森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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混合診療の壁-人間を排除しているということ
「混合診療禁止は適法」原告患者側が逆転敗訴 東京高裁 健康保険が使える保険診療と保険外の自由診療を併せて受ける「混合診療」を原則禁じた国の政策が適法かどうかが争われた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。大谷禎男裁判長は「混合診療の禁止に法的な根拠はない」とした一審・東京地裁判決を取り消し、混合診療の禁止を適法として原告患者側の請求を退ける国側逆転勝訴の判決を言い渡した。 07年11月の一審判決は、混合診療を受けた場合に「一体化した医療行為」とみて保険が使えるはずの分も自己負担とする国の政策について、「健康保険法の誤った解釈だ」と判断。原告の患者には保険診療分は給付を受ける権利があると認め、国側敗訴の判決を言い渡した。国側はこれを不服として控訴していた。 訴えていたのは、神奈川県藤沢市の清郷伸人さん。がん治療のため、保険が適用されるインターフェロン療法に加え、適用外の診療を受診。全額負担を求められることから、国の政策は健康保険法に違反すると主張し、インターフェロン分は受給の権利があることの確認を求めていた。 これに対し国側は、保険診療と自由診療が行われる場合、全体を一体の医療行為とみて保険給付を検討すべきだ▽特定の高度先進医療など例外的に認められた混合診療以外に保険は給付されない――との健康保険法の解釈を示し、保険給付の対象外とするよう反論していた。 |
欠かせないと私が思うのは、そもそも混合診療とは無縁のひとびとが現にいるということです。
私は、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる状態を実現したいと思うものですから、その価値を置く者ならば、現にそこから排除された人びとをなくすことこそ、緊急かつ重要な課題ととらえるのです。
もちろん、自らの混合診療の実際において保険診療を部分的にも適用してほしいという要求は、この裁判の当事者にとっては率直なそれ、要求かもしれません。しかし、ひとたびその裁判の外に一歩でてみると、混合診療を受ける条件そのものから排除される「部分」が存在することに、少なくとも私は眼を奪われる。そこを解決しなければ、そもそも、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる状態は解決できないわけです。必要条件なわけですね。分かりやすくいえば、議論の出発点、混合診療から議論をはじめる限界性を私は感じるのです。
07年11月の東京地方裁判所における「混合診療禁止に法的根拠なし」とした判決以降、政府・財界が混合診療全面解禁の動きを強めていることを知っています。また、当時の首相の諮問機関である規制改革会議が「中間取りまとめ」の中で、厚労省に対して「混合診療禁止措置の撤廃に向けた施策を早急に講じるべきである」と求めているもまた、知っています。規制改革会議「中間取りまとめ」に反対しているこれまでの厚労省が、入院時医学管理加算の取得条件に、保険給付を前提としない「選定療養」を持ち込むなど、その拡大を進めて事実もまた明らかでしょう。
こうした事実を一方でおさえてかなくてはならないでしょう。その上での、この判決です。
元に戻ると、第一に考えたいのは、経済的条件のいかんにかかわらず、やはり、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる体制、状態をいかに構築するのか、そこに知恵を絞らないとならないでしょう。物事は、そこからはじまるのではないでしょうか。
そうでなければ、(議論の)最初から、議論の対象でない人びとの存在を是認しているということになるのですから。
それは、そもそもの一人ひとりの人権、人間が人間らしく生きる権利を認めるか否かにかかわる。
それを横に置いた議論の一つが、この裁判の性格規定ということになるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09205)
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【関連エントリー】
混合診療解禁と松井道夫氏の言説。
読者のみなさまへ
予期せぬ入院生活を一週間ばかり強いられました。
読者の皆様には、失礼のかぎり深くお詫びいたします。
遅くない時期に更新する予定です。よろしくお願いいたします。
麻生「医師不足」問題発言と構造改革継承
地方の病院での医者の確保の話だが、自分で病院経営しているから言うわけじゃないが大変だ。社会的常識がかなり欠落している人が多いんで。 |
まあ、やり玉にあげられた医師にすれば、あんたには言われたくない、ということではないでしょうか。
けれども、この発言が医師不足と結合させて語られているところに問題があると思います。とはいえ、首相は、自身がふれたように麻生飯塚病院の経営者でもある。医師不足の実態もまた、理解していて当然です。求人情報を恒常的にホームページで流しているのですから。発言のなかでたしかに現状についてふれてはいる。
つけ加えれば、麻生飯塚病院は、株式会社立でもある。病院経営コンサルトもやっているのです。
医療とそれに関連する分野を、いわば利益追求を目的とする企業として扱っているのですから、そこにはおのずと、医療は公的責任でとする立場とは異なるものがあるとみてよいでしょう。したがって、医療を、そして患者をみる眼もちがうということです。
こんな企業の総帥が麻生首相自身です。
その彼の国民との感覚のずれは、彼が政治家を志したそのときから世に知られることになりました。下々のみなさんなどとよびかけたのは、余りにも有名です。
そこで、話を元に戻すと、医師不足について首相はこうのべています。
(医者の)確保をどうするかという話を真剣にやらないと。小児科、婦人科が猛烈に問題だ。急患が多いから。急患が多いところは皆、(医師の)人がいなくなる。だったらその人たちの(診療報酬)点数上げたらと、5年ぐらい前、自民党政調会長の時から指摘している。必ずこういうことになると申し上げて、そのままずっと答えが出てこない。医師会も、厚労省も。 ちょっと正直、これだけ(医師不足が)激しくなってくれば、責任はおたくら医者の話じゃないですか。しかも医者の数を減らせ、多過ぎると言ったのはどなたでしたっけ、という話も党として激しく申し上げた記憶があるので、臨床研修医制度の見直しなどに関しては、改めて考えなければならない。 |
このように医師不足の責任を転嫁しています。この認識はほとんど二階氏と同じといわなければなりません。
