森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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バラバラ批判に反論不能の党と末期的な統治能力不在の党
「バラバラで何が悪い」=岡田氏、開き直る-民主 「バラバラで何が悪い。いろんな考え方の人がいるのは当たり前だ」。民主党の岡田克也幹事長は30日、横浜市で開かれた次期衆院選の立候補予定者の会合で、民主党を自民党から旧社会党までの「寄り合い所帯」とやゆする声があることに対し、こう反論した。 岡田氏は「バラバラと言われるのはあまり好きじゃないが、最近は開き直っている」とした上で、「米国を見て下さい。多様な人種、考え方、宗教があるからこそ強い」と強調。「違いが一つにまとまったときに、すごい大きな力になる。最後は幹事長の力量だ」と自らを奮い立たせていた。 |
岡田氏でなくても、誰もおそらくまともな反論はできないので、岡田氏を責めるのは酷な気もしますが、しかし、幹事長としては失格でしょう。バラバラというのは単に意見の多様性をいっているのではなく、政策的に統一できないことを直接的に指すでしょう。だから、当ブログでのべてきたように、これまでも様々な問題で、それぞれの立場から民主党議員が発言することはあっても、基本方向をまとめずに、政権交代後まで先送りしてきたことがしばしばありました。
岡田氏のいうところから判断すれば、党内の意見の多様性をむしろ評価し、それを押し出そうとしています。民主党の議員個人は、顔が違うように考えることも異なるのは当たり前です。しかし、そんなことをいってもはじまらない。
一つの政党に所属するのは、すなわちその政党の綱領を認めているという前提にたつのが普通でしょう。が、この政党には、簡単な基本理念と基本政策はあるが、綱領がない。
逆にこうした、緩やかな規定とせざるをえないのは結党時の事情によるのでしょう。多様な意見のものを一つの党にまとめることが時代の要請、つまり二大政党政治をめざす勢力の課題であったと考えることができるでしょう。
しかし、ここには最近の定数削減問題での民主党の態度に明確なように、本来の有権者の意識、民意を国政に反映させるかという視点を欠落させたまま、選挙制度の設計のみに終始する、極論すれば党略的な態度と相通じるところがあるような気がします。
ようするに、民主党の結成というのは、当時の非自民勢力の最大結集を図ることを優先するという、国民とは乖離したところからはじまったのですから。以来、規約のなかにもしばしば民主党国会議員という言葉が使用されているように、議員政党たる民主党(への所属)が、自らの選挙に有利か否かという尺度で少なくない議員・候補者は所属を決めてきたくらいです。
こうした議員たちがいかに多いか。現在の民主党国会議員をみてみるとよく分かります。小沢一郎はもちろん、鳩山由紀夫、岡田克也、山岡賢次だって、そうです。しかも、遍歴がその意味で華やかな人が少なくないのですから。
こうした結成以来の経過に示されるとおり、もともと民主党というのは明確な政治路線というものが規定できない政党だといえますが、貫かれているのは、第二自民的な位置と役割です。したがって、きわめて相対的な政党だといえるかもしれません。この党が選挙時にはマニフェストをつくり有権者に宣伝したとしても、
この性格からのがれることはできない。
衆院議員の任期満了が一日一日と迫りながら、私が決めるといってきた解散も結局、これまでできなかった麻生太郎。有終の美をなんとか飾ろうという思いも首相にはあるのかもしれませんが、政権の実態は、これこそバラバラなように受け取れます。麻生のガバナンスなどあってないようなものです。安倍、福田、そして麻生とただ政権を維持するために信を問わずに、政権の交代を3代にわたって繰り返してきた事実は、いよいよ戦後の自由民主党による政治がゆきづまり、破綻しているという実感を国民に与えるに十分です。
今日の国民生活の窮状をもたらしているこの自民党政治の転換こそが、麻生氏が首相でなくなる日に求められる課題でしょう。それは、統治能力を失った自民党がやってきた政治が変われば転換できるというものではありません。たとえば税のつかいみちを根本的にかえなければなりません。大企業を優遇するのではなく国民・有権者本位に切り替える。税の取り方もまた、大企業優遇税制をやめ、応分の負担を迫る。消費税以外の財源を提示する、などなど。
これらを主張しないでは、自民党政治の転換はできません。
もともと議員を束ねるための、一種の方便に近いような、あいまいな基本政策しかもちえない民主党にそれができるとは私は思いません。本来、ばらばらでなければならない政党と、いよいよ政党の大もとが事実で問われることになり、かじとり不能にたちいたっている政党が政権を争うという構図が前提としてあるかのように伝えられるのですが、この2つの政党のばらばらの意味を考えてみると、実は別の側面から同じことを語っているように思えてなりません。
(「世相を拾う」09112)
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bookmark 紹介- アドルノ的
太宰治と浅尾大輔。
太宰を知らない人はほとんどいないかもしれませんが、浅尾を知る人は多くはないでしょう。
前回の紹介から少し間があきました。今回紹介するのは、冒頭の名で長文のエントリーをあげたアドルノ的さん。更新頻度は多くはありません。が、毎回、考えさせてくれるテクストが満載なのです。
太宰治と浅尾大輔でアドルノ的さんの文章から迸るのは、結局、誰と手をつなぎ、誰と対峙するのかという問いかけでしょう。浅尾のその視点に関して批評しています。
そうしてみると、いやというほど繰り返される政権交代という言葉の無内容と軽薄さを私は一方で感じざるをえません。
長文のなかにいろんなエピソードがちりばめられています。そのなかで、加藤周一を常に追っかけてきた私は、エントリーのこの部分にふれないわけにはいかない。
加藤周一と宮本顕治の対談についてのくだりです。そして臼井吉見の文章で締めくくったところに、アドルノ的さんの的確な眼を感じるのです。
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補正予算成立と最も弱い者に牙を向ける政治
補正予算案が成立しました。なので、これがいったい我われの生活に役に立つのか、そこにふれたいと思います。まあ、選挙対策として打ち出されたわけで、その意味でばらまきの印象を誰もが持つでしょう。だとすると、そのばらまきの結果、財政をどうするのか、これが問われることになります。これを今の自公政権はどう考えているのでしょうか。
