やテレビ、せいぜい雑誌でしか国政の動きを知ることはできません。
政権の支持率があれだけ続落していたのに、最近の世論調査の結果によれば、盛り返しているようです。対照的に、民主党はどうやら小沢氏に近いところからも、辞任やむなしという声が日に日に高まっている様子が、メディアから伝わってきます。たとえば、以下の記事のように(*1)。
「小沢氏を何が何でもかばうのか」民主・渡部氏、鳩山幹事長に
民主・岡田氏「違法献金事件、小沢代表は更に説明を」
岡田氏ならずとも、誰もが説明すべきとこれまで思ってきたのでしょうが、小沢氏は口をつぐんだままでした。そうした対応そのものが様子見といえばいえないこともないのでしょうが、氏は政党の党首という立場なのですから、国民にとっては、だんまりを決め込むことはマイナスと受け止められたといってまちがいはないでしょう。少なくとも、この対応が民主党を取り巻く情勢を好転させたとはいいがたい。「政治とカネ」をめぐる問題の当事者であって、しかも一度ならず短くない期間に多額のカネを受け取っていたという事実があるのですから。
党内からもれてくる辞任勧告ともいえるような以上の発言自体が、有権者の厳しい反応を鮮やかに反映しているといえましょう。今後、この方向で加速されていくと推測されます。
「政治とカネ」にまつわる疑獄事件のなかで、かつて自民党が敗北し、いったん下野しました。そこで持ち出されたのが、1993年からの財界からの献金斡旋の中止でした。だが、これも今や、おおっぴらに復活。経団連が通信簿をつけ、財界のいうままの政治が可能なように、献金で政党をコントロールする事態に至っている。嘆かわしいと思いませんか。こうしたカネを利用して現実の政治をゆがめていく方法が是とされているのですから。
この財界からの献金斡旋の中止は、額面どおり企業からの献金の廃止をめざしたものではありませんでした。なぜなら、献金斡旋の中止と同時に登場したのが、政党助成金と小選挙区制でしたから。そのときの言い分が笑わせます。「コーヒー一杯の政治」「民主主義のコスト」のふれこみです。安上がりの政治と、それを支えるために税金を使うというわけです。白鳥令などは以来、民主主義のコスト論をぶっていて、政党助成金にたいする批判が出ると、国が主張してきたのが、この民主主義のコスト論でした。つまり、政党は議会民主制において不可欠の存在であり、その担い手である政党は公的機能を果たしており、そのコストとしてその政党に助成してしかるべきというものです。
これほど馬鹿げた議論は、しかし、ありません。
政党自身は、いかなる国家機関でもありません。あくまでも私的結社にすぎないものです。
政党は、政策を掲げ、国民に訴え、その政治的意思形成に影響を及ぼすでしょう。また、そうでなければ政党としての機能を果たしているとはいえません。しかし、同様に、国民もまた、さまざまな社会運動で、たとえばメディアや労働組合、NGO活動などのようにさまざまな影響力をお互いが発揮しているといえるでしょう。
政党がこれらと異なるとすれば、今日、議会制民主主義をベースに政治がおこなわれている以上、選挙に候補者を擁立し、議会に進出し、大小の権力を担うことをめざすという点にあるでしょう。ちがいは権力の担当者となることを目標とするところに求められるでしょう。
したがって、政党が公的機能を果たしているからそのコストを払う、しかも国民の税金で支払うという考え方そのものに無理があるといえる。
政党助成金は1995年から2009年まで総額4410億円に達するといわれています。のべ25の政党にばらまかれています。ただし7割は自民党と民主党が占めています。国の言い分でいえば公的機能を果たすはずの政党ですが、この間、消えた政党はいったいどれだけあるのか。
自由党、保守党、自由連合、無所属の会、第二院クラブ、新進党、社会党、新党さきがけ、民主改革連合、平和・市民、新社会党、市民リーグ、太陽党、自由の会、新党平和、さきがけ、民政党、新党友愛が消えていきました。
これらの政党の結成、または離合集散は、国民・有権者の意思を反映したものでしょうか。そうではなく選挙(議席確保・資金)対策であって、結局、政党とは国民のためのものではなく、カネのためといわれてもしかたがありません。
一方で、上記の経過をたどって企業献金が解禁された今日、大手ゼネコン20社が自民党に献金した額だけでも合計39億円になるそうです。民主主義のコストなどといって、国民の税金を政党に環流し、企業献金でまた政党に環流する。しかも、その企業献金が公共事業受注と密接不可分の関係にあるのですから、二重に国民の税金が政党に環流しているとみることもできる。
国民のためにといって、「政治とカネ」を断ち切るといって、献金斡旋の中止が一度はさけばれ、政党助成金が取り入れられてきました。しかし、そこに貫かれているのは、「政治とカネ」の切れない関係が温存されているということです。党首が当事者であって、厳しい批判にさらされている民主党でさえ、とどのつまり企業・団体献金の全面禁止は打ち出せはしなかった。この「冷厳な事実」を直視しないといけないでしょう。本気で「政治とカネ」を解決する意思は政党助成金をもらっている政党にはないと私は考えています。
「政治とカネ」問題では、まず企業・団体献金の全面禁止に立脚すべきです。
ここにきて、世襲制限という変化球がもちだされています。前回のエントリーでこれにたいする私の考えは尽くされていますが、何も改善されることはない。
世襲であろうとなかろうと、自らの思想・信条に合致しない候補者も、政治家としての資質を有しない候補者も、選ぶのも選ばないのも有権者が決めること。むしろ政治は、有権者の意思が明確で公正に反映されるようなシステムをつくりあげなければなりません。
その点では経過をたどってみることも必要です。政治的な意思形成は政党・政治家だけで完結するものではありません。国民もかかわっています。