もう一つ、首相の発言には研修制度と医師不足を結合させようという意思が働いているといえそうです。一部に、そうした議論があることを私は承知していますが、この考えは、医療崩壊の原因が臨床研修制度にあるとするものです。しかし、性急な臨床研修制度の見直しがは禍根を残すことも考えなければなりません。慎重な対応が必要です。
長年、医師会は自民党の支持母体ともいうべき存在でした。
以前に、新自由主義、構造改革とは、90年代までの日本社会の安定を形づくってきた条件を切り捨ててきました、とのべました(参照)。
医師会は、ここでいう(自民党が)切り捨てた対象でしょう。
それゆえ、自民党と医師会の関係も変化をしてきた。むしろ、医師会の認識は、構造改革のなかで削減去れてきた社会保障を国民とともに拡充していこうとする点で、まともだといえるのではないでしょうか。
麻生氏の発言は、こうした点をふまえるならば、基本線で構造改革路線を貫いていこうとする確固とした立場の表明だともいえます。
それは、最近の社会保障国民会議の最終報告が消費税増税を既定路線のように扱い、しかも社会保障費の自然増2200億円の削減をひきつづき貫こうとしているのですから。
麻生首相の発言は単なる失言のたぐいと判断したらまちがうでしょう。むしろ、消費税増税をやる、社会保障削減もやる、医師不足問題では、たやすくは譲歩しないという決意の表われだと私は思います。
そのことは、同じ知事会議のなかで「改革の続行が不可欠」だと強調していることからも明らかです。
しっかりと、構造改革路線をふまえていることを直視しなければなりません。
(「世相を拾う」08240)
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新自由主義の行き詰まり- 大企業本位を問え
二階俊博氏の認識を問う- 医師不足を認めたくない。。
妊婦死亡「医師のモラル」 二階氏、抗議受け発言撤回
脳出血を起こした妊婦が東京都内の病院で受け入れを断られ、死亡した問題について、二階経済産業相が「医師のモラル」と発言し、医師らの団体などが反発している。二階氏は13日の参院厚生労働委員会で、経産省幹部にコメントを代読させる形で謝罪し、発言を撤回した。 二階氏は舛添厚生労働相との10日の会談で、「何よりもやっぱり医者のモラルの問題だ。(医療界に)入った以上は忙しいだの人が足りないだのは言い訳に過ぎない。しっかりしてもらわないといけない」と話した。 この発言に、勤務医らでつくる全国医師連盟は12日、「勉強不足で事実の誤認がある」と反発。日本医師会も「不用意な発言で心外。考えを改めていただきたい」との声明を出した。13日には市民団体からの抗議が寄せられた。 二階氏は同委員会に「医療に携わる皆様に誤解を与えたことをおわび申し上げ、発言を撤回します」とのコメントを出した。 |
「しっかりしてもらいわないといけない」のは、いったいどちらでしょうか。
どうみても、二階氏ではないでしょうか。
今日、医療崩壊が大方の認識になりました。全国で患者受け入れ不能の現状をもたらし、そのことが度々、報道される現実に私たちは直面しています。また、産科や小児科で著しいように、全国各地で撤退を余儀なくされる公立病院は少なくありません。これらの背景には絶対的な医師不足がある。これが共通の認識となって、たとえば医師養成数が見直されたのです。
二階氏の発言は、逆にいえば、まさに今日の医療崩壊をもたらしてきた要因にもなってきた旧来の考え方の典型ではないでしょうか。
つまり、この考え方で強調され、常々、もちだされてきたのは医療人としての「使命」でした。別の言葉でいえば、医師に自己犠牲を強要するという、無責任な態度ではなかったでしょうか。
それでも医師や看護師や、その他の医療従事者は、みずからの強い使命感から、周りから求められるままに、なるほど自己を犠牲にしながら、ぎりぎりまできたのではなかったか。
こうした自己犠牲をいいことに、政府・厚労省は社会保障費の削減という課題をなしとげるために、医師養成数を削ってきたのです。診療報酬を抑制してきたのです。
医師のモラルがどうしたというのでしょう。
(医療界に)入った以上は忙しいだの人が足りないだのは言い訳に過ぎない、という二階氏は、諸外国と比較して日本の医療の実情がどんな位置にあるのか、認識しているとは到底、思えません。勉強しなければならないのは氏自身です。
今日の事態をもたらしているのは、自身もふくめてとってきた医療施策にこそ最大の要因があるのですから。
はたして発言を撤回してすむという問題なのでしょうか。閣僚としての基本認識が欠如しているわけで、その資格がないのではないでしょうか。
情けない話です。二階氏の言葉は、どこまでも医師不足を認めたくないという感情に裏打ちされたものでしょうが、それは今日、過去のものとして葬り去られたそれといえるのではないか。
ですから、二階氏は、その政治家としての視点が過去のものであることを自ら証明したものともいえるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」08235)
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総選挙は何を問うのか- イギリスの経験から
いつでも、誰でも、どこでも必要な医療を受けることができる、これを理想形とすれば、戦後、日本は国民皆保険制度といわれる枠組みをつくって、これに近づこうとしたといえるでしょう。1961年には、何らかの公的保険に国民すべてが加入することになったのです。
その国民皆保険という枠組みも、改悪がつづいて、事実上、誰もをカバーするという制度はしだいに機能しなくなっていきました。80年代の構造改革の名で、社会保障制度は国民にとって徐々に後退させられたといえます。無料だったものが、自己負担1割になり、2割になり、3割になるという具合に。こうなると、経済的に弱い立場にある人は、しだいに医療から遠ざかる。すると、医療費は増高する。こういった悪循環に陥ることになる。たとえば、国民健康保険料が年間50万円近くになる世帯も少なくない今日になったのです。
日本の社会保障制度は、以上のように保険料や自己負担割合が増えることによってアクセスを遮断する方向にだけでなく、別の角度から、医療でいえば供給する側への締め付けもまた、連続しておこなわれてきたといえるでしょう。
日本の医療は、医療行為ごとに定められた点数によって診療報酬が医療機関に支払われます。80年代以降、政府は、医療費抑制を最大に目標にかかげて、施設体系を政府の思惑どおりにコントロールしてきたといえます。総枠で医療費を抑制するための誘導がたびたび採られてきました。分かりやすくいえば、政府のいう方向に施設体系を転換しなければ、収益が格段に落ちるような診療報酬の改定をおこない、思惑どおりに医療機関の転換を推進してきたのでした。
