森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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税金のムダ使いをいうなら、これだろ。。
民主党の関係者がいわゆる聖人君子-これを理想だといっているわけではありませんが-では到底ないだけでなく、これまでの自民党とこの点ではほとんど区別がつかないことを示しているのでしょうかね、この記事は。江田議長や直嶋氏の名前が出てくるのですから、こんな事態は見えないだけで、もっと広く存在するのかもしれないと腹をくくったほうがよいのかもしれません。
ただ、結論は、この部分だと私は思います。
民主党は03~07年に計約548億円の政党交付金を受け、これは党本部の全収入の約8割。同党が所属議員に配る「政党交付金ハンドブック」は、交付金から酒を伴う飲食費の支出を禁止している。 |
とくに、この記述の前段部分です。民主党という政党は圧倒的に国民の税金、つまり政党交付金によっている政党なのですね。その使い途がこれでは、ふだん同党が税金のムダ使いを主張しているのと、どのように整合性がとれるかということです。この点で、この記事に関する限り、深刻な反省を同党は迫られなければなりません。税金のムダ使いをいうなら、まさにこれでしょう。
クラブ、キャバクラを経由して何が議論されているのか、それを国民・有権者が知る術はまったくないのですが、仮に何かが議論、あるいはそこで検討されているとしたとしても、クラブ、キャバクラでないといけない理由は存在しないでしょう。あるのなら、あげてほしいものです。
つまり議員活動に必要な支出とはみなされえないと考えるのが常識的というものでしょう。政党交付金がこんな形で消える現実がある。政党助成金の意味そのものが沿われなければならず、交付金をもらい、こんな支出をしていることに一片の反省もないとしたら、それこそ大問題でしょう。
これに、江田氏や直嶋、あるいは川端氏がどのように反論するのでしょうか。いずれも同党の幹部であることは自他ともに認めることでしょうから。
今後、このような民主党にとってのネガティブな記事が出てくるのでしょうね。
それは、ある意味で政権党にとっては必至のことなのかもしれません。参院選までの曲折が予想されるというわけです。
だから、われわれ国民・有権者の前には、政権党が矢継ぎ早に打ち出す国民向けの諸政策と一方でのこうした弱点の暴露、政権党にとっては正と負の部分が提示されるというわけです。その質と量においてどちらが勝るのか、それはおそらく次期参院選を左右するものとなるのでしょう。傍目からみれば、守りに強い政党とは到底、思えない、つまり負の部分が少ないないのですから。
今回は、こうしたメディアの一記事に表れた、民主党の弱点をつくものでしょうが、すでに保守派の巻き返しが周到に準備されていることも匂わせるものでもある。自民党の総裁選をあたかも国民的行事であるかのように、連日、メディアが追うのを目の当たりにしてあらためてそう思うのですが。。
それにしても、民主党もまた、(政党の)水準がこの程度で自民党との峻別がそもそもつかないということが、露呈した格好です。
(「世相を拾う」09206)
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混合診療の壁-人間を排除しているということ
「混合診療禁止は適法」原告患者側が逆転敗訴 東京高裁 健康保険が使える保険診療と保険外の自由診療を併せて受ける「混合診療」を原則禁じた国の政策が適法かどうかが争われた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。大谷禎男裁判長は「混合診療の禁止に法的な根拠はない」とした一審・東京地裁判決を取り消し、混合診療の禁止を適法として原告患者側の請求を退ける国側逆転勝訴の判決を言い渡した。 07年11月の一審判決は、混合診療を受けた場合に「一体化した医療行為」とみて保険が使えるはずの分も自己負担とする国の政策について、「健康保険法の誤った解釈だ」と判断。原告の患者には保険診療分は給付を受ける権利があると認め、国側敗訴の判決を言い渡した。国側はこれを不服として控訴していた。 訴えていたのは、神奈川県藤沢市の清郷伸人さん。がん治療のため、保険が適用されるインターフェロン療法に加え、適用外の診療を受診。全額負担を求められることから、国の政策は健康保険法に違反すると主張し、インターフェロン分は受給の権利があることの確認を求めていた。 これに対し国側は、保険診療と自由診療が行われる場合、全体を一体の医療行為とみて保険給付を検討すべきだ▽特定の高度先進医療など例外的に認められた混合診療以外に保険は給付されない――との健康保険法の解釈を示し、保険給付の対象外とするよう反論していた。 |
欠かせないと私が思うのは、そもそも混合診療とは無縁のひとびとが現にいるということです。
私は、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる状態を実現したいと思うものですから、その価値を置く者ならば、現にそこから排除された人びとをなくすことこそ、緊急かつ重要な課題ととらえるのです。
もちろん、自らの混合診療の実際において保険診療を部分的にも適用してほしいという要求は、この裁判の当事者にとっては率直なそれ、要求かもしれません。しかし、ひとたびその裁判の外に一歩でてみると、混合診療を受ける条件そのものから排除される「部分」が存在することに、少なくとも私は眼を奪われる。そこを解決しなければ、そもそも、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる状態は解決できないわけです。必要条件なわけですね。分かりやすくいえば、議論の出発点、混合診療から議論をはじめる限界性を私は感じるのです。