上に示した経過とはまったく逆の道を採ってみるのもよいのではないでしょうか。つまり、企業からの献金は全面禁止、政党助成金は廃止してみることです。自らが応援する政党に個人が献金する。そうしてこそ国民と政党の距離は縮まるでしょう。政治的な意思形成への国民の関与も強まることが期待できます。
政党助成金と企業献金に多くの政党がすでに依存しています。政党助成金にせよ、企業献金にせよ、こうしたものに依存する体質が、主権者である国民から政党を遠ざけてしまうことは避けがたいのではないでしょうか。
つけ加えるならば、世襲制限など本質を欠いた議論にすぎません。
(「世相を拾う」09085)
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*1;列記した2本の記事以外に、「朝日」が本日28日朝刊で、「ポスト小沢へ動き急」という記事を掲載しています。何とも平板で、手あかのついた見出しですが、記事によれば、小沢擁護から辞任やむなしに党内の意思が動きつつある様子が描かれています。辞任の時期は、推測すれば、まさに自民党の出方、解散の時期によるということなのでしょうかね。
【関連エントリー】
「民主主義のコスト」って? 冗談じゃない
世襲政治家の制限を議論するということ
以下の記事の伝える岡田氏や菅氏の考えの前提には、少なくともこんな認識を彼らがもっているということがなければなりません。そうでなければ話が先にすすみません。
岡田民主副代表:世襲制限で孤立無援…自民・菅氏にエール
二代目や三代目、あるいは政治家の係累が政治家であって贈収賄に関与すれば、もちろん指弾されなければならない。二代目や三代目、あるいは政治家の係累、そのいずれでもなくても、贈収賄に関与すればまた指弾されるのは当然でしょう。
指弾されるのは、政治家が二代目や三代目、あるいは係累であるからではなく、贈収賄に関与したからにほかなりません。
なので、政治家の集団、別のことばでいいかえるのなら、たとえば国会に自浄能力というものがあるとすれば、その発揮は、贈収賄への政治家の関与をいかに排除するのかという点に注がれなければならないでしょう。
私が、上の記事に違和を感じるのは、世襲制限を唱える人たちは何を解決しようとしているのか、皆目みえないからです。たとえば「政治とカネ」の問題を解決しようとしているとも思えない。「政治とカネ」の問題の解決は、世襲制限ではむろん不可能ですし、企業献金を全面禁止することを欠いてはいけません。全面禁止が必要条件になる。いったい世襲を制限して得るものは何なのでしょうか。何ができるのでしょうか。
むしろ、私には、こうした議論が結局、論点をそらす役割を果たしているとしかみえません。
ところで、世襲制限には、特定の対象には被選挙権を与えないという意味が当然、含意されています。二代目や三代目、あるいは係累ということで、つまりその人の出自いかんで憲法でうたわれている被選挙権がなくなるわけで、これは基本的人権の考え方を大きく揺るがすことになりかねません。今日の政治では、どの候補者を選ぶのか、決めるのは有権者です。候補者の説く政策が気に入らなければ選ぶ必要はない、それだけのことです。政治家としての資質を欠くと判断するなら、その候補者を選ばなければよいだけのことです。
「特権」という名をつけ、対象をあぶりだし、たたくのに汲々とする、あるいは特定の階層や立場にいるというだけで排除しようとする動きが繰り返され、それを支えるいわば集団ヒステリーがしばしばみられます。世襲政治家の議論もまたしかり。こんな例もあります。共産党の穀田議員の子が衆院選比例区に出たことをとりあげ共産党も世襲にそまっている旨を記述したブログに以前、遭遇しましたが、これなど極端な単純化の好例でしょう。
つまるところ、世襲を議論しよう、しようとする人の頭のなかには、「特権」ということが想定されていること、したがって、「特権」という切り口から政治家をみる以上、政治というものは政治家がやるものだとあらかじめ認識されていなければならない。政治家を選ぶのは有権者という視点を欠落させてしまう。
仮に政治家にふさわしくない(と思う)のなら、選ぶ必要はありません。政治家を選ぶのは、有権者以外にはないのですから。それを出自でもって排除しようとするところにねじれが生じるわけです。
記事の伝える孤立無援やエールを贈るなどの一つひとつはそれ自体、他愛のないものですが、世論をこうしてミスリードすることに彼らは一役かっているともいえるのです。
(「世相を拾う」09084)
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クサナギくんは「最低」なのか。。。
「最低の人間」発言撤回 草なぎ容疑者逮捕で鳩山総務相 鳩山総務相は24日の閣議後会見で、公然わいせつ容疑で逮捕された草なぎ(弓へんに剪)剛容疑者を「最低の人間としか思えない」とした発言について、「地デジ(地上デジタル放送)に影響があることを強く懸念してはらわたが煮えくりかえり、言ってはいけないことを言った。『最低の人間』と言ったことは取り消す」と述べ、撤回した。 総務省や鳩山氏の事務所に「最低などと言える立場か」「いまの政治の方が最低だ」といった苦情が寄せられていた。 |
クサナギくんが全裸で何を叫ぼうと、それは彼の勝手であって、メディアがあえてとりあげることなのかしら、それが最初に思ったことでした。彼のとった行動が、どれほど社会に波風をたてたのか。実際に、誰がどんな形で被害をこうむったのでしょうか。
むしろ私は、これだけのことで、率直に私はそう思うのですが、ことさら言及する、したがる時の総務大臣の心性を問いたい。総務大臣・鳩山邦夫氏が「最低の人間」と語ったそうです。撤回したものの、問題は、クサナギくんの行為を「最低の」と言わしめる、鳩山氏の認識そのものに大いに私は疑念をもつ。鳩山氏に問いたい。
クサナギくんが「最低の人間」だと断定する発言は、世の中のどんな出来事よりもクサナギくんのとった深夜の行動こそが許せないものであって、他のどんなことより価値のないものだといっているいうことにほかなりません。
