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2009年回顧- 政権のゆくえと社民党
今年2009年の元旦、大企業を規制できる年にとエントリーで願いました(参照)。
今年の晦日、この元旦の願いがはたして叶ったのかどうか、それに思いを馳せました。
この1年の最大の出来事は、やはり政権交代でしょう。戦後ずっと続いた自民党政権に民主党がとってかわった。自民党政権がとりあえず下野しました。国民・有権者は、新たに政権につかせた民主党に、少なからぬ期待を寄せたはずです。それは、大きくいえば2つの方向からの期待であったように私には思えます。一つは、自民党政権によって少なくない痛みを押し付けられた立場から、政治を変えてほしいというものでしょう。今一つは、自民党ではムダの排除、「官僚政治からの脱却」はできない。もっと構造改革をすすめてほしいというそれでしょう。いずれも民主党はその切り札だととらえず、何かしらやってくれるだろうという、ある意味で淡い、消極的な支持だったといえる。
大企業を規制できるようにと私がいうのは、労働者をモノとして扱ってきた結果、2009年問題に集中的に象徴されるような矛盾が噴き出してくるからでした。私たちに伝えられ、そして眼に飛び込んできたのは、昨年末から年明けにかけて、その矛盾に押しつぶされるようとしている人びとに救済の手を差し伸べようとした湯浅誠、宇都宮健児らの年越し派遣村の経験でした。今年のはじまりは、この経験を全国に広げることからはじまったし、国会の論戦でも、民主党ではありませんでしたが、取り上げられ、政府は追及の的となったのです。労働者派遣法の相次ぐ改悪の中で、労働者のうち最も弱い部分に集中して、まるで消耗品同様に思いのまま雇っては解雇し、契約を打ち切り、路上に放り投げ捨てる。ここに、この日本国での資本主義の姿が、新自由主義的改革のもたらすものが見事に映し出されています。
資本のあくなき利益の追求。そのために政治を支配する。小泉の時代に、経済財政諮問会議という、政府の意思決定の基本方向を財界代表とともに決定するしくみができあがったのはその象徴でした。財界や大企業は、政府に彼らを手厚く優遇するための施策を求めてきた。結果、使い捨ての労働者が街にあふれる片方で、正規労働者を非正規雇用労働者に置き換えることによってかつてない内部留保を溜め込んできたのです。自民党政治は言葉をあえて選べば財界や大企業に牛耳られてきたといってよい。年収200万円に満たない賃金しか得られない労働者の数が伝えられるたびに、それは増え続けてきたし、日本の消費が温まるはずはなく、冷え込んでしまった。規制とは、このゆがみを正さなければ、日本経済の再生もありえないと考えてきたからです。
政権がかわることで、それまでの財界偏重の政治からの脱却が期待されました。たとえば労働者派遣法の抜本的な改正が求められてきた。大企業のいいなりではなく、きちんと働いていれば、日本国憲法にいう健康で文化的な生活をすることができるようにしてほしいというのは、実際に解雇された派遣労働者だけではなく、解雇への不安を抱きつつ働いている正規労働者の願いでもあったでしょう。民主党政権になって、湯浅が内閣府参与に登用されたように、あるいは派遣法が改正されたように、雇用環境を考える上でも、一定の前進がありました。ただし、実際に前に動かしていくには、政府が具体的に足を踏み出すように国会の外からの働きかけと監視が欠かせません。2つの積極面も、何もしなければ実効が上がるものではありません。
こうした一定の評価できる側面以上に、実感されるのは、これまでの自民党政治を規定する財界に目をむけた政治から脱却をしようという意思より、これを継承しようとする意思が、ひきつづき民主党政権にもはっきりみてとれるということです。話題となったあの事業仕分け。これに賛意を示した民主党支持者は、冒頭でのべた改革推進力として民主党に投票した人びとをはじめ少なくはなかったのかもしれません。しかし、この仕分けは、手法そのものが構造改革推進勢力がとってきたものでしたし、実際の採用された仕分け人のなかには構造改悪を支えてきた人物が数多く、そして行程そのものが財務省の考えたものと伝えられるにいたって、その性格ははっきりしたといえるでしょう。むろん私たち国民には、電波で流される官僚を厳しく追及する蓮舫に代表される登場人物がいわば役者となってくりひろげる、胸のすくような芝居のようなものではなかったか。
けれど、この仕分けがはじまるとき、聖域は設けないと華々しくいわれましたが、終わってみれば結果はけっしてそうではありませんでした。思いやり予算にも手をつけるなどといいながら、米国・米軍への直接的影響はない、手がつけられたのは、日本人従業員の賃金カットでした。ましてや、財界・大企業にたいして、あの蓮舫が大鉈を振り上げることができたでしょうか。そうではなく、事業仕分けをへて、閣議決定された来年度予算案にはこれまで同様に聖域のまま、たとえば法人税減税は維持されたのです。年の初めの願いは、いまだ叶えられていないといわざるをえないでしょう。
政権ができて100日を過ぎ、支持率の低下が顕著です。ただ、世論調査やTVから流される国民の声による限り、低下の要因は首相と民主党政権の姿勢にかかわるもののようです。一つひとつの問題で、統一した政府見解が示されることがほとんどなく、閣僚がそれぞれ異なる発言をする。態度を決定できない。その典型が、普天間基地移転問題ではないでしょうか。民主党は連立を組んだ社民党の態度への配慮を、この問題での態度決定が困難な要因の一つのようにすら聞こえる発言もある。
しかし、そもそもの政権の出発点で連立を戦術としてとってきたのは、ほかならぬ民主党です。07年参院選、そして今年の衆院選と、民主党のそれまでの主張に沿うことより、まげてでも支持を得ることを厭わない、たとえば生活第一のスローガンに表現されるような、小沢のまさに主導による選挙戦術が続きました。民主党自身はこうした自らとった戦術によって縛られざるをえません。矛盾は同党が引き受けざるをえないし、2つの選挙以来の民主党の右往左往の一因はここによるでしょう。連立も、こうした戦術に連続したものだと私は理解します。この2つの選挙と、来年の参院選までを一連の過程として描くことができ、民主党は、衆院選で絶対安定多数をはるかに上回る議席を得たわけで、参院選で単独過半数を得るのが当面の、最大の政治目標であることは、小沢が繰り返しのべているとおりです。そのために、ウイングは自民党支持者だけでなく、より左の社民党支持者にも広げざるをえません。そして国民新の支持者までも。結局、連立はそのための手段にすぎない。それは、来年度以降の民主党の運動方針案に明確に示されたといってよいでしょう。社民、国民新は来年参院選で戦力外通告を下されるというわけです。
こうした戦術重視、政局重視をとる小沢と民主党だからこそ、社民党とはこれまでの同党の理念をもってすればありえないはずの連立が成り立った。むしろ社民党が連立に乗ったのは不可解だといえなくもありません。政権誕生後、民主党の矛盾と同じように、社民党もまた矛盾を抱え込まざるをえませんでした。話を元に戻すと、普天間基地移設にからんで、これらの矛盾は誰にも分かるように表面化しました。民主党内で意見はもちろん分かれるし、社民党もまた、連立に留まるか否かが実際に迫られ、福島瑞穂は自らの進退もからめざるをえませんでした。福島が連立政権を組むとき、その理由に内部から政権を動かす旨の発言をしましたが、ことはそう簡単ではありません。たしかにこの普天間問題では、社民党の意思を慮って年内決着を放棄し、態度保留を今のところ続けているようにみられがちですが、そうでしょうか。民主党が態度決定できなかった最大の理由は、沖縄県民の明確な意思があったからでしょう。逆の場合を仮定すれば容易に分かることです。県民が仮に辺野古移転を認めていたならば、社民党が反対しても、年内決着したでしょう。