医療従事者の養成も、ときの政府の匙加減で絞られてきました。端的には医師養成数とその結果の医師不足にそれが表れています。それとは逆に、小泉政権当時の規制緩和政策によって、「失業3割」時代の到来(*1)も語られているように、時の政権の政策に翻弄されてきたのが日本の医療であったのかもしれません。
ですから、本田宏氏は、今日の日本のこの医療のありようを医療崩壊ととらえ、それは日本崩壊の一面だと指摘しているのです(『エコノミスト』8・26、23頁)。まったく首肯せざるをえません。
本田氏は、
医師不足と低医療費政策、医療現場の実態を国民が知らずにきたことが「医療崩壊」の原因だ< |
と言い切っています。
以上に概要示される日本の低医療費を研ぎ澄ましていくと、アメリカの医療につきあたるでしょう。
一方で、アメリカと同様に一旦は医療切捨て政策を採りながら一転して公的医療費引き上げの政策を採っている国があります。イギリスです。
周知のようにイギリスは、1979年以降のあのサッチャーの時代に自由主義的改革の嵐が吹き荒れました。この保守党政権が崩れた1997年にはGDP比でいえば医療費は、先進7カ国の平均値が9.0%、日本は7.0%で6位。イギリスは日本を下回り6.8%だったといわれています。
その結果、医療の荒廃がすすみ、人員不足のため研修医の半数が労働基準法の上限を超える長時間労働に従事しているにもかかわらず、入院が必要な救急の患者が平均3時間半待たされたといいます。この時期、医師の自殺者は、他職種の2倍にのぼったといわれています。どことなく今日、日本で伝えられる医療崩壊と通底しているように感じられるのではないでしょうか。
その後を継いだブレア政権は医療費拡大に転じることを総選挙の公約にかかげ、国民の支持を受けながら医療費の拡大政策に転換していったのです。
モデルを定めて、それに近づこうとすることを私は好みませんが、少なくともイギリスのこの政策的転換は、日本が教訓にすべきところ大だといえると思います。
率直にいえば、今の日本のすすんでいる方向は、自己負担の拡大で医療費をまかなっていこうという、いわば米国型だといえる。お金がなければ指を事故で落としても手術ができない。金がなければ、医療から遠ざかる道しかないのです。昨年の全盲患者を病院職員が公園に置き去りにしたという事件は、すでに日本のなかのアメリカ化を示唆するものではないでしょうか。
結局、このアメリカ型も医療費は増高する。つまり、医療費は2つの方向で増える。アメリカ型は健康の格差をいちだんと広げて医療費を引き上げるのです。自己負担増は公的医療費の抑制につながるようにみえながら、実際にはコスト増をもたらすことは、日本よりはるかに自己負担の割合の高い米国はむしろ日本より医療費の公的負担割合が高いことに示されています。
総選挙が遅くとも来年には実施される日本では、すでに選挙目当ての政党のパフォーマンスが繰り広げられています。
しかし、先にふれた本田氏がのべるように、日本はいま「日本崩壊」に至りかねないようにゆがみが様々な面で表出しています。その一つが医療崩壊だと氏は警鐘を鳴らしているのですが、だとするなら、総選挙では、崩壊に至るか、それとも反転して崩壊を免れる道を選択するのか、それを軸に、政党選択が下される必要があります。無内容に政権交代、あるいはそれを許さじといってのけるほど簡単なことはありません。
そうではなく、崩壊に至りかねない現状にあるからこそ、政党はどんな筋道を考えているのか、国民に示し、選択を仰ぐ必要があるといえるでしょう。
逆に我われ国民は、一つひとつを知らないままにやり過ごすという危険から脱出を図らねばなりません。
崩壊か否か、そんな岐路に立つ日本。だから、来るべき総選挙は、従来の政策の延長線でいくのか、それとも反転をめざすのか、それが国民に問われているといえそうです。
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*1;「AERA」(7・21)21頁
医療費で財政破綻はない。
思いこみというものが、まあ誰でもあるでしょう。
万人に思いこませるために、支配者はときにデマも流してきました。ヒトラーしかり、得意の演説で聴衆、すなわち国民を熱狂の渦に誘い込み、ほんとのこととしてすり込ませてきました。
ヒトラー同様とはいわないまでも、ときの政権は財政問題をちらつかせ、増税への筋道をつけようとしてきましたし、逆に、歳出カットするために大宣伝に血道をあげてきました。
いまの局面も、以上の記述とそれほど異なる状況ではありません。
消費税増税が「09年度税制改正」の名でいよいよ俎上に上がります。一方で、額賀財務大臣が、2006年にまとめた「骨太の方針」に盛り込んだ社会保障費の自然増を5年間で1.1兆円抑制するとの目標について「3年目で挫折しては世界の信認を得られないし、国民の将来不安もぬぐえない」と語ったことが伝えられました。世界のジョーシキはむしろ、社会保障の徹底した抑制から社会保障の充実をめざす方向に転換しているのではないかを思う私にとって、この額賀氏の発言は奇異なものに感じられるのです。
ともあれ、このように国民生活に密接な社会保障を抑制することと、社会保障を支えるためにという口実で増税、しかも大衆課税といわれるように国民に負担が集中するような「税制改革」がすすめられてきたこれまでの日本でした。
ただし今日、衆参の多数を与党と野党がそれぞれ握るという状況のもとで、従来の自民党の主張をそのままストレートに繰り返すわけにはいかないところから、税制にしろ、社会保障抑制にしろ、与党内に意見のくいちがいが表面化している。これがニュースが伝えるところでしょう。
それでも、これまでの路線と本質的にはちがわず、ある意味で増税にしろ、社会保障抑制にしろ、譲れない一線は堅守しようとする意図が働いていると私は思います。
つまり、大企業や財界の負担には手をつけないという、いわば聖域を侵さないということです。聖域はこれだけではなく、軍事費などもその類といえます。
話を元に戻すと、増税がさけばれる度に、たとえば社会保障費が増え続け、財政がパンクするかのように喧伝されてきました。
ところが、おもしろいことに、医療費で財政は破綻しないという見解が出されています(参照)。
神奈川県内の医師らが立ち上げた「医療費の窓口負担『ゼロの会』」の主張です。
「ゼロの会」によれば、以下のようにこの間の政府の社会保障政策がとらえられています。長い引用ですが、ご覧ください。