07年11月の東京地方裁判所における「混合診療禁止に法的根拠なし」とした判決以降、政府・財界が混合診療全面解禁の動きを強めていることを知っています。また、当時の首相の諮問機関である規制改革会議が「中間取りまとめ」の中で、厚労省に対して「混合診療禁止措置の撤廃に向けた施策を早急に講じるべきである」と求めているもまた、知っています。規制改革会議「中間取りまとめ」に反対しているこれまでの厚労省が、入院時医学管理加算の取得条件に、保険給付を前提としない「選定療養」を持ち込むなど、その拡大を進めて事実もまた明らかでしょう。
こうした事実を一方でおさえてかなくてはならないでしょう。その上での、この判決です。
元に戻ると、第一に考えたいのは、経済的条件のいかんにかかわらず、やはり、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる体制、状態をいかに構築するのか、そこに知恵を絞らないとならないでしょう。物事は、そこからはじまるのではないでしょうか。
そうでなければ、(議論の)最初から、議論の対象でない人びとの存在を是認しているということになるのですから。
それは、そもそもの一人ひとりの人権、人間が人間らしく生きる権利を認めるか否かにかかわる。
それを横に置いた議論の一つが、この裁判の性格規定ということになるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09205)
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【関連エントリー】
混合診療解禁と松井道夫氏の言説。
東アジアのことは東アジアが決める。。
米政府、鳩山首相の「東アジア共同体」に強い反対 不信と懸念強める 鳩山由紀夫首相が国連総会の一般討論演説で表明した「東アジア共同体」構想に対し、米政府高官が米国抜きの構想だとして強く反対する意向を日本側に伝えてきたことが28日、分かった。日米関係筋が明らかにした。 |
鳩山さんが打ち出した東アジア共同体が単に構想としてではなく、実現してほしいと考える一人にとっては気になる記事ではあります。
しかし、この記事が産経だと割り切ることもできるのでしょうね、たぶん。同時に、私たちは鳩山さんが主張する共同体の中身を詳細に知らされては現段階ではないという留保もつくわけですが。
それでも、この記事は酷すぎるといいってよいでしょう。
いったい強い反対を述べているのは、誰でしょうか。納得できる人がどこにいるのでしょうか。
どうもメディアの逃げ口上の一つに関係筋に語らせるというものが定着しているように私には思えます。案の定、この記事のいうところによれば、「『東アジア共同体』構想に対し、米政府高官が米国抜きの構想だとして強く反対する意向を日本側に伝えてきた」というソースは、どこにあるのかといえば「日米関係筋」ですって。これは、つまるところ誰を指すのでしょうか。
そこが明らかにされないままで、「就任直後の訪米で、オバマ米大統領との信頼関係の醸成に自信を示した首相だが、首相の外交政策への米側の懸念がかえって強まっていることを示している」と論じることはできないと私は思います。
根拠、いいかえれば記事になるための事実の存在、たとえばAという米国政府の幹部がのべた発言を裏づけとしてとっているとは思いがたいのではないでしょうか。
この記事は、国連での議論の大筋に真っ向から反するものでもあるでしょう。なぜなら、核のない世界とは、東アジアの動向を抜きにして考えることは現状でできないからです。だから、逆に、東アジアの共同体をどのように構築するのかにそれは深くかかわっているということです。
こんな立場にのっとっていうのならば、記事が示す方向は、それに少なくとも懐疑的なものであって、それは国連総会で議論された世界の方向に背くものではないでしょうか。
議論はだから、東アジアの平和をどのように構築するのか、そのための共同体のあり方は、探求するとすればどんな方向なのか、ということでしょう。実践的に、どのようなものであればそれが可能か、そんな議論が必要なのでしょうね。
むろん東アジアの共同体化は、東アジア諸国が決めることであって、米国が決めるものではありません。米国がどのように受け取ろうと、それは紛れもないことにしなければ始まりません。
(「世相を拾う」09204)
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政治の戯画化、さらに進行中
先日のエントリー(下記)でふれた日歯の政治連盟。正式には、日本歯科医師連盟といいます。先日はこの団体が、来年の参院選で自民党推薦を見送るか否かについてに言及したものでした。医師会や歯科医師会の政治団体が推薦をするといえば、それは自民党推薦をこれまでは意味してきたからです。
政権が自民党から民主党に移ったという条件の下での、その変化が記事的には注目されたということです。
今回の記事によれば、事態は一歩動き出しました。
候補者の擁立そのものを見送るというわけです。ただ、それでは支持の表明をどうするのでしょうか。
むしろ私の関心は、日本歯科医師連盟という政治連盟に、歯科医師会員を丸ごと、半ば強制的に囲い込み、自民党支持を押し付けたことにたいする反省に、議論が少しも及ばないというところです。それを、仮に自民党から民主党に移し変えようと、候補者擁立をあきらめようと、本質はまったく変わらない。そこに一片の反省もないところが、この日本歯科医師会の姿でしょう。