社民党の今日の矛盾について、エントリー;中道の憂鬱- 社民党の場合で言及しました。民主党の態度がその運動方針案で明確になった今、社民党が問われています。態度決定しなければなりません。来年参院選で民主党が議席を伸ばす状況ができれば、社民党はまさに戦力外通告を宣告されるでしょう。そのとき、あるいはそのときまでに社民党はどんな態度決定できるか。広くその概念を考えた場合、社民党の立場は反戦であったでしょう。その立場を堅持するのならば、普天間問題にからんであらためて日米同盟強化を明言し、米軍の抑止力という言葉を臆面もなく使う鳩山由紀夫とどうして同じ政権を担えるのか。それだけではなく、ついに首相は改憲すら口にしたではありませんか。現状は、私に社民党の決断の中身を推測させるものです。原点に立ち戻るのは容易でないように思えてならないのです。
理不尽と思える態度を理由づけるには苦しい福島の弁明でした。内部からかえるなど、できない相談です。同じように、社民党支持者は事態がここに至って、同党(の態度)を支持すべき根拠を見出さざるをえません。ちょうど民主党による政権交代を至上のものとして叫びつづけてきた者が、小沢の、そして鳩山の「政治とカネ」問題の表出、あるいは政権について以後の迷走に直面してうろたえ、それを弁護するために、きれいごとでは解決しないかのように語ってみたりしたように。福島の弁明にそって、内部から変えるというのでしょうか。政権にいてこそ、存在意義があるとでもいうのでしょうか。社民党とその支持者たちには、いうまでもなく民主党との連携を合理化するか、それとも決別するか、2つの道しか残されていません。そして今のところ、後者の可能性は少ないでしょう。
元旦のエントリーでふれなかったもう一つの難問は、日米関係です。少しも変わらぬ米国追従。口では思いやり予算も手につけるといったものの、民主党政権はできなかった。いえるのは、日米同盟の強化であって、信じてくださいという、これこそ隷従を意味しているだろうとも思える言葉にほかなりません。大企業の規制、日米関係の見直しという2つの難問を前に、政権の内部に軋轢が生じたことはいうまでもありません。民主党内だけでなく民主と社民の関係においてもまた。おそらく、来年は、矛盾と軋轢はいっそう加速するだろうと思います。多くの難問を先送りにしただけに。
民主党は、そもそも財界をふくめた勢力が志向する二大政党体制づくりの過程で生まれでた。それは、自民党がつづけてきた財界のための政治、日米同盟の強化という2つの条件を保持するためのしくみだともいえるでしょう。だから、政権交代とは、自民党にとって安全にかわりうる政党によるものでなければならない。民主党はそんな宿命をもっています。自民党の政治がとことんゆきづまっているのだから、その意味で、財界からみればまさにピンチヒッターの役割をもたせるという位置づけにかわりありません。
二大政党政治と小選挙区制度は切り離せません。ですから、民主党自身、小選挙区制をさらに拡大し、比例部分をなくそうという方向です。二大政党制は、多様な意見と少数政党を排除する。政権の中でかえるとか、少数では意味がないなどという見解は、まさに二大政党政治をめざしてきた勢力の意図してきた、収斂させようとする方向でしょう。
2010年は、以上の意味で、日本国の将来を決める年になる。すでに、小沢の国会改革案、普天間問題での動向、そして改憲、消費税増税にからむ首相と閣僚らの発言に表れているように。民主党の単独過半数確保は、これらをすすめる方向に働きこそすれ、阻止する方向には働かないだろうと予測します。ただし、繰り返しますが、政権は参院選まで矛盾の中に置かれることもまた事実。民主党政権への期待の中には、自民党政治からの転換を願った人は少なくないでしょうから。その方向を動かし、決定するのは、国会の外の力ともいえそうです。
(「世相を拾う」09295)
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基地たらい回しの発想から抜け出しえない民主党
小沢一郎がこう発言したのは、連立を組む3党の幹事長・国対委員長の忘年会の席上だと。読売の記事では、小沢が(現行案に)難色を示したということだけを伝えています。中身はこれではまったく分かりません。が、毎日が一歩、踏み込んでいます。以下の2つの記事を読み比べてください。
与党忘年会、小沢幹事長が普天間現行案に難色 民主、社民、国民新の与党3党の幹事長・国会対策委員長が29日夜、都内の日本料理店で忘年会を開き、2時間余り歓談した。 出席者によると、民主党の小沢幹事長は、来年夏の参院選で社民、国民新両党と選挙協力を行う考えを示した。さらに、「来年の盆と暮れもこうやって会合を開こう」と述べ、参院選後も3党連立を継続する意向をにじませた。また、沖縄県の普天間飛行場の移設に関し、「きれいな海を埋めるのはだめだ」と語り、現行案に難色を示したという。 |
普天間移設:小沢幹事長「下地島」提起 民主党の小沢一郎幹事長は29日夜、東京都内で開いた与党3党の幹事長・国対委員長の忘年会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について「(同県宮古島市の)下地島に使っていない空港がある」と述べ、現行計画に基づく米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に代わる移設先として、下地島を検討すべきだとの認識を示した。 小沢氏は会合で、社民党の重野安正幹事長に対し、普天間飛行場の移設先について「あなたのところ(社民党)は、沖縄県だったら全部駄目なのか」と質問。重野氏が米グアム移設案を重ねて主張したところ、小沢氏が下地島案に言及したという。小沢氏は「きれいな海を埋め立てるのは駄目だ」とも語り、現行案での決着に否定的な考えを示した。 下地島は沖縄本島と台湾のほぼ中間にある。3000メートルの滑走路を持つ下地島空港(79年7月開港)があるが、現在定期便はなく、航空会社がパイロットの離着陸訓練などに利用してきた。普天間飛行場の移設先として浮上したこともあり、北沢俊美防衛相は10月、井上源三地方協力局長を派遣し、沖縄県の伊江島などとともに視察させていた。 忘年会には、民主党から小沢氏のほか、山岡賢次国対委員長、社民党からは重野氏と辻元清美副国土交通相、国民新党から自見庄三郎幹事長と下地幹郎政調会長がそれぞれ出席した。小沢氏は席上、来夏の参院選後も3党連立体制を続ける意向を示したという。 |
小沢が示した代替案は下地島。
下地島(宮古島市)は、ご存知の方がおられるかもしれませんが、同島の空港が民間パイロットの訓練空港として使用されていることで知られています。2002年には、全日空機が訓練中に大破したことで話題を呼びました。自衛隊の同空港使用もこれまで議論になってきたようです。ただし、同空港の軍民共用については、革新屋良琉球政府時代に覚書が交わされており、できないこととされています。
小沢の発言は、外形的には沖縄県民の県外移転と、辺野古への移転は認めないという強い意思を慮りつつ、米軍も同島に関心をこれまで示しているといわれてきましたから、米国の顔もうかがいながら、結局、たらい回しをしようというものにほかなりません。小沢がもちだしている案は、県外移転でも、むろん即時撤去にふさわしい内容でもないということです。そもそも県民の願いと米国への追随を同じ天秤にかけようとする考えに私は同意できませんが、米国の要求にこたえようとする点で同党の閣僚などの発言と基本線は少しもかわらず、それを県民の願いに優先させようとする結果の代替案といえるのではないでしょうか。移転問題の真の解決という点では、米軍の基地は、米国に返すという以外に、その方向はないとあらためて考えるのです。しょせん発言は忘年会の席上のことではありますが。本島ではなく、宮古島ならいいというものではありません。
(「世相を拾う」09294)
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再び盟主へ訴える鳩山
何を信じてほしいと、鳩山首相はいうつもりだったのか。推測すれば、日米合意にそって解決する、そのことを米国大統領に伝えるということでしょう。米国を裏切ることはない、と。米国にたいする忠誠です。
