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加藤周一「語りおくこといくつか」から核密約まで
加藤周一をその線分の延長上に位置づけてもおかしくはないと考えるのですが、やはり少し違うようにも思えます。
明晰な文章で三者は相通じ、世界のとらえ方で微妙に異なる。結局、唯物論的思考を研ぎ澄ましたのが加藤ということでしょうか。
その加藤の死後、出版された『語りおくこといくつか』という本を今、読んでいます。
タイトルは、この本の出版の計画時点ですでに自らの死期を察していたことを推測させますが、収められている文章のいずれもが加藤そのもの、その文章をとおして加藤は今も生きているという印象を強く受けました。
そのうちいくつかをあえてあげてみます。
倫理は法の内面化です。あるいは倫理を外面化したものが法律だと言えるでしょう。その2つのものは互いに関係している。純粋に倫理だけの、そういう社会は現実にないけれど、あってもうまくいかないだろうと思います。やはり法的な、客観的な、外面的な規則が必要になります。他方、外面的な規則だけでは必ず破る人がいるわけだから、どうしても倫理と法の両方が必要だということですね。根本的には。(22-23頁) |
私のつきあいの範囲では、美しいという言葉を今なお悪い意味じゃなく、いい意味で使ってる人は、芸術家でも、画家でもない、数学者です。数学者は使う。あるいは、数学的な自然科学、例えば物理学者です。古典熱力学の体系は、あれは「優美」(elegannto)だ、と言います。それは美しいという。あるいは数学者は、問題の解き方が三つある、どのほうほうでも解ける、しかし、三つの解決法の中で、一番美しいのはこれだからこれを採りましょう、と言います。 その時は美しいという言葉を使います。美しいという言葉は、二〇世紀以降はむしろ数学者にまかせた方がいいのではないかと思います。数学者は、美しいを定義しろと迫れば多分「簡単」と答えるでしょう。複雑な解決法よりも、簡単・単純な方が美しい、ということです。 |
いずれも「文学の効用」という文章からの引用です。
明晰とは、必ずしも白か黒かを迫るような短絡的な態度を意味するものではありません。いわゆる小泉構造改革のもとで、二者択一を即座に求めるような風潮が横行しました。人間という複雑な組織、生命体とその人間が構成する社会の、さらに輪をかけた複雑さは、本来、こうした黒白を、あるいは正負の返答をただちに求めるという態度とは相容れない、あるいはそもそも拒絶するというのが実はただしいのかもしれません。即答を求め、それを競わせるのが、嵐のように世界中を襲った新自由主義的「態度」だったといえるのでしょう。その傾向を強めれば強めるほど、そこから「落伍」する者が増えるというしくみがてきてしまった。日本でいわれつづけてきたニートとかフリーターとかは、この現象の一端を表してきたといってよいのではないでしょうか。
少し回り道をしましたが、加藤の明晰さは、そうであるから逆説的に、現実世界での柔軟性を生み出しうる。たとえば、日本語にたいする理解。
日本語は曖昧という流布した見解があります。それに、加藤は見事に反論しています。たとえば、日本語には主語がないという意見について、加藤はつぎのようにのべています。
日本語の性質としては、ある条件のもとでは主語を省くことができますね。日本語だけじゃなく、省くことができる言葉はたくさんある。しかし、はぶかないこともできるわけです。だから日本語の性質として「日本語には主語がない」というのは、まったくナンセンスなんで、それはまちがっている。そうじゃなく、日本語は文法上主語を省くこともできるし、省かないこともできる。実際に省くことが多いかどうかというのは、日本語の性質だけではないのであって、社会的習慣の問題です。用法の問題です。ですから、それをはっきり区別する必要がある。言葉自体がもっている性質と、それを使う時の習慣、用法の特徴という二つのことは、関係なくはないけれども、概念上区別すべき問題だと思います。(「日本語を考える」52頁) |
明快です。加藤の明晰は、曖昧だという、いわば紋切り型の批判、皮相な見方にたいしては、逆にそれらの批判の対象である、その「曖昧さ」をも許容する寛容な態度に結びついています。
そして、日本語の特徴についてのべた加藤の話は、日本国の法解釈の問題に及ぶのです。
日本国憲法のいう戦力には、自衛のための戦力は含まないという最高裁の判決について。