「経済危機対策」、なるほど聞こえはいいのですが、これが本日、成立したのです。だいたい、09年度当初予算が決められて、直後にこんな規模の補正が認められるということ自体、異常です。前代未聞です。高笑いしているのは財界ではないでしょうか。年間100兆円の規模を上回る予算ということですから。国債で対応するのですから、借金は国民の肩にずっしりと重くのしかかる。予定されているのは消費時増税で穴埋めする、この方向は麻生首相の今日までの発言で明らかなとおりです。
この補正がいかに国民むけのものであるのかを宣伝するために強調された、「子育て支援」、妊婦検診の無料化などですが、よくみると期限つきの特例措置にすぎません。たしかにないよりあるほうがましだといえるのでしょうが。
しかし、一方で、自公政権がこうした選挙対策ともいえる一時的措置を国民向けにとる一方で、牙をもっとも弱い部分に向けていることに関心を寄せざるをえません。
たとえば、生活保護の母子加算廃止や老齢加算廃止は、まさに社会的にみれば、全体のうち、もっとも弱い部分をねらいにうちにした制度的改悪と断言して誤りではない。母子加算、老齢加算のこれまで対象になってきた階層こそ、本来、社会的に救済されなければならない部分ではないでしょうか。これらを切り捨てる政治は、厳しい審判を下すくらいの一致を広げないといけないのでしょうが。
自公政権はこれまで毎年、社会保障費2200億円の削減をうちだしてきたわけですが、これを是正しようとすることは考えていないことをしっかり受け止めておく必要がありますし、その上で、選挙が近いだけにある意味で場当たり的な人気取りのために「危機対策」を打ち出しながら、そのつけを消費税増税という、これまた国民各層に、しかも弱者により負担を求めようというのですから。ポンパドール夫人よろしく、大洪水よ、わが亡き後に来たれといっているのと同じようなものです。筋書きは、したがって、いよいよ経済破綻をもたらすということになるでしょう。今日の日本の状況が、国内消費の低迷にあると認識するのなら。
結局、今回の補正予算の考え方にも、政府・与党の税金のつかいみちと税金のとり方に表現される階級性というものが如実に表れている。つまり、今回の14兆円ともいわれる「経済危機対策」の大部分は、大企業を応援するばらまきと性格づけすることができるでしょう。内需拡大こそ大事なのに、麻生首相は民需拡大とあけすけに語っているように、企業のために補正が必要だと主張しているに等しいものでしょう。
私が深刻に考えるのは、欧米諸国とのあまりにも対照的なこうした自公政権の姿勢です。日本のやっていることは、高額所得者への増税によって国民への減税を実施し、国内需要を高めていこうとすることに重点を置いた欧米と、以上の日本政府の「経済危機対策」に端的に表現される乖離なのです。
その違いを埋める、ここが近々おこなわれることになる総選挙の課題といってもよいのではないでしょうか。
もっとも弱い者に牙をむける政治はこれでおしまいにしなくてはなりません。
(「世相を拾う」09111)
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化けの皮をはがす森喜朗発言
27日付朝日の囲み記事はこう伝えています。
森曰く、
共産党は消えてくれるのは結構だが、衆院を300人にすると言う人たちは、公明党に行って許しを取ってこい |
衆院議員の定数削減に異議を唱えたというのです。
森が共産党を封じ込めようというのは、これまでの彼の発言からの明らかであって、あらためて定数削減が共産党つぶしに一役買うことを表明しているのですが、森には、現連立政権の相手たる公明党が比例部分の縮小に反対するのは、いわば目にみえるというわけです。昨日のエントリーでのべたように、国民全体の政党支持の分布を可能なかぎり実際の投票行動に生かすとすれば、比例区を重視することになるというのが一般的な考え方でしょう。
自民党と民主党が先を争って主張している衆院の定数削減は、これまで指摘したように比例部分の縮小を基本にしている。この点でまったくちがいはない。森は政権政党として、連立の相手である公明党の合意をとりつけよというわけです。
定数削減案が、少数政党の排除をともなうものであって、それに何ら関心を示しえない自民、民主は、まさにその反民主主義的立場をどこまでも問われなくてはならない。
森が以上のようにのべるのは、もちろん自民党政権の保持が念頭にあるのでしょうが、その立場からも、自民党や民主党の定数削減案がいかにひどいものかを示す発言といえるでしょう。
ちなみに森はかつてこうのべていたほどの人物です。共産党の伸張を心憎く思う人物であるのは、これらをもってして、すでに明らかなのですが、そうであっても苦言を呈さざるをえないほどの、自民・民主の競い合いが今日、おこなわれているということです。
つまり、少数政党排除にこそねらいがある。二大政党政治というのは、こんな本質があるということを肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。
それにしても、かつての総理経験者がこんな根幹にかかわる発言をしてよいのでしょうか。
自民党も、もちろん民主党もこんな本質はひた隠ししてきているのですから、森が単に口が軽いということだけですまされるのでしょうかね。
しかし、小沢を批判すればこんな批判が跳ね返ってきます。どんな批判も私は受け止め、必要であれば反論したいと思う常々ですが、民主党が政権交代をさけびつづけるなかで、その支持者や取り巻きの連中のなかには私にはこんな低水準と思える言説が現れる。
公にするのも、はずかしいほどのものですが。読者のみなさん、一つの笑い話と受け止めてください。
民主党支持の皆さんすべてがこうだとはもちろん私は思いませんが、支持者のなかにはこんな人もいるわけですね。
コメント欄から(参照)。
アホか さとし
こういうことを書くあなたは、政権交代の重要性を分かってない輩が、政官業の恩恵をうける、大手マスコミのイチミかのどっちかである。
私は小沢氏秘書が逮捕されたのは全官僚組織と自公政権の陰謀と考える。
あんな実態のない容疑で逮捕されるなら自民党議員の秘書は何百人と逮捕されなければならない。
まああなたが、後者の悪意ある人間ならこんなこと言っても仕方ないが…
>さとしさん これお・ぷてら
貴方の言う政権交代の重要性って何なのですか。
結局、それを貴方がはっきりさせないでは先にすすまない。
私がアホであろうとなかろうと。
何も分からず政権交代、交代とさけんでいるほうがよほど、貴方が投げつけられた罵声にふさわしい。。
かわいそうに さとし
あなたは頭の中、権力者に去勢されていることをわかっていないようだ。