これはおかしなものです。クサナギくんが、全裸で、どんな言葉をはいたとしても、たとえ被害が他に及ぶとしても限定的なものにすぎないでしょう。誰の心象を害したのでしょうか。誰に不快感を与えたのでしょうか。
ところが、鳩山氏の生きている政治の世界はどうでしょう。贈収賄、汚職・腐敗、とどまるところを知らないのが実態でしょう。また、政府の要人や、政党の幹部の一言一言がどれほど国民の心を傷つけてきたのか。それどころか、彼らの採用する政策がどれほど庶民を痛めつけてきたのか。「派遣切り」という名で、相対的に弱い立場に置かれ、選択のしようのない決断を労働者に迫ってきたのは大企業なのでしょうが、その大企業の思いのままになる政治を追求してきたのは、ほかならぬ与党であって、それだけではなく労働者派遣法の改悪には与党のみならず民主党も賛成してきた事実を忘れることはできないのです。少なくとも政治は、われわれ庶民の生活を守るという側面よりも、敵対してきたということすらできるのです。とくに小泉構造改革後の政治は、結果的にそう結論づけることができる。
そう考えるならば、クザナギくんの一夜の「破廉恥な行為」を「最低の人間」のすることと断定することよりも、現在ほどの窮状に国民を陥れてきた政治家の皆さんの行為を私はむしろ糾弾したい。政治というものは、どの階層に寄り添うのかが局面局面で問われるものです。例をあげると、自公という与党だけでなく、野党の民主党も、「政治とカネ」の問題を軸に、どれだけ政治をゆがめてきているのか。その視点をしっかりもつことが大事な気がしてなりません。
少なくとも私には、クザナギくんの行為が、「政治とカネ」をめぐって大いに政治をゆがめる実態が現にあって、そこにどっぷりつかっている政治家、与党議員も民主党議員、小沢代表もふくめて区別がつかないような、ゆがみをもたらす行為に手をそめている政治の世界より低位に置かれる筋合いはない、こう断定してよいと思います。
庶民の生活より、特定の企業の権益を優先したり、あるいは財界や大企業を文字通り特権階級のように扱ってはばからない政治家の認識をこそ疑ってしかるべき。
少なくとも彼らは、クサナギくんの行為とは比べ物にならないほどに、世間にダメージを与えてきたし、与えているのはまちがいないと私は考えるのです。
カネの力で政治をゆがめることを徹底して断罪できる社会(の力)を期待したいものです。
(「世相を拾う」09083)
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再び「失われた10年」にするのか
IMFが経済見通しを発表しました。
09年世界経済、景気後退入り IMFが初めて明記 国際通貨基金(IMF)は22日、世界経済見通しを発表し、金融危機の影響で、世界経済が景気後退入りしたと初めて明記した。2009年の世界全体の国内総生産(GDP)成長率はマイナス1・3%と予測し、1月時点の見通し(0・5%増)を大幅に下方修正。日本も6・2%減と戦後最低水準に落ち込むとした。 IMFは世界経済が「第2次世界大戦後で最も深刻な景気後退にある」と指摘。経済見通しは「前例がないほど不透明で大幅な下振れリスクが存在する」と警告、さらなる下方修正の可能性にも言及した。 |
第2次世界大戦後で最も深刻な景気後退にあるというのがIMFの現況判断です。だとすると、そこからいかに脱却するのか、景気回復の実効ある手立てがとられなくてはなりません。日本も最後最低水準に落ち込むという見通しですが、では麻生内閣がとろうとしている景気回復策が的確なものかどうか。
麻生内閣と与党がまとめた「経済危機対策」は総額15兆円を超える過去最大の規模。ところが、政府の宣伝にもかかわらず、世論調査によるかぎり評判は芳しくないようです。
結局、15兆円が何に使われるか、そこが見抜かれているからでしょう。庶民と中小企業にはお金が回らない。「経済危機対策」でうたわれているのは、高速道路・巨大港湾など大型工事に費やす2.6兆円。さんざん宣伝されているエコカー買い替えによる補助や省エネ家電購入の際のポイント還元でも、しだいにワーキングプア化する日本社会のなかで恩恵を受ける人の割合はいったいどれくらいになるというのか、疑問です。
たとえば贈与税減税、50兆円の公的資金で株式を買い取る株価対策も盛り込まれていることに端的に表れているように、こうした景気対策の重点をどこに置くのか、そこが対策が的確か否かを分ける分水嶺といえるでしょう。この点では、後期高齢者医療制度の存続と障害者自立支援法の応益負担も上記経済対策に入っているのですから、政府が引き続き社会保障の抑制政策をすすめようとしていることもはっきりしている。つまり、従来の骨太方針の堅持の姿勢はかわっていない。
小泉内閣の打ち出した骨太方針200」は、①社会保障を抑制するとともに消費税を増税する、②大企業減税と軍事費の聖域扱いとする財政運営-という本質をもっていました。これを引き継ごうとしているのです。
税制の「中期プログラム」を改定するという政府・与党の方針は伝えられています。中期プログラムは、全額を「社会保障の財源」に充てるとして、2011年度からの消費税増税を掲げています。政府・与党は「経済危機対策」に、国債の増発で積み上がる財政赤字の手当てとして、税制の中期プログラムを早急に改定するというわけです。
「景気回復には消費増税」 伊藤元重氏が講演 名古屋「正論」懇話会
こうした発言は、それを後押しし、加速させようとするものでしょうが、繰り返していえば、消費増税や骨太方針しようとする者の軸足が徹底して大企業や高額所得者に置かれていることを露骨に示すものといってよい。
内需を弱め、外需・輸出依存に拍車をかける路線が、日本経済が陥っている深刻な景気悪化の原因だと考えるので、内需を強める対策をとることがいちばん必要な手立てだと思うのです。こうした立場からすると、消費税増税によって景気回復をやるというのは到底認めがたい。