「自衛のための戦力は戦力に含まれない」というのは、「四本足のネコはネコに含まれない」というのと同じです。私の知識の範囲では、「自衛のためでない戦力」というのは存在しない。「四本足でないネコ」が存在しないのと同じです。どこの国の政府が、自国の軍隊が自衛のためでないと言ったでしょうか? |
今現在も日本国の解釈が問われています。核密約問題です。
政府は、事前協議がないのだから、持ち込みはないという理屈をのべています。けれども、持ち込みをどのように扱うかについて討論記録という裏の合意が存在する。持ち込みは事前協議という形で決まるのはなく、討論記録で明らかなように合意済みのものにほかなりません。一方にはOK、他方には事前協議という担保があるというような、二重契約ですね、まるで。
加藤ならばこの事態をどのように表現するのでしょうか。
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「追想 加藤周一」- 加藤の感受性と洞察力
一海によれば、加藤を杜甫を採って、李白を退けた。加藤はまた、『論語』を採り、『孟子』を選ばなかった。それは、杜甫の詩の端正さ、ひらめきにおいて、あるいは『論語』の超人間的なひらめきにおいて。
こうしたところに、加藤の感受性と洞察力を一海は見てとっている。「鋭い感受性と深い洞察力」がどこからくるのか、そのあとで明らかにされる。
一海はこうのべている。
私は以前から、加藤さんの文章、看護の使用をできるだけ抑え、しかも冗長ではなく明晰な文章を読んで、その背後に、逆に漢文の深い影響があるのではないか、と思っていた。 |
しかし、この思いは一人一海だけのものではないだろう。
加藤は、自らの経験をもとに誰よりも日本を相対的にながめ、世界のなかにそれを位置づけながら、日本の価値をそこから切り取ってきた(参照)。日本文化の特殊性をもっとも厳しく見、それでいて日本文化をもっとも愛し、価値を見いだしていた。
それは、一海が紹介するつぎのような加藤の習慣にも表れている。
一日に一度は漢文の古典に関する本か、古典そのものを、少しでもいいから何ページか読むことを日課にしています
これは漢文の勉強というよりも、日本語の水準を落とさないために必要だと思いますよ。日本語のある緊張したリズムを維持するためにも。 |
たとえば日本語はあいまいだという通説がある。これに私はずっと疑問をもってきたが、加藤はむしろ日本語のもつ特長に着目している。
相対的にみることに徹して、はじめてそれにたいする愛も生まれるのだろう。
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朝日新聞「追想 加藤周一」について
朝日新聞が連載した「追想 加藤周一」は以下の5人の文章からなっています。当ブログのエントリーで一海知義を除く4つの「追想」をすでに扱いました(カッコ内は当ブログでエントリーを公開した日)。一海氏についても近々、とりあげるつもりです。
21日から3日間、青年たちの会合に参加してきました。彼らは、今現在のそれぞれの環境、立場のなかで平和を、また今日、日本を厚く覆っている貧困の問題を真剣にとらえようとしていました。どうでしょうか。彼らにとって、加藤の死によって(加藤と)同時代を生きる条件が損なわれたことは不幸なのだといえるのかもしれません。
樋口陽一 「時代読みつつ、"時流離れ"」 (2月17日)
池澤夏樹 「ユーモア含む鋭い語法」 (2月21日)
福岡伸一 「いつもはるかに遠い」 (2月22日)
高畑勲 「日本文化への警鐘と愛」 (2月20日)
一海知義 「鋭い感受性・深い洞察力」
「追想 加藤周一」- 福岡伸一が語る加藤
福岡がいいたかったことを先取りしていえば、
絶え間ない消長、交換、変化を繰り返しつつ、それでいて一定の平衡がたもたれているもの。それは恒常的に見えて、いずれも一回性の現象であること。そして、それゆえにこそ価値があること。
それを加藤を常に視野に入れていたということなのだろう。
分子生物学者である福岡ならずとも、「理科系人間」ならば、事象をこのように消長・交換・変化のなかでとらえ、世界が平衡をたもちつつ、なおかつ恒常的でけっしてなく、二度とは起こりえないものという把握は、それぞれの実感にもつながり、よく理解できることだろう。