戦後アメリカは、日本人に考える力を与えない教育制度を持ち込みました。あなたはそのアメリカの成果の典型です。
>さとしさん これお・ぷてら
ご冗談を。
小沢を批判すれば、米国に去勢された者ですか、アホですか。
応えるに足るコメントを書きなさい、いいかげんに。。
まあ、コメンとをよこしたくせに思考は先に一歩も進まない、ほとんどいわゆる盲従の域を彼はでていませんね。
こうして彼から漫罵を浴びた私ですが、あえて返せば、ほとんど彼は分かっていないということだけが明らかになったのではないでしょうか、おそらく。民主党というのはこうした部分にも支えられているという一端を示したのでしょうね。
ていたらくの自民党。そして政権交代を叫んできたものの、その中身には一切ふれないままで、およそ自民党とちがわないことが個別の問題で明らかにされてきたのではないでしょうか。
それでも、このさとし氏のように、政権交代の重要性などとわけの分からぬ態度で盲従する意味を、いまの時点であらためて立ち止まって考えてみる価値は少しはあるというものです。
(「世相を拾う」09110)
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改憲反対ならば鳩山支持はありえない。。
鳩山党首の誕生を現在の日本の政治状況と重ねてみて、率直に懸念を抱かざるをえません。政治状況とは、海賊法案の衆院通過、そして憲法審査会の審議入りのための条件整備などであって、それらをくくってしまうと、私からみると、一つの方向が定められているように思えるのです。そう、改憲への道。そこを歩みはじめているような気がしてなりません。
以前に安倍晋三が「美しい国づくり」を唱え、改憲を明確に視野に入れて動き出したとき、少なくともブログの世界では、反安倍の主張は無視できないほどの勢力を保っていたといえましょう。少し立ちいってみると、たとえば、安倍(政権)を終わらせようという一致点で結びついていた一つの集団は、一致点そのものが「政権交代」を前提にしていたわけです。しかし、安倍はダメで一致しているけれど、では、その「交代」のありようについて一致しているかといえばもちろんそうではありませんでした。だいいち顔がかわるだけでも政権交代なのですから。
本質的に前政権と新しい政権のどこがちがうか、ちがわないか、そんなものは関係なく、とりあえず安倍に辞めてもらうことに結果的に成功したのでした。それから、以来3代にわたって政権交代はおこなわれたわけですが、国民の信を問うことなく自民党(自公)政権のまま今日にいたっているのは周知のとおりです。この間、しかし、ふりかえれば重大な出来事があった。有る意味で歴史的な事件だとも私は考えるのですが、そうであったはずの福田・小沢の密室協議と、その結果の、日の目を今日までみなかった大連立構想なるものが浮上したのでした。これは、のちにのべるように今日の民主党の指導体制と深く結びついていると私は考えています。だが、いまや、そのことも日本全体が忘れ去ったかのようにも思えます。その小沢氏は今後も隠然たる影響力はもつだろうと推測されているのですが、すでに民主党党首の座を鳩山氏に譲りました。そして、当時の首相・福田康夫も陰が薄くなって、後景に追いやられているのが今日でしょう。
そして、先にのべたブロガー集団はどうかといえば、雲散霧消といいきると言い過ぎでしょうが、キャス・サスティンが説いたように、相互分裂を避けることはできなかった。サスティンはこの現象を集団極化(参照)とよんだのですが、この集団の今日はまるでサスティンの理論の典型をそこにみるような実態ではないでしょうか。散り散りになっている現状がある。そういってもまちがいではないでしょう。
当時の安倍(政権)を終わらせようという意思は、現下でその可能性はどこにあるのかという意識に結びつくと考えるのが一般的でしょうから、そうすると政権交代可能な政党として民主党が浮かび上がる。そして、そうした意識がいよいよ研ぎ澄まされていくと、いつの間にか小沢一郎崇拝に連続する。何が何でも小沢一郎。一時期のブロガー集団のオピニオンリーダーとも思える人物はほとんどその言説がこれ以上のものでななかったように思います。小沢の「豪腕」が喧伝されればされるほど、その傾向はより鮮明に、鋭くなっていったといえましょう。分かりやすくいえば、政権交代は小沢で、小沢なしに政権交代はありえないと、かつての安倍を辞めさせよの主張が置き換えられたのでした。さらに、この筋書きに反対するものは、すなわち自民党=「敵」を助けるものにほかならないという言説までが闊歩するのもこの時期でしょう。
自民との大連立を企んだ小沢は、自らの政治献金授受によって、代表の座を追われることになりました。研ぎ澄まされた政権交代至上主義は、小沢一郎あっての「交代」でしたから、すわ一大事、小沢に仕掛けられたととらえ、国策捜査とまで断言した。国策そうかか否かは検証されるのでしょうが、現実にきわめてワイロ性の高い多額の金を受け取っていた事実を小沢自身が否定しているわけではありません。彼がいったのは、何もやましいことはないということでした。
あえてこうよぶとすれば、ブログの世界で政権交代を志向してきた人びとは、安倍を辞めさせる→それが可能なのは民主党による→それを可能にしうる人物は小沢→小沢疑惑は国策捜査、という単純な展開が思考されてきたのでしょう。
むろん疑惑の全体像が報道されるにつれ、国民の小沢にたいする反発が高まり、これに抗し切れずに、小沢辞任、民主党代表選というシナリオが準備され、鳩山新党首が誕生したのでした。
ずいぶん遠回りをしましたが、鳩山由紀夫という人物が民主党党首に選出されたという厳然たる事実がここにあります。
冒頭で、改憲への道を歩みはじめていると懸念を私はのべました。
そう思う、最も大きな理由は、鳩山由紀夫自身が明確な改憲論者だからです。彼の素性を少しだけたどっていくと、それは歴然としています。
中曽根康弘元首相を会長に「新憲法制定議員同盟」が結成されたのは08年3月です。その際、民主党を代表して参加したのがほかならぬ鳩山由紀夫です。
鳩山は、就任挨拶の際、友愛ということをもちだしました。それは彼の祖父、鳩山一郎のものだといわれています。いうまでもなく鳩山一郎は明確な改憲論者です。
つけくわえるならば、改憲論者の安倍に反対するのであれば、改憲論者たる鳩山由紀夫にも反対せざるをえないでしょう。ところが、ブログの世界では、安倍(政権)を終わらせようと主張してきたブロガーの一部は、改憲論者・鳩山由紀夫に異を唱えるどころか、過去の主張すらどこかに置いてきたかのように賛成の態度をとる。この点を非国民通信が鋭く衝いています(参照)。
