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「星野ジャパン」第2章
ついに渡辺恒雄氏の登場です。
渡辺会長がWBC指揮官に星野監督後押し |
この人が出てきたことで、スポーツの商業化が資本の側のいかに強い要求であるのかを、垣間見るような思いです。
北京五輪で余すところなく見せつけられたのは、日本チームと諸外国チームとのチーム力の差でした。チームの力を引き出す上で、指導者の力量はむろん欠かすことのできない要素でしょうから、結果的にみても星野氏は指導者として問われたことになります。
野村克也楽天監督が、星野采配にふれています。
ノムさん「視野狭い」星野監督をバッサリ (日刊スポーツ) |
興味をもったのは、
星野、山本、田淵の首脳陣について「仲良しグループにした時点でダメだと思ったよ」とチクリ。もちろん黙っていられなかった。 |
の、部分です。そのとおりだと私は思います。
かつて、井上陽水は、こんな歌をうたいました。
※楽しいことなら何でもやりたい 笑える場所なら何処へでもゆく 悲しい人とは会いたくもないなら 涙の言葉で濡れたくはない 青空、あの日の青空、ひとりきり※ …… 仲良しこよしは何だかあやしい |
この歌詞にあるように、仲良しを強調することは、どことなくあやしいのです。そこをつきぬけようとする意思がまず感じられません。おそらく仲良しグループみたいな指導層の陣容決定は、陰に陽に選手たちの士気に影響したでしょう。個々の采配の問題についての野村氏の指摘には大いにうなづけます。
最初に戻って、渡辺氏があえて星野氏をWBC指揮官にと言い出したのも、キャンペーンを張って、もうける道筋を考えた場合、商品としての価値が星野氏に勝る人物はいない、と渡辺氏が考えたからにほかならないでしょう。むろん、この限りで指導者としての力量は二の次といえるのではないでしょうか。
来年のWBCまでの期間、あらゆるものに日本必勝と銘打って、利益を確保しようという企業の論理がここにあるのではないか。渡辺氏は、先駆けてその方向にふれ先鞭をつけようとしたということでしょう。
星野氏が、商品としての自身を自覚しているかどうかは別にして。
(「世相を拾う」08160)
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「星野ジャパン狂騒曲」
日本はすぐにたたきにかかる |
でも、これは事実誤認というものでしょう。
開催国、中国でも、スーパースター劉翔が棄権を明らかにしたとき、どうだったのでしょうか。やはり、劉翔は非難の嵐に置かれたといえるのでは。こんな記事もあったくらいですから。
「許せない。五輪前に自分の世界記録を破られて、おじけづいたに違いない」。北京市内のタクシー運転手は19日朝の新聞を読んでも、劉のけがを信じなかった。
|
これにくらべると、星野さん、(日本の批判なんて)やさしいものではありませんか。
せいぜい、非難は、あなたの采配にたいしてでしょう。そして、プロらしからぬ傍目にも簡単にみえる捕球ができなかった例にたいしてでしょう、そして打つべきところで(と誰もが考えるところで)一発がでなかったことにたいしてでしょう。さらに、抑えるべきところで(いとも簡単に、とみえる適時打をみまわれ)それができないでうろたえる姿にたいしてではなかったでしょうか。
日本チームはプロ野球選手で構成されていたので、捕球ができなかったり、適時打をみまわれる姿に、私たちは見慣れているはずです。だって、プロ野球の世界でもそれらの事態は日常茶飯事なのですから。それがくりかえされることに反発があるのは、いわば当然といえるかもしれません。
むしろ、私には、星野ジャパンと銘うって、金メダルへの「栄光の道」を刷り込れ、あたかもメダルの最短の位置に日本があるかのように描かれたシナリオを我々も真正面から受け取って、聴衆として演じきってしまったということ、これを反省すべきではないでしょうか。
つまり、それは、星野氏の過大評価につながっているように思えます。けれど、試合をみせられた私どもには、素人眼にも、明らかに彼の采配で首をかしげることがありました。たとえば、岩瀬投手の起用法。彼はたしかにいい投手にちがいないのですが、このオリンピックではよく打たれたように私には思えましたが、星野氏には特別の思い入れがあるのでしょうか、岩瀬投手をむしろこれでもか、これでもかと使って、そのたびに打ち込まれたのではないでしょうか。