https://www.cabrain.net/news/article/newsId/16849.html (魚拓) 国民医療費は、01年度には30兆1418億円だったが、06年度には33兆1289億円に増加。約5年間に2兆9871億円増加し、対国民所得比では 0.9%増だった。このうち、国庫負担は8690億円増え、国民医療費の構成比では0.4%増。企業の保険料負担は1364億円減り、構成比では2.5%減に。一方、患者の自己負担は7281億円増え、構成比では1%増加した。 国債(内国債)の残高は、01年度には約430兆円だったが、06年度には約676兆円となり、約5年間で約246兆円も増加した。 小泉政権は、「改革には痛みが伴う」などとして、社会保障費を圧縮する政策などを推進したが、「ゼロの会」は、国債発行残高が政権発足当初より大幅に増えたことを示し、「これは、医療費など社会保障費が原因ではない。医療費が増えると財政が破綻(はたん)すると言う国には誤りがある」などと反論した。 ・・・・・・ さらに、消費税率見直しの動きについて、1989年度から2007年度までの消費税の累計が約188兆円に対し、法人3税(法人税・法人住民税・法人事業税)の減収分が約159兆円との実態を示し、「消費税が社会保障の充実に充てられたかには大きな疑問が残る」などとして、消費税率の安易な引き上げに反対するとともに、所得税や法人税などを含めた税制全体の在り方を見直す必要性を指摘した。 |
どうでしょうか。この「会」の指摘は妥当なものではないでしょうか。吟味するに値します。
ウソでさえも刷り込まれると「真実」となって流布され、それがジョーシキとなる。そしてそれに反発する人は、パーリアとして排除されてしまう。
この連鎖はもう断ち切る必要があるのでは。
「税制改革」のふれこみは、まずすべて疑ってかかれ。少なくとも日本国のこれまでの経過はそのことを教えているようでなりません。
(「世相を拾う」08119)
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医療は雇用をふやす-その経済波及効果
「毎日新聞」が「医療クライシス」という連載を組んでいる。
財政を圧迫するという理由で社会保障費を抑制してきたツケが今、たとえば医療崩壊という形で回ってきている。一方で、現場の医師や医療従事者からは医療崩壊にたいする警鐘が鳴され世論に訴えてきた結果、いまや国民の認識をかえつつある。したがって、政府もその声に押され、対応せざるをえなくなっている。それは、最近の、医師養成数を増やすということを政府が決めたことにも端的に表れている。
「毎日」の連載4回目は、医療の波及効果がテーマ。
医療クライシス:脱「医療費亡国論」/4 経済波及効果 (魚拓)
医療は金がかかるばかりで経済成長にとってもマイナスだとか、社会保障への負担増が国際的な競争力をそぐなどという所説に私たちはしばしば遭遇するのだが、ほんとうにそうなのだろうか。
記事は、その是非をめぐって専門家の意見を反映させたものである。
記事で紹介されている医療機関の支出は、
07年度、同病院の支出総額は164億8000万円。人件費が61億円で最も多く、薬剤費21億1000万円、カテーテルなどの診療材料費約17億円などが続く。外部の業者への業務委託費も18億2400万円に達する。 |
多くの医療機関もほぼ同様の状況である。労働集約性が高い医療は、人件費が支出の半分近くを占める。
そのことが、むしろ記事にあるように、雇用を生み出し経済波及効果が大きい一因にもなっている。それだけではなく、だから、とくに、最近の国民の所得が下がり、家計が冷え消費に回らない状況が経済の健全な発展を妨げているのを転換していく上でも、この波及効果を生かし社会保障を充実させていく方向が採られないといけないだろう。
実際に、波及効果はどのようにとらえられるのか。
厚労省は、社会保障と経済についてという文書で、見解を示している。
その要点は以下のとおりである(*1)。
- 社会保障にたいする税・保険料が経済成長にとってマイナス効果をもたらすという意見を、定説はないとして斥けている。
- また、社会保障費の上昇分は無視できるという見地を紹介。社会保険料と税の増加の寄与度は2%にすぎないと指摘。
ようするに、経済成長にとっても、国際的な競争力についても社会保障費の増加が影響を与えることは少ないと厚労省はいっているわけである。
その意味で、大村昭人氏の意見は耳を傾けるに値する。
医療機関の存在による経済波及効果は非常に大きい。医療に関連する研究機関や産業が広がり、雇用も生み出す。そもそも、医療機関自体が、治療により労働力を再生産する場所でもある。 |
とくに、(医療というのは)労働力を再生産するという見地は、医療に金を投じても社会にとっても、個人にとっても、それが健全な経済の成長に結びつくという点でしっかりと拠ってたつべきではないかと思える。
さかんに今、消費税増税によって社会保障の財源をまかなうという宣伝文句で打ち出されつつ、一方で社会保障の抑制は堅持するという政府の立場がくりかえし表明されている。
しかし、社会保障が経済成長を妨げたり、国際競争力を弱めたりはしないというのが、ここでみてきたことであった。それだけではなくむしろ社会保障を充実させる方向こそ、経済への波及効果が大きいという見解もある。
だから、社会保障の拡充が現実的な対応として求められているといえる。
その上で、社会保障をどう支えるのかという議論もあるだろう。しばしば財界は税負担率をもちだし国際競争力が低下すると吹聴するのだけれど、これもまた、保険料と税の増加の影響は微々たるものと厚労省自身がいってきたことだ。
政府与党内でも社会保障抑制は限界という意見も最近、表に出てくるようになった。
論点は社会保障抑制の是非をとおり超えて、今は、だれがこれを負担するかという論点に収斂されてきているように思える。
この点でも、(医療が)労働力を再生産するという立場で把握する必要があるし、それだけに企業の負担を明確に位置づけなければならないと思う。
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*1;参照1、参照2、参照3
【関連エントリー】
日本の医療のかたち;亡国論から立国論へ
【関連記事】
社会保障給付費:17年後は最低レベルに 慶大教授が試算
堀内光雄氏の怒り- 後期高齢者医療制度を撤回せよ。
自民党元総務会長の堀内光雄氏が『文藝春秋』6月号に「『後期高齢者』は死ねというのか」という論文を寄せている。
いうまでもなく、4月からスタートした後期高齢者医療制度に反対する内容で、後期高齢者という名で自らもくくられてしまった氏の激しい憤りが行間から伝わってくる。
たとえば、つぎの表現はきわめて抑制的なものだと思うが、しかし、この制度の対象となる多くの高齢者の声をきわめて正確に示したものだと思われる。
私を含めた75歳以上の人たちはもはや用済みとばかりに、国が率先して“姥捨て山”を作ったかのような印象を受ける。 |
半世紀以上にわたって国のために働き続けた年配者を、尊敬させるのではなく厄介者のように思わせるのではないかと危惧している。 |