書簡でも「信じて」=鳩山首相がオバマ大統領に-米紙 29日付の米紙ワシントン・ポストは、複数の米政府当局者の話として、米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、鳩山由紀夫首相がオバマ大統領に書簡を送り、自身を信じてほしいと伝えるとともに、年内の解決を約束していたと報じた。 同紙によると、書簡はホワイトハウスが水面下でこの問題での首相の意向に懸念を伝えた後、送られてきたという。書簡の具体的な日付などについては不明。 同紙は「首相は大統領に2度にわたって信頼するよう求め、年内決着を約束した」と報道。1度は11月の東京での首脳会談で、もう1回が書簡を通じてだったとした。 また、首相が17日にコペンハーゲンで会談したクリントン国務長官から日本の立場に理解を得たと発言したことに関し、「明らかに事実でない」と指摘。同長官が藤崎一郎駐米大使を異例の形で呼び出したのは、現行移設計画履行を求める米政府の立場は変わっていないことを理解させるのが目的だったと解説した。 |
鳩山氏は、記者から求めるたびごとに見解がかわるというのが大げさではないほどに、左右に揺れ続けてきたのが事実。まさに八方美人と私には思えましたが。その首相の態度も、直近では一点に収斂しつつあるように思えます。
グアムへの移転は困難だとのべました。なので、基本は、日米合意を前提に動いていくでしょう。来年の参院選を視野に入れている首相は、5月までに方向を出すといっていますが。年があけて、普天間基地の無条件撤去という意思いよいよ拮抗するのでしょう。まあ、鳩山首相は米海兵隊を抑止力と考えているようですし、それは海兵隊と直に接してきた沖縄県民の思いと合致することはないと私は思います。これから、いよいよ民主党のなかに矛盾が広がるのではないでしょうか。
鳩山首相は米国大統領に信じてほしいとのべればのぼるほど、それは沖縄県民の意思と世論との対立をいっそう深めることになるのでしょう。
(「世相を拾う」09294)
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消費税増税という既定の路線
衆院選で消費税上げ提起を 仙谷氏「財政持たない」 仙谷由人行政刷新担当相は27日のNHK番組で、次期衆院選で消費税率の引き上げを提起すべきとの認識を示した。「議論を始め、3年後か4年後か分からないが、選挙のときにお願いすべきはお願いするという立場じゃないと(財政が)持たない」と述べた。 同時に「産業構造が転換し、所得が10年で100万円も下がる時代には財源をどう調達するか、財政規律をどう守るかという展望が必要だ。部分を議論しても太刀打ちできない」と指摘。消費税の税率引き上げを含め税制全体の抜本改革に向けた議論を急ぐべきだと強調した。 |
民主党政権の予算案は、子ども手当や高校授業料無料化など、改善と評価できるものがあっても、全体としては有権者の期待にこたえるものでしょうか。何より、財源を借金と埋蔵金頼りという予算であっては、今後の行方に不安が残るものでした。
結果、この発言です。2つ前のエントリーで「消費税増税という「切り札」が今後、準備されていることは容易に推測される」とのべました(参照)。
仙谷発言はこれを裏づけました。消費税増税の前に手をつけるべきところがあるのではないか。法人税減税を元に戻すことが可能ではないか、このことを当ブログでは再三、のべてきました。が、それは民主党政権をもってしても叶いませんでした。依然として、自民党政権同様に、財界、あるいは米国を聖域とする考えが貫かれています。こうした聖域を根本から問い直すことなく、大衆課税の最たるものと消費税はこれまで指摘されてもきましたが、消費税増税という財源確保を採ることについて反対せざるをえません。メディアでは、高福祉低負担はありえないなどと、くりかえし消費税増税のための世論づくりが強調されています。そうした議論は、法人税の減税には一言たりとも触れないという共通する特徴があるようです。
構造改革がすすんだ時期に労働者の懐は温まらず、一方で、大企業といわれる一握りのグループは内部留保という貯め込みを倍加させたことが指摘されてきました。その一部を吐き出すことくらい、可能なはずなのですが、民主党政権もまた、財界には甘い。あれほど事業仕分けでは削減を口にしてきたのに、財界にたいしても、米軍にたいしても、仕分け人といわれる議員たちの振り下ろす刃は鈍かった。というよりも、振り下ろさなかったのではないのか。ここに、民主党の政権の性格の一端が正確にでているのではないでしょうか。
まず、法人税減税を改めることを検討したのか。むしろ研究開発減税(*1)など、大企業向けの施策を継承してきたのが事実でしょう。減税をほぼ独占してきた大企業と財界。
仙谷由人のこの発言は、そうした民主党の宿命を語るべくして語ったといえるのではないでしょうか。消費税の前に、法人税減税を以前の税率まで戻すことを本気で考えよ、そう民主党に迫らないとならないでしょう。民主党が軸足を国民・有権者に置くのか、それとも財界や米国を優先することに置くのか、いよいよ問われることになります。
(「世相を拾う」09293)
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*1:試験研究費総額の8~10%を法人税額から控除できるしくみ。限度額は法人税額の20%まで。税額から相当する額を差し引くのですから減税効果は大きい。この研究開発減税の97%は大企業が占めており、ほぼ独占する形です。なお、09、10年度は限度額は法人税の30%とされています。
改憲を口にしはじめた鳩山首相
今朝早く、新聞社のサイトをみてまわると、こんな記事が掲載されていました(参照)。
昨日のエントリーで取り上げたことが、こうして鳩山首相がのべるという現実になる。これを直視せざるをえません。憲法改定が早晩、焦点になるということです。
もともと鳩山由紀夫は改憲論者。改憲議連にもまだ名を連ねているのですから、当然といえる発言といってよいかもしれません。「必ずしも9条の話ということではなく、地方と国のあり方を大逆転させる地域主権という意味における憲法の改正」と本人は語っています。しかし、これは彼がいうのと反対の意味にとらえるべきでしょう。すなわち9条にかかわる点が改憲の第一のねらいだと。この発言が今の時期にもちだされる点に照らしても、そう考えざるをえません。
普天間基地移転問題の処理にかかわって、5月までに決着と首相自身がのべましたが、圧力をかけられ、民主党にとっては待ったなしの状況が米国側からつきつけられています。集団的自衛権容認を憲法上も規定できるような方向づけを、この事態に際して米国にむけて発信しておきたいという思惑は当然あるにちがいないと思うのです。
そこで、鳩山首相がむしろ改憲の理由としてあげている地方分権。「地方と国のあり方を大逆転させる」というのだけれども、地方分権とは何か。民主党はすでに「霞ヶ関の解体・再編と地方主権の確立」という政策提言を発表しています(4月)。つづめていえば、この提言はこれまでの自民党政権が主張してきた地方分権を継承しようというものです。より加速して。自民党のいう地方分権とは、国の役割を防衛・外交など最低限にとどめ、自治体に住民に関わるサービスを押し付けようというもの、やれないときは、広域の自治体が担うというものでした。こうした役割分担論を引き継いでいます。一度はこの考えのもとで、市町村の数を700から800までに絞り込もうというものでした。批判を受け、これをマニフェストから消しました。が、岡田外相は堂々と道州制もありうると発言しているではありませんか。
地方主権というのも、おかしな言葉であって、主権はまさに国民、住民でしょう。そこに基本をしっかり置かなければならない。地方分権という定義で進められようとしているのは、経団連が繰り返し強く主張していることからも明らかなとおり、広域にした分だけ、国際競争力を題目にした巨大開発がやりやすくなるからでしょう。潤うのは財界。だからこそ経団連は道州制に熱心だといえるのではないでしょうか。
