森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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ハケンの無法、ただせるか-ピンハネ自粛宣言
佐川急便グループの持ち株会社SGホールディングスの子会社、佐川グローバルロジスティクス(東京都品川区)が二重派遣を行っていて、厚生労働省が労働者派遣法にもとづく事業改善命令を出す方針を決めた。静岡県内で、日雇い派遣大手グッドウィルから派遣された労働者、延べ約1万人をさらに別会社に送り込んで働かせていました。
いうまでもなく二重派遣は、本当の雇用主の責任をあいまいにします。二重の中間搾取(ピンハネ)で賃金をいっそう引き下げます。だから、これは、職業安定法第44条で禁じる「労働者供給事業」にあたるのです。
今回の日本人材派遣協会の措置は、こうした現実が常態化していることに加え、国民の批判がそれに集中しているからにほかならないし、この現実を反映したものでしょう。
派遣代“ピンはね”しません 協会ルール化 |
しかし、実効性があるのかどうか、大いに疑問をもちます。
派遣業界のルールなき、労働者にとって深刻な事態は、この程度の「自粛」措置で打開できるものではない。ましてやピンハネの根絶などほぼ不可能だと思えるのです。
そうではなくて、根絶しようと思えば、派遣労働自体の規制を強化する、この点が必要条件ではないかと思う。つまり、労働者派遣を1999年の原則自由化以前の状態に戻すのが合理的で、最も有効だと考えるわけです。
労働者派遣は常用型を基本とし、登録型派遣を例外として規制することがどうしても必要。一部に派遣日数や期間を制限するという議論もありますが、それでは問題の解決になりません。この原則をしっかりとふまえなければなりません。
「日雇い派遣」などの不安定雇用が急速に広がったのは、「国際競争力」を強め、いつでも自由に安く使い、解雇できる「使い捨て」の労働力の確保という財界の雇用戦略を背景にしたものでした。労働者派遣法が導入され、改悪が重ねられてきたからです。そのなかで99年には派遣対象業種を広げて原則自由化、2003年には製造業にまで解禁されました。その結果、派遣労働者は330万人にも急増し、しかもその7割が「日雇い」など登録型派遣だといわれています。社会保険も労災保険も雇用保険も、多くは保障されていなにのが実態です。
「日雇い派遣」の禁止は当然なのですが、そのためには「原則自由」そのものを見なおす必要がある。重要なことは、労働者派遣は臨時的・一時的なものに限り、常用雇用の代替にしないという立場を貫くことです。
つまり、①派遣は常用型を基本として、登録型を厳しく規制する、②常用代替が目的の派遣は禁止する、③派遣期間(上限一年)を超えた場合や違法行為があった場合は派遣先が直接雇用したものとみなす―などの実効ある措置がとられないといけないと思うのです。
ピンハネの問題は、登録型派遣である日雇い派遣でとくに深刻です。仕事がある日だけ携帯電話にメールが届き、指定された仕事先に行くという働かされ方で、極端な不安定雇用と低賃金のうえ、賃金のピンハネ、多重派遣などの違法行為がまん延している。
人間らしく働けるよう雇用のルールを確立しなければなりません。
業界の「自粛的」宣誓にお任せの、政府の労働行政に強い疑念を私はもちます。、繰り返すと、派遣の形態は常用型を基本とし、登録型派遣は例外にし、日雇い派遣は直ちに禁止すべきです。また派遣期間を超えたり違法行為があった場合は派遣先に直接・常用雇用を義務づけること、派遣元のマージン率の上限を規制することが少なくとも不可欠でしょう。
これまでの無原則な規制緩和路線ときっぱり決別し、雇用は直接・常時雇用を原則とし、派遣は臨時的・一時的な業務に限ることを明確にすること、これが今の福田政権に問われているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」08094)
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オバマは勝利宣言したが。。
オバマとヒラリー・クリントンのたたかいが長きにわたって、興ざめの感じが正直しないでもない。断っておくが、私はすでに明らかにしたように、オバマであろうとクリントンであろうと、ましてや共和党のだれであろうと、米国が変わるとは思っていない。
オバマが民主党予備選挙で勝利宣言した。
これを喜ぶ人もあるだろうし、そうでない人もいるだろう。
ふりかえってみると、数カ月前には民主党の候補者選びに少なからぬ関心を寄せたブロガーもいた。
オバマの勝利宣言の片方で、ヒラリー・クリントンの物騒な発言が物議をかもしている。たとえば、つぎの記事。
クリントンの本音は、オバマの暗殺期待?【シリコンバレーで考える 安藤茂彌】 |
この記事が伝えるすべてが正しいか否かは意見の分かれるところかもしれないが、ヒラリー・クリントンの発言は、報道されるかぎりでタイトルに表現されるように受け取られても仕方がないように思えてならない。
つまり、しょせん民主党の候補者選びなど、この程度の水準でしかないということだ。
オバマだ、ヒラリーなどとあたかも自らのトップを選ぶかのように、一時期、狂気したブロガーは思い知るがよい、といってもよいのでは。
いま米国国民の願いを察するとすれば、それはブッシュの政治といかに決別するのかということだろう。つまり脱ブッシュをだれが実践できるのか、これが米大統領選に問われているのだろう。
しかし、私は、選挙戦だけでなく、これまでの各候補者の言動をつぶさにながめてみると、とても脱ブッシュという米国民の願いにこたえ、それに耐えられる候補者はいそうもないと思う。
マケインはもとより、オバマも、ヒラリー・クリントンも、無法なイラク侵略に反対しなかったのだから。
その意味で、海のかなたから米大統領選をながめるわれわれ日本人にとって、これまでの日米関係を転換できる人物は、名乗りをあげている有力候補者にはまったくいないといってよい、確認すべき点はこれである。