私たちはしばしば、自然界の事象と、人間を介在する政治や社会の現象とは別物だろうと考えがちだが、上のように、消長・交換・変化のなかでとらえてみると、自然界と人間社会の現象が、ただ後者が一度、人間の脳をくぐり抜けたものであるという違いのほかに、区別できる要素はないといえる。あるいは、ブログ界での意見のなかに、人間社会の一面をとらえる、たとえば経済学などは科学ではないという暴論もあった。これは根底には、先にのべたように社会現象というものが人間の精神を経由するだけに複雑であって、それゆえあたかも自然科学とは異なり、そこに法則性がないように受け止められるからだろう。
回り道をしたが、福岡は一時期、文転を考えたそうである。私事ながら、理系に在籍しながら、私ももっぱら文系の書籍にかじりついていた。まるで本籍は理系、現住所経済学部のように。人間を経由する現象は、自然の事象とはまた違って、複雑で、とらえどころがないようにみえ、そこに面白さがある。
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「追想 加藤周一」- 普遍と特異をきり分けるということ
加藤と福永武彦、中村真一郎はかつて、マチネポエティクというグループを作って活動した。加藤の、その意味での同志であった福永武彦の子、池澤夏樹が加藤を評している(朝日2・12)。
最初に、福永武彦のことをのべると、彼の書いた『廃市』は私が一時期を過ごした地方の町を舞台にしている。福永自身は福岡の出身である。繊細で、静謐な彼の文章はよく知られていて、ここで評するには及ばない。こんな福永なのだが、加藤、中村と三人で著した『1946・文学的考察』に強い衝撃を私は受けた。そのときの印象を、別のエントリーでつぎのようにのべた。
敗戦直後の解放感も手伝ってか、血気にあふれ、自信迸る文体とでもいう以外に表現しようがないと、はじめて読んで思ったことを覚えている 追悼- 加藤周一の眼(12・15) |
福永も、中村ももちろん鋭かったが、とりわけ加藤は抜きんでていたと思う。そして、その加藤の特徴は以後も貫かれてきたのではなかろうか。
こんな父・福永との親交ある加藤に池澤は傾倒していたと「追想 加藤周一」(シリーズ第2回)で告白している。
加藤を読む多くの人は池澤と同じ境地にあると密かに思うのだけれど、池澤は加藤の『芸術論集』で加藤が扱った狂言に魅せられ、可能なかぎり舞台を見てまわったらしい。池澤の文章のこの部分を読んで、まさに同じような行動を自分がとったことを振り返り失笑してしまう。加藤の叙述はこのように、人を惹き付け、行動せしめる、強い力をもっている。それは、別の表現をすると、前回のエントリーでふれた加藤との距離感を読者が感じ取り、それを埋めようとする方向に意識が働くからにちがいないだろう。
池澤は、加藤の思想の源泉を、反戦と民主主義に求めている。同時に、この指摘に池澤の鋭さがあると私は思う。池澤は、加藤が自ら普通の人であったと述べたことに言及し、その加藤が普通であって、その上で、普遍であることと特異であることをはっきり分ける点で、加藤と他を峻別している。
そこからこそ普遍の思想が生まれるのではないか |
この池澤にまったく私は賛成する。
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「追想 加藤周一」- 高畑勲が語る。
高畑勲によれば、加藤周一は最も信頼できる導き手ということだ(「追想 加藤周一」、朝日2・18)。加藤が亡くなったとき、最初に思ったのはそのことだったし、おそらくこのシリーズの語り手5人(*1)はすべて高畑と同じように思っているといえるだろう。
以前のエントリー(参照)で、「資本主義の限界が語られはじめている今日、加藤ならばこれをどう考えるという具合に、物事をみる際の一つのコンパスのように考えてきたのだが、もうそれもできない」と書いたのだが、高畑はこのようにいう。
かけがえのない加藤氏は先達でありつづけ、おそらくこれからもそうであってくださると思う。なぜなら、氏の書かれたものはゆるぎなく、読み返すたびに新しいから。 |
なるほどそうなのだが、これから起こる出来事、つまり未来が現在に転化する際、それをどう読み解くのか、そのときの加藤の存在は私にとって、たえず準拠すべき指針のようなものであった。それを欠いた意味は大きい。
高畑の文章は、そのタイトルから明らかなように、日本あるいは日本文化にたいする加藤の視線を取り上げている。日本を相対的にながめ、世界のなかにそれを位置づけながら、日本の価値をそこから切り取る。まぎれもなく加藤は、この作業を見事に成し遂げた一人だといえるだろう。たとえば「日本文学史序説」のように。