この間、「三位一体の改革」と称して、地方交付税の削減などで地方財源を切り縮めてしまった。これでいっそう地方自治体の財政は逼迫しました。これを根本的に見直し、財源を戻していくことが必要でしょう。政府が、地方自治体が国の基準以上の福祉の施策をやったら、ペナルティーを科しているくらいの中央集権的な対地方自治体政策をやめるべきでしょう。地方自治体が地方自治法にもとづいて住民福祉の機関として役割を果たせるようにするのが、国の責任だ。この限りで、民主党の地方分権とは住民に目を向けたものではなく、財界に目を向けたものといっても過言ではありません。
鳩山由紀夫氏がこの時期に、改憲を口にし、しかもその理由に地方分権などという言葉をもってすることを問わなければなりません。
(「世相を拾う」09292)
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民主党運動方針案- 社民党も袖にされるということ
結局、今の連立の相手、社民も国民新党も袖にされるという運命ということです。
民主「参院選で単独過半数目標」 10年度方針案が判明 来年1月の民主党大会で採択される2010年度活動方針案が明らかになった。「国民が政権交代の果実を実感できる年にする」と宣言し、来夏の参院選で「単独過半数を目指す」と明記。「衆参両院での民主党過半数を足場にして、民主党中心の政権が提出するマニフェスト関連の法案等を確実に成立させる道筋を作る」としている。 連立政権の不安定さを克服する姿勢を明確にする一方、与党の社民、国民新両党との関係については来年1月からの通常国会での「連携」を記した程度。参院選後の連立政権維持には言及していない。 通常国会では「今年度2次補正予算案の早期成立と来年度予算案の年度内成立」を目指し、国会改革関連法案については「政治主導を実現するため、与野党間の協議を促進し、成立に向けて全力を尽くす」としている。 参院選対策では、改選数2以上の選挙区における候補者の「複数擁立」を含め「早期に全選挙区の選挙体制の確立を進める」と同時に、現職議員がいない衆院選挙区での人材発掘も進めるとしている。 |
単独過半数をめざすというのは、民主党が日本国において二大政党を定着させるための政党として生まれでたとき以来の目標です。すでに社民党は2010年からの運動方針案で、連立政権強化をうたっていましたが、民主党は社民党を重視しなければらない連携の相手などとは考えていないのですから、社民党の片思いといえるでしょうか。社民党は、連立を第一義的に重視するのではなく、そもそもの自党の理念、主張をねじまげること自体を問わなければならないと私は思います。こう書いている今、鳩山首相がグアムへの完全移転は不可能などといいはじめていますし、社民党の運命もほぼ読めるような気がしてなりません。政権誕生後の100日間は、政権の期待する有権者を減らし、失望する有権者を増やしてきました。この傾向はいっそう加速されるでしょう。なぜなら、先送りにしてきた課題について一つひとつ態度決定が迫られるのですから。期待に応えられる意思決定が民主党にできるのなら、すでに明らかにしているでしょうし、おそらく、それらの課題は結局、有権者の期待を裏切る結果になるだろうと予測します。
民主党の使命と先にのべました。使命とは、自民党がやれなかった仕事を政権を交代して民主党が引き受けるということです。その使命は、たとえば来年度予算案に明確なように、米国や財界にたいしては、自民党と同様に甘いものとなりました。有権者の関心は、事業仕分けという形式の上で予算形成の過程における手法の新らしさが取りざたされた結果、そこ手法のある種の潔さに集中しました。けれども、仕分けを経由してできあがった予算案は、従前とかわらぬ性格をもっています。国家財政の内容とそれを支える財源をどこに求めるかという点で、米国優先、財界優先は自民党政権と連続したものでした。ようは、米国と財界は聖域とされたのです。結果、財源は、国債という借金と埋蔵金というわけです。この延長線上には、消費税増税という「切り札」が今後、準備されていることは容易に推測されることです。
民主党の使命は、消費税増税だけでなく、憲法の改定もその一つだろうと思います。
小沢の国会改革で、その環になっているのが官僚答弁の禁止です。一般的に官僚答弁の禁止という意味でなく、小沢が官僚答弁の禁止をいうとき、それは明確に内閣法制局長官のこれまでの答弁に狙いを定めたものだといってよいでしょう。
自衛隊の海外派兵について、小沢はISAFなどをもちだしこれを肯定しようと努めてきたのは周知のところです。解釈によってこれを可能にするためには、これまでの内閣法制局長官の答弁が邪魔になる。それでときの内閣の意思によってこれを認めていこうという魂胆です。
参院選での単独過半数の政治的意味は、当面、改憲と消費税増税を可能にするための基盤づくりということでしょう。小沢はすでに、参院で単独過半数でも連立を維持するなどといってきましたが、外形的にそうであっても自党の方針でそんな位置づけをしていないというのですから、プラグマティックなその態度に驚かされますね。そういえば、渡部恒三が党内潮流間のあてこすりとはいえこうのべていることも少しは頭に入れておいてよいのかもしれません。
小沢一郎幹事長の方が力がある。130人は兵隊みたいに何でもついていく。大政翼賛会だ |
民主党内の体制ではなく、これが民主党の単独過半数によって国会の翼賛体制ができる条件、第一階梯が整うということです。
(「世相を拾う」09291)
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中道の憂鬱- 社民党の場合
小沢選挙前発言= 社民・国民新に少しは配慮するよ
百貨店をもちだし最低賃金を上げるなと叫ぶおかしさ
最低賃金を上げると百貨店の客数が減るというのですから。それが事実かどうかは、この際、措くとして、最低賃金アップを阻止するために百貨店を持ち出すところが実におかしい。いやいや、この人物が最低賃金引き上げをさせまいともちだすのは、百貨店だけではありません。
最低賃金1000円をめざすという民主党がかかげるマニフェストに噛み付くことから、小宮 一慶という人物の議論ははじまります(参照)。民主党の支持基盤の一つである連合がそう主張しているのは承知していますが、同党が最賃を本気で1000円にしようと思っているかどうか、どうもそうとは私には思えませんが。けれども、働いても働いてもまともな暮らしができない働かせ方を、公然と認めるような社会から早く脱却しなければなりません。小宮にみられるような議論は、その意味で無視できないと考えるのです。
中小企業から議論が始まるのが、まず欺瞞的です。
都市部には、すべての従業員が最低賃金で働いている企業はないでしょうが、地方に行くと、数人の正社員を除き、それに近い状態の中小零細企業は少なくありません。そういう企業では全体の労賃が4割近くも上がります。最低賃金で人を雇わざるをえない企業は十分なお金を支払うだけの余力がない、つまり、儲かっていないから、そうせざるをえないわけで、ぎりぎりでやり繰りしていることも少なくないのです。そういう企業に対して、強制的な賃上げが国によって命じられたら、経営破綻は目に見えています。さもなければ、人員を減らすという選択になります。 |
最低賃金をあげると中小企業は大打撃を受けるというわけです。ですが、そもそも高い技術力をもつ、わが日本国の中小企業の経営を規定する大きな一因は、中小企業を思いのまま使っている大企業の安い下請単価でしょう。国家財政のうち中小企業対策費を充実させるのはもちろんでしょうが、そうした環境に置かれている中小企業と、大企業を同じように扱えというのではありません。支援策、一定のモラトリアムを設けることが必要でしょう。最低賃金が低く抑えられることによって、つまるところその恩恵を受け、もうけをあげているのは大企業にほかなりません。
彼によれば、最賃が1000円に引き上げられた場合の青写真をつぎのように描いています。
