森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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姜尚中『愛国の作法』から
昨年(2005年)の総選挙報道はショッキングだった。選挙期間中、マスコミ、特に電波媒体が一斉に小泉を応援し、自民党を大勝に導いたからである。「朝日新聞」が、小泉の「刺客作戦」を社説で称賛したのにも驚いたが、それにもまして、それまで「反政府的」と見られていたTBSやテレビ朝日が、小泉の狙った、議論の「郵政民営化」への一本化を煽りに煽ったことが、選挙の帰趨を決定した。 |
この05年の自民党を勝たせた背景にもかかわって、昨今の「右傾化」に姜尚中が言及している。姜の新著『愛国の作法』の一節である。それを以下に引用する。
日本では格差社会の生み出す矛盾とほころびがあちこちに析出してきている。だが、勝ち、負けの「二極化の中で呻吟しているはずの若者たちの問で帰属意識を鮮明にしてくれる『新・国体』論的なメッセージが意外とすんなりと受け入れられているのではないか」と姜は指摘する。なぜ、そうなのか。それを姜は明晰な言葉でのべている。
この間、私は幾人かの知識人とよばれている人たちの発言を長々と紹介してきた。それそれがそれぞれの信条や立場を反映した意見をのべている。その主張に違いを探し出すのは容易である。だが、私が重要だと思うのは、新自由主義と一般によばれている潮流がわれわれ国民に強制するものが格差社会であり、分断と差別であるとすれば、大同でどうやって一致し、連帯を構築しこれに反撃していくか、そのことに全力を傾注することが必要だと考えるからだ。その点で、いみじくも引用した山口二郎の言葉にあるように社会的連帯が不可欠だと考えるのだ。一連の知識人の発言の連続はそうした魂胆にもとづいている。
こうした中西に代表される「新・国体」論的なメッセージが、社会の中にどれほどの共鳴板を見いだしているのか、定かではありません。 ただ、首相の靖国参拝で国家に殉じた「英霊」を顕彰して何が悪い、中韓などの外圧に屈するな、こうした世論の声が、比較的若い世代からも盛り上がりをみせていることを考えると、そうしたメッセージの共鳴板は、特定の階層だけに限定されているわけではなさそうです。 興味深いのは、先に紹介したような、雇用や結婚、生活設計などで深刻なリスクを背負い、「勝ち組」と「負け組」の二極化の中で呻吟しているはずの若者たちの問で帰属意識を鮮明にしてくれる「新・国体」論的なメッセージが意外とすんなりと受け入れられているのではないかということです。その事情を少し考えてみましょう。前にも述べましたが、「市場を、市場を、もっと市場を」というスローガンのもと、こうした若者たちにとっては、あたかも国家や社会などというものが消滅したような、冷淡な環境が作られつつあります。そして社会の矛盾は、当の個人の生き方によって私的に解決することが強要されているわけです。つまり、社会はリスクと矛盾を生み出し続け、それらへの対処は、「自己責任」に基づいて個人によって解決されなければならないのです。お上に期待するな、自分の内側だけを見ろ、必要な資源は個人的な才能と意志、能力の如何にかかっている。これがリスク社会が押しつけるルールです。 二極化したリスク社会の弱者である若者にとって、「安心」と「安定」は絵空事にすぎません。彼らは、椅子取りゲームの椅子のような場所を求めて、右往左往し続け、そのあげく「負け組」の終わりなきゲームに付き合わされることになるのです。 しかも、弱者としての若者たちが連帯する可能性はほとんどなくなりつつあります。自己責任や自己決定と裏腹のリスク社会では他者とのつながりの弱い、無定型な原子化(アトマイゼーション)が進行していかざるをえないからです。 しかしながら、自分以外の人間と融合したいという欲望は、人間の最も「根源的な熱情」(工ーリッヒ・フロム『愛するということする』)です。ただ、その融合がネガティブな媒介、つまり不安や心配、憎悪のようなものを接着剤にしているとしたらどうでしょうか。そこに成立する共同体は、とりとめのない感情と同じように、焦点の定まらない、もろくてはかない共同体です。それは、共通の不安をひっかけておくべき「洋服掛け」のようなものにすぎません。 しかし、そのようなはかない共同体も、メディアのポピュリズム的なヒート・アップによって煽られると、熱狂的な連帯感情を生み出すことがあります。つまり、いつもは公共的な事柄に無関心な人々が、忽然として過政治化し、熱狂的な盛り上がりをみせることがあるのです。政治の世界が見世物と化し、そこにメディアが読者や視聴者の気を引く素材だと思って飛びつくとき、そのような過熱化が起きることになります。 「郵政民営化」をめぐる「小泉劇場」は、そうした過熱化の格好の事例でした。弱者である若者たちが、自己責任の個人化を推し進めていく小泉劇場の桟敷に陣取り、熱烈な工ールを送っているさまは、やはり異様な感じがします。そこからは自分たちの「墓掘人」にせっせと熱を上げる倒錯した構図が浮かび上がってきます。 なぜそうなったのでしょうか。恐らく彼らにとって、かつての高度成長期の「安心社会」を代表するような戦後民主主義そのものが呪誼の対象になっているからではないでしょうか。中西が辛辣に揶揄している「朝日」などの「左翼マスコミ」や「進歩的知識人」、護憲政党や労働組合、経済団体などは、そうした「体制化」した戦後民主主義に「寄生」する既得権の権化のように映っているのかもしれません。 それらをぶっ壊すいう小泉前首相の「ワンフレーズ・ポリティックス」こそが、何かを変えてくれるかもしれない清新なイメージに思えたのでしよう。このねじれた関係が小泉劇場を盛り上げ、そして国家への求心力をより高めることになったと思います。なぜなら、国家は、手に触れることのできない程の共同体として、彼らの幻想的な願望を決して裏切ることなく引き止めておくことができるからです。 |
曰く、
辻井喬の不満は、僕の不満でもある。どうして、いわゆる左派とか市民派は、偏狭ってゆうかブランド志向なんだろう。イメージにすごく囚われる。愛国心だって、先入観を排して向き合えば悪いもんじゃないだろう。米映画にしても、チャップリンでも、アルドリッチでも、愛国心に懸けて権力批判をしている。僕なんか、それが当たり前だと思うのに、通じない。愛国心=国家主義なんて、思考停止じゃないか。だから、愛国心で、アドバンテージを取られてしまってる。違うんだ。「愛国なら護憲でしょ」。なんだけどなあ。
まさにBLOG BLUESさんの面目躍如、っていえる。大同での一致とは、護憲・平和・愛国で手をつなぐことに他ならない。
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山口二郎が「構造改革」をふりかえる
「構造改革」の名のもとに社会保障が大きく後退してきたことは周知の事実だ。小泉純一郎の5年間の政治は日本社会をある面では破壊してきた。弱者への配慮など、他者にたいするまなざしをまったく私は感じることはできなかった。そのことは弊ブログでも再三、のべてきたつもりだ。それは、「小さい政府」という言葉をあやつることで、国民に自分のことは(自分の責任で)自分でやりなさいという思想をおしつけるものであった。
また小泉の5年間は、不平等と格差を日本中に広げてしまう一方で、対米従属のいっそうの深みに日本を陥れ、そして戦争への道を大きく開いてきた5年間であった。その小泉から安倍晋三が政権を引き継いだ。安倍が首相になって、2カ月をわずかに超えた地点にわれわれは立っている。この2カ月だけでも小泉政治のツケがぎつぎと噴出している。