日本選手団長、野球・サッカー男子・マラソンに「苦言」
星野監督が帰国…WBC監督要請に前向き
この2つの記事は、表面上、相反するようですが、実は根っこが一つのような気がしてなりません。
ここでは日本選手団長がとりあげられていますが、JOCが、星野ジャパンを起爆剤に使ってきたのは、繰り返しテレビコマーシャルに登場してきたことからもうなずけます。「苦言」を呈するより、まず持ち上げてきた自らについて深く反省すべきでしょう。ある意味でいえば、日本国民を欺いたといえなくもない。
同じように懲りないのは星野氏自身でもあるようです。
こんな雰囲気をかもし出す星野氏って、いったい何なんでしょうね。
指導者としては、より優れた人材がこの日本国にもまだまだいるような気がするのですが、いかがでしょうか。
つまり、日本とは、おめでたいJOC一部幹部と、それに乗せられて自信過剰に陥る、おめでたい自称指導者が世間をあおってきたということでしょうか。
これにメディア資本がからまって、五輪狂騒曲が奏でられてきたようです。
私は、日本国のスポーツの発展、国民の多くがスポーツに自ら親しみ、応援する土壌をつくるには、現場の指導者・コーチの環境を少なくとも食っていけるだけのものにすること、そしてスポーツを楽しめる施設・設備・環境づくりに政府がもっと予算をふりむけることなど、土台のところで転換を図らざるをえないと思います。
そうでないと、限られた舞台のなかで「活躍」した者を、あたかもすぐれたスポーツ指導者のようにみなす風潮に歯止めをかけることは不可能でしょうから。
(「世相を拾う」08159)
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あれは世界戦だったのか。
私はこんなふうにふりかえったのですが(coleoの日記10・12より引用)。
====
唸る。政治も劇ならば、格闘技はもちろん劇。これが実感。
ボクシングを観にきた客は、ちがうものをみせつけられたというわけ。
11日の有明コロシアムの特設リンクという劇場に立った亀田次兄がすでに競技者の顔でなかったのは明らかだが、対戦者の内藤は競技者と役者を見事に最後まで演じきった。
内藤は、しくまれた対戦というイベントにおいて役者たらざるをえなかったが、試合において、最後まで競技者だったといえるだろう。
亀田が投げ、反則をしかけたとき、対戦者たる内藤は役者であった。亀田が攻撃しようと思ったのは役者の内藤であって、競技者の内藤ではなかったが、亀田を攻撃するときの内藤は競技者の内藤であった。
この反転を、亀田父とTBSがついに見抜けなかったということ。切腹などどうでもよい。しょせんは役者のはいた言葉なのだから。
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オシム・ジャパン、2―0で初陣飾る
サッカーの国際親善試合「キリンチャレンジカップ2006」日本―トリニダード・トバゴ戦は、9日夜、東京・国立競技場で行われ、日本は三都主が17、22分に連続ゴール、2―0でイビチャ・オシム新監督の初陣を快勝した。
【以上、読売新聞】
川渕氏のワンマンぶりに関連してオシム氏起用のいきさつにふれた(別のエントリー)手前、オシム氏の初采配にふれないわけにはいかないだろう。
DFは駒野(広島)、坪井、闘莉王(以上浦和)で、中盤は守備的な位置に鈴木(浦和)が入り、右に田中隼(横浜M)、左に三都主(浦和)。中央には長谷部(浦和)、山瀬(横浜M)が起用された。FWは我那覇(川崎)、田中達(浦和)のツートップ。先発11人のうち、浦和勢が過半数の6人を占めた。
この布陣からもわかるように、オシム氏の今回の代表選考にはいくつかの制限があった。海外組の不参加、国内のいくつかのチーム事情などにより選手の選出には困難がともなった。直前まで追加選考したことにそのことは表れている。このような事情を考えれば、初陣として天晴れだといいたい。
オシム氏は、これまでの代表チームのカラーの一掃をことのほか強調してきたように思う。同氏の発言の一つひとつが、オシムカラーの押し出しであった。それはこの試合にもいきいた。
選出された代表選手は、これまでの代表チームのカラーを気にせずに、ある意味ではオシム氏にその身を思い切ってゆだねることに専念することだできただろう。しかし、同氏が考えるサッカーを強調していたことに注目しなければならないだろう。いうがままでも困るのだ。