歯科医師の集団であるはずの日本歯科医師会は、歯科医師の立場からその要求を実現する団体なのでしょうが、執行部はそれをめじまげ、要求を実現するには政権党に擦り寄るしかないと考えている。それだけではなく、それを構成員たる歯科医師会員に有無を言わさず強いる。そして、それを少しも疑わないところに政治の戯画化があるのではないでしょうか。
私たちは一人ひとりの要求を持っています。そして現実にはその要求が叶うにはいくつものハードルを越えないといけないことを知っています。そのハードルの行き着く先に政治が横たわっていることもまた、知っています。自民党は、それを逆手にとってきました。が、歯科医師会以上に自民党が重視すべき部分、階層の思惑に応えようとすれば、歯科医師など一つの部分に過ぎなかったわけですね。そうして、歯科医師会執行部の、つまり政治連盟執行部の宣伝文句とは裏腹に歯科医師は年々、窮状に追い込まれてきたのです。この一連の流れは、自民党政治のゆきづまりを、あるいは自民党政治自身が己のかつての支持基盤を掘り崩してこれまで生き延びてきたことの典型のような気がしてなりません。
歯科医師一人ひとりはこの意味で流れに翻弄されつづけてきた。そこから一刻も早く眼を覚まさなければなりません。
しかし、こんな動きが来年参院選までは、あちこちで出てくるのでしょうね。
(「世相を拾う」09203)
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【関連エントリー】
破廉恥な政治連盟- 日本歯科医師連盟
だからどうよ。移転案を撤回すべきでは。
だからどうよ、って感じですね。
防衛相は結局、持ち帰ることになったというのが結論ですね。
一昨日ふれたように、この問題の打開策は、そもそもの米軍基地を撤去するしか、方法論としてはないわけです。米軍にお引取り願うしかない。
民主党政権の考えは、県内であろうと、県外であろうと、そしてそれが国外であろうと、基地を平行移動するにすぎません。米軍基地とその周辺地域との間にいくつもの問題が常に発生してきたのは誰もが知っていることです。
こんな状況がありながら、県外移転などといえるのは、いったいどのあたりからくる発想でしょうか。
鳩山首相は米国との対等な関係を口にしていますが、沖縄県民の実情をよく理解できるのであれば、今こそ基地撤去を主張しなければならないでしょう。
北沢防衛相の発言からみえるのは、この問題が先送りされる可能性です。
北沢氏は民主党が掲げてきた県外・国外移設についても「(再編)事業がすでに進んでいる中で、かなり時間がかかる」と指摘。「普天間は極めて危険な状況で、リスクを除去することは一日も猶予できない」と話した。 |
北沢氏がいわなくても、普天間は危険な状態におかれている。それが他の地に移って改善するはずがないでしょう。
結局はこの問題に対処する際の民主党の基本的な姿勢が問われています。
それは、基地の無条件撤去を明確にするということです。
対等な関係とは、そう主張できればこその話ではないでしょうか。
(「世相を拾う」09202)
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民主党- マニフェストがなぜころころ変わる
こういうためには、そもそも団結するとは何かを定義づけなければなりませんが。それを今、堅くスクラムを組むだけの絆が存在することと仮にしておきましょう。
たとえば、労働組合も労働者としての権利保障で一致するわけです。そのほか様々ある団体の多くはそうでしょう。必ずそこになんらかの(実現すべき)要求がある。それでもって、気持ちを一つにしてスクラムが組めるのです。あえていえば個々の思想・信条を抜きにして。
前置きが長くなりました。
こんなことを考えるのは、民主党新政権の動向が頭にあるからです。
新政権がほとんどといってよいほど、少なくない有権者・国民が賛成しうるような政策を次々に打ち出している、この現実をどのように解釈すればよいのか、これを考えるからです。
直裁にいってしまえば、これは衆院選を経て、国民・有権者がつくり出した状況だといえるでしょう。現に当ブログもその反映だと繰り返しいってきました。
では、その際の政策の選択は何によるのかを私は考えるわけです。ここ数日は、長妻さんが10月実施は無理だといったとか報道されたように、母子加算の復活が話題になっています。問題は母子加算がなぜ強調されるのか、です。あるいは、八ツ場ダムがなぜとりあげられるのか、ということです。
そこで話は冒頭に戻るのですが、このように民主党政権が国民の要求に寄り添った施策を打ち出す背景には、当然、それが国民・有権者の強い要求であることを民主党が認識しているということがなければなりません。強くもない要求に、いちいち応えるより、より強い要求に真摯に応えるのであれば、その存在意義はさらに高まるというものでしょうからね。
そうすると次に、民主党はその峻別をどのような手段で可能としているのか。これが問題にならざるをえません。
誰でも知っているように、民主党という政党は少しも組織性のある政党とはいいがたい。党員の塊があって、そこに党員の周りの有権者の要求が持ち込まれ、実現の方途をその塊で議論し、上にあげて民主党の政策の一つに掲げられるというシステムがおよそある政党ではないですね、民主党は。
だとすると、一つひとつの、今国民向けに強調されている政策はどこで取捨選択されてきたのか、その契機は何だったのか、そこに私の関心は移るのです。