ちょうど安倍が政権を引き継ごうとする時期に山口二郎が「社会保障の今後と日本政治」と題し講演している。山口は講演の最後で、つぎのようによびかけ講演をしめくくった。
私たち個人は自らの脆弱さを認識することが必要であると思います。しかし、個人個人の力は弱いけれど、社会全体でリスクを背負い、連帯をすることによって一人で苦しむことから回避できます。 |
「平和と平等」を求めるあらゆる政党・団体、人間が連携・協力しながら悪政に対抗していくことを山口は強調したのだった。
講演の一部を紹介する(『社会保障』、講演は9月、中央社会保障学校で行われている)。以下の引用部分は、いかにして小泉「構造改革」がもちだされたのか、それはどんな手法でおこなわれたのかに言及した部分である。山口はその上で、日本の現状を打開するための1つの考え方を提示している。
バブル期によって80年半ば、国民の総中流社会が形成されました。しかしその後、90年代のバブルの崩壊また冷戦の終結後等の急激な財政危機が起こりました。 1990年代、規制緩和・民営化がグローバルスタンダードの名の下に進められ、市場原理が浸透していきました。日本政府はバブルが崩壊した後大きな借金を背負いながら、公共事業を進めていきました。企業は、生活経済での競争原理の中で、税負担が足かせになって厳しいたたかいを迫られました。競争力を高めるために、労働者は使い捨てにされていきました。 それまでは、規制により競争が不十分であった結果、消費者物価一般が高かったことと、談合などにより公共事業のコストが外国よりも高いなどにより、高コスト社会の道を進みました。そして、裁量の弊害、金融業界の乱脈経営や交付税措置の乱用、無益な公共事業がおこなわれるなどのモラルハザードの蔓延により、日本におけるリスク社会化の限界に達していました。 日本の政府が行っている裁量的政策の弊害はその政策自体が不透明性であり、必然的に腐敗汚職が蔓延するということです。一例としては、ゼネコン、旧大蔵省と銀行の癒着、薬害の問題が挙げられます。「裁量的政策はけしからん。汚職や腐敗の温床だ」という論調の中で、小泉政権が生まれました。 彼の人気はどこからきたのかを考えてみたいと思います。私は、小泉政権によって多くの痛手を被っている当人である弱者が、小泉政府の掲げる「小さな政府」を支持することに対して、理論的な説明はつかないと思います。しかし、可能性として考えられることは、小泉首相は「弱い者いじめ」をしているようには見えないことが彼の支持率に寄与していると思います。裁量的政策の中で自分のふところの肥やしを増殖させてきた議員を巧みな手法であぶり出し、国民からの支持を勝ち取りました。メデイアなどで汚職がクローズアップされる中、このように官に汚職がはびこるのならば、小さな政府が好ましいと考える国民が増えてきたのです。「小さな政府」=自由、という錯覚が生まれてしまいがちになります。郵政民営化についても同じ流れの中にあり、同じ説明がつくと思います。 次に、日本の現状と誤った処方箋についてお話します。日本の社会は、リスクの普遍化をしていく必要があります。日本的セーフティネットは崩壊し、企業の終身雇用制度がなくなり、地域社会がなし崩しになり、公共事業が削減されました。また、官から民への流れの中で、起こっている民のモラルハザードには、目を見張るものがあります。粉飾決算や、耐震偽装をはじめ、生命、財産への脅威となっています。ガス器具やプール監視の問題などは、最近のモラルハザードの代表例です。安全はタダではなく、むしろリスクの社会化を進め、安全にはお金をかけていくべきであるのだと思います。また、自然災害と環境のリスクに関しても今まで、北日本の雪害で100人の生命が奪われたことはありませんでした。 |
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「労働の融解」 -ホワイトカラー・エグゼンプション
われわれの労働は今後、使用者のいうがままになっていくのだろうか。こんな不安を抱かせるような労働法制の改変がおこなわれようとしている。
ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を検討している厚生労働省が、対象労働者の要件として年収1000万円以上を軸に検討している。年収1000万円以上の民間給与所得者は全体の4.8%といわれている。男性に限ると7.2%になる。労働政策審議会の労働者側委員は、導入自体こ強く反対している。長時間労働を助長する懸念も消えていない。
厚労省は、対象者を管理職一歩手前で一定の権隈を持つ労働者と想定。使用者側が主張する「4百万円以上」では幅が広すぎると判断している。これに対し労働者側は「規制がなくなると際限なく働かされてしまう。現に規制のない管理職の過労死が多い」と主張。労働基準監督署の関係者も「年収が高いからといって、体が丈夫になるわけではない」と言う。 働き過ぎが原因の脳・心臓痴愚で昨年度に労災認定された人は330人と過去最高だった。うち過労死は157人に上る。長時間労働の問題は深刻化する一方だ。(西日本新聞、11・26) |
ホワイトカラー・エグセンプジョンはこのように労働時間規制の基本的な考え方を根本から変えてしまう規制緩和政策だ。
日本の労働時間規制は、使用者が働き手を時間外・休日労働に従事させるときには、36協定(労働基準法の条項36条でそれを定めることから、われわれはこれをサブロク協定などとよんできた。協定締結にあたっては厚生労働大臣告示が定める上限を超えないように規制)を締結してその範囲にとどめるように義務づけている。さらに、1日8時間・1週40時間の法定労働時間を超えたときには25%増し、週1日の法定休日に出勤して働いたときには35%増し、午後10時から午前5時までの深夜の時間帯に働いたときには25%増しの割増賃金を支払う義務を使用者に課している。そして、厚生労働省通達は、使用者に対して、労働者の労働日ごとの始業・終業時刻を確認・記録することによって労働時間を適正に管理するよう求め、その方法も、「使用者自ら現認」または「タイムカード、ICカードなどの客観的な記録を基礎とする」ことが原則で、「労働者の自己申告」はやむを得ない場合に限るよう求めている。
だからこそ、今回は1000万円を超える者が(割増賃金の)「適用除外」の範囲にされたとしても、今後この適用除外の下限がさらに引き下げられる懸念を否定し去ることはできない。
エグゼンプション制度の問題点を、中野麻美はつぎのように明快に指摘している。
収入のための労働に充てた時間は、その分、休息や生活のための時間を奪うから、働き手の自由を確保するという労働時間規制の本旨からすると、収入のために労働者がどれだけ拘束されているのかを把握することが重要だ。しかし、「働いたかどうかを可視化できる「結果」で支払いたい」「それが最も公平なやり方である」という考えとともに、「労働時間」の否定がすすむ。エグセンプジョン制度は、そうした労働時間の否定の究極の姿であって、これが認められるようになったとき、労働時間の否定はもっと大規模にすすむだろう。なぜなら、その適用が可能になる仕事は「ホワイトカラー」といわれる事務労働に限らないからだ。割増賃金の支払いをめぐって争いになっているケースで、「本当に働いていたかどうかわからない」という反論が出される仕事は沢山ある。外食産業で働く店員や福祉施設で働くケアワーカーのような、ローテーションで組織されている仕事でさえ、労働時間の否定にあっている。これらの仕事までまるごと「エグセンプジョン」(除外)の対象になりかねないのだ。(中野麻美『労働ダンピング』114頁) |