こうした背景をもとに考えるのは、改憲勢力が改憲をするために必要な条件、つまり国会議席の3分の2を維持しなくてはならないということです。安倍政権が参院選で敗北した際、読売は「もはや大連立しかない」という社説を掲げましたが、それを受けて先にのべた福田・小沢の大連立構想が浮上したのでした。
小沢秘書逮捕以来、それまでの「政権交代」至上の風向きがかわったことは事実で、今、政治が動いているという状況ではないでしょう。つまり、大連立でしか政治が動かない状況が逆につくられているといえないこともない。
鳩山の代表就任はこんな条件になかで生まれたといえるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09109)
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【関連エントリー】
憲法審査会始めて結構という鳩山新代表。。
議員定数削減論の欺瞞
現在の局面はこんな状況にあるのではないでしょうか。
自民党の菅選挙対策副委員長が議員定数削減に言及しました(参照)。
ただ、言い出しているのは彼だけではありません。今月中には結論を出すといわれている、武部勤がキャップの自民党の党改革実行本部。関連して、太田誠一はメーデーの日、こう語っています。
「世襲」より、議員定数の削減と定年制が必要です
世襲よりも定年制と持論をのべた上で、議員定数の削減を主張しています。しかも具体的に。どうやら太田ののべる議員数あたりが先の改革実行本部がとりまとめる水準なのでしょう。
議員定数を減らす検討が自民党で始まっています。私の提案は、現在の衆議院議員定数480人を150人にすることです。 国民から見て、一人ひとりの政治家がなにを考えているか、どのように行動しているか、その活動ぶりが十分に分からないわけです。ほとんどの議員は多数の中に紛れ込み顔が見えない。そして分からないうちに任期が終わってしまいます。 なんのために選挙で選んだのか、わからない。そうであれば選挙をするに値しなかったということではないでしょうか。 すべての議員の活動が国民に分かるように議員の数を減らすことが必要だと思っています。数を絞って150人程度にすれば、自分たちが苦労して選挙で出した人がどういう活動をしているかが常に明らかになり、判断しやすいと思います。 |
金権腐敗に手を染める議員、資質が問われる議員が連続する国会の実態もあって、一般的に議員の数を減らせという意見をもつ人は少なくないようですが、それだから議員定数を減らすのが当然だといわれると私は賛成できません。しかも、自民党が考えているのは、どのように定数を減らそうとしているのかという点で看過できるものではない。ようは、比例部分を削減しようとしているのですから。
私が反対するのは、比例部分というのは現在の制度のなかで、あえてこんな言い方をしますが、相対的に国民の意思を反映できる部分だからです。つまり、小選挙区のウエイトを今以上に高めようというわけです。だから、今でさえ、たかだか30%政党が今、現在のように3分の2以上を占めることが可能なわけで、国民全体の支持率が低くても議席の多数を占める条件をさらに広げようとする魂胆なのです。いわゆる民意と議席配分が大きく食い違うことになる。
小選挙区という選挙制度は、大政党をさらに大きくし、小数政党を排除しようとするものです。比例部分をなくそうとする意図は、反民主主義的とよんで差し支えないでしょう。今、定数削減が強調されているのは、自民党の支持率低下が一つの潮流となって久しいのですが、3期にわたり国民の信を問うことすらできない、政権政党のゆきづまりのなかにあって、いわば「起死回生」を図るための策略です。
ところが、この自民党と政権を争うはずの民主党もまた議員定数に賛成の立場のようです。これまでもマニフェストで削減案を堂々と掲げてきたのですから。
昨日のエントリーでものべましたが、両党のちがいとは以上のように、せいぜい「改革」の程度を争うくらいのものにすぎません。選挙制度としては国民の意識と大きくかけ離れる議席配置も可能な小選挙区制度でも同じ態度。ムダ遣いを口にすれば、多額の政党助成金をもらっているくせに、きまって議員定数削減を争っている両党ですが、その削減の中身が反民主主義的な点でも一致するのですから、ちがいの強調は、共通点の存在を無視することにつながっていて、結局のところ、欠いてはならない視点を欠落させることになっているのでしょう。
議員定数削減の欺瞞性を強く指摘したいのです。
(「世相を拾う」09108)
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自民・民主の鞘当ても、違いの無さが強調される
政権交代がいわれつづけているのですから、自民党が民主党の動向に神経をとがらすのは当然なのかもしれません。
西松問題で民主を批判=細田自民幹事長
本来であれば、然り、こういわれて当然のはずのこの細田発言が少しも迫力がない。だいいち、氏がとりあげた西松建設違法献金問題で名前のあがっているのは自民党議員が民主党議員より多いのですから。
「恐るべき規正法違反。怪しげな団体がこっそり」巨額の献金をした、献金を受けてはならない団体が小沢一郎の関係団体であったことは確かなのですが、同様に、現閣僚・二階俊博をはじめ献金を受けた自民党議員は少なくありません。それも首相経験者もふくまれているのですから。
だから、以前に細田氏は、小沢氏が秘書の逮捕後、企業・団体献金を全面禁止したらいいといったときに、説教泥棒にたとえました。が、同じ穴のムジナといわれてもぐうの音も出ないでしょう。
こんな鞘当てもはじまっています(参照)。
民主党を財源問題で民主党に迫ろうというわけでしょうが、そもそも民主党が消費税増税に反対でないのは首相も知ってのことでしょうから、こんな切り口にもなる。
対する民主党は、岡田氏がきょう、こう応えました(参照)。
民主党の岡田幹事長は24日のNHK番組で、次期衆院選で政権を獲得した場合の消費税率の取り扱いについて「(衆院議員の)任期4年の間に引き上げることはない」と表明した。
また、「選挙で問わず、抜き打ち的にいきなり増税することはやらない」と述べ、増税は党の政権公約(マニフェスト)に盛り込んで民意を問うことが前提になるとの考えを示した。
鳩山氏の発言に典型的なように、本来、消費税増税を政策としているのですから、政権交代のために、それを封印する態度はフェアーとはいえない。政権をとったら4年間はやらないとか。
同じ宣伝の仕方を、つまりモラトリアムでくくってしまうやり方を私たちはすでに異なる問題でみてきました。先に小沢一郎が企業・団体献金を全面禁止したらいいといいましたが、彼がそういったものの、同党が出した結論は3年後に実施するというものでしたね。国民の関心、批判が強い問題で、民主党はそれに応えるような形式をとりながら、結局、先延ばししてしまうという欺瞞的なそれです。