就学前の子ども手当てを1年かぎりでやめるのではなく、少なくとも食料品や生活必需品には消費税を課税しないなどの手立てをとる一方で、本来、税金を払える立場の者から負担をしてもらう、大企業・大資産家に本来の負担を求めることは必要な財源を確保する上で必要ではないでしょうか。
聖域を温存しようとする路線、すなわち骨太方針に固執する立場からの決別、これこそ今、求められている景気対策だと考えるのです。それができないのでは、ふたたび日本には「失われた10年」がもたらされるにちがいありません。
庶民にとってはほとんど期待できない支出の後始末を、消費税増税という庶民にとって重たい負担でやらせようという路線にノーをつきつけなければなりません。
(「世相を拾う」09082)
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「友」を切り捨てよ- 民主党の海賊法案対応
海賊法案修正、民主が与党と協議へ 社民抜き 民主、国民新両党は17日、今国会で審議中の海賊対処法案に関し、20日から与党との修正協議に入る方針を決めた。民主、社民、国民新3党での協議で、社民党が自衛隊の海外派遣に難色を示したため、3党合同の修正案づくりは断念した。民主党が求める自衛隊派遣の国会事前承認について、政府、与党内には否定的な意見も強い。来週中の衆院通過を目指す与党が衆院再議決を視野に修正を拒否する可能性も。 |
ここにきて案の定、民主党のビョーキがでてきました。妥協を探ろうというものでしょうか。昨日でしたか、審議引き延ばしをいたずらにやるつもりはない、ただ対決すべきはするという趣旨の菅直人の発言が報じられていました。予防線をはっていたのですね。
妥協といえば、かつて歴史的妥協という言葉がありました。当時、3割近い得票のあったイタリア共産党の書記長・ベルリンゲルが、与党のキリスト教民主党との協調を打ち出しました。もちろん連立政権を視野にいれたものでしたが、結果的に実現はしなかった。
この歴史的妥協と今回の妥協を比べることにすでに無理がありますが、それにしても民主党が自民党との協議でかちとろうとしているものはそこそこの価値あるものなのでしょうか。しかも、本心は横に置くとして、政権交代のために協力しようと誓い合ってきたはずの「友」をおいてけぼりにしてまで。そもそも「友」として扱おうという気があったのかさえ、疑いたくなるものです。
民主党は、派遣前の事前承認を獲得目標にしているのでしょうが、それ自体、自衛隊を派遣することを前提にしている点で、そして武器使用の緩和という点でも自民党案と何らかわりはない。
自衛隊の武器使用は、少なくともこれまでは「緊急避難・正当防衛」でしかできなかった。それを、海賊行為という犯罪行為への対応で任務遂行のための武器使用を認めてしまうと、武力紛争への対応でも同じ事態がつくられるわけで、海外での本格的な武器使用に結びつく懸念を指摘せざるをえません。歯止めのない武器使用をこうして認める背景には、自民も民主も同じように派兵恒久法をめざしていることがあります。
戦後の日本政治は、日米安保条約と自衛隊の役割が常に議論の対象になってきたということは否定しがたいものでしょう。この点では、民主党の党内の現状と社会党のこれまでの主張をみれば、この海賊問題を契機に、自民党と同様に自衛隊の海外派兵と武器使用を認めようとする民主党が社民などと共同修正案を出そうとするところにそもそも胡散臭さが漂っています。結果、民主党はこの問題で社民を切り、自民党との合意をとりつける道を選んだということになるといえます。
政権交代がクローズアップされ、ともすればパーフォマンスとも思えるような対決姿勢が喧伝されることも少なくありません。けれど、現実には、このようにベースのところで自民と民主が基本的な方向で一致している。このことを無視することは私にはできません。政権交代のためには、有権者向けにちがいが明確でなければならず、しかし一方で、「円滑な」交代のためには自民党と基本線で同じあることもまた認識されなければ実現不可能にならざるをえない。ここのところに、民主党のいう政権交代の最大の矛盾があると私は思います。
そして、小沢氏の西松献金問題にみられるように、現実には、ちがいが明確になるというよりも、基本的には同じだということがより明確になっている。この問題の同党の対応にも、それが鮮明にみえてくるのです。
(「世相を拾う」09081)
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海賊法案、今国会成立へ 民主が早期採決方針
欠陥制度が暴かれ、もう制度見直し- 介護認定制度
厚労省が見直し作業をすすめてきた要介護認定制度。今春から新たな認定方式全面的に以降する予定だったが、その目的がただ給付費の削減にあるとする内部文書が国会で暴かれ、厚労省は追及され、事態は一変したといえる。
そして、ついに新認定制度は半月ばかりで見直しに追い込まれた。「経過措置」という名で、従来の要介護度を継続することを可能とした。欠陥制度であることを自ら認めたに等しい。
厚労省が認定制度を見直す理由としてあげてきたのが、認定の基礎データの更新、変更率などの地域格差の是正、認定調査や認定審査会の実務負担の軽減などだった。その見直しのポイントは、①認定調査項目と調査内容の変更、②一次判定ロジック(コンピュータプログラム)の変更、③認定審査会による二次判定方法の変更、の3点。
見直し案が公表された当初から、つぎのような問題点が指摘されていた。
- 新方式へ移行すれば、いっそうの軽度判定化がすすむ
- 介護認定審査会では、一次判定結果の妥当性を検討するための材料が著しく制限され、適切な判断・救済が不可能になる恐れがある
- 一次判定、つまりコンピュータによるロジックが重視されることで、認定制度自体が闇の中に置かれる