労働ダンピングの実態を事例をあげて弊ブログでは別のエントリーでとりあげた。いま一度ふりかえると、それは、ダンピング競争の波にまともさらされる商取引化する非正規雇用を一方に、他方に「ノルマ」「成果主義賃金」「自爆」などのように請負化する正規雇用を置くという労働の二極化がすすんでいる姿であった。共通しているのは、中野の言葉でいいかえると、労働法による規制が機能せず、使用する側本位で決めた値段で働き手が自己責任で成果物やサービスを提供する「労働の液状化」である。ここに作動しているのは市場原理である。条件を決めるのは各人の力しかない。こんな労働の液状化という環境のなかで、働き手=労働者にとっては労働が苛酷な条件で取引される商品に収斂していくことを中野は「雇用の融解」と呼んでいる。
したがって際限のない労働ダンピングが横行することになる。低コストでダンピング可能、そして法制によって拘束されることなく、権利を働き手に保障する必要もないとなれば、商品としての労働の競争力は強力だ。こんな労働が正規雇用との競合関係に置かれたとたんに、こんどは正規雇用に影響が及び、そのなかでの「値崩れ」、競争がはじまる。
ホワイトカラー・エグゼンプションはこんな総体ですすめられる「労働の融解」の1つの表現だといえる。
ホワイトカラー・エグゼンプション
米国の労働時間制度の一つ。給与額や仕事内容の要件を満たせば、労働時間規制の対象外となり、週40時間などの親制を超えて働いても残業代が出ない。厚生労働省の素案は「自由度の高い働き方にふさわしい制度」と名付け「労働時間に関する一律的な規定の適用を除外する」としている。健康確保のため週2日以上の休日を義務付けることも盛り込んだ。年収400万円以上のホワイトカラー労働者に導入されると、1人当たり年2-400万円の残業代が失われるとの試算もある。(西日本新聞)
アメリカでは、公正労働基準法で、週40時間を超えて使用するときには労働者の通常の賃率の1・5倍以上の賃金を支払うことが義務づけられているが、こうした労働時間規制の適用から除外されるホワイトカラー労働者が、報酬ベース、報酬水準、一職務によって定められている。2004年に規則が改正となり、適用除外の報酬水準は週給455ドル、適用除外できる職務は、ファーストフード店のアシスタント・マネージャー、工場や建築現場のチーム.リーダー、会計・マーケティング・庶務等の担当者に至る広範囲なものとなった。.アメリカ労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)は、これによって新たに600万人が適用除外の対象となったと指摘している(連合「アメリカホワイトカラー・イグセンプジョン調査団報告書」)。こうしたエグセンプジョン制度を日本にも導入しようというのである。(中野麻美『労働ダンピング』)
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辻井喬 -未来を若者に託す
作家・辻井喬が九条の会・憲法セミナーで講演している。辻井は25日に開かれた今回のセミナーではゲストとして参加。同氏は、護憲派・良識派のうちに潜むタブーにも大いに挑み、見直そうとよびかけた。タブーとは、ナショナリズム、共同体、伝統という言葉を前にすると、体質的に反応し、アレルギー状態にいたることを指している。なるほど思い当たるふしがあるし、私自身もこんな言葉にふれると、身構えたり、ちょっとまてよといいたくなったりするのがこれまで常であった。
九条の会が全国で5639の会がつくられたという。憲法セミナーで明らかにされた。これだけの大きな、ゆるやかな組織に成長した九条の会の真価がこれからいよいよ問われることになる。
辻井は講演のなかで、目取真俊と同様にマスメディアの「手法」にふれている。二者択一の選択として描くのは、分かりやすい構図に単純化して読者に示すマスコミの恣意、と目取真は指摘したが、一方、辻井は以下のように語っている。
われわれはメディアのハカリにのせられていないでしょうか。「大きな政府か小さな政府か」、「社会主義か自由主義か」といった二項対立は、一種の脅迫です。これに惑わされてはいけないと思います。 |
そして、将来は若者に託すしかありません、という。講演要旨が「しんぶん赤旗」(11・27)で報じられている。以下、紹介する。
いま政治とか経済の世界にいる指導者はどう考えてもおかしい。今度の国会でも強引に教育基本法改正を成立させようとしていますが、いままでの基本法を読んでみても一つも変なことは書いていない。どうして改正しなければならないのか。 たしかに日本の社会にはかなり退廃、堕落してきている徴候がみられます。たとえば、基本法について国民の意見を聞こうという場で政府が事前に話をして、政府案に賛成の発言をしろという。こういう人を教育しなおさなけれぽなりません。 首相は五年で憲法を変えるといいますが、私は無理だと思います。でも、もし教育基本法を変えたら、20年くらいして「愛国心」や「日の丸・君が代」の強制で教育され、主体性をなくしたおとなが育つ。そこで、国民投票法で投票をさせれば、改憲は完成するかもしれないと、彼らは計算をしているのではないか。 彼らは長期戦です。私たちも長期戦で取り組まないといけません。 情勢はきびしい。でも決して悲観していないんです。「九条の会」も全国でたいへんな勢いで増えています。可能性はまだまだ残されています。 昔のような日本にすることが可能だと思っている政治家は、狂信的で国粋的で排外的な日本ができると思っているようですが、それがいかに幻かはっきりさせなければいけない。世の中は世界的規模で変わってきている。国民投票法案も共謀罪もすべて噴飯ものの極悪の法律です。 なかには、日本は唯一の被爆国なのに、核保有について論議すべきであるなどという愚かなことをいう人がいる。おそらく彼らは高校で世界史を勉強しなかったのではないでしょうか。 憲法でも、よく説明すれば本当は圧倒的多数が護憲派です。 われわれはメディアのハカリにのせられていないでしょうか。「大きな政府か小さな政府か」、「社会主義か自由主義か」といった二項対立は、一種の脅迫です。これに惑わされてはいけないと思います。 憲法を守っていく良識の側も、タブーをなくしていかなければならない。たとえば「ナショナリズム」といっても、排外的狂信的なナショナリズムだけではなく、平和的なクリエイティブなそれもある。新しい、いい「共同体」をどうやってつくったらいいかという議論もあります。日本の「伝統」についても、悪い人が悪用したからいけないのでありまして、いい人が善用すれば伝統ぐらい創造の源になるものはないのです。 将来は若者に託するしかありません。若者に潜んでいる可能性を少しでも見つけて、対話を深めていくことがいま求められると思います。 |
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鎌田慧 -マスメディアの現状を語る
昨日のエントリーで目取真俊がマスメディアの実態に言及していた。「二者択一の選択として描くのは、分かりやすい構図に単純化して読者に示すマスコミの恣意(しい)であり、それはまた、そのような選択を強制するヤマトゥ(日本本土)の沖縄に対する権力(支配)構造を隠蔽(いんぺい)するもの」というのが目取真の主張の中心だった。それと同じ点について別の視角からルポライター・鎌田慧が語っている(「新聞に批判精神はあるのか」、 憲法メディアフォーラムwebサイト)。(権力への)批判精神を失った記事は、たとえば「選択を強制するヤマトゥ(日本本土)の沖縄に対する権力(支配)構造を隠蔽(いんぺい)する」ものだという指摘がそのままあてはまる。鎌田がいうのは、より実践的で、視点を国民の側におくということである。
また、鎌田はマスコミの取材力にもふれている。こんにちマスメディアの取材力についてはしばしば議論されるところだ。省庁の報道発表の資料のみによる記事、あるいは報道にふれ苦々しく思う毎日である。むろん中には秀抜な記事や報道があるのも事実だが、しかしそれは決して多くない。