腐りきった自民党と、欺瞞的な民主党。本日の田原総一朗の番組で、民主党は秘書が逮捕されていることを与党側がちがいとして強調していましたが、ちがいといってもその程度のもの。
いっさい自浄能力を発揮しようとしない両党。この共通項のほうがむしろ重要だと私は思います。
さて、その小沢一郎ですが、かねてから取り沙汰されている熊谷組の献金問題にからんで、以下のように伝えられています。
熊谷組献金:系列会社通じ500万円 「小沢氏側の要求」 準大手ゼネコン「熊谷組」のダミー献金問題で、民主党の小沢一郎前代表の資金管理団体などが96~00年、ダミーの政治団体以外に熊谷組子会社などの系列会社からも500万円の献金を受けていたことが毎日新聞の取材で分かった。熊谷組関係者によると、献金は小沢氏側からの要求で、同社が子会社などに指示していたという。西松建設の違法献金事件でも、小沢氏側に子会社などを使って献金させており、社名を隠して献金を分散させるゼネコン共通の手口が明らかになった。 |
わずかなちがいに目を向けるのか、それともほとんど重なるところを重視するのか。見る人によるのでしょうが、そもそも財界が推進してきた二大政党政治とは、(財界が)通信簿をつけてより高い点数の政党に肩入れするというものですから、それほど違ってはならないのです。
そうみると、選挙前のこうした鞘当てに惑わされてはならないということでしょう。
(「世相を拾う」09107)
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日本の能天気- 森田健作の「剣道二段」詐称
就任早々から、問題山積。彼にとっては、噴出する疑惑の数々を打ち消すこと、これが知事の仕事と勘違いしそうな雰囲気でもありますね。その上、毎度の会見でのコメントの水準に、正直なところ彼の政治家としての資質が露呈してしまっているのではないでしょうか。
「剣道2段」森田健作知事に免状なし…40年以上も“自称”
剣道二段詐称によって、森田健作に騙されたと心底思っている人は少ないでしょうが、この千葉県知事が少なくともこれを一つのウリにしてきたことは事実でしょうから。だとすると、詐称してきたことにたいする彼の見解が問われなければなりません。しかし、口にしたことは……。
「範士」の先生から腕前を認められ、「わかった、二段許す」と言われた |
ですって。よほどの正直者なのでしょうか。それとも、それとは真逆の人物のどちらかでしょう。
第一、剣道をやっている人なら、段位はつねに頭にあるでしょうし、形式的にはそれが(民間団体の)免状で表現されるのは、まあ誰でも知っていると私などを考えるのですが、彼の場合はそうではないらしい。
つまり、この程度のコメントで会見に臨む彼の政治家としての資質がそもそも問われているのでしょう。
剣道二段は階位がそれより下の、剣道をやっている人にとっては重要な通過点でしょうし、この千葉県知事は今回、詐称によってこれらの人も敵に回したということになります。
もっとも大事なことは、自らのルールが唯一のものだと考えている彼の心性にある。当選後、つぎつぎに明らかにされる事件の一つひとつにも、およそ一般的解釈とは異なる、彼の解釈が披露されます。しかも、それは、聞く耳に耐えないような程度のものにすぎません。
日本の能天気。最近も鴻池某の一件や、当ブログで取り上げた民主党代表選の一部始終を放映するNHKがそれを鮮やかに表しています。そのなかに彼を付け加えて、あるいは置いてよいのかもしれません。
少なくとも私には、森田健作がたとえば知事、自治体首長たるものがどんな形式で選ばれ、どんな役割があるのか、理解しているとは到底思えないのです。
選んでしまった千葉県民の心情は察するに余りあります。が、あえて気が早い話をすればリコールという対抗手段も保障されているのですからね。就任まもないにもかかわらず、重たい問題から今回のような「軽い」問題までことかかない彼にまつわる話は、すでにその十分条件を示している気がします。
(「世相を拾う」09106)
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これも選挙対策だ。。
世襲が意味をもつのは、現在の国会議員選挙でとられている小選挙区という制度と深く結びついているのは否めません。
民主党が世襲制限をいい、世間に世襲にたいする一般的な批判が強いことから、自民党も一歩「踏み込んで」この記事のように対応するのでしょうが。けれど所詮は選挙対策。記事がそのことを語ってくれています。
民主党が次期衆院選からの導入を決め、進次郎氏への世襲も国会で攻撃する姿勢を強めようとしていたことから、前倒しすべきだと判断した。 |
と。
2つのことがここで示されています。
世論の反発をこの対応でかき消そうとする判断、そして民主党とのこの点での論点を消そうとする判断、これが働いているのではないでしょうか。
それをいうのなら、世襲と今日では切り離せない選挙制度のあり方、小選挙区制度についてどうするのか、そこにふれてほしいものです。そこを横において、あたかも世襲がすべての悪因であるかのように一般化してしまうとそれは、まさに争点をはずすたくらみだと考えることもできる。
世論かわしの側面は、自民の中堅が語ったというつぎの言葉、「自民党中堅は「進次郎君は無所属で出た方がかえって選挙がやりやすい。どうせ当選後に自民党に入党するだろう」という見立てに象徴されています。つまり、外形的に批判をかわしうるものにした上で、実をとろうとするにすぎません。
こうして、外見をしつらえた上で、小選挙区制のもとでたとえ自民と民主が争って、どちらかの候補者が当選したとしても、それ自体で何かがわかるものではもちろんありません。
つきつめていえば、二代目であろうとなかろうと、その人物が自民党に籍を置いたり、あるいは自民党からではなく無所属で立候補をしたとしても、自民党を民主党に置き換えてもよいのですが、その人物が何をのべ、何をしてきて、何をしようとするのか、そこを判断の基準にする、そうありたいものです。
そして、世襲によるゆがみをより強調する制度たる小選挙区、有権者の意識と結果がともすれば大きく乖離するといわれるこの制度をこれからも続けるのかどうか、これも同時に問われなければならないと私は思うのです。
はたして、以下の記事で皆さんはどのような感想をもたれるのでしょうか。
ともあれ、菅氏の言動はまさに選挙対策以上でも以下でもない、欺瞞に満ちた匂いを私は感じざるをえません。