軽度判定化という点では、最も重度である要介護5でも18.7%が軽度に判定されると結果が厚労省の公表した資料でも明らかになっていた(昨秋の第二次モデル事業の結果)。厚労省はこれまで「新たな方式に移行しても統計上差異はない」などと説明していたが、それも小池晃参院議員の追及でうそをついていたことになる。
たとえば、新しい評価、判断基準はこんなものでもあった。「頭髪がない」のであれば、手がかからないから「自立」と判定されるという摩訶不思議なもの。また、「1分間座れる」と、大丈夫ということで「自立」になるというものだ。
誰でも分かるように、状態がかわらないのに、要介護度が下がることは、サービス利用の制限に直結する。厚労省は、このように一次判定で処理する情報を極力少なくした上で、判定はコンピュータが下すというブラックボックスにし、給付費削減を図ろうとしたのだ。
こんな問題点が指摘されていた。
利用料が払えないとか、家族がいないために、これまで介助の事実がなければ、すなわちできる限り自分自身でやってきたことが「介助なし=自立」になってしまうという理不尽さだ。
介護の必要な人に必要なだけの介護を保障するというのではなく、ただ給付費を削減しようとする厚労省のねらいが明白になり、国民の反対の声、世論が厚労省に逆に見直しさせたというわけだ。
(「世相を拾う」09080)
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政治は政治家だけで動きはしない- たとえば貧困問題
湯浅誠をいちおう評価する立場からなのだろうが、結論は既成左翼では派遣も貧困も解決できないということらしい。そもそもこの人の概念規定そのものが、ブログ左翼というほとんど意味不明の言葉をもてあますくらいなのだから、あやしいものだ。つまり、私にはほとんど左翼とは思えない連中にねらいを定めて所説を展開しているのだから。
したがって、この人物のいう既成左翼という概念もまた疑ってかからなければならない。これが、共産党を指すのか、それともそこに社民党を含めるのか、あるいはそれ以上の広がりをもつのか。疑念はこう拡散するばかりだ。共通の概念規定にたたない以上、議論は水掛け論になる。
しかし、その上で、彼のいう結論は正しいのか。
正しくない、と私は思う。
ブログを読むかぎり、彼はあちこちの集会には顔を出しているようだが、自身が、では派遣や貧困を解決するための実践に踏み出しているかといえば、少なくともそう受け取ることはできない。
私は、湯浅氏らの東京派遣村の経験が全国に広まっている事実を大いに評価する。たとえば生活保護受給という一点にかぎっても、東京での突破点が全国を励まし、現にいわゆる路上生活者の生活保護受給がすすみつつある。そもそも生活保護法には住居の有無にかかわらず受給の対象から除外してはならないということが今日、あえて今日というが、再確認されたことが重要だ。つまり、これまで生活保護法の規定にもかかわらず、住居のないことを理由に、最初で最後のセーフティネットたる生活保護の受給要件を満たないと却下されつづけてきたのだから。
このように、昨年末の東京派遣村の経験がまさに全国に普及され、全国的に経験の共有化が図られつつある現状にてらせば、一つひとつの国民側の取り組みが政治を動かしつつあるという結論を導きだしても少しも不思議ではない。
私たちはここで、政治の舞台で、たとえば国会でどれほど多くの議席を占めようと、何ら政治を動かす、つまり日本社会の抱える問題を少しでも解決するための方向に光明を示しえない一方の現実があるのかとはかかわりなしに、国会の外で政治を現実に動かしていることを直視しなければならないのだろう。
彼の下した結論は、だから、こうした実践とは無関係の立場からのものであって、空虚なものにすぎない。好事家の域を出てはいないというわけだ。別のことばでいえば、から騒ぎにすぎない。既成左翼うんぬんという所説は、そもそも現実から乖離しているといってもよいと私は思う。
冒頭に戻る。彼の眼中にある左翼というのを考えるのだが、どうも左翼とは自公以外は含めるらしい。さすがに国民新、日本新は入れていないようだが。とどのつまり、そんなところだ。そんな視野だから、彼の把握といってもこの程度というものだ。
1か月前から民主党は西松事件と小沢辞任の政局となり、政策論議や選挙対策は蒸発したようになり、方向性と存在感を政治の世界で失ってしまう。小沢一郎の威光は衰え、小沢一郎を支えることで保持していた左派の党内権力バランスも微妙になり、特に菅直人自身の指導的地位も危うくなった。おそらく党内は、もはや派遣法改正どころではないのだ。ポスト小沢に生き残れるかどうか、菅直人と左派が引き続き勢力を維持できるかどうか、剣が峰の状況になっているのである。 |
その影響で、派遣法改正の民主党案が出ないのであり、様子見の状態になり、先送りの気配が漂っているのである。民主党の派遣法改正案は小沢政局の帰趨何如にかかっている。 |
西松建設問題が浮上しようとしまいと、民主党が派遣や貧困問題をどれほど扱えてきたのか。とりあえずメディアがいっせいにこの事件を報道しはじめた時期の前後をたどってみてもらえれば分かることだ。民主党に、派遣や貧困を扱える、そもそものベースがないのだ。
彼はそれだけでなく、つぎの所説でも迷走している。
正月の派遣村運動の後、民主党の労働法制の政策方針を左に舵を切って、製造業派遣禁止を含む抜本改正に転換したのは、小沢一郎の差配によるものだった。衆知のとおり、菅直人が小沢一郎の命を受けて福島瑞穂と手を繋いで抜本改正に動き始めた途端、自動車労連や電機労連をバックにした直嶋政行を始めとする党内右派が猛反発の声を上げ、朝日新聞紙上で抜本改正野党案を骨抜きにし棚上げにする策動が展開される。 |
そうではなく、民主党には、自民党同様に、企業への強い規制、あるいは世間でいわれる企業の社会的責任を公にすることができないことにこそ本質がある。表面上の政党の動きから本質を見極めることにこのブログ子も、私には躊躇しているようにみえる。
一面で、彼は民主党への過大に評価しているということになろう。