景気の悪さも手伝って、消費者物価がどんどん下落しています。デフレで明らかに需要が不足しているなかで、人件費の上昇分を商品の値段に転嫁することは、不可能なのです。 ではどうするか。企業は最低賃金の上昇によって増大した人件費分を削減するために、最低賃金以外の給料で働いている正社員の給料を下げるか、従業員の何人かを解雇することで、コスト増大を抑えるしかありません。それによって失業者が増える。それでも賃上げ分が吸収できない場合、経営者はどうするでしょうか。 そうです、製造業なら、中国やベトナムといった人件費が安い海外に工場を移します。その結果、最低賃金で働いていた人たちも職を失うという最悪の結果になります。これは国としても大きな損失で、高い人件費に悲鳴を上げて海外に出て行ってしまう企業が増えれば、産業の空洞化がさらに加速するのです。 |
しかし、これは、最低賃金が上がる上がらないにかかわりなく、80年代以降、大企業が乗り出した利潤追求策でした。経済グローバリズムがいっそう進み、多国籍企業が世界中で大企業の普通の姿になった。いくつもの国に工場や事業所をもち、最大の利益を確保できるように活動してきたのです。トヨタは07年現在で世界26カ国に52の生産拠点をもっているといわれるように。ですから、彼があえてここで、こうした企業の海外移転をもちだすのはごまかしといってもよいでしょう。最低賃金の引き上げを阻止するために、つぎに小宮が引き合いに出すのは、消費です。彼はこういいます。
最低賃金の引き上げによって所得が増えた人は、どんなものの消費を増やすでしょうか。もちろん車やブランド品ではありませんね。答えは生活に密着したものです。わかりやすいのが食べ物です。150円のカップ麺を食べていた人が180円のカップ麺を食べるようになるとか、あるいは肉や魚を食べる回数が増えるわけです。そうなると商店やスーパーの業績はよくなるかもしれません。 一方で、日本全体の賃金の総額は変わらない、つまり製造拠点の海外移転といった産業空洞化が起こらないという前提で最低賃金をアップする場合、真っ先にしわ寄せを受けるのが正社員です。たとえば、お父さんが40歳の正社員で、専業主婦で36歳の妻と、育ち盛りの子供2人がいる家庭を想像してみてください。家のローンはある、子供の教育費もかかる、年老いた親の面倒も見なければならない、お父さんの給料が下げられたら、この家庭は生活必需品の消費量は変わらないとして、それ以外の高級品や不要不急のものの購入を手控えるはずです。 |
逆立ちしているのはこの部分の主張です。現実の日本国で、生活必需品も手控えざるをえないような現状があることに彼の関心はまったく向かず、相対的に余裕のある(と彼にはみえる)階層に着目する。高級品や不要不急のものの購入を手控えて生きていけるでしょうが、生活必需品すら手控えざるをえない人びとがいる。それで、のちに彼がいうようなはたして人間的な生活が保障されたといえるのか。
さらにデタラメはつづきます。
最低賃金を上げることが、果たしてワーキング・プアの人たちを救うことになるのかという、根本的な疑問もあるのです。 時給1000円未満で働いており、この最低賃金アップ策で恩恵を受ける人というのはどんな人たちでしょうか。おそらく地方の中小工場、あるいはスーパーやコンビニなどの商店で働いている人たちであり、その多くが主婦のパートや学生アルバイトでしょう。主婦のパートや学生アルバイトの場合、彼らの多くは夫の給料や親からの仕送り、あるいは親と同居で暮らし、家計の足しや小遣い稼ぎのために、こうした仕事に従事している人たちであり、国の政策として賃金をアップさせなければならないほど、困窮しているわけではないのです。時給1000円というのは、1日8000円、月に17万円程度の給与です。年収では200万円程度です(主婦のパートの場合、夫の扶養家族となるために、年間102万円の所得の範囲で働いる方も少なくありません)。 ワーキング・プアと呼ばれる人たちは、むしろ製造業派遣や工場の期間工などで働いている人たちであり、そういう現場は、さすがに時給1000円未満は少ないはずです。 |
ワーキングプアとは、一般に、きちんと働いているのに、あるいは働く意思があり求職している人も含めて、「健康で文化的な生活」を営むことができない人びとを指すのでしょう。憲法でいう「健康で文化的な生活」を保障する最低水準が、彼もいうように生活保護でしょう。最低賃金できちんと働いても、その水準に満たない事実には目をつぶったままで、彼にとって都合のよい一部分をとりあげて、最賃でワーキングプアを救えないと主張しているのです。彼らの多くは夫の給料や親からの仕送り、あるいは親と同居で暮らし、家計の足しや小遣い稼ぎのために、こうした仕事に従事している人たち、などという表現で、一くくりにしようと思っても現実を語ったことにはなりません。たとえば女性のスーパー労働者は、彼のいう主婦のパートや学生に限らない。女性がパート労働で生計を支えている例は少なくありません。事実は、構造改革がすすんだ時期に年収200万円以下の働く貧困層の増加が数字で示されてきました。そのとき大企業は過去最高益を更新していたのです。年収200万円以下の「ワーキングプア」と呼ばれる「働かせ方」が増え続けたのはこの時期であって、、いまや1千万人を超えています。この事態があるからこそ、日本でも、ワーキングプアという言葉が熟したのです。
小宮の主張の結びで、議論の核心がこんなふうに表されています。
日本国民として、憲法二五条で定められた「生存権=健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するための制度が生活保護です。生活保護は、いわば人権問題です。一方で、最低賃金をどうするか、というのは経済問題であり、一国の国際競争力と密接に関係しているのです。日本が鎖国をしているなら国内問題として最低賃金を自由に議論していいのですが、天然資源もないこの国は、付加価値の高い製品を海外に輸出して食べていかなければならないわけですから、企業に命じて強制的に賃金を上げさせるというのはどう考えてもおかしいことだと思います。 人権の保護をどうするのか、企業経営をどう成り立たせるか。この2つはそもそも別問題であるのに、それを一緒くたにして考えるから訳がわからなくなるのです。最低賃金で働いている人がフルに働いても、生活保護でもらうお金の水準まで稼げないのが現実なら、むしろその人たちに賃金との差額を国が生活保護として与えるべきです。 低所得者層の問題を放置しておいてよいなどとは思いませんが、長期的な戦略もなく、ただ経営の自由度を殺ぎ、企業ばかりに負担を強いるような政策は、結局は企業をも弱らせ、そこで働く大半の国民の生活を脅かすことにもなりかねません。 |
しかし、彼がいうのとは正反対に、生活保護と最低賃金は密接にかかわっています。また、かかわって議論されてきました。昨年施行された改正最低賃金法は、最賃を決める基準の一つの「生計費」にかかわって、「健康で文化的な最低限度の生活」という憲法25条の条文を書き込みました。これが気にいらないようです。この小宮 一慶という人物の主張は、最低賃金の引き上げを阻止するために、中小企業をもちだし、正規雇用労働者の賃下げ、解雇をもちだし、そして仕舞いにはワーキングプアをもちだし、最低賃金では救えないといい出すのです。直前の引用で明らかなように、大企業を擁護するためのそれです。
最低賃金が労働者の平均賃金に占める割合は日本28%。スペイン40%、フランス47%、ベルギー40%、オランダ46%、イギリス37%、アイルランド52%、ルクセンブルク50%、アメリカ33%に比較して、立ち遅れているのは明らかでしょう(EU資料、2007年)。EUは、最低賃金を当面、労働者の平均的賃金の50%、さらに60%に引き上げるようとさえしているのです。
時給1000円以上という水準は、最低賃金を決めるのは「労働者とその家族の必要」や「生計費」(ILO131号条約)という国際基準を踏まえたものです。貧困のまん延が国民の購買力を大きく低下させて内需を冷やし、経済危機をいっそう深刻にしているという認識はまちがっていないでしょう。ですから、あえていえば、百貨店の客足より、街の商店やスーパーも満足にいけない現実があることに目をむけざるをえないのです。