結論は、おそらく、つまり推測の域を出るわけはないのですが、小沢地方行脚でしょう。政党の組織性の無さをカバーするために、いわゆるドブ板戦術でしょうか、小沢一郎は地方に徹底して出かけました。そうして、07年の参院選では生活重視を大々的に打ち出し、地方の支持を、むろん地方だけでなく都市部でも広げ、議席の大幅増を勝ち取った。そして、今回の衆院選も同様に。もちろんもう一つの側面として、自民党の自滅、自民党政治のゆきづまりをみないけいけませんが。それにたいする国民・有権者の強い反発があってのことだということは自明のことでしょう。
結局、考えられるのは、民主党という政党は、政党の組織を経由して国民・有権者の要求と結ぶのではなく、小沢行脚という手段でそれを代替しているということです。
逆にいえば、それだけ小沢一郎が選挙に長けているということもあるのでしょう。
しかし、その小沢も、参院選後、あとでふれるねじれの解消に動かざるをえなかったのです。つまり、それは、大連立だったのですが。
別のいいかたをすれば、民主党の中には右巻きねじの力と左巻きねじの力があって、今はそのうち左巻きの力が勝っているということでしょうか。左巻きねじの力というのは、国民・有権者に寄り添おうという力だと置き換えてください。私の見立てでは、左巻きねじ優勢の状況は、現時点では来年の参院選までは少なくとも続くだろうというものです。
ただし、同党は常にこの2つの力の拮抗を孕んでいるということです。ここが大事なところでしょう。つまり、どちらの方にねじを巻くのか、決める一つの要因はこの政党の場合、党外の国民・有権者の意識によるというわけでしょう。
だから、民主党に託すではもちろんなく、お願いするのでもなく、同党につきつけなければならないというのが、一つの結論です。
小沢一郎は、その意味で国民の要求がどこになるのか、もっとも敏感に感じ取った人物の一人かもしません。だからこそ、民主党のマニフェストがくるくろと変わるわけですし、政権奪取後のある意味で驚くほどの施策の展開は、そのことを証明しているように思えます。
しかし、このような政局に敏な方策で限界があるのは、当の小沢自身が認識しているはずです。先にふれた大連立のその時点での失敗はそのことを物語っています。
今は左巻きねじ優勢の状況にあるのですが、それがいずれかは左右(巻きねじ)拮抗の状況、あるいはそれが逆転する状況が訪れるかもしれません。そして、保守勢力は少なからずいまの左巻きねじ優勢の状況を快く思ってはいないでしょうから、必ず巻き返しのときがくる。
そのとき、民主党はどうするのか、民主党政権が維持できるのか、その行方を少し私も考えてみようと思います。
(「世相を拾う」09201)
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基地県外移転発言で追記
件の毎日・上野記者が以下の記事を書いていました。午後9時32分にアップされています。
普天間移設:首相、見直し先送り示唆 米国と沖縄の板挟み (魚拓)
自らのよって立つところを明確にすることと、実際の外交交渉をどのように進めるかということを何も直結させる必要はない。私はこう思います。今必要なのは前者を国民の前に明らかにしておくことです。「板挟み」という現象以前に、では民主党の基地問題解決の道筋を示してもらわないと困るのですね。
それをはっきりさせないでいて、双方によい顔をしようという構図でしょうか、今の政権の姿は。
(「世相を拾う」09200)
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しょせん「たらい回し』路線-鳩山「県外移転」では解決しない。。
鳩山首相の視点では基地問題は解決しない、これが結論です。
県外移転といっても、これは、たらい回しにすぎません。たしかに発言はSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意を念頭に置いたものではあるとは思いますが。SACOは、1996年に米軍基地の(沖縄)県内たらい回しを決めたものですからね。
たらい回しを解決するには、基地の無条件撤去という立場にしっかりとたたなければならない。そうしないと解決しないでしょう。
鳩山氏の言葉をそっくりそのまま借りるとこのSACOがベースになって、現在の「米軍再編」合意に引き継がれてきたといえるのではないでしょうか。
あらためて米軍再編の問題点を列記すると、
- 再編は、米(沖縄)海兵隊のグアム移転の条件として、名護市辺野古沖へ海兵隊新基地を建設することがセットされていること。移転と新基地建設は切り離せない条件されていること。
-
途方もない税金投入計画であること。グアム移転にともなう日本側負担は全体で3兆円にのぼるというもの。
-
沖縄県民の負担軽減というウソ八百。日米両国政府は海兵隊1万8千人のうち8千人を減らすと宣伝するものの、そもそも1万2千人が海兵隊の現勢。実際は2千人の削減で1万人は残すという内容でごまかし。
というものでした。
首相に突っ込みをいれるならば、SACOを白紙にするのかどうか、これが一番の問題であって、氏はこれをどう考えるのかということです。本質的にはたらい回し路線の域を出ていないということです。
この辺りが早晩、大きな問題となってくる気配を私は感じています。換言すれば民主党の弱点といいうるでしょう。答えは簡単明瞭なのです。基地の無条件撤去という原則に立って、交渉しうるかどうかという……。そこが問題なのです。
(「世相を拾う」09199)
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追記;件の毎日・上野記者が以下の記事を書いていました。
普天間移設:首相、見直し先送り示唆 米国と沖縄の板挟み (魚拓)
八ツ場ダムが映し出すもの