(「世相を拾う」08093)
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地位協定の表現法-見舞金支払い
すでにたくさんの人がこれについてふれているが、一言。
たとえば、
米兵の婦女暴行の賠償金を肩代わりさせられる日本政府(世界の片隅でニュースを読む) |
確認すべき事実は、防衛省が5月19日、神奈川県内で2002年に起きた在日米兵による女性暴行事件で、米兵に代わって見舞金300万円を救済措置として女性に支払うことを決めたということ。
横須賀米兵暴行事件 被害女性に見舞金(琉球新報) |
伝えられているように、この防衛省の対応は、1964年の閣議決定によっている。
これは、日米地位協定で救済されない被害に対して見舞金を支給できるとしたもの。
だから閣議決定自体が、「救済されない」場合を想定しているわけだ。
民事訴訟で04年11月、ジェーンさんの被害が認められ、東京地裁が300万円の支払い命令を米兵に出したものの、米兵は裁判途中に帰国、賠償金は支払われなかった。
日米地位協定では、公務外で事件事故を起こした米兵に支払い能力がない場合、米政府が慰謝料を支払うことになっているが、米国の国内法によると支払期限は発生から2年以内となっており、命令が出た段階ですでに期限を過ぎていた。
この経過から判断しても、米国内法による時効が成立するまでの2年間に、判決が下る可能性を考えると、そのハードルと対比して、米兵の帰国の可能性はそれよりはるかに大きいだろう。
事実上、米兵または米国が支払うケースは限られていると推測せざるをえない。
つまり、日米地位協定とはこのような予測の上に成り立つものなのだろう。日本国からすれば、実態として従属的な関係に置かれているということを表現している。
防衛省の判断はいうまでもなく世論の動向をふまえたものである。こうした米兵・米軍の事件事故を絶つには、日米安保条約と日米地位協定の見直しも視野に入れた、米軍がいるかぎり不可能であるという認識の広がりがあるからだろう。
防衛省の救済措置決定は、日米の関係をあらためて日本国国民に浮き彫りにしたといえる。
一方で、ジェーンさんの要求は、米兵と米政府は責任をとって、きちんと謝罪すべきという点にあるのだから、救済措置決定がそれにこたえるものでないことは明らかだ。
米国と米兵を、断罪から保護するのが地位協定だともいえる。つまり、犯罪を内部に温存しているということだ。
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歯切れ悪い『朝日』 -高齢者医療制度
抑えようのないほどの怒りと悲鳴に近い、何とかしてくれという願いにこたえるのが政治の責任だろう。
冒頭の廃止法案は、つぎのような2つの柱をもっている。
- 来年4月に後期高齢者医療制度を廃止し、老人保健制度に戻す
- 10月までにとる緊急措置
- 後期高齢者保険料の年金からの天引き中止
- 保険料負担を軽減
- サラリーマンの被扶養者の保険料徴収の中止
- 70―74歳の窓口負担2割の中止
- 65―74歳の国保料(税)の年金天引き中止
後期高齢者医療制度で問われたのは、制度設計上の数々の問題点だけでなく、それぞれの問題点に表現される、制度の根本にある思想だった。つまり、それは、年齢で区分けし、従来加入していた医療保険制度やその扶養家族から強制的に除外し、差別的な医療を強要するものであった。
別制度への移行を強いられる高齢者の怒りと不安の対象はまさにそこにあった。
ようするに政府の医療費抑制ありきにいきつく。人のいのちより医療費削減に結果的に重きを置いたといわれてもしかたがないだろう。
朝日新聞が社説(5・24)で、野党の廃止法案にふれている。朝日の主張は、歯切れが悪い。
廃止法案についての言及部分は主につぎのとおり。
- 制度を「元に戻せ」と言うだけでは、問題は解決しない
- 老人保健制度に戻れば、多くのお年寄りは市町村の運営する国民健康保険に再び入ることになる。今後、お年寄りが増えた時に、いまでも厳しい国保の財政が維持できるとは思えない。
- 老人保健制度では、お年寄りの保険料も現役世代の保険料もまぜこぜで、だれがどう負担しているのかが分かりづらかった。現役世代の負担が際限なく膨らみかねないという不満もあった。
ようするに、国保に戻れば、また国保財政が悪化する、現役世代の負担が明確でない、と旧制度の「弱点」をもちだしているのだ。
けれど、(後期高齢者医療制度は)「国民皆保険を守るためだ」などと弁解したのは舛添大臣だったし、)。「一番医療費がかかる世代というものを明確にしながら現役世代の負担を明確にし、わかりやすい制度とする必要がある」といったのは法案提出時の厚労相・川崎二郎氏だった。
朝日は政府の言い分をそのまま繰り返しているにすぎない。
繰り返すと、医療費抑制策という制度の根本にある思想が問われていると先にのべたが、朝日は、医療費抑制の是非をこそ問うべきだろう。
「元に戻せ」と言うだけではと朝日はいう。しかし、その「元」の国民健康保険制度の財政を悪化させたのは、歴代の政府が国庫負担を減らし続けたことが大きな要因だろう。しかも、この間の日本では、正規雇用の非正規雇用への置き換えによって、非正規雇用のア彼らは社会保険から排除されてきたわけだから、国保が彼らを吸収したのだ。この点にかぎっていうならば、企業は非正規への置き換えによって(企業の)保険料負担を抑えてきたということになる。
つまり、私は、国庫負担を増額するという国の責任、そして不安定雇用を正規雇用に切り替えるという企業の責任を明確にする必要があると思う。この上にたって、制度の財政危機を乗り越えるのが、政治の責任ではないのか。
さすがに朝日も、「税金の投入は後期高齢者医療費の半分と決められているが、必要に応じて増やすことを明確に打ち出すべきだ」と申し訳程度にのべているが、歴史的な経過をふまえて、医療制度の財政危機の原因がどこにあるのか、そこに踏み込まず、目をそらしているのもまた朝日なのである。