より具体的にいうと、高畑が指摘するのは、日本文化を世界から切り分ける際の加藤の着眼である。加藤の眼は、世界のなかの日本の特殊性を見逃すことはなかった。例を高畑にならってあげると、「今=ここ」主義という言葉で加藤が特徴づけるように、日本文化は、此岸性・集団主義・感覚的世界・部分主義・現在主義で貫かれているということだ。もちろん加藤が「今=ここ」主義という言葉で日本文化を語るとき、批判的な立場からであるのは論をまたない。今日もまた、「今=ここ」主義が溢れかえるなかで私たちは生きている。政治の世界の今=ここ主義、そしてそれを批判の対象としてみているはずの批評の、これまた今=ここ主義。このように、いたるところに、繰り返し加藤の指摘した特殊性が存在するのだ。
こうした日本文化の特殊性をもっとも厳しく見、それでいて日本文化をもっとも愛し、価値を見いだしたのも加藤だといえる。
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*1;樋口陽一、池澤夏樹、福岡伸一、高畑勲、一海知義の5人。
【関連エントリー】
「今・ここ主義」の政治的意味
「追想 加藤周一」- 樋口陽一が語る。
朝日新聞が「追想 加藤周一」という企画を組んでいる。
同紙によれば、戦後日本を代表する知識人、「加藤周一の残した膨大な仕事の意味や、その人柄を、ゆかりが深かったり、その作品に影響を受け」た5人がそれぞれ追想するという魂胆らしい。
すでに3人の文章が掲載されていてそれを読んでみて、紙背から感じることができるのは、いずれもが加藤との距離感を強く意識しているということだ。樋口陽一も、池沢夏樹、福岡伸一も同じように加藤を相対化し、汲み尽くしえない加藤の知を語っている。
初回は樋口陽一(朝日2・11)。
あるときは小気味よく(「(粋とは)規範に媒介された感情」)、あるときはさりげなく重く(「過去が歴史なのではなく、現在を決定する過去が歴史なのである」)定義づける仕方。そういうすべてが、圧倒的な個性的「知」の体系に組み込まれ、その量と質をさらに大きくしてゆく、その反復。これが「加藤周一」なのだ。 |
こう樋口は加藤を表現する。加藤を読んだ人は誰もが実感する加藤の文体をよくいい表している。その上で、私が思うのは、この樋口の言い回しが、すでに加藤の相似形だということである。加藤を語るものがいつのまにか加藤になりきる。文体の上で。それだけ、表現がすなわち普遍性をもっているということなのだろう。硬質で簡潔、曖昧さを寸分も孕まない、研ぎ澄まされた明晰さ。余分なものを一切排除したところに加藤の特長の一つがあると私は思う。加藤の文体は、だから余剰という「加藤らしさ」を見事にそぎ落としている点で、普遍性をもつ。これはまさに加藤のものである。
加藤に接し、近づこうと思おうと思うまいと、いつのまにかこうして加藤になりきろうとするゆえんではないだろうか。
樋口がたとえばこういうとき、すでに帰らぬ加藤ではない、もう一人の加藤がそこに存在するようにさえ私には思える。
広げられた「文学」の概念は、社会・経済・政治にかかわる人間の思考にまで射程が及ぶだろう。それは戦後解放に専念した若き加藤周一が「政治的ラディカリズムと文学の古典的概念」の「共存」を掲げたことの、結果だったのではない。そうではなくて、すでにその前提だったことを改めて方法的に明示したものだった、と私は思う。 |
こうして私たちは加藤周一に接近しようとするのだが、そこに加藤はおらず、すでに先を歩んでいる。これが、3人が語る加藤との距離感なのだろう。
(「世相を拾う」09040)■応援をよろしく ⇒
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追悼- 加藤周一の眼
加藤の自伝的文章は周知のように『羊の歌』だが、2008年12月5日でもって、その終章が完結したといえる。1919年9月19日という具合に、1と9ばかりがつく日に生まれた加藤は、その年の干支にちなみ、『羊の歌』とした。講演の際もかわらずーというのも不思議とこの出で立ちしか私は浮かばない-タートルネックにジャケットをはおり、ややうつむき加減に、眼光鋭く聴衆をみすえ、該博な和漢洋の知を惜しげもなく披露する。単調なものいいだが、そこに華があった。何よりも分析の明晰さにうなった。
重厚な思想、社会批評を論じるときでさえ、簡潔明瞭な文体をもってする姿勢にも驚いた。選び抜かれた、あいまいさを許さない言葉と配列で研ぎ澄まされている。