鎌田の以下の言葉は基本的にはジャーナリズムに身を置いている人たちに向けられたものだが、それだけではなく、あふれるほどの、多様な情報のなかから何を選び取るのか、そして正確に判断することをわれわれ国民に要求しているものだと理解しないといけないだろう。鎌田の言葉はそのヒントを与えてくれている。
自縄自縛に陥るマスメディア 北朝鮮の核実験問題は「恐怖をあおる」という意味では安倍政権の追い風になっているでしょうね。安倍氏は拉致問題の急先鋒として登場したが、彼は解決のために自分で考えて何かをしてきたわけではない。しかし、NHKや民放が繰り返し報道し、それに伴って安倍氏は支持層を広げた。 マスメディアの相乗効果、自縄自縛のなかで、新聞が政権批判をするのが難しくなっている。自民党の中川昭一政調会長がテレビの討論番組で「憲法でも核保有は禁じていない」と発言したそうだが、小泉前首相が憲法の前文を使って派兵したのと同じですよ。憲法の世界観や宇宙観を切り刻み、都合のいい部分だけ切り取って使う。憲法の冒とくなんだけど、メディアもそれを批判できない。 冷静に考えれば、北朝鮮のような生産能力の国が、戦争を起こすことなどあり得ない。なのに、なぜそういう考えに走るのかといえば、そちらの方が声が大きいからですよ。右派マスコミの勢いが強くなり、それに対抗することなく、じりじり後退してものを言わなくなってきた。 敗戦後、この国の人々は、戦争に対する反省と屈折があって、戦争に批判的な世論ができて民主主義が大事だという意識が強かった。戦後の首相であっても、そうした大衆の感情から遊離したかたちで発言すると必ず足元をすくわれた。 新聞は情報産業ではない |
*誤作動により記事を削除してしまい、たいへんご迷惑をおかけしました。おわびいたします。
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格差社会 -労働ダンピングで何が起こるか
格差がこんにち、さまざまな形で論じられている。少し周りをみわたせば、だれもがそれを実感するような日本社会をおおう格差がそこにある。いまわれわれが目の当たりにする格差とは「社会の貧困化」を表わすそれである。
中野の著した本著の、いちばん最初の章のタイトルは「いま何が起こっているか」というものである。そこにはすさまじい実態を示す事例があげられている。本著全体にかかわっては別の機会に紹介したいが、ここでは第1章であつかわれている事例をあげたい。
感じるのは、これらのケースはいずれも雇用と労働にかかわる格差が生み出すさまざまな問題であるが、それは同じように社会のさまざまな場面で経ち起こる事象に共通しているということである。最近の教育における、噴き出した諸問題のように。
【ケース;低賃金・細切れ労働】 10年以上にわたって精密機械製造会社で働き続けてきた50歳代の女性は、最初は一年契約だったのが10年目に半年契約に変えさせられたうえに次の契約時には、「時給ダウン」と勤務時間「短縮」を呑まなければ雇用は保障しないと通告された。彼女は、正社員以上に会社に貢献してきたという自負をもっていたこともあって、この通告はひどくこたえた。女性は悩んだ末、「承服できない」「これまで通りの条件で働きたい」と返事をしたが、会社は彼女の雇用を打ち切った――。このケースのように、期問満了時に契約条件の変更を通告されたという相談が受けている。変更される契約条件は、使用者の都合によってありとあらゆる労働条件に及んでいる。 契約期間の「細切れ化」も進んでいる。ある信販会社に働く30歳代の女性は、10数年前に働き始めたときには1年契約だったが、その数年後には半年契約、そのまた数年後には3か月契約になって、数年前からは1か月契約で働いている。職場に貢献してきた期間が長ければ長.いほど契約期間が短期化するなどという「細切れ化」は、これまでの常識では考えられなかったことだが、最近では、「2年契約を2回、6か月契約を12回、3か月契約を4回更新して、最後は契約満了で解雇」(41歳・男性・営業派遣・時給1800円)とか、ハローワークを通して就職した時の話では6か月更新という条件だったはずなのに、それが3か月更新になったり1か月更新にされたり、使用者の都合に応じて契約期問が変更されたといった苦情も少なくない。
「管理監督職」が最低賃金以下の時給で働くという、かつてならばまったく考えられなかったようなことも起きている。若い人たちが「店長」とか「チーフ」とかの肩書きをつけられて、死んでしまいそうな過酷な働き方に巻き込まれていて、親たちから、このままでは死んでしまう、と訴える相談も増えている。一日8時間、週40時間を超えて働かせたときに支払うことが義務づけられている割増賃金も支払われない。労働基準監督署に申告すると、使用者から、「時間外労働は命じていない」「時間外になるのは能力がないから」「割増賃金を支払わなくてもよい「管理監督職」だから」と弁明されたりする。外食産業など過当競争のなかでコスト削減への要請がいっそう強まる分野では、若い働き手を店長として採用し、その下にアルバイトを配置して管理させている。こうした店長たちから、深夜過ぎまで1日16時間働くが、固定給だけで時聞外等割増賃金は支給されないという相談が結構ある。あるケースでは、実際に働いた時間で固定給を割ると、時間あたり670円強と、714円(2005年10月1日現在)の東京の最低賃金はるかに下回ってしまっていた。労働基準法に基づく時間外・休日・深夜割増賃金不払いの総額は2年間で300万円を超える程の長時間労働だった。 彼の身分は契約社員で、昼間の勤務が時間給800円、夜間の勤務で1000円である。時給800円といえば東京の最低賃金714円を上回る水準ではあるが、単身生活でも、住居を確保し、水道光熱費や通信費を支払ってその日その日を工夫してぎりぎりの生活をつなぐとしても、これを長期間続けることは困難だ。まして、子どもを育てていくことなど不可能で、パート就労しか働き口のないシングルマザーの生活は深刻だ。この条件で、政府が労働時間短縮目標として掲げていた、年間1800時間まで働く時間をセーブしたとすれば、年収は140万円強にしかならない。これでは、国民に健康で文化的な生活を営む権利を保障する憲法25条を受けて制定された生活保護法に基づく給付の水準を、はるかに下回る。 【ケース;社会からの排除】 30くらいの事業所で正社員事務職として13年働いてきたFさんは、上司から呼ばれて「営業所が赤字なので、社員からパートになってほしい」と言われた。また、9年間勤務してきた別の女性は、それまで女性だからというだけで「補助」扱いされてきたのに、事務所から「補助」にとどまるなら時間給で1年契約で働くパート社員に転換させるという通知を受けた。「いまさら」という思いと、親の介護の必要もあって、これまで通りの条件で働きたいと返事をしたら、解雇されてしまったという。親の介護や子どもの世話など、家族的責任を主に負担している女性に「正社員で頑張る努力が必要」といっても、いったいどうすれぱ残業対応の可能な働き方ができるというのだろうか。 【ケース;いじめやハラスメント】 |
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目取真俊、沖縄県知事選をふりかえる
今回選挙戦の最大の争点は、新基地建設・米軍基地再編問題だったと私は思うが、目取真がいうように、それは、基地か経済かに置き換えられた。基地問題についていえば、政府と一体となって本来、新基地建設を方向づけようとする勢力の推す候補者までも、あたかもそれに反対するかのように有権者の目には映る構図のもとですすめられたのである。