八ツ場ダム問題は自民党政治の一つの象徴的な出来事でしょう。川辺川ダム問題と同様に。
いくつかの点にふれて、きょうはお仕舞いにしたいと思います。
私が自民党政治を象徴するというのは、政・財・官の癒着構造がこの問題にまつわり透けてみえるからです。
国の総事業費は4600億円ともいわれてきたわけですが、定かではないようです。利水、治水が目的なのですが、過大な水需要予測、「二百年に一度」の大洪水対策という根拠に無理があるなどを指摘され、6都県で建設差し止めの住民訴訟が行われてきました。ダム本体の工事は未着手で2010年度に完成する計画を国交省は昨年、5年延長を発表し、新政権にいこうしたのち、前原国交相はあらたに中止の方向を明確にしたわけです。
満たされないのは、この事業に期待を寄せた地域の自治体関係者などかもしれません。その典型を、群馬県知事の姿勢にみることができるでしょう(参照)。
何が何でもというのですから、一切のことは横において断行しろというわけです。
自民党政治が、公共事業をもとに政・財・官の癒着を強めながら、権益を一部のものに集中し、支持基盤をつくってきたのは周知のとおりです。公共事業とは名ばかりで、それにかかわることができるのはまさに一部の大企業でした。公共事業を通して、地域の中小業者に仕事が回ることを望む私は、この事態は即刻打開すべきものといえるものでしたが、長年の自民党政権はこの一部に権益が集中することを目的として動いてきたのではないでしょうか。
一方で、八ツ場ダム問題は官僚の天下りの、紛うことなき温床となってきたことがすでに指摘されています。随意契約がまかり通り、その裏には、関連事業19件(2006年度)のうち、天下りを受け入れた5社が11件を受注したというのですから。おそらく誰もが、少なからずここに癒着という問題を感じるのではないでしょうか。
この概要が、すなわち長年の自民党政治がつくり出してきた公共事業に巣食う癒着の構造です。しかし、前原国交相の対応は、世論の動向を無視しえないという側面を考えざるをえないという、総選挙をへたものとして理解しなければなりません。
ともかく、ムダな公共事業、税金の無駄使いを許さないという輪を広げることです。そして、財界・大企業と政・官の癒着を認めない、という点での一致をどう広げるか、皆さん、考えみましょう。
(「世相を拾う」09198)
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「東アジア共同体」具体化への道
これなら大いに結構なことです。伝えられる限りでは、その内容がもちろん定かではないにしても。随分、以前のエントリーでこ東アジア共同体にふれました。
いずれにせよ、東アジアの政治・経済が、今現在の世界にさまざまな影響を及ぼすことは誰も否定しがたいでしょう。
上野央絵記者(*1)による記事を久しぶりにとりあげます。
日中首脳会談:鳩山首相、胡主席に東アジア共同体構想提案 鳩山由紀夫首相は21日夜(日本時間22日午前)、ニューヨークで中国の胡錦濤国家主席と会談した。首相は、日中間で懸案となっている東シナ海ガス田開発に関して「いさかいの海から友愛の海にすべきだ」と指摘、日中共同開発に関する協定の早期締結に向けた作業の加速化を求めた。東アジアの経済協力や安全保障の新たな枠組み作りを目指す東アジア共同体構想について首相は「日中両国が違いを乗り越えて信頼関係を構築していきたい」と提案した。 首相就任後初の外国訪問で行う初の首脳会談となり、鳩山首相のニューヨーク到着直後、予定時間を20分超えて約1時間に及んだ。日本側からは岡田克也外相、小沢鋭仁環境相らが同席。中国側からは王岐山副首相、戴秉国(たいへいこく)国務委員、楊潔チ(ようけつち)外相らが同席した。 首相は、日本が侵略や植民地支配を行ったとして謝罪した95年の村山富市首相(当時)による「村山談話」を踏襲する立場を表明。首相は「お互いの違いを尊重しあえるような外交をしていくのが友愛の外交」と指摘した。自民党政権時代からの中国との戦略的互恵関係について、首相は「政権交代したので、もっと中身のあるものにしていきたい」と強調した。 |
記事には、後段で、会談の要旨が加えられていますが、それも当該箇所は以下のようなごく簡単なもの。これ以上、この会談自体に踏み込めません。
【日中関係と東アジア共同体】
鳩山由紀夫首相 互いの違いを認めながら信頼関係を構築していく。東アジア全体の共同体を構想していきたい。戦略的互恵関係を引き続き構築する。 胡錦濤国家主席 首脳級の往来の頻度を上げたい。食い違いがある問題は大所高所からやりたい。 |
東アジア共同体についてとりあげたと先にのべましたが、そのエントリーは進藤栄一氏の著書を紹介しています。氏はその『東アジア共同体をどうつくるか』のなかでこう言及していました。
確かに冷戦終結15年後、ポスト・ポスト冷戦下の今日、東アジア地域の中心的安全保障は、ウェストファリア体制固有の伝統的安全保障課題―「攻撃するか攻撃されるか」―にはない。むしろ国境を越えた海賊やテロ、麻薬や人心売買、山火事による円買いや水質汚染、黄砂などの環境劣化、SARSや鳥インフルエンザの拡延のような非伝統的な安全保障課題である。 吼える中国とその「脅威」-6カ国協議休会を考える |
東アジアの地域で存在するのは、いずれも貧困や開発や経済発展の過程に潜む問題や脆弱な政治体制によってもたらされるリスクであって、軍事的脅威などではないということでしょう。だから、こうしたリスクを解消するには、他国からの侵攻に抵抗する軍事的手段や防衛などではなく、自国内あるいは地域的な政治的・社会的秩序の安定化だというわけです。