加藤は、「1946・文学的考察」でデビューしている。中村真一郎や福永武彦との共著である。若い彼らが、これだけの文章を書くのにも驚いたが、加藤自身がどこかでその客気にふれていたのをいま思いだす。敗戦直後の解放感も手伝ってか、血気にあふれ、自信迸る文体とでもいう以外に表現しようがないと、はじめて読んで思ったことを覚えている(古書店で買った冨山房百科文庫のもの)。加藤らマチネポエティックの3人は、この文章で同じ世代の星菫派、浪漫主義を強く批判し、自らの立場をそれと対置させ、新しい文学を宣言したのだった。
戦争の世代は、星菫派である。 詳しく云へば、一九三〇年代、満洲事変以後に、更に詳しく云へば、南京陥落の旗行列と人民戦線大検挙とに依て戦争の影響が凡ゆる方面に決定的となつた後に、廿歳に達した知識階級は、その情操を星菫派と称ぶに適しい精神と教養との特徴を具へてゐる。 |
以来、加藤の思想的立場はかわらない。
昨日14日、ETV特集に加藤が登場した。
生前最後の発言である。映像をみるかぎり、当時の病状は相当に進行しているようで、時折、中空を虚ろにみつめるようなその眼は、加藤のいつもの眼光とはあきらかに違っていた。今から思えば、それは死期迫る人間の眼であったのだ。にもかかわらず、明晰な分析がまさにとぎれもなく言葉となって表われ、我われをうなづかせる。
特集のタイトルは「加藤周一1968年を語る ~“言葉と戦車”ふたたび~」。これだけで、加藤の著に親しんでいる人であれば、「言葉と戦車」をすぐ想起するだろう。プラハの春という出来事に、加藤は社会主義の過去と現在を重ね合わせ、そして社会主義の希望を想った。結末はしかし、加藤の期待を見事に裏切った。社会主義への未来は絶たれたのである。
洋の東西を問わず1968年を眺めた加藤は、その眼で、現在をどうみるのか。加藤は1968年は過去ではないと語ったが、それは当時もいまも閉塞感漂うという意味においてである。たとえば秋葉原事件に加藤はそれをみた。事件は、下に沈殿し、よどんだものが爆発したと。
加藤によれば、現代は、非人格化、非個人化、間化をますます迫るものになるという。私たちを取り巻くものを仮に今、情況という言葉で表すならば、情況は加藤の指摘通りに動いていることを認めざるをえない。混沌としたなかから普遍的なものを読み取ろうとする加藤の眼は、余人をもって代え難い。
私は、資本主義の限界が語られはじめている今日、加藤ならばこれをどう考えるという具合に、物事をみる際の一つのコンパスのように考えてきたのだが、もうそれもできない。
加藤は対句を好む。この修辞法の多用は、それだけ漢籍に明るいことを示すだろう。番組の映像でも流されたが、この見事な対照を誰が忘れることができようか。
圧倒的で無力な戦車と無力で圧倒的な言葉 |
これほどの無駄のない、数式のような文体で世界の普遍性を表す人物を、前後において知らない。加藤の死はそれを強く印象づける出来事だった。
(「世相を拾う」08263)
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【関連エントリー】
加藤周一逝く- 『羊の歌』終章
加藤周一 関連エントリー
当ブログで加藤周一を取り上げたエントリーの一部を以下にあげておきます。
『蟹工船』がブームらしい。 (08年5月)
加藤周一にとっての宮本顕治の死 (07年7月)
「今・ここ主義」の政治的意味 (07年5月)
小沢氏の最後か民主党の最後か;BLOG BLUES氏のコメントによせて (07年4月)
加藤周一 -未来のために今必要なこと (06年12月)
思想としての加藤周一 (06年5月)
加藤周一逝く- 『羊の歌』終章
加藤周一にとっての宮本顕治の死
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宮本さんは反戦によって日本人の名誉を救った
戦後すぐの時期に、宮本顕治さんと雑誌で対談したときの印象はいまでも鮮明に思い出す。
宮本百合子が「歌声よ、おこれ」を書いた解放感が社会にみなぎっていた。顕治さんはその渦中の人であり、獄中で非転向を貫いた12年があったから、ほかの人をはるかに超える開放感を感じたに違いない。それは高みの見物ではなく、一緒にやろうという未来への明るい希望に満ちた解放感だった。
私の世代はよく知っているが、宮本夫妻の戦時下の往復書簡『十二年の手紙』は、日本のファシズムに対する抵抗の歌である。窒息しそうな空気の中で最後まで知性と人間性を守った記録である。