読売新聞から得点シーンを拾うとつぎのようである。
日本は17分、ゴール前ほぼ中央で得た約20メートルのFKを三都主が得意の左足でゴール右に決め、先制した。日本は22分にも、駒野の左からのクロスでDFラインの裏に抜け出した三都主が、GKの頭上を左足で浮かせて破る頭脳的なシュートでリードを2点に広げた。(以上、引用)
オシム氏の采配の一端を垣間見ることができる。わずかにいずれも得点者が三都主なのが気にかかる。
オシム采配の評価はこれからだ。この一戦だけでは決められない。
管理人は別のエントリーで、つぎのように書いた。
W杯の総括問題はいつのかにか消えてしまい、もっぱらオシム新体制を連日のように報道し、世間の関心をそこに移行させてしまった。この経緯をみるならば、サポーターたちの批判はほぼあたっているとみることができる。ここにも川淵氏の人並みはずれた「政治力」をみることができる。機をみるに敏なり。
オシム氏采配とは別の問題としてW杯の総括問題は依然として残っているのではないだろうか。
亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破
世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦で、亀田興毅(19)(協栄)が王座を獲得した2日の試合の判定などを巡り、試合を中継したTBSには抗議や問い合わせが殺到、3日午前9時までに4万件を超える電話やメールが寄せられた。
【以上、読売新聞】 (写真:共同通信社)
さもありなん。こう思った。だれもがもった疑問と不満。しかし、こんな形でかえってくるとはTBSも考えなかったろう。
同紙によれば、テレビ局への視聴者の反響では、昨年1月にNHKが海老沢勝二前会長の顧問就任を報じた際、約6500件の電話やメールが殺到した例があるが、4万件は異例だという。多くがTBSに釘付けになったのだ。こういう管理人もみた。
「公正さに欠ける」「亀田選手の負けではないか」などの指摘が多かった。素人の管理人も同じように思う。最後のラウンドなど、亀田はグロッキーではなかったか。顔面のはれと傷、いつものビックマウスも形無しだった。相手のランダエタは明らかに勝負では勝っていた。だが、試合に負けた。
TBSもからんで、つくられた世界チャンピオン。「亀田三兄弟」と銘打ってコマーシャリズムのなかにおかれて、今後、亀田興毅はどうなるのか。逸材であれば、なおさら心配は尽きない。
いま19歳の彼の真価が問われるのは、まさにこれからだ。
だから、内容からみてベルトを返上してもおかしくないと管理人は思う。
なお、試合中継の平均視聴率(関東地区)が42・4%だったことが3日、ビデオリサーチの調べで分かった。亀田興毅選手が判定勝ちを決める直前と直後の2回、瞬間最高視聴率(同)の52・9%を記録。また、亀田選手の地元、関西地区の平均視聴率は42・9%だったという。
ドン・川淵氏を再任、日本サッカー協会
日本サッカー協会は30日、東京都内で評議員会と理事会を開き、新役員人事を決めた。川淵三郎会長(69)は留任し、3期目(任期2年)を迎える。協会役員の定年は70歳のため、最後の任期となる。
【以上、毎日新聞】
元日本代表の風間八宏氏(44)らが特任理事となるなど、33人の役員のうち、19人が新任と、大きく顔ぶれが変わった。
毎日新聞によれば、川淵会長は「ワールドカップ(W杯)の日本代表の1次リーグ敗退はファンに失望を与えた。結果責任を重く受け止めている。オシム監督についての失言は言い訳の余地がなく、身を引くことも考えた」と語る一方、「自分がやれることを放棄するのは無責任だ」と強調。「多くのファンから批判があることは認識しているが、自分がサッカー界に貢献できるという自信と確信を持って、取り組みたい」と意気込みを述べ、育成システムの構築、各年代代表の複数編成化、国際交流--などの所信を表明したという。
■オシム問題で失言
オシム監督についての失言とはおよそつぎのように要約できる。この問題は川淵氏の一面をよく映しだすものだと考えるので、長くなるがふれてみたい。
物議をかもしたのはW杯1次リーグ敗退の結果、帰国間際の6月24日の川淵氏の発言だ。同氏はジェフユナイテッド市原・千葉監督(当時)のイビチャ・オシムと次期日本代表監督の後任候補の一人として交渉中であることをほのめかした。この時点で次期というのもおかしな話だが。ジェフ側は交渉の事実を否定したが、翌日になってジェフ淀川社長が事実を認めた。