(「世相を拾う」09290)
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カップ麺で懲戒処分という理不尽社会
留置管理係:容疑者にカップラーメン提供、懲戒処分に 留置中の容疑者に禁止されているカップラーメンを食べさせていたとして、北海道警監察官室は22日、札幌方面の警察署留置管理係の50代男性巡査長を減給100分の10(1カ月)の懲戒処分にしたと発表した。巡査長は「いつも冷たい弁当ばかりだったので温かい物を食べさせてやりたかった」と話し、辞職の意向を示しているという。 監察官室によると、巡査長は5月下旬から8月中旬にかけ、容疑者の男5人に、自宅から持ってきたカップラーメンを食べさせたりタバコを吸わせていた。留置管理規則は容疑者への便宜供与と受け取られる行為や、やけどの恐れのあるカップラーメンを与えることを禁じている。 8月下旬に容疑者の1人が別の署員に「カップラーメンをもらった」と話したことから発覚。監察官室は上司の同署次長の警視と係長の警部補を訓戒処分にした。 |
警察官の「いつも冷たい弁当ばかりだったので温かい物を食べさせてやりたかった」という思いは、常識的に考えれば人間的なまなざしに所以するのでしょうが、この巡査長の思いそのものが「留置管理規則」に反していることになる。その思いを素直に行動に移すのは違反し、意識しなかったり、意識はしても行動に移さなかった者は、規則に抵触しないということを意味しています。カップ麺を差し入れるというのは、それが留置場の外であれば何も問われることはないはずのものでしょう。ただ、留置場内で、留置管理に当たる警察官がなした行為という一点で、懲戒処分がおこなわれるという非合理。この記事の場合は、いわゆる温情が仇となったということでしょうか。
カップ麺の差し入れを、便宜供与や傷害の意思ありとみなし、懲戒処分にする留置管理規則に表現される警察社会の常識、価値が、少なくともその外部の日本社会のそれと隔たっているのは明らかです。
(「世相を拾う」09289)
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政治の貧困- 安倍「社会主義発言」と小沢の発言撤回
しかし、彼の語った内容はいただけません。
安倍元首相が民主批判 郡山で「極めて社会主義的政党」
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以前に同様の発言についてふれました(参照)。谷垣自民党総裁が語った。谷垣氏は、安倍晋三もまた、「「困っているところがあれば補助を入れる」政策を社会主義的だと指摘するのです。そこで、このエントリーでは、「困っているところがあれば補助を入れる」をいう方向を社会主義的と批判する立場は、日本国憲法のいう健康で文化的な生活を営む権利を(国民は)有するという規定と両立しうるのか、と問いました。
安倍、谷垣の発言のように社会主義を持ち出して他党を攻撃するのは、今にはじまったものではありません。かつては自治体首長選において、あるいは革新首長の姿勢をこう表現することによって貶めるというわけです。つまり、社会主義というものは悪の象徴だという前提、認識にたっている。もちろん、自党へ支持を呼び戻そうという魂胆が働いている。
しかし、今のところ、民主党が自民党とかわったことをやっているとは思えません。安倍のいう「配る」ことは自公政権も定額給付金を配ったわけですね。同じことです。米軍基地問題もまた、自民党と明確に異なる態度を決めたわけではない。
ただ、いえることは、自民党の政治はごめんだという有権者の声を受けて誕生したという経過があるので、そこに民主党政権もしばられ、右往左往しているということでしょう。右往左往するのは、有権者の期待、世論と、同党の出自からくる制約との拮抗があるからにほかなりません。こうした内部に抱え込まれた矛盾が、たとえばメディアが伝えるような鳩山と小沢の「対立」や険悪な関係として表れるのです。
その一方の小沢。派手な訪中、そして政権にたいする予算要求は、権力の集中をいよいよ私たちに実感させるものでした。しかし、その小沢は、自分の語ることがすべて、それに反発するものはすべて切り捨てるという強権的姿勢が高じて、ついに憲法を少しも学んでいないことを逆に自ら証明することになりました。そして発言撤回(参照)。嗤うほかないというのは、こんな事態でしょう。安倍も、小沢も、その主張はあるいは異なるように思われているかもしれませんが、強権的・権威主義的な政策や対応に共鳴するという点で同じように思えてなりません。
政権のとるべき方向すら語りえない民主党政権と強権発動に乗り出す同党の権力者。一方、それに何ら有効な対案を持ちえず、まあアナクロニズムとしかいいようのない発言を繰り返す自民党の政治家たち。社会主義を知らない安倍、憲法を知らない小沢。ここに日本の政治の貧困、民主主義の貧困があるのでしょうかね。
(「世相を拾う」09288)
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政権の憂鬱
業を煮やした小沢が、政権に要望をつきつける姿にいたって、いよいよこの民主党と同政権の力量自体が大方みえてきたように思えます。
あれほど、自慢げに小沢が語った政策の内閣一元化はもはや、小沢のこの行動でもって自ら打ち消したのです。うそでしたというようなもの。主客転倒がさまざま語られています。その政権の頼りなさは、一連の動向によって実感されます。まずは、長妻厚労相。
子ども手当「所得制限なしで」 厚労相ら強調 長妻昭厚生労働相は19日のTBS番組で、政府内で子ども手当の支給に年収2000万円の所得制限を設ける案が浮上していることに「子どもに所得はない。そういう意味では所得制限なしで措置したい」と述べ、所得制限の導入に反対する考えを改めて強調した。出演者からの電話に答えた。 厳しい財政状況を理由に所得制限の導入を容認する構えをみせていた福島瑞穂少子化担当相は同番組で、年収2000万円の所得制限案について「2000万円では該当者は少ない。それならすべての子どもに(支給すべきだ)」と語った。 |
大臣の発言とはとても私には思えません。子どもに一般に所得がないのは誰しも分かっていることです。所得が無いから子ども手当てを出すと民主党は公約してきたのでしょうか。 お小遣いを分け与えるわけではないでしょうし。そもそもこの手当は、現行の児童手当廃止、所得税の扶養控除廃止による増税を前提としています。子育て世帯にとっては、子ども手当が支給される代わりに現行の児童手当が廃止され、所得税が増税されることになります。つまり、子ども手当がもらえるとはいえ、増税と給付減の影響で、月額2万6000円が宣伝されていますが、実際の効果はも大幅に現象する。さらに住民税の増税も考えているのですから、まさに羊頭狗肉というものではないでしょうか。
社会保障というものを、所得の再分配という機能から考えるのならば、この手当に限れば、民主党政権のとる方向は否定されなければならないと思うのです。
来年に先送りされた普天間基地移設問題。
この大臣の心の奥底には、日米軍事同盟至上主義というものが潜んでいるようです。
「海兵隊は日本に必要」 外相、グアム移転に否定的考え 岡田克也外相は18日の記者会見で、米海兵隊の普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関連し、「海兵隊は日本にとって必要な存在。海兵隊の抑止力に期待するなら、日本の外に出てくれということは、あまり通用しない」と語り、米領グアムなど国外への完全撤退を求めることに否定的な考えを示した。 現行の日米合意では、普天間飛行場の移設に伴い、沖縄の負担軽減策として海兵隊8千人(定員1万8千人)がグアムに移転する計画だが、社民党などはこれに加え、普天間の機能そのものをグアムに移すべきだと求めている。 岡田氏は「機動的で様々な能力を持った海兵隊は紛争の発生自身を抑止することになるし、その機動力が日本の安全にとって有用であるという場面は当然考えられる」と語った。 |