歴史的記念碑ともいうべき宮本顕治さんの偉大さは15年戦争に反対を貫いたことである。それができた人は、日本では例外中の例外だった。宮本顕治と百合子はあの時代にはっきりした反戦を表明し、そのために激しい弾圧を受けた。その経験なしには「歌声よ、おこれ」の解放感は生まれなかったろう。
武者小路実篤は敗戦で虚脱状態に陥ったと言ったが、それは開放感とは逆方向のものである。宮本顕治・百合子夫妻とこの白樺派の人道作家の違いを表している。
宮本顕治さんは反戦によって日本人の名誉を救った。戦争が終わり世界中が喜んでいるのに日本人だけが茫然(ぼうぜん)自失状態だった時に、宮本さんは世界の知識層と同じように反応することができた。
私が対談したときの宮本さんは穏やかで礼儀正しい人だったが、表情は精かんで、修羅場をくぐってきた人の自信と安定感があふれていた。私がこれまで見たなかでもっとも美しい顔の一つだったと思う。
それは不思議と東大寺戒壇院の四天王の顔に似ている。仏を守るためにはいつでもたたかおうとしている四天王のように、断固とした強い意志を秘めた顔だった。
直接お目にかかったのはその時一度きりだったが、その後の日本共産党の指導者としての彼が強調したことは2つあったと思う。
一つは国内的な問題で、暴力革命の放棄である。先進資本主義国である日本の現状を分析した末に、武力による権力奪取が望ましい革命ではないと結論した。そこには理想主義だけではない現実主義者の一面があった。
もう一つは国際的な問題で、平和とともに独立を強調したことである。それは最大の社会主義国であったソ連と第二の強大な社会主義国の中国からの独立だった。これらの国と友好的な関係を持つためにも隷属するのではなく、独立を守ることが大事だという考えだった。福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」の考え方と似ている。
死は誰にも必ず訪れるものだが、宮本顕治さんのような人が亡くなって思うのは、死は不合理だということだ。その死を正当化する理由は何もない。心から哀悼の意を表したい。(しんぶん赤旗7・21)
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加藤の宮本評につけくわえることは何もない。
明らかに「戦争をする国」をめざして右にかじがきられようとしている時、宮本の生き様が訴えるものは決して少なくないように私には思える。
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「今・ここ主義」の政治的意味
まさに、日本人は今、ここを重視する。考えがすぐにそこにむかう。この日本人の考え方を仮に今・ここ主義とよんでおく。
私がこのエントリーでふれたいのは、選挙のたびに今ここ主義が繰り返されるということだ。そして、それが結局は今の国会の議席配置を決めて、ある意味で政治状況を下から支えているということを意味している。
これを、あらためて強く実感したのが、たとえば都知事選をめぐる言論状況だった。今、ここに、強く関心が集中する。
これは、全体の流れの中の現在としてとらえるのではなく、現在から全体をみるということでもある。しかし、はたして全体がみえているのかどうか、それはきわめて疑わしいと私は率直に思っている。この考え方の典型は山口二郎氏だ。別のエントリーで、氏の破綻についてふれたので、これ以上の言及は避ける。が、氏は、端的にいえば、石原氏を引きずりおろすために浅野氏を無条件で応援するよう共産党、あるいは同党支持者に求めたのだった。しかしながら、これは単に、ひとり共産党あるいは同党支持者に向けられたというのではなく、少数者を排除するという、とても看過できない思想性をもつと私は考えてきた。この所詮勝てないのだからという考え方の根本を私は問いたいと思う。
おそらく山口氏だけではない。左派・市民派とよばれているブロガーたちが、加藤がいうように日本人のもののとらえ方として共通する今ここ主義に浸りきっている。
彼らの多くはまた、小泉9・11選挙で自民党大勝と、小泉自民党になびいていった「無党派」の投票行動を苦々しく思っていたはずだ。そして、その彼らが今度は、東京都知事選で同じように時流に乗ったということにすぎない。彼らもまた日本的思考方法から免れてはいない。政治的には、二大政党制のなかにどっぷりとつかっている。政治のなかでは「今・ここ主義」は、だから自民党ではない民主党への期待、そして石原でない浅野への期待にむかったのであった。