(「世相を拾う」08092)
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南米諸国連合と「終わりのはじまり」
南米諸国連合(UNASUR)。
これだけでピンとくる人も多いだろう。
そう、南米では、反自由主義の潮流が大きな流れとしてはっきり認識されるようになってきた。
連合の設立はその到達点だ(写真は日経電子版5・24)。
12カ国が署名している。
前身の南米共同体に参加していたのは以下の諸国。
アンデス共同体(CAN)
- ボリビア
- コロンビア
- エクアドル
- ペルー
- アルゼンチン
- ブラジル
- ウルグアイ
- パラグアイ
- ベネズエラ
- チリ
- ガイアナ
- スリナム
設立条約では、主権平等、核廃絶を明記した。
とくに、「社会的、経済的な不平等の根絶」をうたい、この地域を席巻していた新自由主義によって、各国が貧困と社会的排除という困難に直面してきたことから、この克服をめざしていることが目をひく。
いうまでもなく、中南米ではこの間、中道・左翼政権が連続して誕生した。深刻な貧困、社会的排除を食い止め、打開するには、新自由主義をやめること、そしてやめるには中道・左翼以外にはないという、これらの諸国の選択があったのだ。
日本では、国会のなかの「政治的停滞」の一方で、自民党政治と国民の間の亀裂は、この上なく高まっている。たとえば後期高齢者制度の発足前後の事態。そして医療費削減策として政府・厚生省が位置づけてきた療養型病床の削減を、事実上撤回したことは、社会保障の一部分の現象にすぎないが、つまり自民党政権の端的なゆきづまりを示すものだと思う。
このような自民党政権の「失敗」とともに、最近の「蟹工船」ブームやサンデープロジェクトで資本主義の限界が討論される現象について、当ブログでとりあげてきた。
若者の間の「流行」やメディアの以上のような関心は、むろん日本社会の現状と無関係ではない。
つまり、今日の日本が、小林多喜二の描いた当時の状況と酷似しており、資本主義の終わりをも見通したマルクスの言説を参照して、とらえられるのではないか、という考えが支持をえている要因だろう。
資本主義の終焉かという問いに極端な単純化は避けなければならないが、南米の試みも、日本社会のこうした現状も、資本主義の直面する困難がそれをどこか実感させる現実があるからである。
南米諸国連合の設立というはじまりに考えたことは、資本主義の終わりのことであった。
(「世相を拾う」08091)
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【関連エントリー】
「サンデープロジェクト」と「資本主義の限界」
『蟹工船』がブームらしい。
議員さんの朝食メニュー
食い物の恨みは恐ろしいともよくいわれる。このように、一般には、人の食べ物に寄せる関心は並大抵ではないということだろう。衣食住という言葉が熟していることに表されるように。
たとえばイベントを考える際、私もその食事(の内容)には細心の注意を払う。実際、払わざるをえない。終わって、仮にアンケートをとると、食事に関する意見が必ずといっていいほど、一定の割合である。肯定派も、否定派も。
つまり、人間は食に関して少なからぬ関心をあらかじめ持っているということだ。一例をあげれば、おそらく、その日暮らしという状態を仮に考えると、その日暮らしの人にとって生きるということが、最大、唯一の願いであり、いわば「目標」なのだろうが、その問題は、結局のところ食べることに接続しているし、尽きる。
冒頭にあげたリンク記事が話題になるのは、以上のことがもちろん前提にある。が、それだけでない。
むしろ、私は、事が議員という日本社会のなかで特別の地位にある人にかかわっているからだと考える、そうではないのか。つまり、別のいいかたをすると、政治と議員への、日本国国民の特別の関心の高さを、この問題は、ある意味で象徴しているように思う。
「不可能性の時代」という岩波新書がある。
そこで大澤真幸が、北田暁大を引用して語っている。「オタクという謎」という章だ。
北田によると、2ちゃんねるの熱心な参加者は、「2ちゃんねらー」には、いわゆる「ギョーカイ」――つまりマスコミ業界――への偏愛が見られる。マスコミの振る舞いは、たとえば『朝日新聞』の挙動や放送局の行動は、2ちゃんねるでの主要な話題である。そこに現れるのは、マスコミへの好意的な発言ばかりではない。というより、そのほとんどがマスコミへの批判や嘲笑、バッシングである。 その典型は、『朝日新聞』等に好意的にとりあげられることの多い市民派へのバッシングである。だが、マスコミへのこうした過剰とも思える批判は、マスコミへの過剰な愛の裏返しである |
というわけだ。
大澤が言及する北田にしたがえば、どうなるか。
日本国全体からすれば少なくとも部分にすぎない、民主党の議員の、あるいは民主党の対応によせられる意見の数々は、日本の政治のありように一定の国民が何かしらの期待を寄せているという証左である。しかも、その多くは、民主党という政党にたいする、北田の言葉による過剰な愛の証かもしれない。
事はこの点に尽きる。
つまり、朝食メニューに少なからぬ人が関心を寄せ、これだけの話題になる。この点で問われているのは、実のところ、民主党でも、あるいは民主党議員でもない。問われているのは、日本国国民なのだ。
たとえば、この意見。
朝飯ぐらい自分で払え! 自民党並みの朝食を党に要求する |
しかし、「自民党並みの朝食を党に要求する」という事実と、それにたいする「朝飯ぐらい自分で払え!」という見解とは、密接に関連しているようで、ほとんど別の問題である。
けれど、これだけウェブ上をにぎわしているのは、逆にいうと、北田の指摘の妥当性を裏付けているように思えてならない。
私は、自民党にはもちろん、民主党にも投票したことはないが、そんな人間はおそらくこの記事に関心を示すことはない。関心の高さは、むしろ民主党への「徹底した批判」にみられるところの、過剰な愛ではないのか。愛しているから憎い。