ところで、岡田外相はすでに自ら主張してきた嘉手納統合案を引っ込めたわけですから、氏の言葉によれば、この政権の選択肢は日米両国合意か、国内移転に限られてきそう。思い切って合意を破棄し、米軍基地は本国に返すなどという、潔い判断は望めそうにありません。
代替案はそもそも、今現在、米軍基地が存在することによって周辺地域住民と自治体にもたらされる問題をたらい回しに等しい。平行移動するにすぎないものです。
岡田外相の発言は、日米合意を落としどころに見立てた発言だといえるでしょう。
先送りにつぐ、先送り。これもまた、民主党といえば先送り、先送りといえば民主党という具合に、同党の同党たるところでしょう。
最初の子ども手当も、つぎの岡田外相の発言も、民主党の根本的な政治姿勢にかかわっています。その点はぶれないのです。
一見、子ども手当は、広く国民の可処分所得を増加させるようにみえ、その分、消費に回るのではと期待される向きもなきにしもありません。また、手当を期待して民主党に投票された方もおられるのでしょう・が、冒頭でふれたような、このしくみ自体が増税と抱き合わせになっている点に着目するば、多くの世帯の可処分所得を高め、国内消費が増向する可能性は少ないとみてよいでしょう。これは、「ムダ排除」だけに財源を求めて、それを言い続けてきた民主党の財源論のもろさを示しています。いまや財界向けの法人税減税の見直し、米軍への思いやり予算に本格的に切り込まなければならないはずなのに。いわくつきの事業仕分けをみてごらんなさい。結局、思いやり予算に手をつけられなかったではありませんか。
そして、第二の米軍基地問題は、まさに米国と日本の関係を今後、どのようなものにするのか、民主党政権の姿勢が象徴的に表現されています。沖縄県民の意思、世論と米国の圧力をてんびんにかけようとすることそのものの評価が必要です。人権が、他人から奪われない、少数者であっても守られるべき憲法上の権利だと理解すると、それと米国の権益を同じモノサシで(民主党は)みているということになります。これは、根底に米国との関係を最優先にする思想と結びついている。その見方そのものをあらためない限り、先送りにしたところで同じ事態の繰り返しになるでしょう。とどのつまり、合意、先にありきということで決着。こう推測してしまうのです。
この民主党の大本にある財界と米国にたいする「配慮」は自民党と交代したにもかかわらず、連続しているもの。
小沢は、政権に民主党の要求をつきつけました。もっとスピーディにやれということでしょうか。国会改革も、政策一元化も、党と内閣の役割を明確に分けるといって、打ち上げたもののはず。ですが、そのことも放り投げ、より強権的な政治を加速させるために自ら乗り出した。小沢が常々、参院選での絶対多数を口にするのも、強権的な政治体制づくりを視野に入れたものです。
しかし同時に、強権的な姿勢が強調されればされるほど、国民・有権者の反発を買う、これも政権誕生後の出来事で明らかになってきました。
だって、多数を引き連れた要望提出時、そして中国副主席の天皇会見問題をめぐる小沢の傲慢な態度と国民世論に、それは見事に表れているではありませんか。あるとすれば、そこに政権の憂鬱があるのかもしれません。
(「世相を拾う」09287)
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憲法を読まなければならないのは小沢一郎
陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて |
といったのですが。
国事行為とは、憲法を素直に読めば、以下のとおりでしょう。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
|
憲法第3条では、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」とかかれています。しかし、小沢の発言は、上記のもの。だから、仮に小沢(の発言)が正しいとすれば、中国副主席との会見は、このうちどの項にあたるのか、小沢は答えないといけない。
答えられるはずがありません。
憲法を一言一句まで詠まなければならないのは、小沢自身です。彼は、少しも憲法を理解していないことが明らかでしょう。
ですから、そうなると、彼は権力を傘に、羽毛田氏を恫喝したに等しい。私は、権力といいましたが、政権ができて、幹事長とはすべて党務といいい、二重権力ではないといったのは鳩山。また、私は選挙をやると小沢はいったのです。
しかし、二重権力と鳩山はいったのですが、権力というのなら、日米安保体制に少しも手をつけらない政権がはたして真に権力を握ったといえるのか。それは、民主党が強調し、メディアも後押ししている事業仕分けにしたって、米国への配慮は並々ならぬものでしたから。思いやり予算も、聖域は設けないという言葉とは裏腹に、事実上、手をつけられない結果に終わってしまっています。
元に戻せば、新政権誕生の際、鳩山も小沢も国民むけには任務の分担を強調しましたが、すでに自らの言葉を裏切る行状がつづいています。小沢が多くの面で、党務を乗り越え、政治に政策決定に乗り出しているのは誰の目にも明白でしょう。
つねづね当ブログで強調しているように、
お7年の参院選の(民主党の)「政策転換」は小沢独裁の実態があるから可能なのでした。それまでの新自由主義推進から生活重視を少なくとも宣伝上は徹底したのですから。それは、小沢の政局重視の臭覚に、同党の誰もが異論をのべない、のべることのできない実情が存在するからにほかなりません。
副主席の天皇会見問題も、最近、「国会改革:という名の改憲への道、強まる政策への関与と小沢の一存が同党を覆ってしまう感じは否めない。
おかしなもので、そんな小沢も、国家管理の政党助成金によって日本の政党のほとんどが成り立っていることには口をつぐむ。彼は、政党助成法の成立に一役を買ってきた。政治とカネ問題を解決するというふれこみを持って。同時に政治資金規正法の改正とあわせて。しかし、正と助成法も、政治資金規正法もつまりは抜け道が担保されていて、そこを小沢自身が利用してきたともいえます。西松建設の異邦政治献金問題のように。
政党を国家管理にしておきながら、ほかでは官僚の排除をいい、民営化を強調する日本国の政治はまさにいびつとしかいいようがありません。民主党がこれに反対したでしょうか、小沢が反対したでしょうか。
小沢一郎はこんな風潮にはもってこいの政治家なのかもしれませんが、今回の憲法論議でも明らかなように、少しも論理的でないのが彼だといえるでしょう。そして、その手法は、たとえば数に執着し、その数の力で恫喝することも厭わず、自らの「信念」を貫こうとする独裁性を指摘しなければなりません。
その彼の独裁性の腰を折るために、来年の参院選が準備されなくてはなりません。
衆院選の結果には、財界が考えてきた二大政党制のねらいがある程度、反映しています。選挙制度上は小選挙区制と抱き合わせの二大政党制は、今年の衆院選で見る限り、民主党は小選挙区で得票率47.4%で72.7%の議席・221議席を獲得しました。自民党は大幅に議席を減らしたとはいっても38.6%の得票率なのです。当ブログでは3乗比の法則にふれて、小選挙区制がいかに民意とかけ離れる結果を導きだすのか、それを指摘しました。民主党の今現在の数はそうした民意を反映しない制度の上に成り立っています。
その上、選挙制度の改革をいい、比例部分をなくす方向すら検討しているのです。少数の排除と、数の上で多数を握ったら何でも合理化できるという考えと強権が小沢のなかに強くあるようです。
これを、いつまでも支持できるのは、小沢に会ってこのようにいってはばからない、興奮さめやらぬ橋下くらいのものでしょうか。類は友をやはり呼ぶのでしょうか。
http://www.asahi.com/politics/update/1217/OSK200912170104.html
(「世相を拾う」09286)
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これが小沢主導だ!