ようは、自らが社会的に排除された状態を想像してみたらよい。自らの意思とはまったく無関係に、有無をいわさず別建ての制度に移された状態だ。そこに差別を感じるだろう。自分の居場所がないと思うだろう。
堀内氏の言葉にまつまでもなく、厄介者としての扱いだ。
新しいこの制度は、堀内氏が的確にのべているように、保険制度ではない。氏の言葉を借りれば、保険とは、「本来、国民全体が一定の拠出金を出し合って、事故や災害、病気などの際に補填する」ものだ。まさに、「リスクの高い人と低い人を一緒にして全体」とするから保険なのである。
だから、この後期高齢者医療制度は75歳以上の人のみをくくる制度だから、保険ではないということになる。
したがって、容易に想像できるのは、リスクの高い人だけの制度だから、財政的に成り立たせるにはベースの保険料も徐々に値上げすることになるというわけだ。
設計上の、以上のような根本にかかわる問題点をはらんで出発した。
怒りの大きさを前に政府与党は手直しを再三せざるをえなかった経過はこれをそのまま表した格好だ。「この制度自体がうまく回っていくかも疑問」という堀内氏は、いっぽうでこうのべている。
日本は国民皆保険という、世界に誇るすばらしい保険制度をもっているた。しかし、75歳以上の人たちを別の制度に入れてしまうのならば、これはもう国民皆保険ではない。 |
このとおりだ。
後期高齢者医療制度のはらむ問題は、制度設計がややまずかったという程度のものではなく、社会保障の視点をおよそ欠いた、財政的側面で人を扱うという根本の思想が問われるものだ。
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お知らせ再び-9条世界会議
金の有無でやはり排除-医療費と受診抑制。
こんな結果が、日本医療政策機構の調査で明らかになった。
受診抑制:3割が経験…低所得層では4割近く 費用かかり
記事がいうように、この間の「制度改正」で自己負担は原則3割となっているため、受診すれば、それなりの医療費を窓口で支払わねばならない。調査結果が示しているのは、この自己負担という費用がかかるために、自分の懐具合をみながら受診をあきらめる者が3人に1人程度の割合でいるという事実だ。
ちょうど1年ほど前に、同じ日本医療政策機構の調査結果について言及した。
格差社会の一面 -医療費支払いで不安、低所得層
なので、今回の調査は連続して低所得者の受診抑制が際立っていることを示したものといえそうだ。
ところで、自己負担は、確実に医療を受けることのできない人をつくる。
いうまでもなく、所得の多寡にかかわらず、同じ医療内容であれば、同じ医療費のはずである。したがって自己負担は、低所得者ほど負担感が強い。
だから、「低所得層(年間世帯収入300万円未満など)では39%に達する。高所得層(同800万円以上など)は18%、中間層は29%で、低所得層ほど受診を控えていた」という結果のとおり、低所得者ほど抑制する傾向が強くなる。
これは、社会保障の本来の機能であるはずの所得再分配からすると、まったく逆の結果ともいえる。所得再分配は、所得の高い人から低い人へ、結果的に垂直的に所得を分配するしくみのはずだが、給付面で低所得者が疎外されると、その機能が現実に停止していることを意味している。
比較的所得の高い人は必要な医療をうけることができる一方で、必要な医療を低所得者は受けられないというまさに矛盾がそこにある。
その結果、以下の研究が指摘するような健康格差が生じかねない。
格差社会は健康をむしばむ
ここで、近藤克則氏が指摘したのは以下のデータをもとに、「日本でも階層間で約5倍もの健康格差がある」ということだった。
氏は、3万3千人のデータをもとに、抑うつと所得との関係をみた。所得が低い(等価所得が年間200万円未満)層は、所得が高い層(同400万円以上)より、転倒経験率や健康診断の非受診率が高かった。 |
この近藤氏の説くところは、今回の日本医療政策機構の調査結果が別の角度から裏づけている。
つまるところ、経済的困窮が受診から疎外し、その結果、いっそうの健康悪化をもたらすということだ。
自己責任論はどこにでもころがっている。
健康は自分で守るものだというように。しかし、冒頭の調査や近藤氏の指摘にも共通するのは、自分で守ろうにも守れない人が現実に存在するということであって、そこに手をさしのべる政治がないと、結果的にコスト増をもたらすということだ。医療費抑制に汲々とする手合にとっては皮肉というほかない。
1割であっても、3割であっても、医療費の自己負担は現にその引き金になっている。
これまでの医療制度の改定では、長年、長瀬指数(*1)にもとづいて、受診抑制がどのような「効果」をもたらすかを試算の上で、厚労省は医療費を抑制してきた経過があるくらいだ。
確実に自己負担は医療から人を遠ざけるのである。仮に、医療費がそのことで抑制されるとすれば、それは低所得者が受診を控えているからにほかならないといえるだろう。
長寿医療制度というものがスタートしたこの4月、なおさらそう感じるのだ。
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*1;長瀬指数について、以下のように言及しました。
患者負担の割合とこれに対する医療費の関係を明らかにした算定式で、旧内務省で使われていたとされます。この式によれば患者負担無しの場合を1とすると、医療費負担が1割で0.848、2割で0.712となり、3割では0.592と、医療費を4割以上削減できることが予測できるわけです。つまり今の厚労省の医療費削減の方程式ともいえるものです。(格差社会の一面 -医療費支払いで不安、低所得層)
同主旨で、coleoの日記;浮游空間に、医療費を抑制するための便法。を公開しています。
生まれ出る「不安」 - 医療崩壊
今、おなかの赤ちゃんの声に耳を澄まし、お母さんになる準備に懸命な女性の多くが、おちおちまどろんでもいられない不安に悩むことになってしまった▲産婦人科医不足で「お産難民」などという困った言葉がささやかれる昨今だ。厚生労働省の調査では分娩(ぶんべん)を休止したり、里帰り出産などを制限する施設が全国77カ所にのぼる。うち3施設では分娩休止後の対策も立てられない有り様という▲また日本産科婦人科学会の調査では33道府県の111施設が産科医の緊急派遣を求めている。「対応できそうにない数で、地域産科医療の維持は極めて困難な状況」とは同学会の分析である。母親が安心して赤ちゃんを産めるという人間社会の基本中の基本条件の底が抜けそうなのだ▲子供はこの世の未来を携えて生まれてくる。産科医療を再建し、赤ちゃんを手厚い祝福と共に迎えることのできないような世の未来は暗い。小さな命令、愛らしい威嚇に耳を澄まさねばならないのは母親ばかりではない。 |