さあ、参院選で彼らはどうふるまうのだろうか。 ■よろしければ、応援のクリックを ⇒
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加藤周一 -未来のために今必要なこと
私はこれまでの民主党には懐疑的だが、それでも沖縄知事選での野党共闘の枠組みを尊重したいし、共闘の維持にあたった同党の努力もまた評価したい。だが、民主党の態度はここにきてどうか。
法案提出者の民主党・枝野幸男は「手続き法がないとおかしいという意見はあるが、ぜひつくれという意見は大きくはない」としながら、「つくらないでいいことではない」と語っている。この開き直りにはほんとに辟易する。手続き法案の審議が今後の改憲にむけた一階梯であることはだれの目にも明らかだろう。手続きに関していま与党案も民主党案もいずれも、民意をくみつくそうという立場にたっておらず、下手をすると有権者2割の賛成で改悪案が承認されかねない。他の法案同様、この法案も重大な局面にある。あらためていえば、世論調査の結果をみても国民はいま改憲をのぞんでいるのではない。
歴史にはターニングポイントとなる局面がむろんある。昨年の自民党大勝から今日、そして来年の参院選まで、のちのち振り返って歴史の画期になるのかもしれない。こんな状況のなかで、護憲か改憲かをめぐる問題の所在を、簡潔で、しかもとても分かりやすく本質をえぐった発言に出くわした。加藤周一の発言である。
その思考の明晰さを疑う人はおそらくいないだろう。加藤は以下の発言でもそれを如何なく発揮している。平和を考える上で、憲法をめぐって日本が今後採らなければならない選択肢について、端的にこれほど明快に考察し説いたものを私は知らない。九条の会・憲法セミナー(11・25)での発言である。 加藤は、いまこそ未来のために私たちが考えを深めることを説いている。
セミナーは、仲間を広げることと、考えを深めることという、二つの仕事のうち、深めることに重点があります。 考えを深めるため、問題提起をしたい。もともと平和は対外関係です。九条を守ることと、対外関係における判断の独立性は無関係ではない。そこで、二つの独立変数、護憲か改憲かと、独立か従属かを組み合わせると、今後の日本には四つの選択肢があります。 一つは、憲法をそのままにして独立する。二番目は、憲法はそのままだが従属する、独立の程度が低い。三番は、改憲して、独立を強める。四番は改憲をすると同時に、従属的な態度をとる―この四つの選択肢です。 一番は理想的です。憲法を守りながら、独立の外交政策の自由度が大きくなる。それを使って周辺国との緊張関係をなくしていくことができる。平和が強まれば軍備の必要も減っていく。 二番は現状のまま。平和主義だが外交での自由は非常に限られる。長い時間がたつとへだんだんと外国いいなりが嫌だという考えが強くなる。 嫌ならアメリカから離れて軍備を増強するか。それが三番です。しかし、アヅアの緊張を高め、アメリカからも歓迎されない。どんどん軍備を増強すると、ある段階で核兵器も、ということになる。すべての国との関係が悪化する。非常に非現実的です。 四番はどうか。これが今進んでいる改憲の方向です。そこで軍備を増強すれば、米軍に従属したものとなる。日本人が日本のためでなく外国のために戦死することになる。そんなことは受け入れられない。 一番現実的で未来のために必要なのは一番です。武器による安全保障ではなく、外交的手段で安全を保障することは、アジアでも非常に歓迎されます。どの可能性が一番現実的で日本人にとって受け入れやすいのかよく考えて、その可能性を推進すべきだと思います。 |
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死に向かう教養の再生とは
教養の再生という以上、著者は、教養というものが危機に瀕しているという認識に立っているということです。
著者の一人、加藤周一は、ドイツ語で教養を指すbildungという言葉を引用して、これは「知識を積み上げることによって人格をつくりだすこと、個性のある人間が自己実現をしていく過程を意味します」とのべています。
かつて特権のものであった教養という概念がなぜ失われようとし、死につつあるのか、加藤はその理由をあげています。それを少し整理するとつぎのようになるでしょう。