共同体として出発するには、日本と東アジア諸国の非対称性、つまり大部分の東アジア諸国とちがって被植民地化の体験をへておらず、西欧列強と同様に植民地国家としての歴史を歩んできたという事実にたたなければ、先にすすめないでしょう。この点で、鳩山氏は件の村山談話に言及したわけです。
一方で、この会談とほぼ平行しておこなわれた岡田・クリントン会談にも注目せざるをえません(参照)。日米の関係のあり方、とくにこれまでのような盟主アメリカの追随に終始する姿勢であればなおさら、共同体構想は無縁ではないからです。
しかし、この会談で確認されたことの一つは、日米同盟の重視でした。常々、対等な日米関係を強調しているのですから、日米同盟強化は現実の日米安保条約があるもとでは対等な関係を意味しないでしょう。
具体化へすすむには、解決しなければならない重要な課題が山積しています。が、東アジア重視の立場が表明されたことは歓迎しなければなりません。まだまだ不透明の部分が多いわけですが、態度の表明からさらに一歩、具体化にむけて踏み出してほしいものです。
(「世相を拾う」09197)
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*1;「毎日」記者の目は地位協定をどうとらえたか。
加藤周一「語りおくこといくつか」から核密約まで
加藤周一をその線分の延長上に位置づけてもおかしくはないと考えるのですが、やはり少し違うようにも思えます。
明晰な文章で三者は相通じ、世界のとらえ方で微妙に異なる。結局、唯物論的思考を研ぎ澄ましたのが加藤ということでしょうか。
その加藤の死後、出版された『語りおくこといくつか』という本を今、読んでいます。
タイトルは、この本の出版の計画時点ですでに自らの死期を察していたことを推測させますが、収められている文章のいずれもが加藤そのもの、その文章をとおして加藤は今も生きているという印象を強く受けました。
そのうちいくつかをあえてあげてみます。
倫理は法の内面化です。あるいは倫理を外面化したものが法律だと言えるでしょう。その2つのものは互いに関係している。純粋に倫理だけの、そういう社会は現実にないけれど、あってもうまくいかないだろうと思います。やはり法的な、客観的な、外面的な規則が必要になります。他方、外面的な規則だけでは必ず破る人がいるわけだから、どうしても倫理と法の両方が必要だということですね。根本的には。(22-23頁) |
私のつきあいの範囲では、美しいという言葉を今なお悪い意味じゃなく、いい意味で使ってる人は、芸術家でも、画家でもない、数学者です。数学者は使う。あるいは、数学的な自然科学、例えば物理学者です。古典熱力学の体系は、あれは「優美」(elegannto)だ、と言います。それは美しいという。あるいは数学者は、問題の解き方が三つある、どのほうほうでも解ける、しかし、三つの解決法の中で、一番美しいのはこれだからこれを採りましょう、と言います。 その時は美しいという言葉を使います。美しいという言葉は、二〇世紀以降はむしろ数学者にまかせた方がいいのではないかと思います。数学者は、美しいを定義しろと迫れば多分「簡単」と答えるでしょう。複雑な解決法よりも、簡単・単純な方が美しい、ということです。 |
いずれも「文学の効用」という文章からの引用です。
明晰とは、必ずしも白か黒かを迫るような短絡的な態度を意味するものではありません。いわゆる小泉構造改革のもとで、二者択一を即座に求めるような風潮が横行しました。人間という複雑な組織、生命体とその人間が構成する社会の、さらに輪をかけた複雑さは、本来、こうした黒白を、あるいは正負の返答をただちに求めるという態度とは相容れない、あるいはそもそも拒絶するというのが実はただしいのかもしれません。即答を求め、それを競わせるのが、嵐のように世界中を襲った新自由主義的「態度」だったといえるのでしょう。その傾向を強めれば強めるほど、そこから「落伍」する者が増えるというしくみがてきてしまった。日本でいわれつづけてきたニートとかフリーターとかは、この現象の一端を表してきたといってよいのではないでしょうか。
少し回り道をしましたが、加藤の明晰さは、そうであるから逆説的に、現実世界での柔軟性を生み出しうる。たとえば、日本語にたいする理解。
日本語は曖昧という流布した見解があります。それに、加藤は見事に反論しています。たとえば、日本語には主語がないという意見について、加藤はつぎのようにのべています。
日本語の性質としては、ある条件のもとでは主語を省くことができますね。日本語だけじゃなく、省くことができる言葉はたくさんある。しかし、はぶかないこともできるわけです。だから日本語の性質として「日本語には主語がない」というのは、まったくナンセンスなんで、それはまちがっている。そうじゃなく、日本語は文法上主語を省くこともできるし、省かないこともできる。実際に省くことが多いかどうかというのは、日本語の性質だけではないのであって、社会的習慣の問題です。用法の問題です。ですから、それをはっきり区別する必要がある。言葉自体がもっている性質と、それを使う時の習慣、用法の特徴という二つのことは、関係なくはないけれども、概念上区別すべき問題だと思います。(「日本語を考える」52頁) |
明快です。加藤の明晰は、曖昧だという、いわば紋切り型の批判、皮相な見方にたいしては、逆にそれらの批判の対象である、その「曖昧さ」をも許容する寛容な態度に結びついています。
そして、日本語の特徴についてのべた加藤の話は、日本国の法解釈の問題に及ぶのです。
日本国憲法のいう戦力には、自衛のための戦力は含まないという最高裁の判決について。