私のように、民主党に特別の関心を抱かない人間ならば、民主党がどのようにふるまおうと、あるいは同党の議員が何をいおうと、関心をよせる術がない。端的にいえば、関係ないのだ。そう割り切ることすらできるものだ。
話を、『不可能性の時代』という本に戻すと、大澤はこう語っている。
選挙の結果は、たいていの場合半数前後の人を失望させる。 |
いいえて妙である。
自民党にも、民主党にも投票していこなかった私は、この意味で、失望の連続であったのかもしれないが、選挙とはおよそ半数の人をよろこばせ、片方で半数の人には失望を与えてきたということだ。
政党といものが、以上の意味で社会的要請を受ける存在であるのなら、擁護するつもりはまったくないが、、「自民党並みに箱弁当やカレーライスを出してほしい」とのべる民主党議員があえて責められるべきではなく、攻められるべき対象があるとするならば、紛れもなく民主党に投票した「半数前後の人」ということになる。
だから、この問題で問われているのは、まさに日本国国民なのであって、その言説のありようといえるかもしれない。
選んだのは、私たち、君たちなのだ。(「世相を拾う」08090)
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トヨタも横暴勝手を認めたのかしら。。
広義のプレゼンテーションといえば、パワーポイントという具合だから、このトヨタの措置は、裏を返すとマイクロソフトの収益構造に深くかかわる問題だともいえる。
けれど、ここでふれたいのは、経費削減を第一義的に「パワーポイント」問題で考えたそのトヨタが、「カイゼン」活動を業務と認定したということだ。
いうまでもなく、これは以下の訴訟によるところが大きいだろう。
私はこれについて、つぎのエントリーでふれた。
トヨタ社員は過労死。世界のトヨタの裏側
この裁判では、労基署長の時間外労働時間の認定方法の是非、無償労働(QCサークル活動や提案活動)の業務性の判断などが争点になった。裁判長は、QC活動について「事業者の支配下による業務」と明確に認定し、死亡した労働者の労働の質や夜勤の疲労度などについて踏み込んで判断したのだ。
そして、この判決だけでなく、記事がのべるように、全体として不当な扱いを受けている労働者、それが管理者とよばれようなよばれまいが、実態として経営者に管理される立場にある「管理者」が立ち上がったことが大きい。
過労死裁判の遺族ともども、その意味で地をはうような努力が世論を最終的に動かした。かのトヨタも動かざるをえなかったといえる。
その結果、記事にあるように、会社側は、打ち切り上限の撤廃で「総額人件費の増加は避けられない」(幹部)見通しをもっているらしい。労働者側からすれば、これは当然と一蹴すべきことにすぎない。これまで、自主的という名のもとに、つまるところ搾取の実態があったのだから。
そもそも、会社であれ、そのほかの組織であれ、そのなかの一員が方針決定にかかわれない以上、会社からも、組織からも、その一員は疎外された者としてとらえるだろう。大企業であれば、なおのこと、一労働者が自主的サークルで活動することで、社の方針決定にかかわっているということ自体、すでに無理がある。
話を元に戻すと、トヨタの決定は、裁判に、訴訟に直接かかわってきた人びとの、声をあげてきたこと、これが第一である。
その意味で、昨年末の薬害肝炎訴訟をあらためて思うのだ。同訴訟も、関係者の血のにじむような努力が政府を動かした。
私は、別のところで、これまでの政治を反復のなかにあるといって、ある意味ではややシニカルに、あるいは悲観的にも受け取れるいい方をした。が、しかし、今回のトヨタの措置もそうなのだが、一人の人間の思いが人のつながりを広げ、運動となって、しまいには世論を動かすほどの力をもつということに、あらためて確信を一方でもつのである。
大企業の横暴や勝手も、しだいに人の知るところとなって、それを許さない世論もまた形成されうるということではないか。
(「世相を拾う」08089)
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税源は消費税以外にないのか。
昨日のエントリー、全額税方式の欺瞞の続編です。
非国民通信さんが、まことに的確な表現で、今回の政府の提案をひとことでいいあてています。
全額消費税方式。
まったく、このとおりでしょう。
非国民通信さんに弊ブログを紹介していただいたので、つぎのコメントを返しました。
非国民通信さんが強調されている点は、繰り返し強調してもしずぎることはないと考えるわけで、あえてここでその点にふれたいと思います。
つまり、いま政府や財界には、消費税やむなしの主張を強め、その点で世論を構築していこうという意図が強く感じられるのです。
以下のようにコメントしました。
非国民通信さんが的確にのべておられるように、政府の考えている「方式」はまさに全額消費税方式ですね。この上ないネーミングだと思います。 ようは、税源をどうするのかを問わずに、保険料方式か税方式かと問うても無意味でしょう。むしろ、(日本の)悪しき慣習であった保険料の労使折半すら危うくなることを懸念します。企業の負担を極小化することが財界のねらいであり、政府の方針もそこにある。 再分配の観点を否定するものといってもよいのかもしれません。いっそうの貧困を強いるものではないでしょうか。 |
わたくしの懸念は、政府や財界の考え方の基本に、所得の再分配という概念を否定しようという意図が強く感じられるということです。しかも、それはかなり露骨なもの。つきつめれば、コメントしたように、「労使折半」という(日本の)不本意な到達点すら後退させられる、そんな内容を、今回の提案はもっているのではないかということです。
今回の全額税方式の提案は、税源を消費税にしぼっていること、つまり、それは大衆からの収奪をいっそう強めることにほかならないことを意味します。