恐怖が、それをもたらす対象がはっきりしているのにたいして、不安はそうさせる対象が必ずしも明確ではない。
記事に描かれている将来のお母さんの抱える不安は、無事に出産できるか否かというものである。
出産できる医療機関が身近になくて、はたして医療機関で出産できるかということにはじまって、安全やあるいは経済的負担にかかわる問題を想定せざるをえないのである。
つまり、できないかもしれないという可能性が存在するからである。
しかし、この種の不安は、本来であれば、医療機関に事欠かないのなら、ひとまず回避することのできるものである。
日本では産科医療が地域で崩壊し、あるいは崩壊しつつあって、記事にあるように、それは如実に数字に表れている。
いくつかの要因があるだろうが、そもそも産科の医師数の減少をあげざるをえない。
お産を扱う医師や施設の数は、出生数の減少より、はるかに早いペースで減っている。
また、出産年齢が高くなっていて、母子に危険を伴う妊娠・出産の例は増えているという。お産の安全が現実に脅かされているといえる。
しばしば定期健診を受けていない妊婦の飛び込み出産が話題になるが、医師のいなくなった地域の妊婦は、病院まで遠くなり、定期健診に通うのが不便になるという背景もある。
産科医が減っているのは、医師が専門科としての産科を敬遠する傾向があるためだ。過酷な勤務実態が背景にある。
出産は昼夜を問わない。出産時に異変が起き、緊急に対処しなければならない事態の発生も少なくはない。医師としての緊張とストレスはいやがおうでも高まる。とくに大学や病院では、産科医の仕事は激務になる。
少し古いが、北大の調査では、年間の当直回数は平均123回。当直明けに休みがとれる病院はゼロだったという(数字は2004年)。
つまり、常勤の産科医が1人かせいぜい2人で夜間当直をしているか、または自宅で待機しているのだ。気の休まる時はない。
「余録」は、「子供はこの世の未来を携えて生まれてくる。産科医療を再建し、赤ちゃんを手厚い祝福と共に迎えることのできないような世の未来は暗い」という。まったく同感だ。
地域ごとに安心できる体制をつくることは火急の課題である。産科医だけでなく、小児科医や麻酔科医、助産師も確保できて医療の質が確保される。医師の増員はどうしても必要だ。(「世相を拾う」08053)
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滞納すると受診は減る-国民皆保険の実際
国民健康保険料(税)を1年以上滞納し、保険証の代わりに資格証明書を交付された人が受診する頻度は、全国保険医団体連合会(保団連)の調査で、一般の人の2%未満と極めて低かった。 資格証だと、自己負担分を除いた医療費を後で請求できるものの、窓口でいったん全額を支払わなければならないためとみられる。 各都道府県の国保連合会を保団連が調査し、2006年度に受診した医療機関数と回数を100人当たりで点数化。回答のあった39道府県の単純平均で、一般の人は774.7ポイントだったのに対し、資格証を交付された人は15.0ポイントとなり、受診頻度は一般の1.9%だった。資格証交付者の受診頻度が最も少なかったのは山梨県で2.1ポイント、最も多かった青森県は41.0ポイントだった。 資格証の交付は滞納対策として2000年度から義務化されたが、保険料の収納率は91%前後とほぼ横ばいで推移している。このため、保団連は「滞納対策としての効果が薄く、国民皆保険制度を崩すものだ」と批判。 また現在、保険料を1年以上滞納しても資格証は交付されない75歳以上も、4月からは資格証交付の対象となるが、「高齢者は外すべきだ」としている。 (共同通信社) 受診頻度、一般の人の2% 保険料滞納の資格証交付者 |
調査によれば、2つのことが浮き彫りになる。
資格証交付を、厚労省は滞納を減らすための手段として自治体が実施するよう指導してきた。
記事にあるよう2000年度からは、資格証の交付が義務づけられた。
ところが、滞納率が減少したかといえばそうではなく、この手法で滞納を減らすことはできないということが明らかになったわけだ。
もう一つは、タイトルにあるように、国民健康保険(以下、国保)の保険料を滞納している人の受診率がそうでない人に比べると、はるかに低いということ。
この問題が深刻である。受診が結果的に抑制され、受診をしないと病気は重篤化する。国民のいのちを守るべき医療制度が、こと滞納者にかぎっていえば機能をしていないということだ。
以下で、全国の自治体が運営する国保制度が危機に瀕していることをのべた。
この調査でもそれが追認された恰好で、記事が指摘するように、国民皆保険制度が崩れているといってもよい。
短期保険証が交付されるが、不安定な身分では安くなった保険料でさえも払えなくて、ついに資格証明書の交付を受けることになる。資格証明書という名の無資格であることの証明。10割全額を窓口で負担しなくてはならない。経済的に困窮しているから短期保険証、さらに払えなければ資格証明書ということになるわけだから、もともと医療費全額を窓口で払えることなど、不可能なはずである。理不尽ともいえるしくみなのである。保険加入者のセーフティネットがまったく機能していないことがこの道筋で明らかではなかろうか。 「クローズアップ現代」の警鐘-国民健康保険が崩壊する |
国保の加入者は、不安定雇用の労働者、零細な自営業者や高齢者などから成り立っている。
容易に推測がつくことだが、この集団がもともとリスクの高い集団である場合とリスクが分散される場合では、結果に差異が認められるだろう。国民健康保険は、自治体ごとの制度である。その点では加入者数に限度があって大数の法則も利きにくい。しかも加入者の構成の点で明らかにリスクの高い集団から成り立っている。零細自営業者、不安定雇用の労働者などの割合が多くなれば、疾病罹患率も相対的に高いと推測され、それが財政基盤をさらに悪化させるといえるだろう。 |
世界に冠たる日本の国民皆保険制度。
その皆保険制度が機能不全に陥っている。記事が伝えるのは事実上、保険でカバーされない人たちが私たちの周りには多数、存在しているということだ。本来の保険証をとりあげ、無資格であることを証明するともいえる資格証明書や短期保険証の交付の制度化がそれを生み出してきた。
構造改革は社会の貧困化に拍車をかけた。もともと制度的にもろさを抱えてきた国保制度の基盤をさらに危ういものにしている。国の国庫負担繰入で、国保が制度として機能するようにすべきだ。
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【関連エントリ】
崩れかけた国民皆保険-貧困を投影。
coleoの日記;浮游空間にも同文を公開しています。
患者の側からみる医療崩壊の経済。
【風】医療費抑制策が崩壊招く?