目取真は同時にマスコミの報道姿勢にも厳しい目をむけている。文中にある「二者択一の選択として描くのは、分かりやすい構図に単純化して読者に示す」のは何も今回の県知事選ばかりではない。その意味では、権力(支配)構造を隠蔽(いんぺい)する機構のなかにマスコミはいまやどっぷりとつかってしまっているといえるだろう。
仲井真の当選で基地問題の解決はさらに遠のいた。目取真が指摘するような隘路に実は仲井真自身(と推した自民、公明)が陥っている。今後の動向をはじめとして県民のみならず国民の監視がいっそう重要になる。
ヤマトゥにむけた目取真の指摘は鋭い。全文を転載する(朝日新聞、11・25)。 (文中のルビは()内のひらがなで示した-引用者)
「基地か経済か」で語るな
沖縄県知事選挙といえば、1998年の大田昌秀氏と稲嶺恵一氏の対決以来、基地問題か経済問題か、という構図で論じられるようになってきた。今回の糸数慶子氏と仲井真弘多氏の選挙においてもそうだ。そして自民党と公明党の推す候補者が当選するたびに、沖縄県民は基地問題よりも経済問題を優先して選択した、という解説がマスコミではなされる。だが、基地問題と経済問題のどちらを優先させるかという二者択一の構図が設定されること自体、本来ははおかしなことだ。 沖縄県民にとってどちらの問題の解決も重要であり、同時並行して進めてほしいという人が大半だろう。爆音被害や事件・事故の危険性に日々脅かされている基地問題も、失業率が全国平均の2倍という水準が恒常化している経済問題も、どちらも切実な課題としてあり続けているのだから。 それを二者択一の選択として描くのは、分かりやすい構図に単純化して読者に示すマスコミの恣意(しい)であり、それはまた、そのような選択を強制するヤマトゥ(日本本土)の沖縄に対する権力(支配)構造を隠蔽(いんぺい)するものだ。全国に47ある都道府県の知事選挙で、基地問題か経済問題かという二者択一の選択が強いられる選挙が、沖縄以外のどこにあるというのか。 それを強いているのは、厚木や横田、岩国、三沢などの一部の地域を除いて、米軍專用施設の大半を沖縄に集中させている日本人の多数意思に他ならない。そのことを自覚しないですますために、沖縄の「苦悩」や「苦渋の選択」が強調され、県外や国外という選択肢は考えられず、沖縄県内での基地『移設」しかないかのようにヤマトゥのマスコミは描き出す。 そしてあたかも、沖縄で米軍墓地の『整理・縮小」が進まないのは、「15年便用期限」や[軍民共用」を持ち出した稲嶺知事のせいであり、県内で反対運動が起こったから、つまり、沖縄県民自身の責任であるかのように描き出す。 日米安保体制の必要性を言いながら、自らはその軍事的負担をになおうとしない虫のよさをごまかすために、問題をすべて沖縄という枠の中に押し込めようというのだ。そうやって、社会学者・野村浩也氏のいう『無意識の植民地主義」は再生産されていく。 だが、そういう欺瞞(ぎまん)的なやり方で基地問題が解決するはずはない。今回の選挙も少し注意深く見れば、仲井頁氏が当選したからといって昔天間基地の辺野古沿岸への「移設」が容易でないことは分かるはずだ。 仲井真氏にしても、V字形滑走路をもつ政府案を肯定しては当選できないのが自明だったから、「県内移設」容認をにおわせながら政府案には反対するという曖昧(あいまい)な立場を取らざるを得なかった。稲嶺知事がよく「マグマ」という言葉を使っていたように、基地問題への怒りや不満、苛立(いらだ)ちは沖縄の中に絶えず潜在している。これから政府との協議で自らの選挙公約をなし崩しに転換しようとするなら、仲井真氏もまたその「マグマ」に脅かされるだろう。 それは日本政府に対しても言える。沖縄に対して高圧的・強権的に基地政策を進めるなら、いずれ窮地に陥るのは政府の方だろう。反基地感情と反ヤマトゥ感情が合わさって「マグマ」の圧力が高まるとき、それがどういう形で噴き出すか分からない。 |
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石原慎太郎が都政私物化? -トーキョーワンダーサイト
22日には日本共産党東京都議団が石原の「肝入り文化施設」に自らの四男を関与させていたことを明らかにした。
同党都議団の発表では、都の文化施設は経営効率を押しつけられ軒並み予算が削られている一方で、「若手芸術家育成」の名で石原がトップダウンではじめた「トーキョーワンダーサイト」の補助金が4年間で増えつづけ、8倍以上に増額している。その上、同施設の運営は都の承認なしに事業計画が変更されるなど不明朗で、都の監査でも問題にされていたという。(下図表をクリックすると拡大します)
同都議団は、知事の四男・延啓(のぶひろ)氏を設立時から深く関与させている事実として以下をあげた。
①2005年2月にニューヨークでおこなわれた公共芸術サミットの東京都代表4人の1人として参加させ、「トーキョーワンダーサイト設立に参加」という紹介文を送っている
②03年3月にはワンダーサイトコミッティの諮問委員の名で、55万円の公費を使いドイツ、フランスに出張している
③施設第一号の御茶ノ水のワンダーサイトに飾られているステンドグラスの原画の作者で、その事実を都民や都議会に隠している
さらに、石原と知己の関係である今村有策なる人物の都参与選任と同施設館長任命を01年12月20日におこない、今村の妻・家村佳代子氏を06年4月からワンダーサイト副館長、青山館長に採用するなど、一族支配の実態を明らかにした。
この事実をつきつけられた石原は24日の記者会見でつぎのように答えている。
「ちゃんとした手続きを踏んでいる。息子でありながら、立派な芸術家ですよ。その人間の人格を踏まえて仕事をしてもらっている」と、問題はないとの見方を示した。その上で、「余人をもって代え難かったら、どんな人間でも使いますよ」
都によると、四男は03年3月、都の文化行政担当の参与や都職員らと、石原知事脚本の「能オペラ」の準備のためにドイツやフランスに出張、四男の航空運賃や宿泊費計55万円を都が全額負担した。四男は同月、1カ月間だけ都の外部委員の嘱託を受けていた。石原知事は四男の出張理由を、「(四男がオペラの)音楽家と一番親しいから、(外部委員を)委嘱して(欧州に)行ったんでしょう」と説明。「息子の名誉のために言いますけど、一応の絵描きだし、キャリアがあって、いろんな人を知ってるから。そういう芸術家というのはそうたくさんいないからね。そういう点で私は便利に使ってます、都としても」と、四男の起用は妥当だと主張した。 |
「余人をもって代え難かったら」とは大上段に構えたものだが、それが重用の理由ならば四男の技量がどれほどのものかを都民に知らせる必要があるだろう。石原の以上の言葉だけ聞かされただけでも、いかにも歯切れが悪い。ふりかぶったものの、「一応の絵描きだし、キャリアがあって、いろんな人を知ってる」と、ほとんど自ら豪語したことを否定しているようなものだ。
東京と知事選を控えている。しばしば耳にする石原の右翼的な発言も許されないが、これはまさに都政の私物化という言葉があてはまる看過できない問題だ。
トーキョーワンダーサイト;新進・若手芸術家の育成を図るとして2001年12月、文京区本郷の教育庁所管の御茶ノ水庁舎を改修してスタートしました。その後、ワンダーサイト渋谷、同青山を開設。さらにもう1施設の開設を予定。04年度の都の監査では、事業をチェックするために設置されたコミッティ委員会が年1回しか開かれず、事業計画の決定や決算の認定が審議されないまま委員長の決済だけで処理されていることや、都の承認なしに事業の変更が行われ、事業計画と実際執行された内容も金額も大きく違っていることなどの問題が指摘されています。(しんぶん赤旗)
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久間防衛庁長官が違反入居? -税金のつかいみちはこれでよいのか