このことは、社会保障の拡充とはまったく無関係のものだと私は思います。消費税を増税すれば社会保障が拡充するということではもちろんないし、消費税増税なしに社会保障拡充はありえないということでもない。
消費税が、相対的に低所得者に負担を強いる逆進性という性格をもっている以上、私はこの拡大に断固反対する姿勢を貫きたいと思うのです。
結局、この問題は、税をどこからとって、どこに配分をするのか、これを一体不可分もものとして今、あらためてとらえる必要があるということだと思うのです。
現実に、消費税という大衆課税がすすむなかで、法人税は抑えられてきた事実をまず確認しておかなくてはなりません。この間の大企業の利益確保はいうまでもありません。御手洗氏などは、それでも物足りないとばかり、大企業・財界の税負担には一切口をつぐむばかりか、国民への負担強化だけを主張している始末といわざるをえないのでないでしょうか。
全額税方式という名で考えられているのは、少なくとも日本の税制が基本においてきたと到達からみると、それを歴史的に逆転させるもののように思えます。
今日の日本の現状を直視すれば、まさに累進課税の強化こそが求められています。その意味では、政府が提案する「全額税方式」というものは、言葉だけで理解していてはその本質をとらえることはできない。
本質は、税源を消費税に求めていることに尽きる。
つまり、消費税というものが、逆進性の強い、別の言葉でいえば、低所得者の負担割合が高いということですから、いっそうの貧困と格差をもたらすものだと断言すべきものではないでしょうか。
私は、大企業・法人に現状をふまえ応分の負担を求めることは十分可能だと思う。
税をどのようにとるのか、どこからとるのか、どこに使うのか、いよいよ国民的に大いに議論することを避けてとおれない、そんな事態に今あるのでないでしょうか。
(「世相と拾う」08088)
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【関連記事】
社説:年金改革試算上 政党も具体案を示す時だ
全額税方式という欺瞞
税方式導入なら消費税「9.5~18%」 公的年金で試算 政府の社会保障国民会議は19日、基礎年金の財源をすべて税で賄った場合、09年度に9.5~18%まで消費税を引き上げる必要があるとの試算を公表した。保険料負担は減るが、増税との差し引きで年金受給者や会社員世帯では負担増となる一方、厚生年金の拠出金がなくなる企業の負担は減る。 基礎年金を巡っては、保険料と税を併用する現行の「保険方式」を見直し、全額税で賄う「税方式」に改めるべきだとの考えが、民主党や経済界のほか、自民党の一部にもある。税方式に伴う負担のあり方を具体的に示した今回の試算は、今後の年金制度の議論に影響を与えそうだ。 試算は内閣官房が中心に作り、国民会議の雇用・年金分科会に示された。09年度に一斉に保険料徴収をやめ、消費税を財源とした税方式に切り替えることを前提に50年度までの年金財政を推計した。保険方式を維持した場合でも、国庫負担は増えるが、今回の試算では具体的な財政措置には触れていない。 |
全額税方式というものは、ここでは消費税増税を財源とするもので、とどのつまり企業負担がゼロになるというのが最大のポイント。保険料は労使折半が原則なのだから、保険料方式をやめるというのは、企業の負担はなくなるということだ。結局のところ、その分が家計の負担になる。
社会保障国民会議の場での政府試算の公表は、再三のべられてきた社会保障目的税導入への誘い水的な意味をもっている。
事の本質は、国民への負担転嫁、ここにある。別のいい方をすると、企業が負担を免れる方途だということ。
これに符合するかのように、あの御手洗氏が19日、「2020年とか25年になれば、10%で収まるとは思っていない」などと発言している。
すでに同氏は、基礎年金を全額税方式とし、財源を消費税に求めることを表明した(参照)。
この問題でも、民主党の立場が全額税方式であって、消費税増税にも寛容な態度であることに注目しなければならない。以前に、消費税増税;気脈通じる自民、民主。というエントリーをあげたが、自民、民主の間に垣根はないといえる。
だからこそ、伊吹自民幹事長が民主党に税制協議をもちかけたのは、十分理解できる。そして、鳩山民主幹事長が「消費税を上げないといけないタイミングが必ずくる」といって、これに呼応していることを看過することはできない。消費税増税にむけた世論形成の動きはいっそう加速されるのではないか。
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「サンデープロジェクト」と「資本主義の限界」
「サンデープロジェクト」(5月18日)に志位和夫共産党委員長が登場し、田原総一朗氏の質問に答えた。タイトルは、「資本主義は限界か」というもの。
現代の資本主義を、我々は日本に生きているので、その姿について日本という国家をとおしておおかた理解するだろう。しかし、世界に目を転じると、日本以外の資本主義国でも、貧困や異常ともいえる投機、そして深刻というひとことではかたづけられないほどの現状にある環境問題に多かれ少なかれ直面している。
こんな現状にあるわけで、番組のインタビューでは、およそつぎの点を柱にしていたように思う。順不動で独断でテーマを列記すると、
- 日本の現状、「蟹工船」のブーム
- 投機マネーの狂奔
- 貧困はどうして生まれるのか
- 資本主義の限界
- 「ルールなき資本主義」
- 地球環境問題
という具合になろうか。
番組のテーマである資本主義の限界について、さすがに志位氏は、「限界を見極めるのはむずかしい」と言葉を選び慎重に答えていたが、日々、われわれの前に伝えられる報道によるかぎり、直面する難問に資本主義は的確な処方箋と提示しているとはいいがたい。むしろ、私たちの眼には、資本主義の横暴とか暴走とかという表現がまことにぴったりあてはまることのほうが身近にすら感じられる今日ではないか。
資本の論理の貫徹。ただ儲けのために奔走する大企業。昨日のインタビューでも語られたようにもうけ放題だといいきってよいのかもしれない。