世襲制限、民主に対抗=小泉氏次男は無所属の公算-自民 自民党が国会議員の世襲制限を次期衆院選から導入する方向で検討に入ったのは、民主党が世襲制限をマニフェスト(政権公約)の柱に掲げる以上、改革姿勢をアピールするためには避けて通れないと判断したからだ。これに伴い、小泉純一郎元首相の次男進次郎氏の公認は見送られる公算だが、同氏は無所属で出馬し、当選後に追加公認される可能性がある。完全に世襲に歯止めを掛けることは事実上、困難だ。 |
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政治は財界のもの- 今度は厚労省の分離方針
【麻生首相ぶら下がり詳報】厚労省分割「読売の渡辺さんが言い出した」 【厚労省分割】
「したがって、あのとき私が言った、確か、読売新聞の渡辺さん(渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長)が最初にこの話を言い出したんだと記憶します。だから、厚生労働省を単に二つに分割するなんて次元は、やめたほうがいいんじゃないですかと。それよりむしろ、分け方としてはいろいろな考え方がありますんで、いわゆる少子化対策を抱えております内閣府のいろんな関係部局というものを、全部ひっくるめたところで、いろいろなことが考えるべきなのであって、単にあれを分割するというのはいかがなものでしょうかと。もう少し、今の時代に合ったようなものに考えた方がいいのではないか、という話をしました」 |
気になるのは、首相が一財界人の発言をこんな形であけすけに語るということです。一つは、渡辺氏の発言が常に影響力を及ぼすということの一端をこれは示しているということをこれは示しているでしょう。その上で、二つ目に、この麻生発言は、自民党という政党がいかに財界人の言動に配慮し、その意味するところを政治に反映しようとしているのか、その一端をも示しているのではないかということです。
一般に、このように財界人の思うところを政治に、政策にいかそうと考えているのが自民党だと考えることができるわけです。
そもそも麻生首相が与謝野氏に指示したと伝えるニュースは以下のとおりでした。
厚労省分割、検討を指示=「変革へ決断の時期」-麻生首相 麻生太郎首相は19日の経済財政諮問会議で、厚生労働省の分割について「仕事の切り分け、すなわち組織の分割案を出してほしい。今が決断の時期だ」と述べ、与謝野馨財務・金融・経済財政相に対し、具体的な検討に入るよう指示した。与謝野氏は直ちに分割案作成に着手する考えを表明。これにより、中央省庁再々編が具体的に動き出す可能性が出てきた。 首相は諮問会議の席上、「今は大きな変革の時期。若者への支援を立て直すのも必要な時期に来ている」と指摘し、雇用問題や少子高齢化、子育て、新型インフルエンザ対応など所管が多岐に上る厚労省分割の必要性を強調した。一方、文部科学省と厚労省で所管が分かれている幼稚園と保育所の一元化の検討も指示した。 厚労省は2001年の省庁再編に伴い、厚生省と労働省が統合して発足した。首相は「単に2つに分割するのではなく、国民の安心を所管する省を強化する発想」を持っており、次期衆院選をにらみ、自らが掲げる「安心安全社会」の実現をアピールする狙いもあるとみられる。 与謝野経財相は会議後の記者会見で、甘利明行政改革担当相らと協議しながら具体案策定を進める考えを表明。ただ、6月に決定する「経済財政改革の基本方針(骨太の方針)2009」に盛り込む可能性については、「雷のように降りてきた指示なので、今考えている暇はない」と明言を避けた。 厚労省の在り方をめぐっては、首相は15日の「安心社会実現会議」で、内閣府を含めた形で、医療や年金などを所管する「社会保障省」と、雇用や少子化対策を担当する「国民生活省」に分割、再編する案を提起していた。 |
そもそも政府の諮問機関のあり方や構成そのものに異論はあるのですが、国の行政機構を考える際、こうして諮問機関の構成員でもない人物の発言が重みをもって受けとめらる政治のあり方をやはり問う必要があるのでしょう。
厚労省もまた、10年ほど前の時期、省庁再編の名の下に、旧厚生省と同労働省を再編して生まれたわけですが、このように行政機構を左右する位置に財界がいる、そしてその財界の意向を軸に常に政治をおこなおうとしているのが自民党だということをしっかり受け止める必要があるのでしょう。
本来の行政は、国民にとってのものでしょうが、それとは関係なく、極端な場合はこのように特定の一財界人の考えが大いに影響しうるということを端的に示す今回のニュースなのでしょう。
つまり、自民党政治とは、国民にとっての行政のあり方はいかなるものかという観点はしばしば横に措かれ、財界がどう思うか、そこに政治の柱があるということです。国民生活とはいよいよ無縁なところで、省庁の統合も分離もおこなわれているということの証左です。
政治は、財界のものなのでしょうか。
(「世相を拾う」09104)
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憲法審査会始めて結構という鳩山新代表。。
彼は、単に民主党の一議員ではない、党首なのですから。
「議論は始めて結構」というのです。
いうまでもなく憲法審査会は、国民投票法にもとづき衆参両院に設置されているもの。けれども今日まで、07年の参院選での自民党の敗北によって後景に押しやられてきたもの。自民党はこの審査会を開くことができなかったのです。
ですから、今回の鳩山発言は、自民党にとって水を得た魚のようなもの。
一路、審査会開催によって改憲へのロードマップも描きうる可能性が広がったというものです。
鳩山氏曰く。
時代に沿って変えなければいけないものが50年、60年変わっていない。ここに最大の問題がある |
と。
なぜ今、氏はこうのべるのでしょうか。
自民党は、一般的に改憲しようと考えているわけではない。きわめて明確に9条にねらいを定めているのは大方が一致するところでしょうに。
鳩山氏の発言は、どうみても誘い水的それでしょう。自民党は、ほくそえんでいるのではないでしょうか。
少なくとも、この発言は民主党党首たる鳩山氏が、改憲への始動を支持したことになる。常々、自民党との対決を強調するのですが、現実にはこのように、自民党の考えていることをやりやすい方向に解釈して、道を開くことに手を貸していると受け取られても仕方がないのではないでしょうか。
もちろん私は、鳩山氏が本来、彼は改憲論者なのだとこの発言をもってあらためて確信を深めた次第です。
当ブログでこれまで強調したように、さまざまな世論調査によるかぎり、9条改憲には反対というのが国民の大勢でしょう。
だとすれば、国民世論に背を向けている、そう受け取られても仕方ない重みをもつことを鳩山新代表はしっかり受け止める必要がある、こう忠告しておきたいのです。
こんなところに民主党への不信が正直、私は募るのです。反戦派のみなさんはどうお考えでしょうか。。
(「世相を拾う」09103)