小沢の一挙手一投足は、国民の反応がある意味で決定的な意味をもつことを承知することからくる、過剰な反応を意味している。だから一昨年の参院選で、生活重視などというスローガンを強調させたわけだ。それが、いかに本来の彼の政治信条とかけ離れていようといまいと。
政治はたしかに国会の政治家の手に委ねられているように思える。しかし、時々の局面で、力を持たないはずの有権者国民が一歩でも、二歩でも、私たちが暮らす毎日にほとんどみえないようなところで、少しずつ有権者国民自身が国会を、政治を動かしていることに注目したい。
それは、この有名ブロガーが「問題は政治によってでしか解決できないという認識」とはおそらく対極に位置するだろう。
政治によってでしか解決できないというのが正しいとすれば、その前提に国民にコミットメントを置かなければならない。私は、政治家の、あるいは国会の力を少しも軽視はしないが、また、弱小で、圧倒的な国民の力もまた、軽視はしないのだ。
政治は政治家だけで動きはしない。
(「世相を拾う」09079)
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違法献金疑惑-真相究明、やる気ない国会。。
主権者でもなく、選挙権もない企業がなぜ献金するのか。
答えは簡単。見返りを求めるため。
現に「西松」は献金と引き換えに小沢氏や二階氏の地元でダムや空港などの公共工事を受注したことが疑われているのです。国民の税金が献金として還流していたことになるわけですから、看過できません。まあ、企業献金を是認する立場の人びとは、その根拠を示してもらいたいものです。
「西松」から偽装した政治団体を経由して巨額の献金を受け取りながら、政治資金収支報告にうそを届け出た疑いで小沢一郎公設秘書が逮捕・起訴されました。ところが、いまだに疑惑そのものについて説明責任を果たせたといえないのが現状でしょう。小沢氏と民主党に対しては、どの世論調査でも厳しい批判が相次いでいるのは当然です。
他方、現職閣僚である二階経済産業相らの疑惑が指摘されています。にもかかわらず、捜査が及んでいないのを逆手にとって、疑惑解明にまったく消極的な二階氏、任命した麻生首相、自民党の責任は重い。批判が高まっています。
税金が特定の企業に流れるという問題を、国政の根本問題として国会は徹底して調査し、真相をあきらかにすべきなのです。
「西松」がダミーにした二つの政治団体の代表らを参考人として招致すべき。直ちに参考人招致に踏み出し、国会はその役割を果たすべきではないのか。
国会にはまた、国政調査権というものが保障されている。それを行使し、法献金疑惑の真相究明と責任をはっきりさせることが求められているのではないでしょうか。
たしかに民主党は企業献金にかかわる検討委員会を立ち上げています。でも、伝えられている到達点はお世辞にも立派といえるようなものでもなんでもありません(参照)。
司直やこうした政党負かせではなく、疑惑を究明する機能を今、発揮すべきで、そうしてこそ国民にたいする国会の責任も果たせると思うのですが。
(「世相を拾う」09078)
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企業献金全面禁止の意思はない。。
企業・団体献金、将来的に全廃=時期詰め政権公約に明記へ-民主改革案 党執行部は全面禁止を「5年以内」とすることで意見集約を図りたい考えだが、党内には異論もあり、難航する可能性もある |
記事が全面禁止の文字を書き、民主党が将来的にではあってもそれをめざそうという方向が国民に伝われば、それなりの効果があるということでしょうか。選挙前の今ですから。
どうやら全面禁止に党内に異論があるということのようです。小沢党首の全面禁止発言はどこにいったのでしょうか。
民主党が想定している、目標の全面禁止実施までの5年間は、全面禁止をしないわけですから、全面禁止が理想型だとする以上、全面禁止をしないわけですから、理想ではない状態を肯定するわけになる。その理想とは異なる状態を同党はどのように規制するのでしょうか、あるいは野放しにするのでしょうか。
部分的規制が成り立つという考えは、この点の解が明確にあってはじめて成り立つでしょう。
あえていえば、部分的規制などというものは、問題解決にはならない。抜け道をつねに温存してきたののが、日本政治の歴史でもあって、つねに「政治とカネ」をめぐって事件が連続する要因になってきたのではないか。
ようするにこれは企業献金の全面禁止の先送りということです。先のエントリーでこの先送りを、
企業献金が可能となる余地を残しておくことに提案者は意味を見出しているということです。 自民党もまた、ほくそえむのです。 遠のく企業献金全面禁止 |
と指摘しました。こうして、自民はもちろん民主もまた、「政治とカネ」をめぐる問題の解決を図ろうとするわけではなく事態は推移するようです。
ひとつは、ただ民主党が自民党にとってかわって政権をとるという現象に価値を見出そうとする人々は、むしろ企業献金の全面禁止に消極的であったように思えます。なかには企業献金は悪くないと考える人もあったりして。
こうした立場の人は、小沢代表がすでに短くない期間、かたちはどうであれ、企業から連続して献金を受けてきたという事実そのものは打ち消しようもないわけですから、一つは、企業献金=悪という見解をとらないか、あるいは小沢秘書逮捕劇にからむ手法、手続きの問題の強調という態度に出たと考えるのです。
そもそも、企業といういわば社会的な存在であるといわれている組織が、その(政治)力を軸に献金という媒体をもちいて政治のあり方に影響を及ぼす。ここに、企業献金の存在の意味があるし、それなしに(企業の)献金の授受はありえない。これを是とするか否か、これは根源的な問題でしょう。ですから、企業献金は政治をゆがめる、廃止すべきという立場からするrと、企業献金オーケーという立場は論外であって、その上で、では今回の民主党のような「中間的な立場」、つまり理想として全面禁止だが、中間的規制で対処しうると考える立場にをどのように解釈するのかという問題が存在しうるということでしょう。