放題とは、規制の利かない状態。
言葉を変えると、この現状が、日本共産党がいう「ルールなき資本主義」の姿だ。
だから、これをあらためようと思えば、これを規制し、横暴勝手を許さない手立てをとるということだ。つまり、いまの派遣・請負の実態、労働時間の規制、などを社会的に規制できるかどうかが問われている。
昨日の討論でも話題にのぼったように、この点ではヨーロッパ、EU諸国と比較すると日本は格段に遅れている。
志位氏は、「ルールなき資本主義」と対置して語ったのは、「ルールある資本主義」ではなく、「ルールある経済社会」ということだったのだが、EUの実践を参考例としてあげていた。
資本主義の長い歴史のなかで、規制のない19世紀資本主義からケインズ主義による強い国家の介入、そして、レーガノミクス以来の新自由主義の跋扈を経由して今日にいたっているのだろう。
そして、たとえば、利潤の徹底した追求という資本の論理が、今日の地球環境問題をはたして解決できるかどうか、つまり根本のところで資本主義は今日的に問われているように思える。
けれど、とりあえずはこう考えることができる。
ともかく、日本の大企業・財界の横暴勝手は並外れているということだ。その端的な表現として、過労死やネットカフェ難民、ワーキングプアの広がりなどをあげることが可能だろう。
資本主義の限界と言い切らないまでも、しかし、日本資本主義が国民にとっての、ルールある経済社会を構築できるかどうか、しかも早急にできるか、それが問われている。
(「世相を拾う」08087)
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「ザ・スクープスペシャル」と思いやり予算
これを本日、「ザ・スクープスペシャル」で鳥越俊太郎が追っていた(写真。テレビ朝日ホームページ)。
毎年2000億円以上にのぼる思いやり予算。今年3月に、日米特別協定が期限切れになる際、高村正彦外相は、(思いやり予算を)「同盟のコスト」だと言い放った。高村外相の答弁自体が、すでに日米同盟という一つの概念を前提としたものである。いいかえれば、日米の関係は、なし崩し的に一体化している、少なくとも自民党政権はそう考えているということだ。この立場では、コストとして莫大な血税を注ぎ込むことに、寸分の躊躇も抱かないだろう。
番組は、西欧諸国と比較して日本の米軍駐留経費負担がけた違いに大きいことにふれていた。それだけでなく、米軍基地数も、米兵数も、日本はドイツについで世界2位という位置にある。
日本の米軍駐留は、敗戦後の全面占領をそのまま今日までひきずった姿と私は考えているが、そう考えようと考えまいと、日本と米国の関係において、日本の従属的な立場は広く知られるようになったのではないか。日米安保条約と経済条項、それに日米地位協定がある。
地位協定によって、日本で犯罪を犯した米兵の逮捕もままならぬことは、いまや誰でも知っている。米国からの年次改革要望書によって、規制緩和の名のもとに要求をのみつづける日本。首都東京に米軍基地が存在する日本。
いずれも、その関係を表現している。
しかし、この「思いやり予算」が日米の費用負担を明記している日米地位協定にもふれられていない、余計なもので、特別の、その意味で盟主アメリカにたいする「思いやり」軍事費であることは案外、知られていない。
派兵恒久法にみられる集団的自衛権の行使を法定しようという、与野党をふくめた動きが明確になっているだけに、日米の関係を米軍再編と思いやり予算をとおしてとらえようとする試みは評価されてよいだろう。
(「世相を拾う」08086)
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【関連エントリー】
「思いやり予算」は地位協定にも違反する。廃止だ。
古舘伊知郎よ。再び怒れ-「思いやり予算」で日米合意
古舘 伊知郎と「思いやり予算」-頭をあげ、全廃せよ。
石破防衛相の及び腰。「思いやり予算」は全廃すべき。
思いやり予算。これも「ばらまき」。
チキンとよばれてよいのか。
ともかく、これまで廃止の方向でまとまろうと努力してきた結果だろうからまずはよしするべきか。この制度にたいする国民の反発は強い。だから、政府も最大9割保険料軽減という措置をとたらざるをえないくらいだ。出発点であろう75歳以上の高齢者を別制度に移し、医療内容もかえようとする差別が制度設計上もさまざまな問題をはらませてきた。それがいよいよ国民に知られたからである。
後期高齢者医療制度:廃止法案の骨格固まる 野党4党 民主党など野党4党は16日、後期高齢者医療制度廃止法案の骨格を固めた。(1)保険料の年金からの天引き中止(2)同制度を廃止し、従来の老人保健制度に戻す--が主な柱。実施時期についても、保険料天引き中止は10月から、制度廃止は来年4月からとする方向でおおむね一致しており、20日の次回会合で最終調整した上で正式決定し、26日までに参院に提出する方針だ。 16日、国会内で開かれた4党の政策責任者会議では、制度廃止の時期を巡って意見が分かれた。議論のたたき台となった民主党案が「来年4月から」としているのに対し、社民・国民新の2党が「10月に前倒しすべきだ」と主張。これに対し、民主党は「地方自治体の予算措置も考えねばならず、年度途中は現実的でない」と反論し、次回会合までに前倒しが可能か再度検討することになった。 法案に制度廃止だけでなく、保険料天引き中止を盛り込む狙いは、来年4月の制度廃止までの「経過措置」。従来通り保険料を銀行などで振り込むというシステム上の変更にとどまることから、財源に穴を開けないという利点もある。 |
野党は法案を固めた。のだけれど、ここに至るまでに曲折があったようだ。メーリングリストで配信されてきたメールのなかに、以下の記事があった。