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【関連エントリー】
世論は9条改定に反対
小沢氏を代表代行に- どこまでも開き直るのですね
しかし、私は、これまでも民主党が現実政治の場で主張したり、行動することに自民党とのちがいはほとんど感じてきませんでしたし、そのことを批判しつづけてきました。
そして、何よりも民主党自身が政権交代こそをほとんど唯一の接着剤として党内のいちおうの体制を保ってきたことにたいしても、有権者にとって大事なのは、何をどのように変えるのか、自民党とどのようにちがうのか、それを示すべきだと主張してきました。
だから、何もこの時期にはじめて民主党に対する疑念を強く抱き、批判をしてきたのではない。何もあきらかにせず、全てを政権交代に収斂させる姿勢に強い欺瞞を感じてきたのです。
そして、鳩山氏が代表に選出されて、鳩山氏にこれを明らかにすべきだと先のエントリーでのべました。
元に戻ると、コメントのいくつかにはまさに翼賛体制を強いるかのようなものもありました。が、今の自民党政治はもうやめにしたいという有権者の多くの願いがあることもよく承知しているつもりです。そして民主党に期待をかける気持ちもわからないではありません。しかし、自ら期待をかけるから、他者もまた期待をかけるべきだというのであれば、それは誤りでしょう。さらに、自分の期待をかける民主党を批判するからといって、それ自体を非難するのもまた誤りでしょう。事実誤認なら、その点をもって私を批判すべきでしょうに。
ある人はこういいました。(民主党は)「よりまし」だと。その根拠は、いったいどこにあるのでしょうか。
民主党を自ら支持する人のなかには、こうして私のように民主党と自民党に本質的なちがいは無いと指摘し、自民党の政権から何をどのようにかえるのか、明らかにすべきと主張することを、政権交代の足をひっぱるとこれまで非難してきましたが、彼らこそ自らの期待を現実にかえるためにも、自身がまず、その青写真を民主党に迫るべきだと考えるのです。
何もあきらかになっていないのに、支持するのも私からみれば不可解ですし、まして自分と同じでないことを非難すべき根拠はあいまいというか、ないに等しいのですからね。
いまテレビのテロップで流れています。鳩山新代表は、小沢氏を選挙対策担当として起用すると。しかも、代表代行ですって。
何をかいわんやでしょう。小沢氏の違法献金にふれずに、小沢氏の権力保持を宣誓しているようなものでしょう、これは。小沢氏にたいする有権者の態度は、世論調査であれほど明らかにされていたのに。
2つの政党を峻別しうるものはなく、むしろ両者は同じ体質をもっていることが事実をもって強調されているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09102)
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日本の能天気- 代表選の一部始終を報道するNHK
こと民主党にかぎっていえば、党首を選出するのに、国会議員のみでおこなうというのですから、はたして近代政党といえるのでしょうか。この政党は文字どおり議員政党であることを典型的に示しました。この選挙では、220人余りの国会議員のみが有権者というわけです。地方組織が、党首選出にかかわれないというのですから、それ自体、前近代的残滓をひきずっているのではないでしょうか、民主党は。
鳩山氏が代表に選出されました。
その結果、およそ自民党的体質、金権にどっぷりとつかった小沢代表の口から、西松違法献金問題について何も語られなかった。自民・二階と同様に、疑惑にフタをするような態度です。民主党と自民党の関係を、この一点からみても、つぎのように考えるのです。
似て非なるという言葉があります。しかし、民主党と自民党の関係性を考える場合、どこが違うのかというよりも、非なりて似る側面をしっかりみておくことのほうが政治のあり方を見極める上で、およそ有効な気がしてなりません。
つまり、民主党は自民党とは現に異なる政党として存在するのですが、非なりて現にあるのですが、似る側面を強調しなければなりません。
元に戻ると、小沢氏が辞めて国民の納得がえられたのでしょうか。むしろそこに何らかの形で決着をつけられない政党がほとんどこれまでの自民党(の実態)と峻別できないことのほうが大きな意味をもっています。鳩山氏も、選出された際のあいさつで、あらためて政権交代を強調していました。もちろん政権交代で何を転換するのか言及しないまま。しようがないのではないか。
一方、昨日、西松建設が違法献金問題について、内部調査結果を公表しました。社長も引責辞任するそうです。
準大手ゼネコンの西松建設は15日、民主党の小沢代表側への違法献金事件などを受けて進めていた内部調査の結果を公表した。工事の受注活動を円滑にするために、ダミー団体を使って政治家側への違法献金をしていたことを認める一方、07年までの約10年間に海外で計約9億円の裏金を作っていたことを明らかにした。
また、裏金とは別に、国税当局に支出先を明かさずに税務申告した使途秘匿金は08年までの5年間に約26億円に上り、工事の近隣対策費や民間会社へのリベートなどに使われたという。報告書は裏金づくりの経過や役員らの関与について詳細に記述した異例の内容になっている。 |
一つは、小沢辞任が明らかにされたのちの、同社の結果公表であることをふまえないといけないでしょう。つまり、違法を承知の上での献金であったこと、その目的が受注をふやすためのものであったことを西松は明らかにしたわけです。公表のタイミングはあらかじめ練られたものだと私は推測しますが、小沢がトップの座を降りることが明確になってからという瞬間に、結果的に、形式が整えられてから自ら認めたのです。西松側の公表にたいして、こんどは小沢側が説明する番です。仮に小沢氏が代表にとどまっていたら、メディアもふくめて追及の手はいっそう強まっていたことでしょう。辞任後の今は、メディアの報道姿勢で明らかなようにまさに(小沢氏は)不問に付されたかのような扱いではありませんか。
それでも能天気なブロガーはいまだに小沢秘書逮捕の「国策操作」論に固執、終始しています。まず潔白を示せば、それでもって権力犯罪は打ち破れるものなのでしょうに。岡田克也の発言にまで食ってかかる始末です。けれど岡田だけではなく、民主党の正体がすでに問われているのでしょうがね。
世の中、自民か民主かという、2つのほとんど区別のつかない政党によるやりとりがあたかも日本政治の帰趨を握るかのような宣伝が、メディアも使って周到におこなわれる、最近の繰り返しです。