1つは、それをもてばいろんな領域で能力を発揮できると考えられていた教養というものが、何かの職業や技術の役にはたたないという理由です。この背景には自然科学の進歩があったことは容易に想像できるでしょう。「教養主義」という言葉は、まさにこの視点から否定的な意味で使われてきたのです。
もう1つは、欧米や日本など、いわゆる先進的な国ぐにの高等教育の大衆化です。一番目の理由とも重なりますが、大衆化は、より役に立つ能力を早く身につけたいなどのように実用的な要求に向かうからです。
こんな理由によって教養が死に向かうなかで、3人の著者は、あらためて教養の再生を強調します。つまるところ、それは、社会にとっても、個人にとっても、究極の目的は何が大事で、何に価値を置くのか、その根拠は何かを考えるときに、教養が必要だからです。
その上で、教養によって引き出すことのできる自由と想像力を加藤は説きます。言論の自由が前提とされますが、たとえば詩や文学のなかで自由にものを考え、語り、動くことができるのです。教養によって培われる自由ということになるのでしょう。
他人の心へ感情移入する能力もまた、教養によって生まれる。この本では、スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』について言及しています。他人の苦しみに関心をもつ、こういう想像力は物質的な科学からは生まれでない。
小泉政権のすすめる新自由主義という路線は、この論脈でいえば、この想像力の欠如した最たる姿かもしれません。その意味では小泉首相自身の「教養」も問われないといけないのでしょう。
徐京植は本書を以下のようにしめくくっています。
教養はかつては限られたエリート、特権階級の男だけが享受していました。しかしいまはそれは許されない。かつて特権階級の男だけが教養を享受していたことが、このような現代をつくりだしたのです。そうであるから、・・・・・一般大衆こそが、このような教養の担い手となって、この社会を少しでも良くしていく、良くしていくことができなくても、この社会の破滅を一分でも二分でも遅らせるために努力しなければならない時代、それが現代ではないかと私は思います。
やや消極的な表現だと私は思いますが、しかし、なぜ生きるのか、何のために生きるのかを決めるのは私たち自身をおいて他にいません。そのことを、本書はくりかえしよびかけ、最も強調しているように思えるのです。
加藤周一/ノーマ・フィールド/徐京植『教養の再生のために』(影書房)
思想としての加藤周一
何よりも思考の明晰さ。その上に―和漢洋に通じ該博な石川淳を加藤はよく引き合いにだしますが―、かくいう加藤本人の該博ぶりにも私は驚かざるをえないのです。加藤は最近、九条の会を舞台に実践的に社会運動にかかわっています。
こんな加藤自身をふりかえる書、これが『20世紀の自画像』でしょう。1919年生まれの加藤は、15年戦争にむかう戦前と戦中、敗戦をへて戦後の日本を、日本で、そして日本の外からみてきたといえるでしょう。その加藤の視点でかかれてきたのが、たとえば朝日新聞の時評『夕陽妄語』であり、これをよんだ人はすくなくないでしょう。
この本では、さまざまなテーマをとりあげていますが、1つだけ日本のナショナリズムに関する言説を紹介します。加藤はこのようにいいます。
「ナショナリズムという以上、国の独立が大事でしょう。独立の内容は何かというと、今言ったようにフランスでは言語や文化。アメリカでは民主主義に最近では軍事力が加わった。日本では今まで国家神道と軍事力でしたが、それが戦後失われて、ナショナリズムに根拠がない。どうして日本で右翼的なナショナリズムが力を得ずにきたのか。ナショナリズムの感情はアメリカ追随に反発する。しかし軍事力の増強を求めているので、親米的であればあるほど軍事力増強になる。親米ではナショナリズムではないでしょう」
これは小熊英二のいう「おかしいナショナリズム」を別の言葉でおきかえたといってよい。日本の深刻な対米従属について、加藤は、「米国との軍事同盟の強化は、アジアでの孤立から脱出すために役立たないばかりでなく、現状ではむしろそれを強化するようにみえる」と指摘します。日本が「歴史認識」に固執するかぎり、アジアの人びとの反日感情と対日批判のいら立ちは、おそらく再び爆発するだろうという見通しにたって、加藤がのべる「それは日本のみならず、アジア、殊に東北アジアにとっての大きな不幸」という言葉に私はまったく同感します。
本書第二部の成田龍一『戦後思想史のなかの加藤周一』は、よく整理された加藤周一論になっています。
加藤周一『20世紀の自画像』(ちくま新書)