サポーターからは当然ながら強い批判があがった。W杯の「総括」が終わってないのに、自らの責任を免れるための発言だとか、川淵の計算が働いているなど、さまざまな憶測もふくめた批判が沸騰した。少なくとも同氏にたいする不信感はいっそう高まったのではなかろうか。サーポーターの意見はあながち誤りではなかろうと思う。
以後、マスコミは、W杯の総括問題はいつのかにか消えてしまい、もっぱらオシム新体制を連日のように報道し、世間の関心をそこに移行させてしまった。この経緯をみるならば、サポーターたちの批判はほぼあたっているとみることができる。ここにも川淵氏の人並みはずれた「政治力」をみることができる。機をみるに敏なり。
ジェフのフロント側にも協会に対する大いなる不満、不信が生じたことが推測される。こんな経過をたどり、オシムは7月21日、正式契約した。だから、サポーターとしてはしっくりいかないものが未だに残っているはずであろう。
■自治体にハコものづくりを押しつける
日韓共催W杯後、大会を開催した地方自治体が抱える財政問題については知る人も多いだろう。ほとんどの自治体が巨大スタジアム建設のための巨額の借金を抱え、さらにスタジアムの維持管理で大赤字を抱える実態だ。
多くの自治体が起債で財源を確保した。概算によれば3000億円の建設・改修費のうち、地方債発行でまかなった財源は2000億円にのぼる。返済を何十年もかかってやるわけだ。巨大スタジアムを維持できる見通しもほとんどないままにだ。
自治体にしてみればたまったものではなかろう。わずか2、3試合のために建ててしまったスタジアム。無用の長物になりかねない。
日本サッカー協会は、地方自治体が大会後、直面しているこんな問題にも関心はまったくない。自らの商売に汲々としている。問題なのは、W杯1周年記念シンポジウムで、2050年までに再招致しようとよびかけたのだ。トップとして無責任きわまりない態度だと思う。
川淵氏は強力な指導力を発揮する一方で、その強引な手法からワンマンとの評価をしばしば耳にする。ここで、川淵氏の「強力な指導力」を疑ってみる必要がある。よけいなお世話だといわれるかもしれないが、サポーターにまず考えてもらいたいと率直に思う。
競技団体のトップなら、国民が親しむことのできる競技条件の構築を第一義的に考えてみるのが当然だと思う。そこいらの「政治家」と同じ、開発に血道をあげ、利権にからむのがトップだとはいえない。
ジダン頭突き問題で処分 - FIFA
国際サッカー連盟(FIFA)の規律委員会は頭突きしたジダンだけでなく、ジダンが「暴言を繰り返して挑発してきた」と非難したマテラッツィまでも処分した。事実認定が難しい侮辱側まで罰するという、極めて異例の処分となった。FIFAは、フェアプレーを順守する立場を明確にすることを選んだ。
http://www2.asahi.com/wcup2006/news/TKY200607200594.html
『朝日新聞』によれば、FIFAはマテラッツィのジダンへの発言は侮辱的だったが人種差別的なものではなかったとし、発言の具体的な内容については明らかにしなかったという。
私はFIFAのこの発表は疑わしいと思うが、ひとまず信じることにしよう。
同紙は、「プロの試合は上品には行われていないのが現実だ。侮辱発言は日常のように行われ、選手が使う言語によっては、ひわいな言葉が叫ばれる」とのべる。
ただ、今回の事件の場合、FIFAが「異例の処分」をおこなった背景には、別のエントリーでふれたような伏線がある。それをみておかないといけないだろう。何よりもFIFAは人種差別反対のキャンペーンをはっていたこと。すでに人種差別的暴言にさらされた選手がいて物議をかもしたこと、である。
処分について、FIFAの規約では「身ぶりや言葉などで相手を侮辱した選手は最低2試合の出場停止。宗教や出自などの差別的発言は最低5試合の出場停止」と定めている。今回のFIFAの対応は、どんな経緯をたどろうともこの規約にてらして毅然たる態度をとったことは、反人種差別キャンペーンとあわせて評価できるものだ。
今後も同じような問題が起きたときにどうするのか、という疑問も生じる。だが、人種差別的言動、侮辱、暴言の根絶をめざすためのサッカー界あげての努力が、当たり前のようだけど、いま必要だし、最も急がねばならないことだ。侮辱、暴言の日常化、あるいは体質にこそメスをいれなければならない。
露鵬、カメラマンに暴行