野党4党の政策責任者が後期高齢者医療制度(長寿医療制度)廃止をめぐり13日に開いた会合で、民主党が同制度の廃止時期に関し、2009年3月末とする案と同時に、最低2年間は存続させ10年4月以降とする別の案を示していたことが15日、分かった。 共産、社民両党は15日、「即刻廃止を求めているのに、国民の理解が得られない」と反対する方針を確認。16日に開かれる4党の会合で民主党に伝える考えだ。 民主党は13日の会合で「単に新医療制度の廃止を唱えるだけでは無責任だ」(幹部)として(1)09年3月末で廃止し、その後は元の老人保健制度に戻す(2)10年4月以降に、まったく新しい医療制度を導入する-との2案を示した。 だが新たな医療制度の提示はなく、他党から「後期高齢者医療制度即刻廃止でなければ次期衆院選は戦えない」など異論が続出した。(共同通信社5・16) |
共同通信社の配信記事。
記事の内容はいかにも想定されることだ。
記事中の共産、社民両党がいうとおり、廃止を国民にむかって訴えているのに、存続を片方で考えるとは、どうみても理屈にあわない。
このあたりが民主党の弱みなのだろう。
そういえば、毎日「余録」ではつぎの文章が掲載されている。
チキンレースと題した文章だ。
その冒頭の一文。
大連立構想が頓挫したあとの与野党攻防をチキン((臆病おくびょう)者)レースに例える向きがあった。 |
だれもが、こんな感覚をもったはずだ。
民主党は、国民の前ではいかにもその目線にたった発言をしているようにみえる。
その裏側で、先の国会でも、最終盤の弱腰にはほんとに鼻白んだ(下記エントリー参照)。
これも、政権交代至上主義とも受け取れる同党の言動は、一方で常に自民党サイドから政権担当能力を持ち出される結果を生んでいるが、政権を担当するにたる柔軟な対応という説明になるのだろうか。
むしろ「余録」が提言するように、旗幟鮮明な態度こそがいまは国民に受け入れられるのではないか。
それは、後期高齢者制度をまず中止して、高齢者をふくむ医療制度をいかに成り立たせるのか、その財源をどうするのか、その点での明確な民主党の姿勢こそが望まれているからにほかならない。後期高齢者制度でなければ、それが不可能だということではまったくないはずだ。
民主党のこうした動揺は今回だけのものではなく、繰り返されているだけに体質的なものだと私は考える。同党の政党としてのプログラムと国民の要求や願いとが一致していないから、動揺は、繰り返されるということもできる。
民主党の野党第一党としてのイニシャチブの発揮、それがまさに問われている。
(「世相を拾う」08085)
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【関連エントリー】
日本国憲法をめぐる攻防 -施行61周年
写真は全日本民医連作成のビラから。
『蟹工船』がブームらしい。
きょう16日は「しんぶん赤旗」がとりあげていた。
日本共産党の機関紙が小林多喜二を扱うこと自体を割り引いて考える向きもあるかもしれないが、しかし、とりあげているのは「しんぶん赤旗」だけに限らない。たとえば、かの産経も記事にした(参照)。しかも、それは「らしくなく」真面目な記事だったといえよう。
なぜ、こうなのか。
ブームの発端は、どうも毎日新聞に掲載された作家の高橋源一郎氏と雨宮処凛氏の対談にあるらしい。
このブームがどの階層に支えられているのかを考えてみると、雨宮氏の彼らに与える影響力が大きいのだろう。つまり、ブームは、若者からからはじまっている。しかも、彼らの多くは容易に推測できるように、非正規雇用などの不安定就労者といえる。ワーキングプアとよばれる層も少なくない。彼ら若者のなかでの雨宮氏の位置どりの大きさを私はむしろあらためて思い知るわけだ。
ようは、小林多喜二がとらえた世界はすでにかなりの歳月を経た当時の労働者とその生活のはずだが、歳月を隔てた今日の世界と通底するものがあるということを示している。ただ、それだけではブームにはならない。ブームは通底するものに直面する若者が実際に少なくないことの表れだといえる。時を超えて、一昔、二昔前の現実が、まさに今の現実とダブるわけだ。かつての労働者の置かれている位置に自らを置いてみて、小説の中の一人一人に若者がなりきるからにほかならない。
小林多喜二の『蟹工船』に代表されるような文学はプロレタリア文学と称されてきた。加藤周一によれば、日本文学史のなかのプロレタリア文学は、その技法ではなく、題材において他とは一線を画する新しいものであった。つまり、働く者の生活を社会とのかかわりのなかでとらえる文学は、プロレタリア文学以前にはありえなかった。階級と階級間の闘争、虐げられる者と虐げる者、その矛盾と闘争を小林は見事に描ききった。
その構図に、現代の若者は共感をよせているにちがいない。
こんな若者たちの共感が、たとえば一人の若者の「ちっぽけな」共感が横に広がり、ブームといわれるまでになったのだ。言葉をかえていえば、同じ境遇に置かれている者の連帯の土台がそこにあるということだ。
こんな、今はまだ組織的、波状的な動きにはなっていないだろうが、そのダイナミクスを考えると、一方で一部の政治家がさも得意気に語る政権交代などという、本当にちっぽけで、空疎な言葉より、はるかに時代を動かしうる駆動力を、そこに感じる。
(「世相を拾う」08084)
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「蟹工船」再脚光・・・格差嘆き若者共感、増刷で売り上げ5倍
御手洗氏の発言または税をどこからとるのか。
経団連、基礎年金の全額税方式を提言 財源は消費税 日本経団連(御手洗冨士夫会長)は14日、提言「社会保障制度改革に関する中間とりまとめ」を発表した。基礎年金の全額税方式化や、医療・介護保険分野で公費負担を増やすよう主張、その財源として消費税を充てるよう求めた。経団連は制度ごとに議論を深め、今秋に最終的な提言をまとめる。 提言では、年金保険料の未納問題や少子高齢化に伴う世代間の負担の不公平感などから、「社会保障制度の骨格を根本から改めることが不可避」と指摘。年金制度については、基礎年金の全額税方式化を「有力な選択肢」と明記した。高齢者医療と介護保険は「かなりのスピードで給付は増えざるを得ない」として、公費の投入割合を増やす方向で見直すよう求めた。 財源については「国民が広く負担を分かち合うことが可能」として消費税を挙げ、目的税化することで「財源と給付の関係が明確になる」と主張した。 |