今回のタイトルがいわば結論だろう。
疑問符がついている。が、現状をみるかぎり疑問符なしでよさそうだ。
今回の記事は、ある開業医の意見を進行役として進められている。
この医師の意見を列記すると以下のようになる。
この間の、メディアもふくめた議論の深まりによって、おおかたコンセンサスを得ている意見だといってよい。
- 国が進める医療費の抑制策が、医療崩壊を推し進めているのではないでしょうか
- 病院の収入は減少し、全国で自治体病院が赤字で閉院に追い込まれています。この10年、給料は上がらないのに仕事は高度化されて専門性は増し、責任は増えるばかりです
- 先進医療は当然高度な設備を必要とします。しかし医療費の抑制で収入が減り、特に救急医療はやればやるだけ赤字が増えるのが現実です
- 24時間最高の医療を求めるならば、医療費が増大するのは当然です。当直医に複数の専門医をそろえ、看護師やレントゲン技師も充実させなければならないからです
- 国が補助を減額したばかりに国民の負担は増加し、病院窓口で支払う金額は増えるばかり。国は負担を減らす一方で国民には増やし、病院には収入減の政策です。これでは、現在の医療水準を今後維持することは不可能です
- 夜中に緊急手術で呼び出されても、わずかに上乗せされる程度です。ここから医師2人と看護師2人の人件費と、手術材料費を出さなければなりません。その上、翌日は通常の勤務が待っています
- 専門性が高く、消化器外科でもできる人が少ない膵臓(すいぞう)がん手術でも、部位によっては30万円ちょっと。車の車検に20万円くらいかかるご時世に、命の値段はこの程度です。お金かコネがないと、手術待ちが半年なんて時代は、すぐそこまで来ています
このうちのいくつかの点について、以下、大げさにいえば、開業医の意見をもとに、医療を経済学風にながめてみたい。
『クローズアップ現代』がみた自治体病院の今。で、自治体病院の窮状を扱った。
そこで、つぎのようにのべた。
経営的手法を迫るだけではない。総務省はまた、医師確保や効率化推進の方策として、自治体病院の再編・ネットワーク化に着手している。これは、地域の医療圏の中核病院に医師を集約化し医療機能を充実させる一方で、その周辺の病院は医療機能を縮小し、後方支援病院・診療所にするというものだ。だから、再編・ネットワーク化は、中核病院のある地域の住民には恩恵を与えるものの、縮小される地域の住民は医療水準が後退する。地域間で医療格差はむしろ拡大する。 住民に近いところで、かゆいところに手のとどく医療を提供することに従来の自治体病院の役割があったとすれば、総務省が考えているネットワーク化は、ちょうど対極のものだといえる。従来の姿が一つひとつの糸はたしかに細いが、網の目のように住民にちかいところまで広がっていたのに対して、太くはあるが、しかし目の粗い連携網をつくろうとしているわけだ。こうたとえることができるだろう。 |
民間ではやれない、不採算部門も担ってきた自治体病院。
地域住民からすれば、それだけに欠くことのできない医療機関であったはずだ。
けれど今、上のように再編・縮小の危機にさらされている。
救急医療は、多くの医療従事者と、多額の医療機器、検査機器を要する。だから、医療費は必然的に高くなる。
24時間対応となるとなおさらだ。
記事に登場する開業医が語るように、医療費削減のなかで不採算の度合いはいっそう進んだ。
しかも、経営的にも厚い人的な体制などのぞめない上に、患者の側の高い要求にこたえるために医師をはじめ医療従事者は疲弊していく。
公表されるのは地域から救急対応の医療機関が減少するデータばかりだ。
わずかな呼び出し手当てで、四六時中、よびだしの連絡に追いかけられる精神的緊張は、医師でないと分からない。
結局、臨調「行革」以来の社会保障費抑制政策のなかでも一つの柱に位置づけられた医療費。
社会的入院などという言葉は、長期に入院する高齢者の医療費を抑えるために使われた。故渡辺美智雄がいった「老人に金をかけるのは枯れ木に水をやるようなもの」はあまりにも有名になった。
医療費の構成という別の角度から日本の医療費をみてみると、諸外国とくらべて、特に日本が際立っているのは、薬剤費と医療機器である。別のいいかたをすると、薬品メーカーと医療機器メーカーは大もうけをしていることになる。
外科系学会社会保険委員会連合(*1)のホームページでは、つぎのようにのべられている。
31兆円余りの医療費のうち、約8兆円が薬剤の費用、約2兆円が医療材料に使われています。保険で使われている薬剤の価格は世界一高く、また医療材料の価格も外国と比べて大変に高く設定されています。 |
トータルにみると、医療費抑制策が崩壊招くという考えに首肯せざるをえない。
抑制とは、医療機関と患者にとってのそれであって、しかも患者は負担増を迫られてきた。
低く抑え込まれた医療費によって、人はふえず、医師も、看護師も疲れきっている。
しまいに医療の現場から立ち去っていく。
医療がついに成り立たなくなる。
今、日本の各地で起きているのは、簡単にのべると以上のようになる。
犠牲になるのは、患者国民であって、医師であり、看護師だ。一人、高笑いなのは、一部の大製薬メーカー、医療機器メーカーであって、彼らの利益確保は温存されてきたといえる。
医療費の総額はこうして抑制されたきたのだが、彼らのもうけ口はちゃんと確保されている。
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*1;同連合は「日本の医療費」について、つぎのようにのべています。至言です。
人口の高齢化が進む中で医療費の増加が問題とされ、これ以上の増加を抑制するために次々と医療制度改革が実施されています。このような改革がこのまま進められることが本当に良いのか、医療の現場にいるといろいろな疑問が湧いてきます。国民の皆さん方も政府の発表するデータやそれをそのまま伝えるマスコミの情報を鵜呑みにするのではなく、自ら考え、発言し、行動していただきたいと思います。そのためには先ずわが国の医療の現状をきちんと知った上で判断していただくことが大切ではないかと思います。
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ひろがる格差-国民健康保険加入世帯の現実
国民健康保険(国保)料の滞納によって国保証を取り上げられ「資格証」を交付された被保険者の2006年度の受診率が、一般の被保険者と比べて「単純平均」で51分の1に止まっていることが2月20日までに明らかになった。年所得200万円世帯(4人家族)の年間保険料が収入の2割以上の約43万円に上る自治体もあり、高い保険料等によって国保加入世帯の約2割・約474.6万世帯が保険料を滞納する中、保険料を「払える」世帯と「払えない」世帯で〝医療格差〟が大きく広がってきている。 国保負担能力で〝医療格差〟 |