大相撲名古屋場所で15日、7日目の取組終了後、東前頭3枚目の露鵬(26)=本名ボラーゾフ・ソスラン・フェーリクソビッチ、ロシア出身、大嶽(おおたけ)部屋=が、会場内のガラスを割り、毎日新聞社などの写真記者2人に暴行を加えるトラブルを起こした。日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱)と九重審判部副部長(元横綱千代の富士)は口頭で厳重に注意を与えた。)(写真:『朝日新聞』)
http://www.asahi.com/sports/update/0715/199.html
露鵬は大関千代大海に敗れ、土俵下でにらみ合い、言い争いになったという。それから、彼は風呂場へ入り、入り口のガラス1枚を割ったらしい。
協会幹部からの事情聴取後、部屋を出た瞬間、一斉にカメラのフラッシュを浴びせられた。露鵬は、「撮るな」と叫んで撮影していた記者2人の頭部などに張り手を見舞った。1人は眼鏡を飛ばされ、病院で診察を受けたという。張り手を見舞う先がちがう。張り手は土俵の上でだ。
『朝日新聞』によれば、露鵬は「大関と目を合わせて『何だオラ』と言われて、切れた。自分をコントロールできなかった。悪いと思っています」と謝罪した。
露鵬は土俵で相撲をとるのを職業とする人だ。相撲はふつう、土俵の外ではとらない。相撲は力士と力士によってはじめて成り立つ。これに行事と観客を加えてもいい。張り手は相撲の技の1つにちがいないが、土俵の外で見舞うことは二重に誤っている。
ジダンの頭突きが取りざたされた。ブログ上でもこの事件はにぎやかだった。ジダンの「激高するキャラクター」を指してのことだろう、事件後の母親が語ったとされる言葉をとらえて、「この母親にしてこの子あり」式の意見もあったが、こんな皮相な見方ではまちがってしまう。当管理人は別のエントリーのとおり考えてきた。頭突き事件では「ジダンの頭突き」がどこに向けられているのか、いま一度ふりかえる必要がある。同じ「アスリート」の暴力でもちがう。
大人になりきれない大人、朝青龍の「腕白ぶり」はしばしば世間を騒がせているが、名古屋場所では3年前にも朝青龍が旭鷲山関の車のドアミラーを壊した騒動がおきている。
ジダン頭突き事件
その決勝戦で事は起こった。ジダンの頭突きだ。何も原因がないのに、いくら「キレる」前科のあるジダンであっても、頭突きなどするはずもない。そう、テレビ画像では、確かに頭突きをくらったイタリアのマテラッツィが何事かを口走るのを確かにとらえていた。彼は何をいったのか? マスコミはそれをいろいろと詮索している。
よほどのことをジダンにむけて、彼はしゃべったのであろう。テロリスト、母や姉のことなど家族にまつわる差別などなど・・・。真相はいずれ明らかになるだろう。時が明らかにするにちがいない(解決するとはいわない)。
すでに当のマテラッツィはつぎのようにのべている。
「絶対に違う。彼をテロリストと呼んでいない。私は無知で、その言葉の意味すら知らない」
同選手の父親も「息子と電話で話したが、挑発に苦しんだのは息子の方だと言っていた」と話したらしい。
ジダンを「テロリスト」と呼んだと一部で報道された伊のマテラッツィ選手がこのように事実関係を全否定したとマスコミは報じた。
http://www2.asahi.com/wcup2006/news/TKY200607110164.html
これからは勝手な想像である。
私は、内容を特定することはできないが、政治的に重大な中身をもっていることだけは事実だろうと思う。なぜそう思うのか。
それは、ある意味で異例なMVPの選出結果だったからである。国際サッカー連盟(FIFA)は、ジダンをMVPに選んだ。決勝戦でレッドカードを受け、しかも暴力行為によって退場した選手を選んだのである。だれもが異例と考えるのではないか。このあたりに、政治的に「頭突き事件」の沈静化を図ろうとするFIFAの意図が見え隠れしているように思う。FIFAは事件の重大さをジダンのMVP選出で覆い隠そうとしたのではないか。たしかにジダンもそれにふさわしいプレイをしていたにはちがいないが。
マテラッツィの「無知で、その言葉の意味すら知らない」という言葉は、いかにも空々しいが、問題は、彼の言葉がテロリストに関してであっても、母や姉、家族にまつわる人種差別に関するものであろうと、いずれも政治的な、重大な発言であることにかわりはない。