しかるに、私は、この立場は、先に述べたように、その理想とは異なる状態を同党はどのように規制するのか、この点の解が明確にあってはじめて成り立つ議論です。
それが明確ではない民主党の検討案には、ですから問題を先送りするにすぎないという結論を下さざるをえない。
そこで、あるいはそれでも、民主党は、あるいは政権交代を至上だと考える人びとの、現時点での反応がまた面白い。
企業献金を是とする立場をとったブロガーの一人(参照)。
企業献金の是非そのものはつまるところ捨象され、小沢を守るかどうかの議論に収斂させています。そうなのでしょうか。企業献金=是なのでしょうから、こうなるのも当たり前といえばいえるのでしょう。
そして山口二郎氏(参照)。
前原氏の言葉が的を射ています(参照)。
小沢代表が最も政権交代に重きを置いていると言っているので、そのことをお互いに共有して党が結束する
のだそうです。
同党のアイデンティティは、政権交代という一点にあるということを自ら証明したようなものです。
政権交代があっても、「政治とカネ」問題はいっこうに絶えないという想定が視野にないわけでもないでしょうに。逆転しているのですね。
全面禁止の意思はほとんど私には感じられません。
(「世相を拾う」09077)
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坂本剛二発言- 予断を許さぬ日本の状況
以下の記事が伝えるのは、そのことにもふれているのだが、これにつづく発言であって、ということは自民党のなかで、核武装論が強く押し出される機運になっていることを示している。
自民・坂本氏「日本も核を」 党役員連絡会で発言
洋の東西を問わず、外からの脅威を喧伝することによって国民のなかの恐怖感があおられ、いきおい愛国的雰囲気が醸成される可能性が広がるのを我われは知っている。たとえば、イスラエルにおいてしかり。
坂本剛二組織本部長の「北朝鮮が核を保有している間は、日本も核を持つという脅しくらいかけないといけない」という発言はその可能性をさらに広げようと言う役割を果たしている。国内の世論調査にも微妙な変化をもたらすだろう。
この国には外交がないようにみえる。そして好機到来というのだろうか。
北朝鮮が仮に無法を繰り返す国家であっても、対話を重ねることを軸においてこそ、両国間の関係は発展するだろう。以上のような、およそ対話路線はありえないかのような態度は、むしろ関係悪化にこそ道を開くものだと考える。
一方で、山崎拓がこのような発言をしている。本心がどこにあっても、その主張はうなづけるものだ。
「日本は外交の力を大事と考え対話の努力をしないといけない。6者協議の枠内で、対話と圧力を駆使した柔軟な対応が求められる」と発言しているようで、発言を否定しなければならない理由はみつからない。双方が武器をもってたたかい、平和が訪れたためしはない。
核保有を主張し、憲法改定を主張してきた連中のこうした変化。そしてこちらは、なしくずしに憲法違反をやってのけたのに、ほとんど議論にならずじまいに終わっている「海賊対策新法」。海外の武力行使への道を開くこうした危険な動きを無視するわけにはいかない。
このような意味で、平和と憲法をめぐって予断を許さない状況にあるといってよいのではないか。
(「世相を拾う」09076)
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北朝鮮ロケット発射 物語の拡張- 落下物探索計画
海賊対処の名で海外派兵
自衛隊のソマリア沖派遣を急ぐわけ
北朝鮮ロケット発射 物語の拡張- 落下物探索計画
随分以前のことだけれど、別役実の『新・商売往来』という新書を読んだ。ふつうの商売ではなく、世間からすると選択する人は少なく特殊だという意味での、いろいろな商売が紹介されていて、興味深かった。
そのなかに地見師というのがあった。文字をみて推測はつくだろう。いつも下、つまり地面を向いて歩き回り、ものやお金を拾って暮らすプロという意味だ。
このニュースを知ってはじめに思ったのは、この地見師。計画によれば、むちろん地面ではなく、海の中を探索する。
北朝鮮というよりも、むしろこの日本国の政府が社会を攪乱したというのが率直な感想。通告初日の誤報がそもそもそれを象徴している。どうも、政府のいう「誤探知」は政府の報告した一件だけではないようでもあり、そのほか様々な問題が露呈しているようだ。危機管理もあったものではないという感じか。
記事が伝えるのは、それに拍車をかけるものだろう。
北朝鮮の脅威をあおり、挑発だと非難する日本国の政府が、通告後、政府がとってきた行動の一連を合理化し、そして正当化するためにも、回収が必要だと考えているようだ。目的は、エンジンから北朝鮮の技術水準を推し量るということらしい。
けれど、それが必要なことなのか、はなはだ疑わしい。元にもどって、脅威を今後もあおるためにも、「宝さがし」が条件になる。ベールにつつまれた北朝鮮を想定しておくために。
海底を探して回る今回の発案は、一方の地見師にならえば、底見師計画とでもいえるだろうか。
こんな冗談も慎まなければならないほど、すでに政府が検討しようとすることには問題をはらんでいる。多額の費用を要することだ。
1日あたり600万~2000万円というのだから、ひと月30日で最大6億円、少なくとも1億8000万円かかるということを意味している。だから、半年かかれば、探査できようとできまいと、少なくとも2億円近く、政府の資産では最高36億円かかる計画になる。政府の計画によって、一方で商売が成り立つのだ。しかし、空費も半ば覚悟しなければならない。
これだけの多額な予算を、たぶん無意味に終わると私は考えるが、本気で北朝鮮が残した遺物探索にかけようとする政府の見識を問いたい。