国民健康保険の加入者がどんな実態にあるのかをみると、すぐれた制度といわれてきた国民皆保険制度が機能しているかどうか、これを判断できる。他の保険制度とくらべ、もっとも財政的基盤が脆弱だし、保険料はけっして安くはないからだ。
記事が伝えるところによると、いまこの皆保険が事実上の機能していないことを意味する。
引用部分にあるように、極端な格差が、受診という加入者のとる行為一つに如実に表れている。格差とは、払える世帯と払えない世帯のそれだ。ようは、相対的に所得の低い世帯も少なくない国保では、高い保険料が払えない世帯が増えてきて、資格証明書や短期保険証が発行されると、このことが受診を抑制していることが明らかになる。保険料を払えなくなると、医療機関から遠のいてしまう。
こうして、受診率という数字でみたら、実に344分の1という差異の大きさは、最低のところでは保険の底から抜け落ちているといってもよいだろう。事実上の無保険状態にあって、受診するできない環境に置かれている人がふえていることに注目しなければならないのではないか。
記事は、全国保険医団体連合会のていねいなデータを紹介している。ここに示されているのは、保険料の滞納が、保険から「はずされている」人をつくるという現実である。国保加入全世帯のうちに占める滞納世帯の割合は年々、ふえている。実際には、加入世帯の所得水準をもってすれば、保険料が高すぎるのである。もともと、厚労省は収納率向上を掲げて資格証の発行を義務づけたが、資格証の交付が収納率の向上どころか、むしろ滞納世帯がふえる結果になった。
ながめているだけでは事態は打開できない。
他のエントリーでふれたように、国と自治体の繰り入れ、それに加入者の保険料から基本的に成り立つ国保制度には、強い財政的介入がいる。とくに国庫補助の増額が必要ではないか。
さしあたり、資格証明書を交付するという方針を撤回すべきで、滞納世帯へのきめ細かい支援策が緊急不可欠であることはいうまでもない。
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朝日社説;「希望社会…提言」への逐条的コメント
1.社説のいう「「皆保険」は安心の基盤」というのは同感。国民皆保険というシステムのベースがあってこそ、医療への国民のアクセスが確保されてきた。
日本では、すべての人が職場や地域の公的医療保険に入る。いつでも、どこでも、だれでも医者に診てもらえる。「皆保険」は安心の基盤である。シッコの世界にしないよう、まず医療保険の財政を確かなものにする必要がある。 |
2.国民健康保険制度の財政は、加入者の保険料、地方自治体の拠出金、国庫負担から成り立っている。しかし、指摘されているように、貧困化のなかで加入者の負担が重くなっていて、保険料滞納額の増加につながっている。
そのため、提言にあるように、税金の投入が不可欠だと私も考える。その際、国の積極的な支援が必要なのはいうまでもない。
試算では、サラリーマンの月給にかかる保険料率は平均して約1ポイント上がる程度だが、自営業者や高齢者が入る国民健康保険は、いまでも保険料を払えない人が多く、限界に近い。患者負担を引き上げるのはもう難しかろう。皆保険を守るためには、保険料と患者負担の増加を極力抑え、そのぶん税金の投入を増やさざるを得ないのではないか。 |
3.後段の文章のとおり、医療は優先されるべき分野。どこが守備範囲とするのかが問題となる。医療にたいする国の責任ははっきりさせておくのが妥当。
ただ、前段の「社会保障を支えるためには消費税の増税も甘受」は無条件に受け入れるわけにはいかない。一つは、消費税というしくみがそもそも、再分配の機能をもつ社会保障と合致しない。消費税の逆進性を無視はできない。
第二に、社会保障の財源確保のために欠かせないという宣伝がふりまかれている。だが、国家予算の歳出構造を見直すことはできないのか。聖域を見直すことが先決ではないか。税制のあり方、思いやり予算に手をつけられずに低所得者ほど重い消費税を増税しようとする見識を疑わずにいられない。
因みに日本では、社会保障費の国家予算に占める割合は、アメリカよりずっと低いほどだ。
社会保障を支えるためには消費税の増税も甘受し、今後は医療や介護に重点を置いて老後の安心を築いていこう、と私たちは提案した。医療は命の公平にかかわるだけに、優先していきたい。 |
4.一部のムダをとりあげて、全体が「治療が済んでも入院を続けて福祉施設代わりにする。高齢者が必要以上に病院や診療所を回る。検査や薬が重複する」であるかのように聞こえる議論でもある。
現実には、多くの老人はいくつもの疾病を患っているわけで薬の量は他の世代と比較し多くなるのは当然だろう。
「福祉施設代わりにする」とか、老人にたいする医療について「枯れ木に水をやるようなもの」という悪罵は、老人の入院医療費を削るためのキャンペーンにつかわれてきたものだ。病院と福祉施設等、社会的資本の整備を重視し、その解消を図ることが第一義的な課題のように思える。特別養護老人ホームの待機者はどこでも数えきれないほど多いのが実情ではないのか。
在宅で、といっても所詮、かつてとは異なる家族構成に加えて最近の格差、貧困の拡大で在宅で老人をみる条件はなくなっているように思える。限界は目にみえている。
もちろんムダもある。治療が済んでも入院を続けて福祉施設代わりにする。高齢者が必要以上に病院や診療所を回る。検査や薬が重複する。こんなムダを排していくことが同時に欠かせない。 |
5.医師の絶対数が不足しているのが医療崩壊の根本の要因。欧米諸国と比較しても少ない。
医師は毎年4000人ほど増えているが、人口1000人当たりの医師は2人だ。このままいくと韓国やメキシコ、トルコにも抜かれ、先進国で最低になるともいう。先進国平均の3人まで引き上げるべきだ。医師の養成には10年はかかる。早く取りかからなければならない。 |
医師が充足するまではどうするか。産科や小児科など、医師が足りない分野の報酬を優遇する。あるいは、医師の事務を代行する補助職を増やしたり、看護師も簡単な医療を分担できるようにしたりして、医師が医療に専念できる環境をつくることが大切だ。 |
6.国が医療という分野は責任を負うべきものという認識を一致させる必要がある。
その上で、国民健康保険制度など自治体が運営主体という現状をふまえて、どう支えるのかという議論になる。保険制度である以上、単位を小さくすればするほど財政上は不安的になる。ようは大数の法則が成り立たない。
朝日の主張はこの点で首をかしげるものだ。政府の政策に引きずられている感が否めない。
以上の制度ができたとき、医師を計画的に養成するのは中央政府の仕事だ。しかし、それ以後は思い切り分権を進め、地域政府にまかせるべきだ。
前述した配置も、都道府県が地元の病院や医学部、医師会、市町村などと相談しながら決める。医師の多い県から出してもらう必要も生じるだろう。 |
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