森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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姜尚中『愛国の作法』再び -なぜ「愛国」なのか
姜尚中の以下の一節からはじめよう。
姜とほぼ同時代を生きたものには、彼の説くところは手に取るよう分かり、それにおそらく一々うなづくだろう。姜自身はたしかに「在日」という、姜が語る「パーリア」的状況に置かれており-むろんそれは私にとってみると直接経験しえないし、理解しようにも理解しえないものでもあるのだが-、それでも、その後「何事もなかったかのように『ミーイズム』の安全地帯に脱兎のように避難する同世代」の者にたいする激しい憤りを当時、また私も感じ取ったものであった。まさに同時代を生き共有していたという気がしてならない。
そして時間はすぎていった。 だれもが当時、予測しえなかった時代をむかえたのだ。
本書のようなタイトルで新書を書くことになろうとは、10年前には想像もしなかったことです。「愛国」や「憂国」の類など、聞くだけで禍々しく思えたのは、それらが70年代初めの三島由紀夫の割腹自殺と結びついていたからです。 その頃学生になり立てのわたしは、ただひたすら彷徨っていました。「在日」という、アーレントの言う「パーリア」的状況を生きるわたしの身体を風が吹き抜けていくようでした。何に自分を賭けていいのか皆目見当もつかず、しかも自分が誰なのかよくわからない不安に怯えるひ弱な学生、それが私の実像だったのです。 そんなとき、「愛国」や「憂国」を絵に描いたような三島の華々しくもグロテスクな割腹自殺は、わたしの中に名状しがたい感情の波を引き起こしました。激しい嫌悪感と未知のものへの好奇心がない交ぜになり、そのアンビバレントな感情をどう処理していいのか、よくわからなかった記憶があります。 その後、わたしは父母の国(韓国)にはじめて足を踏み入れ、その経験がキッカケとなって「民族的」に目覚めることになるのですが、それでも「憂国」という言葉には何か白々しい思いがしていました。どうしても、自分の身体がそれに馴染まなかったのです。 ただそれでも、朴元大統領の維新独裁に抗議して決起したソウル大学生のデモを「愛国的義挙」として褒め称える立て看を書いた憶えがあります。当時学内を闊歩する新左翼のセクトから「右翼小児病」などと激しく罵られたものです。 「愛国」という言葉をなぜ使ったのか、その当時はよくわかりませんでした。ただ、政治の季節が潮を引くように退き、まるで何事もなかったかのように「ミーイズム」の安全地帯に脱兎のように避難する同世代の学生達に対する激しい怒りのようなものがそこに籠められていたのでした。 73年の初め、旧通産省による初の余暇白書「わが国の余暇の現状と余暇時代への願望」が発表され、時代は「モーレツ」から「ゆとりの時代」への転換しようとしていました。一方で土地成金が高額所得者の上位100を独占し、金製品の自由化とともに金ブームが到来し、他方では「庭付き一戸建て住宅」は庶民には高嶺の花でしたが、過剰なほどの大衆消費社会とレジャーブームが列島を席巻しようとしていました。「憂国」だの、「革命」だの、物騒な言葉は一部の過激なアウトサイダーの専売特許になり、「堅気の」フツーの人々には無縁な死語になろうとしていたのです。 あれから30年、今や「憂国」や「国を愛すること」は、メディアを通じて誰でも使える共通通貨になり、若者達を結びつける生きた靭帯に様変わりしつつあります。もはやそこには、禍々しさや影は見られません。むしろ都会的な明るい軽やかさすら漂っています。 そんな表層的な「愛国」の空気が広がる中、もはや「愛国」をただ避けているだけでは済まなくなりました。本書では、そんな時代の変化に対するわたしなりの取り組みを述べてみたかったのです。(『愛国の作法』あとがきから) |
それからかなりの歳月を経た今日、安倍某が政権につき、「愛国」という言葉を弄び、われわれがそのもとで生きてきた日本国憲法の否定を口にし改定をも日程化する時代となった。
そんなときだからこそ、以上の姜の言葉はあらためて特別の重みをもってわれわれに語りかけるのではないだろうか。
くしくも大澤真幸がこの姜のあとがきを取り上げていた(西日本新聞・時評論壇、12・4)。
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