御手洗冨士夫氏の傲岸不遜な態度にしばしば不愉快な思いをしてきたが、これまたその類といわざるをえない。
発言の核心は、いうまでもなく「医療・介護保険分野で公費負担を増やす」ことと、その財源に消費税をあてるということだ。
逆にいえば、公費負担を増やすということと消費税を財源とするということ以外は、語っていない。では、財界はどうするのかについて一切、口をつぐんでいる。つまり、これは、財界は負担をしないということの表白にほかならない。
経団連のこうした立場は、今にはじまったことではなく、これまでの経団連の主張が結果的に貫かれ、消費税率があがる一方で、財界・大企業の税負担率は傾向的にいえば下がってきた。こういうと、財界も大企業も消費税を負担しているという意見もでてくるにちがいない(この点は下記エントリを参照ください)。
けれど、だいいち消費税を大企業も負担しているのであれば、これまで法人税の減税を強く求めてきた財界の団体が、よりによって負担の増える消費税の増税を提言するはずがない。たとえば、国際競争力にうちかつために企業の税負担を軽くすべきなどと主張してきたのだから。むしろ消費税増税をさけぶのは、税源をそこに集中することによって、税負担を免れようとするばかりか、消費税の増税が財界・大企業には有利に働くからである(たとえば輸出戻し税など)。
発言は、紛れもなく財界・大企業の権益を確保するためのものである。政治的である。
そのかぎりでは、財界に応分の負担をしろと求めても、そんなことは自民党政権は絶対にしない、徒労に終わるという理屈も当然なりたつ。政権というものが特定の階級の要請にこたえるものである以上、端的にいえば、税をどこからとるのかという面で、財界・大企業が負担するのか、それとも働く者が負担するのかという対決軸で争われる問題にちがいない。つまり、税をどこからとるのか、これはすぐれて階級闘争だといえる。
その上で、これまでの経過をふまえ、現状を直視するならば、財界・大企業が応分の負担をすべきという見解はこの点でも説得的で、かつ柔軟な主張でもあるといわざるをえない。
(「世相を拾う」08083)
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追記;ここでは消費税のいちいちについてはふれません。以下のエントリと列記した関連エントリを参照いただければ幸いです。
消費税を考える 消
「新党」や再編には期待できない。
解散を牽制する小泉氏の発言も、中川元幹事長の発言も、それを正直に吐露した結果である。
仮にそう考えるならば、だれが首班に指名されるのか、ということはさして大きな意味はもたない。いつもの繰り返しだが、自民党という器のなかで誰がトップになろうと本質的な変わりはない。自民党政治を特徴づける大企業奉仕と米国優先の政治は貫かれるにちがいないからである。だから、ポスト福田をもくろむ数人の「候補者」のちがいに着目する、あるいは特定の人物の主張に関心を寄せる視点そのものが、どうしても私には相対的に狭くみえてしまう。断っておくが、それらの見方が間違っているとか正しいとかといっているのではない。
そのような差異よりむしろ、自民党と民主党をふくむ横断的な動きに今、あらためて注目したいのである。とはいっても、こんな動きは今にはじまったことではない。繰り返されてきたのである。
したがって、派閥の離合集散も、政党間の秋波も、いずれもこの自民党政治をいかに保持するのかという観点が貫かれているという点こそ重要だと思う。表現にそれぞれちがいはあるが、財界と米国の利益優先という姿勢は一致するのではないか。あえていえば、鳩山幹事長の伝えられる動向すらもこの枠組みに位置づけられる。
政党や政治家の政権にからむ動きが他とは無縁で独立してあるわけではない。すでに改憲議連に民主党の有力者が名を連ねている。そして、ついに、宇宙軍拡法案は民主党も賛成し、衆院を通過した。
これらの動きは、以下の現実と決して無関係ではない。すなわち、自民党が一般財源化を片方でいっておきながら、道路財源法を再議決するという、国民にとって理解できない事態を選択せざるをえないほどの、自民党政治の矛盾の深刻さがあるからだ。
だが、国民と自民党政治の矛盾はこれだけではなく、たとえば後期高齢者医療制度の顛末を少し考えるだけでも明らかというものだろう。
結局、この政党や政治家の動きが活発化するという今日の事態は、今の政治の弥縫策ということになる。平沼氏が、あるいは鳩山由紀夫氏が、そしてその他の政治家の名があがり、派閥再編がとりざたされるのは、そのためである。
それは、国民が願う、今の事態から一歩でも抜け出したいという願いには正しく答えるものではむろんない。何か新しいものがあり、今の政治がかわるだろうなどと考えると、手痛いしっぺ返しがくる。われわれはすでに、何度もそんな経験をしているのだが。私自身は、たとえば民主党の伸張がどうであるのかというよりも、日本共産党の政治的伸張のほうがはるかに日本の今後、政治状況におおきな影響を与えると、考えている(参照)。
反復のなかにわれわれはこれまで閉じ込められてきた。そこから抜け出すことはできなかった。湯浅誠氏がいみじくも語るように「私たちは大きく社会を変えた経験を持たず、それゆえにどうしてもそうした希望をもちにくく、社会連帯を築きにくい状況にある」。しかし、大きな変化が物理学的に物質の間の極度の緊張関係によってもたらされるものだとすれば、先にのべたように長年の自民党政治のほころびが露呈し、先にすすむこともままならぬ事態にあるのだから、今はまさに沸点にも似た限界点の位置にあるのではないか。
(「世相を広う」08082)
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