「自衛のための戦力は戦力に含まれない」というのは、「四本足のネコはネコに含まれない」というのと同じです。私の知識の範囲では、「自衛のためでない戦力」というのは存在しない。「四本足でないネコ」が存在しないのと同じです。どこの国の政府が、自国の軍隊が自衛のためでないと言ったでしょうか? |
今現在も日本国の解釈が問われています。核密約問題です。
政府は、事前協議がないのだから、持ち込みはないという理屈をのべています。けれども、持ち込みをどのように扱うかについて討論記録という裏の合意が存在する。持ち込みは事前協議という形で決まるのはなく、討論記録で明らかなように合意済みのものにほかなりません。一方にはOK、他方には事前協議という担保があるというような、二重契約ですね、まるで。
加藤ならばこの事態をどのように表現するのでしょうか。
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大企業2割が海外移転検討- 空洞化とは何なのか。。
大企業2割が海外移転検討 製造業派遣の原則禁止で 製造業の派遣・請負企業の業界団体、日本生産技能労務協会は18日、労働者派遣の規制強化による取引先メーカーの対応について調査結果をまとめた。製造業への派遣が禁止された場合、従業員500人以上の大規模事業所の約2割が、海外への生産移転を検討していることが分かった。鳩山内閣は製造現場への労働者派遣を原則禁止するなど規制を強化する方針だが、同協会は「生産の空洞化を招く」と反発している。 製造業派遣が禁止された場合の対応(複数回答可)では、従業員500人以上千人未満の事業所の20%が「海外への生産移転」を挙げた。千人以上の事業所の19%も海外移転と回答。ただ小規模事業所では割合が低く、全体では海外移転派は10%だった。 |
この記事のキーワードはまちがいなく空洞化でしょう。
業界団体は、派遣規制が「生産の空洞化」を招くといっているのですが、そもそも海外に拠点をおいた生産はすでに活発におこなわれているではありませんか。世界のトヨタしかり。何をいまさら。
海外生産が実は回りまわって国内消費を冷え込ませたのは、広く知られていますね。したがって雇用もまた、減少する。低賃金で働かせるために。
業界団体は、それでもこうした流れの中で国内生産を続けて行く際の切り札が派遣だったということを見事に証明しているのですが、2009年問題をきっかけに勝手放題に派遣を使いつづけたことにたいする世間の強い批判の中での、規制強化にたいする返答がこれです。まあ、あらためて企業というものが利潤追求のためには言葉を選ばず、あるいは手段を選ばず最大限の利潤をあげるために可能な選択肢を探求していることを、「生産の空洞化を招く」という言葉が端的に示しています。
記事は、新政権の規制強化を報じているのですが、民主党自身が世論のいわば風を感じながらそうしているに「すぎない」ことをみておく必要があるのかもしれません。
なぜなら、労働者派遣があれだけ国会でも問題になったとき、民主党がどれだけ大企業にものをいえたのか。いえなかったではありませんか。
これからいえるのかどうか、それが問われているのです。
空洞化をいうのなら、海外移転をさらに検討しているということですから、そのこと自体が日本経済の空洞化をいっそう深刻にするということを指摘しなければなりません。
日本の大企業は日本から生まれでたものではあるのでしょうが、すでに多国籍なのです。つまり、日本経済の行方そのものより、世界の中でいかに収益を確保するのか、その点こそがおそらく唯一の関心事なのですから。国内の消費がどうなろうと、それはおかまいないというわけです。
(「世相を拾う」09196)
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財界は民主党の態度をためしている
経団連、「財界候補」擁立せず 来夏の参院選 日本経団連は19日、2010年夏の参院選で、産業界の意見を政治に反映させるための「財界統一候補」を擁立しない方針を固めた。長年続いた自民党中心の政権から民主党を軸とする政権への交代を受けて、政治的中立性を高める必要があると判断した。 経団連は元東京電力副社長の自民党参院議員加納時男氏(74)を組織を挙げて支援しているが、2期目の同氏は来年参院選に出馬せず、引退する意向を表明している。07年の前回参院選でも候補の擁立を見送っており、一時は財界代表として2人の自民党国会議員を抱えていた経団連の組織内候補はゼロになる。 旧経団連(現日本経団連)は1993年、非自民の細川護熙内閣が発足したことに加え政財界の癒着批判が強まったため、自民党などを対象とする会員企業の政治献金あっせん廃止を決定。しかし経済界の政治的影響力が低下するとの懸念が高まり、自民党の要請を受けて自前の候補を擁立してきた。 ただ、経団連は04年から政党政策評価を通じて企業の自主的な献金を促す方式を導入しており、自前の候補を擁立する必要性が薄れているのが実態だ。 政権を握った民主党は衆院選の政権公約で、政治資金規正法の改正、その3年後の企業献金禁止を打ち出している。経団連は現行の献金方式を当面継続する方針だが、中長期的な企業献金の是非について、どのような対応をするかが今後の焦点となる。 |
長年の自民党から他の政党に政権が移行するというのですから、従来と同じ環境ではいられない。政権党にたいするスタンスそのものを見直さざるをえないというわけですね。
昨日扱った日本歯科医師会の議論などは、その典型の一つであって、しかもその変わりようを最大限に戯画化したようなものかもしれません。
ここにも同じように従来の態度が問われている団体があります。経団連。
いうまっでもなく財界総理がトップの団体です。これまでさまざまな手法を動員し、財界のための政治を求めてきた。その具体的にいきつくところが企業献金、カネであったわけです。