今、不況のなかで雇用確保が課題になっているというのに、考えることは自衛隊駐屯地での職業訓練(参照)であったり、宝物探しというのだから。この国の政府の緊張感を疑う。
物語が拡張される。それにともない、つぎ込まれる膨大な金。
1日あたりの探索費用を雇用対策に振り向ければ、少なくとも500~700人の雇用は確保できる。見込まれている最大の費用ならば、2000人程度の雇用を守ることができる計算になる。
私なら、徒労に終わるだろう発案をとらず、雇用確保を断固とる。
(「世相を拾う」09075)
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麻生首相「贈与税減税」発言- 誰を応援するのか
そこで、麻生首相が何を考えているのか、以下の記事はそれを端的に語っています。つまり、彼の頭の中には、ごく一部の階層しか視野にはないことをこれは示している。
彼が検討の価値があるというとき、いわゆる富裕層といわれる人しか頭に思い浮かばなかったということでしょうか。それとも、日本の経済とはすなわち一部の富裕層のためのものであって、その層の人たちの動向こそが日本経済を決定づける、こう麻生氏が考えていると思われてもしかたがない事例の一つであることにちがいはありません。
昨年来の世界的な金融危機で日本はいちばんその影響を受けている国の一つであることは誰も疑わないでしょう。そうなると、その影響を断ち切り、国内の不況をいかに脱却するのか、それが問われなければなりません。選挙目当てに麻生内閣は、いくつかの国民の人気取り政策を実施していますが、この贈与税減税は、麻生内閣の何たるかを示す、本質的な政策でしょう。
麻生内閣以前にも、税のとり方に関していえば、歴代の自民党政府は、大企業や財界には法人税減税という手法で税金を安くし、一方で、たとえば消費税にみるように、広く、浅く税金を取ってしまう。その結果、数字的にふりかえると、財界・大企業の税を安くした分をそのまま国民に転嫁したという事実が残すのでした(参照)。
ここにこそ、歴代の自民党政府というものが、国民の生活を重視する方向にかじ取りをするのではなく、ただただ財界や大企業という、はるかに国民より担税力をもっているはずの一部に、政策の力点を置いているということ、別のことばでいえば、自民党の政治というものが財界・大企業本位であることを証明しているのではないでしょうか。
麻生氏も、この自民党政権を本質を引き継いで、ごく一部の富裕層が該当する、富裕層だけが減税の恩恵を受けるだろうと思われる、贈与税減税などを目玉にしょうという魂胆です。
イギリス政府が、世界的不況のなかで、広くその効果が望める消費税減税と、まったく対照的であって、そこにわが日本国政府の政治的センスの無さを私は率直に感じざるをえません。
麻生氏は、しばしば国民生活とはおよそかけ離れた、とんちんかんな発言をして驚かされますが、それらの発言も、今回の贈与税減税をもちだす姿勢も根は一つ、彼の立ち位置が国民の生活とは交差しないところにあることを意味しているということです。
一部の人の減税による多額の、ごく部分的な効果か、ごく少額(であっても)の、圧倒的な効果か、どちらを選ぶのか、それは自民党自身がこの間の、消費税の歴史であるいは実感しているはずなのでしょうがね。
(「世相を拾う」09074)
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追加経済対策“贈与税減免”急浮上のデタラメ
遠のく企業献金全面禁止
民主案、企業献金は登録・審査制 一定額公共事業受注企業は禁止 民主党の政治改革推進本部(岡田克也本部長)は2日の役員会で、西松建設巨額献金事件を踏まえた政治資金規正法改正問題で(1)献金する企業・団体は事前に公的機関に登録し審査を受ける(2)一定額の公共事業を受注している企業・団体は献金を禁止-との新制度を民主党案に盛り込む方向になった。 来週から党内の意見集約に着手し早期の法案化を目指す。事前登録の具体的な仕組みや「一定額」の水準は今後詰める。 |
結論は問題の先送りだということです。仮に部分的規制がありうるとしても、事前登録や、その際の審査のあり方、規制対象の基準が明確にされていて、はじめて成り立つものでしょう。
事前登録の具体的な仕組みや「一定額」の水準は今後詰める。 |
こうした規制をしなければならないのは、あるいは同党が少なくとも検討しようとすることは、「政治とカネ」をめぐって問題が拡大したし、するからでしょう。同時に、規制の対象からはずす部分を残すということは、その部分については、「政治とカネ」をめぐって問題が拡大する可能性がないと判断するからでしょう。
その上で問わなくてはならないのは、記事のいう「禁止」される対象とされない対象という、2つの部分に区分すること自体に意味があるのか、ということです。
小沢氏が企業献金は前面禁止にすると最近、口にしました。大きな一歩を彼は踏み出しています。前進です。この小沢氏の発言内容は、今後の検討課題だとも岡田氏は語っています。
民主:企業・団体献金、全面禁止は「将来的に実施」
つまり、今回の見直しの方向は一階梯にすぎないことをのべているのです。「将来的に実施」といわざるをえないところに、民主党案の限界が含意されています。
政治とカネが問題になるとき、一時的に政治改革が叫ばれ、制度改定が繰り返されました。しかし、つねに抜け道が準備されてきました。現行の政治資金規正法が成立するときも、資金管理団体への企業献金の禁止をうたったものの、政党支部などへの献金は温存されるという具合に、何の歯止めにもならなかったではありませんか。
2つの部分に区分すること自体に意味があるのか、と先にのべました。私に思いつくその解釈は、ただ、企業献金が可能となる余地を残しておくことに提案者は意味を見出しているということです。
自民党もまた、ほくそえむのです。
(「世相を拾う」09073)
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