こんな大企業への大盤振る舞いの一方で、閣僚たちの議員宿舎の違反利用という「税金のむだづかい」を『週刊ポスト』がとりあげている。
分かりやすくいえば、大企業への減税分を庶民からの増税分でまかなう方向に税制をいっそうかえていこうとする裏側で、こんな税金のつかいみちがあっていいのか、そのことを同誌は問うているのだ。
ポスト誌によれば、俎上にのせられているのは衆議院高輪宿舎。地上11階、地下1階。なんでもトレーニングルームを完備し、3LDK・83平米で家賃は月額約6万円という。同じ広さで近辺では家賃相場が25万円というから4分の1になる。この議員宿舎が来年、統合されて完成する赤坂宿舎に議員は移ることになる。その新宿舎は地上28階、地下2階で、82平米、3LDK。ラウンジが最上階にあり、無料駐車場、談話室、保健室、トレーニングルームを完備、こちらも家賃は6~7万円という。
同誌が問題にしているのは、つぎの疑惑である。
歳出カットが求められる中、こうした超豪華宿舎への批判がなされているが、さらに新たな“疑惑”が浮上した。永田町関係者が声をひそめて明かした。 「実は議員宿舎には議運(議員運営委員会)が今年6月に定めた『入居基準』がある。ところが、基準に違反して入居している議員がゴロゴロいるのです」 今年6月14日、衆議院議員運営委員会庶務小委員会が決定した「議院宿舎の入居基準」には、こうある。 <東京都23区内に住居を所有する議員は、議員宿舎に入居できない> <議員宿舎に入居後、東京都23区内に住居を所有し、居住するようになった場合には、直ちに議員宿舎を退去しなければならない> にもかかわらず、近くに自宅マンションがありながら、豪華・格安の議員宿舎を利用する不届きな議員がいるというのである。 今月2日に発表された大臣らの資産公開をもとに調査すると、確かに違反利用者がいた。 その筆頭が久間章生・防衛庁長官だ。 |
久間は同誌の質問に以下のように答えている。
「6月14日に決定された入居基準については承知しています。ただ、マンションは家族用の部屋であり、実態として自分は住んでいない。マンションに行くことはあるが、宿舎に寝泊りしている。 マンションは04年に取得したもので、これまでの資産公開でも報告している。そのことは衆院も承知している。(議員宿舎を利用することは)問題はないと思っている」 |
さらに金融・再チャレンジ担当大臣・山本有二(新宿区内に妻名義で162.4平米のマンション所有)、国土交通省副大臣・渡辺具能、同大臣政務菅・吉田六左エ門の名前を同誌はあげている。
回答の中には「議員はマンションで生活しているわけではなく、親族も住んでいません。高輪のマンションは奥さんが将来を考えで購入しました。しかし地元での活動が多く、今、誰か借り手がいないかと不動産業者に頼んでいることろです」(渡辺副大臣秘書)というものさえある。自分が住んでなければいいという解釈だ。
資産公開は、以前は議員名義のものだけだったが、89年から妻名義の資産も公開しなければならなくなった。当たり前だが、議員と妻は一体ということだ。その流れや、議員宿舎の入居基準を定めた目的・精神を考えると、議員名義はもちろん、妻名義で23区内に住居を所有している場合でも基準に違反しているといえるでしょう。 さらに解釈の問題については、議員の都合のよいようにするのではなく、「有権者の目にどう映るか」を基準にするべきです。 議会は法律を作るところです。入居基準には罰則はないが、自ら決めた最低基準のルールを守る姿勢がないのであれば、立法に関わるべきではない(岩井奉信・日大教授) |
今年6月「入居基準」決定以前にも、各派協議会では選挙後毎回、「23区に居住する議員は宿舎への入居を遠慮する」という合意があったという。岩井の指摘する「自ら決めた最低基準のルールを守る姿勢がないのであれば、立法に関わるべきではない」というところが問われている。
ましてや、その一方で冒頭にふれたように庶民負担増をより求める方向へ税制を変えようとする立場にたつとはどういうことか。税金のつかいみちに有権者の目が集まるのは当然のことである。
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公明党にみる「政治の不在」 -佐高信が指摘する
沖縄県知事選で糸数けいこ氏が敗れた。善戦である。立候補表明も遅れたのに。あえてつけくわえれば、この県知事選および糸数氏の当選の意義について自分なりに考えてきたので、正直いってこの敗北はなんとも悔しいという思いを私は抑えることができない。
しかし、この選挙戦でうるものはなかったのか。沖縄の革新共闘を伝統とする野党共闘が、紆余曲折をへたとはいえ成立した意義はとても大きい。このかたちであれば互角にたたかえることが明確に証明された。だからだろう、すでにらんきーブログさんが提唱し、トラックバックピープル「野党共闘 07年参院選」が動き出した。だれもが、何とかして自公政権にかわる政治を求めているのだ。
この選挙戦と平行して国会では教育基本法の審議がおこなわれていた。その矢先、15日に衆院で与党単独で教育基本法特別委員会で採決が強行された。あれほど同法案を強行採決すれば沖縄県知事選に影響を与えかねないとさけばれていたから、あえて強行するという判断の裏には自民、公明の「読み」があったことは疑いえない。私の周りでは、このとき沖縄を自民党は捨てたのだという人もいたのだが、私はそうは思わなかった。私が思ったのは、何の確証ももちろんないのだが、自民党は沖縄の勝利をすでにこのとき確信していたということであった。推測以上の何者でもないが。逆にいえば、この沖縄で糸数に自公がやぶれれば、沖縄県だけの問題ではなく、基地問題はいうに及ばず日米関係そのものをも左右する事態に至るから、簡単に自民党があきらめるはずがないという、ある種の「確信」が私にはあった。だから、自民党は強行採決する際、すでに勝利を手中にしていたと思ったのだった。
このあたりの事情を「朝日新聞」(11・21)が指摘している。世論調査をおこない、知事選に影響ないことを確認した上で教育基本法改悪法案の衆院通過を決定したという。
沖縄での与党の勝利をふまえ、ブロガーのみなさんから公明党の役割について議論が起きている。ただ、今回の選挙戦では、公明党=創価学会のこうした動きだけでなく、仲井真が地元財界を代表する人物であることも手伝うのだろうが、企業の大動員を抑えておく必要がある。政権はやすやすと敗北することはない、あらゆる手を使ってその維持を図る。
その公明党だが、佐高信が「公明党の原理的滑落」を書いている(『世界』11月号)。佐高によれば、公明党はいま、まさに原理的に滑落してその存在理由を失っている。佐高はいう。
靖国神社参拝批判で右翼に実家を焼かれた加藤紘一一人の存在価値にも及ばないなど、この党は小さくなった。加藤の陰に隠れてその姿が見えない。 小泉の何度もの靖国参拝を許してしまったこの党に、果たして存在理由はあるのだろうか。公明党が政権離脱を覚悟してまで小泉の靖国参拝に反対しなかったから、加藤が被害に遭ったのではないか。「加藤の陰に隠れて、その姿が見えない」と書いたのはそういう意味である。 そして今度は、官房長官として既に4月に参拝したことが明らかな自民党新総裁の安倍晋三と「自公連立政権」を確認したという。まず、「連立ありき」で、原理も何も放り投げても、それを続けるということなのか。 |
そして、佐高は、かつて公明党の理念や原理はどこにいったのかを例をあげて説いている。その一つをあげる。盗聴法反対集会で同党代表代行の浜四津が語ったものだ(98・11・17)。