この人物がもの言えば、事はそのとおりにすすむのです。しかし、どんな機制が働いているのでしょう。右に向けとこの人がいえば、右に向く。左だといえば、皆が左を向く。鳥肌がたつ事態だといえば、大げさでしょうか。
民主、政府への要望先送り 小沢氏「財源も考えないと」 民主党は14日、来年度予算編成や税制改正に反映させる党の重点要望の決定を先送りすることを決め、連立相手の社民、国民新両党に伝えた。小沢一郎幹事長が、鳩山内閣にも配慮して、歳出要望だけではなく財源も考えるよう指示したためだ。遅くとも16日までには決定するという。 重点要望は、党幹事長室に集約された陳情から小沢氏と副幹事長が選んだ。小沢氏は14日までに副幹事長らに「いくら政策一元化と言っても、財源を考えないといけない」と指示し、党側も歳入面に責任を負うべきだとの考え方を示した。 また、小沢氏は14日の記者会見で「整備新幹線や高速道路などの要望が強いことは事実。政府に要望することになるだろう」と述べ、具体的な事業について予算要望することも強調した。 重点要望のとりまとめの先送りに伴い、15日に予定していた小沢氏と鳩山由紀夫首相との会談も延期される。このため、予算編成への影響も懸念され始めた。政府は与党の意向をつかみきれず、すでに来年度の税制改正大綱決定を先送りしている。 |
小沢一郎の一声で、民主党の全体が動く。一方で、鳩山首相の影響力は、もともとあったのかどうか定かではありませんが、地に堕ちたもの。14日のNHKニュースでは、鳩山下ろしのシナリオすらできあがっているかのような報道ぶりに私には思えました。支持率の低下ももはや否めないようです。
テレビ番組では、例の副主席の天皇会見について、政権党である民主党と同政府が決めることなどいって吐き捨て、誰がみても理解しがたい態度で強弁するところに、小沢の強権政治志向を感じるのです。
いましばらくは様子をみてもいいと考える人が中にはいるのかもしれません。けれども、おそらくは、小沢が号令をかけて、すべてが動き始める。この構図からの脱却は望めそうにありません。当面は、普天間基地移設問題でどんな態度をとるのか、それが一つの判断材料になるのではないでしょうか。
世論調査によれば、民主党にゆだねた正義はすでに裏切られたという思いが、無党派の人々のなかに浸透しているようです。私からみれば、それは鍍金がはげた以上のものではないと見て取れるのですが、どうでしょうか。
主導と言う言葉がお気に入りの民主党ですが、自らは、こうして小沢主導から少しも抜け出しえないところがまた面白いのです。
(「世相を拾う」09285)
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ショーのプロデュースに励む自民党
インタビューで、臆面もなく、進次郎議員はどうでした、かっこよかったと問答する記者と参加者。ここにツアーの何たるかが象徴されています。
少しもかわらない自民党。そして有権者はさてどうでしょう。護衛艦の内部を見、海軍カレーを食べ、日本の安全保障、日米関係の概要をつかんだ人が中にはいるのかもしれませんが、その可能性はほとんど少ないと普通は考えるでしょう。
小泉進次郎ツアー50人枠に5千人 横須賀で海軍カレー
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当の小泉進次郎は「これだけで党を立て直せるほど甘くない。必要なのは、自民党は本当に変わったとみられる方針だ」と殊勝なことをのべています。けれど、「本当に変わったとみられる方針」とは、それができた暁には自民党ではないことを意味するわけで、これまでの財界と米国を軸にしてきた根本の政治プログラムを変更するなど自民党にはたやすいことではありません。けれども07参院選でも、09衆院選でもそれにノーがつきつけられたことが、自民党の敗因の一つでした。ですから、財界ばかりに目を向けた自民党の政治そのものが、いいかえるとゆきづまりに直面している。
米兵の子に殺人未遂の容疑がかかっていながら米軍側が引き渡しに応じない状態が続き、長く逮捕されなかった問題を当ブログでとりあげました。基地の周辺で起きる日常のなかに、実は今日の日米の関係性が横たわっていると思うのです。周辺の住民の思いはいかなるものか、周辺の住民の方がたと懇談し、思いを一つにする。こんな企画はどうか。このほうが、自民党の政策ものべなければなりませんから、よほどそれを知ることになるし、少なくとも踏み込めそうに思えます。もちろんショーにはどうみてもなりそうにありませんが。
自民党は今後もこの種のものを準備しているようです。しかし、ナビゲーターの顔ぶれをみると、すでにショーを盛り立てようという思惑から抜け出してはいませんね。ようは人気とりのショー。これで部分は心を動かすのでしょうが、全体はかわらない。日本の政治もまた、かわらない。自民党にもはや、かえる力はないとみえる。変えることができるのは、有権者なのでしょう。結局、最後は私たちが何を選択するかなのでしょう。
それには、かっこよかったではとどまらない、政策で判断する見識が求められるのでしょうが。
(「世相を拾う」09285)
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「正義の戦争」または失望
神か。それとも国連か。あるいは米国か。
答えは簡単で明瞭。米国が決めるのです。
オバマの受賞スピーチに失望を感じ取った人も少なくないようです。
今朝のサンデーモーニングを視ていると、スピーチを聞いて、いまでもオバマを信じ、演説ではオバマの真の思いを語ったのではなく、米国の伝統を慮ったものだという発言もあった。しかし、受賞したのはオバマであって、米国ではない。オバマは自らの思想を語らなければなりません。
結局、オバマといえども、そしていかに強力な立場の米国大統領といえども、彼を支えた階層の請託を無視することはできなかった。それがオバマの演説に表現されたわけです。いうまでもなくアフガン戦争は米国支配層の思惑に沿っています。
ひるがえって日本国。
国の舵取りの一つひとつが徐々に政権にたいする失望を招いています。蛇行する舵取りは、政権についてからまもないがゆえの未熟さに由来するものとはいえません。偽善的ともいえる国民世論に応えようとする思惑がいまや桎梏となっているし、本来の民主党の思想と交差し、矛盾のただなかにあるといえそうです。蛇行はその結果でしょう。自民党政権がゆきづまり、構造改革に痛みつけられた沸点に達した国民の怒りは、自民党ではないという意味で正義の民主党を選択しました。自民党ではないというところに正義をただ読み取って。
その民主党。選挙中の同党の発言に正義を感じた人びとは、今現在の発言に不正義を見出すでしょう。論理的にいえば見出さねばならない。発言の内容はまるで変わったか、変わりつつあるのだから。ここに、オバマに等しい非合理を私は感じます。オバマも、日本の民主党も先にのべたように、支持層の請託を無視はできません。オバマはもちろん米国の二大政党の一つに属しているし、民主党もまた、自民党に代わりうる保守政党という属性から抜け出すことはできない。
結局、自民党とは異なる政党でありながら、ちがいは支配勢力の許容しうる程度のものにすぎません。民主党とは、自民党の否定から出発しているのではなく、いくらかの差分をもった政党ということです。だから、不正義の自民党にとってかわれば、すなわちそれが正義とはならない。かぎらないのです。
モジモジ君は私の贔屓の一人ですが、そのモジモジ君が論文の末尾で教えてくれています。
人の生を無条件に肯定すること。そして、論理的であること。この二つさえあれば、私たちの間の対立は神々の争いなどではまったくない。それらがあれば、議論それ自体の持つ力だけでこの世界をよりよいものに考えていく可能性は既に開かれている。後は私たちが何を選択するかである。(*1) |
この視点で、オバマを、そして(日本の)民主党の今を考えてみる必要があるのでしょう。
(「世相を拾う」09284)
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*1;「批判的合理主義の正義論」
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以前に、他のブログを紹介する際、人は自分ではないもの、欠落するもの、ちがうものに関心を示すものといった覚えがありますが、えちごっぺさんはまさにそのような人。
たとえば。
○ミ生のおばちゃん? というエントリー。
何のこと、こう思いますよね。ネタバレは野暮というもの。読んでみれば分かります。
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