もっといえば、テロリストの意味を知らず、そう語っていないかもしれないが、ジダン本人や家族に関する差別的な発言そのものが問題なのだ。
今回のW杯では、すでにフランス選手にたいする人種差別発言が物議をかもしていた。今大会で差別的暴言を受けたティエリ・アンリは、“Stand Up, Speak Up(立ち上がれ、声を上げろ)”運動を発起人となって2005年に立ち上げている。だが、ヨーロッパ・サッカー界での人種差別的暴言はあとをたたず、今年2月にはサラゴサのサポーターから人種差別的発言を受けたバルサのエトーが試合を放棄する事件もあった。
マテラッツィのイタリアも、実は槍玉にあがっていた。
イタリア代表の主将DFカンナバーロが告発し、イタリア人の間でも「差別」が浸透していることが明るみに出た。カンナバーロの勇気もたたえて余りあるものだろう。
イタリアには、北部イタリア人が南部出身者をさげすんで呼ぶ「テローネ」という言葉があるらしい。彼は、「試合中に、『カンナバーロはテローネだ』との罵声が相手のスタンドで反響する。北と南や白と黒といった違いで、人と人との間に隔たりがあってはならない」と語っている。そのとおりだ。
頭突き事件を受けて、仏人権団体が「汚いテロリスト」発言に関してFIFAに調査と適切な処置をとるよう要求したことが報じられた。
ヨーロッパサッカー界の「肌」、人種だけでなく、人権を蹂躙する差別はそれほど深刻なのである。
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中田英寿の涙 -その引退に想う
その後、中田が引退を発表したとき、ほとんどの日本のマスコミは、私の知るかぎり「突然の引退」と報じた。だが、私はそうは思わなかった。決勝進出しても、しなくても、中田は引退を決意していたのではないかと今でも思っている。すでに中田は引退を決意していたのだ。
そうであるならば、中田の涙はいったいどんな意味があるのだろうか?
その前に少し考えないといけない。『サンデーモーニング』で張本勲は、「あれはいけない」などと、中田が横たわったことをとらえてわけの分からないことを口走り非難したが、私は少しもそうは思わない。ピッチに横たわり、涙を浮かべたのがなぜいけないのか。中田が横たわったのは、ラグビーでいえばノーサイドが宣告されてからだ。むろんこの時、敵も見方もない。まさに「ノーサイド」なのだ。ある意味で、選手たちがはじめて、一人の人間に戻るときなのだ。
自分をどのように表現するか、これは個人が決めることだ。こんな表現をできるところに他の人とはちがう中田を私たちはみることができるのではないかと、私はひそかに思った。この点で、張本はもう、すでに過去の人と刻印されてしようがないと率直に思った。
中田の涙の意味したもの、それは裏返しの達成感だと思う。
中田はこれまで、冷徹さがゆえに、この冷徹さにまつわりサッカー選手としての「姿勢」を云々されてきた。だが、この冷徹さは、日本というチームにとって欠くべからざる条件ではなかったか。中田をおいて、だれがその役割を果たしえたのか。だれもできなかったと私は思う。自らのことを離れて、だれが他者のことを、チームのことを視野に入れることができたのか。結果的に、中田と、その他の日本代表の選手それぞれの、この点での力量の違いが我われの前に明らかになったにすぎないと私は思う。
おそらく中田は、自らと他の選手たちとのギャップが最後まで埋められなかったことについて承知していたにちがいない。中田と、それ以外の代表選手―その誰もが日本では突出して秀でた選手であることにちがいはないのだがーとは明らかにちがった。私の目には少なくともそう映った。
中田と他の代表選手との違いは何か。
それは、予測不可能なことを、決定可能なものにどう切り替えていくか、その力量の差によっている。中田の判断力は、他のどの代表選手のそれにも置き換えることができなかった。このブログで先にイチローの「三振する技術」にかんしてそのことをとりあげたが、中田はこの域に十分に達していたと思う。
別の言葉でいえば、今回のワールド杯の日本の結果は、中田にとっては、予測可能であったのかもしれない。中田の涙は、その意味で、裏返しの達成感の表れであると思う。
自らの主張=哲学といってもよい―をもつ。中田以上に、これがぴたりとあてはまる選手は日本チームにはいない。サッカーと大リーグの違いはあるが、おそらくこの文脈で今後、中田とイチローは並び称せられることになるだろう。
中田の涙は、そのことをはっきりと伝えているのだ。