背景、そしてまた対比の必要性を十分に認識し、理解しながらも、なお私個人としては、特に犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案、いわゆる盗聴法については憲法上大きな問題があり、このまま安易な導入をすることは大変に危険が大きいと危惧するものであります。 それは盗聴捜査が通信の自由という憲法上の人権を侵害する可能性が大きいというだけでなく、盗聴という手段には歯止めが利かない。国家権力の都合で政治的に利用されてしまう危険性が大きいという歴史的教訓があるからであります。特に今回の法案におきましては、対象となる犯罪が組織的犯罪に限定されておりません。また、通信傍受された当事者への事後報告がなく、当事者は自分が盗聴されていることを、まったく犯罪行為を行っていない場合でも知ることができないという点があります。また、違法な通信傍受を監視しうることが現実上できず、令状主義に抵触する恐れが大きい。また、盗聴捜査の期間は一応定められているものの、事実上は無限定であることなど、問題が多いと言わざるを得ません。 |
それから修正案で対象犯罪が限定されたなどといって浜四津は態度をかえた。
佐高によれば99年6月1日のテレビ朝日「ニュースステーション」では神田川のメロディにあわせて、彼女の反対発言をとりあげた。そこで、浜四津発言には賞味期限があり、半年も経たずにそれは過ぎたのかと難詰したという。
この間に公明党は政権に加わったのだ。
時はさらにすすんだが、先の発言からすれば、この盗聴法よりさらに問題をふくむ共謀罪法案に弁護士浜四津は反対しなければならないはずである。
この1つの例で明らかなように、公明党は理念や原理を投げ捨てている。政権に固執し参加しつづけるために存在しているようなものである。これは、まさに政治そのものの不在である。大澤真幸はこういった。「実際にわれわれが今日目の当たりにするのは、特殊な利害の間の調整以外の何ものでもない」。政治とは、普遍性への闘争――己の社会的要請が普遍的な妥当性を有することを示そうとする闘争――である(大澤)。
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核保有はどこにむかうか -大江健三郎の眼
朝日新聞の「定義集」に「忘却とそれに抗する意識」というタイトルの記事があった(朝日新聞、11・21)。
引用した部分の前半の文章もなかなか味のあるものだが、それは割愛しここは直接(この文章の)テーマにかかわる部分をとりあげる。
まだ記憶に新しいが、北朝鮮が核実験を実施したと伝えられると、それに呼応するかのように日本の反応は素早かった。その際の日本政府の対応に関連して引用部分ははじまっている。政府与党の要人から繰り出される核保有論。これを大江は鋭く批判する。一人の外国人青年の質問に答える形式で筆はすすめられる。
右派の連中が(かれはそのように表現しました。)いまこそ、核の議論をしなければ、といいます。そしてこれから自分らのリードする議論に、北朝鮮の核実験は追い風だ、と自信を持っています。政府首脳のやんわりとした牽制に、自分のいったことを修正したりもしますが、パソコンの映像を見ると内心の確信はあきらかです。 テレビ番組、週刊誌の論調にはそれが反映しています。世論もその方向に行く感じです。日本の核武装というところまで、それは突き進むでしょうか? さらに基本的な質問ですが、日本人はこれまで核の問題について議論することがなかったのですか? そういうことはありません。(と私は答えました。)とくに広島・長崎の被爆者が体験を語り続けてきた。それがどうして、核の問題ではないだろう? その積み重ねのなかで、被爆者たちは、被害者としてのみでなく、アジア全体を巻き込んだ戦争の加害者としても、過去と将来を語るようになった。それが核廃絶をもとめる日本人の運動を性格づけている。 核を保有する側からいえば、冷戦の時代に、核抑止は果たして有効かという議論は、おそらく世界の戦後史においてなによりも精密に行われた。日本人も国内で、また国際的にそれに参加している。そして、ソヴィエト崩壊の前に、すべての議論は、現実には使用されえない兵器という核兵器認識に到達していた。それへの無知あるいは意識しての忘却が、きみのいう日本の右派を核抑止論の再利用に向かわせている。その行く先はきまっているが。 |
「核抑止は果たして有効かという議論は、おそらく世界の戦後史においてなによりも精密に行われた。日本人も国内で、また国際的にそれに参加している。そして、ソヴィエト崩壊の前に、すべての議論は、現実には使用されえない兵器という核兵器認識に到達していた。それへの無知あるいは意識しての忘却が、きみのいう日本の右派を核抑止論の再利用に向かわせている」。
どうだろうか、昨今の政府与党のわれわれを刺激してやまない発言の性格をいいえて余りある指摘ではないか。いまこそ、われわれ自身がその忘却から脱出し、それに抗え。そう大江は叫んでいる。そうでなければ、核抑止論の行く先はきまっているのだから。
大江はいっている。憂いを隠すことはない。だが、要諦はどこにあるか、大江がサイードを引用して暗示している。「意思的な楽観主義」者たれ。
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梅原猛が教育基本法改悪反対を語る
混乱した国会を正常化するには、与党単独での参院採決はやらず、国民の声にしっかり耳を傾けることが必要である。課題は山積している。いじめ自殺問題、必修科目の未履修問題など、提出されている改悪法案との関連での十分な国会審議が求められている。
この時期に、九条の会よびかけ人で哲学者の梅原猛が同法案について以下のとおり語っている(しんぶん赤旗、11・21)。梅原の指摘は重たい。
自民党、公明党の強行採決に、「何を考えているのか」と怒りを覚えます。私は教育基本法の改正に反対です。その理由は、これまでも書いてきたことですが、現行の教育基本法は、日本人が世界に通じる自由な人間として生きていくための教育のあり方を説いていますし、日本語としても立派なものです。 ところが改正をとなえる政治家は、伝統を尊重する精神が語られていないといいます。私は伝統を大事にすることは、いいことだと考えています。いまの教育基本法を基本にしてその伝統を大事にすることはできると考えます。 国を愛するということは、しっかりした人間をつくればできる。しっかりした人間をつくるには、道徳・思想を復興させなければなりません。その道徳は、戦前に私たちが教えられた忠君愛国ではいけません。 天皇は「現人神(あらひとがみ)」で、日本はその神が統治する神の国であって、天皇と日本国への忠義が一切の道徳に優先するという思想が無謀な十五年戦争を始め、何千万人のアジアと日本の人々をむなしく死にいたらしめたのです。 明治時代に廃仏殿釈(きしゃく)がおこなわれて、日本の伝統が否定され壊されました。それ以前の伝統を踏まえた、お母さんが子どもを愛し、子どもはそういうお母さんの愛情を大事にして他人を愛し、自らを成長させていく。その延長として郷土を愛し、国を愛する、それが健康な愛です。 国を愛することを、政治家や国家が上から押しつけるのは民主主義に反することです。 私は骨の髄まで戦争が嫌いです。日本国憲法の外堀を埋め、あわよくば平和憲法の内堀を埋めて、日本を旧体制に戻そうとする意図をいまの教育基本法改正に感じるから、反対なのです。 |
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大企業へのバラマキではないか -庶民の増税で大企業減税3兆円
今月、景気拡大期間が戦後最大の58か月を迎え、東証1部上場企業は4年連続で市場最高益を更新する見通しだ。が、そんな中で増税を強いられるばかりで、好景気の恩恵に全く与(あずか)れていないのが一般庶民である。「庶民いじめ税制」を操ってわれわれの血税を貪っている安倍政権、これはまさに詐術である。