これら2つの政党がしっかりと対峙しているかのように喧伝されるのですが、事実は、昨日のエントリーに示した以上のものではない。断末魔的ないきづまりの中におかれている自民党に、毎度の国会終盤になって助け舟を出すのは民主党なのですから。こうした構図のなかで、いくら政権交代などといってもから威張りにすぎない。こう変えるというものをみせよ。
鳩山由紀夫新代表にはそのことを、やれるものなら国民にむかってまず最初にやってほしいものです。
(「世相を拾う」09101)
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茶番劇はここに- 小沢辞任から鴻池辞任、補正予算成立まで
当の問題は4月下旬の出来事と伝えられていて、しかも小沢辞任が11日なので、鴻池事件と代表辞任から週刊誌の発売がどことなく連なったもののように私には思えてなりません。
ようするに、閣僚の一人である鴻池のスキャンダルは、国会が空転してしかるべき重さをもつ問題だといえる。たとえば一つ、閣僚たるものが公用車を誰がみても私的に使っていたというわけですからね。ましてや自民党から政権を奪おうとする政党にとっては、交代へのロードマップを加速させうる、絶好のチャンスととらえても不思議ではない事件でした。
ところがあにはからんや。民主党は小沢辞任後、代表選一色でした。国会もしたがって、補正予算を通してしまう結果になった。国会で、いつもの民主党が好んで使う徹底抗戦などの言葉が鼻白むくらい、自民党とは徹底して戦うという意思がこの党にはまったくみえませんでした。間質性肺炎のため入院していたとされる鴻池が辞職したのは5月13日。その日、補正予算案は衆院を通過したのです。民主党(の戦術)は社民、国民新とともに本会議を欠席するということでした。
つまり、表でいってきた徹底抗戦の姿勢はまったくありませんでした。
実は、13日衆院採択の筋書きはすでにマスメディアで報じられていて、衆院予算委員会理事会では委員長・衛藤征四郎が職権で、締めくくり総括質疑と採決をおこなうことを決定していたのです。この際、民主党は、13日の採決が与党から提案されると、退席するという態度をとるという不可解なもの。これは採決に反対するという態度でしょうか。そうではなく、暗黙に採決を認めたものと解釈する以外にないのではないでしょうか。
私はこんな民主党の姿勢をきわめて欺瞞的だと思いますが、本会議は、同党によれば抗議して欠席するという態度に出たのでした。
民主党が言葉のとおり徹底抗戦していれば、補正予算案の13日採決はおろか、14日には必ず鴻池問題が国会で取り上げられ、自民党は窮地に追い込められたはずでしょう。
民主党が世論対策とばかり、代表選に注目を集めようとする意識が働けば働くほど、自民党にとってまた延命の可能性が広がったといえるでしょう。鴻池問題はほとんど追及されないまま、推移しているのをご覧いただければ、民主党のほとんど理解不可能な国会対策に強い疑問をいだかざるをえません。毎度のこととはいえ。
茶番のにおいを払拭できませんね、私は。
(「世相を拾う」09100)
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鳩山、岡田の代表選出馬- 結局、何もかわらない。。
小沢辞任のニュースが覚めやらないのに、メディアはもう代表選に有権者の関心をむけようと必死です。鳩山か岡田か、いずれが仮に民主党代表になっても、そのちがいが有権者にどれほどの意味をもつものなのでしょうか。疑問ですね。だって、小沢氏が辞任に追い込まれた要因について、それを抉り出し、一つの政党として解決を図ろうとする方向に向かないことが明らかになった今、この政党に、自民党とともに未来を託せるのかどうか、見極める大事な時期に今あるのかもしれません。
小沢辞任表明が公に伝播されるまで、政権交代ありき、小沢命のごとくいわば狂信的とも思える、あからさまな態度を明確にしてきたブロガーの一群がある。辞任が本人の口から表明された今、彼らはどのようにこれまでを「総括」するのか、少しは興味あるところですね。小沢氏の豪腕などと祀り上げられたイメージががらがらと崩れ去ろうとするとき、彼らのとってきた習性から判断すると、新たな偶像が必要になる。偶像を、オブラートにつつんだまま、つまり正体不明のまま被崇拝者としていかに維持しうるかどうか、これが問われることになるのです。小沢信奉者の一人だと目される人は、辞任によって意気消沈しようとする自らの心のうちを吐露しながらも、それではいけないと民主党支持にたちもどろうとまるで自らを叱咤激励しているかのようです。小沢命の態度から、それは小沢氏が民主党に在籍するかぎりにおいて形式的に民主党支持を意味しますが、イコールではないでしょう-民主党そのものの支持に「転向」する必然性は何ももちろん明らかにされることはないのです。
いまだに政権交代の内実も明らかにできないまま、今度は小沢が辞任したら、したとしても民主党支持と言い切る心性はいったい何でしょうか。テサロニケ氏がブログ左翼という言い回しをするとき、念頭に置かれているのはまず一つに小沢信奉者なのでしょうが。左翼といえるのか否か、その議論は残るはずですが。このように攻撃されるに足る、非整合的な態度はどこまでも拭いきれないのです。
古舘一郎の番組に岡田克也が登場しています。まあ、民主党主義者と、先に述べたこれまでの小沢信奉者、民主党命に「転向」した彼らをよぶとすれば、そのうち岡田か鳩山か、どちらかを命と叫ぶにちがいありません。結局、形式的に似非自民党の小沢から、同じように似非自民党たる民主党の、その次に鳩山がくるのか、岡田がくるのか、ちがいはその程度といいきってよいほどのものと見極めてよいのではないでしょうか。
つまるところ、政権交代などという形式をいくら語ったところで、内実が明らかにされないままでは、信用できない。いわゆる政権交代が国民にとって意味をもつのは、その前後で国民にとっては、くらしやすさがよりよい方向で変化するなど、好転してこそのはずです。
結局、小沢氏の辞任からきょうまで、鳩山、岡田氏の代表選出馬の意思表明までの経過で、われわれ国民が確固とした、そうした変化の兆しを感じ取れるかといえば、私にはそうは到底思えない。メディアは代表選をまた、マスメディアお得意の勝負事にしたてて面白、おかしく報じますが、国民にとってどれほどの価値をもつのか、それぞれ考えてみてもいのでしょう。
小沢氏の辞任から鳩山、岡田氏の代表選出馬表明まで。これまでの繰り返しにすぎません。
小沢氏の多額の献金受け取りにたいする民主党の見解、小沢氏の説明がこの時期に示されるとすれば、それは画期と評価してもよいのでしょうが。
(「世相を拾う」09099)
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