財界の候補を擁立するという手法は、記事中にもあるように経団連が現在とっているものではありません。今の経団連は、企業献金というカネを横に置いてみせ、政党の政策の一々を評価するというもの。評価によって企業献金をあっせんするという形式ですから、政党を自らの基準、モノサシにあわせて、政治をやらせるというものです。
こうして、自民党は財界主導をさらに深化させ、政治のゆがみが際立ってきました。たとえば、早晩、議論の中心点になるであろう消費税増税に関しても、財界の意向と深くかかわっています。ようするに財界は、自らの税負担軽減とセットにして消費税増税を主張しつづけてきましたから。
さらには、橋下がさかんに吹聴する地方分権。地方自治体に権限をもたせるかのようなネーミングに踊らされてはいけないでしょう。むしろ、地方自治体はこれまで国の責任でやってきた社会保障や福祉、教育など民生部分の責任を転嫁させられることになる。国の財政負担を減らそうというものですし、経団連が主張してきた道州制と結びついています。
分かりやすくいえば、国の仕事を外交・軍事・司法などに限定し、社会保障や福祉などの行政サービスは地方に押しつけ、自立自助の名で住民負担に切り替えることです。それは、「住民自治の本旨」を投げ捨てて、自治体を財界・大企業のための開発政策や産業政策の道具にしようとするものなのですから。
候補擁立の有る無しにかかわらず、経団連の態度はおそらくこれまでとかわらないでしょう。「改革を後戻りさせることなく」が政権交代にあたってのコメントにあるくらいですから。
ただし、国民の手によって自民党が政権から降板させられたのは、なかでも自公政権が進めた「構造改革」が、片方で大企業のもうけを増やしながら、国民の暮らしは見向きもされずに痛みだけがおしつけられてきたからにほかなりません。
政権交代によって見直さなければならないのは、この点での経団連の態度です。そこは頬被りしているのではないでしょうか。さらに加えて、例にあげた消費税でも、地方分権でも、道州制でも、政権についた民主党が必ずしも反対という態度をとっていないという点が懸念されるところです。
その点を十分承知の上での経団連の態度決定ではないでしょうか。すなわち、一方では、政権についた民主党が財界との関係をどうするのか、これが問われているということでもあります。
(「世相を拾う」09195)
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大澤真幸とその周辺
私が関心を寄せてきた人物の一人である大澤真幸氏の周辺が何やらざわついているようです。
coleoの日記;浮游空間で、この件についてごくごく簡単にコメントしました。
破廉恥な政治連盟- 日本歯科医師連盟
医師会にも、歯科医師会にも政治連盟というものがあります。ただし、この言い方は本来、ただしくないと私は思います。政治連盟は、まさに政党の後援組織であって、以上の2つの会の場合は、さらに階層としての要求を、その連盟をとおして政治的に実現しようという役割を担ってきました。
あえて上の表現にこだわったのは、実態として歯科医師会会員が政治連盟会員を意味するような異名同体であるからです。これは、個人の思想・信条の自由の観点からすれば、これに反する慣例がしかれていたということですから、当然、歯科医師会会員の中から反発が起こり、問題化してきた事実があります。そして、選挙のたびに自民党をいわば組織ごと応援してきたし、歯科医師会会員の中から自民党の候補者をつくり出してもきたのです。まさに、(歯科医師)会員の権益を守るという建前で。でも、歯科医療の現実は、おそらくこうした歯科医師の権益と守るという時点からとっくに乖離してしまい、少なくない歯科医師が経営の惨憺たる状況に直面し、毎日、切歯扼腕という比喩が当てはまるのではなかろうか、と思うのです。
そもそも日本の歯科医療は診療報酬上も医科とは異なり、ある意味で差別的な扱いを受けてきたといえる。加えて、診療報酬改定の度ごとに抑えこまれてきた経過がつづきました。ようやく、前回改定で多少のアップがあったのですが。
このような経過をふまえると、ステークホルダーとしてのそもそもの存在意義を疑うし、いわん憲法違反の組織活動を連綿としてやってきたのですから、歯科医師連盟=政治連盟の破廉恥ぶりは共通の認識にしておかなければなりません。その破廉恥ぶりを、私たちはすでに、日歯連闇献金事件で知っています。
その上で、この記事が伝える事態です。呆れるくらいですね。破廉恥の上塗りです。
たしかに、総選挙前に医師会の方も、県ごとにみれば民主党を推薦するというところもあることが伝えられていましたが。
そもそも歯科医師会と実態が同じ組織でありながら、歯科医師会会員であることを盾にとって、政党支持を押しつけてきたのが実情であって、そのことが問われないといけないでしょう。
それが仮に正され歯科医師会とは別の政党の後援組織として区別されれば、自民党から民主党に鞍替えしようと何をしようと、まさに勝手です。そのこと自体の節度の問題は残りますが。
自民党支持者は自民党の歯科医師後援会を、民主党支持者が集い民主党後援会をつくれば、それが正しい姿であって、問題は何も残らないのです。
歯科医師会の浅知恵は、選挙結果をふまえて、政治連盟ごと鞍替えを押しつけようとし、その結果、これまでと同様に、あるいはそれ以上になるのかもしれませんが、歯科医師をミスリードすることに少しも関心を寄せていないことです。
歯科医師会の破廉恥はここに極まっています。
(「世相を拾う」09194)
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