こんな書き出しで『週刊ポスト』が、政府のねらう「税制改正」のからくりを追及している。しばらく同誌の主張を引用してみよう。
《庶民には大増税、大企業にはバラマキを》という安倍政権の経済政策の“正体”がはっきりみえてきた。 政府はこの間、財政危機を理由にサラリーマンや高齢者増税を重ねてきたが、鳴り物入りで政府税制調査会の新会長に就任した本間正明・大阪大学大学院教授が就任早々、《大企業減税》をぶちあげて財政再建路線の転換をいい出した。 「主要先進国でも、法人税率が日本よりも高かったところが根本的な見直しをしている。ヨーロッパ並みを目指すのは一つの考えだ」 現在、約40%の法人税率を欧州並みの30%台半ばに引き下げれば企業には2兆円超の減税になる。本間氏はさらに、今回の税制改正でg減価償却制度を見直し、企業に設備投資減税を実施する方針も言及しており、その分の減税額が6000億円。あわせて3兆円規模の「大盤振る舞い」をしようというのである。 |
同誌のこのくだりが新会長のもとで動き出した政府税調の今後の「仕事」を端的にいい当てている。私は別エントリーで本間氏が法人税優遇は必要だとのべたことを紹介したが、本間氏の発言は一言でいうと、「庶民には大増税、大企業にはバラマキを」というポスト誌の表現に尽きると思う。政府税調のやろうとすることは、したがって、税制の面から日本の社会的格差をいっそう広げようとするものだ。
同誌が指摘するように、「財政再建」から「企業バラマキ」への路線転換は安倍首相と財界ががっちり手を握って進めているものだ。
日本経団連は自民党総裁選さなかの今年9月に『税制改正に関する提言』を発表し、法人税率引き下げと設備投資減税を主張した。ここに今後の財政のあり方をめぐっての与党のなかの不一致がからむ。
安倍は首相就任後、財政再建を指向する勢力の封じ込めに動いた。具体的には、企業へのいっそうの優遇を主張する経団連会長・御手洗富士夫をあの経済財政諮問会議委員に起用、政府税調事務局を財務省から内閣府に移転させている。ここでも官邸主導なのだ。
そして前政府税調会長・石弘光を更迭した。石弘光は、消費税増税論者だが、一方で財政再建を主張し企業減税に強く反対していた。安倍は財務省の抵抗を抑え、石とは反対の本間を税調会長に起用した。
なぜ安倍がこのように財界の機嫌をとるのかをポスト誌はつぎのように指摘している。
背景にあるのが経団連の企業献金だ。自民党経理局関係者の話は興味深い。 「経団連は04年から企業献金の斡旋を再開し、年間40億円を目標にすると約束したものの、昨年は約24億円でぜんぜん足りない。問うとの協議の際、経団連側は政治献金の外資規制を撤廃してもらえばもっと献金できるといってきた。そこで法改正を行うことになった」 |
政治資金規制法には外国企業からの企業献金を禁止し、外国人株主の持ち株比率が5割を超えた企業は政党に寄付できないことになっている。御手洗のキヤノンもこれに抵触する。だから今、自民党は外貨規制を撤廃する政治資金規正法改正案を今国会に提出している。成立後はおそらく自民党への献金は一気に増えるだろう。
別エントリーで指摘したように、本間は、経済成長のための法人税減税が必要だという。しかし、この間、大企業が膨大な利益をあげる一方で、庶民への負担増で格差はひろがった。「腹立たしいのは大企業への《安倍減税》の原資が庶民の「サラリーマン増税」でまかなわれること」(ポスト誌)だ。
読者のみなさんも記憶に新しいだろうし、その痛みを実感されていることだろう。
06年に所得税と住民税の定率減税が半減され、07年には定率減税が全廃される。このことによって、国と地方の税収は3兆円を大きく超える増収となる。一方で企業への減税分3兆円はこれでまかなわれるわけだ。
財界は日本のz法人税率が諸外国より高いという。だが、日本の大企業は税金の減免措置をさまざま受けており、それを加えると税率は25%程度。アメリカやドイツ、フランスなどに比べるとはるかに低いのだ。
この事実をふくめて、安倍と政府税調の主張をよく確認しておく必要がある。
【参考エントリー】
法人税優遇は必要 -政府税制調査会新会長が語る
この上に増税か-消費税増税たくらむ07年税制改革
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2人の外国人 -巨星落ち、新星誕生す
ミルトン・フリードマンが死去した。小泉の「構造改革」によって新自由主義という言葉が超・熟した言葉になったが、フリードマンはいうまでもなくその新自由主義の旗ふりの一人である。シカゴ学派の重鎮だ。金融政策を経済政策の中で最も重視する「マネタリズム」を提唱した。政府の干渉を排除する徹底した自由主義の立場から「小さな政府」を目指した。
朝日新聞によれば、ブッシュは、そのフリードマンの死去にあたって「アメリカは偉大な国民を失った」と語ったそうである。それほどアメリカではフリードマンの経済思想が重宝されたということだろう。フリードマンは、戦後の世界各国でそれまで主流であったケインズ理論を「政府の財政支出が物価上昇と失業を加速させる」と非難、徹底した市場主義を主張したのだった。
以来、フリードマンは70年代のニクソン大統領から共和党の経済政策のブレーンとして歓迎され、さらにレーガン政権やサッチャー政権でその経済思想が取り込まれ、それは規制緩和政策に反映された。
これほどの隆盛を誇ったフリードマンの理論と新自由主義だが、先のアメリカの中間選挙では、ブッシュの経済政策を「市場優先」と批判した民主党が勝利した。一方の日本では、今日、小泉流「構造改革」とそれにつづく安倍政権のもとで、社会全体を格差が覆い、それに苦しむ人は限りない。そしてアメリカ大陸では、いまや反新自由主義の政権が中南米で広がりつつあり、確固とした潮流となった。少なくとも中南米では新自由主義は打倒すべき対象なのだ。これを新自由主義凋落の兆候とみるのは少しうがち過ぎか。
新自由主義の巨星落つ。
いま一人の政治家とは、仏社会党の大統領候補に選ばれたセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相である。はたしてフランスの新しい星となりうるか。以下、毎日新聞から引用する。
来春の大統領選に向けたフランス社会党の公認候補を選ぶための党員投票で党選管は17日未明(日本時間同日朝)セゴレーヌ・ロワイヤル元家庭・児童担当相(53)が過半数を得て、党指名を獲得したと発表した。来年1月に指名を決める与党・国民運動連合の候補者との一騎打ちが予想され、ロワイヤル氏はフランス史上初の女性大統領と、12年ぶりの社会党政権奪還を目指す。 セゴレーヌ・ロワイヤル氏 53年9月、フランス統治下のセネガル首都ダカール生まれ。エリート校の仏国立行政学院(ENA)卒業後、行政裁判所判事、国民議会(下院)議員などを経て、ミッテラン政権(社会党)下の92年に初入閣。環境相、家庭・児童担当相などを歴任した。現在は、ポワトゥー・シャラント地域圏議会議長。今年6月には、罪を犯した16歳以上を収容する「軍隊式学校を設立して矯正すべきだ」と右派的発言をし直後の世論調査で高い支持を得た。 |
シカゴ学派;シカゴ大学を中心に確立された競争と自由市場の有効性を説く学派。現代では元シカゴ大学教授のミルトン=フリードマンを中心に、新自由主義とマネタリズムを標榜する。
マネタリズム;政府の裁量による財政・金融政策の有効性を主張するケインズ経済学を批判し、市場機構のはたらきに信頼をおき、貨幣供給の固定化を提唱する政策的立場。フリードマンに代表される。
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